mixiのこれからは

2011年9月1日
この8月31日に株式会社mixiが「mixiページ」という新しいサービスを提供した。それに対して多くの意見がネットに飛び交っていて、その大半は否定的なものである。

私はmixiページの機能についてそれほど詳しく調べてわけではないけれど、マイミクの方が紹介してくれた「Impress Watch 」8月31日(水)16時0分配信の記事「ソーシャルページが作成できる「mixiページ」、ネット全体公開も」を読んでだいたい理解することができた。

そこではmixiページが「ミクシィ版の『Facebookページ』」と表現され、「Twitter連携」だの「同ページをフォローするユーザーとコミュニケーションが図れる」だのとTwitterとの関連も挙げられている。これはどうみてもFacebookやTwitterに迎合しているという印象しか受けない。これは一体どうなっているのだろう。

さらに、mixiがmixiらしさを失っているのはこれだけではない。記事から引き続き引用する。

<(mixiページは)これまでのmixi上のコンテンツと異なり、任意でインターネット上に公開できるのも特徴。ネットに公開することで検索エンジンにもヒットし、mixiのアカウントを持っていない人にも情報を届けられる。>

これまでのmixiはYahooやGoogleのような検索エンジンには引っかからないようにできていた。しかし一部とはいえ、そうした機能もなくしてしまうというわけだ。端から見れば、いままで閉じたコミュニティだったmixiに風穴が開くような印象を抱く方がいるかもしれない。しかし私はむしろmixiの魅力を失うだけだと考える。

世界的に見ればSNSは原則実名のFacebookが主流であって、日本ではかなり盛り上がってるように見えるTwitterはそれほど普及していない。この理由はいろいろな観点から分析できるかもしれないが、日本人というのはムラ社会というか閉じた共同体を求めてる国民性が根底にあるのではないかなと感じてしまう。そして、そう考えるとmixiが普及した理由もそうした閉じられた部分にあったのではと推測してしまう。だがmixiはそういった魅力とも言える部分を悪い方向に変えてしまったのである、しかも自分自身の手で。

それにしてもmixiはなぜここまで自社の独自性を放棄してしまったのか、その理由がいま一つわからない。TwitterやFacebookが日本にも普及するにつれて、広告収入が向こうに流れていっているのに危機感を抱いているのだろうか。それでも今回の改革はあまり長期的な視野にたったものではないように見えるが。

【参考記事】
Impress Watch 」8月31日(水)16時0分配信
「ソーシャルページが作成できる「mixiページ」、ネット全体公開も」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110831-00000042-impress-inet
昨日(9月1日)、この日記にかつてない変化が突然おとずれた。私の日記における1日のアクセス数というのは120件程度しかない。しかし、この日の午後から急激に訪問する数が増え出していることに気づく。サイトを再読み込みするたびにブログ右上にあるアクセス・カウンターが5件、10件と増えているのだ。これは尋常なことではない。

利用しているブログ「Diary Note」には「アクセス解析」という機能がついていて、どこかのサイトに日記がリンクされてそこから飛んできた場合、そのリンク元が表示されるようになっている。

やたらとアクセス数が増えるというのは絶対に何か理由があるはずだ。そう思って「アクセス解析」のところを確認したら、なんと「Yahoo!ニュース」から日記から飛んできているではないか。

リンク元はこちら。
http://backnumber.dailynews.yahoo.co.jp/?m=6138478&c=local

記事は「渋谷C.C.Lemonホールが「渋谷公会堂」に−ネーミングライツ終了で /東京」という見出しである。かつてライブの殿堂であった渋谷公会堂は、2006年10月1日よりサントリーがネーミング・ライツ(命名権)を4億円で獲得したことにより「渋谷C.C.Lemonホール」という名前に変更していた。しかしその期限である5年間が終了するため、ふたたび渋谷公会堂という名前に会場名が戻ることになる。そういうニュースであった。

そしてこの記事に関連して「名称変更時の意見」の一つに、私が5年前に書いた日記がリンクされていたわけだ。

「2006年10月1日、『渋谷公会堂』が消える日」(2006年9月24日に掲載)
http://30771.diarynote.jp/200609282231530000/

