そりゃあ、生きるのは大事なのに間違いはないけど
2014年8月7日 時事ニュース
理化学研究所の笹井芳樹副センター長の自殺は世間に少なからぬショックを与えたようだ。自殺の報道があった日に、
「なにがあっても、死んだらあかんやろ」
というようなコメントをSNSで散見したからである。
確かに命が続く限り生きていくのは大事である。自らそれを絶つという行為は間違っている。それは基本的には誰もが同意する意見に違いない。
しかし、よく指摘していることだが、「絶対に正しい」意見は往々にして「面白くない」というか「役に立たない」という意味とイコールになることが多い。死のう死のうと思い悩む人に対して「生きることは大事だ」というような台詞を投げたところで、先方にとって一体どれほどの助けになるのだろうか。SNSの書き込みを見ていてそんな疑問が浮かんだのである。
「自殺」という言葉で私が真っ先に連想するものは、今からちょうど100年前の大正3(1914)年に朝日新聞で発表された夏目漱石の小説「こころ」に出てくる「先生」の言葉だ。
この小説には3人の自殺が取り上げられている。一人は先生、そして先生の友人である「K」、最後の一人は明治天皇崩御の直後に自決した軍人、乃木希典(のぎ・まれすけ)だ。この小説を取り上げる時は、先生とKとの関係が強調されるあまり乃木将軍については影が薄いような気がする。だが明治という一つの時代が終わった直後に出たこの作品では乃木将軍の殉死という出来事は非常に重要な役割を果たしている。
私が紹介したい箇所を載せる前に、乃木将軍がどんな人だったのかを前提知識として知ってもらわなければならない。そこで出口汪先生の「教科書では教えてくれない日本の名作」(09年。ソフトバンク新書)の一部を抜粋させていただく。
(本書は出口先生と女子高校生「あいか」との対話形式になっている)
<(あいか)乃木将軍って、どんな人?
乃木希典は、まじめで忠義一徹、陸軍大将にまで上り詰めた人だけど、実際には負け戦が多かったんだ。
明治十年の西南戦争、つまり西郷隆盛との戦いのとき、政府軍に加わって勝利を収めたのだけれど、乃木将軍自身は敗走して軍旗を敵に取られてしまう。痛恨の「軍旗喪失」だ。
そのとき、お詫びのために切腹をしようとしたのだが、その命を天皇のために捧げよと人に諭される。
でも、「軍旗喪失」以来、乃木は友人が「乃木はまるで自分から死に場所を求めて戦争をしているみたいだ」と言ったほど、異常な行動が続く。
その後、乃木将軍は何度も死にたいと思うことがあったんだが、その最たるものが日露戦争の旅順攻撃(明治三十七年)。結局勝利するのだが、まさに死屍累々(ししるいるい)といった戦だったんだ。ロシア軍の要塞から発射される機関銃に、日本兵は次々と撃ち殺される。乃木将軍は最高司令官として、肉弾戦しか思いつかない。自分の目の前で何万という兵隊がばたばたと殺されていく。味方の屍を踏み越えて、やがて日本軍は適地を占領するのだが、乃木将軍はその戦況をどのような思いで見つめていただろう。
(あいか)でも、戦争には勝ったのでしょ?
ああ、乃木将軍は凱旋(がいせん)将軍として迎えられる。この戦争が果たして実質的に勝利か否か、乃木将軍の取った作戦が是か非かは人によって評価が分かれるかもしれないが、少なくとも将軍自身は自分の無能のために数万の兵隊が命を失ったと思い込んでいたに違いない。
そして、戦死した兵隊の中には自分のたった二人の子どもも交じっていた。
乃木将軍は凱旋したのに、にこりともしない。当時、笑わない将軍とまでいわれたんだよ。
多くの死傷者を出して申し訳ないと、乃木将軍は帰国後、明治天皇に「この際、割腹して、その罪をお詫びしたい」と訴えた。明治天皇は「死ぬならこの私がこの世を去ってからにしなさい」と諭した。
まさに乃木将軍は明治天皇の言葉通りの死を迎えることになる。>(P.71-73)
少し長い引用になったかもしれないが、これを踏まえて小説から先生の遺書に書かれた一節を読んでいただきたい。
<西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那(いつせつな)が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。>
死のう死のうと悩みながら生きた35年間と、刀で切腹をしてから絶命するまでの間と果たしてどちらの方が苦しいのか。先生のこの問いかけは、年齢を重ねれば重ねるほど重くのしかかってくるような気がしてならない。
10代20代の頃は死ぬことなどほとんど頭になかったけれど、人生の折り返し地点を過ぎたあたりからは考えることも増えてきたようだ。望む/望まないに関わらず、私たちは死に向かって歩んでいる。そしてその道のりは平板なものでないであろうことも、多少なりとも考えて生きている人なら感じるはずだ。
別に私は自殺を選ぶような種類の人間ではないと思っているけれど、例えば遮断機の前で電車を通過するのを待っている時に、
「あー、ここでブチュといけば、生きる苦しみからスッと解放されるのかなあ・・・」
と思いが頭をよぎることも、無いわけではない。しかしそういう自分を踏みとどませているのは、この世でまだやり残していることがあるというか、未練のようなものがあるからだろう。
また、先ほども述べた通りだが、人生の半分が終わった身としては残された時間も有限であることを感じずにはいられない。せいぜい、10代20代の時とはまた違った生き方、もう少し時間を大切にして過ごしたいと願う。
フラフラした議論のように感じる方もいるかもしれないが、とにかく生きることが大事だ!などと直線的なことを言う気持ちにはなれないのである。生きることが大切だと強調したいなら、それこそ漱石のように、その対極にある死についても同じくらいの重さで考えないと深みのある話にならないだろう。
「こころ」の内容についてはほとんど触れられなかったが、さっきも書いたとおり今年は「こころ」が発表されてから100年が経つ。これを機会に作品にと言いたいが、原書を読むのが億劫な(私のような)人は出口先生の「教科書では教えてくれない日本の名作」が優れた解説であるので見ていただきたい。漱石のみならず芥川龍之介、川端康成、太宰治、などの作品も取り上げられていて、文学の魅力を辿るには絶好のものといえる。
「なにがあっても、死んだらあかんやろ」
というようなコメントをSNSで散見したからである。
確かに命が続く限り生きていくのは大事である。自らそれを絶つという行為は間違っている。それは基本的には誰もが同意する意見に違いない。
しかし、よく指摘していることだが、「絶対に正しい」意見は往々にして「面白くない」というか「役に立たない」という意味とイコールになることが多い。死のう死のうと思い悩む人に対して「生きることは大事だ」というような台詞を投げたところで、先方にとって一体どれほどの助けになるのだろうか。SNSの書き込みを見ていてそんな疑問が浮かんだのである。
「自殺」という言葉で私が真っ先に連想するものは、今からちょうど100年前の大正3(1914)年に朝日新聞で発表された夏目漱石の小説「こころ」に出てくる「先生」の言葉だ。
この小説には3人の自殺が取り上げられている。一人は先生、そして先生の友人である「K」、最後の一人は明治天皇崩御の直後に自決した軍人、乃木希典(のぎ・まれすけ)だ。この小説を取り上げる時は、先生とKとの関係が強調されるあまり乃木将軍については影が薄いような気がする。だが明治という一つの時代が終わった直後に出たこの作品では乃木将軍の殉死という出来事は非常に重要な役割を果たしている。
私が紹介したい箇所を載せる前に、乃木将軍がどんな人だったのかを前提知識として知ってもらわなければならない。そこで出口汪先生の「教科書では教えてくれない日本の名作」(09年。ソフトバンク新書)の一部を抜粋させていただく。
(本書は出口先生と女子高校生「あいか」との対話形式になっている)
<(あいか)乃木将軍って、どんな人?
乃木希典は、まじめで忠義一徹、陸軍大将にまで上り詰めた人だけど、実際には負け戦が多かったんだ。
明治十年の西南戦争、つまり西郷隆盛との戦いのとき、政府軍に加わって勝利を収めたのだけれど、乃木将軍自身は敗走して軍旗を敵に取られてしまう。痛恨の「軍旗喪失」だ。
そのとき、お詫びのために切腹をしようとしたのだが、その命を天皇のために捧げよと人に諭される。
でも、「軍旗喪失」以来、乃木は友人が「乃木はまるで自分から死に場所を求めて戦争をしているみたいだ」と言ったほど、異常な行動が続く。
その後、乃木将軍は何度も死にたいと思うことがあったんだが、その最たるものが日露戦争の旅順攻撃(明治三十七年)。結局勝利するのだが、まさに死屍累々(ししるいるい)といった戦だったんだ。ロシア軍の要塞から発射される機関銃に、日本兵は次々と撃ち殺される。乃木将軍は最高司令官として、肉弾戦しか思いつかない。自分の目の前で何万という兵隊がばたばたと殺されていく。味方の屍を踏み越えて、やがて日本軍は適地を占領するのだが、乃木将軍はその戦況をどのような思いで見つめていただろう。
(あいか)でも、戦争には勝ったのでしょ?
ああ、乃木将軍は凱旋(がいせん)将軍として迎えられる。この戦争が果たして実質的に勝利か否か、乃木将軍の取った作戦が是か非かは人によって評価が分かれるかもしれないが、少なくとも将軍自身は自分の無能のために数万の兵隊が命を失ったと思い込んでいたに違いない。
そして、戦死した兵隊の中には自分のたった二人の子どもも交じっていた。
乃木将軍は凱旋したのに、にこりともしない。当時、笑わない将軍とまでいわれたんだよ。
多くの死傷者を出して申し訳ないと、乃木将軍は帰国後、明治天皇に「この際、割腹して、その罪をお詫びしたい」と訴えた。明治天皇は「死ぬならこの私がこの世を去ってからにしなさい」と諭した。
まさに乃木将軍は明治天皇の言葉通りの死を迎えることになる。>(P.71-73)
少し長い引用になったかもしれないが、これを踏まえて小説から先生の遺書に書かれた一節を読んでいただきたい。
<西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那(いつせつな)が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。>
死のう死のうと悩みながら生きた35年間と、刀で切腹をしてから絶命するまでの間と果たしてどちらの方が苦しいのか。先生のこの問いかけは、年齢を重ねれば重ねるほど重くのしかかってくるような気がしてならない。
10代20代の頃は死ぬことなどほとんど頭になかったけれど、人生の折り返し地点を過ぎたあたりからは考えることも増えてきたようだ。望む/望まないに関わらず、私たちは死に向かって歩んでいる。そしてその道のりは平板なものでないであろうことも、多少なりとも考えて生きている人なら感じるはずだ。
別に私は自殺を選ぶような種類の人間ではないと思っているけれど、例えば遮断機の前で電車を通過するのを待っている時に、
「あー、ここでブチュといけば、生きる苦しみからスッと解放されるのかなあ・・・」
と思いが頭をよぎることも、無いわけではない。しかしそういう自分を踏みとどませているのは、この世でまだやり残していることがあるというか、未練のようなものがあるからだろう。
また、先ほども述べた通りだが、人生の半分が終わった身としては残された時間も有限であることを感じずにはいられない。せいぜい、10代20代の時とはまた違った生き方、もう少し時間を大切にして過ごしたいと願う。
フラフラした議論のように感じる方もいるかもしれないが、とにかく生きることが大事だ!などと直線的なことを言う気持ちにはなれないのである。生きることが大切だと強調したいなら、それこそ漱石のように、その対極にある死についても同じくらいの重さで考えないと深みのある話にならないだろう。
「こころ」の内容についてはほとんど触れられなかったが、さっきも書いたとおり今年は「こころ」が発表されてから100年が経つ。これを機会に作品にと言いたいが、原書を読むのが億劫な(私のような)人は出口先生の「教科書では教えてくれない日本の名作」が優れた解説であるので見ていただきたい。漱石のみならず芥川龍之介、川端康成、太宰治、などの作品も取り上げられていて、文学の魅力を辿るには絶好のものといえる。
京都―東京の往復で、4万4500円
2014年8月5日 お仕事いま派遣で働いている勤務先は、主に着物類の卸しをしている会社だ。もはや大きく成長できる分野ではないだろうが、それでも勤務先は割と手広く仕事をしていて毎週のように全国各地で展示即売会を開催している。
展示即売会といわれてもピンとこない人が大半だろうが、具体的な流れはこんな感じだ。まず、現場担当の人が必要な商品や備品(POP類など)を私のいる部署(商品の出荷をおこなっている)へ持ってくる。それらを梱包して発送業者(クロネコヤマトや福山通運など)へ渡し即売会の会場へ運んでもらう。それから担当者は現地へ向かい、そこで荷物を受け取って会場準備および即売会の運営もこなす。それが終われば売れ残った商品などを会社へ返送する。そのサイクルのくり返しだ。ちなみに売れ残った商品やPOP類には、また次の即売会で再利用されることになる。
この流れを端から見ていて気になっていたことがある。商品は会社の人が直接運ぶのではなく民間の発送業者にさせている点だ。私たちが日常生活で利用している宅急便や飛脚便と変わらないのである。いきおい、時間指定で頼んだのに届かない、とか、午前中に指定したのにもう正午になる、といった担当者からのクレームが私のボスのところにかかってくるわけだ。ボスはそのたびに業者に電話をかけて発送状況を確認し、時にはドライバーの携帯に直接電話をして「なんとも間に合わせてくれ」と催促することもある。
そうした光景を見て、なかなかの綱渡りだなと思う一方、
「こんなにしょっちゅう発送していたら、事故も起きるのでは・・・」
と心配になってくる。そして先日、その不安が現実化してしまった。
それはある日の昼休みを終えてすぐのことだった。東京で翌日から即売会をする担当者からボスに電話がかかってくる。
商品を発送する手配の段取りを間違えてしまい届かなかった。どうしても必要なものなので「いくらかかってもいいから」今日中になんとか持ってきてほしい。
要件はこんなところだった。非常にヤバい展開である。
「今日中に東京というのは、佐川やヤマトなら無理やろうなあ」
というのがまずボスの発した言葉だった。それは誰もが思うところだろう。即日配達の宅急便なんて聞いたこともない。
時計はまもなく2時を回ろうとしていた。しかし、ボスはいたって冷静でいつも通りの調子でニヤニヤしているくらいだった。
「誰かが新幹線に乗って持ってってくれたら一番良いんだけど・・・。渡部君、行ってみるか?」
などといきなり言われた。まあ、私は先日も深夜バスに乗って0泊で広島へ行ってきたような人間なので新幹線(急用なので無論「のぞみ」である)に乗って上京して時給が稼げるならこれ以上のことはない。ないのだけど、
「行きたいところですけど、僕は派遣だし、労災とかややこしいことが絡んでくるのでは・・・(笑)」
と冗談まじりに答えた。
ボスは、
「そりゃ、そうやなあ(笑)」
と言って、問題の解決に乗り出した。彼が連絡を取ったのは、近所にある小規模の運送会社だった。
「前に(運送会社の人と)しゃべった時、できるとか言ってたから・・・」
とのことだった。そしてその結果、なんと行ってくれるという返事がきたのである。急いで伝票を書き換え、荷物を再梱包し、納品先までの地図を用意した。午後3時10分ごろに運送会社の人が一人ふらっとやって来て、2、3分ほどその場で打ち合わせをしてから荷物を持って東京へと向かってしまった。その結果は確認してないけど、たぶん無事に届いたのだろう。
値段を訊いてみたら、交通費込みで4万4500円とのことである。交通費を引いたら1万5000円ほどが会社に入るというとこだが、緊急の依頼と考えればそれほど高くもないだろう。
こちらの運送会社は即売会によってはまとめて荷物を運んでもらってもいる。その判断基準はわからないが、地方のはずれにある会場などだったら小さい会社の方が大手よりも小回りがきいて便利なのかもしれない。
それにしても、荷物が無事に出荷されるまでまったく平常でいたボスには感心した。私なら、荷物がまだ届いてないんだけど、と電話が入るだけで右往左往していただろう。この辺りは経験の違いなんだろうな。
