Facebookのタイムラインに下のような「web R25」の記事が掲載されていた。

「日本語で言え!不快カタカナ語1位」
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20150704-00043495-r25

仕事で意味がよくわからないカタカナのビジネス用語を振り回されて、聞いた人間が「なんとなくイラッとする」という、まあ断続的に取り上げられる話題である。

意味のわからない言葉を投げかけられて「ムカつくぜ!」と感じる気持ちは私も同じようなものである。しかし、「日本語でしゃべれや!」などという感情的な反応に対しては「はあ、そうですね。ギリシャは大変ですね」といった社交辞令しか言葉が出てこない。カタカナ英語に対してその程度の反応しかできない人は「お里が知れる」と感じてしまうからだ。言葉に対してそれほど関心が大きくもないし、日常表現に気をつけてもいないだろう。

少なくとも現在のパソコンやビジネス用語の中に聞き慣れないカタカナ英語が入り混じってくるのは、これはもう仕方がない流れだ。どちらの分野もだいたい英語圏からやってくる言葉であるし、それを適切な日本語を探して翻訳するということは技術的に、というよりも時間的に不可能だろう。

明治維新の頃は福沢諭吉や森鴎外、そして夏目漱石といった知識人たちがその頭脳を使って欧米の文化の翻訳を試みた。例えば「Speech」という英語に「演説」という漢語をあてはめるように。そのおかげで日本の近代化が一挙に進んだわけだが、それでも中国という「外国」から「漢字」という「外来語」を引っぱりだしてきたのだから「純粋な日本語」(おかしな表現だが、便宜的に使わせてもらった)に置き換えたわけではない。

私たちは日頃ほとんど意識していないが、現在の日本語というのは大きく分けて3つのものが含まれている。中国からきた「漢語」、それ以外の外国語からの「外来語」、そして漢語が入る前から存在した「やまとことば」である。それら三者がせめぎあっているのが日本語の現状である。

井上ひさしさんは、日本語は世界でも表記するのが最も難しい言語、というようなことを指摘されていたことがある。確かに漢字だけの表記にすれば真っ黒で読みづらくなり、ひらがなだけで書いても読みにくい。アルファベットばかりの文章、というのは説明不要だろう。その理由は3つの言葉をうまく分かち書きしなければならないからに違いない。

要するに、カタカナ英語(外来語)「だけ」を問題にしても、日本語表記の向上にたいして貢献はしないということだ。

個人的にカタカナ英語に対しては、外来語といってもカタカナにしてしまえばまあ日本語になったわけだし使いたい人間は使ったら?という立場である。

もしもそれに対して不満のあるという方については、

「そうですか。では、日本語に流れてくる外来語に対してあなたはどんな対応をとるんですか?」

と訊ねてみたい。おそらく、ろくに返答もできないはずである。少なくとも私は、カタカナ英語を使わずにパソコンやビジネスについて話すことは不可能という自覚はある。なるべくそんなものを使う状況にはなりたくはないが。

そんな瑣末なことにイライラしてる暇があったら、自分の日頃の表現に注意したほうがずっと生産的だ。

なんでもかんでも「ムカつくぜ!」とか「上から目線だ!」といった一言で表現を済ませてしまう方がよっぽど頭の中が深刻な状態になっていると思うのだが、いかがなものだろうか。

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