ロックじゃなくても別によかった(前編)ドラッグについて
2014年6月21日 日常某大物ミュージシャンが薬物所持で逮捕されてから、ドラッグについて考えてみた。
少し調べればわかることだが、ポピュラーミュージックとドラッグとの関係はとてつもなく深い。サイケデリック・ミュージックやテクノなどの音楽は薬物なくしては登場しなかったジャンルである。また、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(67年)とビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」(66年)はロックの歴史を語るときに1番目か2番目に挙げられるアルバムであるが、いずれもドラッグの影響下でできた作品と指摘されている。
そういえば、ビートルズのメンバーにマリファナを教えたのはボブ・ディランらしい。これは渋谷陽一氏の対談集「ロックは語れない」(86年。新潮文庫)で浜田省吾が語っていたことである(P.29)。
先日ルー・リードが亡くなった時に彼について検索したら、面白いページを見つけた。ルーの代表曲”Perfct Day”を紹介しているのだが、
「積む読!」
http://20100213.blogspot.jp/2010/03/perfect-day-lou-reed.html
<ビートルズ以後の洋楽の伝統として、歌詞は常にドラッグとの結びつきが暗示されている>
とまで書いている。
まさに「No Music,No Drug」といっても良いような歴史であるが、そういうものだからこそ私はロックやパンクといった音楽に興味を持つ一方で、ずーっと距離を縮められないまま現在まで至っているという気がする。
私自身は生まれてこのかた、麻薬や覚醒剤の類いにお世話になったことは一度もない。参考にいえば、タバコは「悪友に奨められて」31歳の時に1本を口に入れただけである。酒は、日常的に飲むようになったのは大学に入ってからだから、20歳前後か。
服用したことのない人間にとって、薬物というのは異様なものに感じる。酒やタバコと違って、しかるべき場所にいけば置いてあって買えるというものではないからだ。
「麻薬 ルート」で検索したら、このサイトが1番目に出てきた。
「朧月夜Hazy moon night」
日本の裏社会〜薬物ルートPart2
http://nipponngannbare.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-aea4.html
誰でもわかることだが、持っているだけで違法となるものなので、入手経路はこうした反社会的なところを通じてとなる。田舎生まれで、身近にヤクザな知り合いもなく、バーやクラブを練り歩く夜行性でもない私がドラッグに手を染めなかったのも当然の成り行きといえよう。
何事も経験したほうが良いという考えの方もいるだろうが、38歳を超えた年齢でこんなものに手を出す気にはならない。もし試すのであれば、合法になっているオランダで吸ってみるとかいうのがスマートな大人のあり方だろう。しかしそれ以前に、私ももう人生が半分は終わった身である。もはや若くもないしなるべく身体を大事にしたいと思うようになってきた。そういうこともあって、薬物に手を出すことはないだろう。
ところで、ドラッグと音楽の関係が当然のように語られる欧米と比べると、日本での薬物の位置づけはなんとも微妙な気がしてならない。「この作品はドラッグの影響下にあります」などと解説のついたCDも聞いたことがない。芸能界からは毎年のように薬物使用で逮捕者も出るわけだが、瞬間的には逮捕者を非難するコメントが出てきても、それ以上の動きに発展することもない。一人の逮捕がきっかけで大量の逮捕者が出る、などというのは週刊誌でありがちな書き方だが、そんな事例もなかったのではないか?と誰がか指摘していた。確かにそんな逮捕のされ方は私も記憶がない。
ともかく、ドラッグに対してはどこもかしこも及び腰な気がする。肝心なことには触れないようにしていると思えてならない。ただ、別に私はそれに対して非難をしたいわけではない。さきほど書いたようにドラッグとヤクザは切ってもきれないわけであり、下手なことを言ったら自分の身が危なくなるかもしれない。誰でも命は大事にしたいだろう。
終生カタギの立場でいるであろう私にはドラッグについて深く知ることもないし、またロック=ドラッグというのであればロックの神髄に触れることもないまま一生を終えることになるのだろう。それは一向に構わないが、芸能界はカタギの世界ではないんだなあとなんとなく感じてしまう。