展示即売会といわれてもピンとこない人が大半だろうが、具体的な流れはこんな感じだ。まず、現場担当の人が必要な商品や備品(POP類など)を私のいる部署(商品の出荷をおこなっている)へ持ってくる。それらを梱包して発送業者(クロネコヤマトや福山通運など)へ渡し即売会の会場へ運んでもらう。それから担当者は現地へ向かい、そこで荷物を受け取って会場準備および即売会の運営もこなす。それが終われば売れ残った商品などを会社へ返送する。そのサイクルのくり返しだ。ちなみに売れ残った商品やPOP類には、また次の即売会で再利用されることになる。
この流れを端から見ていて気になっていたことがある。商品は会社の人が直接運ぶのではなく民間の発送業者にさせている点だ。私たちが日常生活で利用している宅急便や飛脚便と変わらないのである。いきおい、時間指定で頼んだのに届かない、とか、午前中に指定したのにもう正午になる、といった担当者からのクレームが私のボスのところにかかってくるわけだ。ボスはそのたびに業者に電話をかけて発送状況を確認し、時にはドライバーの携帯に直接電話をして「なんとも間に合わせてくれ」と催促することもある。
そうした光景を見て、なかなかの綱渡りだなと思う一方、
「こんなにしょっちゅう発送していたら、事故も起きるのでは・・・」
と心配になってくる。そして先日、その不安が現実化してしまった。
それはある日の昼休みを終えてすぐのことだった。東京で翌日から即売会をする担当者からボスに電話がかかってくる。
商品を発送する手配の段取りを間違えてしまい届かなかった。どうしても必要なものなので「いくらかかってもいいから」今日中になんとか持ってきてほしい。
要件はこんなところだった。非常にヤバい展開である。
「今日中に東京というのは、佐川やヤマトなら無理やろうなあ」
というのがまずボスの発した言葉だった。それは誰もが思うところだろう。即日配達の宅急便なんて聞いたこともない。
時計はまもなく2時を回ろうとしていた。しかし、ボスはいたって冷静でいつも通りの調子でニヤニヤしているくらいだった。
「誰かが新幹線に乗って持ってってくれたら一番良いんだけど・・・。渡部君、行ってみるか?」
などといきなり言われた。まあ、私は先日も深夜バスに乗って0泊で広島へ行ってきたような人間なので新幹線(急用なので無論「のぞみ」である)に乗って上京して時給が稼げるならこれ以上のことはない。ないのだけど、
「行きたいところですけど、僕は派遣だし、労災とかややこしいことが絡んでくるのでは・・・(笑)」
と冗談まじりに答えた。
ボスは、
「そりゃ、そうやなあ(笑)」
と言って、問題の解決に乗り出した。彼が連絡を取ったのは、近所にある小規模の運送会社だった。
「前に(運送会社の人と)しゃべった時、できるとか言ってたから・・・」
とのことだった。そしてその結果、なんと行ってくれるという返事がきたのである。急いで伝票を書き換え、荷物を再梱包し、納品先までの地図を用意した。午後3時10分ごろに運送会社の人が一人ふらっとやって来て、2、3分ほどその場で打ち合わせをしてから荷物を持って東京へと向かってしまった。その結果は確認してないけど、たぶん無事に届いたのだろう。
値段を訊いてみたら、交通費込みで4万4500円とのことである。交通費を引いたら1万5000円ほどが会社に入るというとこだが、緊急の依頼と考えればそれほど高くもないだろう。
こちらの運送会社は即売会によってはまとめて荷物を運んでもらってもいる。その判断基準はわからないが、地方のはずれにある会場などだったら小さい会社の方が大手よりも小回りがきいて便利なのかもしれない。
それにしても、荷物が無事に出荷されるまでまったく平常でいたボスには感心した。私なら、荷物がまだ届いてないんだけど、と電話が入るだけで右往左往していただろう。この辺りは経験の違いなんだろうな。
野々村竜太郎議員は「15分間の名声」を手に入れたのか
2014年7月6日 時事ニュース7月2日の早朝、テレビから何かうめき声のようなものが突然聞こえてきて驚かされた。野々村竜太郎・兵庫県議会委員の記者会見である。
https://www.youtube.com/watch?v=kV28Nk0bQJY
Facebook上で誰かが、
「この国にはもう芸人いらないな」
とつぶやいていたのが印象的だったが、私も久しぶりにひっくり返ほど笑った映像である。まあ、「命(政治生命)をかけたパフォーマンス」と考えれば大半の芸人などとは比較にならないものが込められていたのかもしれない。
あまりにも衝撃の強い映像だったためか、YouTubeでの再生回数はとんでもない数になり、その波は国内のみならずイギリスやオーストラリア、ロシアなど海外メディアまで野々村議員の記者会見の模様を取り上げるまでに発展した。英タイムズ紙は、
「温泉スキャンダルでフルスロットルの謝罪」
と題してこの件を紹介していたという。もっともタイムズ紙のこれは誤報であり、会見の要約を読んだ限り野々村議員は実際の会見において謝罪どころか経費の具体的な説明も全くしていなかったようだが。
しかしながら、会見から数日たって少し冷めた視点で振り返ってみると、この一連の流れはなかなか恐ろしい光景に見えてくる。もはや政務活動費がどうとかいった本質的な問題など吹っ飛んでしまい、野々村議員の「パフォーマンス」だけが注目されているのだ。海外メディアにしても野々村議員そのものを取り上げる一方、彼に対するネット(2ちゃんなど)の反応を面白がっているフシもある。
とどのつまり、野々村議員の「パフォーマンス」が素材として面白かったという1点に尽きるのだろう。記者会見が取り上げられて以後、彼の言動を取り上げた「まとめサイト」のみならず、会見の音声を編集した作品までYouTubeやニコニコ動画に出現している。
私が気に入っているのは、ハードコア(?)の演奏に記者会見の音声を巧みに織り交ぜたこれである。
野々村竜太郎議員が叙情系ハードコアバンドに加入
https://www.youtube.com/watch?v=1Yg0EZOMWr4
「ログミー」というサイトには記者会見の文字起こしが載っているが、これも「作品」と言いたくなるものだ。文字化けする可能性もあるが引用してみる。
http://logmi.jp/16387
<※以下、野々村氏が取り乱して号泣しながら話しており、正確な聞き取りが困難なため、聞き取った言葉の表現は編集部の解釈に基づいております。あらかじめご了承ください。
野々村:大人の社会人として、こういうご指摘を真摯に受け止めて、私としては、実績に基づいて、適正……(聞き取り不明)諸実績に基づいて報告しておりますけれども、「議員」という大きな立場から見れば、やはりご指摘を真摯に受け止めて、どこかで折り合いをつけなければ、大人じゃないと思うんですよ! ですから、私はその議員という、本当にもう……小さな子どもが大好きで、本当に子どもが大好きなんで、ですから、もうそういう子ども達に申し訳なくて……。
こんな大人で、県民の皆さま、私も死ぬ思いで、もう死ぬ思いでもう、あれですわ。一生懸命、落選に落選を重ねて、見知らぬ西宮市に移り住んで、やっと県民の皆様に認められて選出された代表者たる議員であるからこそ、こうやって報道機関の皆さまにご指摘を受けるのが、本当にツラくって、情けなくって、子ども達に本当に申し訳ないんですわ。
ですから、……皆さんのご指摘を真摯に受け止めて、議員という大きな、ク、カテゴリーに比べたらア、政務調査費、セィッイッム活動費の、報告ノォォー、ウェエ、折り合いをつけるっていうー、ことで、もう一生懸命ほんとに、少子化問題、高齢ェェエエ者ッハアアアァアーー!! 高齢者問題はー! 我が県のみウワッハッハーーン!! 我が県のッハアーーーー! 我が県ノミナラズ! 西宮みんなの、日本中の問題じゃないですか!!
そういう問題ッヒョオッホーーー!! 解決ジダイガダメニ! 俺ハネェ! ブフッフンハアァア!! 誰がね゛え! 誰が誰に投票ジデモ゛オンナジヤ、オンナジヤ思っでえ!
ウーハッフッハーン!! ッウーン! ずっと投票してきたんですわ! せやけど! 変わらへんからーそれやったらワダヂが! 立候補して! 文字通り! アハハーンッ! 命がけでイェーヒッフア゛ーー!!! ……ッウ、ック。サトウ記者! あなたには分からないでしょうけどね! 平々凡々とした、川西(市役所)を退職して、本当に、「誰が投票しても一緒や、誰が投票しても」。じゃあ俺がああ!! 立候補して!!
この世の中を! ウグッブーン!! ゴノ、ゴノ世のブッヒィフエエエーーーーンン!! ヒィェーーッフウンン!! ウゥ……ウゥ……。ア゛ーーーーーア゛ッア゛ーー!!!! ゴノ! 世の! 中ガッハッハアン!! ア゛ーー世の中を! ゥ変エダイ! その一心でええ!! ィヒーフーッハゥ。一生懸命訴えて、西宮市に、縁もゆかりもない西宮ッヘエ市民の皆さまに、選出されて! やっと! 議員に!! なったんですううー!!!
ですから皆さまのご指摘を、県民の皆さまのご指摘と受け止めデーーヒィッフウ!! ア゛ーハーア゛ァッハアァーー! ッグ、ッグ、ア゛ーア゛ァアァアァ。ご指摘と受け止めて! ア゛ーア゛ーッハア゛ーーン! ご指摘と、受け止めて! 1人の大人として社会人として! 折り合いを付けましょうと! そういう意味合いで、自分としては、「何で、実績に基づいてキッチリ報告してんのに、何で自分を曲げないといかんのや」と思いながらも!
もっと大きな、目標ォ! すなわち! 本当に、少子高齢化を、自分の力で、議員1人のわずかな力ではありますけれども、解決したいと思っているからこそォォ!!
ご指摘の通り、平成26年度には195回行きました。301万円支出させていただきました。日帰りでございました! そのご指摘を真摯に真剣に受け止めようとするから! >
極東の島国の1地方でおこなわれた記者会観の映像が編集され、「作品」として生まれ変わり、無軌道で世界に拡散されて話題をふりまき、そして短期間のうちに忘れ去られていく・・という光景は改めて凄い時代だと感じる。
この流れを見て、ポップアートの巨匠だった今は亡きアンディ・ウォーホル(1928-1987)が残した、
<将来は誰でも15分間だけ有名人になれるだろう>(In the future, everyone will be world-famous for 15 minutes)
という言葉を思い出した。これはけっこう有名な言葉なようで 「fifteen minutes of fame」(15分間の名声)という派生語もできたという。ウォーホルの言葉自体は色々な解釈が可能だが、「15分間の名声」というのは賞をもらったり人命救助などの行為をしたため新聞やニュースで取り上げられるようなことを指す。
参照先はこちら
http://applecheese.blog58.fc2.com/blog-entry-230.html
ウォーホルの手法の一つに、マリリン・モンローやコカコーラといった世間で有名になっているヒトやモノを素材にしてそれを何度もくり返して複製するというものがある。昨今のニュースで話題になったものがネット上で「作品」になって拡散・消費されていくという流れは、ウォーホルに通じるものがあるように感じる。現在の光景を彼が見たら何を思うのだろうか。そんなことも考えてしまった。
野々村議員も、見方を変えれば、「15分間の名声」を手に入れたのかもしれない。だがウォーホルが生きていた時代と現代とでは恐ろしい違いがある。野々村議員
の言動や記者会見の映像、そしてそこから出てきた「作品」の一群は消えることなくネット上を漂い続けるわけだ。
数年経ってからもたとえば街中で、
「あ!あんた。あの時の・・・ちょっと、名前が出てこないけど、アレ!アレ!アレ!記者会見で号泣した人でしょ?ほらほらほら!」
と誰かに言われながら、持っているスマホからYouTubeで記者会見の動画を取り出して見せられる、というようなこともあり得るわけだ。現代における「有名になること」の代償は極めて大きいと言わざるを得ない。私は無駄なリスクは背負いたくない人間なので有名になろうとは夢に思わないし、これからもそうありたいと願う。
それはともかく、もはや野々村議員に関する件は本質が思い切りズレてしまった。そもそも政務活動費に不透明な部分があったということで開いた会見だったのに、彼の「パフォーマンス」の方が話題になってしまった。「政務活動費の責任を取れ」というのならまだ筋が通っているが、「会見の姿が恥ずかしかった」から「議員を辞職しろ」、というのはあまりに惨めではないか。
個人的にはここまで笑わせてもらい、かつ、実害らしきものを受けていない立場からすれば、政務活動費を返して謝罪すればもう一回くらいチャンスを与えてもいいのでは?という思いである(彼が京都府議会議員だったらこうは言ってなかったと思う)。露骨な言い方をすれば、誘拐や殺人を犯したとしてもここまでの報道はされない。サッチー問題(例えが古くて申し訳ありません)でもこれほどまでにはならなったのはネット以前の時代だったからだろう。
今はただ、現在の野々村議員が街中を歩ける状態にあるのかなあ、と他人事ながらそんなことを気にしている次第である。
https://www.youtube.com/watch?v=kV28Nk0bQJY
Facebook上で誰かが、
「この国にはもう芸人いらないな」
とつぶやいていたのが印象的だったが、私も久しぶりにひっくり返ほど笑った映像である。まあ、「命(政治生命)をかけたパフォーマンス」と考えれば大半の芸人などとは比較にならないものが込められていたのかもしれない。
あまりにも衝撃の強い映像だったためか、YouTubeでの再生回数はとんでもない数になり、その波は国内のみならずイギリスやオーストラリア、ロシアなど海外メディアまで野々村議員の記者会見の模様を取り上げるまでに発展した。英タイムズ紙は、
「温泉スキャンダルでフルスロットルの謝罪」
と題してこの件を紹介していたという。もっともタイムズ紙のこれは誤報であり、会見の要約を読んだ限り野々村議員は実際の会見において謝罪どころか経費の具体的な説明も全くしていなかったようだが。
しかしながら、会見から数日たって少し冷めた視点で振り返ってみると、この一連の流れはなかなか恐ろしい光景に見えてくる。もはや政務活動費がどうとかいった本質的な問題など吹っ飛んでしまい、野々村議員の「パフォーマンス」だけが注目されているのだ。海外メディアにしても野々村議員そのものを取り上げる一方、彼に対するネット(2ちゃんなど)の反応を面白がっているフシもある。
とどのつまり、野々村議員の「パフォーマンス」が素材として面白かったという1点に尽きるのだろう。記者会見が取り上げられて以後、彼の言動を取り上げた「まとめサイト」のみならず、会見の音声を編集した作品までYouTubeやニコニコ動画に出現している。
私が気に入っているのは、ハードコア(?)の演奏に記者会見の音声を巧みに織り交ぜたこれである。
野々村竜太郎議員が叙情系ハードコアバンドに加入
https://www.youtube.com/watch?v=1Yg0EZOMWr4
「ログミー」というサイトには記者会見の文字起こしが載っているが、これも「作品」と言いたくなるものだ。文字化けする可能性もあるが引用してみる。
http://logmi.jp/16387
<※以下、野々村氏が取り乱して号泣しながら話しており、正確な聞き取りが困難なため、聞き取った言葉の表現は編集部の解釈に基づいております。あらかじめご了承ください。
野々村:大人の社会人として、こういうご指摘を真摯に受け止めて、私としては、実績に基づいて、適正……(聞き取り不明)諸実績に基づいて報告しておりますけれども、「議員」という大きな立場から見れば、やはりご指摘を真摯に受け止めて、どこかで折り合いをつけなければ、大人じゃないと思うんですよ! ですから、私はその議員という、本当にもう……小さな子どもが大好きで、本当に子どもが大好きなんで、ですから、もうそういう子ども達に申し訳なくて……。
こんな大人で、県民の皆さま、私も死ぬ思いで、もう死ぬ思いでもう、あれですわ。一生懸命、落選に落選を重ねて、見知らぬ西宮市に移り住んで、やっと県民の皆様に認められて選出された代表者たる議員であるからこそ、こうやって報道機関の皆さまにご指摘を受けるのが、本当にツラくって、情けなくって、子ども達に本当に申し訳ないんですわ。
ですから、……皆さんのご指摘を真摯に受け止めて、議員という大きな、ク、カテゴリーに比べたらア、政務調査費、セィッイッム活動費の、報告ノォォー、ウェエ、折り合いをつけるっていうー、ことで、もう一生懸命ほんとに、少子化問題、高齢ェェエエ者ッハアアアァアーー!! 高齢者問題はー! 我が県のみウワッハッハーーン!! 我が県のッハアーーーー! 我が県ノミナラズ! 西宮みんなの、日本中の問題じゃないですか!!
