今週の初めだっただろうか、自転車のブレーキがほとんど利かなくなっている。以前から一方のブレーキが全く駄目だったけれど放っておいてそのまま使っていた。しかしついに前輪も後方も使えなくなってしまったようだ。平らな道を走るくらいだったらこのまま自転車に乗っていたことだろう。だが、私は通勤でけっこうな坂を上り下りするので、ブレーキが利かないというのはとてつもなく危険だ。実際、ここ2、3日はけっこう危ない場面もあり、地面に足をつけて無理矢理ブレーキをかけるようなこともあった。

大ざっぱな私もさすがに、

「これはマズい。すぐになんとかしないと」

と感じて、帰り道に近所の自転車店へ向かう。その自転車は先月もパンク修理をしてもらったが、ちょっと対応が気になってはいた。

「どうして最初から診てくれなかったんですか、私の自転車を」(2012年8月14日)
http://30771.diarynote.jp/201208142110203548/

ご主人が中で作業していたので、

「すいません」

と声をかけると向こうは、

「どうした?」

と気さくというかぶっきらぼうな対応をしている。なんだかまた不安になってきた。

「ブレーキが利かなくなったんです。両方とも駄目で・・・」

というと、

「そうか・・・また明日きてくれるかな?いま忙しくて対応ができなくて」

店に来たのが7時ごろで、まあもう締めるような時間である。こちらもブレーキが直らないと困るのだが・・・。しかしそう言われたものは仕方ないし、無駄足で部屋に帰った。

「なんだかろうなあ。前回の対応もそうだし、この店には縁がないのかなあ」

などと思いながら。

それでも翌日、仕事帰り(自転車通勤は今日も危なかった)にまたこの店へと向かう。割と遅い時間まで開いている近くの自転車店はそこしか思い浮かばないのだ。

「すいません」

と声をかけると、

「どうした?」

と昨日と同じような対応だ。

「昨日の夜も来たんですが、ブレーキが・・・」

「ああ、昨日は悪かったな。おじさん、仕事がいっぱいあってね」

そうですか。今日は大丈夫なんですかね、おじさん。

パンクの場合だと、(修理が終わる)30分後にまた来て、とか言うがそのまま道具を持って作業を始めた。そのまま車輪を確認して、

「前輪も後輪も駄目だねえ」

と言いながら作業をヒュヒュッと進めて、

「はい、できたよ」

と言われた。10分、いやもしかしたら5分もかからなったかもしれない。

しかも、

「500円もらっておこうかな」

と言われたので、素晴らしい!としか言いようがなかった。

見直したよ、Y商会さん。何かあったらまたお願いします。

心の中でそう言いながら自転車で部屋に戻った。
今日偶然に読んだ「産経新聞」の中に興味深い記事が乗っていた。

それは「『世界が変わる…』色覚障害者98%の不便解消、補正眼鏡を販売」

というものだった。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120920/wlf12092021400018-n1.htm

ここで紹介されているのは大阪市中央区にある眼鏡製造会社「ネオ・ダルトン社」で、以前から色覚障害を補正する眼鏡レンズを開発していたが今年から本格販売に乗り出したという。社長の足立公さんもまた色覚障害を持っている。

この眼鏡レンズについてに概要はこうだ。

<米国在住の日本人医師らの理論を基に、赤、青、緑の光の三原色の透過率をフィルターで調節する特殊レンズを採用。ミラータイプのサングラスのように光を反射することで目に入る光の量を調節し、正常なカラーバランスに近づけることに成功した。色覚障害者の約98%について補正が可能という。>

記事には色覚障害を抱えた人の相談内容も出てきている。

「パソコンの画面の色が判別しにくい」
「野菜の鮮度がわからない」
「地下鉄の路線図が判読できない」
「車のスモールランプとブレーキランプの違いが分かりにくい」

こうした悩みは、同じく色覚障害を持っている私としても身にしみて感じることである。地下鉄や市バスの路線図は本当に見づらくてどうしようもないのだ。

この記事で、そうだったの?と思う内容もあった。小学校の健康診断でおこなわれていた色覚障害の調査が平成15年度から廃止されていたというのである。自分が色覚障害であることを気づいたのはいつだったか覚えていないけれど、健康診断であの河原の石のような模様を見せられて、そこに書かれている数字が何か答えられくて辛い思いをしたことだけは記憶に残っている。それもこれも親からの遺伝子のわけだが、私の両親は本当にろくなものを残してくれなかった。

そんな個人的な恨みつらみは書いていてもどうしようもないが、眼鏡をかけることによって色覚障害が補正されるというのは、色弱の人間にとっては夢のような話である。

ただ、この眼鏡の存在について今回の記事で初めて知ったわけではない。ある時にネットで色弱について調べた時に偶然このサイトを見つけたのだ。

http://www.amagan.jp/senka15.html

そしてこのページの、「色弱補正メガネ(ダルトン)を装用された生の声」の中にある、

「40代男性
 ダルトンレンズをかけるまで夕焼けがこんなに美しいとは知りませんでした。」

という一文がずっと頭の片隅に残っていたのである。36年も生きていて夕焼けも数え切れないくらい見ているはずだが、本当の夕焼けの色はこれまで見てこなかったんだなあと。そんなことを思った。

おそらくこの時も眼鏡の購入を検討したと思うが、値段があまりにも高すぎて諦めたはずである。記事にも書いてある通り「7万円台が中心」ではそうそう手が出ない。持てるものなら持ちたい、しかし無いからといって生きられないわけではない、そんな存在なので非常に歯痒い気持ちになる。

ただ、いつかこの眼鏡を買って夕焼けを見てみたいな、と強く心に刻んだ。おそらく11年前、コンタクトレンズを初めて着けた時のような感動が起こるに違いない。だって、世界の見え方がいきなり鮮やかに変わってしまうだろうから。
先日の日記に載せた「ツチヤ教授の哲学講義」(05年。岩波書店)の書評は、その出来についてはともかく、まとめるのに3週間くらいは費やしている。

具体的にどんなことをしたのかといえば、まず230ページある本を何度か読み通して気になる部分に赤線を入れ、それからそれぞれの章ごと(本書は11章ある)にノートで要約をしていくという手法をとった。それをさらにまとめて1つの文章にしたのがあの日のブログである。

これまでにも本の感想は書いてきたけれど、ここまで面倒なことはしてこなかった。本を読んでマーカーをするまでは一緒だが、そこからすぐ文章を作っていたのである。ノートにいったん要約するという過程は全く踏まなかった。今回そのようにしたのにはちょっとした理由がある。自分の本の読み方を変えてみたかったからだ。

社会人(「ビジネスパーソン」という表現のほうが現代的だろうか)としての能力を高めるために読書、それも大量の本を速読でこなすということが挙げられる。またいわゆる「ビジネス書」をヒットさせている人たちは例外なくたくさんの本を読んでいると豪語している。1日最低1冊、40代になったら3冊は読もう、と書いている人もいた。頭の良し悪しを測る尺度を情報処理能力と考えれば速読や多読は有益には違いない。私もそうした考えに触発されて少しでも多くの本を読めるようになりたいと思った。

しかしその試みは三日坊主で終わってしまう。そもそもの話、私は本を読むのはあまり好きではないし幼い頃から読書をする習慣もなかったからだ。分厚い小説など見るだけで嫌になってくるほどである。つまり、速読などができる素質が圧倒的に足りないのである。

また、経済的にボンボン本を買えるような状況にもないことも大きい。漆原直行(編集者、ライター)さんがビジネス書を取り巻く世界を描いた良書「ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない」(12年。マイナビ新書)で、総務省の「家計調査」2010年年報を参照しながら、

<この統計結果によれば、書籍につぎ込む金額は年間で1万800強1か月あたり1500円程度。単行本なら1冊、新書なら2冊買えるかどうかという額でしかありません。そして取材などで得た私の体感値としても「平均で見れば、まあその程度だろうな」と、わりと違和感なく受け取れる金額といえます、>(P.173)

と一般の人々が書籍に費やせる金額について書いている。私もその程度、いや今は平均以下の書籍代しか捻出できない状態だ。つまり、多読をするためにはそれなりの経済的余裕がないと不可能なのである。情けない話だが、素質も環境も恵まれていないので挫折してしまったわけだ。

では無能な人間なりにできる読書の方法を無いものか。そう考えているうちに、1冊1冊を大事に読もう、という平凡な結論に至った。量を捌くことができないのならば、その質を向上させるしかないだろう。その具体的な方法として出口汪先生の「ストック・ノート」を思い出し、文章の要約などを始めたのである。

ストック・ノートはもともと現代文や小論文の受験を控えている学生に対して奨めていた受験対策だったが、そうした人たち以外にも良い効果があると「きのうと違う自分になりたい」(98年。経出版)などの著書において先生は提唱されている。ノート術といえば岡田斗司夫さんの「あなたを天才にするスマートノート」(11年。文藝春秋社)が有名だが、両著には共振する部分がけっこうあってノートを取ることに色々と効能があることが感じられる。

ところで、そもそもの話になるが、読んだ本を自分の中に取り入れるというのはどういうことなのだろうか。このあたりを今日は考えてみたい。

少なくとも文章について記憶することは必須であろう。これは心理学の初歩の知識だが、記憶というのは大きくわけて「記銘」、「保持」、「再生」という3段階がある。

・記銘(情報を頭に入れる)
・保持(その情報を頭の中にとどめておく)
・再生(頭の中から情報を取り出す)

これができて初めて「記憶」が成立する。しかし、書かれている文章を全部覚えたら万々歳、というのもそれは違うのではないだろうか。たとえばお経というものがあるが、お経を澱みなく唱えられる人がいるとして、果たしてその人は内容まで理解したり活用しているといえるだろうか(お坊さんという立場だったら十分に活用してはいるだろうが)。明らかに何かが足りない。

