先日の5月2日をもって、渡辺美里がデビューから満29年を迎えた。よって30周年に突入したということになる。私が彼女のCDを初めて買った時(91年)からも20余年が経過してしまった。当時は「この人に一生ついていこう」などという尋常ではないのめり込み方だったけれど、これほど長きにわたり見続けるということは予想できなかった。

実際に考えればわかることだが、単に「好きだから」という理由で10年も20年も一人のミュージシャンなり歌手なりを追いかけることはあり得ない。こちらの熱意が冷めるというありふれた例もあれば、向こうが死んでしまったり活動を止めてしまうという場合もありうる。幸いというか、この人はブランクらしいものもなくこの29年間を歩み続けてきた。私も96年以降は、01年を除いてなんらかの形で動く彼女の姿を観ている。

思い起こせば、中学の時にテレビで「明治生命」のCMに出ていた浴衣姿の彼女に衝撃を受けてそのまま「信者」になったこと、アルバム「BIG WAVE」( 93年)を聴いて「信者」を辞めた瞬間、アルバム「ハダカノココロ」(98年)を耳にして「本当に終わったな・・・」と絶望した時など、彼女についての思いを「好き/嫌い」といった単純な二分法で語ることが自分にはできない。それは私の歴史の一部でもあるからだ。

先日の4月23日に「30周年記念第1弾シングル」という触れ込みで「ここから」が発売された。調べてみれば、なんと55枚目のシングルだという。作詞作曲は、デビュー時から交流のある大江千里だ。

あまり関心のない方は、

「いつものコンビか。代わり映えしないな」

と思うかもしれない。しかし千里の方はジャズの勉強をするため08年から4年間ニューヨークで生活して音楽学校に通っており、「boys mature slow」(12年)と「Spooky Hotel)(13年)の2枚のアルバムを発表している。私自身は未聴だが、スタイルとして彼はもうジャズのミュージシャンになってしまったようだ。これは大きな変化である。

なぜこうした転身を決意したかもよく知らないけれど、小学校4年の時にギルバート・オサリバンの”Alone Again”を聴いたのがミュージシャンのきっかけだったという人がジャズ・ミュージシャンへの志向が昔からあったとは考えづらい。私は熱心なファンでもないからこんなことを書けるけれど、やはり歌手や表現者としての限界にぶちあたったがゆえの決断だったのではないだろうか。

そんなことを考えながら、この”ここから”を聴いてみるとなかなか興味深い、というか胸に迫ってくる箇所がある。

「夢のカタチが今は違う だけど又歩き出せる」

という一節は、シンガー・ソングライターからジャズ・ミュージシャンへと表現手段が変わり「夢のカタチ」が違った千里自身の思いを美里に託して歌わせたかったのか?などと想像してしまったりして。

具体的にどうとかは言えないのだけれど、彼女のこれまで築いたカラーを活かし、簡潔にして瑞々しい作品に久しぶりになった曲だといえる。これも千里がニューヨークでの4年間で培ったものの成果なのだろう。30周年記念にふさわしい曲だ。

歌詞など日頃はほとんど見ない人間なのだが、たぶんこれまで何度も出てきたようなフレーズにも不思議に耳に残る。

「ここから」の「ここ」とはどこのこと?

「この場所」って?

「その日」っていつのこと?

というような具合に。

「そんな表現は80年代からやっていただだろう、進歩のない表現者だ」

興味のない方はそう思うかもしれない。

しかし、彼女は「こうした表現」しかできない人なのである。しかし、もう30年である。それでもう良いのではないか。いまだにそんな批判めいたことを言う方は、意識的な音楽ファンか何か知らないけれど、そんなことを言えるほど確固たるものを持っているのだろうか。ちなみに、私はそういう点でいまだに全く自信が持てないのだけど。

20代の頃の彼女と比較しても仕方ないけれど、彼女自身が大事にしている表現について有効性が失っていない部分は確かにある。”ここから”はそれを証明する一つだ。それを現在まで愚直に続けてきた彼女の存在を貴重というか尊く感じてしまう自分がいる。

30周年が続いているうちに、これまでの作品について触れてみようか。これが最後のきっかけな気がするし本格的に取り組んでみようと思う。

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