2015年の12月31日、今年最後の朝もいつもように午前6時30分に目を覚ました。大晦日だろうが元日だろうが、仕事があるからには起きなければならない。

携帯の「天気」アプリを見ると

「京都市上京区 快晴 2℃」

と表示されている。

こんな寒い朝に、ずっと更新してなかった日記を見ていたら、これまた寒いコメントが書き込まれていた。実に7年も前に書いた文章なのに、今でもたまに捨て台詞のような言葉が投げつけられるのである。無論コメントは匿名で連絡先なども載せることはない。

コメントに興味があるという方は見てもられば結構だが、要するに「すべてお前が悪い」という趣旨だった。悪いのは私が批判をした対象ではなくて、私自身の精神が悪いというのである。ご丁寧に、匿名のコメントに対しても感謝の念が無いとも指摘された。

これまで日記に書かれたコメントはほとんど意味の無いものであり、もうこの件に関して返信はしないと宣言していた。

ただ、今回はある面で真実もあったので、

<なるほどねえ。「100%自分が悪い」という結論にすれば、何もかも一件落着となるよね。>

と1行だけ返事を書いてしまった。

この世に生を受けてからもうすぐ40年になるが、説教めいたことは数多く言われてきたし、自分でも身近な人に対して偉そうな発言をしたこともあるはずだ。そういう時に出てくる言葉といえば、

「お前の努力が足りない」

というような、自己責任論の類いである。お前が置かれている現状は、自分が作り出したものだから、努力をすればいい。他人や環境のせいにするな、というわけだ。

「いや、本当の俺はすごい!」という自己評価の高い人はこうした発言には猛反発するだろうし、「俺はもうダメだ・・・」という自己評価の低い人は思い切りヘコんでしまうだろう。ただ、多かれ少なかれ自分のことがわかっている人はこうした理屈を否定しないにちがいない。自分の責任というのは必ずあるはずだから。

だがしかしである、こう言われた後に何か自分が変わるかといえば、「それは絶対にない」というのが私の結論である。

なぜならば、こうした自己責任論には致命的な欠陥があるからだ。それは「言った人間の方の責任が全くない」ことである。

「この世で起きていることは、すべてお前の責任である」

と言ってしまえば、それで終わりである。収入が少ないのも、定職に就けないのも、恋人がいないのもすべて「100%自己責任」と片付ければ一件落着という実に便利な言葉だ。こう言い切ってしまう側は実に気分が良いにちがいない。相手を完膚なきまで叩きのめすことができるからだ。

逆に、言われた側はとてつもなく気分が悪くなり、しかも明日への展望が開く可能性は一切ない。こうした自己責任論には全く具体性がないのだから、何も対策など生まれるはずもないからである。

自分の現状を分析して「すべての責任は自分にある」と考えるのは別に謙虚でも何でもなく、「世の中がすべて悪い。自分は何も悪くない!」と考えるのと同じくらい愚かな行為である。そもそもの話であるが、自分が生まれてきた場所、時間、家系などは全く決められない。これはもう「運命」とか「偶然」と呼ぶしかないものだろう。自分で選択できないものをあれこれ言っても仕方がないのだ、残念ながら。

私たちにできることがあるとすれば、自分の置かれている環境を全て受け入れ、自分の中に残っている可能性を冷静に分析して、そこから行動することくらいである。積極性に欠けているように感じる方もいるかもしれないが、人生を半分ほど終えた人間にはこうした決断も必要なのである。無駄な試みをするほどにはもう私には時間は残っていない。

いや、私のこれからの人生はどうなるか、ということは今日のところはどうでもいい。ただ、言われた側が気を悪くするような自己責任論は、少なくとも自分はもう言うまいと宣言したいだけである。

さあ、年内最後の仕事に行こう。そして明日は、来年最初の仕事である。
ここ最近は宝くじについての話題が入ってくるようになったなと思ったら、すでに今年もあと1か月を切っていたことに気づく。いつの間にか年末ジャンボ宝くじの季節になっていたのだ。

生まれてからずっと宝くじというのは買ったことがないし、これからも買わないと思う。わざわざお金を出して購入する気にはどうにもなれないからだ。

少し前までは買わない理由を、その当選確率の凄まじい低さのためだと思っていた。ネットでザッと見たところでは、年末ジャンボ宝くじの1等(7億円)が当たる確率は2000万分の1だという。交通事故に遭う確率よりも低いなどと、その低確率ぶりが形容されることもあるが、そのような数字を示されると個人的には全く購買意欲を失ってしまう。

しかしその一方で、

「買わなきゃ当たらないでしょう!」

と言い張る人も周囲にいたのを覚えている。こういう人に対しては、

1枚買って2000万分の1、10枚買っても200万分の1の確率では・・・」

などと説明するのも時間の無駄だし、何も言わずにそっとしておくことにしている。

橘玲さんはどこかの本で、宝くじを買うメリットがあるとすればくじを買う行為以外に何も労力などのリスクが発生しない、というようなことを書いていた(橘さん自身は宝くじを否定的に見ているけれど)。確かにそれはその通りである。そして、宝くじにそうした性質があるゆえに自分は嫌っているのだと最近気づいた。

自分にとって一番嫌いなものは何かといえば、パッと頭の中に浮かぶのが「既得権」である。私自身の社会人のスタートが新聞業界というオワコン産業で、しかも新聞社の子会社という場所だった。その会社に入った時は新聞社がちょうどリストラをしようとしていた時期であり、その過程で出来た会社に私は入った。もともとは本社(新聞社)の社員が担当していた仕事を3年以内に子会社の社員に引き継がせるというややこしい状況がそこにあった。

こんなことを書いて何が言いたいのかといえば、子会社の社員である私は本社の人間と同じ仕事をして業務を引き継がなければならない立場にいたということである。給料額や待遇(新聞社と子会社)が全く違う人間同士が同じ仕事をするという環境にいたわけだ。

こういう状態になるとろくなことが起きるわけがない。一番感じたのは、

「こんなのが自分の倍以上の給料をもらってるのお?」

という不満である。今さらこんなことを言っても仕方ない話だけれど、本社の人間は恐ろしいほど仕事をしない集団だった。仕事で結果を出そうが出すまいが宅配新聞の収益(これも既得権)があれば自分たちの生活は保証されているという状況にアグラをかいているのだろう。要するに公務員と似たようなものだ。

その会社に10年近く在籍したけれど先人から得たものは全く何もなかった。世間で「仕事」と呼ばれるようなことをしている人など皆無であったし、またそもそも新聞業界が果たすべき役割も既に終わっていたのだといえる。

私が入社した当時(21世紀が始まった頃)、新聞社には50代前半の「団塊の世代」がまだたくさんいた。彼らは学歴が高卒でありながら、日本が高度経済成長の途中で労働力が大量に必要とされる当時の流れに乗って運良く新聞社に入ったいわゆる「ノンキャリア」である。しかしながらたとえノンキャリアであっても「新聞社員」であることに変わりはなく、勤め続ければ年収も1000万の大台に到達する。私のいた子会社はかつて、社員の年収が500万を上回らないように、などという機密情報が漏れたことがあったが両社の待遇にはそれだけの差があった。

もし本社と子会社の社員とを比較しても能力うんぬんの差などほとんどないといえる。少なくとも給料額ほどの差異などは全く出てこないに違いない。両者を分ける要素は、生まれた時代とか環境といった個々人のレベルではどうしようもない、もう「運」としか呼べない部分であった。

しかし、既得権にしがみつくだけの連中はそんな事実を認めることはないだろう。例えば私の直属の上司だった人はコピペすらできない無能人間だったが、それでも今の自分があるのは運でしかない、などとは思わないだろう。それは彼自身のプライドが許さないからだ。

おそらく、

「運の良い人生でしたね」

とけしかけたら、

「運も実力のうちや!」

などと、ふやけた足の皮のような顔をして、恥ずかしげもなく言い返すに違いない。

だが、しかしである。ふつう私たちが「運」や「偶然」と呼ぶのは、人為ではどうにもならない超自然ともいえるような出来事に対してではないだろうか。そこには「能力」とか「努力」とかいったものとは全く関連があるはずもない。運は運でしかないし、偶然は偶然である。当事者が何かをしたから成し遂げた、というような話ではない。

書いているうちに、おかしなことが頭をよぎって日記が思い切り脱線したような気がする。しかし、自分が宝くじに対して何か嫌悪感を抱いていた要因が今回わかったような気がした。

宝くじを買って当選を願うという行為は、運や偶然といったものに何もかも委ねるということである。そこには自分が何か努力するような余地は全くないのだ。そういう非常に受動的な行為そのものに対して自分は強い違和感を抱いていたのだろう。そしてそれは、あのふやけた足の皮のような顔をした元・上司に対する感情と同じ種類のものだったのだと思う。
40年近く生きているが、本をたくさん読んできたとはお世辞にも言えないだろう。1年の間に購入した書籍(雑誌や漫画も含む)は20冊を上回るかどうかという程度だと思う。ここ数年においてはTOEIC関連の書籍が大半なので、純粋に「読書をしたい」と思って買った本は数冊とかいうレベルである。

自分の読書における環境がこの程度であるけれど、それでも「この本を買って良かった!世の中を見る目が変わった!」と感じる書籍との出会いはそれほど多くはない。おそらく、それは何冊読んだとかいった量や数の問題とは別の次元にあるからに違いない。

では何が大事かといえば、それはもう「個々人の事情」というしかないだろう。

本の素晴らしさを述べるときに、何度読んでも新しい発見がある、というような形容をよく見かける。同じ本でも時が経つにつれてその印象が変わってくるということだが、それは読む人の内面が変化したことの結果に他ならない。これは完全に、読む人の事情による一方的な見解である。書籍になってしまった文章がある日いきなり内容が変わるわけがないのだ。

それはともかくとして、本の内容そのものが大事なのは大前提であるが、それを読んだ時代とか環境といった要因は同じくらい重要な気がしてならない。本書を読んで一番感じたのはその辺りだった。おそらく10代や20代で本書を読んでも、自分には大して利益にはならなかっただろう。それどころか反発すら覚えたかもしれない。当時の自分ではとても受け入れられないことが書かれているからだ。その辺りを中心にこの本を紹介してみたい。

「東大家庭教師の 頭が良くなる思考法」(15年。中経の文庫)は「思考法」と題されているので、ジャンルとしては「ビジネス書」または「自己啓発」といったところに分けられるだろう。著者の吉永賢一さんは会社社長とか経営コンサルタントとかいったビジネス畑の人ではなく、学生時代から現在まで家庭教師として活動されている。23年間で約1500人の指導をした経験から本書の「思考法」が導き出された。

ビジネス書や自己啓発書はたくさん読んでも役に立たない、と言われることがある。その大きな理由に、良いことが書かれてあっても自分の生活や仕事に具体的に落とし込むことが容易ではないからだ。ひらたく言えば、書かれているノウハウが「使えない」というわけである。私自身もそういうイメージがあるためビジネス書はあまり買ったことがない。

これに対して吉永さんの一連の著書は、書かれている項目の一つ一つが極めて「具体的」に示されてる。それによって「成功」するかどうかはまた別の話だが、読んですぐに実践可能なことがたくさんあり試してみることは簡単だ。それはおそらく家庭教師という仕事の経験が活きているのだろう。目の前にいる子どもをどうやって勉強する気にして成績を上げるか。そのような問題を膨大に取り組んでいったら優れた勉強法や記憶法などが生まれるのは想像に難くない。

本書は、

<「問題解決」のための思考法>(P.29)

を解説した本であり、「問題」とは「それを解消したり、実現できたりすれば、あなたがハッピーになれること」(P.19)と定義されている。そのために大切なのが「思考を適切にしていくこと」(P.23)であると吉永さんは指摘する。

<思考を整えていくというのは要するに、身のまわりの問題を解決し、あなた自身の人生を変えるための方法だといえます。>(P.24)

悪い思考を止めて適切な思考法を実践すれば、自分にとりまく「問題」を処理して人生を変えることができる。そのための方法論をまとめたのが本書である。

個々の内容については触れるとキリがないため、私が最も感銘を受けた2点について述べてみたい。

一つは、物事には「コントロール内/コントロール外」に分けることができ、コントロール外のことは自分ではどうにかならないから変えようと思うな、というのである。

<なぜなら他人は基本的にコントロール外だからです。こちらがどんなに強く念じようが、命令しようが、他人はこちらの100%思い通りには動いてくれないものです。

「自分のコントロール外」は自分の力ではどうにもできません。それをどうにかしようというのは、ひたすらエネルギーを消耗するだけで、問題は未解決のままです。>(P.27)

これは本書に幾つかある重要な指摘の一つだが、ここをスッと受け入れられるかどうかが本書の価値を決める分岐点である。周囲を動かすというのは非常にエネルギーが必要な作業で、しかも効果は薄い。しかし、そうした現実を受け入れるにはある程度の大きな視点を持っていなければならない。

