会社を辞めて一番つらかったことは収入源が無くなったことなのは間違いない。だが、およそ12年ぶりにまた再び就職活動を始めるというのもそれに次ぐくらい苦しいものだった。会社を辞める踏ん切りのつかない方は、また就活をするのが嫌だ、というのも多いに違いない。いや、大半の人にとってはもう経験したくないことだろうか。

そもそも私は、自分がまたどこかで採用されるようなことなどあるのだろうか?という疑念を常に抱えたまま活動してきた。端から見ればとんでもなくネガティブな考え方だし、よくそれで会社を辞められたなあと呆れる方もいるだろう。

思い起こせば、12年前も同じような心境で就職活動をしていた。私は生まれつき(?)「働く」ということが好きではなかった。会社や社会に対して漠然とした不安を抱いていて、大学に入ったのも自分の将来を先延ばしするということが大きな目的だったのではないかと思う。

そうした思いもあり、大学4回になっても就職活動はほとんどしなかった。働きたくないので大学院に進もうと思ったからだ。しかし別に学業成績が良いわけでもなくそのような弱い意志の人間が試験を通るわけもなく、年に2回あった大学院試験を落ちて、その時点でもう3月だった。そのまま私は大学を出てしまうことになる。

大学を出たものの何のアテもない。その時の自分の選択肢は二つしかなかった。大学院の聴講生となって勉強をしながらまた受験をするか、スッパリ諦めて就職活動をするか。そのいずれかである。

大学院試験を2回落ちた時点でもう、自分の頭では大学院に通るのは無理だなと感じていた。恥をさらさせてもらえば、もはや何をどう勉強したら合格レベルに達するのかも見当がつかなかったくらいだ。

また、ゼミの担当だった教員にしても酷い指導をする人で、

「お前は頭が悪い。もっと勉強しろ」

という程度の抽象的なレベルのことしか言えないのだ。これは誇張でもなんでもない。彼から具体的な指導など受けたことは一度もないと断言できる。

「こりゃあ、たかが半年や1年勉強したところ受かるのは無理だな」

と私はこの時点でようやく諦めがついた。こうして私は社会を出る決意をかためることになる。そして後日、教員の部屋に入って大学院進学を諦め就職活動をすることを伝えた。劣等生の私が去ることに対して何も言わないだろうとタカをくくっていたら、教員は怪訝そうな顔をしてこんなことを口走った。

「うーん•••しかし、渡部君。君に何ができるというんだ?」

この野郎。人をバカバカ言っておいて、就職しますといったらこのセリフかい。

「お前は俺にどうしろというんだ?」

と言いたかったが、その場は黙って部屋を去った。彼と話しても何の生産性もないし。

それでも教員は私のことが心配だったらしく、しばらくしてメールが届いた。宇治にある黄檗病院で患者さんの世話をするアルバイトがあるから行ってみないかということだった。何もしないのもどうかと思っていたところなので、面接へ行ってみることにした。しかし、これがいけなかった。面接における私の態度が悪かったのか、後日に教員から電話がかかってきて、

「黄檗病院が、渡部君の採用を遠慮したいと連絡がきた。渡部君からやる気が全く感じられない。この仕事は患者を相手をするし、それでは困ると」

ここまでは、まあ仕方ないと思う。しかし教員はさらにこう続けてきたのである。

「僕が心配なのは、人がいなくて困っているところにも受からないんだったら、渡部君はもうどこも行くところがないんじゃないかと•••」

おいおい、そこまで言うかよ。俺はあんたに就職を面倒みてくれとも言ってないし、進路について相談もしてないぞ。そんなこと期待もしてないし。

ちなみにこの人、臨床心理士の資格を持っているというのだから恐ろしい。別に資格があるからどうとか言うつもりもないけれど、一応カウンセリングをしている人が他人の存在まで否定するような発言をするとは。これはまさにブラックジョークである。

この時点が2000年5月くらいだったろうか。そして残念なことに、この教員が予言したごとく、私は1年ほど仕事が見つからないまま過ごすことになった。その間ずっとこの教員の、お前はどこも受からない、というセリフに苦しめられることになる。カウンセラーに心の傷を植え付けられたわけだ。

長々と昔話をしてしまった。しかし昨年会社を辞めてまた就職活動をしているうちに、またこの古傷が痛みだしてしまったのだ。企業に履歴書を送っても通らない。運良く面接まで進んでも採用に至らない。こういう体験をするたび、

「お前なんかどこにも受からない」

という声が心の底から聞こえてくるのは非常に辛いものだった。そしてハッと気付いてしまった。

俺は12年前と同じ轍を踏んでいるのではないか、と。この間に死ぬほど働いたとか勉強をしたという自信はないけれど、それなりに色々と挑戦や努力はしたつもりだった。しかしこうして就職に苦労した自分を見ると、その根本は何にも変わっていないではないか。そう考えると背筋がゾッとした。

人間の能力は努力によって伸ばすことができる、という素朴な思い込みをすることは、今の自分にはもうできない。

人間はそう簡単に変われない。もしかしたら、何にも変わらないのかもしれない。

それは自分の経験から導いた結論である。

しかし、私たちはそれでも生きていかなければならない。

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