今朝Twitterを開いてみたら、

『これでは子や孫の世代に申し訳ない人口激減社会で「消えていくもの」一覧 ローンは組めない/宅配便は届かない テレビは映らない/プロ野球もJリーグもない』
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31829

という記事が「現代ビジネス」のところにあったので読んでみた。なかなか興味深いところもある一方、たぶんここでの指摘の大半は外れるだろうなとも思った。そのあたりのことを今日は触れてみたい。

記事の内容は題名で想像する通りで、これから日本が人口減少の道をたどっていくうちに、いろいろなもの(プロスポーツ、住宅需要、公共自治体の提供するサービス、風俗業など)が姿を消す、というものだ。

確かにここで指摘されているものは、ある程度の人口が維持されていなければ安定してサービスが受けられなくなるものばかりだ。そして日本に限らず先進国で人口減少はどこでも出ている傾向である。

しかし、である。果たして記事にあるような現象がこれからさき本当に起きるのか、とパッと直感で疑問に抱いた方も多いのではないだろうか。まさかここまで酷い未来にはならないでしょう、たぶん、とね。

実は私も同じような頭の持ち主だった。少なくとも、ここに書かれているほどの悲惨な未来は日本には訪れないだろう(別の理由で悲惨なことが起きるかもしれないが)。

単純に「日本人」だけが減少する、というならば現代ビジネスの論考もある程度は当たるかもしれない。しかし地球規模で考えれば人類は増加の一途をたどっている。お隣の中国などその典型だろう。いまの日本は鎖国状態ではないし、そうした国際問題にも何らかの対応を考えなければならない。移民の受け入れである。

外国人に選挙権を与えることにも否定的な意見が大半を占めるこの国であるから、移民受け入れなんてもってのほかだ!と息巻く人も多いに違いない。しかし「そんなこと言ってられる場合ではない」という声はこれから大きくなっていくだろう。それだけは間違いないと思う。

人類の歴史を大雑把に言うと、文明(輸入・輸出ができるもの。テレビ、自動車、ネット、携帯など)と文化(輸入・輸出ができないもの。冠婚葬祭や宗教的儀式など)とのせめぎ合いの歴史である。そしてこれまで文明の方が文化を圧倒してきたといえるよう。なぜなら文明は人の暮らしを便利なものにしているからだ。文化は逆に人を不便な方向にもっていく傾向が強い。人間というのは身勝手で楽をしたがる生き物だから、世の中が不便になっていくのを黙ってみているはずはないだろう。

在日韓国人3世の辛淑玉(実業家、評論家)さんはその出自のゆえに、小さい時に近所のお祭りでも神輿を担がせてもらえなかった。しかし過疎化によって担ぎ手も減ったために辛さんにも声がかかる。わたし朝鮮人だから、と答えると向こうは、いまは国際化だから、などと言ったらしい。

あまりのご都合主義で笑えるながらも悲しいエピソードであるけれど、人間の本質をえぐるような話ではないだろうか。こだわっても何のメリットもない「文化」なんて状況が変わってしまえば吹っ飛んでしまうのだ。

私はいま京都市という、どちらかといえば「文化」のほうが力のある珍しい地域に住んでいるけれど、徐々にそうもいってられない状況がおとずれるだろう。そうした変化を「よそもの」である自分は見届けていけたらと願う。

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