(1)世界は慈悲を待っている
(2)虹をつかむ人
(3)La Vita e Bella
(4)愛のためにできたこと
(5)ポーラスタア
(6)君と往く道
(7)ビートニクス
(8)君と一緒でなけりゃ
(9)詩人の恋
(10)スーパー・ナチュラル・ウーマン
(11)食事とベッド
(12)Zooey

佐野元春が「ZOOEY」(ゾーイ)という新作を出すという情報を知ったのは今年の1月だっただろうか。その時は、「まあ買うけどさ・・・」、という程度の認識でほとんど期待らしきものはしてなかった。前作「Coyote」(07年)を作ったメンバーとまたアルバムを作ったということだったからである。

「Coyote」の感想は出てから書いたけれど、

佐野元春「Coyote」(07年) 2007年10月5日
http://30771.diarynote.jp/200710082027370000/

我ながら、苦渋に満ちた感想だな・・・と思うものの、その印象は今も変わっていない。そして、アルバムに収まっている曲も”君が気高い孤独なら ”以外は全く記憶にない(アマゾンでは恐ろしいほど絶賛されているが・・・)。

それから6年ぶり、かと思ったら、その間に「リメイク・アルバム」なるものが出ていたのをすっかり忘れていた。

佐野元春「月と専制君主」(11年) 2011年2月11日
http://30771.diarynote.jp/201102122346173001/

これを読み返してみると、「Coyote」と似たような印象を持っていたようである。そしてこの「月と専制君主」にしても、ほとんど聴いた記憶が残っていないのは同様である。

そもそもの話であるが、私がリアル・タイム(92年以降)で彼のアルバムをしっかり聴いた覚えたほとんどない。それこそ「SWEET16」(92年)と「The CIrcle」(93年)という、ザ・ハートランドと一緒に作ったアルバムが最後ではないだろうか。ハートランドを解散してからは、のめり込んで聴いた作品は無いのである。これ間に出た作品で最も繰り返し聴いたのは「THE SUN」(04年)に間違いないが、それすらも愛聴盤と言えるほどではなかった。

その理由は何か。それは一応、自分の中では固まっている。

一緒にやっているバンドである。

ハートランドを解散して以降、佐野は腕利きのベテラン・ミュージシャンを揃えた「ザ・ホーボーキング・バンド」と活動を主にしてきた。錚々たる顔ぶれに最初は私も期待を大きくして作品を待っていたが、実際の印象はさきほど書いた通りである。ホーボーキング・バンドの持っている実力は誰もが認めるところだろうが、それが作品に結実しているかといったら、正直いってなんだか少し物足りないところが否めない。ハートランドの時ほどには佐野元春の良さが出ていないような、そんな思いを常にしていた。

彼のライブを初めて観たのは、98年3月29日の大阪フェスティバルホールである。なぜこの時にチケットを取ったかはあまり思い出せないが、「The Barn Tour」の最終日が大阪だったことが一番の要因だった気がする。実際その日は、「The Barn」(97年)のプロデューサーであるジョン・サイモン、そしてザ・バンドのキーボード奏者、ガース・ハドソンがゲスト出演するという特別な一夜であったのだけど、ライブそのものについてはあまり印象に残っていることがない(終演しても拍手がしばらく止まなかったが・・・)。

ともかく、作品についてもライブについてもそんな印象だったので、アルバムはいつも買ってはいたものの、ライブは節目節目(デビュー20周年記念とか、30周年記念とか)くらいに足を運ぶという具合であった。

この際だから、もっと余談を書きたい。

バンドに対する違和感がさらに強くなった出来事がある。それは05年の終わりに観たライブである。それは堂島孝平が佐野元春とジョイントをするという内容であった。感想も書いてある。

堂島孝平 featuring 佐野元春 神戸公演(05年12月4日、チキンジョージ) 
http://30771.diarynote.jp/200512112316390000/
この時の感想にも書いているが、これまで観ていた佐野よりもなんだか元気に見えたのがとても印象に残っていた。そして、これはバンドのせいだな、と思ったのである。荒削りでも若い人たちと組んだ方が良いのでは、などと不遜な感想を抱いたような気もする。そんなライブであった。

ライブも作品もそんな印象だったので、「Coyote」を作ったミュージシャンと新たに「ザ・コヨーテバンド」と称してツアーをしているという情報も、スーッと頭の中に抜けていった。

そんな印象が一変したのは、ダウンロードで先行販売した”世界は慈悲を待っている”(13年)を彼のラジオ番組で聴いた時だった。

佐野元春”世界は慈悲を待っている”(13年) 2013年2月6日
http://30771.diarynote.jp/201302062248208906/


この瞬間に、

「これは、いつもと違うかも?」

と直感し、この曲とそれ以前にダウンロード販売されていた”La Vita é Bella (ラ・ヴィータ・エ・ベラ) ”(12年)を2曲買ってみた。ザ・コヨーテバンドの音は明らかに「Coyote」から深化していることが伝わってくる。珍しく新作を待つのが楽しみになってきた。そして3月13日、佐野の誕生日でもあるこの日に「ZOEEY」が私の手元に届いた(ただ、この日はネットでライブの生中継を観ていたので、ちゃんとアルバムを通して聴いたのは翌日であったが)。

内容は期待を遥かに超えるものだった。全編を通して、これ以上ないほど活き活きとした佐野元春がいる。発売日に57歳となったわけだが、そんな年齢に似つかわしくないほど瑞々しく、先行配信した2曲はもちろんのこと、”ポーラスタア”や”ビートニクス”の演奏も力強い。

穏やかな曲群も良い。具体的に言いにくいけれど、最近は影をひそめていた「佐野元春らしさ」が全面に出ている、というところだろうか。そうした懐かしさのような雰囲気が感じられるのだ。

”君と一緒でなけりゃ”で飛び出す、

「人間なんて みんなバカさぁ」

という投げやりなフレーズも実に見事に決まっている。

しかし極めつけはやはり、”スーパー・ナチュラル・ウーマン”だろう。奔放な女性への讃歌という感じのこの曲のはじけ具合は、いままでの彼の作品でもちょっと比べるものが思いつかないほどである(ところで、この曲はずいぶん露骨な表現が使われているような気がするが私の聞き違いだろうか。歌詞カードは「刹那」と書いているが、「ヴァギ◯」と聞こえるのだが・・・)。

だからといって、別に今回いきなり彼の作曲能力や歌唱法が冴えたというわけでは決してない。やはりザ・コヨーテバンドとの関わりが彼の楽曲またパフォーマーとしての魅力をクッキリと伝わる傑作に結実させたのだろう。

3月13日の生中継ライブも、そんな彼らの生み出す音の素晴らしさが伝わるものだった。ただ、声が出てなかったなあ、という相変わらずの不安要因があったけれど・・・。それでも、チケットを取った5月の大阪公演には期待したい。

今回はオリジナル・アルバムとして6年ぶりである。次に彼が新作を出すのは彼が還暦になった時だろうか。ずっと渋い感想ばかり述べていたし、次に褒められる日が訪れるかどうかもわからないので、この機会に言っておきたい。

2013年のベスト・アルバム最有力候補が登場である。

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