3月といえば年度の終わりであり、会社や団体にも人事異動など人の移り変わりが激しい季節だ。私が今いる派遣先でも、個人的には大きな出来事があった。
職場のボスがこのたび定年となり、定年延長を選ばなずそのまま退職するのである。
ボスについてはかつて日記で触れたことがあるが、彼に対する思いはなかなか複雑なものがある。意味不明な状況にブチ切れ周囲の人を怒鳴り散らす姿は、横で見ていて本当にヤバかった。
職場のボスは「電波」の人(2015年05月31日)
http://30771.diarynote.jp/201505310130145606/
ただ、去年の夏頃に起きたある出来事からピタッとそのような行動は収まった。おかげでこの9か月くらいは比較的平穏に働くことができた。
かつてのボスの仕事ぶりについても、あまり良い噂を聞いたことがない。入社しても間もない時は営業をしていたそうだが、商談をしている最中に「私は5時で帰らなければならないので・・・」と言って打ち切ってしまったこともあるらしい。そんな人が行き着いたのが、商品の入出荷を受け持つ職場だった。勤続38年のうち大半をそこに従事したという。
とにかく奇行で知られる人で、社内にも仲の良い人もいない様子だった。また、これはかつて日記も書いたが、部署内ではボスがいなくなることについては歓迎ムード一色である。
ただ、私が派遣社員という部外者だからかもしれないが「そんな単純に喜べないのでは?」という思いも強い。少なくともボスはそれなりに部署の仕事を一身に背負い働いている部分が確かにあったからだ。かつていた職場で上司が消えたり変わったりしても何の感慨もわかなかった。なぜならば、彼らは息をしているだけで「仕事」といえるようなことなど一切してこなかったからだ。そんな連中がいようがいまいがどうでも良いに決まっている。
商品の発送というものは職場の手違い以外でも遅れることはよくある。それで営業社員から怒りの電話がくるわけだが、別に自分の責任でもないことに対しても、
「すいません。すいません。えらい、すいません・・・」
とひたすら謝るばかりで絶対に反論しないのだ。これが例えばかつての上司だったら、
「俺がやったんじゃない。俺が決めたんじゃない。運送屋がやりよったんや!」
と開きなおるところだろう。
また、ボスの帰りはいつも遅かった。平日は必ず最低8時ごろまでは残っていたという。そんな生活を長年続けていたと考えると、なんだか気の毒に思えてくるし、一個人にそんな業務をずっと押し付けてきた組織の冷酷さも感じてしまうのである。
彼は彼で、もうこれ以上こんな遅くまで仕事するのは辛いから、というのが定年延長を蹴った大きな理由だと語っていた。それでも65歳までは働く意志はあるそうで、しばらく休んでから勉強などをして仕事を探したいという。まあ見つかればいいけど、果たしてどうなることやら・・・。
最後の勤務となる今日も、ボスは朝から普通に働いていた。年度末はいつも忙しい職場であるが、この日も変わらず荷物もあり部署の人間は日暮れまで休まず働いていた。その合間の5時半ごろに他の部署の方が、そして午後7時にはまた別の部署の人たちが総出で集まってボスに記念品を贈ってその労をねぎらう光景が見られた。
ある女性は涙を見せながら「やーん、Kさん(ボスのこと)辞めんといてー」と言っていたのは、ボスのヤバい側面を彼女は知らないからなのだろうなと複雑な気持ちになった。ちなみに、ボスの送別会のようなものは部署内では一切おこなわれなかった。本人が固辞している発言もあったらしいが、最初からそんな話も出てこなかったのは部下から彼がどう思われていたかを如実に示している。
片付けなどもあって、この日は私もしばらく片付けなどのため7時半ごろに終業となる。それでは僕も失礼しますとボスに言ったら、酒はともかくとしてラーメンとか塩分の多いものは減らした方がいい、というようセリフが返ってきた。最後の最後がそれですか・・・それはともかく、2年半ほどの付き合いでしたが、お世話になりました。
