「アホンダラ」とそのパートは吠えた、らしい
2013年9月19日 お仕事ある日の昼休みのことである。休憩室で食事を終えてボーッとしていた私の向かいで、職場のボスと現場責任者の一人が並んで何やら話をしていた。
現場責任者の方はボスには顔を背けて、
「私、もう指導なんてしませんからね!」
と仏頂面で吐き捨てるような口調で言った。
それを受けたボスは、
「もう契約更新はしないから・・・。あとちょっと働いてもらって、ご苦労さん、ということで・・・」
と彼女をなだめるように話している。
これは一体なんだろう、と横で盗み聞きをしている時はわからなかった。しかし後日、こうした出来事が引き金だったらしいと知った。
朝パートにやって来るドヤ氏が、勤務地で商品を運ぶ時にちょっと危ない持ち方をしていたらしい。商品が破損したらまずいと思った責任者が彼に対してその持ち方を指導したのだ。
もし私がドヤ氏の立場だったら、
「ああ、すいません。これからは気をつけます」
と平謝りをする程度だったと思う。注意されるのは面白くないにしても、まあ、こちらに落ち度があるわけだから。
しかしドヤ氏は、
「アホンダラ。俺も商売してるからモノの大切さくらいわかっとるわ!今までこうしてやってきたんじゃ!」
と真っ向から反対したというのである。それが先ほどの二人が話をしていた日の午前に起きたわけだ。
現場責任者に対してちょっと言われたくらいでそこまでムキになるドヤ氏の幼児性も凄いけれど、その行動を支える「いままで俺はこうやって生きてきたから正しい!」とかいう類の根拠のない自信はわりと色々なところで見られる気がする。
あれは去年(2012年)の1月だったか。(ちょっと前にいた職場での)勤務を終えて京都駅の地下を歩いていた時にかつての上司(広告局長まで勤めた人)とバッタリ出くわした。その時は午後8時を過ぎており、向こうはすっかり紅い顔で絶好調な状態になっていた。そして私の顔を見るなり、日記(ブログ)を更新しろだの次の行き先を決めてから会社を辞めるべきだっただのと、酔った勢いにまかせて色々と勝手なことを言ってきたのである。
仕事が終わって疲れた身でそんなことを言われたのかこちらもムッとなり、何偉そうに喋ってんだよ、と言い返してみると、
「俺は(某新聞社の)社友やで」
と寝ぼけた(正確には、酔っぱらった、か)ことをほざいてくるではないか。
「関係ない!こっちは新聞社の子会社に所属していた人間だし、もはや上司でもなんでもないんだから」
とあしらってやったら、言うに事欠いて先方が吐いたセリフが、
「俺は、年上やで」
だったから呆れて言葉も出てこなかった。
年齢が上だとか下だとか、一つの職場に何十年勤めたとかといったそんなどうでもいいことで無条件に周囲が持ち上げてくれると思っているのだろうか。例えばレナード・コーエンが尊敬されるのはあの年齢(今年で79歳)で活動しているからではない。その作品やライブの内容に対して敬意を払われているのだ。
そういえば身内と話して口論になった時、
「お前、何を根拠にそんな偉そうなことを言ってるんだ!」
と問いただしたら、
「それは・・・お母さんがいままで生きた経験が・・・」
と同じようにボケた台詞が返ってきたことがあるような気もする。年長者というのは言うことが無くなると年齢や経験を拠り所にしようとする傾向があるのかもしれない。
しかしそれに対して、
「何が経験だ!頭がボケて体がぶっ壊れてきただけだろうが!」
とこちらは切り返した気がするが、これは話の本筋でもないのでこれくらいにしておく。
どうも人間というのは生きているだけで根拠もない自信を抱いてしまうらしい。かつての上司も身内もドヤ氏も同じ流れにいるように感じる。しかしそれは「馬齢を重ねる」という以上の意味はないだろう。「量が質を凌駕する」ということは人生には必ずしも当てはまらないのだ。経験や年齢によって尊敬されることを期待するよりも、敬意を抱かれるような人間になるよう努力する方がずっと大事だと私は考える。
それにしても、仕事が適当な上に遅刻や無断欠勤までするドヤ氏は今回の件でけっこう致命的なことを言ったのではないだろうか。おなじ職場にいる者としてはこの行方を見守りたい。
