作家の橘玲さんが「大震災の後で人生について語るということ」(11年。幻冬舎)に続く新しい本を出した。

本書の帯には、

<従来の日本人論をすべて覆すまったく新しい日本人論!!>

と書いてある。

日本人論を書くというのは結構な冒険が必要だ。最近では内田樹さんの「日本辺境論」(09年。新潮新書)があるが、日本とか日本人とか大きなテーマを設定すると1冊の本ではどうしても概論というか表面的な内容になってしまう(実際、ネットの書評でもそのような感想を見かけた)。必然的に細かいところに拘る専門家などからの反感は避けられない。そんなことを思うと、内田さんも橘さんもかなり度胸がある。私だったら絶対にしたくない仕事だ。橘さんはどうしてこのような本を執筆しようと思い立ったのか。

本書の名前は「かっこにっぽんじん」と読む。日本人をいったんカッコに入れる、という手法を意味しており、日本人うんぬんを言うことはまず措いて論を進めようというのだ。

<本書のアイデアはものすごく単純だ。
私たちは日本人である以前に人間(ヒト)である。人種や国籍にかかわらず、ヒトには共通の本性がある。だとしたら「日本人性」とは、私たちから人間の本性を差し引いた後に残ったなにものかのことだ。>(P.2)

また、

<これまで「日本人の特徴」と考えられてきたものは、その大半がこのふたつの「本性」(「人間の本性」と「農耕社会の本性」)で説明できる。>(P.109)

とも述べている。

まず最初に「ヒト」とはどういう生き物なのか、そして「農耕民族」というのはどういう民族なのか、という大きな話から展開していくため380ページ近くになる分量となった。

そうした後で、他の国と比較して日本はどのような特徴があるのかを述べるわけだが、冒頭で橘さんは「世界価値観調査(World Value Survey)」(世界80カ国以上の人々を対象に政治や宗教、仕事、教育、家族観を調べたもの)の結果を紹介し、日本人だけ突出して違う部分が3点あることを示す。

それは、

・日本人は戦争が起きても国のためにたたかう気がない
・自分の国に誇りも持っていない
・世界の中でダントツに権威や権力が嫌い

というものだ。このあたりは世間の持つ日本人のイメージとかなり異なるだろうが、実際の調査結果はこのようになっている。そして橘さんはさまざま研究を参照しながら日本人を、

<世界でもっとも世俗的な民族>(P140)

と要約する。こないだの日記でも同じ部分を引用したが「世俗的」とは何かといえば、

<世俗的というのは損得勘定のことで、要するに、「得なことはやるが、損をすることしない、というエートスだ>(P.140)

日本人は共同体意識の強いムラ社会である、という認識が一般的だが、それは農耕民族だったらどこでも同じようなものだという(むしろ日本人は他の農耕民族と比べて血縁や地縁の縛りは弱い)。そしてその価値観は日本人が歴史に登場して以来、一貫して変わらないものであると本書は結論づける。

といってもすぐには納得いかないだろう。そこで皆さんが「えっ?!」と思うような事例が一つ載っていたのを紹介したい。

<日本人は当たり前と思っていてほとんど意識しないが、「ワンルームマンション」というのは日本独特の居住形式で、海外ではほとんど例がない。
私がこのことに気づいたのは二〇年ほど前で、香港人の知人から「なんで日本人は一人暮らしなんていう恐ろしいことをするのか」と真顔で訊かれたからだった。香港というきわめて高度化した都市に住むひとびとですら、当時は「一人で暮らす」という発想がなかったのだ>(P.151-152)

欧米諸国も事情は同じで大学の寮は二人1部屋だし、部屋を借りる場合はルームシェアをするのが通例だという。多くの日本人は見知らぬ人と共同生活をするというのは考えられないに違いない。このあたりに日本の特殊性が見つけられ、そしてそれも「世俗性」というキーワードを使えばかなりのところまで理屈付けができるようになる。

こうした事例を踏まえながら、近代から現代へと徐々に話が移行していく。後半では、現在の日本で最も注目を集めている橋下徹・大阪市長が率いる「維新の会」について、小泉純一郎氏や橋下氏の思想の根底にある新自由主義(ネオリベラル。略してネオリベ)が対立する政治哲学(古典的自由主義や保守主義)よりも優位な考えであることを解説した後で、