やはり単に「覚えた」という行為だけでは不十分であり、読んだ本の知識を自分なりの形で咀嚼して他の場面でも使えるようになる、というくらいの段階までいかないと「自分の中に取り入れる」とはいえない。そして、ノートを付けるというのはその大きな助けとなる道具なわけだ。

ちなみに出口先生はノートの取り方に特化した「『出口式』脳活ノート」(09年。廣済堂出版)という著書がある。興味のある方はご参照いただきたい。もう文章がかなり長くなったので著書の詳しい内容はここでは書かないけれど、文章を読んで要約してノートを書くことにより、

STEP1:話の筋道を理解する
STEP2:文章を論理的に読解する
STEP3:論理的にまとめ、説明する
STEP4:考えたことを、論理的に表現する

という流れを繰り返すうちに自分の頭の使い方が劇的に変わっていく(先生の表現によれば「論理力が習熟する」)というのが本書の狙いである。

私は高校3年の時(94年)に出口先生の参考書「現代文入門講義の実況中継 (上)」(語学春秋社、1991年) に出会い、それによって難解と思われる評論文や小説が先生の解説によっていとも簡単にスッと自分の頭の中に入っていった衝撃を今も引きずっている。

無機的にしか見えない文字の羅列がとてつもなく魅力的な文章に変化するというのはこの人生の中でも最もスリリングな瞬間の一つであった。

それからは物の考えとか視点は以前より大きく変わったのは間違いない(それによって何か他人に誇れる結果を残したかといえば、それは辛いところだけど)。出口先生との出会いがなければ、いま以上(!)に無気力な人生を過ごしていたことだろう。ともかくその影響は大きかった。

そんな私はこれからの人生に対して明るい展望は全く見えていないし夢とか目標とかも抱いていない。ただ、こんなことをできたらなあ、と漠然と考えていることが一つだけある。

天才どころか凡人以下の自分には、何か歴史に残るような業績を残すとかもの凄い経営手腕を発揮するとかいったことはまずできそうにない。ただ、かつての偉大なる人の残した業績をわかりやすく加工して人に伝えるということだったら、それもまた難しい仕事なのだけど、実現する可能性はグッと高くなるのではないだろうか。

塾の先生とかセミナー講師、または池上彰さんのような「教える」というスタンスとはまた違った、もっと市井の人と同じ土俵に立って一緒に考えるようなそんなやり方ができたら自分にも入り込む余地があるのではと。いつの頃から私はそんなことを考えていた。かつてだったら予備校や大学のアルバイトからスタートするといったそれなりのレールに乗らなければならないし門外漢の私には非現実的な話である。しかしWeb2.0の現在、さまざまなツールが無料で使えるようになった今、情報を発信することについてはグッと簡単になっている。

こうした時代だし、何か目標をたてよう。うん、当面は「出口汪の劣化版コピー」を目指そうかな。

ただ、それなりに結果を出すためには、自分をアピールできる知名度なり業績なり人脈などを作らなければ始まらないだろう。そのあたりをどうするか。ただ、こうして色々考えること自体はけっこう楽しい。

かつては仲正昌樹(金沢大学法学類教授)の著書を紹介したように、思想とか哲学といったものに少しだけ関心を持っている。かといって本格的な哲学書を読み通した経験もないし、今後もそういうことはしないと思う。これまで読んだことがあるのは仲正さんのほか、内田樹さんの「寝ながら学べる構造主義」(02年。文春新書)や斎藤環さんの「生き延びるためのラカン」(06年。木星叢書)など、いわゆる解説書というものだろう。私の知識量では専門的な知識の必要な哲学書をそのまま読むことなどできるわけがないからだ。

哲学や思想に限ったことではないが、よくできた解説書というのは読んでいて実に面白いしためになる。「解説」を目的としているだけあって他人に伝わるように工夫されているからだ(必ずしもそうなっていない内容も少なくないが)。この土屋さんの本もそうした優れた解説書の一つである。

本書は土屋さんが大学(お茶の水女子大学)に入りたての学生向けにおこなった授業をもとに構成したものである。土屋さんといえば「笑う哲学者」と呼ばれているように、どこまで本気かわからないほどふざけた文章を書く人として知られている。しかし本書ではそうした部分は、実際の授業ではあったかもしれないが、ほとんど表に出てこない。「まえがき」だけは、ああ土屋さんだな、と感じるもののそれ以外でいえばオーストリアの哲学者ウィトゲンシュタインを紹介する時に、

<(ウィトゲンシュタインの生家の写真を示して)これがウィトゲンシュタインの生家です。高級な劇場みたいですけれど、これがウィトゲンシュタインの家でした。家の中にグランドピアノが九台あって、しかもピアノ屋じゃないんですよ。ピアノ屋でもないのにグランドピアノが九台もあって、なおかつ、寝る場所もあったんだから大富豪ですよね。>(P.148)

と言っているところくらいだろうか。本書は全体的を通していかにも大学講義をそのまま収録したというようなたたずまいになっている。そういう点で土屋さんの著書ではかなり異色な作品である。それは版元である岩波書店の意向なのかもしれないし、

<わたし自身は、実生活でこそ他人の言うなりになっているが、哲学に関しては妥協せず、納得できるものしか認めないという方針を貫いてきた。その結果が、本書で示したような哲学観である。>(「まえがき」のP.8)

という土屋さんの哲学に対するこだわりが反映されているかもしれない。いずれにせよ講義に出てくる具体例とか逸話なども真面目というか無難というか、笑いをとるような場面は全くない。率直にいうとけっこう退屈な印象を受ける。もし私が実際にこの講義を受けていたら、ちょっと眠っていたのではないか。

しかしこの講義の流れはかなり作り込まれているというか、哲学の入門講座ということではかなりよく出来ている。私が土屋さんを偉いというかさすがと思ったのは、プラトンにしてもデカルトにしてもその著書からの引用が全くないところである。さきほども書いたが、何の予備知識も持たない人間が哲学書を読むというのは相当つらい行為であり、また往々にして時間の無駄となるだろう。井上ひさしさんも言っていたが、とにかくわからないものは役に立たない。のである。そうした難しいところを極力排しているので、頑張って文章をたどっていけばなんとか哲学のエッセンスだけは理解できるだろう。

本書の大きなテーマは、

<哲学というものはいったい何を解明するものなのか>(P.1)

である。哲学とは何か、という疑問にはいろいろな解釈ができるだろうが、ここでは哲学の果たす役割や使命について絞って解説していると思われる。

土屋さんはまず宗教、文学、そして科学を哲学と比較する。大まかな点は以下の通りだ。

◯哲学と宗教の違い
宗教:「信じること」が基本的特徴。その人の価値観というか生き方の問題であり、論証も根拠も必要がない。
哲学:あくまで知識を獲得するのが目的(ただ、これは哲学に限らず全ての学問に共通していえる話だ)。

◯哲学と文学の違い
<哲学と文学はまったく違います。どこが違うというと、哲学の場合は基本的に問題と解決があります。哲学的な問題があって、それに対する解決を示すっていうのが哲学です。文学についてはそういうものは必要ありません。でも哲学には問題と解決がないといけないんです。>(P.9)

◯哲学と科学の違い
<科学は、観察可能な事実を明らかにするけど、哲学はそうではない。>(P16)

こうして比べてみると、

・哲学はあくまで学問なので、文学や宗教と違い、論証責任がともなう(言いっぱなしではなく他人に言葉で説明できるようにならなければいけない)。

・哲学は科学と違い、観察可能なものでなく、例えば「存在」とか「時間」とかいった事実を超えたもの(いわゆる「形而上学的なもの」)を研究対象とする。

といった哲学の特徴が何となく見えてくる。

それでは、哲学の抱える問題を解明するためにはどのような方法があるのだろうか。これについては大きく分けて2つの考え方があると土屋さんは言う。

<ひとつは、哲学は感覚を超えたところにある形而上学的真理を解明するという考え方です。この立場は、哲学を形而上学と考えるんですね。もうひとつの考え方は、哲学は、そういう真理を解明するものではなくて、哲学的問題に関してわれわれの理解を深めることだ、そのためには、特にことばの働きをきちんと理解する必要がある、という考え方です>(P.223)

「形而上学(けいじじょうがく)」という言葉が出てきたけれど、前者は「存在」とか「時間」とかいったパッと見た感じではいかにも深くて難しそうな問題を解明するのが哲学の仕事だという考え方である。これは世間の人々が抱いている哲学または哲学者のイメージと重なる部分は多いだろう。

これに対して後者は多くの人にとってはピンとこない話に違いない。哲学の問題を解くのに「ことばの働き」ってどういうこと?それは国語とか言語学の問題になるんじゃないの?と思うのではないか。

しかし、予想はつくと思うが、土屋さんは後者の考え方をもとにして講義を展開する。そしてベルクソンの「時間」に関する考え方、プラトンのイデア論、デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」といった歴代の哲学者が残した業績を検証する。ここで土屋さんが一貫して主張しているのは、これらの仕事は別に哲学的問題を解明したのではなく日常の言葉づかいに反対しただけだ、ということである。

例えば「われ思う、ゆえにわれあり」というのは、この世の中で疑う余地のないものは何かとあれこれ考えた末にデカルトがたどりついた結論である。この一文は後世に大きな影響を残し、デカルト以降の哲学は心を基準にいろんなものを考えるように研究方法が大きく変わっていくのである。

しかし土屋さんは、

<でもぼくはデカルトが築いた基礎が本当に貴重なものなのかどうか、疑問をもっています。>(P.124)

と述べ、以下のような疑問を投げかける。

<ぼくの考えでは、なぜ「われ思う」が語りえないかといえば、世界が特定の構造をしているからではなくて、また心が特殊なものだからではなくて、われわれが特定のことばの規則を使っているからです。>(P.138)

<ぼくには、デカルトは、われわれが使っている言語規則をそのままなぞっただけだと思えるんです。>(P.140)

