不毛な論争に巻き込まれたら、思い出したい曲
2014年5月30日 とどめておきたこと、特記事項 コメント (1)私が書いた日記に対して珍しくコメントを残した人がいた。ネット上でしかも匿名で書くくだらない内容についてはまともに取り合わない、というのが私の方針である。その方針に従い「うんこ食ってろ」と先方に返事をしたら、それに対してコメントがまた書き込まれてしまった。
暇な人は実際にコメントを確認していただければ良いのだが、
以前いた会社が説明会を開催すると聞いたので(2014年5月27日)
http://30771.diarynote.jp/201405270801595488/
・自分の目的は誹謗中傷ではない。
・どうしてこんな日記を書いたのか真意を知りたかった。
・自分のコメントが気に入らないなら、削除するか「詮索しないでくれ」と返信すれば、それ以上のことはしなかった。
・「論点をずらす」とか「匿名」とか「うんこ食ってろ」などと関係のないコメントを書かれたので、こちらも何かコメントをしないわけにはいかない。
こんなところである。
ザッとコメントを読んでしばらく考えた末に、
「やはり、こういう手合いは無視するのが良かったのかなあ・・・」
と少しだけ後悔をする。私と先方との考えにあまりにも違いがあるからだ。もうこれは永遠に噛み合わないだろう。それゆえ私は「うんこ食ってろ」と言って、そこで幕引きをするつもりであった。
誰も興味が無いとは重々に承知しているが、両者の違いを比較し整理してみよう。
(1)ネットでコメントをする際の実名/匿名について
私:人に対して批判とか疑問を投げかける場合については、実名や連絡先のアドレスを添えるなどをすることが望ましい。自分が安全圏に立っての「批判」は卑劣な行為である。
うんこ野郎:そんなの関係ねえ。
(2)日記を書いた「動機」や「背景」をめぐって
私:批判や疑問を投げかけるならば、その日記に「実際に書いてある」内容に基づいて指摘するのが筋である。「お前は辞めた会社に未練があるからこんな日記を書いたのだろう?」といった推測による書き込みは、事実を無視した「誹謗中傷」であり「下衆の勘ぐり」である。
うんこ野郎:文章は「動機」や「背景」があって書かれると思う。
(3)私の対応について
うんこ野郎:自分の対応が気に入らないなら削除するか「詮索しないでくれ」と返信すべき。
私:どのような返事をするかは、原則的にこちらの勝手である。
いかがだろうか。この3点を挙げるだけでも、両者は別の世界であれこれ言い合っていることが感じてもらえるだろう。
そして最も違う点を最後に挙げる。
(4)相手への対応について
私:「これは話にならねえや」と判断したら、その時点で「幕引き」としてコメントもしない。
うんこ野郎:コメントを削除するなり「詮索するな」というような反応があればコメントを止める。意味不明な対応については、こちらもコメントは続けていく。
やり取りしているうちに察したのだが、自分の書いたコメントにはこのように対応するべきだ、という「模範解答」のようなものが向こうの頭の中にあるらしい。
その証拠に、
<私の初めのコメントが気に障ったのなら、
そのコメントを削除するか、「詮索しないでくれ」とだけ返信くだされば、
あなたの気持ちを汲み取ってそれ以上コメントする気もありませんでした。>
などと書いてきたからである。
さっきも書いたが、コメントにどんな対応をしようとそれは「こちらの勝手」である。こちらの希望通りの反応がない限りはコメントを書き続ける、などというのはもはや倒錯しているとしか思えない。
私がもしもどこかのブログなり掲示板なりの内容に思うところがあってコメントをし、それに対して返信が無かったり希望通りの返事がもらえなかったとする。それは残念な結果だが、だからといってそれ以上に何か突っ込んだ行動を取ることはあり得ない。ましてや「どうして貴方はそんな対応をしたんですか?その真意を知りたいです。ちゃんと答えてください」などとさらに書き込みをして迫ろうものなら、通報されることだってあり得る昨今である。
希望通りの返事がもらえなかったのは、相手が忙しかったとか、気に入らない内容だったとか、そもそも質問の意図が理解できなかったとか色々あるだろう。しかしそれを詮索したところで何の意味があるのか。
それは日記を書いた私の「動機」だの「背景」だのに向こうがやたらこだわっていることにも繋がっていく。
そもそも先方が私の日記にコメントをしたのは、辞めた会社が会社説明会をおこなっているということを書いた「動機」について興味があったことによる。なぜ辞めた会社に固執するのか?未練でもあるのか?それが不思議でならない、というのである。
しかし、日記を書いた「動機」などというのは、実際のところは書いた本人でもよくわからないものである。前の職場に居残ったとしても、身体か精神を壊していたのは間違いないから「未練」という要素はおそらくないだろう。