ただ「他人は変えられない」という指摘自体は多くの自己啓発書でもよく言われていることである。これで終わったら本書も同じレベルでとどまっていた。

先ほどコントロール内外という話が出たが、

<いまの自分に「できないこと」はしない。「できること」をするーーー。これを行動方針の大原則をしてください。>(P.80)

自分の中にも「コントロール外」と「コントロール内」の物事が存在する。だからこそ、その2つを冷静に分析して「いまの自分にできること」(=コントロール内のこと)だけを実践するようにしようということなのである。このあたりも自分をどれだけ客観的に分析できるかどうかが、結果を出せるかどうかの重要なポイントであろう。

一言でまとめてみれば、成功のためには「コントロール外」のことは無視し「コントロール内」のことだけを実践せよ、ということになる。これはパッと見た感じでは非常に簡単に見えるが、そのためには必要な条件があることに読まれた方は気づいただろうか。

「コントロール内」と「コントロール外」を分けて分析するためには、自分の「限界」という部分を見分けられなければならない。これが大原則である。つまり、自分を客観視できない人間には本書の内容はほとんど「使えない」はずだ。

置かれている環境に無関心な人ほど「俺にはまだ無限の可能性がある!」などと思いがちである。自分が「成功」していないのは努力が足りないからでそこをクリアすれば結果が出せる。また、そのための時間はまだいくらでもある。このような「若い」(それは年齢という意味ではない。年をとっても精神が「若い」人はたくさんいる)考えの方々には「世の中にはコントロール外という出来事がある」という事実を到底受けいれられないだろう。

しかし当の私はといえば、もう来年40を迎える年齢となり、あとどれくらい人生が残っているのかと考える場面も多くなった。また、人生の選択肢も狭まる一方で、体力も知力も衰えは明らかである。そうした中でどのようにこれからを過ごしていくのかと悩むこともある。

そんな時に本書に出会い、砂の中に水が吸い込むようにその内容が頭に入っていった。そうか。できないことは「仕方ない」(=コントロール外)と受け入れ、今の自分にできること(=コントロール内)を専念すれば良いのか。そう確信するに至った。

そして本書にはこのようなことは書かれてなかったはずだが、私は「成功」というものの定義がこれを読んで確かになった。

それは、

「人間は自分に『できる』範囲のことしかできない。そして『できる範囲』の中にしか「成功」はない」

ということである。

全ての現実を受け入れて、そして「いまの自分ができること」を専念していけば「成功」と言われるような境地にもたどり着ける可能性はある。そんな道筋を本書によって知った気がする。

振り返ってみれば、意味のない行動や無駄な思考ばかりの40年近くだった。しかしこれからは本書に書いていることを参考にしながら、少なくとも人生の前半よりは素晴らしいものにしたいと思っている。

そして自分の可能性を冷徹に分析して、それでも残りの限られた人生を充実させたいと願う人にはこの本をぜひ読んでいただきたいと思い、今回紹介した次第である。
11月13日にパリで勃発したテロは120人以上の犠牲者を出し、そのニュースは海外にも衝撃を与えた。我が国でもこの話題は大きくマスコミで取りあげられSNSにも目に付くようになる。そしてしばらくすると、Facebookのプロフィール写真がトリコロール(フランス国旗)仕様になっている人たちに目がついた。

個人的にはこのような動きに何の関心も抱いていないし、トリコロールを掲げる是非についても興味はわかない。ただ、ある人の意見が目に止まった時、

「それはダメでしょう」

という強烈な思いにとらわれてしまった。

残念ながら今になって情報ソースを特定することはできなくなってしまったが、プロフィール写真をトリコロールにしたことに対してあれこれ書いてくる人がいるが余計なお世話だ、というようなFacebookの投稿だった。

これを書いた人はつまり「自分の行為に対して批判をするな」と言っているわけである。

正直言って、こんなことを書く人がSNSを利用しているという事実が信じられない。こうした人はFacebookで実名投稿などするのは止めた方がいいだろう。近い将来に必ず痛い目に遭うからだ。そして「Facebookは最悪だ!」などとSNSを見当違いに「批判」するに違いない。そこにはSNSという世界の中で自分の意見を表明するという行為がどれほど危険かという自覚が全くないのだ。

過去も似たようなことを書いているので、こうした話題をうんぬんするのも何だか馬鹿らしくなってきた、そこで結論だけ書くが、

「何か意見を表明するという行為は、その行為に対して批判される危険が常にともなう」

ということである。

余計なお世話うんぬんと言っている人はおそらく、自分の行為が「100%正しい」と思い込んでいるに違いない。それゆえ「批判」などされるはずがないと感じるのだろう。だが冷静に考えると、世の中に「100%正しい」ことなど、そうはない。人はいずれ死ぬ、とかそんなレベルのものくらいではないだろうか。ましてや一個人の思い込みなど穴だらけで突っ込みどころ満載である。

万が一、「100%正しい」意見があったとしても、それを表明する「行為そのもの」に対して気にいらないと感じる人も世の中にはいる。「出る杭は打たれる」とはそういう意味のことわざなのだろう。

私はいちおう10年以上ブログを続けているが、ネットにおける人とのやりとりで実に嫌な経験をしていることもあり、こう見えて書く内容にはかなり慎重である。平たく言えば、読んだ人の9割が「そりゃ、そうだ」と感じるようなことしか書かないようにしているのである。

「コピペも出来ないのに年収1000万をもらっている会社員など産廃レベルである」

「モッシュやダイブは危険行為・迷惑行為であり、そんなことをする連中はクズである」

というような具合だ。原発問題とか安保といった「国を二分する」ような問題など扱わない。それゆえ、まともな批判などされたこともないし、まして「炎上」などありえない。それは仕事などでも同じスタンスである。

だから私が言われることといえば、

「あいつは『悪口』ばかり言う『嫌な奴』だ」

というような無意味な道徳論だけである。

繰り返すが私自身はトリコロールについて特に思うところはない。ただ、外に向けて何かを表明するのであれば1つや2つ「批判」めいたコメントが書き込まれることくらい念頭におくべきだろう。そんなことを望まないのであれば、SNSで実名や顔写真を出すということも極めて危ない行為と認識してもらえたらと願う。

「お引き取りください」などと言われないために

木屋町のあるところに、いつの間にか立み飲み屋ができていた。大きな提灯が店の前にあるのが印象的で気になり、何かの機会があれば入ってみようと考えていた。

仕事が終わったある日、ふとその店を思い出して木屋町へ向かった。入り口はガラスの引き戸である。

手をかけて入ろうとした瞬間に、

「会員制」

という字が目に飛び込んだ。

会員制?立ち飲みで?

少々不思議に思ったけれど、こんなものはどうせハッタリだろうと確信して中に入ってみた。

お客は3人ほどいただろうか。奥には無愛想な感じの男性店員が一人、仁王立ちしていた。私が入ってきてもニコリともせず「いらっしゃいませ」の一言もない。

その代わりに言われたのが、

「あ、すいません・・・・ここ会員制で、知らない人は入れないんですよ」

とのことだった。

へ?本当に会員制なの?と、しばし呆然とした私に対して、

「お引き取りください」

と追い討ちをかけるように店主は言ってきた。

ネットでこの店について調べてみると、最初は「常連さん」と一緒でないと入れないシステムになっているらしい。「常連さんにゆっくり飲んでほしい」という店主の希望でそうしており、取材も断っているということも知った。

基本的にお店がどのような経営をするかは、そのお店の自由である。しかしながら、そのような「一見さんお断り」という方針を掲げるなら、別に大きな提灯や目立つ看板も要らないのではないだろうか。おそらく私のように何も知らず入ってしまう人も少なくないと想像される。

また、これは「大きなお世話」になるだろうが、本当に常連にゆっくり飲んでほしいのならば椅子を用意してあげれば良いのにと思ってしまう。なぜわざわざ回転を速める立ち飲み形式にしているのか。また店の前には雑誌の切り抜きのようなものも貼ってあった。これは店の宣伝にしか見えない。このようなチグハグな経営の仕方に、店主の虚栄心が透けて見えるような気がする。

お前はこの店に入れなくて悔しいからこんなことを書くのだろう、などと邪推する方もいるかもしれない。しかしこんな不快な経験をしておいてから晴れて入店できたとして「楽しい飲み食い」などできるはずがない。「お引き取りください」などと言われたのは生まれて初めてのことであり、これからも言われることはないだろう。

ついでに言っておくが、私はお店で「特別扱い」のような接客はして欲しいと思わない。静かに飲み食いできて、料理が支払い額以上の思いができれば何も言うことはない。それだけである。何を好んで「会員制」などの店に出入りする理由があるのだろう。

今回の件で苦い経験をさせてもらったが、これを契機に「会員制」などと掲げられた店はもう足を踏み入れないことに決めた。

それから、木屋町を歩いた時には「 HOPE」と書いた提灯には気をつけていただきたい。私のような嫌な思いをする人が一人でも減るために、画像も載せておく(お店にとっても、こうしたことをしてもらった方がありがたいだろう)。
先日あるところで、自転車の保険に加入したほうがいいよ、と言われた。それに合わせて、最近の自転車運転に関するなかなか興味深い話を聞いたので紹介したい。

一つは、自転車を運転している人に対して警察がアルコール検査を始めているということである。あの吐く息のアルコール濃度を調べるあれだ(私は免許がないのでしたことがない)。京都市内でも中京区から伏見区あたりまでの行政区で検査が実施されたことが確認されている(上京区と北区については確認できなかったとのこと)。

自転車の罰則が厳しくなった6月を機会にイヤホンをして自転車運転をするのを止めたけれど、飲酒運転についてはアレだったのでアレだった。なんだか歯切れの悪い書き方をしているけれど、自転車の飲酒運転に対して警察の目が厳しくなっていることは確かであるj。

そして、冒頭でも触れた自転車保険についての話だ。現在、自転車に対して保険をかけている人は1割ほどらしい。自動車やバイクと違い、自転車は強制的に加入するわけでもないので今はその程度の普及率である。しかし最近は、保険に加入しなければ自転車による通勤・通学を認めない企業や学校も出てきているらしい。

そのあたりは自転車事故が増えているという事情もあるだろうが、それだけだったら「へえ」という反応で終わったと思う。しかし、最近はいわゆる「当たり屋」のような人間も出てきて加害者に多額の賠償金を請求する事例もある、などと言われて少なからず怖くなった。

自転車事故を起こしたけれど保険に加入していなかった場合、加害者と被害者の間に入るとすれば、それは弁護士ということになる。しかし自転車の場合において勝てる見込みは薄い。そうなれば弁護士がする手段は「賠償金をまけてください」という交渉だそうだ。

結果として、

「2600万円の賠償を求められていましたが、それを2200万円にしましたよ!」

とドヤ顔で言われるようなことになる。

だが、間に入るのが保険会社の場合は業務上「当たり屋のリスト」を持っている場合もあって、そういう相手に対しては「今回は20万円出してやるが、今度やったら出るところは出るぞ」というような対処もしてくれるらしい。これはかなり大きな差である。

肝心の保険であるが、セブンイレブンの店内にある端末からでも加入することができるという。調べてみたら、年間保険料は4,160円だった。

セブン-イレブンで入る自転車向け保険【三井住友海上】
http://jitensya.ehokenstore.com/

自転車を見る世間に目は厳しくなっているし、実際みてみると朝などは本当にひどい運転をしている人も見かける。雨降り以外はまず自転車に乗る人間としては真剣に保険を考えなければならない時期にきているのかと感じた次第である。

【収録曲】
(1)境界線
(2)紅い月
(3)本当の彼女
(4)バイ・ザ・シー
(5)優しい闇
(6)新世界の夜
(7)私の太陽
(8)いつかの君
(9)誰かの神
(10)キャビアとキャピタリズム
(11)空港待合室
(12)東京スカイライン

今年2015年は長年作品を聴き続けてきたミュージシャンが軒並みデビュー20年とか30年といった「節目」を迎えている。佐野元春もその一人で、彼がアルバム「BACK TO THE STREET」で「レコード・デビュー」したのが1980年のことであり、今年で活動35年に突入した。

しかしながら、今年の彼の活動に対してほとんど関心が無かったというのが正直なところだ。なぜかといえば、今年の5月8日にFACEBOOKの公式サイトで彼がこんな文章を掲載したのを見てしまったからである。

<境界線

佐野元春
2015年5月。国道329号線を走る。
北東沖縄の東側、辺野古に向かう。
運転しながら思う。
現在を軽視してはいけないし、
誇張してもいけない。
米軍基地問題で、
また、この地が引き裂かれている。
本来絆で結ばれているはずのこの地。
誰がその絆を壊しているのか。
なぜその絆が引き裂かれなければならないのか。
リーダーが息をするたびに目を凝らす。
どんなリーダーも信じない。
(撮影: 佐野元春@ジュゴンの海、沖縄県辺野古 大浦湾 2015.5.7)>