<とにかくデカルトは、「われ思う、ゆえにわれあり」は疑えないと言って、そこから自分の哲学を築きました。彼は、「われ思う、ゆえにわれあり」からいろんなことを導出しています。たとえば、「神は存在する」ということを論理的に導いているんですけれど、ぼくは、それはすべて間違っていると思います。言語規則から事実や真理が導きだせるとは思えないからです。言語規則から導き出せるのは言語規則しかないとぼくには思えるんです。>(P.142-143)

引用した部分で言語規則とかことばの規則といったものが出てきた。デカルトは「われ思う」という部分は絶対に疑えないということを示したが、それは哲学の真理を発見したというような話ではないと土屋さんは言うのである。そうではなくて、「思う」とか「痛い」という言葉は本人がそう言ってしまえば成り立つという規則を私たちが採用しているからだ。つまり「思う」という言葉には特殊な言語規則があり、だから疑いようもなくなっているわけである。このあたりちょっと考えないと難しいかもしれないが、「歩く」とか「食べる」といった言葉と「思う」を比べてみればなんとなく感じてもらえるだろう。

そして本書の後半では先ほどのウィトゲンシュタインの考えが大きく紹介される。その著書「論理哲学論考」において、哲学の問題はすべて全面的・最終的に解決したと考えたと土屋さんは解説する。そのウィトゲンシュタインの考えも言語が重要になっている。

といっても、ウィトゲンシュタインの業績は哲学の問題を何か解き明かしたというわけではない。

<彼の基本的な考え方は、すべての哲学的な問題はナンセンスであるというものである。つまり、問題自体が間違っていて、問題として成り立たない。問題を立てること自体が間違っているということです。>(P.150)

つまり、「存在とは何か」といったような問題を考える自体が無意味だ、ということである。これは一見すると哲学そのものに意味が無いとも読める。

そもそもの話になるが、言語というのは事実を述べることしかできない。事実を積み重ねることしかできないから、それを超える真理を記述することは原理的に不可能なのだ。荒唐無稽な表現するだけだったら十分に可能だが、それはもはや宗教や文学の世界になる。科学のように誰でもわかる言葉で示すこともできない。

言語で表現できないものを言語で試みようとしているということに哲学の大きな矛盾があるのではないだろうか。本書を読んで私が至った結論の一つがそれだった。

<こうして、ウィトゲンシュタインは、本質も善悪も価値も事実も、知ることはできないものだと考えました。これは人間の能力がたまたま不足しているからではないんですね。言語の構造によって知ることができない仕組みになっているという結論に到達したんですね。哲学的なことについて知ることができないような問題は「問題」とは呼べないからなんですね。>(P.206)

それゆえウィトゲンシュタインは、

「哲学の問題は、解決されるべきではなくて解消されなくてはならない」

という言葉を残している。

私もたぶん哲学的問題について多くの人が合意できる答えはないだろうな、とは思う。しかし、それで全てに納得したかといえばそうではない。

例えばふとしたきっかけで「生きるとは何か」と思い悩んだとする。ウィトゲンシュタインの考えを知っている私は「そんな問いなど正解があるはずがない」とはわかっているわけだ。しかし、だからといってその悩みを放棄できるかといえばそれは無理だろう。100点満点の回答ができないという事実はわかったとしても、それでも自分なりの回答、それが20点か60点かはわからないが、を出そう。そう考えるのではないだろうか。

謀らずも土屋さんは本書の最後で、

<人間は放っておくと哲学的な問題を作る傾向があります。>(P.227)

と指摘しているのが、これは全くその通りだと思う。人間とはそういう生き物なのだ。人生なんて順風満帆なことなどそうそうないし生きていたらそんな考えに迷いこんでしまうだろう。

「まえがき」で土屋さんはこうも書いている。

<哲学は実験するわけでも、観察するわけでも、調査するわけでもない。自分で考えてみて納得するかどうかが哲学のすべてである。ゼロから考えて納得するという要素がなければ、哲学とは言えないと思うのである。>(「まえがき」のP.6-7)

本書を何度か通して読んでみて、その意味がやっとわかってきたような気がする。哲学的な問題は自分で生きて考えることでしか答えらしきものが出てこないのだろう。今はそんなことを考えている。

第二回たかつきバル「食べ歩くという天国。」に行ってきた
3連休の初日である。この日は高槻に行く、ということに先月から決まっていた。阪急「高槻市」駅周辺でおこなわれるイベント「たかつきバル」に参加するためである。

「たかつきバル」の主旨は公式サイトにこう書かれている。

http://takabar.com/

<平成24年9月15日(土)は、高槻のまちなかが、バル街になります。
「食べ歩くという天国。」をコンセプトとし、参加者の皆様に、高槻市のまちなかを食べ歩き(はしご)をしていただきます。厳選された飲食店60店舗が、自慢の一品とワンドリンクを、一軒につき前売り券600円・当日券700円の格安バルメニューでお迎えいたします。
 
高槻市の街中の賑わい創出により、飲食店を中心として、参加者の皆様と高槻市の団体や企業の後援・協賛を元に、ワクワクしながら「食楽のまち」高槻市のまちづくりを活性化いたします。>


チケットは5枚綴りになっていて、60店舗から好きな店に行ってそれを提示したら料理とドリンクが出てくるという形式だ。今年の2月25日に1回目が開催され、それが好評だったのか、本日に2回目をおこなう運びとなった。私は友人のK君から教えてもらい興味を抱いたところ、じゃあ一緒に回ろうか、と彼が言ってくれたので参加を決めたのである。チケットはネット予約した方が良い、ともアドバイスを受けたので発売初日(8月6日)にすぐ押さえておく。それは正解で、チケットは販売期間を待たずに完売となった。

K君とは夕方に合流することになっていたけれど、2時前には駅前に到着していた。高槻に行く機会もそれほど多くはないので、ちょっとラーメンを食べたかったからだ。駅から3分くらいの場所にある「きんせい」を久しぶりに訪れる。それからまた駅まで戻り、高架下のイベント本部にてチケットを引き取りに行く。本部ではなぜか振る舞い酒があり、ハイボールをタダで飲むことができた。こんなに早い時間から飲んで果たして無事に帰られるだろうか、などというのは私にとって要らぬ心配である。

受付時にもらった地図をもとに参加店をいくつか回ってみる。いずれも駅から5分程度で行けるところであった。そうして午後4時過ぎに本部にてK君、そして彼の高校時代の同級生と合流する。イベント自体は正午から始まってはいるけれど、夕方から開店するところも多い。そこで、開いてる店を回って時間をつぶそうかということになり、そうやって5軒の店を巡った。写真はその1つである。facebookには店に行くたびに写真を載せていたし店名も明記したけれど、日記でそこまでする気力もないので1枚にさせていただく。ともかく鯖寿司にチーズケーキにカレーと色々なものを食べ、飲み物もビールにココナッツ焼酎にラズベリーティーソーダ
など実に多様なものをいただいた。これで1軒あたり600円というのはかなりのお得感がある。前売り券が完売し、当日券も一瞬でなくなったのは当然だろう。

料理自体も我々の運が良かったのか美味しいものばかりだったし、別の機会にまた行きたいと思える店もあった。珍しく休日らしい休日を過ごした気がする。

それにしてもこのイベントのスタッフは周辺のゴミ拾いをするわ混雑する店の行列を整理するわ、またfacebookでお店の空き状況など情報をマメに流すわでよく動いていたと思う。このまま続くのであれば、また参加したいかな。
Facebookに登録したのが2011年2月5日のことだった。なぜ始めたのか、その動機ももはや覚えていないけれど、この国でも少しずつこのSNSが浸透しつつあるなという空気を感じ取ったのだろう。しかしその頃も、実名主義だし日本ではそんなに広がらないだろう、とは思っていた。

それがみるみるうちに(個人的な印象ではこの半年間ほど)利用者が自分の周りでもずいぶんと増えた。現在(2012年9月14日)、私とつながっている方も45人に達した。いまの大学生くらいだったら、FacebookやTwitterなどのSNSを登録して周囲とやり取りするのもごく自然な行為なのだろう。私が大学の時(96年〜00年)は、携帯「電話」(当時はメール機能もなかったのだ)すら持ってなかったけれど。

Facebookもまた日常における友人・知人同士の情報交換の場と化している気もする。だが、私も1年半ほど使いつづけていながら、多くの人がしていることをしていなかった。

自分の顔写真の投稿である。

もともと自分の写真など載せたくないと思い、道ばたで撮った犬の写真や、高校時代に「似てる」と言われた「まおちゃん」(森下裕美のマンガ「少年アシベ」の登場キャラ)の画像を乗っけてお茶を濁していた。しかし一方、名前が「Face(顔)」とついたSNSだし基本的に「実名主義」ということになっていて顔写真を載せないのもなんだなあ、と少なからず違和感を抱いてもいた。mixiやTwitterだったら自分の写真を載せる人は少数派だろう。だがFacebookだったら、自分の写真を使わないのはなんかやましいことがあるのか、と思われるような気がしてならない。ましてや日記や他のSNSですら実名を出している人間だから余計そう感じてしまうのだろうが。

そして先日、適当な写真があったのでそれを切り取って投稿してみた。すると何人かから反応をいただいた。

「劇的ビフォーアフターじゃないですか!」
「遺影で使えるやん!」
「痩せすぎやろ!わしと反比例してるやんか!(ToT)/~~~」

といった感じである。また「イイネ!」が2つ付いたけど、何が「イイ」のか本人にはさっぱりわからない。

ただ、しばらく会ってない方からしたら容姿がずいぶん違ってみえるかもしれない。かつての職場を辞めた時(11年4月)は体重が80キロくらいだったから。今はそれより10キロくらい減っている。

