今日は朝から空は曇っていた。降水確率は午後から80パーセントと高いため、自転車を断念して傘を持って地下鉄まで向かった。駅に着くころには小雨が降り始めていた。

「帰りはバスになるな・・・。雨の日にバスへ乗るのは嫌だなあ」

そう思いながら勤務先に着いた。それだけの一日で終わるはずだった。

だが、ある人のきっかけで大きく変わることになる。

いつものように9時半から作業をしていたら、

「おはようございます」

と数ヶ月ぶりに見る顔がそこにあった。それはいつの間にか会社から姿を消していた営業社員のA氏だった。

しかし私は特別驚くことはなかった。先週の終わりに職場のボスから、

「渡部くん、A君は知ってるか?」

と仕事中に訊かれたからだ。その時はなぜそんな質問をされたのか理解できなかった。

「ついに辞めたのかなあ」

と思ったのだが、事実はその逆だったようである。

勘の鋭い方ならこの辺りでだいたいのことは予測できたかもしれない。ちゃんと説明すれば、営業社員のA氏は「病気」を理由に休職していた人である。そしてこのたび復職したわけだが、営業ではなく私がいる内勤部門での復帰となったようだ。

我ながら歯切れの悪い書き方をしているが、それについても理由がある。

A氏について、私は会社およびボスから具体的な説明は一切もらっていないのだ。さきほど書いたことは、私が職場でボスと誰かの会話を盗み聞きした内容をもとに推測も入れながらのものである。だから、本当のことは若干異なる部分もあるかもしれない。

今朝にしてみても、ボスから彼についての説明は一切なかった。私は部外者の派遣社員とはいえ同じ職場で作業するわけである。耳打ち程度でも彼について伝えるべきではないだろうか。

しかし一番イヤだったのはA氏とすれ違った時に、

「よろしく頼むわ。(俺は)新米やし」

と言われたことだった。これには蚊も殺さないような顔をした私でもかなりカチンときた次第である。

「新米って何よ?あんたここの会社の人間で、待遇も正社員で経験もこっちより上でしょ?時給労働の派遣社員を相手に何を甘ったれた無責任なことをほざいてんだよ!うんこ食ってろ!」

などと、はらわたが煮えくり返ってしまったのだ。

そして、かつての勤務先の同じ職場で働いたこともある「自称病気」の人が脳裏に浮かんだ。

いま私が「自称病気」などという表記を使っていることについて違和感を持った方もいるかもしれない。こいつは心の病に対して理解について全くないけしからん奴だと思った人がいてもおかしくないだろう。

確かに私は(大学で心理学を専攻していたくせに)精神病などの知識は基本的に無い。ただ、心に病のある人の希望に応える形に環境を設定して復職させるというようなやり方には全く反対である。その点では「理解がない」と思っていただいて結構だ。

だいたい「自称病気」の人に対して「ああこの人は病気なんだな」と確信できる人などそれほどいるのだろうか。

大半の人は、

「あの人はやる気がなさそう」

とか

「あの人はちっとも仕事をしない」

という印象以上のものを感じないだろう。骨折や感染症などといった病気とは全く異なる性質のものだから当然ではある。だから「私は病気なんです」と言われても簡単に納得はできない。「はあ、そうですか。大変ですね」と適当に相づちを打つしかないだろう。私が「自称病気」と書いたのはその辺のことを表現したかったまでである。

では、かつて一緒に仕事をしたことのある「自称病気」のB氏について触れてみたい。彼の姿がA氏とあまりにオーバーラップしてしまったからだ。

私がかつての職場(新聞社の子会社)へ入社して、企画事業局という事業(イベント)に関する部門に配属された。その時にB氏も企画事業局に配属していた。彼の待遇は本社(新聞社)の社員であり、子会社に出向という立場である。

このあたりの経緯は複雑だが、簡単に要約すると私たち子会社の社員に仕事を引き継ぎができたら本社社員は別の部署へ異動するという労使間(会社と労働組合との間)の約束があったのである。そういうわけで、それから3ヶ月後だったろうか、B氏は企画事業局を去ることとなる。彼が次に行った先は広告局、つまり新聞広告の営業部門である。

