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「上から目線」という表現について
2013年4月29日なんだかよくわからないまま世間に広がっている言葉に出会う時がある。タイトルに挙げた「上から目線」というのがその一つだ。いったいこの言葉はいつから広まったのだろう。この言葉自体は昔からある表現であるが、ここまで日常的に使われるようになったのは明らかに21世紀を迎えてから以降のことだ。
ちなみに、私はこの「上から目線」という表現が好きではない。自分からこの表現は使わないように意識もしているし、人から言われるのももの凄く嫌だ。
そもそも他人に対して「あなたの態度は、上から目線だ」などと言う人間は自分をどういう立場だと思っているのだろうか。さすがに「下から目線」とまで卑屈になっていないだろうが、おそらく「誰に対しても平等で水平なフラットな目線」とでも考えているのだろう。しかしそれはかなり傲慢な思い込みである。自分の思想について「リベラル(リベラリズム、自由主義)です」と言うのになんだか似ている。リベラルというのは基本的に褒め言葉なので周囲から言われるものであり、自分から主張するものは実に鼻持ちならない。
かつての日記で、
「俺は人の意見を認められない奴は駄目なんや」
という言葉が一番嫌いだと書いたことがある。
私の最も嫌いな言葉(2012年11月7日 )
http://30771.diarynote.jp/201211072326301700/
それと同じ臭いをこの「上から目線」から嗅ぎ取ってしまうのだ。こういうことを言う人は自分の立場を勘定に入れていないのではないか。かつての職場の後輩でちょくちょくこれを連発する人間がいたけれど、どうも見下された気がして彼に対して「あんたバカぁ?」といつも不快に感じていた。そういう経験もあり、私はこの言葉を極力使わないように心がけている。
本題からズレるのでここでは詳しく論じないけれど、「Jポップ」というも私は使わない。これもいつの間にか世間に定着してしまった感があるが、最初にこの言葉を聞いた時は、
「なんて安っぽい響きなんだ・・・」
とものすごい違和感を抱いたし、今もその気持ちはあまり変わらない。
そんな私と似たような思いを感じた人に佐野元春がいる。かつて「日経エンターテイメント」に載っていた彼へのインタビュー記事で、音楽はもっと世界に開かれてるから「J」などと狭めるものではない、といった主旨の発言をしていてものすごく共感を覚えた。また、やはりミュージシャンだけあって言葉に対する感覚もかなり鋭いんだなと感心したものである。
そうした佐野の姿勢と比べると、現在も発行しているかどうかは知らないが「Jポップ」という題名をつけた雑誌、また無批判にそこへ文章を書いている連中(自称「評論家」とか「ジャーナリスト」などと言ってる、言葉を大事にするはずの人たち)はものすごく見劣りがしてしまう。
やはり話はズレてきたので修正するが、上手な文章を書こうとすると、語彙(ボキュブラリー)の豊富にすることがまず頭に思い浮かぶ方も多いかもしれない。しかし、自分でも意味がよくわかっていない言葉を使わないとか無駄な表現を削るとか、そういう工夫も語彙を増やすのと同じくらいに大事である。少なくとも自分はそのようなことを念頭に入れながら文章を作っているつもりだ。こうした言葉の吟味というか選び方の小さな積み重ねがその人の個性とかセンスというものにつながっていくと信じているからである。
ちなみに、私はこの「上から目線」という表現が好きではない。自分からこの表現は使わないように意識もしているし、人から言われるのももの凄く嫌だ。
そもそも他人に対して「あなたの態度は、上から目線だ」などと言う人間は自分をどういう立場だと思っているのだろうか。さすがに「下から目線」とまで卑屈になっていないだろうが、おそらく「誰に対しても平等で水平なフラットな目線」とでも考えているのだろう。しかしそれはかなり傲慢な思い込みである。自分の思想について「リベラル(リベラリズム、自由主義)です」と言うのになんだか似ている。リベラルというのは基本的に褒め言葉なので周囲から言われるものであり、自分から主張するものは実に鼻持ちならない。
かつての日記で、
「俺は人の意見を認められない奴は駄目なんや」
という言葉が一番嫌いだと書いたことがある。
私の最も嫌いな言葉(2012年11月7日 )
http://30771.diarynote.jp/201211072326301700/
それと同じ臭いをこの「上から目線」から嗅ぎ取ってしまうのだ。こういうことを言う人は自分の立場を勘定に入れていないのではないか。かつての職場の後輩でちょくちょくこれを連発する人間がいたけれど、どうも見下された気がして彼に対して「あんたバカぁ?」といつも不快に感じていた。そういう経験もあり、私はこの言葉を極力使わないように心がけている。
本題からズレるのでここでは詳しく論じないけれど、「Jポップ」というも私は使わない。これもいつの間にか世間に定着してしまった感があるが、最初にこの言葉を聞いた時は、
「なんて安っぽい響きなんだ・・・」
とものすごい違和感を抱いたし、今もその気持ちはあまり変わらない。
そんな私と似たような思いを感じた人に佐野元春がいる。かつて「日経エンターテイメント」に載っていた彼へのインタビュー記事で、音楽はもっと世界に開かれてるから「J」などと狭めるものではない、といった主旨の発言をしていてものすごく共感を覚えた。また、やはりミュージシャンだけあって言葉に対する感覚もかなり鋭いんだなと感心したものである。
そうした佐野の姿勢と比べると、現在も発行しているかどうかは知らないが「Jポップ」という題名をつけた雑誌、また無批判にそこへ文章を書いている連中(自称「評論家」とか「ジャーナリスト」などと言ってる、言葉を大事にするはずの人たち)はものすごく見劣りがしてしまう。
やはり話はズレてきたので修正するが、上手な文章を書こうとすると、語彙(ボキュブラリー)の豊富にすることがまず頭に思い浮かぶ方も多いかもしれない。しかし、自分でも意味がよくわかっていない言葉を使わないとか無駄な表現を削るとか、そういう工夫も語彙を増やすのと同じくらいに大事である。少なくとも自分はそのようなことを念頭に入れながら文章を作っているつもりだ。こうした言葉の吟味というか選び方の小さな積み重ねがその人の個性とかセンスというものにつながっていくと信じているからである。
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