しかし、顔写真を載せたら載せたで、また別の違和感が出てきた。「◯◯にチェックインしました」とか近況をつぶやいていみると、その横に自分の写真が出てくるのがどうも気になるのだ。なんだか自分が喋っているような・・・実際にコメントを書いているのだから当然なのだが。だが、これもしばらくすれば慣れてくるだろう。

通勤中に見る光景
毎日毎日おなじ勤務地に行くと、部屋を出る時間も道のりも必然的に決まってくる。そうなるとまた別のことに気が付く。途中にある工事現場ではいつも同じ警備員が立っているし、自転車に乗った一人の男性とは毎朝のようにすれ違う。彼らも私に対して、ああいつもの人だ、と思っているのだろうか。

そして今日の写真もまた、朝いつも見かける光景の一つである。おそらくここで誰かが交通事故か何かで亡くなったのだろう。お花と飲み物が置かれている。

それだけだったらほとんど気には止めなかっただろう。しかし毎日のように見ていると、あることに気がつく。日が経つにつれてお花が枯れていくわけだが、そのくらいになるとまた新しいお花と飲み物が添えられているのだ。それは亡くなった方に対する遺族の思いの強さを物語っている。

どのような心境でいつもお花を取り替えているのかは私には想像がつかない。

ただ、

「自分にはそれほど思ってもらえる人、またそれくらい思う相手などいないな」

と気づいただけである。
別に改まって言う話でもないけれど、またしても日記の更新が滞っている。個人的な事情が絡んでいるのであまり具体的なことは書けないけれど、支障のない範囲でなんとか近況を伝えてみたい。

いましている派遣の仕事を見つけたのは今年5月の半ばからだった。以前の職場を離れてほぼ1年を費やしたものの、働いて生活費をなんとか捻出しながら将来に向けて活動をする態勢がこれで築けるかもしれない、という淡い期待がその時はあった。

しかしそれから3ヶ月が過ぎ、現状は自分の描いていたような形に全くなっていないことに愕然としている。ものすごく簡単に説明すれば、日常の仕事を全くこなすことができず、そのおかげ自分の時間を捻出する余裕もないまま壁にぶち当たっている状態なのだ。もっといえば、今の仕事を続けられるどうかも怪しくなってきている。そうなったらまた新しい仕事を探さなければならない。前回の仕事は半年、今のが3ヶ月程度しか続かないというのはなかなか厳しいものがあるだろう。企業などに対する心象も悪いに決まってる。

この3ヶ月の間に何があったかといえば、とにかく毎日のように失敗ばかりしている。思い起こせば自分のヘマしか出てこない。失敗を糧にして次を頑張ればいいではないか、と多くの人は思うだろう。しかし自分は全く何も改善できず現在に至っている。そして、具体的な方策が出てこない。そうなると、今の仕事は続けられない、という結論を出すしかないだろう。

その失敗ばかりの毎日を過ごす過程で、自分というものに対して嫌でも向かいざるを得なかった。だが出てきた答えといえば、

「自分というのは、変えることができないものなのかな」

という残酷なものだった。

別に私はこの数ヶ月でそういう考えを持ったわけではない。大学を出てから最初の職場に採用されるまでのことなど自分の過去を振り返って導き出したものだ。当時もけっこう苦労らしきものや嫌な体験をしていたけれど、それによって自分を変えられたかといえばそうでもなかった。

なんとか01年に最初の会社に入ってからも、組織によって自分がつぶされるような経験は、もうこれは幸か不幸かわからないけれど、なかったと思う。しかしそれが社会人としての致命的な欠陥となっているとも考えられる。実際、そうした自分の悪い面がいま表出したため現在の仕事に支障が出ているのだ。

ともかく、現状の仕事をこなすためにはこれまでの自分のスタンスをかなり変更しなければ切り抜けられない。それだけは確実だ。そして、それはもうこの1ヶ月である程度の結果を出さないとマズい状況になっている。

しかし橘玲さんが「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(幻冬舎、10年)で繰り返し書いてある通り、自分というのは容易に変えられないのだ。少なくとも私の中ではそれが厳然とした事実である。それでもなんとかしなければ、また失敗の繰り返しの日々が待っている。いや、もう失敗を続けることも許されない。できなかったらもうお終い、というわけだ。

スティーヴィー・ワンダーとともに「ニュー・ソウル」と言われる新しいブラック・ミュージックを70年代につくったマーヴィン・ゲイは父親に射殺された悲劇の人として知られているけれど、生前も悲惨な出来事を多く経験している。60年代の彼はタミー・テレルとのコンビで数々のヒット曲を飛ばしていた。二人はステージでも実生活でも理想のカップルであった。しかしその人気が絶頂の時にタミーは脳腫瘍で倒れ70年に亡くなってしまう。ショックを受けたマーヴィンはノイローゼとなり音楽活動を1年間休止することになる。

彼は後年、

「私が音楽に求めるものは、悲しいリフレインだけだ」

という言葉を残している。私が最近ふと思い出したのがこの「悲しいリフレイン」だった。まさに自分の半生も悲しいというか情けないことの繰り返しである。ただ私には「喪失」といえるような大事なものを手に入れたという経験がそもそも無いというのがマーヴィンと決定的に違う点だが。

別に私は同じ失敗を繰り返したいわけでない。しかしそのためには、本当に自分をどうにかしないとならないのだ。今月はそれが試されることになる。

本日は珍しく何も予定のない日となった。そうなると、何もしないのはもったいない、という思いが出てくる。

「そういえば、山下達郎のシアターライブっていつだったっけ?」

そんなことが頭をよぎりネットで調べたら今日が公開日ではないか。京都ではイオンモールKYOTOの中にある「T・ジョイ京都」で上映される。これは観るしかないと決め、ネットで座席を予約する。そしてこの暑い中を自転車で40分ほどかけて京都駅の八条口まで向かった。イオンモールへ行くのも実に久しぶりだ。土曜日だったためか、施設内に人の数もけっこう多い。私が映画を観た時間は午後3時45分の上映で、観客は多く見積もっても3分の1くらいだった。わざわざ座席を事前に確保しなくても大丈夫だったけれど、用心するに超したことはないだろう。

あの大ヒット曲”クリスマスイブ”によってその名前は多くの人に知られているものの、動く姿を実際に観ているのは熱心な音楽ファンに限定されているのが山下達郎である。ネットで彼の動画を探しても、おそらくライブ映像は出てこないはずだ。なぜなら、いままで映像作品を一般に出したことがないからである。

「Quick Japan vol.62」で彼の特集をした時に、

<僕は武道館やらない、TVに出ない、本を書かないの”三ない主義”でやってきたから。>
(P.42)

と山口隆(サンボマスター)との対談で公言している通り、その主義をデビューから現在までずっと貫いている。

この「三ない主義」は彼が意固地なこだわりを持っていることを差し引いても、それなりに合理的な理由が存在する。なぜ武道館でライブをしないかといえば、あれだけ大きな会場だと後方の座席からではステージにいるミュージシャンは米粒大くらいにしか見えない。その対策として舞台横にスクリーンを設置することもあるけれど果たしてそれが「ライブを観る」という行為なのだろうか。これはネットか何かで見つけた話なので出典はわからないけれど、彼が武道館や大阪城ホールでライブをしないのはそうした疑問がある。

こうした考えを踏まえれば、なぜ彼がライブ映像を出してこなかった理解しやすいだろう。ライブを観ることと「ライブの映像を観ること」は同じことなのか。そういう思いがあってこれまでライブ映像を作品として発売するようなことはしてこなかったのである。

しかし、ここ数年のタツロー氏は以前のような意固地さが無くなってきたというか、いままでにはないような試みをしてくることが多い。いままで歌ってこなかったタイプの曲を出したり、2010年の夏に音楽フェスティバル「ライジング・サン・フェスティバル」に出演したこともそうだ。それは、自分はあとどれだけ音楽活動が続けられるのか、という思いが彼の頭によぎっているのではないだろうか。ラジオやライブのMCでもそんなことを言っていたし。今回のシアターライブに踏み切ったのも、彼の思いと関係しているような気がしてならないのだ。

私の推測はともかくとして、日本の音楽界で独自の活動を続けてきたタツロー氏の約30年にわたるライブ映像がドッと見られるのだから貴重だ。しかも京都での上映は9月2日(日)までである。たったの8日間だ。これを逃すという手はないだろう。

まだ公開したばかりなので内容を具体的に言うのは避けるけれど、まず冒頭のライブが始まるまでの映像が良かった。ライブの舞台を作るのにこれだけの人が関わりこうした形でできあがっていくのか、ということを見せつけるもので、そのあたりを持ってくるあたりにタツロー氏の視点や思いがまず伝わってくる。

肝心のライブ映像であるが、もともと公開などするつもりもなかったためか、資料のために撮ったという印象を受ける。80年代の映像の中では、映画で公開するような質じゃないだろう、というものもあった。しかしながら大きな映像で見る迫力というのは格別のものがある。タツロー氏や彼をサポートするミュージシャンの表情なども興味深い。しかし個人的にはタツロー氏のギターのカッティングが最も印象が残った。CDしか聴いたことの人は、ライブにおけるファンク色の強さに驚くのではないだろうか。

それから、私も現場にいた映像(2008年12月28日、大阪フェスティバルホール)が出てきたのも嬉しかった。この日はフェスティバルホールにおける最後のライブで(現在は取り壊され別の場所で再建中)、ここから2曲が取り上げられたのは彼がこの会場に特別な思い入れがあったことが伝わる。

約90分にわたる映像の中で、MCの場面とか彼がいつもステージでしている独自のパフォーマンスも取り上げており、

「へー、山下達郎ってライブでこんなことをしているんだ」

と感じてもらえるようにもなっている。そして70年代から活動をしていても一貫している、ブレないというか変わっていないミュージシャンとしての彼の部分も感じ取れるだろう。

