別に改まって言う話でもないけれど、またしても日記の更新が滞っている。個人的な事情が絡んでいるのであまり具体的なことは書けないけれど、支障のない範囲でなんとか近況を伝えてみたい。

いましている派遣の仕事を見つけたのは今年5月の半ばからだった。以前の職場を離れてほぼ1年を費やしたものの、働いて生活費をなんとか捻出しながら将来に向けて活動をする態勢がこれで築けるかもしれない、という淡い期待がその時はあった。

しかしそれから3ヶ月が過ぎ、現状は自分の描いていたような形に全くなっていないことに愕然としている。ものすごく簡単に説明すれば、日常の仕事を全くこなすことができず、そのおかげ自分の時間を捻出する余裕もないまま壁にぶち当たっている状態なのだ。もっといえば、今の仕事を続けられるどうかも怪しくなってきている。そうなったらまた新しい仕事を探さなければならない。前回の仕事は半年、今のが3ヶ月程度しか続かないというのはなかなか厳しいものがあるだろう。企業などに対する心象も悪いに決まってる。

この3ヶ月の間に何があったかといえば、とにかく毎日のように失敗ばかりしている。思い起こせば自分のヘマしか出てこない。失敗を糧にして次を頑張ればいいではないか、と多くの人は思うだろう。しかし自分は全く何も改善できず現在に至っている。そして、具体的な方策が出てこない。そうなると、今の仕事は続けられない、という結論を出すしかないだろう。

その失敗ばかりの毎日を過ごす過程で、自分というものに対して嫌でも向かいざるを得なかった。だが出てきた答えといえば、

「自分というのは、変えることができないものなのかな」

という残酷なものだった。

別に私はこの数ヶ月でそういう考えを持ったわけではない。大学を出てから最初の職場に採用されるまでのことなど自分の過去を振り返って導き出したものだ。当時もけっこう苦労らしきものや嫌な体験をしていたけれど、それによって自分を変えられたかといえばそうでもなかった。

なんとか01年に最初の会社に入ってからも、組織によって自分がつぶされるような経験は、もうこれは幸か不幸かわからないけれど、なかったと思う。しかしそれが社会人としての致命的な欠陥となっているとも考えられる。実際、そうした自分の悪い面がいま表出したため現在の仕事に支障が出ているのだ。

ともかく、現状の仕事をこなすためにはこれまでの自分のスタンスをかなり変更しなければ切り抜けられない。それだけは確実だ。そして、それはもうこの1ヶ月である程度の結果を出さないとマズい状況になっている。

しかし橘玲さんが「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(幻冬舎、10年)で繰り返し書いてある通り、自分というのは容易に変えられないのだ。少なくとも私の中ではそれが厳然とした事実である。それでもなんとかしなければ、また失敗の繰り返しの日々が待っている。いや、もう失敗を続けることも許されない。できなかったらもうお終い、というわけだ。

スティーヴィー・ワンダーとともに「ニュー・ソウル」と言われる新しいブラック・ミュージックを70年代につくったマーヴィン・ゲイは父親に射殺された悲劇の人として知られているけれど、生前も悲惨な出来事を多く経験している。60年代の彼はタミー・テレルとのコンビで数々のヒット曲を飛ばしていた。二人はステージでも実生活でも理想のカップルであった。しかしその人気が絶頂の時にタミーは脳腫瘍で倒れ70年に亡くなってしまう。ショックを受けたマーヴィンはノイローゼとなり音楽活動を1年間休止することになる。

彼は後年、

「私が音楽に求めるものは、悲しいリフレインだけだ」

という言葉を残している。私が最近ふと思い出したのがこの「悲しいリフレイン」だった。まさに自分の半生も悲しいというか情けないことの繰り返しである。ただ私には「喪失」といえるような大事なものを手に入れたという経験がそもそも無いというのがマーヴィンと決定的に違う点だが。

別に私は同じ失敗を繰り返したいわけでない。しかしそのためには、本当に自分をどうにかしないとならないのだ。今月はそれが試されることになる。

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