見てのとおりたいしたことを書いたわけでもないけれど、このニュースはYahooのトップ・ページに載っていたおかげで、そこからたどってくる人はずっと止まらない。

「このままいくと今日のアクセス数はどうなるかなあ」

と思いながら布団に入った。この日記ではアクセス数は翌朝くらいにならないと表示されないようになっている。一夜あけてすぐパソコンを立ち上げて確認したら、目を疑うような数字になっていた。

なんと、

2899件

である。1日でこのような数字を記録することはもう私の日記からは出てこないだろう。それにしても、Yahooを見ている人がいかに多いかをつくづく思い知らされた。

だが、無料で日記を利用してこんなことを書くのもどうかと思うが、この日記はアフィリエイト機能のようなものも設定されてないし、アクセス数が増えたからといって私に何か報酬などが発生することもありえない。9月1日はたくさんの人にご来場いただきました。それだけのことである。

また、リンク元からなんとなく訪れた人ばかりであるから、この日記自体に興味をもってくれる方も皆無といっていいだろう。余談だが、Twitterで私をフォローする人も今日は1人しかいなかった。

数日後にはアクセス数も以前の水準に落ち着くに違いない。まもなく関西にも台風が上陸しそうだが、私の日記にも瞬間風速で小さな台風が巻き起こったようだ。
少し前の話になるが、記憶にとどめておくため書いておきたい。

9月3日に毎日放送(MBS)が開局60周年の特別番組「31.5時間ラジオ『ラジオの力』〜対話が日本を元気にする〜」を放送し、いろいろなゲストを招いて対談をさせていた。その中で内田樹さんが茂木健一郎氏と「おせっかいアハッ!ラジオ」と題して話をするということをTwitterで知って、これは面白そうだなあとradikoで聴いてみることにした。

パソコンをいじりながら聴いていたのであまり詳しいことは覚えていなけれど、これからの大阪はどうあるべきか、というようなテーマで話を進めていった。その途中「君が代」について話題が切り替わる。橋下徹知事が条例で教職員に君が代の起立斉唱を義務化したことを受けてのことであった。

その時に内田さんが展開した論はこんな感じである。自分はいま君が代が好きで大きな声で歌っているけれど、若い頃は嫌いだし歌わなかった。ただ年齢を重ねて外国を行ってみたりすると日本という国も良いところがたくさんあるなあと思うようになり、だんだんと小さな声で歌うようになっていったという。

内田さんの凄いところはここからで、昔の自分がそんな感じだったから「君が代」を歌いたくないという若者の気持ちがわかる。今は歌いたくない時期なのだから条例で強制しても仕方ないのではないか、と言ったのである。遊んでいる子どもに「なんで勉強しないの!」と怒鳴るのと同じではないか、というような例えもしていた。

たいていの人はこんなことを言わない。なぜなら、若い時の自分のことなどすっかり忘れてしまうからだ(敢えて忘れたふりをしている例もあるかもしれない)。かつての自分のことを棚に上げて若い人に無理難題を押しつけるというのはいつの時代も変わらない光景かもしれない。そういえば小林秀雄が「無常という事」という有名な短文エッセイで「上手に思い出す事は非常に難しい」という言葉を残しているけれど、大事なことというのは時間が経つとスコーンと忘れてしまうようである。

日の丸や君が代については色々と語られているけれど、この内田さんが語った話は自分の中で一番しっくりきた。しかしこのような長い目で若い人を見守っていくような視点はすぐに結果を求める世知辛い現代ではなかなか受け入れられないだろうな、とも感じた。
Twitterで多くの人をフォローしていると、1つの事例に対して様々な角度から意見を概観できるのが大きな利点だ。多種多様な論考を見ていけばカッとならずなるべく冷静に対応することができるだろう。Twitterの仕組みを考えれば当たり前の話であるが、今回の鉢呂吉雄経済産業相の辞任に関する一連の出来事を見てそういう思いが一層強くなってきた。