京都ではなかったが、他の上映会場では拍手も起きたという情報をネットで見かけた。しかし、私の1曲終わるたびに拍手をしたくなる心境であったから何も不思議ではない。

また機会があればライブ会場に足を運びたいと思える素晴らしい内容だった。また、現場でしか観られない山下達郎を疑似体験できる貴重な機会なので、興味のある方はぜひこの1週間を逃さずにしてもらいたいと願う。
今年は珍しく「送り火」を観に行った
ずっと田舎で暮らしていたためか、人が多い場所へ行くのは好きではない。連休中に遠出をするのも嫌だし、何か大きなイベントやお祭りをしているところに入りたくもない。だから例えば祇園祭の最中は京都市内の中心部には近寄らないようにしている。

そして今日も人がたくさん集まってくる行事がおこなわれる日だ。8月16日は「五山の送り火」である。送り火のよく見える場所はどこも人でいっぱいになるのでウンザリしてくるし、もちろんその中に加わりたくもない。

しかしながら今回については、近所の船岡山公園はよく見えるしちょっと覗いてみようかな、という思いが頭をよぎった。日記やFacebookに載せるネタを作りたかったのかもしれないし、いつもと違った行動をとってみようと考えたのかもしれない。理由はともかく、午後7時半ごろに部屋を出てサンダル履きのまま歩いて船岡山公園まで向かった。徒歩だとけっこう時間がかかり、公園前に着くころには汗だくの状態になる。

船岡山公園は丘に上がると5つの送り火のうち4つを拝むことができる場所だ。やはりたくさん人が集まっており警察も何人か待機して物々しい雰囲気ではあった。しかし、同じく人でいっぱいとなる鴨川周辺と比べればそれほど混雑はしていないから穴場といえるだろう(これは私の体験ではなく、鴨川と船岡山で送り火を両方観ている人の話だ)。

そうして午後8時になると、順々に山が点灯されていく。そのうちに、公園からは最も大きく見える「左大文字」を撮ったのが画像だ。もちろん多くの人がデジカメや携帯やDS(子どもが使っていた)で撮影していたが、フラッシュをたいても意味ないよ、という声がどこからか聞こえてくる。個人的にも山が遠くにあるのだからフラッシュは意味をなさない、と思い込んではいた。しかし試してフラッシュを使用してみたら、近くの様子がクッキリ写ることによってコントラストとなり、暗闇にただボッと火があるより見栄えがするように感じる。

公園のあちこちをウロウロして写真を撮ったら満足してきたので、8時40分ごろには部屋に向かった。北大路通りには観光バスが何台から止まっており、バス停も人でいっぱいである。この中を自転車で移動していたら厄介なことになっていただろう。歩いてきたのは珍しく正解だ。

道に歩いている人から、左大文字が大きく見えて良かった、というような声も聞こえてくる。私は別に船岡山は初めてでもないのでそうした感慨はなかった(最初に観たときはなかなか感激したけれど)。ただ、

「もう8月16日か。8月も後半なんだな」

という焦りにも似た思いがただ頭の中を回っていただけである。
毎朝起きたらパソコンの「radiko」を立ち上げてFM大阪を聴くことが多い。6時からはTOKYO FM系で全国38局に流れている「クロノス」が始まる。その中で、今週末におこなわれる「サマーソニック」の注目アーティストのベスト3を紹介していた。解説していたのは主催元の「クリエイティブマン」の坂口和義さんである。

そしてその3組とは、

1位:グリーンデイ
2位:リアーナ
3位:もも色クローバーZ

であった。妥当な線だが「俺には関係ないな」という顔ぶれである。グリーンデイは日が違うし、残りの2組が出ている時はニュー・オーダーを観ているか、帰っているだろう。

職場ではFM802が流れていて、やはりというかグリーンデイやニュー・オーダーなどサマソニへ出演するミュージシャンの曲が流れる傾向にある。私は大阪初日に参加するが、もうあと3日と迫ってしまった。

数多くのミュージシャンが参加する音楽フェスティバルを回る場合は、事前にコースをある程度は決めておくが肝心だ。サマソニの公式サイトではタイムテーブルもできている。

http://www.summersonic.com/2012/timetable/osaka0818_day.html

つい先日までは会場までの道のりすら把握してなかったけれど、もう時間もないし当日のシミュレーションをしてみたい。現場に行ったら細かい違いは出てくるだろうが、おおまかな流れはこれで行くだろう。


【2012年8月18日の予定表】

午前5時半ごろ:目覚ましはかけてないが、いつものように起きてしまう。出発までYou Tubeの映像を観て付け焼き刃な予習をする。

午前9時ごろ:部屋を出る。京阪電車で淀屋橋へ向かい、そこから地下鉄に乗り換えて「コスモスクエア」駅を下車して専用バスに乗る。

午前11時ごろ:開演してすぐくらいに会場へ到着する。。午前中は特に観たい人もいないので、グッズ売り場などを散策し、ニュー・オーダーのTシャツを見つけて購入する。それからステージの位置関係を把握しようとするが、慣れない場所ではお約束の迷子となりこの時点でかなり疲れる。適当に食事をして水分も補給しておく。そして一番大きなOCEAN STAGEへ向かう。

◯午後1時ごろ:PRINCESS PRINCESS(OCEAN STAGE)
最初に観るもの一発目がこれとは自分らしい気がする。世代的に合ってはいるけれど当時も今も思い入れは一切ない。しかしながら披露される曲はさすがに知っているものばかりで、その点では楽しめるステージであった。

◯午後2時ごろ:Perfume(OCEAN STAGE)
彼女たちを観たと、言ったら周囲から羨ましがられるであろう、もはや我が国を代表するアイドル・グループ。とはいいながら1曲もまともに聴いたこともない人間としては、周囲の異様な盛り上がりを遠くで眺めることしかできずに終わる。そしてMOUNTAIN STAGEへそそくさと移動する。

◯午後4時半ごろ:HOOBASTANK(MOUNTAIN STAGE)
MOUNTAIN STAGEに到着。とりあえずこの場所を確保しなければ何も始まらない。もうここからは離れないぞ。トリの前の前だったのでまだお客はパンパンというほどではなかった。やはりこのくらいから待たなければ。そういえば10年前のモリッシーは最前列で観たんだったなあ。今回はどうなることやら

◯午後6時半ごろ:GARBAGE(MOUNTAIN STAGE)
ニルヴァーナやフー・ファイターズなどをプロデュースしたブッチ・ヴィグのバンド。であるが、個人的には全く聴いたことがなく、事前にYou Tubeで数曲を聴いただけで終わる。よってライブには付いていくことも楽しむこともできずに終わる。しかし、次のニュー・オーダーを観るため徐々に前の方へ進んでいくのだけは忘れない。

◯午後8時ごろ:NEW ORDER(MOUNTAIN STAGE)
トリをつとめるニュー・オーダーは、個人的に唯一にして一番の目当てだ。フーバスタンクの時から陣取っていたおかげで、かなり前の場所を確保する。しかしなんだかんだで開演は予定より1時間ほど遅れた。これがフェスの常である。実際に観るニュー・オーダーは、予想通りパッとしない演奏だったものの、”リグレット”など代表的が飛び出したらさすがにテンションが上がり、彼らの前身であり個人的に最重要バンドであるジョイ・ディヴィジョンの曲が飛び出した時には、自然と涙が・・・。

◯午後9時半ごろ:ニュー・オーダー終演後
オーシャン・ステージではリアーナのステージがまだ続いているが、終演後の規制退場がうっとうしいのでそのままバスに乗って南港へ向かう。それでも部屋に戻った時は日付井が変わるころになっていた。倒れるように眠る。


以上、おそらくこんな感じで1日が終わるだろう。いま書いて思ったが、これを下敷きに当日の感想を書いておけばよかったのでは?とケチくさい思いが頭をよぎる。しかし、当日は当日で予想外の出来事があるにちがいない。さあ、これだけ準備をすると楽しくなってきたぞ。

お盆と関係ない職場とはいえ、人の出入りがが少なくなっているためか今週はかなり静かに過ごしている。今日もややこしい案件もないまま終業時間を迎える。そしてすぐ外へ飛び出してバスで部屋へ向かった。先日パンクした自転車を今日中に修理したかったからだ。それが済まないと出勤も買い物もラーメンも行けないではないか。

しかし焦っているにもかかわらず、大事なことに気がついた。

「まてよ・・・。今はお盆だからお店も休みなのではないか・・・」

つくづく悪い時期にパンクをしてしまった(パンクをして良い時期など、そもそも存在しないが)。自転車を押してお店まで行ったあげくに「休業しています」という張り紙があったら・・・嫌だよね。

そこで部屋に戻る途中に携帯からお店へ電話してみた(お店の番号を登録していたのだ)。

しかしおそるおそるかけてみると、

店の人「はい、◯◯商会です」

といきなり出てきたので驚く。

私「あ・・・。今日は営業しているんですか?」

店の人「はい、してますよ。でもこれから外に出るんで、30分後に来てもらえますか?」

私「はい、わかりました」

良い意味で予想は裏切られた。とりあえずこれで自転車の問題は片付きそうだ。部屋に着いたらすぐお店へ向かうつもりだったけれど、30分待てと言われたので着替えて一休みしてから出発する。部屋からお店までの所要時間は10分くらいだったろうか。ただ、疲れていたのか空腹だったためか、その距離がなんとなく遠く感じてしまった。

店内にはご主人が一人(いつも一人だが)しっかり待機していたので、

「すいません。さっき電話したものです」

と言って、

「日曜日に空気が抜けて、たぶんパンクかと・・・」

と事情を簡単に説明した。

いつもなら、

「わかりました。すぐ見るから30分後に来てください」

というのがこの店のパターンであった。しかし、この日のご主人から返ってきた言葉は、

「空気を入れてみて」

という思いもよらぬものだった。

いやいやいやいや。私は自転車の専門家ではないけれど、もうこれは自然に抜けたものとは違うと思うんだけど。

「これはパンクだ!セックス・ピストルズだ!クラッシュだ!早く直して!」

と強引に突っぱねれば良かったのだが、そんな根性のない私はご主人が言われるがままにプシューッと(自分で)後輪に空気を入れる。とりあえずタイヤはパンパンになり、どこかの穴から漏れているような気配はない。