辺野古について触れたこの文章について1000件を超えるシェアがあり、350件を超えるコメントが書き込まれた(2015年7月29日現在)。ただ私はといえば、なぜこんな文章を公開したのか全く理解できず困惑し、それとともに彼に対する興味もスーッと低下してしまった。この新作アルバム「BLOOD MOON」についても発売ギリギリまでアマゾンで購入手続きを取らず、映像が公開されていた収録曲”境界線”も1度試聴しただけである。

何百件もあるコメントの全てを見るような真似はしなかったが、ザッと目に入った感じでは支持/不支持が入り混じっていた。だが、個人的には上の文章を見ても何か具体的なメッセージなど読み取れない。特に最後の一行である「どんなリーダーも信じない」というのは一番良くわからない部分だ。「リーダー」というのは果たしてどこの誰なのか、そして「信じない」というのは一体どういう意思表示なのか。

賛否に限らず「いや、俺/私は元春から明確なメッセージを受け取った!」と確信をもったとすれば、おそらく貴方は「電波の人」に違いない。そんなヤバい人はSNSで投稿などしないことを願う。それが地球のためである。

作家やミュージシャンといった抽象的な表現を仕事で取り扱う人たちが、政治のような具体的な分野に安易な姿勢で足を踏み込むことには賛成できない。それが私の見解だ。国家とか国際関係とか地方自治とかいったことに関する業務はあくまで地に足のついたものでなければならない。そこには多くの方の人生が関わってくるからだ。

それゆえ、そうした問題に関わる発言については「具体的」で「現実的」な内容であることが何より大事である。そして、発言者は自分の言動についてしっかりと責任をもつべきだ。

しかし先の元春の発言は極めて抽象的でどうにでも取れる表現である。公式声明というものでもないし、詩の断片ともいえるし独り言という解釈もできる。ただ「辺野古」とか「リーダー」といった「何かを臭わせる」キーワードが散りばめらていたため過剰反応した人が続出した、というのが事の真相であろう。

もしもこの発言(?)に突き動かされておかしな行動をとった人間が現れたとする。

それに対して、

「そんなつもりはなかったゼ。ロックン・ロール!」

だとか、

「私はミュージシャンですから」

などといって逃げることは現在の社会状況では許されないだろう。サザンオールスターズなど勲章の件で事務所前に抗議行動が起きたほどなのだから。

もしも本気で辺野古や現政権に何かを言いたいのであれば、明確な姿勢を示す言葉を選ぶべきである。「責任を逃げている」という点からすれば、ベクトルは違うだろうけど、百田尚樹氏も元春も同じである。

この件があったため彼に対して拒否反応を抱いた、というほどでもないのだが、なんとなく「胡散臭い表現者だなあ」と感じてしまった今日この頃である。だからこのアルバムが部屋に届いた時も特に何の感慨もわかなかった。買ったからにはまあ聴くしかないか、という程度の気持ちだった。

しかしながら実際に作品を聴いてみて、冒頭の”境界線”から始めるアルバム全編に流れる音にはすっかり参ってしまった。今は繰り返し繰り返しこのアルバムをかけ続けている。特に前半5曲あたりまでの流れは素晴らしい。

何が良いかといえば、やはりザ・コヨーテバンドとの絡みがより深化していることである。前作「ZOOEY」(12年)を聴いた時は、20年ぶりに素晴らしいと感じた、などと勢いでSNS等で書いてしまったけれど、それをさらに上回るサウンドができるとはさすがに予想もつかなかった。元春とバンドが紡ぎ出した楽曲はこれ以上ないほどの高みに達したといえる。「共にしたバンドと作った音の完成形」という意味で、最初のバンドであるザ・ハートランドとの「SWEET16」(92年)と「The Circle」(93年)、続くザ・ホーボーキング・バンドとの「The Sun」(04年)などと同じような位置づけのアルバムという気がする。

そして、音作りの影響のためかいつも問題にしていた元春の「声」についても衰えなどが気にならなくなったことが大きい。2011年に発売されたリメイク・アルバム「月と専制君主」の感想を書いた時に、

http://30771.diarynote.jp/201102122346173001/

<ミュージシャンの中には、たとえばヴァン・モリソンやニック・ロウのように、ある年齢になってきてから円熟味のような魅力が出てくる人たちも確かにいる。しかし佐野がそのような道を辿っているのかどうか。私の意見は判断保留としておく。 >

などと、当時は彼の歌声に対して煮え切らない思いがあったので「判断保留」という言葉を使っていたが、本作ではそのような曖昧なことを言う必要もなくなった。作品を聴くたびにまたライブを観るたびに「声が出てねえ」と嘆いてばかりいた自分であるが、本作が放つ円熟さのような魅力がそれを補って余るものにしている。還暦を目前にして元春は偉大な先人と同じ道を歩き始めた、というのは大げさな表現かもしれないが個人的にはそれくらい喜ばしい思いである。

ただ、収録されている曲のいくつかの歌詞(典型的なのは”キャビアとキャピタリズム”)については、現在の彼の心境を勢いのまま収めた印象を抱いてしまい、そのあたりが雑音のように感じてしまう。辺野古の件と同じ違和感をここでも抱いてしまったのである。演奏や楽曲は素晴らしいものばかりなので余計にその辺りが残念に思えてならない。

だが、たとえ一時的な世相を意識した歌詞であったとしても、時を経てばもっと普遍的に響く可能性もあるにはある。

例えば「The Circle」(93年)に収録されている”君を連れてゆく”という曲の冒頭の歌詞は、

<家を失くしてしまった
お金を失くしてしまった
暇を失くしてしまった
少しだけ賢くなった>

というものである。この一節はバブル景気の狂騒から一転して経済的苦境におちいった人を当時は連想したものだが、そういうことを念頭に入れなくても聴き手になんらかのイメージをもたらす普遍性を獲得していると思う。

現在の私は先の辺野古の件もあって、多少のわだかまりを抱きながらもサウンド自体の魅力には抗えないという感じでこの作品に接している。もう少し時間が経てばそうした気持ちもなくなって「これは傑作だ」と素直に言える日が訪れるのだろうか。ぜひそうあって欲しいと願っているのだが。

Facebookのタイムラインに下のような「web R25」の記事が掲載されていた。

「日本語で言え!不快カタカナ語1位」
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20150704-00043495-r25

仕事で意味がよくわからないカタカナのビジネス用語を振り回されて、聞いた人間が「なんとなくイラッとする」という、まあ断続的に取り上げられる話題である。

意味のわからない言葉を投げかけられて「ムカつくぜ!」と感じる気持ちは私も同じようなものである。しかし、「日本語でしゃべれや!」などという感情的な反応に対しては「はあ、そうですね。ギリシャは大変ですね」といった社交辞令しか言葉が出てこない。カタカナ英語に対してその程度の反応しかできない人は「お里が知れる」と感じてしまうからだ。言葉に対してそれほど関心が大きくもないし、日常表現に気をつけてもいないだろう。

少なくとも現在のパソコンやビジネス用語の中に聞き慣れないカタカナ英語が入り混じってくるのは、これはもう仕方がない流れだ。どちらの分野もだいたい英語圏からやってくる言葉であるし、それを適切な日本語を探して翻訳するということは技術的に、というよりも時間的に不可能だろう。

明治維新の頃は福沢諭吉や森鴎外、そして夏目漱石といった知識人たちがその頭脳を使って欧米の文化の翻訳を試みた。例えば「Speech」という英語に「演説」という漢語をあてはめるように。そのおかげで日本の近代化が一挙に進んだわけだが、それでも中国という「外国」から「漢字」という「外来語」を引っぱりだしてきたのだから「純粋な日本語」(おかしな表現だが、便宜的に使わせてもらった)に置き換えたわけではない。

私たちは日頃ほとんど意識していないが、現在の日本語というのは大きく分けて3つのものが含まれている。中国からきた「漢語」、それ以外の外国語からの「外来語」、そして漢語が入る前から存在した「やまとことば」である。それら三者がせめぎあっているのが日本語の現状である。

井上ひさしさんは、日本語は世界でも表記するのが最も難しい言語、というようなことを指摘されていたことがある。確かに漢字だけの表記にすれば真っ黒で読みづらくなり、ひらがなだけで書いても読みにくい。アルファベットばかりの文章、というのは説明不要だろう。その理由は3つの言葉をうまく分かち書きしなければならないからに違いない。

要するに、カタカナ英語(外来語)「だけ」を問題にしても、日本語表記の向上にたいして貢献はしないということだ。

個人的にカタカナ英語に対しては、外来語といってもカタカナにしてしまえばまあ日本語になったわけだし使いたい人間は使ったら?という立場である。

もしもそれに対して不満のあるという方については、

「そうですか。では、日本語に流れてくる外来語に対してあなたはどんな対応をとるんですか?」

と訊ねてみたい。おそらく、ろくに返答もできないはずである。少なくとも私は、カタカナ英語を使わずにパソコンやビジネスについて話すことは不可能という自覚はある。なるべくそんなものを使う状況にはなりたくはないが。

そんな瑣末なことにイライラしてる暇があったら、自分の日頃の表現に注意したほうがずっと生産的だ。

なんでもかんでも「ムカつくぜ!」とか「上から目線だ!」といった一言で表現を済ませてしまう方がよっぽど頭の中が深刻な状態になっていると思うのだが、いかがなものだろうか。

友人というほどには親しくないが、ある人が以前辞めた職場に復帰したがって色々と画策しているという噂を聞いた。そしてこのたび、社員としてではなくアルバイトして再雇用されるという結果になったという。

その職場というのは仕事内容は「それなり」のレベル(「よっぽどの人」でなければできる業務)であり、社員とアルバイトとでも待遇はそれほど大きくはない。ただ、そこは人員が足りていない事情もあるため今回のような処置となったのだろう。

しかし、当然のことであるが、職場にいる方々の反応は一様に厳しいものがある。

「あんな仕事、職安に行けばいくらでもあるやろ。なんで戻ってくるんや?しかも社員でなくアルバイトからなんて、ワシなら絶対やらんわ」

まさに、返す言葉もない指摘である。

個人的には、仕事が嫌になって辞めるのはまあ仕方ないとは思う。ただ、かつていた職場に戻りたがるというのは駄目だろう。

以前の職場に未練が出てくるのは、大きく分けて2つの理由が思いつく。

まず、転職先の労働条件や待遇などが以前よりグッと悪くなったという場合である。外的要因というか環境の問題だ。

これについては「リサーチ不足だ」と糾弾するのは簡単である。しかし職安に載っている条件が入ってみたら実際は全く違っていたというのはよく聞く話であり一概に労働者側を責めることもできないだろう。ただ一般論として「転職したら給料が下がる」というのは頭に入れておくべきだ。森永卓郎さんが何かの本で、2回転職すれば年収が半分になる、ということを言っていた。何も実績もない人が転職をするならそれくらい覚悟しておかないと後悔する結果になるのは必然である。また、そういうことが予測できるからこそ昨今のサラリーマンは離職など考えず、「病気」とか色々な手段で会社にしがみついて正社員という既得権を手放さないのだろう。

そしてもう一つ考えられる要因として、仕事でベストを尽くさないまま職場を去ったため不完全燃焼な思いが残っているということがあるのではないか。これはその人自身の中にある内面的な問題である。もしも職場に在籍している間に「やるだけのことをやった」という自信があれば、戻りたくなる理由などあるわけないだろう。

今回話題にしている彼にしても、お世辞にも仕事を頑張っていたとは評価されてない(これは彼を見る人間全ての意見である)。しかし周囲の評価や実績よりも、自分が仕事についてどう思っているがこの点では重要だ。

ニール・ヤングの代表曲の一つである”Hey hey my my”の一節(これは自殺したカート・コバーンの遺書にも書かれていた)に、

“It’s better to burn out than to fade away”(錆び尽きるよりは燃え尽きたい)

という歌詞があるが、仕事にしてもそういう思いで取り組まなければ次にも繋がらないだろう。

私自身に置き換えてみれば、いくつか職場を転々としているが、そこを去るにあたって未練のようなものは一切ない。どこにいっても後悔をしない働き方はしているつもりだ。10年ちかく在籍した最初の会社も同じで、特に最初の4年ほどは業界の歴史でも類をみない工夫(これは誇張ではない)をして業務に取り組んできた。

しかし、ある時にそうした努力をすることをいっさい放棄する。いくら一個人が真摯に仕事をこなしたところでその業界や会社には何も未来がない、ということを悟ったからである。そしてしばらくしてから業界そのものから足を洗うこととなる。

同じ職場に復帰するという彼は、果たして自分のおかれている環境を、また自身の人生をどのように捉えているのだろうか。彼が辞める以前と現在とでは職場はおそらく何も変わっていない。そして彼自身の意識も一緒だとすれば、かつてと同じような結果がほどなくして出てくるにちがいない。

