Facebookで何百人の「友だち」ができたところで
2012年7月23日 日常先日に書いた
「Facebookの『友達を検索』機能は危なっかしい」
http://30771.diarynote.jp/201205212237038084/
という日記を読んでいる方が異様に増えている。おかげで1日のアクセス数が500件近くまでになった。それはそれで嬉しいことだが、これほど反応があるということは間違って友達をしてしまった人が現実にかなりいるということなのだろう。これは実に由々しきことだと感じたので、Facebookの上にある「ご意見・ご提案」のところをクリックして一言だけ言っておいた。さっきも間違って見知らぬ人を友だち申請してしまったし・・・。
例えばクリックする前に、
「本当に申請しますか?」
と一回くらい確認する必要があるだろう。そんなことを提案したけれど、実現されるかどうかはわからない。しかしFacebookの方で何らかの対策をたてなければ被害者も増える一方だろうしアクセス数も増え続けるばかりかもしれない。
冗談はともかくとして、Facebookのページを最近見て「あれ?」と思ったことが一つある。画面の右に自分と繋がっている人が出てきて、
◯◯◯◯(つながってる人の名前)
Facebookの友達が××人しかいません。
友達を紹介
と、自分の友達を紹介するよう奨めてくるのだ。しかし、これを見た時はもの凄い違和感を抱いた。友人が何人しかいない、とかいうのは大きなお世話だろう。
自分の例をとれば、Facebookで繋がっている人は現時点で37人である。これを多いと思うか少ないと思うかは個人の判断によるけれど、実際のところ会って話したことの無い方も数人程度が含まれている。それ以外の人は実際に会ったことのある人、または仲の良い人もいる、かもしれないが、実のところはいないかもしれない。なんだろうなあ。もう自分でもよくわからん。
ともかく、現実にお付き合いのある人なんて私にとっては、Facebookとかなんとかに関係なく10人とかそのくらいの規模である(もっと少ないかもしれない)。
私の例は極端としても、FacebookやmixiといったSNSで「友だち」(あくまでカッコ付き)が実体としてどれほどのものかというのは極めて怪しいということを言いたいのである。そして、そんなものを無理に増やしたところで何か人生が豊かになるのだろうか。なるかもしれないが「労が多くして功少なし」(苦労ばかり多くて、その成果が出ないこと)という気がしてならない。
繋がった人が何かブログを書いたり写真を載せたりおかしなサイトのリンクを貼ったりするたびに
「イイネ!」「イイネ!」「イイネ!」
とかして何かお互いの関係が深まっていくのだろうか。無いとまでは言わないけれど、それはものすごく表層的な付き合いとしかいえない。
そもそも私はズボラな人間のため、繋がってる人の動向を逐一チェックして反応をするような真似は絶対にできない。それがSNSをろきに活用できない一番の理由だと自分でも思ってはいる。しかし、そんなことして本当の意味での楽しさや喜びが生まれるとも思えないのである。
もっと本音をいえば、実世界でもSNSでも知り合いが少ないことに劣等感のようなものを抱いているフシが自分にはある。だが、たとえ知り合いがたくさんいてFacebookでも繋がっている人が200人を超えていても、別に仕事ができるわけでもないし人間的な評判もいま一つという存在も知っているから、敢えてそういう道を進みたいという欲求も湧いてこないのだ。
その辺りを考えると、人間関係って量ではなく質なんだろうな、という平凡が結論が出てきてしまう。
しかしそれでも、mixiもFacebookもTwitterも自分のところはなんだか寂しいなあ、もうちょっと改善できないかなあ、という思いは常に消えることはない。
「Facebookの『友達を検索』機能は危なっかしい」
http://30771.diarynote.jp/201205212237038084/
という日記を読んでいる方が異様に増えている。おかげで1日のアクセス数が500件近くまでになった。それはそれで嬉しいことだが、これほど反応があるということは間違って友達をしてしまった人が現実にかなりいるということなのだろう。これは実に由々しきことだと感じたので、Facebookの上にある「ご意見・ご提案」のところをクリックして一言だけ言っておいた。さっきも間違って見知らぬ人を友だち申請してしまったし・・・。
例えばクリックする前に、
「本当に申請しますか?」
と一回くらい確認する必要があるだろう。そんなことを提案したけれど、実現されるかどうかはわからない。しかしFacebookの方で何らかの対策をたてなければ被害者も増える一方だろうしアクセス数も増え続けるばかりかもしれない。
冗談はともかくとして、Facebookのページを最近見て「あれ?」と思ったことが一つある。画面の右に自分と繋がっている人が出てきて、
◯◯◯◯(つながってる人の名前)
Facebookの友達が××人しかいません。
友達を紹介
と、自分の友達を紹介するよう奨めてくるのだ。しかし、これを見た時はもの凄い違和感を抱いた。友人が何人しかいない、とかいうのは大きなお世話だろう。
自分の例をとれば、Facebookで繋がっている人は現時点で37人である。これを多いと思うか少ないと思うかは個人の判断によるけれど、実際のところ会って話したことの無い方も数人程度が含まれている。それ以外の人は実際に会ったことのある人、または仲の良い人もいる、かもしれないが、実のところはいないかもしれない。なんだろうなあ。もう自分でもよくわからん。
ともかく、現実にお付き合いのある人なんて私にとっては、Facebookとかなんとかに関係なく10人とかそのくらいの規模である(もっと少ないかもしれない)。
私の例は極端としても、FacebookやmixiといったSNSで「友だち」(あくまでカッコ付き)が実体としてどれほどのものかというのは極めて怪しいということを言いたいのである。そして、そんなものを無理に増やしたところで何か人生が豊かになるのだろうか。なるかもしれないが「労が多くして功少なし」(苦労ばかり多くて、その成果が出ないこと)という気がしてならない。
繋がった人が何かブログを書いたり写真を載せたりおかしなサイトのリンクを貼ったりするたびに
「イイネ!」「イイネ!」「イイネ!」
とかして何かお互いの関係が深まっていくのだろうか。無いとまでは言わないけれど、それはものすごく表層的な付き合いとしかいえない。
そもそも私はズボラな人間のため、繋がってる人の動向を逐一チェックして反応をするような真似は絶対にできない。それがSNSをろきに活用できない一番の理由だと自分でも思ってはいる。しかし、そんなことして本当の意味での楽しさや喜びが生まれるとも思えないのである。
もっと本音をいえば、実世界でもSNSでも知り合いが少ないことに劣等感のようなものを抱いているフシが自分にはある。だが、たとえ知り合いがたくさんいてFacebookでも繋がっている人が200人を超えていても、別に仕事ができるわけでもないし人間的な評判もいま一つという存在も知っているから、敢えてそういう道を進みたいという欲求も湧いてこないのだ。
その辺りを考えると、人間関係って量ではなく質なんだろうな、という平凡が結論が出てきてしまう。
しかしそれでも、mixiもFacebookもTwitterも自分のところはなんだか寂しいなあ、もうちょっと改善できないかなあ、という思いは常に消えることはない。
コメント