店の人「これでしばらく様子をみて」

私「・・・はい・・・わかりました・・・」

本当はちっともわかってなかったんだけど、そのままお店をあとにする。どうしようもないのでとりあえず近くのスーパーで晩ご飯を買おうと走り出した。しかしお店についた辺りで、3分くらい経っただろうか、もうタイヤの空気が無くなっているではないか。もう少し様子を見ようかとしばらくスーパーの中をうろうろして戻ってみたら、もうタイヤはフニャフニャの状態になっている。そのまま自転車を2、3分ほど押して歩き、

「すいません!やっぱり空気が抜けましたあ!」

とご主人に伝えると、

「じゃあ見るから、30分後に来て」

と言われる。そうしてまた近所をフラフラして時間をつぶしてお店に来たら、

「できてますよ。1300円」

と当たり前のように言われた。

このお店は対応がなかなか良かったのでいつもお願いしていたのだが、今回の件はいかがなものか?という感じである。最初から診てくれていたら多少の時間削減にはなったと思うのだが。お盆にもかかわらず働いていて先方の機嫌が悪かったのだろうか。こちらは別に診断料くらいは払ってもいいのだが・・・ちょっと後味の悪いパンク修理であった。
体重が増える心配は、たぶん、無し
今日は先日に引き続いて左京区の方へ用事があった。天気は昨日とうって変わって快晴だったのでいつも通り自転車で向かう。終わったら置き忘れた傘も引き取ってこれで万事うまくいく、と最初は思っていた。

用事が終わったのは午後9時過ぎである。明日も仕事で早いし、帰って食事をする気力ももはやない。そうなると、どこか外で済ませようかと安直な考えに走るのが常だ。そして自然と足は一乗寺の方へ向かう。

「なんだか、タイヤの空気が抜けているような」

と思いながら、「ラーメン軍団」まで行き「重厚つけ麺」を食べてみた。しかし、この選択は間違っていた。店を出てふたたび自転車に乗ると、後輪の空気がスカスカになっているではないか。もはや乗って走ることは、不可能でもないが、かなり辛い状態である。

こうして、この夜中に1時間ちかくかけて自転車を押して上京区まで戻った。部屋に着いたのは午後10時45分くらいである。真っすぐ帰っていればある程度のところまでは自転車でいけたかもしれない。そのあたりの判断ができなかったことも実にまずかった。唯一の救いは余計に歩いたおかげで、つけ麺を食べたカロリーを多少は消費できたことくらいだろうか。そう考えるしかないだろう。
社会人になってから職種のせいで「お盆」という概念がかなり意識が薄くなっている。会社全体が1週間も停止するというのを経験したことがないからだ。現在の仕事をしてようやくそうした社会の動きを実感しつつあるのだが。

といっても、別に私にお盆休みができたわけではない。休日は「カレンダー通り」というやつだ。派遣社員の身で特別休暇など存在しない。別に休めるといえば休めるだろうが、そのぶん月給が少なくなってしまうだけのことだ。

さらに土日も用事が重なっているため、もう休日というものすら無いのでは?という状態になっている。こういう人間を世間は「貧乏暇無し」と呼ぶのだろう。自分でもまさにその通りだと思う。

それはともかくとして、今日は昼前から夜の9時ごろまで左京区で予定が入っていた。いつもなら自転車で25分ほどかけて行ったけれど今回は、そうもいかない、と行く前から感じていた。

降水確率が高いからだ。

といっても12時〜18時、18時〜24時の時間がともに「60%」という実に微妙な数字だ。「もしかしたら降らずに済むかも?」と思ってしまうだろう。実際のところ自転車で行かなければ、傘を持ったりバス代がかかったり早めに出発しなければならなかったりと面倒が多いのだ。

しかし決め手となった判断材料が出てくる。

「局地的に大雨のおそれ 西日本から北日本」

とYahoo!のトップに載っているからだ。

「うーん、今は大丈夫かもしれないが、晩には土砂降りになるかもしれないな。それで自転車だったら大変だろうし」

ということで、傘を持ってバスで出かけることにした。行く時は雨は降っておらず問題はなかった。しかし昼過ぎからどんどん空模様が怪しくなり時には雷鳴がとどろくほど大雨が襲う。

「バスにして良かった」

と、この時点では安堵した。しかし、である。夜が更ける頃には雨もすっかり上がってしまった。

「あー、これだったら自転車で移動できたのに!バス代もかからなかったのに!」

と悔やむが、もうそれは仕方ない。何もなかったのでそれで良しとするしかないだろう。しかし、面倒なおまけが一つ自分に待っていた。疲れた体でバスを待っているうちに大事なことを思い出したのである。

「あ・・・。傘を置き忘れていた」

明日も用事があるので、そのときに取りに行こう。
「日給月給」という言葉がある。「時給労働」といったほうがわかりやすいだろうが、働いた時間の分だけ給料に反映されるというのが現在の私の雇用形態だ。平日に休むことは前もって相談すれば可能だが、その分の収入はそっくり無くなってしまう。ボーナスどころか交通費も支給されない結構ギリギリの状態で生活している身としてはこれはなかなか辛いところだ。

しかも、休みを入れたらその分の仕事の負担も翌日以降にのしかかってくる。それも自分を苦しめることになる。しかし今日はもう数ヶ月前から予定を入れていたので行かないわけにもいかない。そうした悲壮な覚悟(というほど大層なものでもないか)をしての本日の休暇であった。

ライブは夕刻から始まるので、せっかくの平日だから何かしなければな、と考える。そして、以前の職場を回ってみようと思い立った。半年前だったらそのようなことは考えていなかった。もし「今どうしてるの?」と訊かれたら動揺して答えられなかったし、そもそも人前に出たい気分ではなかったからだ。今はその時より心境はだいぶマシになったし、リハビリのようなつもりでこうした行動をとったのである。

昼前から夕方にかけて大津の滋賀本社と中京区の本社に行き5~6人の方と立ち話をしただろうか。その途中、ラーメンを食べさせてもらったらお茶を飲ませてもらったりもした(ありがとうございました)。それ自体は楽しくて有意義だったのだけれど、みんなに共通して受けた印象は、

「なんだか疲れているのでは・・・」

というものだった。職場の状況を訊けばやはり良いこともないわけで当然といえば当然のことではあるだろう。しかし、なぜそんなことを感じ取ってしまったのか。この1年ほど色々と苦労して人の痛みがわかるようになったのだろうか。いや、そんな高尚な話ではない。当の私自身がけっこう精神的に参って疲れているから、相手にも同じような空気を感じとったのだと思う。

ところで、かつての職場を訪ねたと聞いたら、

「なんだ。辞めたのを後悔してるのか?未練があるのか?」

と思う人が多いに違いない。私が傍観者の立場ならそう思うだろう。しかし自分に関していえば、それは全くない。出会った人の一人から、残っていた方が良かったかも、と言われた。しかし辞める直前の自分の状態を定年まで25年間続けられるかといえば、それが絶対に無理だった。どこかで体か脳みそがぶっ壊れていただろう。そういう人生は全く自分の望むところでないし、それを解決するためには職場を去ることしかなかったのである。

もちろん現在も日々の生活に不安を抱いて生きているわけだが、それは会社勤めをしているころから思っていたことだ。定期的な収入が毎月確保できるからといって、将来の不安が消えるわけでもない。今の生活が経済的に苦しいからといって、(私の感覚で)「ちょっと」収入が増える代わりに精神的にはグッと辛くなるかつての職場に戻ろう、という気持ちになれるだろうか。私にはとてもそうは思えないのだが。

それはともかく久しぶりに色々な人と話をして、仕事面で相当に行き詰まっていた自分も元気をもらったというか、みんな苦しんでるわけだしもう一踏ん張りしないといけないかな、という気持ちにさせられた。そう思えただけでも今日1日は大きな意義があったと思う。

京阪電車と地下鉄を乗って心斎橋に着いたのは午後5時45分ごろだった。ライブ前に何か食べておこうとアーケード街にある「こがんこ」で回転寿司を食べる。「こがんこ」に寄ってからライブ会場に行く(またはライブ終了後に「神座」へ行く)というのは、10年くらい前はよくやってはいたが、久しぶりのパターンだ。昔は毎月のようにライブで大阪に行っていたなあとしみじみ思い出す。本日の会場であるBIG CATにしてもいつ以来だろう。道順も忘れてしまい少し迷子になる場面もあった。それでも会場15分くらい前になんとか着くことができた。すでに多くの人がたくさん階段に並んでいる。

ところで、本日のライブはちょっと特殊な仕様になっている。今夜はファンクラブ会員限定なのだ。去年の10月かそこらに会報で発表されたと記憶しているが、自分の身辺がゴタゴタしていた時期だったのでチケットの先行予約もせず、ファンクラブ自体もいつの間にか抜けてしまい(理由?そんなの経済的な問題に決まってるだろう)、そのまま月日だけが流れた。だが限定ライブで貴重な曲も聴けるかもしれない、という思いは消えずファンクラブ事務局に、再入会しようと思うんですが限定ライブの再募集とかありますかね?と問い合わせてみた。先方は、可能性はあるかもしれませんが・・・と微妙な答えではあったが、

「今は会員も少ないだろうし、チャンスはまだある」

そう確信して、月に大阪でライブがあった時に会場に再入会の手続きをとる。するとしばらくして、ライブの2次募集のハガキが届いた。ほら、思った通りである。こうして私は無事に本日のチケット確保することができた。参考までにお伝えするが、お客が並んでいた階段に「1〜100」という感じで入場番号の張り紙が貼っており、その最後尾が「300〜400」だった。それから類推すると、本日の入場者数は350人とかそんなくらいだろう。ちなみに私は328番とかそんな数字だった。2次募集で取ったからそんなものか。

