本日より新たに2012年度が始まったが、その初日からいきなり厳しい出来事を経験することなる。
それは何かといえば、私がずっとお世話になっていたラーメン店「風花 御前三条店」(2010年5月25日開業)が本日をもって営業を終了するからだ。店長の仲本さんには前身のお店「kirari」(2007年3月6日〜2010年1月24日)からお世話になっていたから、5年ほどの付き合いになる。kirariは私の部屋から徒歩数分のところで営業していたので、毎日のようにいたような気がする。あまりに頻繁に店に来ていたため、厨房にも入っていた時期があったような気もするが、それはたぶん何かの勘違いだろう。
この間の仲本店長の歩みは端で見ていても困難なものだった。まずお世辞にも良いとはいえない立地において「kirari」がむりやり営業がスタートした。ほとんど休みも与えられぬまま朝から夜遅くまで働き通し、その努力が実ってお客が増えてきたと思ったら社長が店の移転(ここもあまり場所が良くなかった)を突然決める・・・。メチャクチャなことがまだまだあったような気がするが(店内にかける音楽をクラシックにする、など)、あまりに矛盾の多い経営方針に仲本さんが振り回されているのは見ていて辛かった。
また私としても、
「どんなに生活が困ったとしても、飲食店だけは絶対しないぞ!」
と心の中に深く刻まれてしまった。
そんな仲本さんがこのたび「風花」の営業を辞めて、こっちで知り合った奥さんと実家のある千葉へ帰ることになった。その理由は、上のような経営方針のところであるということからお察しいただければと思う。その先のことは決まっていないという。
「次が決まってから辞めたら良かったんですよ!」
などと叫びたいところだが、この3月11日に会社を辞めて3月25日に滑り込みで職場を確保した自分にそんなことが言えるわけがない。ただ、彼の近くにいた自分としては、もっと良い形で京都を離れる選択肢がなかったのかなあと自責の念にかられてしまうのだ。
この日はもう予定がなかったので、昼間は1人で夜は友人と二人でお店にお邪魔した。昨日(3月31日)は開業以来はじめてお客が100人を超えたという。御前三条という場所で100人を集めたというのはたいしたものだ。ちなみに昼は「鶏煮干し醤油らーめん」とチャーハンのセット、夜は天然塩らーめんを食べた。「鶏煮干し醤油らーめん」は仲本さんが独自に開発したレシピでこの店の看板メニューだ。作り方は社長には教えないという。そりゃそうだろうな。
これらのラーメンをもう食べられないということも残念ながら、私としては自分の部屋以外に唯一の居場所が無くなってしまうのが本当に辛い。しかしそれを嘆いているわけにはいかない。
最後に、仲本夫妻へ。
ネットでこのお店の評判はいくらでも紹介されているので、これを実績として示せば再就職もそれほど困難ではない、と思います。今の時代に生まれたメリットを活かして頑張ってください。京都から離れるという決断をしたからには、ここよりマシな生活を送れることを願っています。
いままで本当にありがとうごございました。
それは何かといえば、私がずっとお世話になっていたラーメン店「風花 御前三条店」(2010年5月25日開業)が本日をもって営業を終了するからだ。店長の仲本さんには前身のお店「kirari」(2007年3月6日〜2010年1月24日)からお世話になっていたから、5年ほどの付き合いになる。kirariは私の部屋から徒歩数分のところで営業していたので、毎日のようにいたような気がする。あまりに頻繁に店に来ていたため、厨房にも入っていた時期があったような気もするが、それはたぶん何かの勘違いだろう。
この間の仲本店長の歩みは端で見ていても困難なものだった。まずお世辞にも良いとはいえない立地において「kirari」がむりやり営業がスタートした。ほとんど休みも与えられぬまま朝から夜遅くまで働き通し、その努力が実ってお客が増えてきたと思ったら社長が店の移転(ここもあまり場所が良くなかった)を突然決める・・・。メチャクチャなことがまだまだあったような気がするが(店内にかける音楽をクラシックにする、など)、あまりに矛盾の多い経営方針に仲本さんが振り回されているのは見ていて辛かった。
また私としても、
「どんなに生活が困ったとしても、飲食店だけは絶対しないぞ!」
と心の中に深く刻まれてしまった。
そんな仲本さんがこのたび「風花」の営業を辞めて、こっちで知り合った奥さんと実家のある千葉へ帰ることになった。その理由は、上のような経営方針のところであるということからお察しいただければと思う。その先のことは決まっていないという。
「次が決まってから辞めたら良かったんですよ!」
などと叫びたいところだが、この3月11日に会社を辞めて3月25日に滑り込みで職場を確保した自分にそんなことが言えるわけがない。ただ、彼の近くにいた自分としては、もっと良い形で京都を離れる選択肢がなかったのかなあと自責の念にかられてしまうのだ。
この日はもう予定がなかったので、昼間は1人で夜は友人と二人でお店にお邪魔した。昨日(3月31日)は開業以来はじめてお客が100人を超えたという。御前三条という場所で100人を集めたというのはたいしたものだ。ちなみに昼は「鶏煮干し醤油らーめん」とチャーハンのセット、夜は天然塩らーめんを食べた。「鶏煮干し醤油らーめん」は仲本さんが独自に開発したレシピでこの店の看板メニューだ。作り方は社長には教えないという。そりゃそうだろうな。
これらのラーメンをもう食べられないということも残念ながら、私としては自分の部屋以外に唯一の居場所が無くなってしまうのが本当に辛い。しかしそれを嘆いているわけにはいかない。
最後に、仲本夫妻へ。
ネットでこのお店の評判はいくらでも紹介されているので、これを実績として示せば再就職もそれほど困難ではない、と思います。今の時代に生まれたメリットを活かして頑張ってください。京都から離れるという決断をしたからには、ここよりマシな生活を送れることを願っています。
いままで本当にありがとうごございました。
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