ただ、
「先行きの無い業界にいる会社なんだからもう潰れても良いのに、どうしてまだ存続してるのかなあ」
というような疑問というか不満というかそういう屈折した思いはある。それが先方が知りたがっている「動機」とか「背景」に近いものかもしれないが、そんなことを敢えて日記に記すつもりもない。「自分でもわからないこと」をむやみに書いても読みづらい内容になるだけである。それは一にも二にも「読みやすさ」を考えている私には思いもよらない選択だ。
「コメントありがとうございました。
書かれた内容を読んでハッとさせられました。確かに辞めた会社についての未練が心の奥底にあったのだと思います。おっしゃる通り、駄目な会社は勝手に消えるものだし、私自身もあまりに不健康な精神状態だったかもしれませんね。
これからは私ももっと前向きな気持ちでこれからを過ごしていきたいと思います。このたびはありがとうございました」
とでも書いていたら、先方が喜ぶ「模範解答」になったかもしれない。ただ、これは私の本心とは大きくかけ離れているものだが。
もう一つ、大事なことを記しておきたい。私は先方に対して、もう一切コメントを返さない。これは私から幕引きをしたいと願うからだ。
おそらく先方の期待する「模範解答」もしくはコメント削除などをしない限りは飽きもせず何度でも返信をしてくるだろう。それは、やはり安いプライドが抱えているというか、自分が期待する「模範解答」を意地でも引き出したいという思いが透けて見える。
しかし、さきほども述べた通り、赤の他人に対して自分の望み通りの返答を求めるというのはお門違いではないのか。しかも、匿名で、である。「名無しさん」に対して誠心誠意に応じるというのは、はっきり言って馬鹿げている。ましてや論争というかケンカをするなど、自分を浪費させるだけだ。
理想論かもしれないが、自分のブログに対して批判なり疑問なりのコメントをされるならば、きちんと内容を読んで事実を踏まえた上でしてもらいたいのである。そうでなければ私自身も訂正とか修正とかできないからだ。せっかく批判をされるのならば、誹謗中傷ではなく、自分の考えが深まるような批判を受けてみたい。不遜に思う方もいるかもしれないが、これが私の偽らざる本心である。
しかし、大抵の場合は「バカ」だの「死ね」だの「くさい」だのといった内容なので、それゆえ「うんこ食ってろ」と対応するわけである。
先日の日記では顔の見えない相手との論争を「シャドー・ボクシング」に例えてみたけれど、もしネットを通じて不快な思いをした時は、異端のフォーク・シンガー三上寛(みかみ・かん)の”あしたのジョーなんかきらいだ”の一節を思い出してみたい。
<お前が殴っていたものはカルロスでも力石でもない
お前はお前の明日を殴っていたのだ>
三上寛についてはYou Tubeで動画があったので、暇があれば一度観てもらいたい。
夢は夜ひらく~あしたのジョーなんかきらいだ★三上寛 (Audio)
https://www.youtube.com/watch?v=dZs7r_azQbs
とりあえず、無駄な論争をしているような時間は今の私の人生には残っていない。38歳を目前にしてそんなことも頭にちらついている今日このごろだ。
暇な人は実際にコメントを確認していただければ良いのだが、
以前いた会社が説明会を開催すると聞いたので(2014年5月27日)
http://30771.diarynote.jp/201405270801595488/
・自分の目的は誹謗中傷ではない。
・どうしてこんな日記を書いたのか真意を知りたかった。
・自分のコメントが気に入らないなら、削除するか「詮索しないでくれ」と返信すれば、それ以上のことはしなかった。
・「論点をずらす」とか「匿名」とか「うんこ食ってろ」などと関係のないコメントを書かれたので、こちらも何かコメントをしないわけにはいかない。
こんなところである。
ザッとコメントを読んでしばらく考えた末に、
「やはり、こういう手合いは無視するのが良かったのかなあ・・・」
と少しだけ後悔をする。私と先方との考えにあまりにも違いがあるからだ。もうこれは永遠に噛み合わないだろう。それゆえ私は「うんこ食ってろ」と言って、そこで幕引きをするつもりであった。
誰も興味が無いとは重々に承知しているが、両者の違いを比較し整理してみよう。
(1)ネットでコメントをする際の実名/匿名について
私:人に対して批判とか疑問を投げかける場合については、実名や連絡先のアドレスを添えるなどをすることが望ましい。自分が安全圏に立っての「批判」は卑劣な行為である。
うんこ野郎:そんなの関係ねえ。
(2)日記を書いた「動機」や「背景」をめぐって
