ふと、

「ジャクソン・ブラウンの情報が最近全くないけど、元気にしてるかなあ?」

と思ったのは10月に入るか入らないかの頃だった気がする。別に彼のことを忘れていたわけでもないし、パソコンやスマホでライブ・アルバムなどは時おり聴いてはいた。しかし積極的に情報を仕入れていたわけではなく、彼の動静が自分に入ってくるようなことはなかった。

そこでYouTubeを検索してみたら、2012年のライブが出てきた。

Jackson Browne - Farther On - Denver 2012 - Part 4
https://www.youtube.com/watch?v=fSnJdiUG1Ko

代表作である「Late For The Sky」(74年)に収録されている名曲だが、これを観た時には、

「声の力は弱ってるかなあ・・・」

という印象を受けてしまった。他人に対して老けただの禿げただの言うのは天に唾する行為とわかってはいるのだが、しばらく彼の姿を見てなかった身としてはそう感じずにはいられなかったのである。最後にライブを観たのは、調べてみると2010年3月8日、シェリル・クロウとのジョイント・ライブとなっている。

「あまり活動してないのかなあ、それとも体の調子が悪いのか・・・」

と勝手に思ってしまっていたので、

「2014年10月8日発売」

と、6年ぶりの新作「スタンディング・イン・ザ・ブリーチ」の発売情報が目に飛び込んだ時は本当に驚いた。そして間髪いれずにAmazonで購入手続きをしてしまった。今回のアルバムはいつもと違う内容になるのでは?とジャケットを見た時に直感が働いたからである。

前作「時の征者」(08年)や前々作「ネイキッド・ライド・ホーム」(02年)はジャクソンの写真がジャケットになっていたが、今回はガレキの中を歩く二人となっているのも不思議と強く印象に残った。これはアルバム解説に書いてあるが、2010年にハイチで起きた大地震の直後の現場である。

ジャクソンが政治的な内容の曲を作ったり慈善目的のイベントに参加するようになったのは1980年代に入ってからだろうか。

あるファンの方が「ライヴズ・イン・ザ・バランス」(86年)について書いた文章の中で、

http://www009.upp.so-net.ne.jp/wcr/lives_in_the_balance.html

<このアルバムを聴くと「恋愛について歌う時のジャクソンはあんなにも深い歌詞が書けるのに、政治について歌う時の彼はどうしてこんなに単純になってしまうのだろう」と複雑な気分になってしまうというのも、私の正直な感想です。>

と評しているが、私自身は彼の歌詞などわからないのだけど、80年代以降の彼の作品が以前とは変わってしまったという印象は同じである。政治的な内容が盛り込まれていく一方、彼が持っていた作品の瑞々しさのようなものが薄れていったような気がしてならない。

思い起こせば80年代というのは音楽に関わる大きなチャリティ・イベントがさかんに開催された時代である。もっとも有名なのは、かの「ウィ・アー・ザ・ワールド」だろう。芸術は飢えた子どもに対して何ができるか?というような命題は昔からあったようだが、ジャクソン自身も反原発とかアパルトヘイト反対などのイベントにも積極的に参加しその姿勢は今も変わっていない。

なぜミュージシャンや芸術家がそのような運動に駆り立てられるのかは私には正直あまりピンとこないのだけど、ライブなどで世界中を回っていると色々と見えることもあるのかなあという気はする。

ただ、私としてはあまりこうした運動に積極的に賛同する気にはどうにもなれない。これは機会があったらまたどこかで書こうと思っているが、地球温暖化とか少子高齢化といった大きな問題が人間ごときの力でどうにかなるとは思えないのである。少なくとも凡人以下の私が解決できるレベルではないと認識している。

だからといって、別にジャクソンを非難しているわけでない。彼は現在でもホール規模の会場は満席にするほど日本でも人気があるミュージシャンである。しかし、それは彼が社会派だからとかいった理由からではない。山下達郎が自身のラジオ番組でジャクソンの特集をしたとき、ジャクソンのライブには海外ミュージシャンに見られる「手抜き」のようなものが見られない、と解説してくれた。それが彼に興味を持つきっかけとなった。これまで彼のライブは5回観ているけれど、いずれも素晴らしい内容だった。私たちがジャクソンを本当に好きなのは、ミュージシャンとしての彼の誠実さにあると確信している。それが言いたかったまでのことだ。

五十嵐正さんのアルバム解説によれば、アルバムに入っている10曲(日本盤はボーナス・トラックが1曲追加されている)のうち6曲は既にどこかで発表されているものだという。作った時期もバラバラで、1曲目の”ザ・バーズ・オブ・セント・マークス”はなんと彼が18歳の時に書いたものである。他にウディ・ガスリー(ボブ・ディランなどに多大な影響を与えたアメリカのフォーク・ミュージシャン)の曲を再編したもの、キューバのカルロス・ヴァレーラの曲に英詞をつけたものなど、楽曲だけを見れば全く統一性は無いといえる。

最初に聴いた時は、最近のアルバムの中でもひときわガサガサした音質だなあと感じた。そしてジャクソンの歌声も、近年のライブを観た時と同様に、力も落ちているなあと思ってしまった。それが第一印象である。楽曲もどちらかといえば淡々としている気がするし、演奏もグングン引っ張ってるようなものでもない。

こういう機会だから書くけれど、よほど熱心なファンを除いてこの25年ほどのジャクソンの作品をちゃんと聴いた人は多くないのではないだろうか。私もそんな聴き手であり、本作も残念ながらそれに連なる内容と一瞬は思ったのである。

しかし、何度かアルバムをかけているうちにそんな第一印象はどんどん変化していった。アルバムを出した直後に66歳を迎えたジャクソンの歌声は、確かに表面的な力強さは無いだろう。2曲目は”Yeah Yeah”という曲で、実際に何度もイエーイエーと歌われるのだが、初期のビートルズのような若者の持つ軽快さは求めるべくもない。が、そんなところとは全く別の次元で彼の歌声に力があることがほどなくして気付いたのである。60代の後半にさしかかったのに、まだ創作に向かう生命力というのだろうか。正直いえば本当のところはよくわからないのだけど、近年の彼にはない魅力を本作に見出してしまったのである。

そうなると、ザラついた音質についても大人しめな演奏についても、彼の歌声をうまく引き立たせているように感じられるようになった。むやみに力んだり若作りするような真似をせず、現在のあるがままのジャクソン・ブラウンをうまく録音したことが本作の成功要因かもしれない。

結果として、今でもずっとアルバムを聴き続けている。最初から最後まで通して聴くこともあれば適当に曲を選ぶことあるけれど、飽きるというのような状態が自分には訪れない。Facebookでこのアルバムを載せた時には「米の飯のような」などとアホくさい表現をしてみたが、音楽を聴いても全く飽きも疲れもしないというような経験は自分の中ではちょっと思いつかない。

本作はニック・ロウの「ザ・コンヴィンサー」(01年)やブルース・スプリングスティーンの「マジック」(07年)などに並び、21世紀に出たアルバムの中では自分にとって最重要な1枚となるだろう。

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