そういう問題ッヒョオッホーーー!! 解決ジダイガダメニ! 俺ハネェ! ブフッフンハアァア!! 誰がね゛え! 誰が誰に投票ジデモ゛オンナジヤ、オンナジヤ思っでえ!
ウーハッフッハーン!! ッウーン! ずっと投票してきたんですわ! せやけど! 変わらへんからーそれやったらワダヂが! 立候補して! 文字通り! アハハーンッ! 命がけでイェーヒッフア゛ーー!!! ……ッウ、ック。サトウ記者! あなたには分からないでしょうけどね! 平々凡々とした、川西(市役所)を退職して、本当に、「誰が投票しても一緒や、誰が投票しても」。じゃあ俺がああ!! 立候補して!!
この世の中を! ウグッブーン!! ゴノ、ゴノ世のブッヒィフエエエーーーーンン!! ヒィェーーッフウンン!! ウゥ……ウゥ……。ア゛ーーーーーア゛ッア゛ーー!!!! ゴノ! 世の! 中ガッハッハアン!! ア゛ーー世の中を! ゥ変エダイ! その一心でええ!! ィヒーフーッハゥ。一生懸命訴えて、西宮市に、縁もゆかりもない西宮ッヘエ市民の皆さまに、選出されて! やっと! 議員に!! なったんですううー!!!
ですから皆さまのご指摘を、県民の皆さまのご指摘と受け止めデーーヒィッフウ!! ア゛ーハーア゛ァッハアァーー! ッグ、ッグ、ア゛ーア゛ァアァアァ。ご指摘と受け止めて! ア゛ーア゛ーッハア゛ーーン! ご指摘と、受け止めて! 1人の大人として社会人として! 折り合いを付けましょうと! そういう意味合いで、自分としては、「何で、実績に基づいてキッチリ報告してんのに、何で自分を曲げないといかんのや」と思いながらも!
もっと大きな、目標ォ! すなわち! 本当に、少子高齢化を、自分の力で、議員1人のわずかな力ではありますけれども、解決したいと思っているからこそォォ!!
ご指摘の通り、平成26年度には195回行きました。301万円支出させていただきました。日帰りでございました! そのご指摘を真摯に真剣に受け止めようとするから! >
極東の島国の1地方でおこなわれた記者会観の映像が編集され、「作品」として生まれ変わり、無軌道で世界に拡散されて話題をふりまき、そして短期間のうちに忘れ去られていく・・という光景は改めて凄い時代だと感じる。
この流れを見て、ポップアートの巨匠だった今は亡きアンディ・ウォーホル(1928-1987)が残した、
<将来は誰でも15分間だけ有名人になれるだろう>(In the future, everyone will be world-famous for 15 minutes)
という言葉を思い出した。これはけっこう有名な言葉なようで 「fifteen minutes of fame」(15分間の名声)という派生語もできたという。ウォーホルの言葉自体は色々な解釈が可能だが、「15分間の名声」というのは賞をもらったり人命救助などの行為をしたため新聞やニュースで取り上げられるようなことを指す。
参照先はこちら
http://applecheese.blog58.fc2.com/blog-entry-230.html
ウォーホルの手法の一つに、マリリン・モンローやコカコーラといった世間で有名になっているヒトやモノを素材にしてそれを何度もくり返して複製するというものがある。昨今のニュースで話題になったものがネット上で「作品」になって拡散・消費されていくという流れは、ウォーホルに通じるものがあるように感じる。現在の光景を彼が見たら何を思うのだろうか。そんなことも考えてしまった。
野々村議員も、見方を変えれば、「15分間の名声」を手に入れたのかもしれない。だがウォーホルが生きていた時代と現代とでは恐ろしい違いがある。野々村議員
の言動や記者会見の映像、そしてそこから出てきた「作品」の一群は消えることなくネット上を漂い続けるわけだ。
数年経ってからもたとえば街中で、
「あ!あんた。あの時の・・・ちょっと、名前が出てこないけど、アレ!アレ!アレ!記者会見で号泣した人でしょ?ほらほらほら!」
と誰かに言われながら、持っているスマホからYouTubeで記者会見の動画を取り出して見せられる、というようなこともあり得るわけだ。現代における「有名になること」の代償は極めて大きいと言わざるを得ない。私は無駄なリスクは背負いたくない人間なので有名になろうとは夢に思わないし、これからもそうありたいと願う。
それはともかく、もはや野々村議員に関する件は本質が思い切りズレてしまった。そもそも政務活動費に不透明な部分があったということで開いた会見だったのに、彼の「パフォーマンス」の方が話題になってしまった。「政務活動費の責任を取れ」というのならまだ筋が通っているが、「会見の姿が恥ずかしかった」から「議員を辞職しろ」、というのはあまりに惨めではないか。
個人的にはここまで笑わせてもらい、かつ、実害らしきものを受けていない立場からすれば、政務活動費を返して謝罪すればもう一回くらいチャンスを与えてもいいのでは?という思いである(彼が京都府議会議員だったらこうは言ってなかったと思う)。露骨な言い方をすれば、誘拐や殺人を犯したとしてもここまでの報道はされない。サッチー問題(例えが古くて申し訳ありません)でもこれほどまでにはならなったのはネット以前の時代だったからだろう。
今はただ、現在の野々村議員が街中を歩ける状態にあるのかなあ、と他人事ながらそんなことを気にしている次第である。
ロックじゃなくても別によかった(前編)ドラッグについて
2014年6月21日 日常某大物ミュージシャンが薬物所持で逮捕されてから、ドラッグについて考えてみた。
少し調べればわかることだが、ポピュラーミュージックとドラッグとの関係はとてつもなく深い。サイケデリック・ミュージックやテクノなどの音楽は薬物なくしては登場しなかったジャンルである。また、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(67年)とビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」(66年)はロックの歴史を語るときに1番目か2番目に挙げられるアルバムであるが、いずれもドラッグの影響下でできた作品と指摘されている。
そういえば、ビートルズのメンバーにマリファナを教えたのはボブ・ディランらしい。これは渋谷陽一氏の対談集「ロックは語れない」(86年。新潮文庫)で浜田省吾が語っていたことである(P.29)。
先日ルー・リードが亡くなった時に彼について検索したら、面白いページを見つけた。ルーの代表曲”Perfct Day”を紹介しているのだが、
「積む読!」
http://20100213.blogspot.jp/2010/03/perfect-day-lou-reed.html
<ビートルズ以後の洋楽の伝統として、歌詞は常にドラッグとの結びつきが暗示されている>
とまで書いている。
まさに「No Music,No Drug」といっても良いような歴史であるが、そういうものだからこそ私はロックやパンクといった音楽に興味を持つ一方で、ずーっと距離を縮められないまま現在まで至っているという気がする。
私自身は生まれてこのかた、麻薬や覚醒剤の類いにお世話になったことは一度もない。参考にいえば、タバコは「悪友に奨められて」31歳の時に1本を口に入れただけである。酒は、日常的に飲むようになったのは大学に入ってからだから、20歳前後か。
服用したことのない人間にとって、薬物というのは異様なものに感じる。酒やタバコと違って、しかるべき場所にいけば置いてあって買えるというものではないからだ。
「麻薬 ルート」で検索したら、このサイトが1番目に出てきた。
「朧月夜Hazy moon night」
日本の裏社会〜薬物ルートPart2
http://nipponngannbare.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-aea4.html
誰でもわかることだが、持っているだけで違法となるものなので、入手経路はこうした反社会的なところを通じてとなる。田舎生まれで、身近にヤクザな知り合いもなく、バーやクラブを練り歩く夜行性でもない私がドラッグに手を染めなかったのも当然の成り行きといえよう。
何事も経験したほうが良いという考えの方もいるだろうが、38歳を超えた年齢でこんなものに手を出す気にはならない。もし試すのであれば、合法になっているオランダで吸ってみるとかいうのがスマートな大人のあり方だろう。しかしそれ以前に、私ももう人生が半分は終わった身である。もはや若くもないしなるべく身体を大事にしたいと思うようになってきた。そういうこともあって、薬物に手を出すことはないだろう。
ところで、ドラッグと音楽の関係が当然のように語られる欧米と比べると、日本での薬物の位置づけはなんとも微妙な気がしてならない。「この作品はドラッグの影響下にあります」などと解説のついたCDも聞いたことがない。芸能界からは毎年のように薬物使用で逮捕者も出るわけだが、瞬間的には逮捕者を非難するコメントが出てきても、それ以上の動きに発展することもない。一人の逮捕がきっかけで大量の逮捕者が出る、などというのは週刊誌でありがちな書き方だが、そんな事例もなかったのではないか?と誰がか指摘していた。確かにそんな逮捕のされ方は私も記憶がない。
ともかく、ドラッグに対してはどこもかしこも及び腰な気がする。肝心なことには触れないようにしていると思えてならない。ただ、別に私はそれに対して非難をしたいわけではない。さきほど書いたようにドラッグとヤクザは切ってもきれないわけであり、下手なことを言ったら自分の身が危なくなるかもしれない。誰でも命は大事にしたいだろう。
終生カタギの立場でいるであろう私にはドラッグについて深く知ることもないし、またロック=ドラッグというのであればロックの神髄に触れることもないまま一生を終えることになるのだろう。それは一向に構わないが、芸能界はカタギの世界ではないんだなあとなんとなく感じてしまう。
少し調べればわかることだが、ポピュラーミュージックとドラッグとの関係はとてつもなく深い。サイケデリック・ミュージックやテクノなどの音楽は薬物なくしては登場しなかったジャンルである。また、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(67年)とビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」(66年)はロックの歴史を語るときに1番目か2番目に挙げられるアルバムであるが、いずれもドラッグの影響下でできた作品と指摘されている。
そういえば、ビートルズのメンバーにマリファナを教えたのはボブ・ディランらしい。これは渋谷陽一氏の対談集「ロックは語れない」(86年。新潮文庫)で浜田省吾が語っていたことである(P.29)。
先日ルー・リードが亡くなった時に彼について検索したら、面白いページを見つけた。ルーの代表曲”Perfct Day”を紹介しているのだが、
「積む読!」
http://20100213.blogspot.jp/2010/03/perfect-day-lou-reed.html
<ビートルズ以後の洋楽の伝統として、歌詞は常にドラッグとの結びつきが暗示されている>
とまで書いている。
まさに「No Music,No Drug」といっても良いような歴史であるが、そういうものだからこそ私はロックやパンクといった音楽に興味を持つ一方で、ずーっと距離を縮められないまま現在まで至っているという気がする。
私自身は生まれてこのかた、麻薬や覚醒剤の類いにお世話になったことは一度もない。参考にいえば、タバコは「悪友に奨められて」31歳の時に1本を口に入れただけである。酒は、日常的に飲むようになったのは大学に入ってからだから、20歳前後か。
服用したことのない人間にとって、薬物というのは異様なものに感じる。酒やタバコと違って、しかるべき場所にいけば置いてあって買えるというものではないからだ。
「麻薬 ルート」で検索したら、このサイトが1番目に出てきた。
「朧月夜Hazy moon night」
日本の裏社会〜薬物ルートPart2
http://nipponngannbare.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-aea4.html
誰でもわかることだが、持っているだけで違法となるものなので、入手経路はこうした反社会的なところを通じてとなる。田舎生まれで、身近にヤクザな知り合いもなく、バーやクラブを練り歩く夜行性でもない私がドラッグに手を染めなかったのも当然の成り行きといえよう。
何事も経験したほうが良いという考えの方もいるだろうが、38歳を超えた年齢でこんなものに手を出す気にはならない。もし試すのであれば、合法になっているオランダで吸ってみるとかいうのがスマートな大人のあり方だろう。しかしそれ以前に、私ももう人生が半分は終わった身である。もはや若くもないしなるべく身体を大事にしたいと思うようになってきた。そういうこともあって、薬物に手を出すことはないだろう。
ところで、ドラッグと音楽の関係が当然のように語られる欧米と比べると、日本での薬物の位置づけはなんとも微妙な気がしてならない。「この作品はドラッグの影響下にあります」などと解説のついたCDも聞いたことがない。芸能界からは毎年のように薬物使用で逮捕者も出るわけだが、瞬間的には逮捕者を非難するコメントが出てきても、それ以上の動きに発展することもない。一人の逮捕がきっかけで大量の逮捕者が出る、などというのは週刊誌でありがちな書き方だが、そんな事例もなかったのではないか?と誰がか指摘していた。確かにそんな逮捕のされ方は私も記憶がない。
ともかく、ドラッグに対してはどこもかしこも及び腰な気がする。肝心なことには触れないようにしていると思えてならない。ただ、別に私はそれに対して非難をしたいわけではない。さきほど書いたようにドラッグとヤクザは切ってもきれないわけであり、下手なことを言ったら自分の身が危なくなるかもしれない。誰でも命は大事にしたいだろう。
終生カタギの立場でいるであろう私にはドラッグについて深く知ることもないし、またロック=ドラッグというのであればロックの神髄に触れることもないまま一生を終えることになるのだろう。それは一向に構わないが、芸能界はカタギの世界ではないんだなあとなんとなく感じてしまう。
郵便受けの中に茶封筒が入っていたことに気づいたのは、土曜日(5月31日)の夜10時ごろのことである。その右下には「上京税務署」と書かれていた。
「おかしいなあ。住民税の請求がくるのは来月じゃないか?」
冷静になってみると住民税の請求をしてくるのは「上京区役所」である。だが、この時期に茶色の封筒といえば自分の中では住民税しか頭にはなかった。
「一気に払える額じゃないしなあ・・・。半年ほどかけて期限までに払うしかないなあ」
と、まだ住民税の請求と思いながら封を開けてみると、なにやら見慣れない文言の書類が入っていた。
それは「上京税務署長」の名前で、
「所得税(及び復興特別所得税)の確定申告書の見直し・確認について」
というものであった。
前文は、
<税務行政につきましては、日頃からご協力いただきありがとうございます。
さて、過日ご提出していただいた平成25年分の所得税(及び復興特別所得税)の確定申告書について、下記の事項に関して、計算誤り又は記載漏れ等があるのではないかと考えられますので、お手元の申告書の控えなどにより、6月13日(金)までに見直し・確認をお願いします。>
となっている。これまで確定申告は3回しているが、こんな文書が届いたのは始めてだった。パッと読んでも内容は把握できないけれど、文書の下に「見直しをお願いしたい事項」というところがあって、そこに、
「社会保険料控除」
と書かれている。どうやら、支払った保険料についての記入に不備があったようだ。