B氏にとってそれは不本意な異動だったようで、企画事業局に戻りたい、と何かある度に愚痴をこぼしていたようである。そしてそれから3年ほど経ち、私の職場からは管理職を除き本社社員はいなくなった。これで区切りがついたと会社が考えたためか、しばらく経った異動の時期に、事業を離れた本社社員をまた事業に戻すという人事を発令したのである。

この人事がパンドラの箱となってしまった。

これを知ったB氏は「俺も事業に戻してくれ!」と激しく主張するようになったである。ほどなくして彼の姿は会社から見えなくなる。何かに理由をつけて休職したのだろう。そしてどれほど過ぎた頃だろうか、人事異動などない2月の時期にいきなり彼が滋賀の事業部門へと戻ってきたのである。そしてその次の人事異動の時期には京都の事業局へ戻り、晴れて私と同じ職場の人間となったのである・・・。

面白い共通項だが、この一連の流れについても私は職場の上司から一切の説明は無かった。事情が事情とはいえ、非公式でも部下に周知をして協力をうながすなどの処置をとるべきだったのではないか。それゆえB氏のことについても私が聞いた情報や記憶を編集しただけのことである。

大前提の話になるが、何も説明できない人事異動について納得などできない。組織の原理原則は徹底してほしいというのが私の考えである。

本当に納得がいかない話だったし、当時の事業局長と飲んだ時にB氏について切り出してみた。おそらく私は、こんな人事は覆らないんですか?というような質問をしたのだろう。すると返ってきた言葉は、産業医の言うことは社長でも反対できない、ということだった。産業医が、事業局に異動させないと快方に向かわない、などと言ったらそれに従うしかないというのである。

ここが私の一番の疑問なのだが、本人の言いなりになって希望の仕事をさせることによって病気が回復するなどということはあり得るのだろうか?

確かにその方が気持ちが楽になるかもしれない。しかしそれは、まだ治療法の確立できてなかった結核患者をサナトリウムに隔離して自然治癒を期待するようなやり方を連想してしまう。そもそも「健康」と「病気」との区別が困難な状態に対して具体的な対処法などあるはずがないのだ。

「あんなのが病気というなら、私も病気や!」

と吐き捨てた人もいたが、私も同感である。

さらに言わせてもらえば、

「病気病気と言うけれど、じゃあ五体満足になればバリバリ働くようになるのか?」

という疑問も常にあった。

少なくともB氏に関していえば、事業局に戻ってから水を得た魚のように働き出したという場面を確認することはなかった。彼について一番気になったのは、ある一つのイベントについてだけやたら熱を入れているという点だった。空いている時間があればそれに関する団体の事務所へ通って何時間も職場へ戻ってこない、ということもたびたびあった。

ある仕事について私は彼と一緒に行動しなければならない時もあったが、外に出てどこにいってるのかわからない状態も多く、彼に仕事を振ることはほとんどしなかった。具体的にいえば私が9割、彼にしてもらった作業は1割、そんなところだった。

そういう状況が続いていたので、少し嫌味のようなことを言ったら、

「渡部っち・・・それって、俺が仕事をしてないと言いたいわけぇ?」

などと、まさに働かない人間が口に出す常套句が出てきてガックリきたことも忘れられない。

彼が事業に戻ってきてからしばらく経った頃だろうか。あるイベントの時に、私の直属の上司がなにやらB氏についての話題をしていた。その時に聞いた内容が忘れられない。

「昔は別に病気のようなことはなかったんやけどなあ・・・。嫌いな仕事はしない奴やったけど」

組織人の立場で仕事を選り好みしていたという時点で、「あれはマズい奴だ」と上司は勘づくべきだったのではないだろうか。まあ、その程度の感覚しかなかったということだが。

仕事の内容などたいして関係が無い。もともと仕事をしない人間なのだ。

こういう情報が入ると、彼の「病気」の温床はずっと前から存在していたので
はないかと嫌でも思ってしまう。また、自分に合わない仕事があったら「こんなの私には無理ですわ」と言えばそれが通ってしまうような職場のあり方も拍車をかけていたのだろう。