面白かったのは入場の仕方で、

「215番のお客様、どうぞ」

という感じで1人ずつ入れていることであった。ライブハウスの入場で1人ずつ呼ぶのはせいぜい最初の10人くらいで、あとは10人ずつにまとめてしまうのが通例だ。このあたりに、今日のライブは特別なんだな、という雰囲気を感じ取った。

会場のBIG CATは詰め込んだら800人は入るから中はガラガラなのでは?と不安に思いながら入場した。しかしパッと見た感じ、後方にはテーブルが並べられているものの、7割くらいは埋まっているように思えた。お客がかなりスペースに余裕をもって立っていたのかもしれない。その隙間を縫ってなるべく前の方の座席を確保する。入り口ではルミカライト(ペンライト)を渡される。オープニングの時に使うものらしいが、

「うっとうしいし、早めにつけておくか」

とライトをボキッと折って発光させて胸のポケットに締まっておく。しかし、周囲おを見渡してもライトをつけている人は皆無である。

「客電が消えた頃にライトをつけるつもりなのかなあ?」

と思って待っているうちに、ポケットに入っているライトの光がどんどん弱まっている。なんだ、ペンライトって1時間くらい持つものじゃなかったのか。

「そういえばライトに何か紙が巻かれていたなあ」

と今更ながら注意書きを読んでみると、

<★発光時間は、約15分間
ライブ前に発光させてしまった場合でも、追加でお渡しすることはできませんのでご注意ください。>

だとさ。うっそお。15分しか使えないとは・・・。あまりのバカさ加減に自分がまた嫌になったものの、

「どうせ、ペンライトを振るキャラでもないですよーだ」

と思い直し開演を待つ。

しかしながら、「限定ライブだからアレとかソレとか飛び出すかな?」などとワクワクしていたわけでもない。実は彼女のデビュー日である5月2日に東京(会場はShibuya duo MUSIC EXCHANGE)でも限定ライブがあり内容も知っていたからだ。それは正規のツアーと9割は同じもので、貴重な曲といえば彼女のデビュー曲”I’m Free”と”大冒険”だけである。「それで限定ライブ?」と疑問に思う方もいるだろう。しかし個人的には何の不思議も意外性も感じない。なぜなら渡辺美里は「そういう人」だからである。ゆえに終演に至るまで下手な期待や希望を抱いてはいけないのだ。私はいつのころかそういう姿勢で臨んでいる。勝手な思い込みをしておいて「裏切られた!最低だ!」などとほざいても、それは結果として自分の責任なのだから。

開演は定刻より少し遅れて7時10分ごろに始まった。バンド・マスターのスパム春日井がルミカライトを折るよう合図をする。そうか、このタイミングで折れば良かったのか。今度からは気をつけるようにしたい。そしてキーボードから”言いだせないまま”にイントロが出てきたとき客席がワッと沸き出す。これが1曲目ならなかなか良い出だしかと思ったものの、たぶんそれはないなと直感する。そして美里本人が登場したとたん、曲は”セレンディピティー”に突然変わり出す。やはり、20年もライブを観ている私の目に狂いはなかった。

もはや彼女のライブを批判するつもりもないのだけれど、この演出(といえるかどうかわからないが)にガックリきた人が会場にかなりいただろうと思えてしかない。私は幸運にも”言いだせないまま”を聴けたし、そもそも何も考えずに1曲目を待っていたので何のダメージも受けないが。

全体的な内容としては、やはり今回のツアーと大きく逸脱するようなところはなかった。貴重な曲といえばまず、この曲を歌いのは久しぶり、と前書きしておいた”愛しき者(ひと)よ”である。これは96年のシングル”My Love Your Love (たったひとりしかいない あなたへ)”のカップリングでアルバムには収録されていない曲だ。たぶん私も聴いたことはない(96年のツアーで観た大阪公演では披露されていない)が自信はない。個人的にはその程度の思い入れの曲である。なぜこれが敢えて選ばれたのか、その理由はわからない。ファンクラブのリクエストが多かったとしたら、そのファンは何を思ってリクエストしたのかも判然としない。なによりお客の反応もそれほど良かったように見えなかった。それは当然だろうな、と思う私の感覚が間違っているだろうか。

あと1曲くらい変わった曲があるかなと思っていたら、後半では”Love Is magic”がいきなり出てくる。これも90年のシングル”恋するパンクス”のカップリング曲でアルバム未収録というものだ。この曲は密かに人気があるようで会場もけっこう盛り上がっていた。中にはパンクの客のように「オイ!オイ!オイ!オイ!」という調子になっていた連中もいて少し引いてしまう場面もあったが。あの人たちはどこであんな品のない動作を覚えたのやら。

しかしこの時点で、

「あー、貴重な曲はこれで終わりなのかなあ。やはりこんなものだったのかなあ」

とかなり気持ちは冷めていった。が、”Love is magic”が終わってから何の前置きもないまま、東京公演でも披露された”大冒険”が出た時は「やったね!」といきなりテンションが上がる。”大冒険”は私が生まれて始めて買ったアルバム「Lucky」(91年)に入っている曲で、シングルにもなっていない。にもかかわらず、あの「チリチリチリチリ・・・」というイントロが出たとたん、会場が一気に爆発したような盛り上がり方になったのはビックリする。ちなみに私はこの曲を20年前のライブ(92年8月18日、真駒内アイスアリーナ)以来聴くことができた。高校1年の時に生まれた始めたライブであり、またそれが生涯最高のライブであった。20年ぶりにこの曲が聴けたのはとても嬉しかった。けれど歌う彼女を姿を観て、

「20年前の再現というわけにもいかないんだね、お互い・・・」

という思いがちょっと頭をよぎってしまったことも正直に告白しておく。そんなことを考えながらも空で一緒に歌っていたが。さすがに「Lucky」に入ってる曲はパッと口から出てくるからね。

歌の調子も今回は良かったと思うが、5月26日に観た京都公演1日目のような神懸かった感じはなかった。その証拠に終演した後のお客は淡々とした調子で帰っていく。今夜と比較すると、終わっても延々と拍手が続いたあのKyoto Museでのライブは一体なんだったのだろう。ライブとはつくづく不思議なものである。

終演は9時20分ごろ、実質2時間10分ほどでこの辺りも正規のツアーとはあまり変わらない。しかし彼女のMCはリラックスしていたというか、ファンクラブの会員だから気兼ねなく話していたような様子だった。

その中で、長年応援してくれたファンへ謝辞のようなことを言った時に、くそ真面目なくらい真っすぐな私だけど、というようなセリフが出てきたことが今も忘れられない。なんだかんだいって20年間追いかけてきたわけだが、不器用ともいえるほど真っすぐな思い(それが作品や創作活動に必ずしも結実しているわけでもないけれど)が彼女の核であり魅力だとずっと思ってきた。その行為は関係ない人からは嘲笑の的になるようなこともあったけれど、そうした生き方をしているからこそ彼女の言葉や思いには嘘偽りがないと私は信じてこれたのだ。いや、この年になるとどうしても穿った見方をしてしまうが、もしかしたら彼女の姿にもう一人の自分を見ているのかもしれない。あまりうまくこの時代を生きていないところも実にそっくりだ。

そんな私の思いは別に誰かと共感してもらいたいとも理解してほしいとも思わない。ただ、私は私のやり方で彼女をずっと観ているのだろう。ライブが終わったら、三本締めをしている連中がいたが、私は私でこうした人たちの気持ちが全く理解できないし、理解したいとも思えない。そうだね、あなたたちもそうやってこれからも生きていくんだろうね。そんなことを思いながら会場を後にした。最後に曲目を記す。

【演奏曲目】
(1)セレンディピティー
(2)世界中にKissの嵐を
(3)Believe
(4)春の日 夏の陽 日曜日
(5)maybe tomorrow(大江千里のカバー)
(6)愛しき者よ
(7)ココロ銀河
(8)10years
(9)虹をみたかい
(10)人生はステージだ!
(11)Love is magic

(12)大冒険
(13)サマータイムブルース

<アンコール>
(14)始まりの詩、あなたへ
(15)My Revolution
(16)すき
(17)eyes

昨夜は恐ろしく疲れがたまっていたのか、部屋に戻るなり倒れるように眠ってしまった。まだ午後9時とかそんな時間だったと思う。実際のところは炊飯器をセットして冷蔵庫には麦茶を準備して、と翌日の最低限な準備はしてはいたが、それ以外は何もせずに寝てしまった。

そのまま目覚ましの時間(午前5時30分)までグッスリと眠った、わけではなくアラームがなるよりずっと先に目がパッと開いてしまう。その時も時間は確認したわけではないけれど、おそらく4時ごろだったのではないだろうか。もうちょっと寝ようかなあと布団に入ったまましばらくそのままでいたが、頭の中はこれ以上ないほどスッキリしている。

「これは、早く仕事に行け、という知らせかな?」

と直感し、起きてすぐお弁当や水筒を準備して7時には部屋を飛び出して職場は向かった。そうして到着したのは午前7時30分、通常よりも1時間早めの出勤となった。

そこまで早く出てきたのは、暑さのせいで頭がどうにかなったという話ではない。いま抱えている仕事の処理時間を考えると、それくらい前倒しでやらないと間に合わないと思ったから。ましてや、明日は休みを入れているためにある程度の業務は処理をしなければならない。そんな悲壮な思いに駆られてとった行動と理解していただきたい。

しかしながら世の中はままならないもので、業務開始早々にとんでもない失敗をしでかして仕事の進行が全面的に止まってしまう事態が発生する。復旧したのは午前11時を回ったくらいだったろうか。