パソコンの中に、確定申告の際に提出した書類のPDFデータが残っているので調べてみると、支払った社会保険料の金額が「0」になっている。完全にこちらの落ち度であった。
封筒の中には申告を修正するための書類も入っている。それだけなら「6月13日までのどっかで手続きをしようか」と思っただろうが、提出をすればいくばくかのお金が返還されるようだ。そこで本日仕事を向かう前の朝一番、午前8時半に開いてまもない上京税務署に入った。まだ忙しくもないためか、窓口には人がいないので、すいませーん!と奥にいる人を呼びつけて書類を見せたら、
「担当を呼びますので、おかけになってお待ちください」
と言われる。座って3分くらい待っていたら、書類にも記載されていた担当の方が出てきた。
「この書類をいただいたんですけど、保険料が書かれてなかったということですよね?」
と切り出したら、
「はい、そうですね」
と話はすぐに通じた。そして書類に私の印鑑と、戻るお金を振り込む口座の番号(ゆうちょ銀行)を書いて渡した。通常の確定申告と同様、振り込まれるまで1ヶ月から1ヶ月半かかるとのことだった。
思わぬところで収入が転がってくることになったが、考えてみればもともと春には受け取っているはずのお金である。果たして私は幸せなのか、それともそうでないのか。
「おかしいなあ。住民税の請求がくるのは来月じゃないか?」
冷静になってみると住民税の請求をしてくるのは「上京区役所」である。だが、この時期に茶色の封筒といえば自分の中では住民税しか頭にはなかった。
「一気に払える額じゃないしなあ・・・。半年ほどかけて期限までに払うしかないなあ」
と、まだ住民税の請求と思いながら封を開けてみると、なにやら見慣れない文言の書類が入っていた。
それは「上京税務署長」の名前で、
「所得税(及び復興特別所得税)の確定申告書の見直し・確認について」
というものであった。
前文は、
<税務行政につきましては、日頃からご協力いただきありがとうございます。
さて、過日ご提出していただいた平成25年分の所得税(及び復興特別所得税)の確定申告書について、下記の事項に関して、計算誤り又は記載漏れ等があるのではないかと考えられますので、お手元の申告書の控えなどにより、6月13日(金)までに見直し・確認をお願いします。>
となっている。これまで確定申告は3回しているが、こんな文書が届いたのは始めてだった。パッと読んでも内容は把握できないけれど、文書の下に「見直しをお願いしたい事項」というところがあって、そこに、
「社会保険料控除」
と書かれている。どうやら、支払った保険料についての記入に不備があったようだ。
パソコンの中に、確定申告の際に提出した書類のPDFデータが残っているので調べてみると、支払った社会保険料の金額が「0」になっている。完全にこちらの落ち度であった。
封筒の中には申告を修正するための書類も入っている。それだけなら「6月13日までのどっかで手続きをしようか」と思っただろうが、提出をすればいくばくかのお金が返還されるようだ。そこで本日仕事を向かう前の朝一番、午前8時半に開いてまもない上京税務署に入った。まだ忙しくもないためか、窓口には人がいないので、すいませーん!と奥にいる人を呼びつけて書類を見せたら、
「担当を呼びますので、おかけになってお待ちください」
と言われる。座って3分くらい待っていたら、書類にも記載されていた担当の方が出てきた。
「この書類をいただいたんですけど、保険料が書かれてなかったということですよね?」
と切り出したら、
「はい、そうですね」
と話はすぐに通じた。そして書類に私の印鑑と、戻るお金を振り込む口座の番号(ゆうちょ銀行)を書いて渡した。通常の確定申告と同様、振り込まれるまで1ヶ月から1ヶ月半かかるとのことだった。
思わぬところで収入が転がってくることになったが、考えてみればもともと春には受け取っているはずのお金である。果たして私は幸せなのか、それともそうでないのか。
5月の初めに「数年ぶり」というほどの酷い二日酔いとなった。詳細な内容についてここではとても触れるわけにはいかないが、ともかく世間に迷惑をかけなくて本当に良かった・・・というのが率直な感想である。
二日酔いの日は平日だったので普段の仕事をしたわけだが、いつもは何でも無い荷物が異様に重たく感じるなど一日を過ごすのが実に辛かった。
こういう経験をすると、
「酒の飲み方も考えないといけないなあ・・・」
という気持ちに嫌でもなってくるものだ。二日酔いの後はいつも考えることではあるけれど、今回は症状が重くしかも長引いたので、いきおい思い悩む時間も多くなった。
私が二日酔いになるときのパターンはもう決まっている。長い時間飲み続けた時、そしてろくに食べもせず飲んでいた時である。これをやると確実に潰れてしまう。
断っておくが、周囲からおかしいと思われるような酒の飲み方はしていない。ただ、これ以上飲んだらマズいかなあ、と感じながらも口に何かを入れることを止められないのだ。要するに、締まりの無い飲み方をしているのである。おかしい飲み方ではないだろうけど、スマートな飲酒というわけでもない。まあ、酒の飲み方に人間性が出ているということなのだろうけど。
しかしそんな自分にも転機というか、飲み方を変えられそうな状況が訪れている。かつてと比べてグッと酒が弱くなってきているのだ。具体的な量についていえば、以前は生ビールを大ジョッキに3杯を平気で飲んでいたけれど、今は大ジョッキ1杯だけで眠くなってくることが多い。単純に考えると、酒の強さがこれまでの3分の1になったといえる。
また、ビールそのものにも弱くなっている。以前はよほどの量を飲まない限り、ビールだけで二日酔いの症状はあまりなかった。しかし最近は飲んだ翌日に頭痛で悩まされることも少なくない。
こうなると「年をとった」とか「身体が弱ってきた」と後ろ向きな考えになってくるものだが、
「これは、飲み方を変える時期だな」
と私は捉えることにしたい。
振り返ってみれば、もともと酒がすごく好きな人間というわけではない。大学時代はサークルなどにも入ってなかったこともあり、ほとんど外で飲む機会はなかった。日常的に飲酒をするようになったのは社会人になってからだろう。年齢でいえば25歳からである。それから13年の月日が経っているわけだが、朝まで飲んだという経験も片手で足りるはずだ。
基本的に夜更かしが嫌いなので、それに抗って飲みたいという気持ちも自分の中には無いのだろう。長く飲み続ける時は、友人知人と複数でいる時である。自分の意思とは関係なく周囲に流されるまま飲んで、悲劇的な目に遭うことも何度かはあった。
別にガバガバと飲み続けられることが幸せなわけではない。飲んでいる時が楽しめるかどうか、そしてそれが後に引かないかどうか。それが肝心なのだ。
そういえば、自分が悪酔いする時の傾向には「楽しくない酒」を飲んだことも挙げられる。もうこれからはこうした事態は避けて飲む量をコントロールしながら「楽しい酒」を追求したい。そう考える38歳の初夏である。
二日酔いの日は平日だったので普段の仕事をしたわけだが、いつもは何でも無い荷物が異様に重たく感じるなど一日を過ごすのが実に辛かった。
こういう経験をすると、
「酒の飲み方も考えないといけないなあ・・・」
という気持ちに嫌でもなってくるものだ。二日酔いの後はいつも考えることではあるけれど、今回は症状が重くしかも長引いたので、いきおい思い悩む時間も多くなった。
私が二日酔いになるときのパターンはもう決まっている。長い時間飲み続けた時、そしてろくに食べもせず飲んでいた時である。これをやると確実に潰れてしまう。
断っておくが、周囲からおかしいと思われるような酒の飲み方はしていない。ただ、これ以上飲んだらマズいかなあ、と感じながらも口に何かを入れることを止められないのだ。要するに、締まりの無い飲み方をしているのである。おかしい飲み方ではないだろうけど、スマートな飲酒というわけでもない。まあ、酒の飲み方に人間性が出ているということなのだろうけど。
しかしそんな自分にも転機というか、飲み方を変えられそうな状況が訪れている。かつてと比べてグッと酒が弱くなってきているのだ。具体的な量についていえば、以前は生ビールを大ジョッキに3杯を平気で飲んでいたけれど、今は大ジョッキ1杯だけで眠くなってくることが多い。単純に考えると、酒の強さがこれまでの3分の1になったといえる。
また、ビールそのものにも弱くなっている。以前はよほどの量を飲まない限り、ビールだけで二日酔いの症状はあまりなかった。しかし最近は飲んだ翌日に頭痛で悩まされることも少なくない。
こうなると「年をとった」とか「身体が弱ってきた」と後ろ向きな考えになってくるものだが、
「これは、飲み方を変える時期だな」
と私は捉えることにしたい。
振り返ってみれば、もともと酒がすごく好きな人間というわけではない。大学時代はサークルなどにも入ってなかったこともあり、ほとんど外で飲む機会はなかった。日常的に飲酒をするようになったのは社会人になってからだろう。年齢でいえば25歳からである。それから13年の月日が経っているわけだが、朝まで飲んだという経験も片手で足りるはずだ。
基本的に夜更かしが嫌いなので、それに抗って飲みたいという気持ちも自分の中には無いのだろう。長く飲み続ける時は、友人知人と複数でいる時である。自分の意思とは関係なく周囲に流されるまま飲んで、悲劇的な目に遭うことも何度かはあった。
別にガバガバと飲み続けられることが幸せなわけではない。飲んでいる時が楽しめるかどうか、そしてそれが後に引かないかどうか。それが肝心なのだ。
そういえば、自分が悪酔いする時の傾向には「楽しくない酒」を飲んだことも挙げられる。もうこれからはこうした事態は避けて飲む量をコントロールしながら「楽しい酒」を追求したい。そう考える38歳の初夏である。
不毛な論争に巻き込まれたら、思い出したい曲
2014年5月30日 とどめておきたこと、特記事項 コメント (1)私が書いた日記に対して珍しくコメントを残した人がいた。ネット上でしかも匿名で書くくだらない内容についてはまともに取り合わない、というのが私の方針である。その方針に従い「うんこ食ってろ」と先方に返事をしたら、それに対してコメントがまた書き込まれてしまった。
暇な人は実際にコメントを確認していただければ良いのだが、
以前いた会社が説明会を開催すると聞いたので(2014年5月27日)
http://30771.diarynote.jp/201405270801595488/
・自分の目的は誹謗中傷ではない。
・どうしてこんな日記を書いたのか真意を知りたかった。
・自分のコメントが気に入らないなら、削除するか「詮索しないでくれ」と返信すれば、それ以上のことはしなかった。
・「論点をずらす」とか「匿名」とか「うんこ食ってろ」などと関係のないコメントを書かれたので、こちらも何かコメントをしないわけにはいかない。
こんなところである。
ザッとコメントを読んでしばらく考えた末に、
「やはり、こういう手合いは無視するのが良かったのかなあ・・・」
と少しだけ後悔をする。私と先方との考えにあまりにも違いがあるからだ。もうこれは永遠に噛み合わないだろう。それゆえ私は「うんこ食ってろ」と言って、そこで幕引きをするつもりであった。
誰も興味が無いとは重々に承知しているが、両者の違いを比較し整理してみよう。
(1)ネットでコメントをする際の実名/匿名について
私:人に対して批判とか疑問を投げかける場合については、実名や連絡先のアドレスを添えるなどをすることが望ましい。自分が安全圏に立っての「批判」は卑劣な行為である。
うんこ野郎:そんなの関係ねえ。
(2)日記を書いた「動機」や「背景」をめぐって
私:批判や疑問を投げかけるならば、その日記に「実際に書いてある」内容に基づいて指摘するのが筋である。「お前は辞めた会社に未練があるからこんな日記を書いたのだろう?」といった推測による書き込みは、事実を無視した「誹謗中傷」であり「下衆の勘ぐり」である。
うんこ野郎:文章は「動機」や「背景」があって書かれると思う。
(3)私の対応について
うんこ野郎:自分の対応が気に入らないなら削除するか「詮索しないでくれ」と返信すべき。
私:どのような返事をするかは、原則的にこちらの勝手である。
いかがだろうか。この3点を挙げるだけでも、両者は別の世界であれこれ言い合っていることが感じてもらえるだろう。
そして最も違う点を最後に挙げる。
(4)相手への対応について
私:「これは話にならねえや」と判断したら、その時点で「幕引き」としてコメントもしない。
うんこ野郎:コメントを削除するなり「詮索するな」というような反応があればコメントを止める。意味不明な対応については、こちらもコメントは続けていく。
やり取りしているうちに察したのだが、自分の書いたコメントにはこのように対応するべきだ、という「模範解答」のようなものが向こうの頭の中にあるらしい。
その証拠に、
<私の初めのコメントが気に障ったのなら、
そのコメントを削除するか、「詮索しないでくれ」とだけ返信くだされば、
あなたの気持ちを汲み取ってそれ以上コメントする気もありませんでした。>
などと書いてきたからである。
さっきも書いたが、コメントにどんな対応をしようとそれは「こちらの勝手」である。こちらの希望通りの反応がない限りはコメントを書き続ける、などというのはもはや倒錯しているとしか思えない。
私がもしもどこかのブログなり掲示板なりの内容に思うところがあってコメントをし、それに対して返信が無かったり希望通りの返事がもらえなかったとする。それは残念な結果だが、だからといってそれ以上に何か突っ込んだ行動を取ることはあり得ない。ましてや「どうして貴方はそんな対応をしたんですか?その真意を知りたいです。ちゃんと答えてください」などとさらに書き込みをして迫ろうものなら、通報されることだってあり得る昨今である。
希望通りの返事がもらえなかったのは、相手が忙しかったとか、気に入らない内容だったとか、そもそも質問の意図が理解できなかったとか色々あるだろう。しかしそれを詮索したところで何の意味があるのか。
それは日記を書いた私の「動機」だの「背景」だのに向こうがやたらこだわっていることにも繋がっていく。
そもそも先方が私の日記にコメントをしたのは、辞めた会社が会社説明会をおこなっているということを書いた「動機」について興味があったことによる。なぜ辞めた会社に固執するのか?未練でもあるのか?それが不思議でならない、というのである。
しかし、日記を書いた「動機」などというのは、実際のところは書いた本人でもよくわからないものである。前の職場に居残ったとしても、身体か精神を壊していたのは間違いないから「未練」という要素はおそらくないだろう。
ただ、
「先行きの無い業界にいる会社なんだからもう潰れても良いのに、どうしてまだ存続してるのかなあ」
というような疑問というか不満というかそういう屈折した思いはある。それが先方が知りたがっている「動機」とか「背景」に近いものかもしれないが、そんなことを敢えて日記に記すつもりもない。「自分でもわからないこと」をむやみに書いても読みづらい内容になるだけである。それは一にも二にも「読みやすさ」を考えている私には思いもよらない選択だ。
「コメントありがとうございました。
書かれた内容を読んでハッとさせられました。確かに辞めた会社についての未練が心の奥底にあったのだと思います。おっしゃる通り、駄目な会社は勝手に消えるものだし、私自身もあまりに不健康な精神状態だったかもしれませんね。
これからは私ももっと前向きな気持ちでこれからを過ごしていきたいと思います。このたびはありがとうございました」
とでも書いていたら、先方が喜ぶ「模範解答」になったかもしれない。ただ、これは私の本心とは大きくかけ離れているものだが。
もう一つ、大事なことを記しておきたい。私は先方に対して、もう一切コメントを返さない。これは私から幕引きをしたいと願うからだ。