ちなみに彼が辞めた時の話も、かつての日記で触れている。興味のある方はご参照いただきたい。

周囲がよく見えることは良いことなのか、悪いことなのか(2014年11月10日)
http://30771.diarynote.jp/201411100833273805/

午後3時半ごろにはJR石山駅のホームに着いていた。開場が午後5時ちょうどなのでイスに座って本を読みながらしばらく過ごした。この駅に降り立つのは何年ぶりだろう。以前は滋賀の山奥にある美術館(ミホ・ミュージアム)へ向かうバスを乗るために来たのだが、そういう用事もなければ一生おとずれなかったに違いない。

5月2日の大阪城野外音楽堂から始まった、渡辺美里の47都道府県を回る全国ツアーが現在継続中である。私は京都公演だけ参加するつもりでいたがそれは9月とまだけっこう先の話である。ライブを観るまでは各会場の曲目も確認しないようにしているけれど、何ヶ月もツアーをしていたら内容も多少は変わってくるだろうかという思いもあり、考えた末に「発売中」であった滋賀公演も1枚確保することにした。買ったのは6月に入ってからであり、整理番号は318番だった。

その会場であるライブハウス「ユーストン」(実際の表記はU STONEで、「U
」と「STONE」の間に星印が入る)はその石山駅から徒歩3分ほどのところだった。ここに来ることもおそらく最初で最後だろう。

http://www.ustone.space/

私が入場するのは最後の最後なので開場10分前くらいに入場列に加わったが、最後尾まで行くともうJR石山駅は目の前だった。列はそれくらいまで伸びていた。300人程度でも並ぶとけっこう長くなるものだ。少しずつ入場していったので、私が入る頃にはもう開演まで10分ほどしかなかった。その後ろは当日券を買った人とか10人程度だったので、今日のお客は多く見ても350人くらいかと思われる。ネットで調べたところ収容人数は400人となっていた。よって会場内はもう満杯という感じで、冷房もあまり効かなくなっている。これで待ち時間が1時間に設定されていたらかなり厳しいものがあっただろう。

自分の前はすでに250人は入っていたので、後方の真ん中あたりの隙間に陣取って開演を待つ。後ろといってもステージまでは10メートルもないだろう。近いといえば近い。そして午後5時半を2分ほど過ぎたら照明が落ちて公演開始だ。5月2日と同じように

「1996・・・Spirits」

などと過去のアルバムが順々に紹介されるが、大阪は現在(今年出した「オーディナリーライフ」)からデビュー曲”I’m Free”(85年)までさかのぼる流れが、逆に時系列に沿ってアルバムの名前が出てくる。そうなると最後に出てくる名前は最新アルバムだから1曲目は”青空ハピネス”だろうと思っていたら(5月5日の日比谷公演はこれだった)、”サマータイムブルース”で始まった。

面白かったのは、サックスがバンド・マスターのスパム春日井が担当していたのである。その時になってから「あれ?今日はサックスがいないのか」と気づいたが、サックスまで演奏できるスパムのマルチ・プレイヤーぶりを見て客席はけっこう湧いていた。

曲目は、先月の大阪公演を観た立場としては意外性のない内容に感じる。大阪はそれでも”I’m Free”と”泣いちゃいそうだよ”が披露されたけれど、それが無くなって”Long Night”と(大嫌いな)”ジャングルチャイルド”が入れ替わった格好で、先月に比べてだいぶ平凡な印象になったといえる。1曲でも意外性のあるものを混ぜたら全く感想が変わってくるのだけどね。

ライブ中のMCでは、いろいろなアルバムから歌います、などと言っていた気がするが「オーディナリーライフ」(15年)から「BIG WAVE」(93年)までの22年の間に出た曲がスコーンと抜けているのがこの人の30年を物語っている、といったら言い過ぎだろうか。アンコールを含めて17曲のうち、最新作からは実に9曲、他はライブでの定番という内訳はデビュー30周年と銘打ったツアーの内容としてはどうなのかなという気はする。ただ私はもう期待値ゼロでライブ会場に臨んでいる身なので、この人のことだからこの内容かなという感想しか抱けないが。これで最新アルバムが酷いものだったら、本当に悲惨なライブになっていただろう。

良かったのは、会場が小さいためかいつもより歌声が前面に出ているように聞こえた点である。個人的に今年のベスト・ソングである”オーディナリーライフ”は真に迫るものがあった。これがまた聴けただけでも26日ぶりの貴重な休みを使って滋賀まで行った甲斐はあったかな。

そういえばMCで、滋賀の方はどれくらいいますか?という美里の質問に反応したのは半分もいなかった。大半は大阪もしくは京都あたりから来たお客なのだろう。そしてそういう輩がまたアンコールで「美里!チャチャチャ!とやり出すから本当に嫌になる。「お前ら、そんなことをするためにわざわざ滋賀までやってくるのか!」と言いたくなった。

アンコールを含めて17曲、1時間50分ほどというのはこれまでのライブより短くなった感じがするが、劣悪なライブ会場ということを考えればこれくらいが限度なのかもしれない(終演後に、苦しかった、と外で感想をもらしていた人がちらほら見かけた)。いや、そもそも客の年齢からしてすし詰めのオールスタンディングという設定に無理があるのだが、今後は果たしてどうなっていくのだろう。

とりあえず、私は9月のKYOTO MUSEまでまた静かに過ごすことにする。京都の会場も今夜とさして変わらない環境なのだが。

最後に曲目を記す。

【演奏曲目】
(1)サマータイムブルース
(2)青空ハピネス
(3)Long Night
(4)夢ってどんな色してるの
(5)BELIEVE
(6)A Reason
(7)点と線
(8)ジャングルチャイルド
(9)今夜がチャンス
(10)涙を信じない女
(11)虹をみたかい
(12)My Revolution
(13)オーディナリーライフ

<アンコール>
(14)10years
(15)Glory
(16)恋したっていいじゃない
(17)ここから

19日の午前、「改正派遣法案」が衆議院を通過した。派遣社員を同じ職場で雇用するのは「最長3年」というこれまでの原則が事実上撤廃されたことになる。働く場所を替えるという手続きをとれば同じ派遣労働者を無期限で雇い続けることが可能となった、というのが今回の改正の要点だ。

私はいま派遣社員の立場なのでこの件については当事者なわけだが、こうした改正について正直あまりピンとこない。たとえ同じ派遣先で3年を超えて働くことを望んだとしても、仕事の内容が変われば条件も変わるわけで話が全く違ってくる。雇う側も雇う側で、いままで長く働いて慣れてもらった労働者を違う部署に移してまた一から働き直すというのは面倒なことである。

なぜこのように派遣法がイビツな道を歩んでいるのかは、もう原因は明らかである。

正社員の解雇規制が緩和できないからだ。

雇う側としてみれば、無駄に人件費が高く生産性が低い正社員をなんとかしたいと思うが解雇規制の厚い壁があってそれができない。正社員に手をつけられないとすれば非正規雇用の社員のやりくりでどうにかするしかない。そんなジレンマがこうした法案という形になって表れるわけである。

「解雇規制が緩和されれば、労働者を酷使するブラック企業が増えていくぞ!」

と騒ぐ人もいるだろう。確かに社員を酷使するしか能のないブラック企業が解雇規制の緩和を武器にもっと真っ黒なダークサイド企業に変貌していく可能性は否定できないだろう。

しかし、働きもしない輩が正社員という「だけ」でその立場が確保され、たとえばコピペもできないのに年収が1000万円だったりするというほうが異常ではないか。働かない人間が既得権だけでメシを食えるというのは、地球上どこの国でも「おかしい」と言われるに決まっている。これが真の意味でのグローバル・スタンダードというものだ。

だいたい終身雇用というのは、日本経済が右肩上がりの成長を続けるという「フィクション」を前提につくられた考え方である。いまのように我が国の将来が先行き不透明で会社の寿命も下がってきている状況にはあてはまらない。むやみに給料など上げられないし、5年後10年後の社員の保証も約束できない。そんなことは「考えなくてもわかるような話」であるが、既得権を手放したくない連中はそんなことは絶対に許さないんだな。

結局、派遣法に関してワーワー騒いでいる人たちは、正社員という既得権が崩れていることに危惧しているだけであって、日本経済の将来とか国民の将来といった大きな枠組みが全く見えていない輩の戯言なのだ。

論点ずらしで、

「君は派遣なんだろう?そんな安定しない身分のままで一生が終わってもいいのか?」

などと見当違いに煽ってくる人がいるかもしれない。別に私は今の状態がこのままで良いなどとは、かつての職場を去ってからも一度として思ったことはない。しかし、どこかの組織にすがってそれで安泰、などと思うほうがよっぽど世間ズレしているのではないか。

先日の時事通信社の記事(2015年6月19日)で「弱い立場の派遣社員から夢も希望も奪うのか」と正社員登用を断たれて悲観するような内容を見かけた。

しかし、私は派遣社員としてこれまで3か所の企業を渡り歩いているが、

「この会社の正社員になれたらなあ・・・」

などと思えるようなところは一つとしてなかった。正社員の仕事内容はおおむね過酷で、終業時間もかなり遅い。土日も仕事があってまともに休んでいないという人もいた。そんな中で決められた範囲の業務をこなし、まだ日も暮れていない時分に帰宅しているこちらが申し訳なく思うほどである。

正社員になったら何もかも解決するわけでもない。むしろ、よっぽど酷い目に遭う可能性もある(そういうケースのほうが多い気がする)。

そもそもの話、正社員になりたいといっても入る余地がないのだからどうしようもない。無能な社員を切るなりできるようにならなければそうした道が開けるわけがないだろう。

派遣法が衆議院を通過した日の仕事の帰り道、烏丸四条の交差点で労働組合が「労働者の危機」を訴えていた。しかし、彼らが守ろうとしているのは自分たちの既得権だけである。

正直いって「本業もろくにもせずに夕方に道ばたでワーワーわめくなよ!」と言いたくなる。メーデーの時も烏丸通を歩き回っている連中の声を聞きながら作業をしているうちに、

「こっちは仕事をサボって行進に加わる暇もないんだよ!」

とイライラしたものだ。

冷静に考えてみると、ああやって不平不満を叫んで「いいことをしている気持ちになっている」連中は、とりあえず日々の生活は保証されているという点で実は「リア充」なのではないだろうか。

26連勤を終えて、つかの間に休息にひたっていた私は、こうした人たちを見てある種の羨望のようなもの(絶対に仲間になどならないけど)を感じた次第である。
先日の日記で、現在の派遣先にいる職場のボスについて少し触れてみた。

職場のボスは「電波」の人(2015年5月31日)
http://30771.diarynote.jp/201505310130145606/

この人は、来年の3月いっぱいで定年を迎えることになっている。聞けば裕福な家の出身らしくお金も困っていないようで、定年延長という制度を使わずに組織を去る見込みだ。

日記にも書いた通り、「電波の人」であるボスがスッと消えていくことについて社内の人たちは歓迎している。そりゃあ、意味不明なところでブチ切れたり部下を「悪魔」と陰で呼ぶような人が好かれるはずもない。私も被害者の一人であるから、さっさと彼が消えてくれることは全面的に同意するところだ。

しかし社員の方々と話していると、電波ボスがいなくなったら職場が良くなるだろう、というような希望的観測を持っているようなのが少し気になる。私の場合はボスがいなくなる前には契約期間満了となるので正直どうでもいいことなのだが、ろくでもない人間がいなくなれば組織が良くなるという考えに対しては大いに疑問だ。

私の派遣先は某巨大商社の子会社の一つである。本当に大きなところなので200以上も子会社があるのだが、その中でもここは「潰れる可能性が2番目に高い」という極めて危ういところである。そんな「いつ消えてもおかしくない」会社について明るい展望を持つ人などいない。ましてや「この会社をより良い場所にしていこう!」などと思う社員など存在しないだろう。そういうことを考えれば、職場環境が改善されるということは今後ありえない。5年後、10年後は確実に悪くなっている。いや、会社自体が残っているかどうかも疑わしい。

そんな組織において、嫌な人間が消えたら職場が良くなる、というのは極めて短期的な視点ではないだろうか。

こうした問題を自然環境におきかえてみればわかりやすいだろう。例えばある地域が温暖化で急激に気温が高くなっていくとする。そして気温が下がらないままの状態が長く続けば、暑さに適応できなくなる生き物はやがて死に絶えていく。それでも生き延びようとするならば、もっと快適な場所に移動するか、突然変異を遂げてでも無理やりその環境に合わせるほかない。

要するに、会社という「環境」が根本的に変わらなければ、その中にいる生きもの(社員)が良くなることなどあり得ないのだ。新聞業界がその最たるもので、強みや魅力が一つもなくなり世間から見捨てられて業績も悪くなる一方だから、そこで働く人たちもどんどん腐っていくのみである。