ある時期にB氏がまとまった休みを取っていた時がある。噂を聞けば、沖縄に行ったというのだ。この辺も、それはちょっとなあ、と少なからず違和感を抱いた出来事だった。これは香山リカさんの『「私はうつ」と言いたがる人たち」(08年、PHP新書)にも似たようなことが書いていたが、自分は病気だ病気だと言っている立場の人が大っぴらにバカンスを楽しめるというのは何か整合性がともなっていない気がするのだ。人目を気にしていないというか、社会性が欠けているのだろう。

ここまできてもっと露骨なことを書かせてもらうが、

「僕は病気だし好きな仕事しかしたくないんけど、給料は満額欲しいし有休も消化したいです」

と彼が腹の中で思っているようでならなかったのだ。酷いことを言う奴だと憤る人もいるかもしれないが、いままでの事例を見てもらえばそう思っても仕方ないだろう。

私が彼に対して苦々しく思っていたもう一つの理由は、私が子会社の社員であり向こうは本社社員で立場の違いがあったことである。単に収入だけなら倍以上の差がついていた。「自称病気」という理由があるからといって、なぜもっと格下の立場の人間がその責任を負わなければならないのか?この場を借りて書くが、給料を多くもらってる人間が余計に働かないといけないのは当然である。しかし実際はコピペもできない人間が年収1000万をもらっていたというような、重篤なモラル・ハザードを引き起こす職場であった。

自分の希望の部署に戻り、好きなイベントだけやれる環境になりB氏は満足、かと端から見て思っていたら、ほどなくして「写真報道部に行きたい」と希望を出すようになったという話も聞いた。それについては現在のところ受け入れられていないようだが、B氏の仕事観もかなりデタラメなものだなと感じてしまう。

今回はかなり個人的な恨みつらみも書いてしまったが、具体的に事例を書いたほうが私の思うところも伝わりやすいと思いこういう手法を試してみた。

日本が右肩上がりの経済状態だった時は、仕事をしない社員をどう処遇するかという問題はあまり表面化しなかった。首を切る/切らないとかで問題を起こすくらいなら黙って賃金を払っていた方が良かったのだ。

しかし、今はもうそんな時代ではない。

「リストラ」と称した人員削減も経営手法の一つとして定着したし、若い人に目を向ければ就職もかつてに比べたら非常に厳しいものになっている。

端的にいえば、会社も社員も苦しくて余裕が無くなったのだ。そんな状況でB氏のような人たちに手を差し伸ばしてと言われても、私のような立場でそれは無理というものだ。実際の話、直属の上司に「あいつ病気やし、助けてやれや」などと頼まれたこともないのだから、何もしなくても問題ないはずだけどね。

そして今日の話に戻ればA氏も内勤の職場に移りたい、と休職する前に主張していたというのである。うわあ、どこかの誰かさんと同じ論理じゃねえの。

しかも、戻ってきた彼は不自然に顔が黒くなっているのが異様だ。まるで「丘サーファーで」ある。それを見た人が口々に、

「黒くなってますねえ」

と言い、ある人が、

「チャラ黒いよね(笑)」

とつぶやいたのが最高だった。チャラい感じのする黒さ、ということか。上手い!今年最高のフレーズだと思った。だが、彼が休職中をどう過ごしていたのかと思うと、また例の人と重なる気がしてくる。

明日以降の職場はどうなるのだろう。子会社の社員よりさらに格下の派遣社員の身になってからも、あの時のような思いを私はまた経験するのだろうか。そう考えると嫌な気持ちになって昼休みを過ごした。

そしてまた職場に戻ってくると、A氏の姿はなくなっていた。ボスの会話を聞いていたら、今日は初日だから2時間で終業となったそうである。会社も処遇に対して困ってるんだなあと同情する一方、こっちにも少しは情報を流せよとムッとしながら本日の業務を終えた次第である。

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