先日から通っている新しい勤務先は、午前7時という時間から仕事が始まる。全国平均でみてもけっこう早い始業時間だろう。周囲の人にこのことを話すと、自分には無理!という反応がけっこう返ってきた。しかし個人的にはかつて朝6時に京都駅ちかくまで行く業務も経験しているので、早起きすることについての苦痛は特に感じていない。

ただ、雨が降って自転車が使えない日はちょっと大変だ。その場合は公共の交通機関である市バスを使わざるを得ない。しかし時間が時間だけに本数が少ないのだ。始業時間に間に合わせるためには「午前5時58分」発のバスに乗らなければならない。ちなみにこれは始発であり、次になると6時28分、つまり30分待たないといけないのだ。これでは確実に遅刻してしまう。

始発に乗ったら乗ったで、また困ったことが出てくる。そう、現地に早く着き過ぎてしまうのだ。バスで目的地まで20分、そこから歩いて15分が勤務地という所要時間のため30分近く時間が余ってしまう(早く行っても職場が開いてないので直前に出勤しなければならない)。

幸い街の中心部のため、バス停のすぐそばに24時間経営のマクドナルがある。ここにしばらく座って時間調整をする。これまでマクドナルドはそんなに利用する方ではなかったけれど、こんな形でお世話になるとは思わなかった。今後もしばらく雨の日の朝は通うことになるだろうな。

それにしても、さっきは苦痛でないと言っていたけれど、まだ外は暗い冬の朝に部屋を出て行く時の気分はけっこう重たいものがある。とりあえず早く気温が上がって日の出が早くなってくれないかと願うばかりの毎日である。

仕事の内容について具体的に述べるのは控えるけれど、昨年までよりはかなり単純な作業となった。手順を一から覚えたりする手間はあるけれど、今のところは大きな障害もなく進んでいる。人間関係も昨年ほどには悲惨な状態にはならないのではないかという気がする。

しかしながら、自分の中でモヤモヤしている気持ちはどうにも拭えない。やはり仕事は苦役なんだな、という思いである。それは仕事の内容が面白くないとか自分に向いていない、とかいった高尚なレベルの話ではない。ただ漠然と、仕事はあくまで仕事なんだなあ、というものだ。

時々、好きなことを仕事にできる喜び、とかいう言葉を聞くことがある。岡野雅行(岡野工業代表社員)さんは、仕事をしている時が一番楽しいと豪語していた。しかし私は、これまでアルバイトを含めて色々と仕事をしてきたものの、そういった気持ちになったことは一度もない。

話は古代ギリシャまでさかのぼるが、都市国家ポリスでは労働(仕事)とは奴隷がおこなうものだった。彼らのおかげで労働という苦役から解放されて自由になった市民は音楽や哲学といったものに時間を費やすことになる。これが「遊び」の起源である。世間の人はあまりそう思わないが、学問(’勉強)というのも本来は遊びであった。それが苦しく辛いものと考えられるようになったのは、たぶん受験や就職といった経済に関わる要因と結びついたからに違いない。

それはともかく、遊びというものが生まれた背景を考えると、労働は苦役である、という結論にどうにも辿り着いてしまう。私のこれまでした仕事の経験と重ねてみてもそう思わざるを得ない。実際に、仕事は楽しい面白い、と感じている人は存在するわけだが、それは「遊び」とはまた違った次元の「楽しさ」や「面白さ」なのだろう。そして私はいまだにそうした境地に立っていない。これからはそう思えるる時も訪れるかどうか。たぶんそんな日はこない気がする。

仕事が苦痛でしかないなら、そういう自分をごまかしてモチベーションを保っていくかが重要になってくる。それは何か。

新しい仕事は始業が早いだけあって、午後4時には終業となる。この条件を聞いた時にパッと思ったのが、

「4時に終わるんだったら、7時開演の大阪のライブも余裕で間に合うな!」

というものだった。7時始業と聞いて「ゲ」と思う人も多いだろうが、私の頭はそんな風になっている。けっこうおめでたい部分もあるのだ。周囲が思うほどにはネガティブではない、とは思う。

仕事が苦役でしかないなら、何か別の楽しみを見つけてそれをやりがいにするしかない。

おそらく今年は仕事帰りに大阪へ直行することも何度かあるような気がする。

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