2013年は「楽しもう」
2013年1月17日 とどめておきたこと、特記事項自分にとって2012年はかなり不本意な1年であり、仕事が定まらぬまま年明けを迎えたこともあって2013年もなかなか暗い幕開けだった。だが、正月休みが終わってまもなく新しい仕事が飛び込んできて、この1月11日より働く運びとなる。また風向きが少し変わってきたようだ。
その翌日に新年会が行われたのは全くの偶然だった。それは仕事絡みでも同窓会的なものでもなく、BONNIE PINKのファン(?)有志という変わった括りの集まりである。最初は忘年会でいこうと決めたものの参加者の都合が全くつかず年末を迎えたため、それだったら新年会にしようか、ということになった。お店は私の強い希望で、昨年9月15日に開催された「たかつきバル」の時に行った、阪急高槻市駅のそばの某店を予約する。再訪問したいと思いながらも機会がなかったけれどこれで実現の運びとなった。
BONNIE PINKを共通項にした集まりだから彼女の話で持ち切り、と第三者の方は想像するかもしれないが、私を含めて長年ライブなどを見続けてきた人間はもはやそれほど熱意があるというわけでもない。さっき「ファン(?)」という表記をしたのもそんな微妙なニュアンスを表現したつもりである。
実際に彼女の話題になったとしても、
「COUNTDOWN JAPAN 12/13のセット・リストは誰が喜ぶ内容なのか」
「3月におこなわれるオーケストラとの共演は果たして座席(1801席)は埋まるのか」
など、先行きが不安になりそう内容ばかりが出ていた気がする。しかし、これは毎回ライブ終了後に飲んでる時も同じようなものだが。
そして話は昔のライブの思い出などにさかのぼる。彼女に関するエピソードで私が真っ先に思いつくことが2つある。一つは03年に大阪産業大学でのライブを大幅に遅れるも、翌日に日帰りで徳島大学まで行ってきたことである。これはかつてあった私のサイト(サービス終了で消滅した)に載せていた。今も残骸があるので、ここで確認できる。ちなみに11月3日の分は私が公に書いた最初のライブ・レポートだ。内容的に自分の中では最高の部類に入るのではと思っているが。
BONNIE PINK(2002年11月3日、大阪産業大学)
http://web.archive.org/web/20040714154042/http://watabekazuaki.hp.infoseek.co.jp/live/sangyou.html
BONNIE PINK(2002年11月4日、徳島大学)
http://web.archive.org/web/20040716002058/http://watabekazuaki.hp.infoseek.co.jp/live/tokushima.html
そして、もう一つは03年、京都駅前の大階段でおこなわれた無料ライブである。このアンコールの時に、地べたに座っていたお客が土下座をしてアンコールをするという事態が生じ、言うまでもなく私もそれに加わっていたのである。
BONNIE PINK(2003年3月30日、京都駅前室町小路広場および4月3日、大阪万博記念公園)
http://web.archive.org/web/20040610134756/http://watabekazuaki.hp.infoseek.co.jp/live/BONNIEkyoto.html
この話を披露したら、
「私もこのときに土下座したんですよ!」
と反応が返ってきて苦笑する。当時は知り合っていなかった方だが、同じ現場で同じことをしていたとは・・・しかも土下座を・・・。この事実は嬉しいと言ったら良いのかどうか、うまい言葉が思いつかない。
ところで、この京都駅のライブの話だが、”Tonight,The Night”を演奏中、私たち(知り合い3人くらいで固まって観ていた)の前で妙な手拍子をしている男性がいたのが印象的だった。そしてライブが終わった後、
「あれは”イタい”動きでしたね・・・」
などと誰かがこぼしたのを今でも頭に残っている。私はこの時はじめて「イタい」という用語の使い方を実地で覚えたのだ。
こういう本当にアホらしい話を延々にしていたら、いつの間にやら時計は10時半近くになっていた。午後6時という早い時間の始まり、そして私以外はお酒があまり飲めない人たちばかりという中で「盛り上がるかなあ」と個人的に不安だったが、穏やかながら非常に楽しいひとときを過ごすことができた。
また、私は前日から新しい仕事を始めることができたこともあり、テンションも高くけっこう酒をあおってしまった。しかし翌日は全く残っていなかったので、気持ちの問題なのだろうという気がする。楽しく飲んだ時はほとんど二日酔いをしないのだ。
