ヴェルヴェット・アンダーグランド「ライヴ Vol.1」(74年)
2013年11月18日 CD評など(1)ウェイティング・フォー・マイ・マン
(2)リサ・セッズ
(3)ホワット・ゴーズ・オン
(4)スウィート・ジェーン
(5)ウィアー・ゴナ・ハヴ・ア・リアル・グッド・タイム・トゥゲザー
(6)ファム・ファタル
(7)ニュー・エイジ
(8)ロック・アンド・ロール
(9)ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト
(10)ヘロイン
夜寝ているときも「radiko」でラジオ番組を流していることがたまにある。そのため午前2時とかいった中途半端な時間に目覚めることもあるのだが、FM大阪の番組からルー・リードの訃報が飛び込んできたのはそんな時だった。全く思いもよらない話だったので、眠気が一気に覚めてしまう。
それからヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の”スウィート・ジェーン”と”ウエイティング・フォー・マイ・マン”、そして彼のソロから”ニュー・センセーションズ”の3曲が追悼をこめて流された。しかし私といえばその死が信じられず、布団の中で横になったまましばらく呆然と曲を聴いていた。
全世界に熱狂的なファンが存在し、また後世のミュージシャンに計り知れない影響を与えてきたルー・リードであるが、私自身は彼の音楽についてそれほど熱心なわけではなかった。しかし、例えばもっと敬愛していたウォーレン・ジヴォン(2003年没)の時よりもルーの訃報のほうが衝撃が激しかった。その理由はやはり実際に動く彼の姿を観ていたからに他ならない。2000年10月27日の大阪サンケイホール、そして2003年9月17日の大阪厚生年金会館芸術ホールと2回彼のライブを観ることができた。
日記でも彼についてそれほど触れたことはないはずである。それなりにアルバムは持っているものの、主要な作品のいくつかは未だに聴いてないものがある。要するに中途半端な聴き手なわけだが、それでも振り返ってみれば私にとって彼との出会いはかなり重要なものだったし、これを機会に彼についてまとめて書いてみたいと思う。
ルー・リードの音楽を聴いてみようと思いたったきっかけは、佐野元春の著書「ハートランドからの手紙」(93年。角川文庫)に収録されている文章によってであった。たとえこれを読んでなかったしてもいずれCDを聴いていたのかもしれない。ただ、ルーやヴェルヴェットに対する印象はまるで違ったものになっていたことだけは確かである。
ジョン・レノンやボブ・ディランと並んでルーの音楽に多大な影響を受けたと公言する佐野であるが、初めてヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバム「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」(68年)を聴いたときはすんなりと受け入れられたわけではなかったという。
<聞いてみて、なんて録音が雑なんだ、と思った。一回や二回聞いただけでは自分の体の中に素直に入り込んでくる音楽でなかった。>(P.220)
そんなレコードだったらその場で、さようなら、となるのが普通ではある。しかし、
<でも不思議に、ルー・リードが何を歌っているのか知りたい、という欲求が湧いてくる音楽だったんだ。もちろん歌詞カードなんてのはない。友だちを通して横浜の基地にいたアメリカ人に聞き取って貰ったんだけど、受け取った詞はあなぼこだらけ。アメリカ人でも聞き取れないって言う。なぜそんなに不明瞭に歌わなければならないのか、その時はわからなかった。自分がカッコいいと思っていたロックンロールとルー・リードが歌うロックンロールはまったくと言っていいほど異質な物だった。彼らは、彼らの音楽はなんて冷静なんだと思った。そしてヴェルヴェットのレコードはしばらくの間、僕の家の棚に眠っていたんだ。>(P.220-221)
当時の佐野元春は15、6歳と文章の冒頭で書いていたけれど、彼にとってルー・リードの音楽というのはかなり異質なものに響いたことがよくわかり実に興味深い。そして、この文章に触発されて私ものソロ時代の代表作である「トランスフォーマー」(72年)を東室蘭駅ちかくのCDショップで学校から帰る途中に買ったのは確か93年だった。17歳の時である。なぜ「トランスフォーマー」だったのかといえば、片田舎のCDショップにはそれしか置いてなかったのである。もし「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」があったら、真っ先にそれを手に入れていたに違いない、佐野の追体験をしてみたいと思いながら。
ただ、
<「トランスフォーマー」「ベルリン」の頃、ソロになって間もない頃のルー・リードに僕は一番影響を受けた。>(P.223)
とも書かれていたので、これはこれで良いかと思いながらレジに持っていったような気がする。