私:批判や疑問を投げかけるならば、その日記に「実際に書いてある」内容に基づいて指摘するのが筋である。「お前は辞めた会社に未練があるからこんな日記を書いたのだろう?」といった推測による書き込みは、事実を無視した「誹謗中傷」であり「下衆の勘ぐり」である。
うんこ野郎:文章は「動機」や「背景」があって書かれると思う。
(3)私の対応について
うんこ野郎:自分の対応が気に入らないなら削除するか「詮索しないでくれ」と返信すべき。
私:どのような返事をするかは、原則的にこちらの勝手である。
いかがだろうか。この3点を挙げるだけでも、両者は別の世界であれこれ言い合っていることが感じてもらえるだろう。
そして最も違う点を最後に挙げる。
(4)相手への対応について
私:「これは話にならねえや」と判断したら、その時点で「幕引き」としてコメントもしない。
うんこ野郎:コメントを削除するなり「詮索するな」というような反応があればコメントを止める。意味不明な対応については、こちらもコメントは続けていく。
やり取りしているうちに察したのだが、自分の書いたコメントにはこのように対応するべきだ、という「模範解答」のようなものが向こうの頭の中にあるらしい。
その証拠に、
<私の初めのコメントが気に障ったのなら、
そのコメントを削除するか、「詮索しないでくれ」とだけ返信くだされば、
あなたの気持ちを汲み取ってそれ以上コメントする気もありませんでした。>
などと書いてきたからである。
さっきも書いたが、コメントにどんな対応をしようとそれは「こちらの勝手」である。こちらの希望通りの反応がない限りはコメントを書き続ける、などというのはもはや倒錯しているとしか思えない。
私がもしもどこかのブログなり掲示板なりの内容に思うところがあってコメントをし、それに対して返信が無かったり希望通りの返事がもらえなかったとする。それは残念な結果だが、だからといってそれ以上に何か突っ込んだ行動を取ることはあり得ない。ましてや「どうして貴方はそんな対応をしたんですか?その真意を知りたいです。ちゃんと答えてください」などとさらに書き込みをして迫ろうものなら、通報されることだってあり得る昨今である。
希望通りの返事がもらえなかったのは、相手が忙しかったとか、気に入らない内容だったとか、そもそも質問の意図が理解できなかったとか色々あるだろう。しかしそれを詮索したところで何の意味があるのか。
それは日記を書いた私の「動機」だの「背景」だのに向こうがやたらこだわっていることにも繋がっていく。
そもそも先方が私の日記にコメントをしたのは、辞めた会社が会社説明会をおこなっているということを書いた「動機」について興味があったことによる。なぜ辞めた会社に固執するのか?未練でもあるのか?それが不思議でならない、というのである。
しかし、日記を書いた「動機」などというのは、実際のところは書いた本人でもよくわからないものである。前の職場に居残ったとしても、身体か精神を壊していたのは間違いないから「未練」という要素はおそらくないだろう。
ただ、
「先行きの無い業界にいる会社なんだからもう潰れても良いのに、どうしてまだ存続してるのかなあ」
というような疑問というか不満というかそういう屈折した思いはある。それが先方が知りたがっている「動機」とか「背景」に近いものかもしれないが、そんなことを敢えて日記に記すつもりもない。「自分でもわからないこと」をむやみに書いても読みづらい内容になるだけである。それは一にも二にも「読みやすさ」を考えている私には思いもよらない選択だ。
「コメントありがとうございました。
書かれた内容を読んでハッとさせられました。確かに辞めた会社についての未練が心の奥底にあったのだと思います。おっしゃる通り、駄目な会社は勝手に消えるものだし、私自身もあまりに不健康な精神状態だったかもしれませんね。
これからは私ももっと前向きな気持ちでこれからを過ごしていきたいと思います。このたびはありがとうございました」
とでも書いていたら、先方が喜ぶ「模範解答」になったかもしれない。ただ、これは私の本心とは大きくかけ離れているものだが。
もう一つ、大事なことを記しておきたい。私は先方に対して、もう一切コメントを返さない。これは私から幕引きをしたいと願うからだ。
おそらく先方の期待する「模範解答」もしくはコメント削除などをしない限りは飽きもせず何度でも返信をしてくるだろう。それは、やはり安いプライドが抱えているというか、自分が期待する「模範解答」を意地でも引き出したいという思いが透けて見える。
しかし、さきほども述べた通り、赤の他人に対して自分の望み通りの返答を求めるというのはお門違いではないのか。しかも、匿名で、である。「名無しさん」に対して誠心誠意に応じるというのは、はっきり言って馬鹿げている。ましてや論争というかケンカをするなど、自分を浪費させるだけだ。