また余談が続くけれど、参加した方から、
「かずあき君は愛のキューピッドだ」
といきなり言われたのが自分には衝撃だった。もちろん、私は誰かと誰かをくっつけたいというような世話焼きでは全くないし、むしろ自分がそうされたいくらいである。正確に言えば、ライブ会場で知り合った私の共通の知人二人がくっついたというわけだ。こっちの知らないところでいつの間にやら発展していた話なので、聞かされた方がかなり面食らったというのが真相である。
しかし、私が愛のキューピッドになるとは、恐ろしい時代になったものである。このまま二人が順調に進んだら披露宴で祝辞でも言わないといけなくなるかも・・・。冠婚葬祭に最もふさわしくない人間なのだが、遠くない未来にそんな機会が出てくるかもしれない。それより、私の愛のキューピッドが出てこないものか、と思わずにはいられない。
ともかく、なんとも充実した楽しい時間を過ごせたのは嬉しい。それもこれも趣味を通じてネットワークを広げてきたことが大きかった。といってもオフ会などの類に顔は出さない私はBONNIE PINK絡みしか交流はないけれど、それすらなかったら自分の人生はずっとずっと味気ないものになっていたことは断言できる。また、かつてのライブ・レポートを再読してみると、10年前からこうした繋がりの恩恵を受けていることもおわかりだろう。そうしたこともあって、色々な意味で自分にはBONNIE PINKは特別な存在である。
繰り返す話になるが、昨年はお世辞にも良い年ではなかった。特に仕事の人間関係で恐ろしいほど苦しんだことが大きい。そんな中にあってもライブとか外食とか各種イベントとかに足を運んでいた。そういうことがなければもはや絶望に近い1年だった。そんなことを思うと、
「楽しいことを作らないといけないなあ」
という気持ちになってくる。そもそもの話、会社を辞めたり仕事を転々としているのも「充実した人生を送りたい」というのが動機だったのだ。この1年はそんな原点すらも忘れてしまっていたような気がする。仕事のゴタゴタが解消しつつありそうな今、またそれを思い出して行動したい。
ひとまず3月30日(土)におこなわれる「BONNIE PINK with 新日本フィルハーモニー交響楽団」のチケットの抽選販売が当選したというメールが届いた。去年しなかった上京も久しぶりに敢行する。仕事など先行き不透明な部分も大きいけれど、それはそれとして楽しみたい。今年の私の抱負というかテーマはそんなところである。
その翌日に新年会が行われたのは全くの偶然だった。それは仕事絡みでも同窓会的なものでもなく、BONNIE PINKのファン(?)有志という変わった括りの集まりである。最初は忘年会でいこうと決めたものの参加者の都合が全くつかず年末を迎えたため、それだったら新年会にしようか、ということになった。お店は私の強い希望で、昨年9月15日に開催された「たかつきバル」の時に行った、阪急高槻市駅のそばの某店を予約する。再訪問したいと思いながらも機会がなかったけれどこれで実現の運びとなった。
BONNIE PINKを共通項にした集まりだから彼女の話で持ち切り、と第三者の方は想像するかもしれないが、私を含めて長年ライブなどを見続けてきた人間はもはやそれほど熱意があるというわけでもない。さっき「ファン(?)」という表記をしたのもそんな微妙なニュアンスを表現したつもりである。
実際に彼女の話題になったとしても、
「COUNTDOWN JAPAN 12/13のセット・リストは誰が喜ぶ内容なのか」
「3月におこなわれるオーケストラとの共演は果たして座席(1801席)は埋まるのか」
など、先行きが不安になりそう内容ばかりが出ていた気がする。しかし、これは毎回ライブ終了後に飲んでる時も同じようなものだが。
そして話は昔のライブの思い出などにさかのぼる。彼女に関するエピソードで私が真っ先に思いつくことが2つある。一つは03年に大阪産業大学でのライブを大幅に遅れるも、翌日に日帰りで徳島大学まで行ってきたことである。これはかつてあった私のサイト(サービス終了で消滅した)に載せていた。今も残骸があるので、ここで確認できる。ちなみに11月3日の分は私が公に書いた最初のライブ・レポートだ。内容的に自分の中では最高の部類に入るのではと思っているが。
BONNIE PINK(2002年11月3日、大阪産業大学)
http://web.archive.org/web/20040714154042/http://watabekazuaki.hp.infoseek.co.jp/live/sangyou.html
BONNIE PINK(2002年11月4日、徳島大学)
