今週は仕事に関わることで少々うっとうしい出来事があった。派遣先のボスから、「今期のミッション」なるものを書いて提出してくれと言われたのだ。ミッションとは要するに仕事の業績目標のことである。今の場所に派遣されて最初の4月にも同じことを言われたが、今回は前回の自己評価もあわせて提出というおまけつきである。

前回も今回も、私が最初に感じたのは、

「なぜ派遣社員の俺が?」

というものである。もちろん社員の人たちはこれによって給料の増減などが起きるのだが、時給労働の立場にそのような影響は発生しない(そういう説明も受けていない)。もっといえば非生産部門で働く人に業績目標を課すこと自体がまったく生産的でないし、他国にあわせてこの国も「同一労働、同一賃金」の原則を進めるべきだと思っているが、こんなものを課す輩がそこまでのレベルで給料や賃金について考えてもいないだろう。

こういうことを思い付く人はおそらく、「仕事をしているふり」をしているのだと思う。少し考えれば派遣社員に業績目標など書かせるなど無意味で無駄な行為なのはすぐわかる。

しかし、

「いや、いま社内では派遣社員の比率も増えている。彼らも正社員と同じレベルで問題意識を持って仕事を取り組むべきだ」

という感じで、正論を吐いていると勘違いしているのだろう。さきほど述べたようにこんなものはもっと高い視点で見れば全く破綻した論理である。また、こういうことを思いつく人は自分の仕事ぶりに酔っていることもあるので救いがないのだが、それに巻き込まれる方はたまったものではない。多くの人が無駄な時間を消費するうえに、誰も得する人はいないのである。

「仕事をしているふり」といえば、かつての職場をまた思い出した。

私がいた会社で最後に配属したのは、新聞広告の営業部門だった。

「新聞広告なんて今の時代、誰が載せるんだ?効果のほどは怪しいし、だいたい新聞を読む人などどれほどいるんだ?金をドブに捨てる行為だろう」

と腹の底から思っていた自分がそこに入ったのだから、この時点で私の運命は決まっていたのかもしれない。

しかしそんなことを知る由もない上司の部次長が、広告の企画を作って提出せよ、と命令を出してきたのである。新聞紙面の小さい枠を1回載せただけで10万円とかそこらを支払う人間の顔など私の頭では想像もつかなった。いきおい、企画など一つも浮かばない。

こいつは何もできないと部次長は感じたのか、

「あんたは(以前の部署で)今まで展覧会に関わっていたから、そうした企画を作ったらいいんちゃう?」

と持ち出してきたのである。

その瞬間に、

「お前は、あ・ほ・か」

と言いたくなった。

まず大前提の話だが、展覧会は金にならない。全国の美術館や博物館で黒字経営をしているところなど、大阪城など数えるほどしかないのだ。そんな業界のどこから広告費を引っ張りだせというのやら。

しかし、部次長に言われるままに企画書を作って会議に出したら、なんと了承されてしまったのである。営業の上から下まで、展覧会を取り巻く経済状況を一つも把握してないのである。ここはバカばかりだな、といまさらながらに再確認してしまった。

当の部次長にしても、

「俺がきっちり企画を立てたから、上司から許可されたんや」

と自慢げに語っていたことも忘れられない。こういう自分に酔っている人は、もうダメだと思う。

そしてそこからが悲惨だった。企画が通ったからには広告の営業をかけなければならない。新聞社は基本的に広告代理店を通じて広告のやり取りをするのだが、なぜか今回は飛び込み営業もさせられたのだ。

「こんな企画、誰が買うの・・・」

会社を出て、例えば美術館周辺の店などを回ってみるが、そんなところが新聞広告を載せる予算などあるはずがない。数件回った時点で、もうあきらめることにした。

ミッションにしてもそうだが、私は「100%無理」と思ったことは、もう絶対にやりたくないのである。もう頭が1秒も動かなくなってしまうのだ。それが度を過ぎてしまえば、もうその組織から出ていくことにも抵抗がなくなるくらいである。

「ここにハズレばかりの宝くじが10枚あります。さあ、これを買ってください!」

と言われるような心境になってくる。ハズレとわかっているくじを誰が買うだろうか。

そうして月日が経ち、企画の締切が近づいてくると、

「セールスはどうなってるんや!」

と部次長がわめき始めてきたのである。

「こんなもの売れるか、ボケ」

と内心思っていたが、部次長がワーワー言うのは止まらない。

実は私は内心、この部次長を少しかいかぶっていた。企画段階であれだけ自信たっぷりだったのだから広告を埋める勝算があるのだろうと思っていたからだ。もしも彼の手腕によって広告が埋まり企画が成功していたら、私はこの人を一生尊敬していただろう。

しかし実際に彼がすることといえば、なぜ広告が集まらないんだ、とガーガー騒ぐだけであった。

このあたりで、

「ああこいつも『仕事をしているふり』をしてるんだな・・・」

とようやく気付いたのである。

彼としては、

「私はちゃんと現場を指導して企画をつくらせ、セールスをするよう必死に指示しました。できなかったのは、全て現場の責任です。私は悪くありません」

と上司に説明して切り抜ける腹積もりだったのだろう。しかし、こんなの行為はまったく「仕事」とは言わない。

そもそも新聞屋なんて宅配新聞の定期購読料で収入の大半は成り立っているのだから、それが揺らがない限りは社員ひとりひとりの業績など微々たる要素である。だから「仕事をしているふり」さえしていたらそれで充分なのだ。(思えば、社内全体がそんな人間ばかりの会社であった)。

結局、その広告紙面は掲載されたものの、展覧会と全く関係のないところに無理を言って出してもらった広告の集まりであり、売上も微々たるものだった。

そして、紙面が載った頃、私は会社の上司に辞意を表明した。

こういうことを書くと「こちらは生活のためにやっている」だの「組織で生きるのはそんな単純な話ではない」だのと言ってくる人が出てくると思われるので、あらかじめその辺りについて触れておく。

仕事をするふりをするかどうかというのは、突き詰めればその人のライフ・スタイルの問題であり、良い/悪いといった二元論で語るような話ではない。ただ、私自身はそうした生き方はしたくないし、そんなことをしてまで正社員でいるくらいならアルバイトの掛け持ちの方が気持ちよく仕事ができる人間なのだ。

また、とにかく自分の生き方を批判するなと、意地でも自分を正当化したがる救いのない人もいるかもしれない。それに対しては、最後にこれだけを書いておく。

組織にしがみつくことについて正当化する理由など、要らないはずだ。

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