理想論かもしれないが、自分のブログに対して批判なり疑問なりのコメントをされるならば、きちんと内容を読んで事実を踏まえた上でしてもらいたいのである。そうでなければ私自身も訂正とか修正とかできないからだ。せっかく批判をされるのならば、誹謗中傷ではなく、自分の考えが深まるような批判を受けてみたい。不遜に思う方もいるかもしれないが、これが私の偽らざる本心である。
しかし、大抵の場合は「バカ」だの「死ね」だの「くさい」だのといった内容なので、それゆえ「うんこ食ってろ」と対応するわけである。
先日の日記では顔の見えない相手との論争を「シャドー・ボクシング」に例えてみたけれど、もしネットを通じて不快な思いをした時は、異端のフォーク・シンガー三上寛(みかみ・かん)の”あしたのジョーなんかきらいだ”の一節を思い出してみたい。
<お前が殴っていたものはカルロスでも力石でもない
お前はお前の明日を殴っていたのだ>
三上寛についてはYou Tubeで動画があったので、暇があれば一度観てもらいたい。
夢は夜ひらく~あしたのジョーなんかきらいだ★三上寛 (Audio)
https://www.youtube.com/watch?v=dZs7r_azQbs
とりあえず、無駄な論争をしているような時間は今の私の人生には残っていない。38歳を目前にしてそんなことも頭にちらついている今日このごろだ。
コメント
私がコメントをしていますが、
なぜか別のこのページで反論されていました。
ウェブサイトの管理人の特権と云ってしまえばそれまでですが、
あまりにもアンフェアではないかと感じました。
さて、あなたの書いた支離滅裂な文章に、
どこまでコメントすれば良いか些か困惑しています。
あなたが自由に文章を書くように、
私も気になるところや間違いを事実に即して自由にコメントしたいと思います。
>誰も興味が無いとは重々に承知しているが、(以下略)
素直に書けばいいと思いますよ。
>(1)ネットでコメントをする際の実名/匿名について
>うんこ野郎:そんなの関係ねえ。
うんこ野郎のコメントが間違っています。
論点がずれていたことに対して「指摘する必要はない」と書いているだけです。
実名や匿名の話題に私は言及していません。
>さっきも書いたが、コメントにどんな対応をしようとそれは「こちらの勝手」である。
>こちらの希望通りの反応がない限りはコメントを書き続ける、
>などというのはもはや倒錯しているとしか思えない。
その通りで、私が記事にどのようなコメントしようと、
それは「こちらの勝手」ではないでしょうか。
「コメントする上での注意事項」でもあれば別ですが、
そういうものもありませんでした。(ありましたらご指摘ください)
そもそも「模範解答」的な内容のコメントでも期待されているのでしょうか。
>ましてや「どうして貴方はそんな対応をしたんですか?その真意を知りたいです。
>ちゃんと答えてください」などとさらに書き込みをして迫ろうものなら、
>通報されることだってあり得る昨今である。
「通報される」とは穏やかではありませんが、
そういった事例やニュースがあるようでしたら出典元をお示しください。
ちなみに私は「ちゃんと答えてください」とは書いていません。
ミスリードはやめてください。きちんと事実に即して書いてください。
>「先行きの無い業界にいる会社なんだからもう潰れても良いのに、どうしてまだ存続してるのかなあ」
>というような疑問というか不満というかそういう屈折した思いはある。
>それが先方が知りたがっている「動機」とか「背景」に近いものかもしれないが、
>そんなことを敢えて日記に記すつもりもない。
日記に記していただき、ありがとうございます。
私が気になっていたことが解消されました。
>しかも、匿名で、である。「名無しさん」に対して誠心誠意に応じるというのは、
>はっきり言って馬鹿げている。
「名無しさん」とは書いていません。「YUI」と名乗っています。
カギカッコの重要性は理解されていると思いますが、
事実に即して使用してください。
>せっかく批判をされるのならば、誹謗中傷ではなく、自分の考えが深まるような批判を受けてみたい。
(中略)
>しかし、大抵の場合は「バカ」だの「死ね」だの「くさい」だのといった内容なので、
>それゆえ「うんこ食ってろ」と対応するわけである。
私の方が誹謗中傷されているような気がします。
私は「バカ」だの「死ね」だの「くさい」だのと書いた事実はありません。
「といった内容」でお茶を濁していますが、
誤解を与える表現はやめてください。
このウェブサイトによると、通報されることもあり得るそうなので。
(誰が通報するのかは存じませんが)
返信は以上です。
先ほども書きましたが、私が気になっていたことは解消できました。
私はこれで失礼しますが、また何かご指摘がありましたら、
事実に即してあらためてコメントいたします。