おそらく先方の期待する「模範解答」もしくはコメント削除などをしない限りは飽きもせず何度でも返信をしてくるだろう。それは、やはり安いプライドが抱えているというか、自分が期待する「模範解答」を意地でも引き出したいという思いが透けて見える。
しかし、さきほども述べた通り、赤の他人に対して自分の望み通りの返答を求めるというのはお門違いではないのか。しかも、匿名で、である。「名無しさん」に対して誠心誠意に応じるというのは、はっきり言って馬鹿げている。ましてや論争というかケンカをするなど、自分を浪費させるだけだ。
理想論かもしれないが、自分のブログに対して批判なり疑問なりのコメントをされるならば、きちんと内容を読んで事実を踏まえた上でしてもらいたいのである。そうでなければ私自身も訂正とか修正とかできないからだ。せっかく批判をされるのならば、誹謗中傷ではなく、自分の考えが深まるような批判を受けてみたい。不遜に思う方もいるかもしれないが、これが私の偽らざる本心である。
しかし、大抵の場合は「バカ」だの「死ね」だの「くさい」だのといった内容なので、それゆえ「うんこ食ってろ」と対応するわけである。
先日の日記では顔の見えない相手との論争を「シャドー・ボクシング」に例えてみたけれど、もしネットを通じて不快な思いをした時は、異端のフォーク・シンガー三上寛(みかみ・かん)の”あしたのジョーなんかきらいだ”の一節を思い出してみたい。
<お前が殴っていたものはカルロスでも力石でもない
お前はお前の明日を殴っていたのだ>
三上寛についてはYou Tubeで動画があったので、暇があれば一度観てもらいたい。
夢は夜ひらく~あしたのジョーなんかきらいだ★三上寛 (Audio)
https://www.youtube.com/watch?v=dZs7r_azQbs
とりあえず、無駄な論争をしているような時間は今の私の人生には残っていない。38歳を目前にしてそんなことも頭にちらついている今日このごろだ。
暇な人は実際にコメントを確認していただければ良いのだが、
以前いた会社が説明会を開催すると聞いたので(2014年5月27日)
http://30771.diarynote.jp/201405270801595488/
・自分の目的は誹謗中傷ではない。
・どうしてこんな日記を書いたのか真意を知りたかった。
・自分のコメントが気に入らないなら、削除するか「詮索しないでくれ」と返信すれば、それ以上のことはしなかった。
・「論点をずらす」とか「匿名」とか「うんこ食ってろ」などと関係のないコメントを書かれたので、こちらも何かコメントをしないわけにはいかない。
こんなところである。
ザッとコメントを読んでしばらく考えた末に、
「やはり、こういう手合いは無視するのが良かったのかなあ・・・」
と少しだけ後悔をする。私と先方との考えにあまりにも違いがあるからだ。もうこれは永遠に噛み合わないだろう。それゆえ私は「うんこ食ってろ」と言って、そこで幕引きをするつもりであった。
誰も興味が無いとは重々に承知しているが、両者の違いを比較し整理してみよう。
(1)ネットでコメントをする際の実名/匿名について
私:人に対して批判とか疑問を投げかける場合については、実名や連絡先のアドレスを添えるなどをすることが望ましい。自分が安全圏に立っての「批判」は卑劣な行為である。
うんこ野郎:そんなの関係ねえ。
(2)日記を書いた「動機」や「背景」をめぐって
私:批判や疑問を投げかけるならば、その日記に「実際に書いてある」内容に基づいて指摘するのが筋である。「お前は辞めた会社に未練があるからこんな日記を書いたのだろう?」といった推測による書き込みは、事実を無視した「誹謗中傷」であり「下衆の勘ぐり」である。
うんこ野郎:文章は「動機」や「背景」があって書かれると思う。
(3)私の対応について
うんこ野郎:自分の対応が気に入らないなら削除するか「詮索しないでくれ」と返信すべき。
私:どのような返事をするかは、原則的にこちらの勝手である。
いかがだろうか。この3点を挙げるだけでも、両者は別の世界であれこれ言い合っていることが感じてもらえるだろう。
そして最も違う点を最後に挙げる。
(4)相手への対応について
私:「これは話にならねえや」と判断したら、その時点で「幕引き」としてコメントもしない。
うんこ野郎:コメントを削除するなり「詮索するな」というような反応があればコメントを止める。意味不明な対応については、こちらもコメントは続けていく。
やり取りしているうちに察したのだが、自分の書いたコメントにはこのように対応するべきだ、という「模範解答」のようなものが向こうの頭の中にあるらしい。
その証拠に、
<私の初めのコメントが気に障ったのなら、
そのコメントを削除するか、「詮索しないでくれ」とだけ返信くだされば、
あなたの気持ちを汲み取ってそれ以上コメントする気もありませんでした。>
などと書いてきたからである。
さっきも書いたが、コメントにどんな対応をしようとそれは「こちらの勝手」である。こちらの希望通りの反応がない限りはコメントを書き続ける、などというのはもはや倒錯しているとしか思えない。
私がもしもどこかのブログなり掲示板なりの内容に思うところがあってコメントをし、それに対して返信が無かったり希望通りの返事がもらえなかったとする。それは残念な結果だが、だからといってそれ以上に何か突っ込んだ行動を取ることはあり得ない。ましてや「どうして貴方はそんな対応をしたんですか?その真意を知りたいです。ちゃんと答えてください」などとさらに書き込みをして迫ろうものなら、通報されることだってあり得る昨今である。
希望通りの返事がもらえなかったのは、相手が忙しかったとか、気に入らない内容だったとか、そもそも質問の意図が理解できなかったとか色々あるだろう。しかしそれを詮索したところで何の意味があるのか。
それは日記を書いた私の「動機」だの「背景」だのに向こうがやたらこだわっていることにも繋がっていく。
そもそも先方が私の日記にコメントをしたのは、辞めた会社が会社説明会をおこなっているということを書いた「動機」について興味があったことによる。なぜ辞めた会社に固執するのか?未練でもあるのか?それが不思議でならない、というのである。
しかし、日記を書いた「動機」などというのは、実際のところは書いた本人でもよくわからないものである。前の職場に居残ったとしても、身体か精神を壊していたのは間違いないから「未練」という要素はおそらくないだろう。
ただ、
「先行きの無い業界にいる会社なんだからもう潰れても良いのに、どうしてまだ存続してるのかなあ」
というような疑問というか不満というかそういう屈折した思いはある。それが先方が知りたがっている「動機」とか「背景」に近いものかもしれないが、そんなことを敢えて日記に記すつもりもない。「自分でもわからないこと」をむやみに書いても読みづらい内容になるだけである。それは一にも二にも「読みやすさ」を考えている私には思いもよらない選択だ。
「コメントありがとうございました。
書かれた内容を読んでハッとさせられました。確かに辞めた会社についての未練が心の奥底にあったのだと思います。おっしゃる通り、駄目な会社は勝手に消えるものだし、私自身もあまりに不健康な精神状態だったかもしれませんね。
これからは私ももっと前向きな気持ちでこれからを過ごしていきたいと思います。このたびはありがとうございました」
とでも書いていたら、先方が喜ぶ「模範解答」になったかもしれない。ただ、これは私の本心とは大きくかけ離れているものだが。
もう一つ、大事なことを記しておきたい。私は先方に対して、もう一切コメントを返さない。これは私から幕引きをしたいと願うからだ。
おそらく先方の期待する「模範解答」もしくはコメント削除などをしない限りは飽きもせず何度でも返信をしてくるだろう。それは、やはり安いプライドが抱えているというか、自分が期待する「模範解答」を意地でも引き出したいという思いが透けて見える。
しかし、さきほども述べた通り、赤の他人に対して自分の望み通りの返答を求めるというのはお門違いではないのか。しかも、匿名で、である。「名無しさん」に対して誠心誠意に応じるというのは、はっきり言って馬鹿げている。ましてや論争というかケンカをするなど、自分を浪費させるだけだ。
理想論かもしれないが、自分のブログに対して批判なり疑問なりのコメントをされるならば、きちんと内容を読んで事実を踏まえた上でしてもらいたいのである。そうでなければ私自身も訂正とか修正とかできないからだ。せっかく批判をされるのならば、誹謗中傷ではなく、自分の考えが深まるような批判を受けてみたい。不遜に思う方もいるかもしれないが、これが私の偽らざる本心である。
しかし、大抵の場合は「バカ」だの「死ね」だの「くさい」だのといった内容なので、それゆえ「うんこ食ってろ」と対応するわけである。
先日の日記では顔の見えない相手との論争を「シャドー・ボクシング」に例えてみたけれど、もしネットを通じて不快な思いをした時は、異端のフォーク・シンガー三上寛(みかみ・かん)の”あしたのジョーなんかきらいだ”の一節を思い出してみたい。
<お前が殴っていたものはカルロスでも力石でもない
お前はお前の明日を殴っていたのだ>
三上寛についてはYou Tubeで動画があったので、暇があれば一度観てもらいたい。
夢は夜ひらく~あしたのジョーなんかきらいだ★三上寛 (Audio)
https://www.youtube.com/watch?v=dZs7r_azQbs
とりあえず、無駄な論争をしているような時間は今の私の人生には残っていない。38歳を目前にしてそんなことも頭にちらついている今日このごろだ。
「怒らない人」になるまでの道のり
2014年5月28日 日常いま働いている職場のボスは、基本的にニコニコしている人だがたまに周囲を怒鳴りちらす場面もある。どんな時に怒るのかだいたい予測できるようになったので、彼が怒らないように予防線を張って仕事するようにした。おかげで最近は私に対して当たってくることはなくなった。ただ、週に何回かは誰かに罵声を浴びせている。
私はめったに怒らない人間である、というのが周囲で一致する印象だろう。それでもかつてはけっこう怒る場面が年に数回はあった気がする。しかし、もう何年もそんなことはしていない。たとえ理不尽な仕打ちを受けたとしても、表情に出すことは無いはずだ。怒るとかキレるとかいった行為もやり方を忘れてしまった。今はそんな心境になっている。
どうして怒らなくなったのだろうか。自分なりに考えてみるといくつか原因と思われるものが挙がってくる。
まず、
「怒っても何も世の中は変わらない」
という諦観というかニヒリズム(虚無主義)のようなものが自分の中に定着してしまったことがある。あえて説明することでもないだろうが、怒るという行為はものすごくエネルギーを消費するものの、それが良い結果に結びつくことはほぼ皆無である。その場はうまくいったように見えることもあるけれど、冷静になった後では、周囲に気まずい雰囲気を作り出し事態がより悪くなっていることに気づくだろう。
ここまで書いてふと思い出したが、2011年10月から2012年の終わりあたりまで、私はずっと「怒られる」立場だった。この間に人生の15年ぶんほどの罵声を浴びたと思う。そういえば机も蹴られたような気もするが、もうこれ以上思い出したくない過去である。
そんな経験を自分をして精神的に徹底的に追い詰められた末に、
「自分はどんなことがあっても、むやみやたらに他人に怒鳴りちらしたりはしないぞ」
と知らぬ間に心に誓った、のかもしれない。
そしてもう一つ大きな要因として、「相手の意図が見えるようになってきた」という点がある。怒るということの大きな側面に、衝動的な行為ということは改めて強調したい。要するに「勢い」や「思いつき」といったものに駆り立てられてすることなのだ。「いきあたりばったり」というものは、たいてい失敗してしまう。それが世の中というものだろう。
先日に日記を書いたら、珍しくコメントが書かれていた。
http://30771.diarynote.jp/201405270801595488/
以前いた会社が説明会を開催すると聞いたので(2014年5月27日)
本当は無視するのが一番賢明というかスマートな対応だと思うのだが、せっかくなので返事をしてみた。
お断りしておくが、このコメントを読んで私はほとんど怒りを覚えていない。私が返信を書くまでに至る脳内の過程はこんな感じである。
まず冒頭で、
>大変興味深く拝読しました。
などと書いておきながら、
>書き連ねられた文章の背景を想像すると、薄ら寒いものを感じました。
>なぜ辞めた会社のことを固執し続けるのでしょうか。
>未練でもあるのでしょうか。
などと、日記に述べている事実内容についてではなく、書いている私の動機うんぬんを詮索していることにパッと気づいた。これは、返信した通り「論点をずらす」という行為である。こちらが書いていないことを勝手に想像して「固執」だの「未練」だのと言われても、こちらはまともな対応などとりようがない。
こうしたことに気づけば、これは誠実な対応する必要はないな、という冷静な判断がつく。カッとなってしまうとこちらも勢いで反応して傷口を広げる結果になる恐れがある。
そもそもの話、匿名でぶしつけにコメントをすること自体が卑劣で品の無い行為である。そうやって自分が安全地帯にいてしまうと好き勝手に暴走する危険を防ぐため敢えて私は実名を出して書いているわけだ。別にたいしてアクセス数があるわけでもないし自意識過剰といえないこともないけれど、SNSで何かを書くのはリスクをともなうことだという思いはいつも忘れないようにしている。
だいたい、誰が書いたのかわからないコメントに一喜一憂することが馬鹿げている。それこそ本当の自意識過剰というものだ。以前はくだらない書き込みをされたのに頭がきて返信したら、さらに人をコケにしたコメントをされたという苦い思い出がある。
しかしある時このやり取りについて考えているうちに、
「顔も見えない相手と論争するなんてシャドー・ボクシングみたいなものなんじゃないか・・・?こんな輩にちゃんと相手をするのは止めよう。時間の無駄だ」
と悟ってしまった。そこから、ネットでのあり方を見直すきっかけとなった気がする。
ネットで目に余る書き込みを見る場面もあるだろうが、たいていその動機は極めて稚拙なものである。私は傍若無人に見えるかもしれないが、自分でも意外なほど性善説を信じていたというか「冷静で誠実な態度で論理的な対応をすれば相手に通じる」という思い込みがあった。要するに純真というか単純だったわけなのだが、ネットに巣食う連中に対して「対等」とか「誠実」とかいった態度など通用しない、とどこかの段階で気づいてからは考えが変わった。
いまはもう彼らについては、うんこ食ってろ、という感じで接している。昨日がその一例だったが、そのくらいの姿勢でちょうど良いのである。
本当に一番良いのは無視することなんだけどね。ただ、人間の出来の悪さもあって、なかなかそこまでの境地に至れない自分がいる。
私はめったに怒らない人間である、というのが周囲で一致する印象だろう。それでもかつてはけっこう怒る場面が年に数回はあった気がする。しかし、もう何年もそんなことはしていない。たとえ理不尽な仕打ちを受けたとしても、表情に出すことは無いはずだ。怒るとかキレるとかいった行為もやり方を忘れてしまった。今はそんな心境になっている。
どうして怒らなくなったのだろうか。自分なりに考えてみるといくつか原因と思われるものが挙がってくる。
まず、
「怒っても何も世の中は変わらない」
という諦観というかニヒリズム(虚無主義)のようなものが自分の中に定着してしまったことがある。あえて説明することでもないだろうが、怒るという行為はものすごくエネルギーを消費するものの、それが良い結果に結びつくことはほぼ皆無である。その場はうまくいったように見えることもあるけれど、冷静になった後では、周囲に気まずい雰囲気を作り出し事態がより悪くなっていることに気づくだろう。