職場のボスがこのたび定年となり、定年延長を選ばなずそのまま退職するのである。
ボスについてはかつて日記で触れたことがあるが、彼に対する思いはなかなか複雑なものがある。意味不明な状況にブチ切れ周囲の人を怒鳴り散らす姿は、横で見ていて本当にヤバかった。
職場のボスは「電波」の人(2015年05月31日)
http://30771.diarynote.jp/201505310130145606/
ただ、去年の夏頃に起きたある出来事からピタッとそのような行動は収まった。おかげでこの9か月くらいは比較的平穏に働くことができた。
かつてのボスの仕事ぶりについても、あまり良い噂を聞いたことがない。入社しても間もない時は営業をしていたそうだが、商談をしている最中に「私は5時で帰らなければならないので・・・」と言って打ち切ってしまったこともあるらしい。そんな人が行き着いたのが、商品の入出荷を受け持つ職場だった。勤続38年のうち大半をそこに従事したという。
とにかく奇行で知られる人で、社内にも仲の良い人もいない様子だった。また、これはかつて日記も書いたが、部署内ではボスがいなくなることについては歓迎ムード一色である。
ただ、私が派遣社員という部外者だからかもしれないが「そんな単純に喜べないのでは?」という思いも強い。少なくともボスはそれなりに部署の仕事を一身に背負い働いている部分が確かにあったからだ。かつていた職場で上司が消えたり変わったりしても何の感慨もわかなかった。なぜならば、彼らは息をしているだけで「仕事」といえるようなことなど一切してこなかったからだ。そんな連中がいようがいまいがどうでも良いに決まっている。
商品の発送というものは職場の手違い以外でも遅れることはよくある。それで営業社員から怒りの電話がくるわけだが、別に自分の責任でもないことに対しても、
「すいません。すいません。えらい、すいません・・・」
とひたすら謝るばかりで絶対に反論しないのだ。これが例えばかつての上司だったら、
「俺がやったんじゃない。俺が決めたんじゃない。運送屋がやりよったんや!」
と開きなおるところだろう。
また、ボスの帰りはいつも遅かった。平日は必ず最低8時ごろまでは残っていたという。そんな生活を長年続けていたと考えると、なんだか気の毒に思えてくるし、一個人にそんな業務をずっと押し付けてきた組織の冷酷さも感じてしまうのである。
彼は彼で、もうこれ以上こんな遅くまで仕事するのは辛いから、というのが定年延長を蹴った大きな理由だと語っていた。それでも65歳までは働く意志はあるそうで、しばらく休んでから勉強などをして仕事を探したいという。まあ見つかればいいけど、果たしてどうなることやら・・・。
最後の勤務となる今日も、ボスは朝から普通に働いていた。年度末はいつも忙しい職場であるが、この日も変わらず荷物もあり部署の人間は日暮れまで休まず働いていた。その合間の5時半ごろに他の部署の方が、そして午後7時にはまた別の部署の人たちが総出で集まってボスに記念品を贈ってその労をねぎらう光景が見られた。
ある女性は涙を見せながら「やーん、Kさん(ボスのこと)辞めんといてー」と言っていたのは、ボスのヤバい側面を彼女は知らないからなのだろうなと複雑な気持ちになった。ちなみに、ボスの送別会のようなものは部署内では一切おこなわれなかった。本人が固辞している発言もあったらしいが、最初からそんな話も出てこなかったのは部下から彼がどう思われていたかを如実に示している。
片付けなどもあって、この日は私もしばらく片付けなどのため7時半ごろに終業となる。それでは僕も失礼しますとボスに言ったら、酒はともかくとしてラーメンとか塩分の多いものは減らした方がいい、というようセリフが返ってきた。最後の最後がそれですか・・・それはともかく、2年半ほどの付き合いでしたが、お世話になりました。
コメント