「まずい。このままの状態では仕事が終わらない」

そう判断した私は、もう昼休みを作業をこなしていった。しかし予想外に作業が増えた部分もあり職場を出たのは午後8時過ぎである。外はもう真っ暗になっていた。それから部屋に戻って最初に何をしたかといえば、電子レンジでお弁当を温めることだった。昼食にするはずのものが晩ご飯になるとは、なんともやるせない。

こんなことを書いても何の自慢にもならないけれど、どんなに経済的に苦しくとも(苦しくなかったという時期は無いか)必ずといっていいほど3食は食べていた人間である。ましてや昼食もとらずに夜が更けるまで仕事をしたという記憶は、無い。そういうことを思えば、自分を取り巻く現状は悪くなる一方という気がする。

ただ、いつも通りに出勤していたら明日休むことができなかったかもしれない。そういうスレスレの線だった。その辺のことを考えると、今朝の早起きはまだマシな選択といえるかもしれない。

ただ、8月に入った途端にこういうことだから、この1ヶ月は先が思いやられる。
群馬県の館林市が38・4度を記録したほか全国135地点で猛暑日(35度以上)になった今日、休みだった私は京都文化博物館、京都市美術館、京都国立近代美術館を回り、その合間に使い捨てコンタクトレンズを購入して日中を過ごした。文化博物館は中京区、もう2つは左京区なので自転車で市内を横断したことになる。全てを回って部屋に帰るころにはかなり疲れが出てきた。

だが、体は確かにだるさが残るものの、気持ちは行く前よりずっと元気になっていた。なぜかといえば、しばらく会ってない人たちと話をすることができたからだ。訪れたところの中には、かつて私が仕事で何年も担当していた場所もある。もはや何ら組織の肩書きもない私が不意に来たからといって相手もされないであろうと思ったが、会場に入ったとたんに周囲から取り囲まれるような場面もあり、予想は良い方向に裏切られる。

「いままでどうしてたの?」

と訊いてくる人は笑顔だったが、なんだか実に心配そうな表情である。やはり「こいつ前の職場を辞めてちゃんと生きてこれてたのか?」と思ったのだろう。まあ、実に頼りない風貌をしている自分だから皆の反応も当然だろうが。

実をいえば、こうやって周囲に姿を見せることができるのも周囲の環境がかつて(今年の5月前半まで)より良くなったからである。それ以前は、あまり知ってる人に会いたくないなあ、という心境であった。だから美術館とかにもこっそり中に入ったという感じである。それに比べたら、自分との比較であるものの、まだ少し堂々となったとは思う。

現在の自分は職場とスーパーと部屋くらいしか行くところがないし、かつて以上に人間関係が限定されている。人とあまり接しないのが理由かわからないが、なんだか人間性の劣化も著しく感じる今日このごろである。自分でこんなことを書くのも恐ろしいけれど、かつてできたようなこともうまくできなくなる場面も多いし、この先の自分はどうなるんだろう?とか思う時もある。

しかし、そんな心境だったので、今日1日はかなり気分転換となった。それで仕事の問題が解決することもないのだけれど、どうにかなるだろうさ、と少しだけ前向きに考えるようになれた気がする。

来週もかつて自分のいた場所を訪れる予定もあるので、それでまた何かが変わるきっかけができればと願う。
今日は昼休みに入ると食事をとっとと済ませ自転車で最寄りの郵便局へと向かった。本日振り込まれた給料を引き出すためである。そしてすぐさま窓口へ向かい住民税の一部とNTT料金を支払った。去年の半分ちかくは働いていないので住民税は微々たる額であるものの、その支払いが3週間以上も遅れていた。これで家賃とカード利用料を支払えば今月の大きな経費は片付けたことになる。

「この1ヶ月はけっこう苦しい思いをしたし、そのぶん今月は好きなことにお金を使おうかなあ。来月のサマーソニック参戦なんてどうかなあ。」

などと郵便局から職場へまた戻るときはそう考えた。経済的にちょっと余裕ができたらそんなことを思いつくのが私の欠陥である。

だが、ここしばらくはそれなりに倹約した生活を送ったせいか、

「払える時に住民税も払い切っておいたほうが良いかも・・・。」

ということも頭によぎっている。サマソニのチケット代(大阪の1日券は1万2500円)は今の自分にとってはかなりの高額商品だ。それでも昼間の時点ではまだ楽観的だった。なんだかんだ言ってもどうせ行くのさ、などと考えていたのだから。

しかし仕事が終わって家路に着くころには私の考えはかなり変化していった。なんだか自分の行く末が思いっきり不安になってきたからだ。

「再来月の自分はどうなっているのか・・・」

そんなことを考えていると、もうロック・フェスティバルなど行く気は吹っ飛んでいきそうだ。

そういえば今朝は、晩は天下一品でも行こうかな、とも思っていた。しかしもう夜にはすっかり食欲も失せるほど気持ちは落胆してしまった。よって今日はスーパーで明日のお弁当の買い物をしただけで部屋に戻った。

一般論として、無駄遣いせずに生活するのは褒められる話ではあるだろう。しかし、自分はもう駄目かな、という思いからそういう行動に出たのは望ましいことでもないだろう。しかし今の自分の正直な心境である。
この1ヶ月は経済的に正念場だ。この日記にそう書いたのは1ヶ月前のことだった。しかしあれからその1ヶ月も終えようとしている。明日は待ちに待った給料日だ。

この間はけっこう苦しく、また実に長く感じた。ちょっと油断したら生活費が底についてしまうという状態はやはり精神的にキツいものである。

また、笑う人がいるかもしれないが、この1ヶ月は簡単な家計簿をつけてみた。といってもノートに使ったお金を書き込んだりレシートをベタベタ貼っただけのものである。それでもこの間に使ったお金の額はほぼ完璧に記録されている。

その甲斐があってか、キャッシュカードにお世話になることなく今日を迎えることができた。以前の自分だったら1万や2万円くらいヒュッとそうやって都合をつけてきたのだから、家計簿をつけた効果は小さくなかったかもしれない。またお弁当と水筒を持参したのもかなり奏功した。外食をしたら1日の経費がグンと増えることも、日々の生活費を見直すことによって実感できた。

それでも酒を控えることはなかなか難しいというのも思い知らされた(今日も飲んでるし)。ここをなんとかすれば生活費もけっこう楽になるんだが・・・そのあたりはこれからの課題として(?)、家計簿やお弁当持参は続けてみたいと思う。いや、そうしないと家計が回らないのである。
先日に書いた

「Facebookの『友達を検索』機能は危なっかしい」
http://30771.diarynote.jp/201205212237038084/

という日記を読んでいる方が異様に増えている。おかげで1日のアクセス数が500件近くまでになった。それはそれで嬉しいことだが、これほど反応があるということは間違って友達をしてしまった人が現実にかなりいるということなのだろう。これは実に由々しきことだと感じたので、Facebookの上にある「ご意見・ご提案」のところをクリックして一言だけ言っておいた。さっきも間違って見知らぬ人を友だち申請してしまったし・・・。

例えばクリックする前に、

「本当に申請しますか?」

と一回くらい確認する必要があるだろう。そんなことを提案したけれど、実現されるかどうかはわからない。しかしFacebookの方で何らかの対策をたてなければ被害者も増える一方だろうしアクセス数も増え続けるばかりかもしれない。

冗談はともかくとして、Facebookのページを最近見て「あれ?」と思ったことが一つある。画面の右に自分と繋がっている人が出てきて、

◯◯◯◯(つながってる人の名前)

Facebookの友達が××人しかいません。

友達を紹介

と、自分の友達を紹介するよう奨めてくるのだ。しかし、これを見た時はもの凄い違和感を抱いた。友人が何人しかいない、とかいうのは大きなお世話だろう。

自分の例をとれば、Facebookで繋がっている人は現時点で37人である。これを多いと思うか少ないと思うかは個人の判断によるけれど、実際のところ会って話したことの無い方も数人程度が含まれている。それ以外の人は実際に会ったことのある人、または仲の良い人もいる、かもしれないが、実のところはいないかもしれない。なんだろうなあ。もう自分でもよくわからん。

ともかく、現実にお付き合いのある人なんて私にとっては、Facebookとかなんとかに関係なく10人とかそのくらいの規模である(もっと少ないかもしれない)。
私の例は極端としても、FacebookやmixiといったSNSで「友だち」(あくまでカッコ付き)が実体としてどれほどのものかというのは極めて怪しいということを言いたいのである。そして、そんなものを無理に増やしたところで何か人生が豊かになるのだろうか。なるかもしれないが「労が多くして功少なし」(苦労ばかり多くて、その成果が出ないこと)という気がしてならない。

繋がった人が何かブログを書いたり写真を載せたりおかしなサイトのリンクを貼ったりするたびに

「イイネ!」「イイネ!」「イイネ!」

とかして何かお互いの関係が深まっていくのだろうか。無いとまでは言わないけれど、それはものすごく表層的な付き合いとしかいえない。

そもそも私はズボラな人間のため、繋がってる人の動向を逐一チェックして反応をするような真似は絶対にできない。それがSNSをろきに活用できない一番の理由だと自分でも思ってはいる。しかし、そんなことして本当の意味での楽しさや喜びが生まれるとも思えないのである。

もっと本音をいえば、実世界でもSNSでも知り合いが少ないことに劣等感のようなものを抱いているフシが自分にはある。だが、たとえ知り合いがたくさんいてFacebookでも繋がっている人が200人を超えていても、別に仕事ができるわけでもないし人間的な評判もいま一つという存在も知っているから、敢えてそういう道を進みたいという欲求も湧いてこないのだ。

その辺りを考えると、人間関係って量ではなく質なんだろうな、という平凡が結論が出てきてしまう。

しかしそれでも、mixiもFacebookもTwitterも自分のところはなんだか寂しいなあ、もうちょっと改善できないかなあ、という思いは常に消えることはない。

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