ここまで書いてふと思い出したが、2011年10月から2012年の終わりあたりまで、私はずっと「怒られる」立場だった。この間に人生の15年ぶんほどの罵声を浴びたと思う。そういえば机も蹴られたような気もするが、もうこれ以上思い出したくない過去である。
そんな経験を自分をして精神的に徹底的に追い詰められた末に、
「自分はどんなことがあっても、むやみやたらに他人に怒鳴りちらしたりはしないぞ」
と知らぬ間に心に誓った、のかもしれない。
そしてもう一つ大きな要因として、「相手の意図が見えるようになってきた」という点がある。怒るということの大きな側面に、衝動的な行為ということは改めて強調したい。要するに「勢い」や「思いつき」といったものに駆り立てられてすることなのだ。「いきあたりばったり」というものは、たいてい失敗してしまう。それが世の中というものだろう。
先日に日記を書いたら、珍しくコメントが書かれていた。
http://30771.diarynote.jp/201405270801595488/
以前いた会社が説明会を開催すると聞いたので(2014年5月27日)
本当は無視するのが一番賢明というかスマートな対応だと思うのだが、せっかくなので返事をしてみた。
お断りしておくが、このコメントを読んで私はほとんど怒りを覚えていない。私が返信を書くまでに至る脳内の過程はこんな感じである。
まず冒頭で、
>大変興味深く拝読しました。
などと書いておきながら、
>書き連ねられた文章の背景を想像すると、薄ら寒いものを感じました。
>なぜ辞めた会社のことを固執し続けるのでしょうか。
>未練でもあるのでしょうか。
などと、日記に述べている事実内容についてではなく、書いている私の動機うんぬんを詮索していることにパッと気づいた。これは、返信した通り「論点をずらす」という行為である。こちらが書いていないことを勝手に想像して「固執」だの「未練」だのと言われても、こちらはまともな対応などとりようがない。
こうしたことに気づけば、これは誠実な対応する必要はないな、という冷静な判断がつく。カッとなってしまうとこちらも勢いで反応して傷口を広げる結果になる恐れがある。
そもそもの話、匿名でぶしつけにコメントをすること自体が卑劣で品の無い行為である。そうやって自分が安全地帯にいてしまうと好き勝手に暴走する危険を防ぐため敢えて私は実名を出して書いているわけだ。別にたいしてアクセス数があるわけでもないし自意識過剰といえないこともないけれど、SNSで何かを書くのはリスクをともなうことだという思いはいつも忘れないようにしている。
だいたい、誰が書いたのかわからないコメントに一喜一憂することが馬鹿げている。それこそ本当の自意識過剰というものだ。以前はくだらない書き込みをされたのに頭がきて返信したら、さらに人をコケにしたコメントをされたという苦い思い出がある。
しかしある時このやり取りについて考えているうちに、
「顔も見えない相手と論争するなんてシャドー・ボクシングみたいなものなんじゃないか・・・?こんな輩にちゃんと相手をするのは止めよう。時間の無駄だ」
と悟ってしまった。そこから、ネットでのあり方を見直すきっかけとなった気がする。
ネットで目に余る書き込みを見る場面もあるだろうが、たいていその動機は極めて稚拙なものである。私は傍若無人に見えるかもしれないが、自分でも意外なほど性善説を信じていたというか「冷静で誠実な態度で論理的な対応をすれば相手に通じる」という思い込みがあった。要するに純真というか単純だったわけなのだが、ネットに巣食う連中に対して「対等」とか「誠実」とかいった態度など通用しない、とどこかの段階で気づいてからは考えが変わった。
いまはもう彼らについては、うんこ食ってろ、という感じで接している。昨日がその一例だったが、そのくらいの姿勢でちょうど良いのである。
本当に一番良いのは無視することなんだけどね。ただ、人間の出来の悪さもあって、なかなかそこまでの境地に至れない自分がいる。
以前いた会社が説明会を開催すると聞いたので
2014年5月27日 お仕事 コメント (5)かつて10年ちかく在籍していた会社(某地方紙の子会社)が来年度入社の社員を募集しているという情報が入ってきた。サイトを調べてみると、それにともなう会社説明会も2回おこなわれると書かれている。釈然としないことが頭にいろいろと浮かんできたのでそれを述べてみたい。
まず、そもそもの話であるが、なぜ会社説明会を開催しようとしたのかという疑問がある。この3年ほどの情報は曖昧だが、かつては秋頃に社員募集を告知していた。募集を遅らせる理由は内定辞退をして逃げられるのを避けるためだったのだろうが、優れた人材を取ろうという強い意志も弱かった気がする(優秀な人は早い段階で内定しているだろう)。しかし今回は応募期間が5月下旬から6月初旬であり、それほど遅くはない。さらに会社説明会まで開くというのだから、少しでも良い人材を引っ張ろうという熱意が感じられるというものだ。そしてそれが私には違和感を抱くというか、なんかズレてるなあ、と思えてならないのだ。
まともに考えれば、良い人材が入って仕事をしてもらわなければ組織を存続させることができない。優れた社員を求めるのは会社の危機感の表れだろうし健全なんじゃないですか、と関係の無い方は思われるかもしれない。だが、果たして優れた人(厳密にいえば優れた原石)が1人や2人増えたところで組織が良くなるのだろうか。
もはや世間も関心を持っていないと思うけれど、新聞業界が厳しい状況におちいっていると言われてから久しい。それはインターネットの普及におけるメディアの構造変化、またそれに伴い「19世紀モデル」と言われるほど昔から続いてきた日本の新聞産業が悪い方向にダーッと進んでしまったことが原因である。もしも「良い社員が入らないと会社が駄目になる!」と吠えている人がいたとしたら、その人はもはや現実が見えていないと断定してよい。環境とか構造の変化という問題を、社員の良し悪しに転嫁しても何も解決しないのは明らかではないか。
穿った見方をすれば、こんなことをしても会社の業績など上がらないと分かっていて、それでも「敢えて」会社説明会を開催したという仮説も成り立つ。社会的に果たす役割もなくなった会社は、もはやするべき仕事がそこには無い。私のいた会社はまさにそれであった。そうなると「仕事をしない人」があふれてくる一方で、「こんな状況では会社が危ない!」と無駄にワーワーわめいている人間もたまに出てくる。しかしよくよくこういう人を観察してみると、実は何も仕事をしてなかったりする。組織の中ですべき仕事もないのに、できることなど無いに決まっている。こういう人を私は「仕事のふりをしている人」と呼んでいる。こういう輩が会社説明会のような無駄な仕事(?)を増やして「俺は、周囲の奴らと違って、仕事をしているんだ!」と自己満足に浸っているから救いようがない。
もう一つ疑問なのが、会社説明会をすることが誰にとって利益があるのか、ということがある。会社説明会とは、つまりその会社に関する情報を提供する機会である。そして、それは会社にとっては墓穴を掘ることと同義ではないかと思えてならないのだ。
さきほど少し触れたけれど、新聞業界はWindow95の登場以降は業績が右肩下がりで、それに対して何一つ改善点も見出せずにここまできてしまった。新聞の販売収入、新聞広告の収入、新聞というメディアの影響力、どれも著しく下がってしまった今、これから生きる若い人たちに伝えられることなどあるのだろうか。
説明会の内容には、
・営業幹部の話
・社員への質問コーナー ほか
※終了後、若手社員との交流会があります。
となっているけれど、営業幹部だの若手社員だのがいったい何を話すのだろうかと想像すると、薄ら寒いものを感じる。
将来有望な社員に入ってほしい、というのはまともな会社なら考えることには違いない。しかし将来の無い業界、先行きの無い会社に前途ある若者が入るというのは大間違いだろう。まあ、業界分析などをそれなりにしている優秀な人が新聞業界など目指さないだろうから、そういう心配をする必要もないが。
もし説明会に行く方がいるならば、
「御社は今年度より持ち株会社を設立されましたが、どのような意図があるのでしょうか?」
と訊ねていただればと思う。おそらく説明する側は目を白黒するだろうから。
まず、そもそもの話であるが、なぜ会社説明会を開催しようとしたのかという疑問がある。この3年ほどの情報は曖昧だが、かつては秋頃に社員募集を告知していた。募集を遅らせる理由は内定辞退をして逃げられるのを避けるためだったのだろうが、優れた人材を取ろうという強い意志も弱かった気がする(優秀な人は早い段階で内定しているだろう)。しかし今回は応募期間が5月下旬から6月初旬であり、それほど遅くはない。さらに会社説明会まで開くというのだから、少しでも良い人材を引っ張ろうという熱意が感じられるというものだ。そしてそれが私には違和感を抱くというか、なんかズレてるなあ、と思えてならないのだ。
まともに考えれば、良い人材が入って仕事をしてもらわなければ組織を存続させることができない。優れた社員を求めるのは会社の危機感の表れだろうし健全なんじゃないですか、と関係の無い方は思われるかもしれない。だが、果たして優れた人(厳密にいえば優れた原石)が1人や2人増えたところで組織が良くなるのだろうか。
もはや世間も関心を持っていないと思うけれど、新聞業界が厳しい状況におちいっていると言われてから久しい。それはインターネットの普及におけるメディアの構造変化、またそれに伴い「19世紀モデル」と言われるほど昔から続いてきた日本の新聞産業が悪い方向にダーッと進んでしまったことが原因である。もしも「良い社員が入らないと会社が駄目になる!」と吠えている人がいたとしたら、その人はもはや現実が見えていないと断定してよい。環境とか構造の変化という問題を、社員の良し悪しに転嫁しても何も解決しないのは明らかではないか。
穿った見方をすれば、こんなことをしても会社の業績など上がらないと分かっていて、それでも「敢えて」会社説明会を開催したという仮説も成り立つ。社会的に果たす役割もなくなった会社は、もはやするべき仕事がそこには無い。私のいた会社はまさにそれであった。そうなると「仕事をしない人」があふれてくる一方で、「こんな状況では会社が危ない!」と無駄にワーワーわめいている人間もたまに出てくる。しかしよくよくこういう人を観察してみると、実は何も仕事をしてなかったりする。組織の中ですべき仕事もないのに、できることなど無いに決まっている。こういう人を私は「仕事のふりをしている人」と呼んでいる。こういう輩が会社説明会のような無駄な仕事(?)を増やして「俺は、周囲の奴らと違って、仕事をしているんだ!」と自己満足に浸っているから救いようがない。
もう一つ疑問なのが、会社説明会をすることが誰にとって利益があるのか、ということがある。会社説明会とは、つまりその会社に関する情報を提供する機会である。そして、それは会社にとっては墓穴を掘ることと同義ではないかと思えてならないのだ。
さきほど少し触れたけれど、新聞業界はWindow95の登場以降は業績が右肩下がりで、それに対して何一つ改善点も見出せずにここまできてしまった。新聞の販売収入、新聞広告の収入、新聞というメディアの影響力、どれも著しく下がってしまった今、これから生きる若い人たちに伝えられることなどあるのだろうか。
説明会の内容には、
・営業幹部の話
・社員への質問コーナー ほか
※終了後、若手社員との交流会があります。
となっているけれど、営業幹部だの若手社員だのがいったい何を話すのだろうかと想像すると、薄ら寒いものを感じる。
将来有望な社員に入ってほしい、というのはまともな会社なら考えることには違いない。しかし将来の無い業界、先行きの無い会社に前途ある若者が入るというのは大間違いだろう。まあ、業界分析などをそれなりにしている優秀な人が新聞業界など目指さないだろうから、そういう心配をする必要もないが。
もし説明会に行く方がいるならば、
「御社は今年度より持ち株会社を設立されましたが、どのような意図があるのでしょうか?」
と訊ねていただればと思う。おそらく説明する側は目を白黒するだろうから。
「炭坑のカナリア」のつぶやき
2014年5月15日 日常
勤務先の向かいに、少し前までラーメンとうどんを出す店があった。スタイルとしては「立ち食い」形式であり、座席はなかった。いま「ラーメンとうどん」と書いたけれど、細かく説明すれば当初はラーメンのみであった。それがしばらく経ってから「うどん」と書かれた提灯が店の前に出され、末期には椅子も並べられていたという。
そんなチグハグな経営だったためか、お店もほどなくして閉店となった。職場のボスの話では半年くらい続けたのではということだったが、私の感覚ではせいぜい3ヶ月くらいに感じる。ちなみに、一度も訪れなかったので味について語る材料は何もない。
そんな立ち食いラーメン&うどん店の跡地で工事が始まったという話が仕事場から聞こえてきたのはいつだったか。建物の2階に経営者が住んでいてまた違うことを始めるようだ、という断片的な情報も入ってくる。そりゃ期待できないかもしれないなあと思っているうちに、店の壁に「国産牛ステーキ」とか「立ち食い」といった文字が貼られているのに気づいた。どうやら、銀座あたりで始まったといわれる「立ち食いステーキ」の店になるらしい。
これについても、職場の反応は芳しいものではなかった。
「昼間っからステーキなんて食べたくないわー」
「立ってステーキなんて食いたくないわー」
という具合である。
店の前はいつも通るのでなんとなく確認はしていたが、いつ開店するかわからない。だいたい新しい店が開店する時は「◯月×日オープン!」とか張り紙くらいされるけれど、そうしたものも一切ない。しかし先週の金曜日の朝、「仕度中」という板が店の前に掲げられていたのを見つける。これはもしかしたらと思ったら、やはり昼間に営業を始めていた。お客はそこそこ入っているように見えたので、週明けにでも行こうかと思った。とても美味いものが出る気がしないが、話のネタにはなるだろうから。
正直いって気乗りはしなかったが、意を決して月曜日の昼間に店内へ入ってみた。お客は4~5人というところだった。平日の昼時、開店して間もない店としては少し寂しい気がする。いちばん奥に立っている客はビールを飲んでいる。メニューはステーキ重(1180円)と牛重(980円)の2種類のみで、ステーキ重はお持ち帰り可能でその場合は200円引きの980円となっている。
カウンターに置いてある品書きはA4用紙にワードか何かで文書と写真を載せていたが、写真が小さくてあまり見やすいレイアウトではなかった。そして品書きはクリアファイルに挟まっていたのも気になる。ラミネート加工というものを知らないんだろうな。
食べ終わってから職場に戻ってみると、ボスがニコニコしながら、
「渡部君、勇気ある行動やな!まるで宇宙飛行士やで」
どうも、あの店に入るところを目撃したらしい。勤務先であそこに行った人はまだいないようで、私が第1号となったようだ。
「僕は宇宙飛行士というより、炭坑のカナリアのつもりだったんですが・・・」
と返したら、ボスはキョトンとしていた。この例えは誰でも知っていると勝手に思っていたけれど、どうもそうではないようだ。「炭坑のカナリア」で検索したらそれに関する記述はいくつか出てくるので興味があれば参照いただきたい。
早速「どうだった?美味かったか?」と聞かれたので携帯で撮った画像を見せながら感想を一通り述べてみた。
そして、
「どうして開店日の告知をしなかったんですかねえ?もう最初から勝負を捨てているような気がするんですけど・・・」
とボスに言ってみたら、
「そうやなあ」
