SNSでは(たぶん)かなわないこと
2012年4月14日また日記を書く間隔が空いてしまった。別に自分は作家でもないし仕事で文章を書いてるわけでもないけれど、ちょくちょく覗いている方もいるようなので申し訳なく思う。
本当のことを言えば、書くようなネタはけっこう溜まっている。しかし今の自分が書くにはあまりに痛々しい内容になってしまってキーボードの打つ手が動かないのだ。特に昨日は「人生で最悪の日」と言いたいくらい辛い出来事も経験した。もう少し落ち着いて現状をもっと客観的に見られるようになってから事後報告をできたらと思っている。
ともかく昨日の夜は泣きたいくらいな状態に陥っていた。もう何もする気が起きなくなり、日記はおろかmixiやTwitterなどで何かメッセージを入れることもままならない。そんなことしても何も解決しないことがわかっているから。
その代わり、友人にメールを送ってたり、しばらく会ってない人に電話をしてみたた。人に悩みを打ち明けるような真似は意地でもするまいと昔は思っていたが、すっかり自分も気が弱ってしまったようだ。それとも、かつてより人間らしくなったと解釈したほうが良いのだろうか。
それはともかく、電話で話した一人から、明日西京極(運動公園)にいるから顔を出してよ、と言われる。こちらは何も予定がなかったし直接会って色々と喋ったほうが良いだろうと思い、天気が良かったら行きますと返事して電話を切った。いま降っている雨も明日の昼には上がるようだし、予報通りになることを祈りながら眠った。しかし気分はあまりすぐれず、寝付きの良い自分には珍しいほど眠りにつけなかった。
翌朝、目が覚めたのは午前8時過ぎたあたりだっただろうか。空模様はどんよりとしているけれど雨はあがっている。これなら大丈夫だろうと判断し自転車を40分ほどこいで西京極へ向かった。昨日と今日は陸上競技場のほうで「京都学生陸上競技対校選手権大会」が2日間にわたっておこなわれていた。私が会ったのはその手伝いをしているYさんである。関係者でもないのに図々しくも役員室に入ると、しばらく顔を見てなかった何人かと出会い、嬉しいやら恥ずかしいやらである。嫌らしい話になるけれど、名刺とか出せる身分だったらなあ、とこういう時は思ってしまう。やはり今の自分の立場は惨めだ。
とりあえずYさんに会ったら、弁当とお茶を差し出してきて一緒に食べようよと言う。私は別に何もしてないんだけどね。
弁当を食べながら、電話でも少し話をしていたが、自分の現状(詳しくは言わないが仕事のこと)を伝えた。
すると、
「渡部さん、英語はできる?僕の教え子はO(大企業)の専務でねえ。こないだ頼んで2人入れてもらったんだよ。そこが民間企業の良いとこだよね?公務員じゃそういうの無理だし」
と、今の私には頭がクラクラするような話をしてくれた。もっとも、すっかり自信喪失している自分にはそんな大企業を受ける自信など全くないけれど。英語は密かに特訓してるけれど、実践にはまだほど遠いレベルだし。
前からYさんは私が北海道出身なのを以前から気にしていた。というのも、彼は博多や北海道で保育園を経営しているという。北海道を気に入っているようで、3年後には家を建ててそっちに移住する予定だとか。そして話はとんでもない展開になっていく。
「渡部さん、40になったら北海道に帰りなよ。そして僕の園の副園長になってよ。ドカッて座ってるだけでいいから。給料も僕が決めるし」
と持ちかけてきたのである。彼は北海道に行くとしたら誰かと一緒に働きたいということだろうか。また、私だったら実家も北海道だし丁度いいということなのか。
自分が40歳になるといえば、4年後になるか。もう都会暮らしも飽きてきたし、ネットを接続すればたいがいのものは買えるし、北海道で暮らすのも悪くないかなと少し心がグラッときた。しかしYさんのことだから、家に帰って親の面倒見なよ長男なんだし、と絶対けしかけてくるに決まってる。実家にだけは戻りたくない自分にとってそれは最悪のパターンだ。
それはともかくYさんと色々と話しているうちに、空模様と同じく気持ちもかなり好転していることに気付く。
悩みを一人で抱えるのは実に辛い。しかしネットで不特定多数の人にそれを流したところでほとんど心情は伝わらないし、形式的な励ましの言葉が贈られる程度だ。いや下手をしたら傷口に塩を塗りつけるような真似をする輩も出てくることも大いにありうる。問題を打ち明ける相手は生身の人間、しかもそれなりに自分を理解してくれる人でなければ良い方向にはいかない。そういう面で西京極まで行ってYさんに会うのは正解だった。
現時点で自分の抱える問題は解決したわけではない。しかし、なんとかなりそうな気持ちになってきた。少なくとも、4年後の食い扶持は確保できたのだし。
