eastern youth「ボトムオブザワールド」(15年)
2015年3月29日 CD評など
Yahoo!のニュースで、eastern youthのベースが脱退、という文字を見たのは2月の前半くらいだったか。Yahoo!のトップに載るほどに知られているバンドだったか?という違和感とともに、「解散」とか「活動休止」ではなく、今回出るアルバムにともなうツアーをもって二宮友和が抜けるというその内容にも少なからず驚かされた。
ギターとヴォーカルの担当である吉野寿は以前どこかのインタビューで、メンバーの誰かが抜けたらどうしますか?という質問に対して「即解散」と答えていたのを思い出した。いまのところバンドからは明確に声明は出ていないものの、ツアーの最後である札幌公演が終わった時点で正式な発表があるのではないだろうか。
本音をいえば、彼らが解散するとしても意外性は何も感じないしショックも大きくはない。作品を出し続けるという点から考えればバンドはもう頭打ちという思いが以前からあったからだ。個人的に彼らのアルバムをちゃんと聴いていたのは「DON QUIJOTE」(04年)あたりまでだったかと思う。それ以後の作品や楽曲についての記憶は、一応ライブの前には常に予習して聴いてはいたのだが、ほとんど残っていない。
そもそも私はeastern youthの世界観が心の底から好きなのかどうかはだいぶ怪しいところがある。吉野の歌詞における言葉の使い方、またはアルバムのデザインなども自分の好みに合っているわけでもない。例えば“踵鳴る”というような名前の曲を自ら進んで聴くことはないだろう。何か自分の感覚とは違う気がするからだ。
私が彼らに惹かれたのは3人の出す音であり、ライブだった。偶然CDショップで視聴した「感受性応答セヨ」(01年)の冒頭である“夜明けの唄”のイントロに何か直感するものがあり、そしてそれが全てだったような気がする。初めてライブを体験したのは翌年の南アメリカ村BIG CATである。観たくて観たくて仕方ない気持ちで臨んだライブだったが、そんな私の期待を十二分に応えてくれた素晴らしい内容だったことを今でも覚えている。
以後も新作が出ればいつも買っていて、ツアーがあれば大阪もしくは京都の公演は足を運んでいた。CDもライブにも金を出し続けていたのだから、彼らの理解者はいえないまでもそんなに悪い客でもなかっただろう。
「アルバムもたいして気に入ってもいないのに、どうしてライブに行き続けたんだ?」
と疑問を抱く方がいるかもしれない。確かに表面的な作風は私の好みに合致はしなかった昨今であるが、バンドとしての彼らの音は別に錆びついていないとわかっていたからである。実際、ライブで観られる彼らはいつも変わらず素晴らしかった。
それゆえ今回の「ボトムオブザワールド」についても、この3人で最後の作品とはいえ、アルバム自体には特に大きな期待はしなかった。最後だからといって何か劇的な変化があるとも思えなかったからだ。いや、そもそも私は彼らに対して大きな変化というものを望んですらいなかったのだろう。
1曲目の“街の底”はヒップホップっぽい歌い方で始まる。おそらく今までにはなかったアプローチだろうが「あんまり似合っていないなあ」というのが最初の印象だった。しかしサビに入り3人の音がバーンと出て吉野が絶叫した瞬間に、その思いは一変してしまった。
eastern youth「街の底」ミュージックビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=7ilUtaTAMxI
「これは・・・俺がいつもライブで求めているeastern youthだ!」
23年間一緒にやってきた3人が、最後の最後にきてとんでもない作品を作ってしまったのである。その底力には本当に感動してしまった。
試しに「感受性応答セヨ」を聴き返してみが、今回の音はそれにも負けていない。細かい作風について好みがあるかもしれないが、バンドの出す音としては「最高傑作」といいたい(こういう言葉は本来軽々しく使ってはいけないのだが、もうこういうことを書く機会も無いのだからそう結論づけさせてほしい)。
1点触れておきたいことがある。アルバムが発売されたころ、「TVブロス」誌の音楽レビュー欄で本作が触れられていた。そこに、経済的な理由で活動を止めようとしたこともあった、ということが書かれていたのが衝撃だった。ミュージシャンの台所事情など私には想像のつかない世界なのだが、どんなに続けたくても現実的なお金のやりくりができなくなるという事態も当然出てくるのだと今更ながらに知ることとなった。
本作に“ナニクソ節”という曲がある。
そこに、
<涙が出そうだ だけど泣きたくねえ
ぶっ倒れそうだ だけど負けたくねえ>
という一節がある。文字に起こしてみるとあまりに陳腐でお世辞にも恰好いいとはいえないけれど、3人がどんな思いでスタジオに入りこの曲を録音したのかと想像してみると、本当に胸がいっぱいになってくる。
彼らのレーベルである「裸足の音楽社」に、
<今年6月までのツアーをもって脱退することにしました。
新作「ボトムオブザワールド」を作り終えて、自分がeastern youthでできることは全てやりきった、
と実感したことが理由です。92年より23年やってきましたがとても充実した時間でした。
苦楽を共にしたメンバー、スタッフ、そして聴いてくださった皆様に心から感謝しています。
ありがとうございました。>
という二宮のコメントが載っているが、本作を聴けば「全てやりきった」というのは本当に納得している。