現場責任者の方はボスには顔を背けて、
「私、もう指導なんてしませんからね!」
と仏頂面で吐き捨てるような口調で言った。
それを受けたボスは、
「もう契約更新はしないから・・・。あとちょっと働いてもらって、ご苦労さん、ということで・・・」
と彼女をなだめるように話している。
これは一体なんだろう、と横で盗み聞きをしている時はわからなかった。しかし後日、こうした出来事が引き金だったらしいと知った。
朝パートにやって来るドヤ氏が、勤務地で商品を運ぶ時にちょっと危ない持ち方をしていたらしい。商品が破損したらまずいと思った責任者が彼に対してその持ち方を指導したのだ。
もし私がドヤ氏の立場だったら、
「ああ、すいません。これからは気をつけます」
と平謝りをする程度だったと思う。注意されるのは面白くないにしても、まあ、こちらに落ち度があるわけだから。
しかしドヤ氏は、
「アホンダラ。俺も商売してるからモノの大切さくらいわかっとるわ!今までこうしてやってきたんじゃ!」
と真っ向から反対したというのである。それが先ほどの二人が話をしていた日の午前に起きたわけだ。
現場責任者に対してちょっと言われたくらいでそこまでムキになるドヤ氏の幼児性も凄いけれど、その行動を支える「いままで俺はこうやって生きてきたから正しい!」とかいう類の根拠のない自信はわりと色々なところで見られる気がする。
あれは去年(2012年)の1月だったか。(ちょっと前にいた職場での)勤務を終えて京都駅の地下を歩いていた時にかつての上司(広告局長まで勤めた人)とバッタリ出くわした。その時は午後8時を過ぎており、向こうはすっかり紅い顔で絶好調な状態になっていた。そして私の顔を見るなり、日記(ブログ)を更新しろだの次の行き先を決めてから会社を辞めるべきだっただのと、酔った勢いにまかせて色々と勝手なことを言ってきたのである。
仕事が終わって疲れた身でそんなことを言われたのかこちらもムッとなり、何偉そうに喋ってんだよ、と言い返してみると、
「俺は(某新聞社の)社友やで」
と寝ぼけた(正確には、酔っぱらった、か)ことをほざいてくるではないか。
「関係ない!こっちは新聞社の子会社に所属していた人間だし、もはや上司でもなんでもないんだから」
とあしらってやったら、言うに事欠いて先方が吐いたセリフが、
「俺は、年上やで」
だったから呆れて言葉も出てこなかった。
年齢が上だとか下だとか、一つの職場に何十年勤めたとかといったそんなどうでもいいことで無条件に周囲が持ち上げてくれると思っているのだろうか。例えばレナード・コーエンが尊敬されるのはあの年齢(今年で79歳)で活動しているからではない。その作品やライブの内容に対して敬意を払われているのだ。
そういえば身内と話して口論になった時、
「お前、何を根拠にそんな偉そうなことを言ってるんだ!」
と問いただしたら、
「それは・・・お母さんがいままで生きた経験が・・・」
と同じようにボケた台詞が返ってきたことがあるような気もする。年長者というのは言うことが無くなると年齢や経験を拠り所にしようとする傾向があるのかもしれない。
しかしそれに対して、
「何が経験だ!頭がボケて体がぶっ壊れてきただけだろうが!」
とこちらは切り返した気がするが、これは話の本筋でもないのでこれくらいにしておく。
どうも人間というのは生きているだけで根拠もない自信を抱いてしまうらしい。かつての上司も身内もドヤ氏も同じ流れにいるように感じる。しかしそれは「馬齢を重ねる」という以上の意味はないだろう。「量が質を凌駕する」ということは人生には必ずしも当てはまらないのだ。経験や年齢によって尊敬されることを期待するよりも、敬意を抱かれるような人間になるよう努力する方がずっと大事だと私は考える。
それにしても、仕事が適当な上に遅刻や無断欠勤までするドヤ氏は今回の件でけっこう致命的なことを言ったのではないだろうか。おなじ職場にいる者としてはこの行方を見守りたい。
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