日はまた昇る
午前6時、冬の寒さが一段と厳しく感じながらもなんとか起床して食事や身支度を済ませる。そして午前7時50分には重い足取りで自転車をこいで部屋を出る。

職場に行く途中、いつも目に止まったのは電柱の下の飾られているこの花だった。色が褪せる頃には、新しい飲み物とともに、必ず新しい花が代えられている。この光景を見るのも、もしかしたらこれで終わりかもしれない。

ようやく、本当にようやく、現在の職場で働くのも今日で最後となった。自分の希望としては今月の中旬で去って後は有給を消化したかったのだが、後任になるはずの人が入ってわずか3日間で辞めてしまうという事態に陥り、最終出勤が本日28日まで延びてしまった。年末まで出勤するのは不本意であったが、発生した有給は全て使えたので良しとするほかないだろう。

しかしながら、断続的に出勤しながら、

「職場に来るのもあと5日」
「この作業をするのも、あと3日・・・」

と働ける日が少なくなっていくうちに一抹の寂しさを感じてくる、という人もいるだろうが、自分の中ではそのような感傷は全く感じなかった。

最終日の今日ですら、

「まだ1日も残っているのか・・・。寒いし遠いし、もう行きたくないなあ」

と、勤務地へ行くのが心底イヤだ!と思いながら自転車のペダルを踏んでいる自分がなんだか悲しい。

思えば9月くらいから、

「もはやこれまでか・・・」

と辞めようとした瞬間は数えきれないほどあった。そんな心境でさらに3ヶ月を過ごしたため、精神的な限界はとっくの昔に超えているのである。だから誰になんと言われようとも、これ以上は無理です、としか答えられない。出入りしている業者さんの一人から冗談混じりで「チキン野郎」と悪罵を投げつけられたが、チキンでもジンギスカンでも好きなように言いやがれ、である。

本日は金曜日ということで、1週間の中で一番バタバタする日だった。そこに年の瀬を迫っていることも重なり職場の忙しさに拍車がかかる。そんな最中に職場の石油ファンヒーターの灯油が無くなる警告音がピーピーと鳴り出す。忙しくて灯油を補充する暇もないし、廊下のような職場でしばらく寒いまま作業を続けていく。最悪の環境だ。一通りの業務を終えたのは午後4時過ぎで、もう終業まで1時間半ほどしかない。それでもやはり寒いしポリタンクからポンプで灯油を補充する。そうしているうちに終業の時間を迎えた。こうして呆気なく私の7ヶ月半は幕引きとなる。

この間に何があったか。今はそれをあまり思い出したくない。一言だけいえば、自分の仕事ぶりのみならず人間性そのものを徹底的に否定され続けた期間、といえる。この間に寿命が7ヶ月半も縮んでしまった。

もし自分にかける言葉があるとすれば、

「運が悪かったけど、多少は忍耐強くなれたのでは?」

というところだろうか。自分でもここまで続けられたのは、自分の精神的な限界を多少なりとも広げられたとはいえる。

この日に出勤する時に聴いていたのは、浜田省吾の”日はまた昇る”であった。01年のアルバム「SAVE OUR SHIP」の最後に収録されている7分21秒と長めのこの曲はヴァン・モリソンを連想させる雄大なスケールがあり、浜省で一番好きな曲は?と言われたらこれが真っ先に思い浮かんでくる。

浜田省吾”日はまた昇る”
http://www.youtube.com/watch?v=Gl1a1kOIGwg

何か節目節目でこの曲を聴いていたような気するが、事情があってこの夏あたりから浜省の曲を耳にする気が起きなかった。それ仲の悪かった上司が浜省のことを好きだったというつまらない理由であるが。そうした呪縛も無くなるのでまた聴こうという気持ちになれた。

この曲は楽曲もさることながら、歌詞も印象的なフレーズがたくさん詰まっている。歌詞は以下のサイトで確認できる。

http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=F02859

<どの道を歩いて行こうと
君は君の その人生を 受けて入れて楽しむ他ない
最後には 笑えるように>

最後の最後はこんな調子になっている。自分の取り巻く現実を受け入れてその範囲で人生を切り開いていくしかない、というこの曲の歌詞にはいつも心を動かさせる。なんだか自分の立脚点のような曲に感じられて仕方ない。そういえば、初めて彼のライブを観た時に本編最後の曲がこれだったのも象徴的であった。

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