家へ帰ってすぐアルバムを聴いてみた。しかしスピーカーから流れてきたのは、恐ろしく無愛想なロックであった。曲調は起伏があまりなく淡々としていて、アレンジはポップさが欠けている。さらに、ルーのヴォーカルがサウンドに劣らぬくらいに一本調子だったのだ。唯一3曲目の”パーフェクト・デイ”はなんとも美しいメロディーだなあと聴き入ったもののアルバム全体としては、
「あー、買って損したかな・・・」
とその時は率直にそう思った。しかし、以後も私は事あるごとにこのアルバムを聴き続けていた。なぜかといえば、先に引用した佐野の文章には続いてこのようなことも書かれていたからである。
<「もうすぐ彼女がやってくる」という一節を、何度も何度も繰り返す歌があって、サウンド自体はもの凄く粗雑なんだけれども、聞いているうちに凄く美しい旋律に聞こえてきた。自分がヴェルヴェット・アンダーグラウンドの表現の中に積極的に入り込まなければ、楽しめない音楽だとその時知った。>(P.221)
佐野ですらヴェルヴェットの音楽に馴染むまで時間がかかったのだから、私などがすんなりとのめり込めるわけがない。そう考えたわけである。しかしながら当時は「トランスフォーマー」が傑作だとはとても思えなかった。何度も聴いてはみたものの、こんな表現の音楽もあるんだなという程度の親しみができたくらいだったろうか。この時点の私はルーの音楽を楽しめるという境地には至らなかった。
しかし転機が訪れる。その1年後くらいに買ったヴェルヴェットのライブ・アルバム「ライヴ Vol.1」(74年)によってであった。いきなりライブ・アルバムを買ったの?と疑問に思う方もいるかもしれない。しかし、これも「トランスフォーマー」と同じ理由だが、私の住んでいる地域で手に入るのはこのアルバムだけだったのである。
これを聴いてまず驚いたのは、その音質の酷さである。いままで買ったCDの中でもダントツに悪い。「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」もこんな感じなのかなと連想してしまった。そしてお客の拍手がパラパラとまばらなのが、活動期間中(このアルバムは1969年の音源)の彼らの不遇さを伝えて余りある。93年に彼らは一度だけ再結成してライブ盤も残しているけれど、その時の観衆の反応は実に凄まじい。それと比較したら余計に不憫に感じる。
それはともかく、最初の印象は「トランスフォーマー」とそれほど変わりなくパッとしないものだった。ただ今回は繰り返して聴いていくうちに、そのノイズまみれの演奏から美しいメロディが少しずつ聴き取れるようになっていった。それは高校生の佐野の体験と重なるものなのだろう。ふたたび彼の文章から引用する。
<僕はヴェルヴェットを、ルー・リードを聞くまで、ピアノひとつ、アコースティック・ギターひとつあれば、歌っていうものはすべてを表現できると思っていた。あの時代でいうシンガー・ソングライター的な表現方法が、歌には一番適切だと信じていた。その音楽に対する概念を彼らは一挙に広げてくれた。ルー・リードを聞くことによって、たとえば一〇の言葉を費やして一曲にまとめるというやり方もあるけれども、増幅されたギターの音、バンドとしてのノイズの出し方、決してシャウトのしない抑制された声・・・そういったものを表現のひとつとして繰り入れれば、五の言葉しか費やさなくても一〇以上のメッセージを相手に投げ掛けられるということを、じかに教えられたんだ。
ルー・リードは、ロックンロールという大衆音楽と僕が決めつけてたものが、アート・フォームにもなりえるんだ、たとえばピカソの絵を見るのと同じようなアート表現にもなるんだということを知らせてくれた、一番最初のソングライター、ロックンローラーだった。>(P.221-222)
ルーについて書かれた文章は数あれど、彼の音楽表現の特徴をここまで明瞭簡潔に示したものはおそらく無いのではないだろうか。「増幅されたギターの音、バンドとしてのノイズの出し方、決してシャウトのしない抑制された声」あたりの切り取り方は見事というしかない。彼がルーにどれほど影響を受けているかもわかる気がする。
私自身もルーの音楽を、最初は受け入れられなくてもしぶとく聴いてきたからこそ、それ以後の音楽(80年代のパンク/ニュー・ウェーブ、または90年代のグランジ/オルタナティブ)についても多少は受け入れられるようになった気がする。いや、本当にわかってるかどうかは怪しいが、それでも聴く音楽に多少なりとも幅が出てきたのはこの時の体験が大きい。
いやそれよりも、他人の表現などというのはそう簡単に受け入れられるわけでない。だから「自分に合わない」と感じたとしても安易に良し悪しを口にするような真似は慎まなければならない。それは別に芸術表現に限ることではないが。そうしたことを身をもって知ることができたのが、私がルーに対して本当に感謝しなければならないことだと思っている。
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