<福祉国家が財政的にも制度的にも破綻している以上、オールドリベラルや保守本流はたたかう前から負けている。建設的な批判は包摂され、比較検討され、政策立案の素材に組み込まれていく。あとは「独裁」「ファシズム」のような罵声か、「弱者に冷たい」「言葉づかいが下品だ」という無意味な道徳論が残るだけだ。市地方政治家の立場でネオリベの政治哲学をツイートしている限り、ハシズムは無敵だ。
もっとも、政権を握ったオバマがいまは「ワシントンとウォール街の擁護者」として共和党の大統領選候補者たちから批判されているように、橋下市長が将来、国政の実権を握ることになれば、国民大衆の利害と正面からぶつかることになる。政治家として真価は、そのときはじめて問われるだろう。>(P.332)

罵詈雑言が飛び交う橋下市長および維新の会をどのような点で評価していくか、その辺のポイントを実に鮮やかに切り取っている文章ではないだろうか。こうして日本の政治や経済の問題についても述べられていく姿は実に興味深かった。

本書の執筆動機はあの「3・11」以降、わたしたちがどのような道を進むのかを提示しようとしたものである。最後はかなり理想論になるが、橘さんは最後はこのような形で締めくくっている。

<私たち日本人に残された希望は、いまの世俗性を維持したまま自由な自己表現のできる社会をつくることしかない。
(中略)
すべてのローカルな共同体(伽藍)を破壊することで国家をフレームワーク(枠組み)だけにして、そこに退出の自由な無数のグローバルな共同体を創造していく。後期近代(再帰的近代)の終着点となるその場所がユートピアへの入口だとするならば、そこに最初に到達することが、歴史が日本人に与えた使命なのだ。
これが私のだ。」(P.372-373)

伽藍(学校や会社など退出不可能で閉鎖的な空間)を抜けてバザール(いつでも退出可能な開放的な空間)へと迎えるのは、世界でも希に見るほど世俗性が強い日本人にその可能性が高い、と橘さんは示唆している。

<社会そのものは変われなくても、伽藍を抜け出してバザールへと向かうことは、個人としてはじゅうぶん可能だ。>(P.367)

望む/望まないに関わらず、日本社会を覆っている伽藍は崩れてきているのも間違いない。いや、そう確信したからこそ私はかつての職場(そこは典型的な伽藍の会社だった)を離れて新しい道を模索しているわけだ。

個人的には、

<日本人をカッコに入れるいちばんの効用は、「国家」や「国民」という既成の枠組みから離れることで、世の中で起きているさまざまな出来事をシンプルに理解できるようになることだ。>(P.8)

という本書の意図は達せられた。本書を読んでから、将来の見通しがちょっと開けてきたように思う(かといって、自分の未来が明るくなったわけでは決してないが)。この本で得た知見を踏まえて、また自分で新たに色々なことを学んでいこうという気持ちになった。

ところで、私が今回もっとも衝撃を受けたのは最後の「あとがきーーエヴァンゲリオンを伝える者」に載っていた橘さんの小学生時代の思い出かもしれない。私は橘さんのクールというか、ある意味では「身も蓋もない」とも感じられる文章に惹かれてきた。国家を縮小して最後には国家のない社会を目指すリバタリアニズム(Libertarianism)を標榜する橘さんと個人主義的な部分の強い自分に共振するとろがあるのかなと今までは考えていたけれど、本書をもってその一番明確な理由にブチ当たったようである。

<私はずっと、自分がふつうの日本人とはどこかちがっていると感じていた。それは「学校」という集団にどうしても馴染めなかったからで、中学や高校でもこの違和感がずっとつきまとった。
それと同時に、一人でいることにさしたる苦痛がないことにも気づいた。
(中略)
こうした性向は大学四年になっても就職活動はまったくしなかった。大きな会社に入っても、そこにいるひとたちとうまくやっていくことなどできるはずはないと思っていたのだ。
「他人(ひと)とはちがう」というのは傲慢さの裏返しであり、世間から半分落ちこぼれた自分を正当化する言い訳でもある。そのくらいのことはさすがに気づいてはいたが、それでも自分が別だという確信は揺らがなかった。
(中略)
しかしこの本を書き終えて、私にもようやくわかった。そんな私こそが、典型的な日本人だったのだ。>(P377-378)

この部分は、私のこれまでの半生を要約したもの、としても全く違和感がない。そのことに何よりも驚いたのである。

この本の前身ともいえる「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(10年。幻冬舎)の最後で、

<ここまでぼくの話を訊いてくれたのだから、君はぼくに似ているのだ。>(P.263)

と締めくくっているのを思い出した。この本を読んだ当時は、まあ似てる部分もあるかもね、という程度で終わった。しかし「(日本人)」を読んでから確信した。橘さんとの出会いはもはや偶然ではなかったのだ。橘さんの著作を読んでいる方も同じような気持ちを抱いた方はいるのだろうか。

そして「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」と「大震災の後で人生について語るということ」に続き、本書もまた私の座右の一冊となった。

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