経営者が変われば組織だって変わる可能性があるだろう、という言う人がいるかもしれない。理屈としてはもちろんそうかもしれないが、いつか救世主がどこからか現れて自分を救ってくれるというような「突然変異」を期待しながら現状を耐え忍んで生きていくのは非常に辛い人生ではないだろうか。少なくとも私には我慢できそうもない。

ましてや、いつ潰れてもおかしくない子会社に有能な社長など送られてくることなどあり得ない。こうして会社の枠組みや現状を考えてみると、この派遣先はもう「手詰まり」という気がしてくる。

もしも職場の人間関係に苦しんでいて、「あいつさえいなければ・・・」などと考えている人がいたとしたら、ちょっと落ち着いて会社全体を見渡してみることをお薦めしたい。

「その憎き相手が会社からいなくなったとして、はたして組織が良くなるのだろうか?」

と。

そうすれば、もっと別の視点から見えてくるものがあるかもしれない。ただ、あまりに酷い結論が導き出される可能性も否定はできないけれど。
今度の日曜日に休みをとるつもりでいたが、財政的な事情などがあり(それ以外に理由はないか)しばらく働き続けることに決めた。6月20日はライブのために必ず休むため、それまで26連勤をする予定である。

自分で決めたことなのだからどうこう言うつもりもないけれど、正直いえば何もしないで休める日は欲しかった。特に最近は日々の仕事をするのが面倒に感じていて、それゆえ仕事も用事もない日が一日でも欲しかったのだ。また、先日梅雨入りしたこともあって余計に気が滅入ってくる。ただ「休んでお前に何のメリットがある?金が入らなくなるし、休むと余計な出費をするに決まっているだろうが」と、もう一人の自分が話しかけてくるのだ。

そんなスッキリしない心境のまま派遣先に向かった今日だが、行ってみると心なしか職場がザワザワしている。それでもいつものように作業していると、かの「電波」のボスが寄ってきて、

「B君が倒れて、1ヶ月入院するからな」

と言ってきたのである。派遣先の社員で私の部署にいるBさんは、昨日の夜に帰宅してから倒れて救急車で病院に運ばれたという。悪かったのは心臓だったそうで、命に別状はないがしばらく療養する必要があるとのことだ。あまり詳しいことをボスは教えてくれなかったし、私は私でそれ以上訊ねることもなかった。所詮、こちらは社外の人間だし。

Bさんの主な役目は、会社から近いところにある取引先に車で商品を配送することである。その作業はいつも2人でおこなっており、Bさんの代わりに同じ部署で内勤専門のDさんが車に乗った。それゆえ、私のいる職場はマイナス1人の人員でこの1ヶ月ほどを切り抜けなければならない。

正直いってこの職場は私を含めてたいした作業量があるわけではないし、複雑な内容の仕事もないはずだ。しかしそれでも個々人はそれなりに役割があるわけで、1人の抜けた穴は他の人間が埋めなければならない。仕事そのものの負担よりも、いつもは他人がやっている慣れてない作業を引き受けるのは心理的に辛いものがあるだろう。

ところで今回倒れたBさんは、先日の日記で書いたが、電波ボスに「悪魔」と陰で呼ばれている方である。

職場のボスは「電波」の人(2015年5月31日)
http://30771.diarynote.jp/201505310130145606/

当のボスといえばBさんの不在について気にしているようには、端から見る限りあまり感じられない。

「僕も5年前に盲腸、3年前は脱腸で入院したからなあ。この部署もお祓いが必要かもしれんなあ・・・」

などと口走っているボスは、心無しかいつもよりスッキリした様子に見えたのは私だけだろうか。彼の論理(?)に沿って考えてみると、もしかしたらBさんはボスの呪いというか電波によって倒れてしまったのかもしれない。そしてボスは「悪魔」を職場から追放できた!と清々しい気持ちになっている可能性もある。

考えているうちに、頭もどうかしてくるような仮説を立ててしまった。こちらとしては仕事の負担が増えてくるし、この状態で忙しくなってきたらまたボスの「電波」が出てくるかもしれないという不安がわいてくる。

とりあえず、明後日は休むべきだったかなあ、などとまた後ろ向きな心境になってくる今日この頃である。


あれはゴールデン・ウイークに突入する直前のことだった。いつも通り仕事を終えて帰ろうとする時に、同じ部署の社員のBさんとすれ違った時に、

「近いうちに皆でメシに行かない?君の歓迎会もしてないし・・・」

と声をかけられた。

「え?なんで今頃・・・」

というのが正直な感想だった。私がこの派遣先に来てから1年半以上も経過しているわけである。ただ、周囲の人と全く交流をとっていなかったものまた事実だ。自称「病気」の元・営業社員と一度飲んだことがあるだけだ(この時の話は貴重なもので、また別の機会に書きたい)。この件については快諾し、平日の晩はたいてい空いてるのでお願いします、と答えた。

それから連休が明けてからしばらく経った頃、

「今度の金曜日にするから」

と耳元でBさんにささやかれた。なぜ小声かといえば、職場のボスにバレないようにするためである。私にいる部署は私を含めて9人いるが、金曜日に集まったのは男性4人だ。その中にボスは、含まれていない。会場もボスと帰り道が全く逆にある居酒屋「魚民」の一室であった。

テーブルに腰掛けると、4人で一番年配であるAさんが開口一番、

「ここは歓送迎会というものが無いんです。派遣だろうが契約だろうが、他の部署はあるんですが、この部署にはありません。また、みんなここに来てから2年経ってませんし、顔合わせのようなもので・・・」

と言われて「ええ?」と思った。去年の夏に入ってきた「自称病人」のC氏および1年7ヶ月目の私はともかく、AさんもBさんもまだこの部署に来て2年過ぎていなかったのはこの時初めて知ったのである。

そこから、

C「あの人(ボスのこと)、僕の送別会は要らないから、って今日言ってきたんですよ!」

B「本当か?あいつ、何を勘違いしてるんだ?」

というやり取りからボスに対する罵詈雑言が飛び出した。本日の会の目的が核心へと進んでいった。そう、我らが職場の長であるボスについてである。

奇しくも我々が集まる日の夕方に、突如ボスが豹変する瞬間が久しぶりにあった。それは偶然ではなかったのかもしれない。

ここで働き始めてしばらくしてから、突然Aさんがボスに怒鳴られている光景を何度か見かける。それに対してAさんは、

「誠に申し訳ありません!」

と言うばかりで、その原因や理由が端から見ていてもさっぱりわからなかった。意味がわからないことで殺すような勢いで怒鳴っている光景が実に気持ち悪かったのである。それからしばらして、その気色悪いものに私も巻き込まれることになる。

ある日の11時ごろだったろうか。その日はあまり出荷する商品もなく静かであった。なんとはなしで職場をウロウロしていたら、急にボスが私の方にゆっくりと近づいてきて、

「不信に思われるような行動は・・・取らんといてな・・・」

と言ってきたのである。メガネの奥にあるその目は泳いでいて、彼の精神状態がまともでないことは明白であった。

それにしても、この言葉は私が社会に出てから最も「恐ろしい」と感じたものである。これが例えば「不信な行動をとる」というのであれば、その意図はかなりはっきりしている。仕事をサボって携帯をいじったり、職場の片隅でお経を唱えたりすれば「不信な行動」である。これはある程度の人が共有できる認識だし、それなりに客観性もある。

しかしこれが「不信に思われるような行動」となると話は全く異なってくる。こちらがどれだけ真面目に働いたとしても、現場責任者であるボスが「あいつは不信な行動をとっている!もうアカン!」などと思ってしまえば、それで終わりなのである。この違いは大きいし、また「もう今月を持って契約を更新しません」という辞める「権利」しか持っていない派遣社員の立場からすれば余計にそうである。

「気持ち悪い・・・」

と内心では思いながらもボスの横で黙って作業をしていたら、しばらくすると体が震え出し、なんと私に商品を投げてつけてきて、

「だから言ったやろ!不純なことを考えるからや!週明けから怒鳴らせるな!殺すぞ!」

とブチ切れたのだ。それはボスがAさんに対してやってきたのと同じ光景であった。もちろん、その理由はわからない。ちなみに実際には「殺すぞ!」とまでは言われていないが、その時の雰囲気を出せるかもしれないと思いつけ加えてみた。それほどまでにボスの怒り具合は尋常ではなかったからだ。

ボスの異常行動については細かいことを挙げたらキリがないが、もう一つだけ紹介したい事例がある。それはある時期から私に対して、

「渡部君、悪魔のささやきに負けたらあかんで!」

などと「悪魔」という表現をやたらと持ち出すようになったことだ。「悪魔」とは何のことか。その時はさっぱりわからなかったが、どうもBさんが職場をうろうろしている時に口に出すことに気付いた。色々と話の断片をつなげてみると、悪魔(Bさん)が悪だくみをして、私もそれに巻き込もうとしているということなのだ。

もちろんBさんが職務上で悪いことをしている形跡はないし、私とBさんの間には何のつながりもない(電話番号もメール類も交わしたことはない)。それなのにボスはBさんを陰で「悪魔」よばわりして不信がっているのだ。赤の他人を「悪魔」などというのは、もうまともな感覚ではないだろう。

宴席では職場の昔話も出てきたが、ある社員の方がかつてボスとすれ違うたびに、

「お前、いま俺をにらみつけただろう!」

と食って掛かってきたという。それゆえあいつ(ボス)とは目を合わせたらいけない、ということになったらしいが、もはやこれはヤクザの所業である。

ここまで書いてきて自分でもわけがわからなくなっているが、ボスが異様な行動をとることだけはなんとなく感じてもらえたかとは思う。

なぜあの人は突然ぶち切れるのか?

なぜBさんを「悪魔」よばわりするのか?

ある時Aさんはボスに対して、

「おたく、何かの宗教でも入ってますのん?」

と訊ねたことがあるらしいが、違う、という答えだった。周囲の人間は理由がわからない。宗教でもない。それならば、と私がこう結論づけてみた。

それって「電波」でしょう?と。

これを聞いて、周囲の3人には大ウケだった。

しかし、もうここまできたら理由はそれしか考えられないだろう。原因は外部に無いとすれば、あとはボスの脳内にしか存在しない。どこからか飛んでくる「電波」をキャッチしたらブチ切れ出すということなのだ。

わ「で、Bさんはその電波を出す体質なんですよ(笑)」

と言ったら、

B「お前なあ・・・」

と苦笑していた。

ナンセンスといえばナンセンスな話である。しかし、世の中にはもう片付けられない問題というのが存在する。ボスの行動について秩序づけるものがないとすれば、無理矢理「電波」のような理由を作ってなんとか納得させるしか方法はあるまい。私は医者でも政治家でも宗教家でもないから、ボスのような人をどうすることもできないわけだし。

救いがあるとすれば、ボスは今年度いっぱいで定年となり、それ以降は残る意思が無いということだ。もっとも私は来年1月いっぱいなので、その前に去ることになるわけだが。

とにかく色々と理不尽なことを言われている4人が集まって飲めたのは楽しかった。ただ、ボスについてよく知ることになった私は、ますます職場にいるのが嫌になった次第である。もう、ここには未練は無い。
昨日の勤務をもって21連勤の一区切りをつけたが、それは別に今日のライブへ行くためだけに仕事を休んだわけではない。昼過ぎから龍谷大学深草キャンパスにてTOEICの試験も受けることにしていたのだ。最初に試験を申し込んだのか、それともチケットを先に確保したのか、いまとなってはもう記憶に残っていない。いずれにせよ、休日の割には全く頭も体も落ち着くことができない一日となってしまった。

午後3時を少し回ったころに2時間ぶっ通しの試験が終わる。そこから休むことなく歩いて地下鉄に向かい、四条で阪急線に乗り換えて梅田に向かった。車中で音楽などを聴くこともできたが、そんなこともせずカバンに入れておいた「ヒストリエ」(アフタヌーンKC)9巻を3回ほど繰り返して読んだ。これは昨日到着したのだが、試験が終わるまでの楽しみにとっておこうと思っていたものだった。ライブについては正直もう京都公演で観ていたこともあり、今日のライブに関心はそれほど高くはなかった。ただ、もうこれで観る機会もないという事実もあって取ったというだけのことである。

そんな心境だったので、ライブ前に通常はちょっとあり得ないミスをしてしまった。会場前に着いたのは4時50分ごろだったか。そこから30分ほど周辺をうろついて5時20分あたりにエレベーターで建物の10階にあるクワトロに向かった。エレベーターが開いた瞬間に「SOLD OUT」という字がカウンターにあったのが目に飛び込んできた。久しぶりに大阪公演も完売になったのかと少し嬉しかった。私がライブを初めて観てた時(02年)から、大阪でチケットが完売した記憶はない。