鉢呂氏の辞任に関して「おおよその事実」は皆さんもマスコミの報道でご存知だと思うが、大きく分けて2点あげられている。いずれも9月8日に福島第1原発の周辺地域を視察した時の感想だ。

(1)周辺の市町村を「死の街だった」などと言った(らしい)
(2)視察後に防災服を記者にすりつけ「放射能をうつすぞ」などと言った(らしい)。

「などと」とか「らしい」とか入れたのは理由がある。鉢呂氏の発言について統一的なものが無いからだ。ちなみにこの発言は公式なものではない、非公式発言、いわゆる「オフレコ」というものである。

9月10日の夜に行われた辞任記者会見ではその発言について追求された時も、

「私も非公式の記者の皆さんとの懇談ということでございまして、その一つひとつに定かな記憶がありませんので」

などと、一貫して具体的な内容を話すことを本人は拒否し続けた。
http://news.livedoor.com/article/detail/5852748/

一言でいえば、なんだこりゃ?である。正直いって大臣の仕事内容などわからないけれど、明確な理由もないまま辞任を申し出て総理大臣がそれを受理してしまうなどという程度の軽さでいいのだろうか。

被災者でも政府関係者でもない人間から見れば鉢呂氏の一連の言動が、もしそれが事実であればの話であれば、大臣になれて舞い上がったために出たアホくさいレベルとは思うものの自分で辞めるなら仕方ないかなという認識だったろう。しかし、本人が言ったかどうかわからない発言によって辞任するなんて尋常な話でははない。

フリージャーナリストの田中龍作さんは、鉢呂氏は記者クラブの「言葉狩り」によって葬られたのではないか、と「BLOGOS」2011年09月11日00時33分配信の記事で指摘している。
http://news.livedoor.com/article/detail/5852621/

「オフレコ懇は日本の記者クラブ特有のものだ。出席できるのは、クラブ詰の記者だけである。極端な話、記者全員が一致団結して大臣のコメントを捏造することさえ可能だ。本来オフレコのはずの、それも真偽の定かでない発言が表に出てきたのが不思議である。今回、経産省記者クラブが全社一致したのか。それを知ることはできないが、発言をめぐって鉢呂氏は『定かに記憶していない』としている。」

マスコミが全く報道していない大事なことが1点ある。鉢呂氏が大臣就任後も「脱原発」を目指す考えを表明していたことだ。

こうしたことを言う大臣は一部の人たちにとって目障りな存在だったのは間違いない。記者クラブの連中が鉢呂氏をつぶしたというのは陰謀論すぎて個人的には受け入れがたいと当初は感じていた。しかし今となっては、そういう可能性もあるのかなとも思えてくる。

辞任を受理した首相は何も言わない。野党である自民党も、

「追及にも値しない。あまりにも幼稚で無神経な発言をした。追及するなんてばかばかしい」

と谷垣禎一総裁が9月11日に奈良県橿原市で記者団に発言している。これ以上立ち入る気もないという。新しい経済産業相が決まったら、今回のことは何もなかったかのようにメディアもなるのだろう。実に不気味だ。

今回の件は、マスコミは一面的な報道しかしない、というような生易しい話ではない。これは明らかに捏造である。こんなことを平気で報道する日本の新聞は滅んだ、とTwitterで断じた方がいた。私はとっくの昔に死んでいると思っているけれど、新聞社がゾンビ会社であることをさらに露呈してしまったのは確かである。
9月10日におこなわれた鉢呂吉雄氏(前・経済産業省大臣)の辞任会見について、本筋と違ったところで新たな話題が出てきている。その会見の場で鉢呂氏にかなり汚い口調で質問してきた記者がいたことだ。