http://web.archive.org/web/20040716002058/http://watabekazuaki.hp.infoseek.co.jp/live/tokushima.html
そして、もう一つは03年、京都駅前の大階段でおこなわれた無料ライブである。このアンコールの時に、地べたに座っていたお客が土下座をしてアンコールをするという事態が生じ、言うまでもなく私もそれに加わっていたのである。
BONNIE PINK(2003年3月30日、京都駅前室町小路広場および4月3日、大阪万博記念公園)
http://web.archive.org/web/20040610134756/http://watabekazuaki.hp.infoseek.co.jp/live/BONNIEkyoto.html
この話を披露したら、
「私もこのときに土下座したんですよ!」
と反応が返ってきて苦笑する。当時は知り合っていなかった方だが、同じ現場で同じことをしていたとは・・・しかも土下座を・・・。この事実は嬉しいと言ったら良いのかどうか、うまい言葉が思いつかない。
ところで、この京都駅のライブの話だが、”Tonight,The Night”を演奏中、私たち(知り合い3人くらいで固まって観ていた)の前で妙な手拍子をしている男性がいたのが印象的だった。そしてライブが終わった後、
「あれは”イタい”動きでしたね・・・」
などと誰かがこぼしたのを今でも頭に残っている。私はこの時はじめて「イタい」という用語の使い方を実地で覚えたのだ。
こういう本当にアホらしい話を延々にしていたら、いつの間にやら時計は10時半近くになっていた。午後6時という早い時間の始まり、そして私以外はお酒があまり飲めない人たちばかりという中で「盛り上がるかなあ」と個人的に不安だったが、穏やかながら非常に楽しいひとときを過ごすことができた。
また、私は前日から新しい仕事を始めることができたこともあり、テンションも高くけっこう酒をあおってしまった。しかし翌日は全く残っていなかったので、気持ちの問題なのだろうという気がする。楽しく飲んだ時はほとんど二日酔いをしないのだ。
また余談が続くけれど、参加した方から、
「かずあき君は愛のキューピッドだ」
といきなり言われたのが自分には衝撃だった。もちろん、私は誰かと誰かをくっつけたいというような世話焼きでは全くないし、むしろ自分がそうされたいくらいである。正確に言えば、ライブ会場で知り合った私の共通の知人二人がくっついたというわけだ。こっちの知らないところでいつの間にやら発展していた話なので、聞かされた方がかなり面食らったというのが真相である。
しかし、私が愛のキューピッドになるとは、恐ろしい時代になったものである。このまま二人が順調に進んだら披露宴で祝辞でも言わないといけなくなるかも・・・。冠婚葬祭に最もふさわしくない人間なのだが、遠くない未来にそんな機会が出てくるかもしれない。それより、私の愛のキューピッドが出てこないものか、と思わずにはいられない。
ともかく、なんとも充実した楽しい時間を過ごせたのは嬉しい。それもこれも趣味を通じてネットワークを広げてきたことが大きかった。といってもオフ会などの類に顔は出さない私はBONNIE PINK絡みしか交流はないけれど、それすらなかったら自分の人生はずっとずっと味気ないものになっていたことは断言できる。また、かつてのライブ・レポートを再読してみると、10年前からこうした繋がりの恩恵を受けていることもおわかりだろう。そうしたこともあって、色々な意味で自分にはBONNIE PINKは特別な存在である。
繰り返す話になるが、昨年はお世辞にも良い年ではなかった。特に仕事の人間関係で恐ろしいほど苦しんだことが大きい。そんな中にあってもライブとか外食とか各種イベントとかに足を運んでいた。そういうことがなければもはや絶望に近い1年だった。そんなことを思うと、
「楽しいことを作らないといけないなあ」
という気持ちになってくる。そもそもの話、会社を辞めたり仕事を転々としているのも「充実した人生を送りたい」というのが動機だったのだ。この1年はそんな原点すらも忘れてしまっていたような気がする。仕事のゴタゴタが解消しつつありそうな今、またそれを思い出して行動したい。
ひとまず3月30日(土)におこなわれる「BONNIE PINK with 新日本フィルハーモニー交響楽団」のチケットの抽選販売が当選したというメールが届いた。去年しなかった上京も久しぶりに敢行する。仕事など先行き不透明な部分も大きいけれど、それはそれとして楽しみたい。今年の私の抱負というかテーマはそんなところである。
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