しかし、なんだか会場の様子がおかしい。入場を待つ人の列ができていないのだ。そのまま言われるがままにチケットを提示してドリンクを交換したあたりで、開場時間をチケットで確認したら「午後5時」だったことに気付く。クワトロに行く機会もグッと減ってしまったためか、ここの開場から開演までの時間が1時間だったということをすっかり忘れていた。整理番号は「A20番」とかなり若い番号だったわけだが、もうすでに200人は入っていただろうか。しかし先日の京都公演では二宮氏の目の前という最高の場所で観ていたので、あまり残念だとかいったような気持ちは湧いてなかった。梅田のクワトロは上段・中段・下段とフロアが分かれているが、中段の後ろの方に陣取って壁にもたれるようにして開演を待つ。午後6時を5分ほど回って照明が落ちる。さすがに私のいる場所ではステージはほとんど見えない。背伸びすればメンバーの頭が見える程度である。

予想通り“街の底”から始めまる曲目は京都と全く同じだった。違っていたのは、京都ではあった田森氏のMCが無くなったことで、今回はこういうツアーだから必ずも何か喋るのかと思っていたのでそこは意外だった。私自身、田森氏がライブ中にMCをするというのは初めてのことだったからその点で京都は貴重だったといえる。今回で脱退する二宮氏にが”直に掴み取れ”の直前とアンコール登場時にMCをするのはどの会場でも同じようだ。

あまり音響が良いとはいえない磔磔よりも今夜の音はマシかと思っていたが、冒頭での印象はそれほど変わりない。そのままボーッと観ていた。しかし中盤の”青すぎる空”が始まった時に、

「ああ、この曲も生で聴くのが最後か・・・」

と気づき出す。大好きな”青すぎる空”も”踵鳴る”も、今夜で見納めである。そんなことを考えると多少は感傷的になった。ただ、確かに寂しいことは寂しいのだが「もっともっとライブを観たい!」という思いは自分の中には湧いてこなかった。それはもう13年ほど彼らを見続けていたわけだし、惰性でCDを買ってきたような部分も否定できない。つまり個人的にはもう彼らの音について十分に満たされたということなのだろう。

彼ら以外で活動を追いかけている日本のバンドがいない自分からすれば、こういうライブを観る機会はもう訪れないような気がする。会場の後方でステージから流れる演奏を聴きながら、もう自分の体はこのような音楽を欲していないのだなあ、としみじみと感じた。その点でも、今回のライブが幕引きでもう燃え尽きたかなという心境になっている。

何事も「終わり」というものがある。それは先方の都合もあるし、自分の事情もある。それだけのことなのだ。若い時分はそんなこともわからず泣いたり怒ったりと感情的になりがりだが、もはや私は来年40である。そんな年齢でもない。

“月影”から昔の曲を連発する中盤で会場が揺れるのが感じられた。しかし大半のお客は遠慮がちというか、むやみに声も出さずに神妙な調子でライブを観ていたのを後ろにいてすごく感じた。やはり、これが最後、という思いがお客の間にも共有されていたのだろう。

だが、その最後の最後のライブで非常に残念な話だが、今夜はダイブをしていたゴミが発生してしまった。かつて吉野氏があれだけ嫌がって、ライブ中にダイブが起きればいったん中断して観客を諭すようなことを繰り返してきたというのに・・・。今日は完売したということもあり、そうした経緯や事情も知らない連中も足を運んだのかもしれない。もしかしたら、これで最後なんだからやってしまえ、と確信犯がくだらない意図が出たのかもしれない。いずれにせよ、イースタンのライブに来るということは40歳前後の年齢だと思われるが、彼らはこれからもライブでこんな真似をし続けるのだろうか。無駄に体は頑丈なのかもしれないが、頭の中は虫が湧いているに違いない。

たまたま2ちゃんねるを見てみたら、やはりダイブへの非難が起きていた。ダイブが起きたし2回目のアンコールで出てくるか不安だった、というのもあった。

その中で、

<なんで金払ろて吉野のご機嫌伺いしなあかんねん
あほか >

といういかにもクズな書き込みを見かける。

吉野氏の機嫌うんぬんというのはあまり関係ない。ただ、ステージの人が気持ちよく絶好調でライブができれば結果として客の立場からも得をするとは思う。それよりも自己満足で迷惑行為や危険行為をするというのが根本的に間違っているのだ。しかも、金を払えば何をしてもいい、というのは成熟した社会人の態度ではない。自由をはき違えるなよゴミ、と改めて言っておきたい。

10年以上も観てきたバンドの最後がこういう感じで終わったのは少しスッキリしないが、煮え切らない心境でライブに臨んでいる自分もいたわけだし、終わりといのはこういうものなのかなあ、などと納得している。

とりあえず、これまでに幾度となく素晴らしいライブを見せてもらった3人には感謝の言葉しかない。また出会う日があるのかは、確約はできないが、とにかくお疲れさまでした。

最後に曲目を記す。


【演奏曲目】
(1)街の底
(2)鳴らせよ 鳴らせ
(3)沸点36℃
(4)イッテコイ カエッテコイ
(5)茫洋
(6)ナニクソ節
(7)月影
(8)男子畢生危機一髪
(9)青すぎる空
(10)雨曝しなら濡れるがいいさ
(11)テレビ塔
(12)踵鳴る
(13)直に掴み取れ
(14)グッドバイ
(15)万雷の拍手
(16)荒野に針路を取れ

(アンコール1)
(17)夏の日の午後
(18)砂塵の彼方

(アンコール2)
(19)夜明けの唄

こんなことを書いても企画倒れに終わってしまうかもしれないが、来月から文章を書く頻度を上げていくつもりだ。その理由もまあいつかは明らかにするとして、今月の残りはその事前準備に色々と頭にあることを整理できればと思う。

その一つに、自分が文章を書くにあたって心がけてるようなことについて触れてみたい。

ブログにせよ何にせよ「面白い」文章を目指すという人が多いと思われる。いや、そもそもありきたりな文章を書いても仕方ないのは確かであるし、お前は何を言ってるんだと思う方もいるかもしれない。

しかし、私自身はブログを10年以上続けているが「面白さ」というものを第一にして文章を書いた記憶はほとんどない。そして、それは別に自分の考えは特殊とか少数派とも考えていない。むしろ、ものすごく常識的な姿勢だと捉えている。

ではこちらからお尋ねしたいが、「面白い/面白くない」を分ける基準とは一体なんなのだろう?

この問いに対して明確に答えられる人は果たしてどれだけいるだろうか。おそらく、今までこのようなことを考えてきたこともなかったのではないか。

1996年7月21日におこなわれたプロ野球オールスターで、イチローが投手で登板するという出来事があった。セ・リーグの監督だった野村克也氏はこれに対して、打者を松井秀喜から投手の高津臣吾に交代させるという対応をした。

この一連のやり取りは当時色々と話題になった。どこかの野球中継でゲストに出ていた立川談志はこの件について、松井を高津に変えるなんて野村は面白くないことしやがって、というようなことを言っていたのを覚えている。

しかしメジャーリーグでも侮辱行為に対してはこのような形で抗議の意志表示をするのは普通のことである。野村監督は野球の世界における常識の範囲内でこのような判断をとっただけだ。そんなことも踏まえず自分の主観で「面白くねえ!」と食ってかかった談志の物言いは非常に暴力的といえる。計算してみると談志の当時の年齢は60歳だった。この年齢にして公の場でこのような言い方しかできないとというのは、かなりヤバいといえる。

この例を見てもわかる通り、「面白い/面白くない」というのは主観による二分法である。たとえば「ラッスンゴレライは面白いか、面白くないか」というようなやり取りは議論としては成立しない。それは議論でもなんでもなく、ただの主観の押しつけあいだからだ。

居酒屋談義でそういうやり取りをするのは楽しいかもしれない。しかし「お前、おもろないわ。クソやわ。上から物言うなや」などと言われて頭をひっぱたかれることの多い私はこうした「議論」にはもう関わらないようにしている。貴重な時間を失う上に、生産するものが一つもないからだ。しかも、私にとっては楽しくもなんともない。

こうした例に限らず、私たちは日常生活で当たり前のように「面白い/面白くない」という判断を下しているが、その「分析」にどれだけの中身や裏付けがあるかといえば、ほとんど無いにちがいない。そんなことを考えてみると、文章を書く上ではそれほど重要視するべき要素でもないように思えてくる。

それよりも、「斬新さ」、「意外性」、「わかりやすさ」、「深さ」など、「面白さ」に比べればまだいくらか客観性が測れるような要素を重視して文章を書くほうが中身が充実することができる。

もっとも、自分の書いた文章を他人に「面白い」と思ってもらいたいという欲望は誰しもあるだろう。それはもちろん私の中にもあるわけだが、先に書いたように、そうした「評価」はもう結果論であり相手の都合によるものである。書いて発表してしまった後のことにあまりこだわり過ぎても仕方ないだろう。

「勝ち負けは人が決めること」(P.42)

と山下達郎が「QuickJapan vol.62」(05年、太田出版)で語ったような、ある種の開き直りは文章を書く上でも必要なことだといえる。
先日の日曜日におこなわれた大阪都構想の是非をめぐる住民投票は、0.77パーセントという僅差で否決という結果になった。正直いってほとんど関心をもっていなかったのだが、ギリギリで賛成される、というような予測が午後9時ごろ入ってきた時には「これは面白そう」とTwitterで投票速報を逐一確認し、橋下市長と松井知事の会見もリアルタイムで観てもいた。

これほど僅かな差しか開かなかったのに、誰が悪いとか原因だとか、と犯人探しのような「分析」が目につくのには閉口する。わからないものはわからないとしか言えないだろうし、それが本当の意味で誠実な態度だと思うのだが。

そんなことを言っている私自身はまさに野次馬である。ただ、野次馬なりに今回の件について頭に浮かんだことがあるので記してみたい。

それは、橋下市長がこの「大阪都構想」をどれくらい本気で実現させたいと思っていたのか、という疑問である。

まず、掲げていた都構想というものの具体的な中身が大阪府民へ十分に浸透していたのか、というのがある。都構想という言葉はずいぶん前から橋下さんがくり返し主張していた記憶があるが、内容についてあれこれ言われ出したのは住民説明会などをおこなってきた辺りからではないだろうか。私などは、首都機能を大阪へ持ってくるようなもの?と思っていたほどである。当方の不勉強さは措いておくとしても、住民投票で是非を問う内容としては熟慮する時間が足りなかったような気がする。

そして、これは結果論になるのかもしれないが、勝とうと思えば勝てたのではないか?という疑問である。見ての通り、投票率からすれば1パーセントにも満たない差での「敗北」である。もう少し戦略的に、などといったら失礼かもしれないが、勝つための方策を加えたらどうにかなったのではと思わずにはいられない。

そもそも大阪の将来を問う一大事について、自民党から共産党までが一丸となるまでに拒否され、堺市など周辺都市からも思いきり反対される状況でどこまで勝機が見出せるのか。それでも惜敗というところだったのだから、一つの政党なり市なりと妥協点を探って共闘すれば簡単に賛成多数の至ったのではないだろうか。

もちろん門外漢の戯言であるのだが、そんな疑念を強く抱いてしまったのはあの橋下市長の投票結果が出た直後の記者会見を観たからなのだろう。

記者会見の全文はこちら。
http://logmi.jp/59213

あのような極僅かな差での敗北であったのでどれほど苦しいコメントが飛び出すかと予測していたら、

<いやーこれは僕自身に対する批判もあるだろうし、やっぱりその僕自身の力不足ということになると思いますね。>

<今日もこういう舞台で、こういう住民投票の結果で辞めさせてもらうと言わせてもらうなんて、本当に納税者のみなさんには申し訳ないですけど、大変ありがたい、本当に幸せな7年半だったなと思います。>

<僕みたいな政治家が長くやる世の中は危険です。みんなから好かれる、敵がいない政治家が本来政治をやらなきゃいけないわけで、敵を作る政治家は本当にワンポイントリリーフで、求められている時期にだけ必要とされて、いらなくなれば交代と。>

未練のカケラも見られず、完全に彼の引退会見と化していた。しかし66.83%という高い投票率でこの結果を受けて・・・人間はこんなに割り切れるものなのか?と個人的には少なからず違和感を抱いたものである。

もしかしたら、どこかの時点で橋下市長は住民投票が否決されると確信したのではないのだろうか。むしろ賛成票があれほど伸びることの方が意外だったのかもしれない。そんな仮説を立ててみれば、あの清々しいまでに晴れやかな記者会見も筋が通っているようにも見えてくる。もう引退する立場からすれば、あれほど「最高の結果」も無いわけだから。

