先日、ずっと足を遠のいていた某店を訪れた。最後に入ったのは前の仕事をしていた時だったから、8~9ヶ月前かと思われる。かといって、そこで何か特別なことがあったわけではなく2時間ほど一人で静かに飲み食いをしただけだった。しかし店長が私の顔を見て、

「老けたなあ・・・」

とボソッと言ったことが印象に残っている。自分でも、そりゃあそうだろうなあ、と心の中で同意した。

この2年ほどの間、自分にとって良い思い出というのはほぼ無いと言って差し支えない。その代わりに悲惨な出来事は星の数ほど経験してしまった。怒られたことはとにかく多かった。この2年間で15年分くらいは罵声を浴びたのでは、と個人的には思っている。そんな状態でも活き活きしている人がいたとしたら、それが良いか悪いかはともかくとして、尋常ではないだろう。私は周囲から変わり者で通っているけれど、それほどのレベルまでは突き抜けられない。どうにも中途半端なのだ。

それはともかく、鏡の自分を見ると以前よりは歳をくったなあと感じてしまう。それは人間なのだから避けられないけれど、

「もうちょっと環境が良かったらここまでならなかったのでは・・・」

と、どうにもならない泣き言を吐きたくなってしまう時がある。

しかし、ここにきてちょっと風向きを変える出来事があった。

派遣会社の担当の方に、今年をもって今の仕事の契約を満了したい、と申し出たのである。

事情を知らない方からは、「もうちょっと頑張ったら?」とか「次は決まってるの?」と無責任なことを言われるけれど、自分を取り巻く環境を具体的に説明したら

「いやあ。そりゃあ大変だろうけど・・・今はこういう時代だし、アレがアレだし・・・」

と、その悲惨な状況にドッと引いてしまう。私の現在はそういうものなのだ。だから、辞めるしかないのである。また、派遣の身としてはそのくらいしか自分の権利を行使できる場面もない。

切られる前に、自分から決断したい。

それは私の美学というか哲学というか、ともかくその選択の方が良いと判断しただけである。

前の前の職場にいた時は、

「こんな毎日で自分の人生を終えていいのか?」

とずっと自問自答してきた。そして在籍10年くらいで離れてしまった。結果として、収入はその時の半分くらいになっている。しかし生活レベルや幸せの度合いなどはほとんど変わっていない。これは強がりで言っているのではない。お金があっても、自由とか「ゆとり」が無ければ人間は幸福などなれるはずがないのだ。

そして、今そうした自分の「幸福」の度合いがどんどん低くなっていく。それで今回の決断に至ったのだ。

「次は決まってるの?」

と何人かから訊かれた。毎日仕事をしてるんだからそんなアテなどあるはずはないだろう。しかし、この2年間をなんとか食いつないだ自分としては、どうにかなるだろう、という根拠のない楽観性だけはなぜか持っている。

来年以降の自分の姿など白紙なのに、不思議な開放感にいま包まれている。半年間も背負っていた荷物を降ろしてグッと体が軽くなったような、そんな気分だ。

そんな時にふと、ある曲の一節を思い出してしまった。ボブ・ディランの”My Back Pages”だ。

ああ、あのときわたしは今よりもふけていて

今はあのときよりも ずっとわかい

来年の私はこのようになっているだろうか。いや、そうならなければ辞める意味もない。

”My Back Pages”はここで確認できます。
Bob Dylan 30 Anniversary of 1st album - JAM

http://www.youtube.com/watch?v=S4UcaLHaabY

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