本当のことを言えば、書くようなネタはけっこう溜まっている。しかし今の自分が書くにはあまりに痛々しい内容になってしまってキーボードの打つ手が動かないのだ。特に昨日は「人生で最悪の日」と言いたいくらい辛い出来事も経験した。もう少し落ち着いて現状をもっと客観的に見られるようになってから事後報告をできたらと思っている。
ともかく昨日の夜は泣きたいくらいな状態に陥っていた。もう何もする気が起きなくなり、日記はおろかmixiやTwitterなどで何かメッセージを入れることもままならない。そんなことしても何も解決しないことがわかっているから。
その代わり、友人にメールを送ってたり、しばらく会ってない人に電話をしてみたた。人に悩みを打ち明けるような真似は意地でもするまいと昔は思っていたが、すっかり自分も気が弱ってしまったようだ。それとも、かつてより人間らしくなったと解釈したほうが良いのだろうか。
それはともかく、電話で話した一人から、明日西京極(運動公園)にいるから顔を出してよ、と言われる。こちらは何も予定がなかったし直接会って色々と喋ったほうが良いだろうと思い、天気が良かったら行きますと返事して電話を切った。いま降っている雨も明日の昼には上がるようだし、予報通りになることを祈りながら眠った。しかし気分はあまりすぐれず、寝付きの良い自分には珍しいほど眠りにつけなかった。
翌朝、目が覚めたのは午前8時過ぎたあたりだっただろうか。空模様はどんよりとしているけれど雨はあがっている。これなら大丈夫だろうと判断し自転車を40分ほどこいで西京極へ向かった。昨日と今日は陸上競技場のほうで「京都学生陸上競技対校選手権大会」が2日間にわたっておこなわれていた。私が会ったのはその手伝いをしているYさんである。関係者でもないのに図々しくも役員室に入ると、しばらく顔を見てなかった何人かと出会い、嬉しいやら恥ずかしいやらである。嫌らしい話になるけれど、名刺とか出せる身分だったらなあ、とこういう時は思ってしまう。やはり今の自分の立場は惨めだ。
とりあえずYさんに会ったら、弁当とお茶を差し出してきて一緒に食べようよと言う。私は別に何もしてないんだけどね。
弁当を食べながら、電話でも少し話をしていたが、自分の現状(詳しくは言わないが仕事のこと)を伝えた。
すると、
「渡部さん、英語はできる?僕の教え子はO(大企業)の専務でねえ。こないだ頼んで2人入れてもらったんだよ。そこが民間企業の良いとこだよね?公務員じゃそういうの無理だし」
と、今の私には頭がクラクラするような話をしてくれた。もっとも、すっかり自信喪失している自分にはそんな大企業を受ける自信など全くないけれど。英語は密かに特訓してるけれど、実践にはまだほど遠いレベルだし。
前からYさんは私が北海道出身なのを以前から気にしていた。というのも、彼は博多や北海道で保育園を経営しているという。北海道を気に入っているようで、3年後には家を建ててそっちに移住する予定だとか。そして話はとんでもない展開になっていく。
「渡部さん、40になったら北海道に帰りなよ。そして僕の園の副園長になってよ。ドカッて座ってるだけでいいから。給料も僕が決めるし」
と持ちかけてきたのである。彼は北海道に行くとしたら誰かと一緒に働きたいということだろうか。また、私だったら実家も北海道だし丁度いいということなのか。
自分が40歳になるといえば、4年後になるか。もう都会暮らしも飽きてきたし、ネットを接続すればたいがいのものは買えるし、北海道で暮らすのも悪くないかなと少し心がグラッときた。しかしYさんのことだから、家に帰って親の面倒見なよ長男なんだし、と絶対けしかけてくるに決まってる。実家にだけは戻りたくない自分にとってそれは最悪のパターンだ。
それはともかくYさんと色々と話しているうちに、空模様と同じく気持ちもかなり好転していることに気付く。
悩みを一人で抱えるのは実に辛い。しかしネットで不特定多数の人にそれを流したところでほとんど心情は伝わらないし、形式的な励ましの言葉が贈られる程度だ。いや下手をしたら傷口に塩を塗りつけるような真似をする輩も出てくることも大いにありうる。問題を打ち明ける相手は生身の人間、しかもそれなりに自分を理解してくれる人でなければ良い方向にはいかない。そういう面で西京極まで行ってYさんに会うのは正解だった。
現時点で自分の抱える問題は解決したわけではない。しかし、なんとかなりそうな気持ちになってきた。少なくとも、4年後の食い扶持は確保できたのだし。
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