橋下市長が半年後の任期満了をもって政治家を引退する、という発言に対して安堵している人も少なくはない。橋下氏が大阪に混乱と停滞しかもたらさなかった、というような声も見たが、選挙の投票率の高さひとつ取ってみてもそれは大雑把な見方だろう。いわゆる「ハシズム」がもたらしたものの検証についてはこれから嫌でもせざるをえなくなるから、それを待ちたい。

ただ間違いないのは、民主党フィーバーが終わった後の国政のように、大阪府民の政治に対する関心もこれからはグッと低下するだろう。改革は宙ぶらりんとなり、手つかずになったものはそのまま残っていく。しかしそれは府民が選択したものだ・・・という理屈はいちおう成り立つ。 賛成票を投じた70万人近くの思いは果たしてどう結実されるのだろうか。

そして、これもたぶん確かだと思うが、Twitterで批判者をバカバカ罵倒していたことを含めて、あそこまで大阪にエネルギーを費やす人は将来出てこないだろう。そんな人が政治家を辞めて弁護士やタレントなどの個人的活動にエネルギーが向かってしまうのはなんだか惜しい気がしないでもない。

そういえば、かつて西川のりお氏が毎日新聞(2013年06月14日大阪朝刊)にて、

<橋下さんってなんでも物事をing(進行形)の状態にしてる。次から次へ包装紙破っては、中身を並べるだけなんです。ところが、市民府民はやってくれたように受け取る。最後まで見届けてない。この先、都構想も、市営交通の民営化も、全部ingで終わるでしょう。完全にやり遂げたことってこれまでもほとんどない。発信力でもってるんです。>

という指摘は現実のものになったといえる。
本日の京都の最高気温が「30度」というのは行き過ぎだが、快晴になってくれて本当に良かった。デビューからちょうど30周年の節目を迎える今日、大阪城野外音楽堂でライブがおこなわれる。まだ不安定な気候が続く春の時期にあってここまでの天気になるというのは実に幸運なことだ。

かつて横浜港そばでおこなわれた夏のライブ(厳密に言うと2007年7月29日の「渡辺美里Cosmic Night 2007」)が終わった直後に大雨がドッと降ってきたことを連想した。この人の野外ライブは何度も参加しているが、公演の最中に天気で邪魔されたという経験がない。天気というのは自然現象であり人智の及ぶところではないのだが、彼女はこうしたものに対して運というか「何か」を持っているのかもしれない。

開演は午後3時半と早めの時間設定になっていた。まだまだ暑さも厳しい時だったので開演の20分ほど前に席へ着く。会場を見渡しながらボーっと座って待っていたら、

「懐かしい!“Easy Lover”や!」

という女性の声が後ろから聴こえてきた。スピーカーから流れた曲に反応したのだ。“Easy Lover”とはフィル・コリンズとフィリップ・ベイリーとのデュエット曲で、1984年11月に発売され全米2位を記録する大ヒットとなった。続いてスティーヴィー・ワンダーの全米ナンバー1ヒット“Part-Time Lover”(85年)がかかった。このあたりは美里がデビューした時期を意識した選曲なのだろう。

しかし1985年といえば、私はまだ小学3年生の頃である。そこから今日までの30年という年月を思うと気が遠くなってくる。特にブランクのようなものもなくここまで活動を続けてきたという事実は素朴に凄いことだ。人生でブランクの占める割合の方が大きい自分としての率直な感想である。

そんなことを思っているうちに午後3時35分ごろ、スピーカーからは

「1996・・・Spirits」

とか

「1991・・・Lucky」

と歴代のアルバム名とその発売年、そして収録曲の断片が流れてくる。それがライブ開始までのカウントダウンとなっていた。そして30年前の1985年までさかのぼり、

「I’m Free」

と告げられると、バンドの演奏が始まりデビュー曲“I’m Free”のイントロが流れ出す。自身のオリジナルではなくカバー曲ゆえ熱心なファンしか知らない曲だが(3枚組ベスト・アルバムや4枚組ベストにしか入っていない)、何も考えずにライブに臨んでいた自分には意表を突かれる冒頭だった。ただ正直な話、25周年(2010年)の時の5月2日にも歌われたのでものすごく意外というほどでもなかったけれど。

“I’m Free”に続いては、一気に時代を30年ワープして最新アルバム「オーディナリー・ライフ」から“青空ハピネス”が出てくる。今日はこのアルバムから実に8曲も披露されたが、幸い中身のある作品になったのでセット・リストは非常に締まったものになった気がする。特に、元日ライブに聴いた時はあまりピンとこなかった“今夜がチャンス”は不思議と印象がグッと良くなった。アルバムを繰り返しかけているうちにこちらの感覚が変わったのかもしれない。

個人的に最も驚いたのは、大阪の地でこの日を迎えられて嬉しいです、と感慨深げなMCをしてからの“泣いちゃいそうだよ”である。この曲をフル・コーラスで聴いたのは1992年の「スタジアム伝説」でのライブ以来、実に23年ぶりのことだったからだ(メドレーの中で触りの部分を聴いたことはあったかもしれない)。特に人気のある曲でもないだろうが、当時は「この人が歌えばなんでも良かった」という心境だったので非常に思い入れは強い。かなり無理のある歌い方が入っているため現在の彼女が歌うにはだいぶ苦しいものがあったけれど、そんなことはどうでも良かった

これを聴きながら、

「ああ・・・今日この場所にいられて本当に良かったなあ・・・」

と青空を見上げながら、幸せな気分に浸っていた。

デビューの日でしかも30周年ということもあって、終始会場は祝福ムードに包まれているように感じた。連休を機会に全国から熱心なファンが終結したのだろう。アンコールの前に発生した「美里!チャチャチャ!」や終演後に三本締めをする輩については相変わらず閉口してしまうが。

ところで、今回の大阪と東京のライブではゲストとしてギタリストの押尾コータローが出演した。彼を招いた理由がいま一つわからなかったけれど、別に節目とかいったことでもなく今回お互いの都合がついて共演が今回実現したということか。それはともかく、押尾のギターだけで歌われた“悲しいボーイフレンド”と“BELIEVE”は彼女の声が前面に出ている感じがして良かった。

この2曲に限らず全編を通して声はよく出ていたといえる。全国47都道府県を回るツアーの皮切りということで気合いも入っていたにちがいない。特にアンコールでの“オーディナリー・ライフ”は、生で聴くほうが素晴らしいとは予想していたけれど、神懸かっている時の彼女の片鱗を見せられた気がしたし、まその歌いっぷりには胸に迫るものがあった。全20曲、2時間半と思ったより少し短めではあったものの、充実した内容で満足はしている。

ライブの終わりで、年末の12月23日に再び大阪フェスティバルホールで公演があると初めて発表される。帰り際にチラシを渡されて、しかも今からチケットを受け付けると書いていたのには少し苦笑した。こちらは京都公演、そしてできれば滋賀にも足を出そうかと思っているが、その工面もできてない状態だったからだ。それが済んでから検討させてもらいたい。ただ、フェスティバルホールでのこの人は調子が良い時が多いので、その点では少し期待できるかもしれない。

最後に今日の曲目を記す。

【演奏曲目】

(1)I’m Free
(2)青空ハピネス
(3)夢ってどんな色してるの
(4)泣いちゃいそうだよ
(5)点と線
(6)10 years
(7)悲しいボーイフレンド(押尾コータローと二人で)
(8)BELIEVE(押尾コータローと二人で)
(9)さくらの花のさくころに(バンドと押尾コータローと一緒に)
(10)A Reason
(11)荒ぶる胸のシンバル鳴らせ
(12)今夜がチャンス
(13)涙を信じない女
(14)My Revolution
(15)サマータイムブルース
(16)ここから

〈アンコール〉
(17)オーディナリー・ライフ
(18)恋したっていいじゃない
(19)チェリーが3つ並ばない
(20)eyes

○「Lovin’ you」概説

「Lovin’ you」は1986年7月2日に発売された、渡辺美里の2枚目のアルバムである。同年1月22日に出た4枚目のシングル「My Revolution」が3月22日付のオリコン・チャートで第1位を獲得する大ヒット(70万枚売れたと言われている)となった。また続く“Teenage Walk”(86年5月2日発売、最高位5位)もシングル・ヒットし、その流れの中で発売された本作は2枚組という体裁でありながら第1位(年間では7位)を獲得した(オリコンでは売上枚数67万枚と記録されている)。

アルバムは1枚目が「HERE」、2枚目が「THERE」と名付けられ、それぞれ10曲が収録されている。プロデューサーは80年代のエピック・ソニー黄金期の立役者である小坂洋二、全ての編曲で今は亡き大村雅朗(97年没)が手がけ、2曲(“天使にかまれる”、“嵐が丘”)だけ小室哲哉が編曲者として名前が載っている。よって、本作の主導者は小坂・大村の二人であることは間違いない。

前作「eyes」(85年)と本作で美里はもっぱら「歌手」としての役割に徹していて「表現者」としてはまだ開花しきれていない。そういう点で私のような人間には本人がプロデュースを始める次作「BREATH」(87年)以降の作品の方に重きがいくが、見方を変えてみれば、彼女の世界観が苦手な人にはむしろ最初の2作のほうを高く評価するかもしれない。

いま私は「BREATH」以降の彼女を高く評価していると書いたが、それでも本作を貫く彼女の歌声の勢いは聴いているとねじ伏せられるような感覚におちいる。以下に記しているが、膨大な本数のライブ・ツアーやスタジアム・ライブなどをやり遂げた彼女の歌手やパフォーマーとしての基礎体力はずば抜けているとしかいえない。そんな上り調子の彼女が収められたのが本作の特徴であり魅力であろう。

思い起こせば私が彼女の「信者」だったころ、プロ野球の投手に例えてみれば「180キロくらい投げる投手」に見えたものである。そうなれば、もう他の歌手など眼中に入るわけがない。そんな時期がシングル“いつかきっと”(93年)まで続いたのである。しかしながら、剛球投手が短命なのもまた世の常でありそこから技巧派になって投手生命を伸ばすような器用さまで持ち合わせていなかったことがその後の彼女の活動が示している。

○日本の女性シンガーの先駆者として

この頃の渡辺美里の活動をたどっていくと、日本の女性シンガーとしての記録を次々と塗り替えていった時期といえる。当時このアルバムが出た時、彼女はまだ若干19歳、昨年にデビューしたばかりだったのだ。その短いキャリアで2枚組のアルバムを制作したというのだから、周囲の関係者が彼女に対してどれほど期待していたのかが想像できる。

ライブについても恐ろしいほど精力的で、4月8日からまず全国18か所19公演のライブ・ツアー「My Revolution/19歳の秘かな欲望」(~6月28日)、アルバム発売後の9月2日から全国38か所39公演のツアー「Steppin’ Now Tour」(~87年2月26日)を敢行する(声帯ポリーブのため、中断した公演もあったらしい)。その合間の8月には女性ソロ・シンガーとして初の試みであるスタジアム・ライブ(大阪球場、名古屋城深井丸広場、西武ライオンズ球場の3か所)を見事に成功させるなど、その勢いにとどまるところはなかった。

○個々の楽曲について


さきほども述べたが、個人的にはそれほど思い入れがある作品でもないので何曲か抜粋する形で紹介したい。

【HERE(ディスク1)】


(1)Long Night(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)

アルバム発表直後の7月21日にシングルとして発売され、オリコン最高位11位を記録している。彼女の初期の代表曲の一つであり、本人の思い入れも強いのか現在でもライブで披露される機会は多い。

歌詞に出てくる登場人物はどんなに辛いことがあっても夢に向かって突き進むという感じで、それは歌手としての道を歩んでいるこの人のイメージとも重なってくる。

ただ、安直なストレートさだけでなく

<Long night Long night Long night
たどり着きたい
Long night Long night Long night
あきらめないで 悲しい現実 超えるよ>

というようなフレーズの繰り返しやサビに出てくる高音のコーラスが切実な響きを与えている。力強くもせつないという彼女の作風はすでにここで確立しているといえよう。

(3)My Revolution(作詞:川村真澄、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗)

渡辺美里の最大のヒット曲にして代表曲であることは論を待たない。「ニュー・ミュージック」と言われた80年代の邦楽を象徴する1曲でもあろう。また現在から見れば美里というよりも、あの小室哲哉が最初に出したナンバー1ソング、ということの方が強調されるかもしれない。しかしながら発売当時の私は小学3年生である。これがヒットした事実も知らないし音楽に対して何の興味も持っていなかった時期である。それゆえこの曲に対しての個人的な思い入れはあまり強くない。小室哲哉を必ずしも最高と思っていないことも大きいが。

かつてNHKのテレビ番組「トップ・ランナー」に彼女が出演した時に(01年3月15日放送)で司会の益子直美が、この曲に励まされた、とか、バレーの合宿所ではいつもどこかで流れていた、というようなことを語っていたのが印象的だった。彼女はまさにリアルタイムで10代にこの曲を聴いていた人である。

