11月もまだ前半すら過ぎていないが、昨日をもって個人的にはもう仕事のピークが過ぎてしまった。私生活の面では問題山積だが、しばらくは落ち着いて働けるだろう。

気持ちに余裕ができたので、滞っていた日記も少しは書かないと、という気持ちになるのもこれで何度目になるか。ともかく何か書こうという気力だけは沸いてきたのでその気持ちは大事にして行動しよう。

しかし身辺を見渡しても題材がどうも思いつかない。ならば、自分の中から掘り起こしてみよう。そういうわけで、ずっと腹の中に溜めていたテーマを文章にしてみたい。

この世に生を受けてから北海道という辺境の地で最初の19年間を過ごしてきた。その間に誇れるような思い出もなかった私は、大学進学で京都へ移住すると決まった時に、

「住む場所も変わって周囲の目も気にならなくなる。これで心機一転、新しい自分を創ろう!」

と意気込んでいたような気がする。現在の視点からすれば、

「環境が変わったからって、そうやすやすと自分は変わらないぞお」

と厳しい言葉を浴びせたくなるが、ともかく当時の自分はそういう心境だった。

実際のところ、私の大学時代の4年間は実にパッとしないものだった。サークルに入って友人が増えたわけでもなく、学業に専念したわけでもなく、果ては大学院進学にも失敗したまま大学を出ていくという結果に終わった。この頃を「暗黒時代」と自分で呼んでいる。

大学時代が一番楽しかった、と口にする人は多い。しかし個人的には小、中、高、大と進むにつれてどんどん悲惨になっていった気がする。昔のことも思い出さない(思い出したくない)ので、もう自分が何をしていたかも語れないような状態だ。

そんなイヤーな思い出ばかりの中で、最もイヤーな出会いが大学1回生の春の時点で訪れてしまった。同じ専攻にいたIという男である。

私が在籍していたのは「文学部文化学科心理学専攻」という小さなもので、1学年に70人程度しか学生はいなかった。非常にこじんまりとしていて出席する授業もみんな重なることが多い。よって、この中で人間関係がこじれた場合、非常にやりづらくなる。そして私はそのIと険悪な関係になってしまった。

もう詳細な記憶など無いけれど、会って間もない頃から向こうはこちらを気にくわなかったらしく、なんだかんだで突っかかってきたことだけは覚えている。

こちらはこちらでIに対して良い印象は抱かなかった。今でも印象に残っているのが音楽の話をしていた時に彼がボブ・ディランの名前を出して、

「俺はローリング・ストーンズの”ライク•ア・ローリング・ストーン”のカバーでボブ・ディランを知ったんや」

と、自分がまるでボブ・ディランを発見したかのような口ぶりで言ったことである。そうしたことに限らず、全てが軽薄な物言いの彼にはほとほと嫌気がさしていた。日常会話の冗談らしきものもちっとも面白くもなかった。

だから、いつの時点は忘れたが、何かの話をした時に、

「あ、そう」

と冷淡な対応をしたのだと思う。

その時であった。向こうは不快そうな顔をして、

「おい・・・俺は人の意見を認められない奴はダメなんや」

と口にしたのである。

「ああ、ダメだなこいつは」

とあの時は思った。そしてあれから15年以上の月日が経っているけれど、今だに腹の底から怒りがこみ上げてくる発言である。

これが、私の最も嫌いな言葉である。

向こうは要するに、自分の言うことは全て認めろ、と他人に寛容さを押しつけているのである。それだけでも十二分に図々しいが、それを「人の意見」と一般化した表現にすり替えているのだから一層タチが悪い。これほど独善的で最低な物言いはそうそう無いと思う。I自身にしても、私がこれまで出会った中で最底辺の部類にはいる人間だ。

こんなことをあまり書くと、被害者意識が過剰では?とお叱りの言葉を受けるかもしれないが、1回生の時点でこんな輩と出会ったおかげで自分の大学4年間は台無しになったと個人的は思っている。さすがに年を食って今は少し落ち着いた対応はとれるかもしれないが、それでももし彼と再会した時にはどう対応していいかわからない。おそらく、逃げるしかないだろう。こうした出会いはもはや災害のレベルだ。

誰でも自尊心(プライド)というものを持っている。そして自分が認められたい、という承認欲求があってしかるべきだろう。しかし、それをあまり表立って見せるのはかなり醜悪な行為だ。Iはそういう人間のサンプルのような存在だった。

私は社会的にどうでもいい存在で人生を終えるだろうが、せめてこのような人間にだけはなるまいと思いながら生きてきた。傍目にはわからないかもしれないが、そうした思いを抱いてるということだけは記しておきたい。

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