少し調べればわかることだが、ポピュラーミュージックとドラッグとの関係はとてつもなく深い。サイケデリック・ミュージックやテクノなどの音楽は薬物なくしては登場しなかったジャンルである。また、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(67年)とビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」(66年)はロックの歴史を語るときに1番目か2番目に挙げられるアルバムであるが、いずれもドラッグの影響下でできた作品と指摘されている。
そういえば、ビートルズのメンバーにマリファナを教えたのはボブ・ディランらしい。これは渋谷陽一氏の対談集「ロックは語れない」(86年。新潮文庫)で浜田省吾が語っていたことである(P.29)。
先日ルー・リードが亡くなった時に彼について検索したら、面白いページを見つけた。ルーの代表曲”Perfct Day”を紹介しているのだが、
「積む読!」
http://20100213.blogspot.jp/2010/03/perfect-day-lou-reed.html
<ビートルズ以後の洋楽の伝統として、歌詞は常にドラッグとの結びつきが暗示されている>
とまで書いている。
まさに「No Music,No Drug」といっても良いような歴史であるが、そういうものだからこそ私はロックやパンクといった音楽に興味を持つ一方で、ずーっと距離を縮められないまま現在まで至っているという気がする。
私自身は生まれてこのかた、麻薬や覚醒剤の類いにお世話になったことは一度もない。参考にいえば、タバコは「悪友に奨められて」31歳の時に1本を口に入れただけである。酒は、日常的に飲むようになったのは大学に入ってからだから、20歳前後か。
服用したことのない人間にとって、薬物というのは異様なものに感じる。酒やタバコと違って、しかるべき場所にいけば置いてあって買えるというものではないからだ。
「麻薬 ルート」で検索したら、このサイトが1番目に出てきた。
「朧月夜Hazy moon night」
日本の裏社会〜薬物ルートPart2
http://nipponngannbare.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-aea4.html
誰でもわかることだが、持っているだけで違法となるものなので、入手経路はこうした反社会的なところを通じてとなる。田舎生まれで、身近にヤクザな知り合いもなく、バーやクラブを練り歩く夜行性でもない私がドラッグに手を染めなかったのも当然の成り行きといえよう。
何事も経験したほうが良いという考えの方もいるだろうが、38歳を超えた年齢でこんなものに手を出す気にはならない。もし試すのであれば、合法になっているオランダで吸ってみるとかいうのがスマートな大人のあり方だろう。しかしそれ以前に、私ももう人生が半分は終わった身である。もはや若くもないしなるべく身体を大事にしたいと思うようになってきた。そういうこともあって、薬物に手を出すことはないだろう。
ところで、ドラッグと音楽の関係が当然のように語られる欧米と比べると、日本での薬物の位置づけはなんとも微妙な気がしてならない。「この作品はドラッグの影響下にあります」などと解説のついたCDも聞いたことがない。芸能界からは毎年のように薬物使用で逮捕者も出るわけだが、瞬間的には逮捕者を非難するコメントが出てきても、それ以上の動きに発展することもない。一人の逮捕がきっかけで大量の逮捕者が出る、などというのは週刊誌でありがちな書き方だが、そんな事例もなかったのではないか?と誰がか指摘していた。確かにそんな逮捕のされ方は私も記憶がない。
ともかく、ドラッグに対してはどこもかしこも及び腰な気がする。肝心なことには触れないようにしていると思えてならない。ただ、別に私はそれに対して非難をしたいわけではない。さきほど書いたようにドラッグとヤクザは切ってもきれないわけであり、下手なことを言ったら自分の身が危なくなるかもしれない。誰でも命は大事にしたいだろう。
終生カタギの立場でいるであろう私にはドラッグについて深く知ることもないし、またロック=ドラッグというのであればロックの神髄に触れることもないまま一生を終えることになるのだろう。それは一向に構わないが、芸能界はカタギの世界ではないんだなあとなんとなく感じてしまう。
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