全ては、

http://news.livedoor.com/article/detail/5852748/

で観ることができるけれど、肝心のやり取りを以下の通り抜粋する。

所属、氏名不明「具体的にどう仰ったんですか?あなたね、国務大臣をお辞めになられる、その理由ぐらいきちんと説明しなさい」

鉢呂「私も非公式の記者の皆さんとの懇談ということでございまして、その一つひとつに定かな記憶がありませんので」

所属、氏名不明「定かな記憶がないのに辞めるんですか。定かな事だから辞めるんでしょう。きちんと説明ぐらいしなさい、最後ぐらい」

鉢呂「私は国民の皆さん、福島県の皆さんに不信の念を抱かせたこういうふうに考えて…」

所属、氏名不明「何を言って不振を抱かせたか説明しろって言ってんだよ」

この態度があまりに酷い記者に向かって、

「そんなやくざ言葉やめなさいよ。記者でしょう。品位を持って質問してくださいよ」

「恥ずかしいよ、君はどこの記者だ!」

と返したのが、フリージャーナリストの田中龍作さんである。一連のやり取りやその後の経緯は田中さんのブログにも掲載されている。

「鉢呂経産相辞任 記者クラブに言葉狩りされて」
http://tanakaryusaku.jp/2011/09/0002887

「枝野・新経産相会見 大臣官房に逃げ込んだ暴言記者」
http://tanakaryusaku.jp/2011/09/0002912

いまのところこのヤクザ風記者の所属は明らかになっていない。

世間の人はこのニュースにかなり怒りを覚えるかもしれないが、新聞業界の片隅にいた人間としてはそれほど異様には感じない。若い人たちは若い人たちでダメだが、年配の新聞社員は本当に酷い。たとえガラが悪い人でなくても、挨拶や電話も常識的な対応ができていない(自分の名前を名乗らない、とか)。また、無根拠に高い給料をもらっているので変にプライドが高いのも困ったものだ。はっきりいって、昼の光にあてられない(表に出せない)人ばかりである。

そもそも、「新聞屋」(こういった方が雰囲気が出るだろう)というのは昔はガラのいい商売ではなかった。それがいつのころから「ジャーナリズム」とか「マスメディア」といった横文字に変わったり、業績が上がって高級取りの職種になったこともあって印象が良くなったという話である。今は何も良いところがないが。

先の態度の悪い記者というのも、かつての新聞業界が生み出した20世紀の遺物である。記者クラブや会社の後ろ盾があるから偉そうにできるだけに過ぎない、ということを彼らはどれほど自覚しているのだろうか。

ちょっと個人的なことを言わせてもらうが、この時代に新聞社で働いていたという経験は世間では全く評価されない。もしリストラをされるような事態に陥ったら、自分で稼げる手段を持っていないければ、どこにも勤めることができず路頭に迷うのは確実である。

もっとも、自分には何もないことを自覚しているからこそ多くの人は傾いている会社であっても必死でしがみつこうとしているのだろう。ただ、会社があなたを定年まで雇ってくれるという保証は一切ない。最悪の事態など考えたくない気持ちはわからなくもないが、自分の人生がかかってるのだからその程度は頭を使ってほしいと願う。
大きな展覧会を2つも同時にしないでください
今年の6月25日から京都市美術館で開催されている展覧会「フェルメールからのラブレター展」が来月(10月16日)が終了となる。市中を歩いてみれば掲示板には次におこなわれる「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」のポスターをよく見かけるようになった。そのポスターには展覧会の目玉といえるゴッホの自画像が使われていて目を引いてしまう。

フェルメールはただでさえ人気の高い画家のうえ、会期終了ちかくになれば人がもっと溢れるだろう。そんなことを考え今日行ってみようと思い立ち自転車で岡崎に向かった。

平日の昼間にもかかわらず美術館の前はけっこう人が行き交っていた。入口そばにはチケットの販売ブースが設けられている。今日はそれほど人はいないけれど土日や祝日はここにも列ができるのだろう、などと思いながら1500円を出して入場券を1枚買う。そしてすぐに会場へ向かった。その時に気になったのは、私が行ったところの他にも販売ブースがあったことだ。その時は、さすがフェルメールだと人がいっぱい来るからブースも必要なのだろう、という程度しか思わなかった。

会場に入ってすぐ意表を突かれた。なんと「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」はもうすでに開催されていたのである(9月13日より)。すっかりフェルメールが終わってから始まるのかと思っていたので少々意外に感じた。それはともかくフェルメール展の方の展示室に向かうと行列ができている。列の最後尾にはプラカードを持った係の人が立っている。プラカードには「10分待ち」と表示されていた。

やれやれ、平日でも行列ができるんだったら土日はかなり悲惨な状況なんだろうな、今日来たほうが賢明だったな。

行列の中でそんなことを思いながら、手に持っている入場券をにふと見てみると、とんでもないことに気づいた。

チケットの下の方に、

「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」

とはっきり書かれているではないか。券に印刷されているのも、フェルメールの「手紙を読む青衣の女」ではなく、かのゴッホの自画像である。

あれ?