おそらく、

<夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃダメさ>

という一節が体育会系の少年少女などの琴線に触れて世間に広がる大ヒットにつながったのだろう。

しかしそうした一部分だけが拡大解釈され、彼女に対して「青春応援歌」だの「前向き」だのといったイメージを強固に造り上げたように思えてならない。別に私は彼女のキャラクターにそうした側面があることを否定する気はない。ただ、それだけでもないんだけどなあ、という残念な気持ちをずっと抱いているだけのことだ。もはやそんなことを言っても仕方ない話なのだが、大ヒット曲を出すというのは必ずしも良い側面ばかりでもないことを示す一例ともいえる。

楽曲自体は実に見事である。特に冒頭のドラムスの音は心臓の鼓動のようで、新しい歌手がまさに誕生する瞬間を象徴している気がする、などと感じるのは私だけだろうか。

(6)19才の秘かな欲望(作詞:戸沢 暢美: 作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)


全盛期の彼女のステージを観た人にとっては忘れられない曲の一つではないだろうか。
ただでさえ力の必要な歌のうえに、ライブでは生声を会場に響くパフォーマンスまで加わる圧倒的なものがあった。喉に負担がかかると気づいたのか今の時期はそうしたことは行っていない。かつて自身を「全身歌手」と名乗っていた時があるが、これはその象徴のような曲である。なぜか「ribbon」で再録音されている。

(8)君はクロール(作詞:渡辺美里、作曲・編曲:大村雅朗)

大村雅朗が作曲も手掛けている珍しい曲(この曲の他に私は知らない)。作詞は美里本人で、好きな人(彼氏?)がクロールで泳ぐ姿を見つめているという着眼点も変わっている。

<太陽のまぶしさに手をかざす午後
どこかから聞こえてくる子供達の声

ひと気のないプールで
今ゆっくりターンする>

という写実的なところは「ribbon」(88年)に通じる世界観という気がする。

しかしその中に、

<はじめて着た水着を
気づくまでは濡らさない>

というような女性独特の視点が入っている点が興味深い。打ち込みを主体にしたバックでゆったりと歌われる音作りも独特で、いま聴いてもあまり古びた感じがしない。

【THERE(ディスク2)】


(1)悲しき願い(Here & There)(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)


本作を聴き返して改めて気づいた点の一つに、アルバムの半分までは美里自身の作詞だったことがある。もっと他人の作詞の比率が高いと今まで思っていたので意外な事実だった。

おそらく大江千里や佐野元春といった同じEPICソニーの先輩ミュージシャンや作詞を提供しているプロの作家を手本にしながら試行錯誤して自分の世界を築き上げていたのがこの時期だったのではないだろうか。この曲や“みつめていたい”などの歌詞をたどっていると、悪戦苦闘しながらもまだ個性を確立しきれていない感があり、しかしそれはそれで面白い気もする。次作「BREATH」によってその苦労が結実することになるが。

(5)Steppin’ Now(作詞・作曲:渡辺美里、編曲:大村雅朗)

こちらは初めて本人が作曲を手掛けている。そのせいかわからないが、ライブでも時おり歌われている。彼女自身の曲でパッと思い付くのは“サマータイムブルース”か“サンキュ”くらいで、やはり作詞のイメージが強い。この曲も遊びというか実験で作ったような、打ち込み主体の音作りとなっている。

しかし歌詞を確認してみたら、

<壁にかかったフィービー・スノウ
ポスターほほえんでいる>

という一節に気づいて驚かされた。フィービー・スノウ(Phoebe Snow)とはニューヨーク生まれの女性シンガー・ソングライターで、1975年に“ポエトリィ・マン(Poetory Man)”という全米ナンバー1ヒットを獲得している(2011年に逝去、享年60歳)。

実際にこの人の部屋にポスターがあったのかどうかは知らないが、大人っぽいというか渋い趣味の女性像をイメージしてしまう。

(8)Teenage Walk(作詞:神沢礼江、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗)

曲名からして10代に向けて歌われるための曲である(歌っている人間もまだ19歳だった)。そのためか最近はあまり歌われないし、私もフルで聴いたのは3回くらいかと思う。まあ、本人も観衆の年齢も10代から大きく逸脱しているから当然かもしれないが。

“My Revolution”と同様にいかにも「前向き」なイメージが強く、レコード会社が彼女をどのようなキャラクターで打ち出したそうとしていたのかが窺える。後年に観たこの曲のミュージック・ヴィデオでは「痛い」とか「しなやか」とか「りりしさ」といった字幕がバッと出てきて少なからぬ違和感を抱くものであり、正直あまり好きな世界ではない。興味がある方はネット探せば見つかるかと思われる(ここでのセーラー服のような恰好はとても可愛らしい)。

(9)嵐ヶ丘(作詞:渡辺美里、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗・小室哲哉)

このアルバムを初めて聴いた時から気に入っている曲で、こればかり繰り返し流していた時期もあった気がする。

<オシャレなおしゃべりや
今日着るシャツの 色なんかよりも
嵐に打たれても ぼくにはいつでも きみだけが大事>

とやや自暴自棄ぎみな感じも含んだ思いが伝わる歌詞である。

冒頭から目いっぱいの力で歌われ、中盤でいったん静かになってサビでまた勢いをつけて最後まで突っ走るという流れは実に劇的だ。曲調やシンセサイザーの響きはいかにも小室哲哉というもので、そこにコーラスやホーン・セクションが加わり切迫した雰囲気を加速させる。

一度は生で聴いてみたいという思いもあるが、現在の彼女が歌うにはかなり厳しいものがあるだろう。この時期にあった力と勢いで歌い上げた、本作のハイライトの一つである。

(10)Lovin’ you(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)

アルバムの最後を飾るのは、いまでも節目で歌われるバラードだ。

<ぼくのなかの Rockn’ Roll
口ずさむMelody
帰り道はいつも華やいで
とがったココロをいやしてくれる
君に出会うために
生まれてきたんだと想うのさ>

ここに出てくる「君」とは、まさに渡辺美里という気がする。彼女がどのような歌手であり表現者であるかを示している名刺代わりのような曲と個人的には位置づけている。

ちなみに、

<Too young to sing the blues>

という一節は、彼女の好きなエルトン・ジョンの代表曲“Goodbye Yellow Brick Road”(73年)の中から取られたものだろう。

本作では勢いのある歌いぶりに耳を奪われがちだが、こうしたゆったりした曲を見事に歌いきている部分も見逃してはいけないだろう。一つ一つの曲を見てみると、このアルバムもけっこうバラエティは富んでいると再確認した。

今週は仕事に関わることで少々うっとうしい出来事があった。派遣先のボスから、「今期のミッション」なるものを書いて提出してくれと言われたのだ。ミッションとは要するに仕事の業績目標のことである。今の場所に派遣されて最初の4月にも同じことを言われたが、今回は前回の自己評価もあわせて提出というおまけつきである。

前回も今回も、私が最初に感じたのは、

「なぜ派遣社員の俺が?」

というものである。もちろん社員の人たちはこれによって給料の増減などが起きるのだが、時給労働の立場にそのような影響は発生しない(そういう説明も受けていない)。もっといえば非生産部門で働く人に業績目標を課すこと自体がまったく生産的でないし、他国にあわせてこの国も「同一労働、同一賃金」の原則を進めるべきだと思っているが、こんなものを課す輩がそこまでのレベルで給料や賃金について考えてもいないだろう。

こういうことを思い付く人はおそらく、「仕事をしているふり」をしているのだと思う。少し考えれば派遣社員に業績目標など書かせるなど無意味で無駄な行為なのはすぐわかる。

しかし、

「いや、いま社内では派遣社員の比率も増えている。彼らも正社員と同じレベルで問題意識を持って仕事を取り組むべきだ」

という感じで、正論を吐いていると勘違いしているのだろう。さきほど述べたようにこんなものはもっと高い視点で見れば全く破綻した論理である。また、こういうことを思いつく人は自分の仕事ぶりに酔っていることもあるので救いがないのだが、それに巻き込まれる方はたまったものではない。多くの人が無駄な時間を消費するうえに、誰も得する人はいないのである。

「仕事をしているふり」といえば、かつての職場をまた思い出した。

私がいた会社で最後に配属したのは、新聞広告の営業部門だった。

「新聞広告なんて今の時代、誰が載せるんだ?効果のほどは怪しいし、だいたい新聞を読む人などどれほどいるんだ?金をドブに捨てる行為だろう」

と腹の底から思っていた自分がそこに入ったのだから、この時点で私の運命は決まっていたのかもしれない。

しかしそんなことを知る由もない上司の部次長が、広告の企画を作って提出せよ、と命令を出してきたのである。新聞紙面の小さい枠を1回載せただけで10万円とかそこらを支払う人間の顔など私の頭では想像もつかなった。いきおい、企画など一つも浮かばない。

こいつは何もできないと部次長は感じたのか、

「あんたは(以前の部署で)今まで展覧会に関わっていたから、そうした企画を作ったらいいんちゃう?」

と持ち出してきたのである。

その瞬間に、

「お前は、あ・ほ・か」

と言いたくなった。

まず大前提の話だが、展覧会は金にならない。全国の美術館や博物館で黒字経営をしているところなど、大阪城など数えるほどしかないのだ。そんな業界のどこから広告費を引っ張りだせというのやら。

しかし、部次長に言われるままに企画書を作って会議に出したら、なんと了承されてしまったのである。営業の上から下まで、展覧会を取り巻く経済状況を一つも把握してないのである。ここはバカばかりだな、といまさらながらに再確認してしまった。

当の部次長にしても、

「俺がきっちり企画を立てたから、上司から許可されたんや」

と自慢げに語っていたことも忘れられない。こういう自分に酔っている人は、もうダメだと思う。

そしてそこからが悲惨だった。企画が通ったからには広告の営業をかけなければならない。新聞社は基本的に広告代理店を通じて広告のやり取りをするのだが、なぜか今回は飛び込み営業もさせられたのだ。

「こんな企画、誰が買うの・・・」

会社を出て、例えば美術館周辺の店などを回ってみるが、そんなところが新聞広告を載せる予算などあるはずがない。数件回った時点で、もうあきらめることにした。

ミッションにしてもそうだが、私は「100%無理」と思ったことは、もう絶対にやりたくないのである。もう頭が1秒も動かなくなってしまうのだ。それが度を過ぎてしまえば、もうその組織から出ていくことにも抵抗がなくなるくらいである。

「ここにハズレばかりの宝くじが10枚あります。さあ、これを買ってください!」

と言われるような心境になってくる。ハズレとわかっているくじを誰が買うだろうか。

そうして月日が経ち、企画の締切が近づいてくると、

「セールスはどうなってるんや!」

と部次長がわめき始めてきたのである。

「こんなもの売れるか、ボケ」

と内心思っていたが、部次長がワーワー言うのは止まらない。

実は私は内心、この部次長を少しかいかぶっていた。企画段階であれだけ自信たっぷりだったのだから広告を埋める勝算があるのだろうと思っていたからだ。もしも彼の手腕によって広告が埋まり企画が成功していたら、私はこの人を一生尊敬していただろう。

しかし実際に彼がすることといえば、なぜ広告が集まらないんだ、とガーガー騒ぐだけであった。

このあたりで、

「ああこいつも『仕事をしているふり』をしてるんだな・・・」

とようやく気付いたのである。

彼としては、

「私はちゃんと現場を指導して企画をつくらせ、セールスをするよう必死に指示しました。できなかったのは、全て現場の責任です。私は悪くありません」

と上司に説明して切り抜ける腹積もりだったのだろう。しかし、こんなの行為はまったく「仕事」とは言わない。

そもそも新聞屋なんて宅配新聞の定期購読料で収入の大半は成り立っているのだから、それが揺らがない限りは社員ひとりひとりの業績など微々たる要素である。だから「仕事をしているふり」さえしていたらそれで充分なのだ。(思えば、社内全体がそんな人間ばかりの会社であった)。

結局、その広告紙面は掲載されたものの、展覧会と全く関係のないところに無理を言って出してもらった広告の集まりであり、売上も微々たるものだった。

そして、紙面が載った頃、私は会社の上司に辞意を表明した。

こういうことを書くと「こちらは生活のためにやっている」だの「組織で生きるのはそんな単純な話ではない」だのと言ってくる人が出てくると思われるので、あらかじめその辺りについて触れておく。

仕事をするふりをするかどうかというのは、突き詰めればその人のライフ・スタイルの問題であり、良い/悪いといった二元論で語るような話ではない。ただ、私自身はそうした生き方はしたくないし、そんなことをしてまで正社員でいるくらいならアルバイトの掛け持ちの方が気持ちよく仕事ができる人間なのだ。

また、とにかく自分の生き方を批判するなと、意地でも自分を正当化したがる救いのない人もいるかもしれない。それに対しては、最後にこれだけを書いておく。

組織にしがみつくことについて正当化する理由など、要らないはずだ。

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