義務教育の時点で留年するとどうなるだろう
2012年2月29日労働組合との対立やらガレキ問題やらで世間にいろいろと提言を投げ続けている橋下徹・大阪市長であるが、先日も教育問題について気になることをおこなっていた。
「毎日新聞」2012円2月22日配信のニュースによれば橋下市長は、小中学生であっても目標の学力レベルに達しない場合は留年も検討するよう大阪市教育委員会に指示を出したという。義務教育での留年は法的可能であるものの実際におこなわれた例はほとんどないらしい。
記事によれば、
<「義務教育で本当に必要なのは、きちんと目標レベルに達するまで面倒を見ること」
「留年は子供のため」>
などと橋下市長は教育委員会の幹部にメールを送ったというのである。
内田樹さんが先日の大阪市長選では橋下氏に批判的な立場をとり現職だった平松邦夫氏を応援した。仮に平松氏が当選したとしても何かしてくれたかという問題もあるけれど、橋下氏の教育に対する考え方には私も違和感を抱くことが多い。といっても教育についての考えは千差万別であるし、現在の私の経験から思うところを述べてみようと思う。
現在の私、といったのは今の自分は転職活動を続けていることに起因する。就職活動をするにあたり履歴書を提出しなければならないのが通例だ。履歴書には自分の生年月日、現住所、そして学歴・職歴などで構成されている。こうした情報を先方に渡さなければ就職活動はできない。
私には経歴で3回ほど空白期間がある。大学受験を失敗して浪人した1年間、大学卒業してから就職活動するまで1年3ヶ月、そして去年に会社を辞めて今の職場に入るまでの5ヶ月間だ。そして、これを見た企業はあまり良い印象を抱かないであろう。しかしそれは自分に一生つきまとうものであり、経歴詐称でもしない限りどうしようもないことだ。
ただ私の場合、結局は自分の責任でそういうブランクを作ってしまったと納得している部分はある。また、挽回できる程度のハンデであろうと思ってもいる。
しかしこれがもし小学校や中学校で留年していたとしたらどうだろう。企業が見る目はさらにグッと厳しいものとなるのは間違いない。なんでこの時期に留年したの?と訊かれて毅然と答えられるかと言われたら、たぶん無理であろう。
ましてや10代20代の若い人にこういう質問をされたらどんな気持ちになるだろう。いや、そもそも留年したという事実だけで精神的にも相当の傷は受けるのは想像するに難くない。小学校や中学校時代の1年間というのは成人した時のそれとは比べ物にならないほど差があるからだ。
さきの橋下市長の発言をもう一度確認してもらえたらと思うが、留年しなければならないほど義務教育の課程は大事なのだろうか。また、留年してしまった子どもの未来に対して国や自治体は何か保証してくれるのだろうか。
厳しい現実の一つとして、教育でも落ちこぼれる子たちといのは一定数は必ず出てくる。そして彼らにどんな政策をとったしても効果はそれほど上がらないだろう。私は義務教育というのは最低限度のものを与えることにとどめ、それ以上は首を突っ込むべきではないと思う。またせめて義務教育までの15年間、表向きにはみんな同じスタートラインで終われるという形にしたほうが望ましいと願っている。
能力主義の方は、それは悪平等だと言うかもしれない。しかし、留年を導入することによって新たな格差が生じてくる問題の方が遥かに大きいのではないだろうか。
「毎日新聞」2012円2月22日配信のニュースによれば橋下市長は、小中学生であっても目標の学力レベルに達しない場合は留年も検討するよう大阪市教育委員会に指示を出したという。義務教育での留年は法的可能であるものの実際におこなわれた例はほとんどないらしい。
記事によれば、
<「義務教育で本当に必要なのは、きちんと目標レベルに達するまで面倒を見ること」
「留年は子供のため」>
などと橋下市長は教育委員会の幹部にメールを送ったというのである。
内田樹さんが先日の大阪市長選では橋下氏に批判的な立場をとり現職だった平松邦夫氏を応援した。仮に平松氏が当選したとしても何かしてくれたかという問題もあるけれど、橋下氏の教育に対する考え方には私も違和感を抱くことが多い。といっても教育についての考えは千差万別であるし、現在の私の経験から思うところを述べてみようと思う。
現在の私、といったのは今の自分は転職活動を続けていることに起因する。就職活動をするにあたり履歴書を提出しなければならないのが通例だ。履歴書には自分の生年月日、現住所、そして学歴・職歴などで構成されている。こうした情報を先方に渡さなければ就職活動はできない。
私には経歴で3回ほど空白期間がある。大学受験を失敗して浪人した1年間、大学卒業してから就職活動するまで1年3ヶ月、そして去年に会社を辞めて今の職場に入るまでの5ヶ月間だ。そして、これを見た企業はあまり良い印象を抱かないであろう。しかしそれは自分に一生つきまとうものであり、経歴詐称でもしない限りどうしようもないことだ。
ただ私の場合、結局は自分の責任でそういうブランクを作ってしまったと納得している部分はある。また、挽回できる程度のハンデであろうと思ってもいる。
しかしこれがもし小学校や中学校で留年していたとしたらどうだろう。企業が見る目はさらにグッと厳しいものとなるのは間違いない。なんでこの時期に留年したの?と訊かれて毅然と答えられるかと言われたら、たぶん無理であろう。
ましてや10代20代の若い人にこういう質問をされたらどんな気持ちになるだろう。いや、そもそも留年したという事実だけで精神的にも相当の傷は受けるのは想像するに難くない。小学校や中学校時代の1年間というのは成人した時のそれとは比べ物にならないほど差があるからだ。
さきの橋下市長の発言をもう一度確認してもらえたらと思うが、留年しなければならないほど義務教育の課程は大事なのだろうか。また、留年してしまった子どもの未来に対して国や自治体は何か保証してくれるのだろうか。
厳しい現実の一つとして、教育でも落ちこぼれる子たちといのは一定数は必ず出てくる。そして彼らにどんな政策をとったしても効果はそれほど上がらないだろう。私は義務教育というのは最低限度のものを与えることにとどめ、それ以上は首を突っ込むべきではないと思う。またせめて義務教育までの15年間、表向きにはみんな同じスタートラインで終われるという形にしたほうが望ましいと願っている。
能力主義の方は、それは悪平等だと言うかもしれない。しかし、留年を導入することによって新たな格差が生じてくる問題の方が遥かに大きいのではないだろうか。
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