どうしてこうなったかはもはや説明するまでもない。私はゴッホの方の販売ブースに行ってしまったのだ。そしてろくにチケットを確認することもなく買ってしまったのだ(ちなみに料金は一緒。料金「だけ」は調べていたのだが・・・)。しかし、大きな展覧会が2つ同時期にあって、販売ブースも2種類できているというのは私にとっては前代未聞のことである。

事情を説明すれば払い戻しも可能だったかもしれない。ただチケット裏面の「ご注意」には、

「本券の払い戻し、再発行はできません」

とお約束がきっちりと書かれている。どのみち自分の責任でもあるし、フェルメール展の行列からそそくさと離れてゴッホの展示室へ向かった。

ただワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する印象派やポスト印象の作品83点を展示したこちらの展覧会も内容としてはそれほど遜色はないだろう。モネ、ルノワール、ドガ、クールベ、そしてゴッホが亡くなる前に書いた自画像もしっかり並んでいた。

チケットを買い間違えた自分に大してはアホーアホーと言うしかないが、ゴッホとかを観れて良かった、と言い聞かせるほかに術はない。

もはや続けてフェルメールを観る気力もなかったのですぐに会場を去ったけれど、どこかの時期で再訪しようか、今は思案中である。

先日、用事があって久しぶりに朝早くからバスに乗った。堀川通を走って京都駅に向かう系統のバスである。バス停「堀川寺之内」から乗車したのが午前6時40分ごろだった。このくらいの時間でバスに乗るのは、というよりも外に出歩くことは滅多にない。

この京都駅行きのバスに乗って座席に座れた記憶は無いような気がする。今回も同じ状態で後方には中学生の男の子が10人以上で固まって席を占めていた。彼らは野球部でこれからどこかへ練習に行くようだ。途中で全員がドッと降りたらバスは一気にガラガラになった。

ああした集団は端から見ると非常に圧迫感を与えられる。彼らは別に悪いことをしているわけではないのだが、朝のまだ意識もあやふやな時間に集団がワイワイしていると、正直いってうっとうしい。

そしてそんな彼らを見ているうちに、自分の高校時代のことを思い出した。ある時クラスの担任から、学生のバスの乗車マナーが悪いと市民から苦情がきた、と教室で言われたことがある。その高校は室蘭市の片隅にあり、バスの本数もそれほど多くはない。学校が終われば皆とっとと帰りたいので、バスがやってきたら学生がドーッと詰めかける状態になっていた。そして、それが当たり前だと思っていた。

だから、子どもが怖がってバスに乗れない、などと担任が説明した時もヘラヘラ笑って聞いていたものの、いまとなって考えてみれば高校生が押し合いへし合いしている中を小さな子が乗車するのは確かに恐ろしいだろう。しかし当事者である時は周囲が全く見えてなかった。早く帰りたい。それしか頭になかったのだろう。

たぶんバスにいた野球部の子たちも、高校時代の自分と同じで、周囲からそんな目で見られているなどとは夢にも思っていないだろうな。頭は野球のことでいっぱいだろうし、周囲も自分たちしか見えていないに違いない。
しかも、赤の他人から。今日とある場所で私は言われた。おそらく生まれて初めてではないだろうか。

知人からは酒の席でよく言われる(笑)。それでも、育ちが悪いなあ、とは感じてしまうけれど、今回は名前も知らない相手からである。こういうことが言える輩は、ゴロツキ、という形容しかないだろう。

こういう相手にはどう対処したらよいのか、私にはいい知恵が浮かばない。せいぜい、早く死ね、と心の中で祈るくらいしか・・・。

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