おそらく今回のツアーでも、いつも通り新作から大半とそれ以外を数曲という流れになるだろう。しかしこれだけのアルバムを作ったのだから、絶対に素晴らしい内容になるのは間違いない。それが「有終の美」となってしまうのだから単純に喜べない部分もあるけれど、最高のライブを観られることを楽しみに京都公演と大阪公演を待ちたい。
ギターとヴォーカルの担当である吉野寿は以前どこかのインタビューで、メンバーの誰かが抜けたらどうしますか?という質問に対して「即解散」と答えていたのを思い出した。いまのところバンドからは明確に声明は出ていないものの、ツアーの最後である札幌公演が終わった時点で正式な発表があるのではないだろうか。
本音をいえば、彼らが解散するとしても意外性は何も感じないしショックも大きくはない。作品を出し続けるという点から考えればバンドはもう頭打ちという思いが以前からあったからだ。個人的に彼らのアルバムをちゃんと聴いていたのは「DON QUIJOTE」(04年)あたりまでだったかと思う。それ以後の作品や楽曲についての記憶は、一応ライブの前には常に予習して聴いてはいたのだが、ほとんど残っていない。
そもそも私はeastern youthの世界観が心の底から好きなのかどうかはだいぶ怪しいところがある。吉野の歌詞における言葉の使い方、またはアルバムのデザインなども自分の好みに合っているわけでもない。例えば“踵鳴る”というような名前の曲を自ら進んで聴くことはないだろう。何か自分の感覚とは違う気がするからだ。
私が彼らに惹かれたのは3人の出す音であり、ライブだった。偶然CDショップで視聴した「感受性応答セヨ」(01年)の冒頭である“夜明けの唄”のイントロに何か直感するものがあり、そしてそれが全てだったような気がする。初めてライブを体験したのは翌年の南アメリカ村BIG CATである。観たくて観たくて仕方ない気持ちで臨んだライブだったが、そんな私の期待を十二分に応えてくれた素晴らしい内容だったことを今でも覚えている。
以後も新作が出ればいつも買っていて、ツアーがあれば大阪もしくは京都の公演は足を運んでいた。CDもライブにも金を出し続けていたのだから、彼らの理解者はいえないまでもそんなに悪い客でもなかっただろう。
「アルバムもたいして気に入ってもいないのに、どうしてライブに行き続けたんだ?」
と疑問を抱く方がいるかもしれない。確かに表面的な作風は私の好みに合致はしなかった昨今であるが、バンドとしての彼らの音は別に錆びついていないとわかっていたからである。実際、ライブで観られる彼らはいつも変わらず素晴らしかった。
それゆえ今回の「ボトムオブザワールド」についても、この3人で最後の作品とはいえ、アルバム自体には特に大きな期待はしなかった。最後だからといって何か劇的な変化があるとも思えなかったからだ。いや、そもそも私は彼らに対して大きな変化というものを望んですらいなかったのだろう。
1曲目の“街の底”はヒップホップっぽい歌い方で始まる。おそらく今までにはなかったアプローチだろうが「あんまり似合っていないなあ」というのが最初の印象だった。しかしサビに入り3人の音がバーンと出て吉野が絶叫した瞬間に、その思いは一変してしまった。
eastern youth「街の底」ミュージックビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=7ilUtaTAMxI
「これは・・・俺がいつもライブで求めているeastern youthだ!」
23年間一緒にやってきた3人が、最後の最後にきてとんでもない作品を作ってしまったのである。その底力には本当に感動してしまった。
試しに「感受性応答セヨ」を聴き返してみが、今回の音はそれにも負けていない。細かい作風について好みがあるかもしれないが、バンドの出す音としては「最高傑作」といいたい(こういう言葉は本来軽々しく使ってはいけないのだが、もうこういうことを書く機会も無いのだからそう結論づけさせてほしい)。
1点触れておきたいことがある。アルバムが発売されたころ、「TVブロス」誌の音楽レビュー欄で本作が触れられていた。そこに、経済的な理由で活動を止めようとしたこともあった、ということが書かれていたのが衝撃だった。ミュージシャンの台所事情など私には想像のつかない世界なのだが、どんなに続けたくても現実的なお金のやりくりができなくなるという事態も当然出てくるのだと今更ながらに知ることとなった。
本作に“ナニクソ節”という曲がある。
そこに、
<涙が出そうだ だけど泣きたくねえ
ぶっ倒れそうだ だけど負けたくねえ>
という一節がある。文字に起こしてみるとあまりに陳腐でお世辞にも恰好いいとはいえないけれど、3人がどんな思いでスタジオに入りこの曲を録音したのかと想像してみると、本当に胸がいっぱいになってくる。
彼らのレーベルである「裸足の音楽社」に、
<今年6月までのツアーをもって脱退することにしました。
新作「ボトムオブザワールド」を作り終えて、自分がeastern youthでできることは全てやりきった、
と実感したことが理由です。92年より23年やってきましたがとても充実した時間でした。
苦楽を共にしたメンバー、スタッフ、そして聴いてくださった皆様に心から感謝しています。
ありがとうございました。>
という二宮のコメントが載っているが、本作を聴けば「全てやりきった」というのは本当に納得している。
おそらく今回のツアーでも、いつも通り新作から大半とそれ以外を数曲という流れになるだろう。しかしこれだけのアルバムを作ったのだから、絶対に素晴らしい内容になるのは間違いない。それが「有終の美」となってしまうのだから単純に喜べない部分もあるけれど、最高のライブを観られることを楽しみに京都公演と大阪公演を待ちたい。
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