と同意していた。私は飲食店というか経営全般も素人であるけれど、どこの店でも開店の際は当たり前のようにすることを全く実践していないのはどうにも不思議でならないのだ。店の外装も人目を引くような感じでもないし、店内もステーキを出すために何か本格的に設備を導入しているわけでもない(ステーキはもの凄く小さなホットプレートくらいの鉄板で焼いていた)。
ましてや、噂の通りであれば、ここの店主は今回はじめてお店を開いたわけでもない。少なくとも一度はうどんやラーメンを出していたわけだ(そして、失敗もしている)。前回の失敗を教訓にして再開しないとまた同じ過ちを繰り返すだろうに。いや、こうした人たちのためにこそノウハウを教えてくれる有料コンサルタントなる存在が必要なのかもしれない。
それから、私が入った時に奥で酒を飲んでいたのはサクラではないか、とか、店に飾られているお花(開店初日には無かった)は自分のところで買ったんじゃないか、とかいった話で職場はしばらく盛り上がった。
そうして数日後、派遣先の社長が部下二人と一緒にステーキ店に行ったという情報が入る。
食べに行った一人が職場に来たときに、
「国産牛と看板に書いてあるから、どこの産地ですか?と訊いたんだけど、(店員は)よう答えんかったわ(笑)」
と話してくれた。ネガティブな情報は事欠かない店である。
ここまで長文を書いているものの、私は料理の味について一切触れていない。だが、もうここまで述べればなんとなく想像はついていただけるかと思う。
地に足が全くついているように見えないこの店に対して、開店からまだ間もないので餞別代わりに森信三(哲学者)が残した言葉を送りたい。
「足下の紙くず一つ拾えぬ程度の人間に何が出来よう」
ちなみに私は「懲りない人」というのは本当に嫌いである。
そんなチグハグな経営だったためか、お店もほどなくして閉店となった。職場のボスの話では半年くらい続けたのではということだったが、私の感覚ではせいぜい3ヶ月くらいに感じる。ちなみに、一度も訪れなかったので味について語る材料は何もない。
そんな立ち食いラーメン&うどん店の跡地で工事が始まったという話が仕事場から聞こえてきたのはいつだったか。建物の2階に経営者が住んでいてまた違うことを始めるようだ、という断片的な情報も入ってくる。そりゃ期待できないかもしれないなあと思っているうちに、店の壁に「国産牛ステーキ」とか「立ち食い」といった文字が貼られているのに気づいた。どうやら、銀座あたりで始まったといわれる「立ち食いステーキ」の店になるらしい。
これについても、職場の反応は芳しいものではなかった。
「昼間っからステーキなんて食べたくないわー」
「立ってステーキなんて食いたくないわー」
という具合である。
店の前はいつも通るのでなんとなく確認はしていたが、いつ開店するかわからない。だいたい新しい店が開店する時は「◯月×日オープン!」とか張り紙くらいされるけれど、そうしたものも一切ない。しかし先週の金曜日の朝、「仕度中」という板が店の前に掲げられていたのを見つける。これはもしかしたらと思ったら、やはり昼間に営業を始めていた。お客はそこそこ入っているように見えたので、週明けにでも行こうかと思った。とても美味いものが出る気がしないが、話のネタにはなるだろうから。
正直いって気乗りはしなかったが、意を決して月曜日の昼間に店内へ入ってみた。お客は4~5人というところだった。平日の昼時、開店して間もない店としては少し寂しい気がする。いちばん奥に立っている客はビールを飲んでいる。メニューはステーキ重(1180円)と牛重(980円)の2種類のみで、ステーキ重はお持ち帰り可能でその場合は200円引きの980円となっている。
カウンターに置いてある品書きはA4用紙にワードか何かで文書と写真を載せていたが、写真が小さくてあまり見やすいレイアウトではなかった。そして品書きはクリアファイルに挟まっていたのも気になる。ラミネート加工というものを知らないんだろうな。
食べ終わってから職場に戻ってみると、ボスがニコニコしながら、
「渡部君、勇気ある行動やな!まるで宇宙飛行士やで」
どうも、あの店に入るところを目撃したらしい。勤務先であそこに行った人はまだいないようで、私が第1号となったようだ。
「僕は宇宙飛行士というより、炭坑のカナリアのつもりだったんですが・・・」
と返したら、ボスはキョトンとしていた。この例えは誰でも知っていると勝手に思っていたけれど、どうもそうではないようだ。「炭坑のカナリア」で検索したらそれに関する記述はいくつか出てくるので興味があれば参照いただきたい。
早速「どうだった?美味かったか?」と聞かれたので携帯で撮った画像を見せながら感想を一通り述べてみた。
そして、
「どうして開店日の告知をしなかったんですかねえ?もう最初から勝負を捨てているような気がするんですけど・・・」
とボスに言ってみたら、
「そうやなあ」
と同意していた。私は飲食店というか経営全般も素人であるけれど、どこの店でも開店の際は当たり前のようにすることを全く実践していないのはどうにも不思議でならないのだ。店の外装も人目を引くような感じでもないし、店内もステーキを出すために何か本格的に設備を導入しているわけでもない(ステーキはもの凄く小さなホットプレートくらいの鉄板で焼いていた)。
ましてや、噂の通りであれば、ここの店主は今回はじめてお店を開いたわけでもない。少なくとも一度はうどんやラーメンを出していたわけだ(そして、失敗もしている)。前回の失敗を教訓にして再開しないとまた同じ過ちを繰り返すだろうに。いや、こうした人たちのためにこそノウハウを教えてくれる有料コンサルタントなる存在が必要なのかもしれない。
それから、私が入った時に奥で酒を飲んでいたのはサクラではないか、とか、店に飾られているお花(開店初日には無かった)は自分のところで買ったんじゃないか、とかいった話で職場はしばらく盛り上がった。
そうして数日後、派遣先の社長が部下二人と一緒にステーキ店に行ったという情報が入る。
食べに行った一人が職場に来たときに、
「国産牛と看板に書いてあるから、どこの産地ですか?と訊いたんだけど、(店員は)よう答えんかったわ(笑)」
と話してくれた。ネガティブな情報は事欠かない店である。
ここまで長文を書いているものの、私は料理の味について一切触れていない。だが、もうここまで述べればなんとなく想像はついていただけるかと思う。
地に足が全くついているように見えないこの店に対して、開店からまだ間もないので餞別代わりに森信三(哲学者)が残した言葉を送りたい。
「足下の紙くず一つ拾えぬ程度の人間に何が出来よう」
ちなみに私は「懲りない人」というのは本当に嫌いである。
マクドナルドは残ってほしい気持ちもあるけれど
2014年5月11日 日常マクドナルドの業績が悪化の一途をたどっている。今年の1−3月期連結決算では営業利益が前年に比べて3割近くも減ってしまったという。
私はもともとマクドをほとんど利用する人間ではなかったけれど、この3年くらいだろうか、よく入るようになった。それはもっぱら自習のためであり、注文するのはせいぜいコーヒーMサイズである(朝はセットメニューを注文する時もある)。それで本やノートを広げて1時間くらい居座るわけだ。客単価は非常に低い。
しかしそうした行為を繰り返しているうちに、自分と同じような立場の人がたくさん店内にいることに気づく。いや、それどころかもっと酷い人も見かけた。ある女性はドカッと椅子に腰掛けて携帯で大きな声で話をしている。なぜわざわざマクドに入って長電話をしなければならないのか全くもって理解不能だった。また、横で5人くらいの若者がワイワイやっているので何かと思ったら、トランプをしていたということもある。最後まで見届けなかったけれど、彼らはどれくらい店内に居続けたのだろう。そしてその客単価は・・・。あの状態を放置しておいて営業利益が減った減ったといっても、それは当然の結果だろう。
振り返ってみれば、100円商品の投入や24時間営業など、マクドナルドは「必要以上に」サービスを充実させてしまったのではないだろうか。しかしそれを突き進んだ結果、ろくにお金を落としもしない割に手間のかかるお客ばかりが集まるようになる。正直いって、上のような客が目につくのでマクドに長時間いることはあまり快適とはいえない。飲食店どころか自習室としての役目も崩壊しつつあるのが現状だ。
村上福之(クレージーワークス代表取締役)さんが、5月10日のブログで「値段を上げると、客質があがり、サポートコストが安くなるというルールがある。」と題してマクドと通底するようなことを書かれている。
http://blogs.bizmakoto.jp/fukuyuki/entry/17669.html
<たとえば、ゲームで高額課金の人ほど、そんなに激しいクレームを言わない。無料ユーザーの方が文句を言う。高額課金ユーザーほど客質がよい。無料ユーザーほどめんどうくさい。>
こうした事例は枚挙に暇が無いようである。
そして最後に、
<景気がよくなると、「お客様のために、安くて、よいものを」というのは、必ずしもベストではないと思う。>
と締めくくっているが、マクドの業務形態を考えると商品の価格を上げて云々という建て直し方は難しい。美味しいものを食べるために訪れる人がそう多いとは思えないからだ。外資系のためか商品の味についてそれほど熱心に開発しているように見えないし、その点で同業他社に大きく水をあけられていることは否定できないだろう。
マニュアル経営の典型のように言われているが、マクドナルドの店員の態度には素晴らしいものはあると思う。しかし、それに反してお客の質がどんどん低下して状況が悪化しているのが痛々しい。
私も1時間250円の有料自習室にいた方が居心地が良くなってきている今日このごろだ。
私はもともとマクドをほとんど利用する人間ではなかったけれど、この3年くらいだろうか、よく入るようになった。それはもっぱら自習のためであり、注文するのはせいぜいコーヒーMサイズである(朝はセットメニューを注文する時もある)。それで本やノートを広げて1時間くらい居座るわけだ。客単価は非常に低い。
しかしそうした行為を繰り返しているうちに、自分と同じような立場の人がたくさん店内にいることに気づく。いや、それどころかもっと酷い人も見かけた。ある女性はドカッと椅子に腰掛けて携帯で大きな声で話をしている。なぜわざわざマクドに入って長電話をしなければならないのか全くもって理解不能だった。また、横で5人くらいの若者がワイワイやっているので何かと思ったら、トランプをしていたということもある。最後まで見届けなかったけれど、彼らはどれくらい店内に居続けたのだろう。そしてその客単価は・・・。あの状態を放置しておいて営業利益が減った減ったといっても、それは当然の結果だろう。
振り返ってみれば、100円商品の投入や24時間営業など、マクドナルドは「必要以上に」サービスを充実させてしまったのではないだろうか。しかしそれを突き進んだ結果、ろくにお金を落としもしない割に手間のかかるお客ばかりが集まるようになる。正直いって、上のような客が目につくのでマクドに長時間いることはあまり快適とはいえない。飲食店どころか自習室としての役目も崩壊しつつあるのが現状だ。
村上福之(クレージーワークス代表取締役)さんが、5月10日のブログで「値段を上げると、客質があがり、サポートコストが安くなるというルールがある。」と題してマクドと通底するようなことを書かれている。
http://blogs.bizmakoto.jp/fukuyuki/entry/17669.html
<たとえば、ゲームで高額課金の人ほど、そんなに激しいクレームを言わない。無料ユーザーの方が文句を言う。高額課金ユーザーほど客質がよい。無料ユーザーほどめんどうくさい。>
こうした事例は枚挙に暇が無いようである。
そして最後に、
<景気がよくなると、「お客様のために、安くて、よいものを」というのは、必ずしもベストではないと思う。>
と締めくくっているが、マクドの業務形態を考えると商品の価格を上げて云々という建て直し方は難しい。美味しいものを食べるために訪れる人がそう多いとは思えないからだ。外資系のためか商品の味についてそれほど熱心に開発しているように見えないし、その点で同業他社に大きく水をあけられていることは否定できないだろう。
マニュアル経営の典型のように言われているが、マクドナルドの店員の態度には素晴らしいものはあると思う。しかし、それに反してお客の質がどんどん低下して状況が悪化しているのが痛々しい。
私も1時間250円の有料自習室にいた方が居心地が良くなってきている今日このごろだ。
渡辺美里「ここから」(14年)
2014年5月6日 渡辺美里
先日の5月2日をもって、渡辺美里がデビューから満29年を迎えた。よって30周年に突入したということになる。私が彼女のCDを初めて買った時(91年)からも20余年が経過してしまった。当時は「この人に一生ついていこう」などという尋常ではないのめり込み方だったけれど、これほど長きにわたり見続けるということは予想できなかった。
実際に考えればわかることだが、単に「好きだから」という理由で10年も20年も一人のミュージシャンなり歌手なりを追いかけることはあり得ない。こちらの熱意が冷めるというありふれた例もあれば、向こうが死んでしまったり活動を止めてしまうという場合もありうる。幸いというか、この人はブランクらしいものもなくこの29年間を歩み続けてきた。私も96年以降は、01年を除いてなんらかの形で動く彼女の姿を観ている。
思い起こせば、中学の時にテレビで「明治生命」のCMに出ていた浴衣姿の彼女に衝撃を受けてそのまま「信者」になったこと、アルバム「BIG WAVE」( 93年)を聴いて「信者」を辞めた瞬間、アルバム「ハダカノココロ」(98年)を耳にして「本当に終わったな・・・」と絶望した時など、彼女についての思いを「好き/嫌い」といった単純な二分法で語ることが自分にはできない。それは私の歴史の一部でもあるからだ。
先日の4月23日に「30周年記念第1弾シングル」という触れ込みで「ここから」が発売された。調べてみれば、なんと55枚目のシングルだという。作詞作曲は、デビュー時から交流のある大江千里だ。
あまり関心のない方は、
「いつものコンビか。代わり映えしないな」
と思うかもしれない。しかし千里の方はジャズの勉強をするため08年から4年間ニューヨークで生活して音楽学校に通っており、「boys mature slow」(12年)と「Spooky Hotel)(13年)の2枚のアルバムを発表している。私自身は未聴だが、スタイルとして彼はもうジャズのミュージシャンになってしまったようだ。これは大きな変化である。
なぜこうした転身を決意したかもよく知らないけれど、小学校4年の時にギルバート・オサリバンの”Alone Again”を聴いたのがミュージシャンのきっかけだったという人がジャズ・ミュージシャンへの志向が昔からあったとは考えづらい。私は熱心なファンでもないからこんなことを書けるけれど、やはり歌手や表現者としての限界にぶちあたったがゆえの決断だったのではないだろうか。
そんなことを考えながら、この”ここから”を聴いてみるとなかなか興味深い、というか胸に迫ってくる箇所がある。
「夢のカタチが今は違う だけど又歩き出せる」
という一節は、シンガー・ソングライターからジャズ・ミュージシャンへと表現手段が変わり「夢のカタチ」が違った千里自身の思いを美里に託して歌わせたかったのか?などと想像してしまったりして。
具体的にどうとかは言えないのだけれど、彼女のこれまで築いたカラーを活かし、簡潔にして瑞々しい作品に久しぶりになった曲だといえる。これも千里がニューヨークでの4年間で培ったものの成果なのだろう。30周年記念にふさわしい曲だ。
歌詞など日頃はほとんど見ない人間なのだが、たぶんこれまで何度も出てきたようなフレーズにも不思議に耳に残る。
「ここから」の「ここ」とはどこのこと?
「この場所」って?
「その日」っていつのこと?
というような具合に。
「そんな表現は80年代からやっていただだろう、進歩のない表現者だ」
興味のない方はそう思うかもしれない。
しかし、彼女は「こうした表現」しかできない人なのである。しかし、もう30年である。それでもう良いのではないか。いまだにそんな批判めいたことを言う方は、意識的な音楽ファンか何か知らないけれど、そんなことを言えるほど確固たるものを持っているのだろうか。ちなみに、私はそういう点でいまだに全く自信が持てないのだけど。
20代の頃の彼女と比較しても仕方ないけれど、彼女自身が大事にしている表現について有効性が失っていない部分は確かにある。”ここから”はそれを証明する一つだ。それを現在まで愚直に続けてきた彼女の存在を貴重というか尊く感じてしまう自分がいる。
30周年が続いているうちに、これまでの作品について触れてみようか。これが最後のきっかけな気がするし本格的に取り組んでみようと思う。
実際に考えればわかることだが、単に「好きだから」という理由で10年も20年も一人のミュージシャンなり歌手なりを追いかけることはあり得ない。こちらの熱意が冷めるというありふれた例もあれば、向こうが死んでしまったり活動を止めてしまうという場合もありうる。幸いというか、この人はブランクらしいものもなくこの29年間を歩み続けてきた。私も96年以降は、01年を除いてなんらかの形で動く彼女の姿を観ている。
思い起こせば、中学の時にテレビで「明治生命」のCMに出ていた浴衣姿の彼女に衝撃を受けてそのまま「信者」になったこと、アルバム「BIG WAVE」( 93年)を聴いて「信者」を辞めた瞬間、アルバム「ハダカノココロ」(98年)を耳にして「本当に終わったな・・・」と絶望した時など、彼女についての思いを「好き/嫌い」といった単純な二分法で語ることが自分にはできない。それは私の歴史の一部でもあるからだ。
先日の4月23日に「30周年記念第1弾シングル」という触れ込みで「ここから」が発売された。調べてみれば、なんと55枚目のシングルだという。作詞作曲は、デビュー時から交流のある大江千里だ。
あまり関心のない方は、
「いつものコンビか。代わり映えしないな」
と思うかもしれない。しかし千里の方はジャズの勉強をするため08年から4年間ニューヨークで生活して音楽学校に通っており、「boys mature slow」(12年)と「Spooky Hotel)(13年)の2枚のアルバムを発表している。私自身は未聴だが、スタイルとして彼はもうジャズのミュージシャンになってしまったようだ。これは大きな変化である。
なぜこうした転身を決意したかもよく知らないけれど、小学校4年の時にギルバート・オサリバンの”Alone Again”を聴いたのがミュージシャンのきっかけだったという人がジャズ・ミュージシャンへの志向が昔からあったとは考えづらい。私は熱心なファンでもないからこんなことを書けるけれど、やはり歌手や表現者としての限界にぶちあたったがゆえの決断だったのではないだろうか。
そんなことを考えながら、この”ここから”を聴いてみるとなかなか興味深い、というか胸に迫ってくる箇所がある。
「夢のカタチが今は違う だけど又歩き出せる」
という一節は、シンガー・ソングライターからジャズ・ミュージシャンへと表現手段が変わり「夢のカタチ」が違った千里自身の思いを美里に託して歌わせたかったのか?などと想像してしまったりして。
具体的にどうとかは言えないのだけれど、彼女のこれまで築いたカラーを活かし、簡潔にして瑞々しい作品に久しぶりになった曲だといえる。これも千里がニューヨークでの4年間で培ったものの成果なのだろう。30周年記念にふさわしい曲だ。
歌詞など日頃はほとんど見ない人間なのだが、たぶんこれまで何度も出てきたようなフレーズにも不思議に耳に残る。
「ここから」の「ここ」とはどこのこと?
「この場所」って?
「その日」っていつのこと?
というような具合に。
「そんな表現は80年代からやっていただだろう、進歩のない表現者だ」
興味のない方はそう思うかもしれない。
しかし、彼女は「こうした表現」しかできない人なのである。しかし、もう30年である。それでもう良いのではないか。いまだにそんな批判めいたことを言う方は、意識的な音楽ファンか何か知らないけれど、そんなことを言えるほど確固たるものを持っているのだろうか。ちなみに、私はそういう点でいまだに全く自信が持てないのだけど。
20代の頃の彼女と比較しても仕方ないけれど、彼女自身が大事にしている表現について有効性が失っていない部分は確かにある。”ここから”はそれを証明する一つだ。それを現在まで愚直に続けてきた彼女の存在を貴重というか尊く感じてしまう自分がいる。
30周年が続いているうちに、これまでの作品について触れてみようか。これが最後のきっかけな気がするし本格的に取り組んでみようと思う。
ボブ・ディランの来日公演のチケットが発売されたとき気になったのは、その売れ行きの鈍さだった。前回(2010年)は発売するやいなや完売し、出遅れた私は後で発表された追加公演を申し込んでなんとかライブを観ることができたのである。しかし今回は一般発売が開始してからもしばらくはチケットが「発売中」のままだった。札幌から福岡まで合わせて17公演は結果としてほぼ完売したけれど、大阪の初日(私が取った日)と2日目は当日券が売り出される。
人気が落ちただけだろう、と多くの方は思うに違いない。しかし、私はむしろファンの高齢化がまず頭に浮かんだ。mixiのコミュニティでは、Zepp(ディランが回るライブハウス)は嫌だ、という書き込みも見かける。ディラン自身も今年で73歳になるのだ。それを観る人の年齢層を考えると、ずっと立ち見をするライブハウスはかなり厳しい環境に違いない。実際、開演前や休憩中に気分が悪くなる人も出て係員が呼ばれている場面も何回かあった。
そこまでして行かなくても・・・と訝しがる人もいるだろう。だが、ディランがまた来日する保証などあるわけがないのだ。私としても、これが動くディランを観る最後の機会かもしれない、という思いで会場に臨んだ。
午後7時きっかりに会場が暗くなり開演である。整理番号は855番という半端な数字だったため適当に真ん中あたりに陣取っていたけれど、私のほぼ正面にディランが立っていた。表情もなんとか確認できるくらいの距離で、思いもよらず絶好の位置にいられたようである。
全国公演を回っている菅野ヘッケルさんのレポートを事前に読んでいたので、もう全体像はわかっていた。1曲目は”Things Have Changed”である。ライブ盤で聴いたことのある曲だが、アレンジも歌い方もそれとは全く異なるものに変化していた。事前に情報を知らなければ、にわかファンにはとても判別できないほどだ。
ディランは中央マイクスタンドと舞台右手のグランドピアノを曲によって行った来たりして歌うという具合である。前回(2010年)はまだギターを持つ場面もあったけれど、今回はついに一度も手にすることがなかった。マイクスタンドに右手を添えて仁王立ちで歌いハーモニカを時おり吹くという感じだが、動きは前より少なくなった気がする。
しかしその一方、歌に集中しているというか、ものすごく丁寧に歌っていると感じた。
「え?丁寧?あのガラガラ声で、お経のようにダラダラと歌っていて、どこに飛んでいくかわからないような歌い方のどこが丁寧なの?」
初めてライブを観た方はそう感じたかもしれない。確かに表面上はあんな声をしているもの、真面目に聴いてみればそんなに不明瞭で崩れた歌い方はしていないことはわかるはずだ。多種多様な歌詞や歌い方を組み合わせて複雑な世界を構築していくのがディランの真骨頂といえる。その辺りに私が気づいたのは最近のことだけれど。
演奏についてもロックやポップスのライブとしては控えめな印象を受けたが、それもディランの歌を際立たせる配慮をしてのものだろう。
ライブの冒頭でパッと感じた印象は、
「大阪にしては、お客がそんなに盛り上がってないなあ」
というものだった。01年や10年の時は1曲ごとに歓声が上がっていたような気もするが、私の周りではそれほどでもなかった。昔の曲を演奏する比率もかなり減ったとかその辺の事情もあるのかと勘ぐったけれど、実はそんなことではなかったとすぐに気づく。
とにかく、ディランを観る観客のまなざしが真剣なのである。
ムダに奇声を発したり安易に手拍子を送ったりはしない。今回設けられた途中の休憩時間でも誰一人動こうとしない。ディランの一挙手一投足を見逃すまいとするその姿勢は胸を打たれるものがあった。
私自身も、
「そうだよな・・・自分にとっても生で観る最後のディランになるかもしれないしな」
と心を改めて、集中力を切らさない限りずっとステージを観ていた。ここまで真面目にライブを観るのも久しぶりな気がする。
演奏曲目については、ほとんどが90年代後半以降のものである。60年代および70年代の曲はあわせて5曲しか披露していない。またアンコールは”見張り塔からずっと”と”風に吹かれて”だが、この2曲もまた凄まじいくらいにまでアレンジが変化している。そんな状態なので、過去の作品を予習してきたような方は思いっきり期待を裏切られる内容に違いない。
しかし、かつての楽曲を安易に再生産するような姿勢だったら、ディランはとっくの昔に過去の遺物と化していただろう。そんな真似をしなかったからこそ、デビュー50年を超えた現在でもライブで極東の地でこれだけお客が集まるというわけだ。
全てのライブが終わった時は、午後9時を回っていた.実に2時間のライブである。ヘッケルさんのレポートによればディランはだいぶ機嫌が良かったようで、観客に向かって6度もお辞儀をしてから去っていったらしい(最後の方はステージが見えずそのあたりは確認できなかった)。
今夜観られたのは、まぎれもなく2014年の最前線に立つミュージシャンの一人であった。次があるという保証など何もない。無いのだけれど、また最新型のボブ・ディランを観る機会が欲しい。会場で買ったパンフレットを抱えながら、そんな思いをともに家路に着いた。最後にヘッケルさんのページにあった曲目を載せておく。
【演奏曲目】
1.Things Have Changed シングス・ハヴ・チェンジド (Bob center stage)
(『Wonder Boys"(OST)』 2001/『DYLAN(2007)』他)
2.She Belongs to Me シー・ビロングズ・トゥ・ミー (Bob center stage with harp)
(『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム/Bringing It All Back Home』 1965)
3.Beyond Here Lies Nothin’ ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシング(Bob on grand piano)
(『トゥゲザー・スルー・ライフ/Together Through Life』2009)
4.Workinman’s Blues #2 ワーキングマンズ・ブルース #2 (bob center stage)(『モダン・タイムス/Modern Times』2006)
5.Waiting For You ウェイティング・フォー・ユー (Bob on grand piano)
(『ヤァヤァ・シスターズの聖 なる秘密 Divine Secrets of the Ya-Ya Sisterhood』 2003)
6.Duquesne Whistle デューケイン・ホイッスル(Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
7.Pay in Blood ペイ・イン・ブラッド (Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
8.Tangled Up in Blue ブルーにこんがらがって (Bob center stage then on grand piano)
(『血の轍/Blood on the Tracks』1975)
9.Love Sick ラヴ・シック (Bob on center stage with harp)
(『タイム・アウト・オブ・マインド/Time Out of Mind』 1997)
(20分の休憩)
10.High Water (For Charley Patton) ハイ・ウォーター(フォー・チャーリー・パットン)(Bob center stage)
(『ラヴ・アンド・セフト/Love and Theft』2001)
11.Simple Twist of Fate 運命のひとひねり(Bob center stage with harp)
(『血の轍/Blood on the Tracks』1975)
12.Early Roman Kings アーリー・ローマン・キングズ (Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
13.Forgetful Heart フォゲットフル・ハート (Bob center stage with harp)
(『トゥゲザー・スルー・ライフ/Together Through Life』2009)
14.Spirit on the Water スピリット・オン・ザ・ウォーター (Bob on grand piano)
(『モダン・タイムス/Modern Times』2006)
15.Scarlet Town スカーレット・タウン (Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
16.Soon after Midnight スーン・アフター・ミッドナイト (Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
17.Long and Wasted Years ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ(Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
(アンコール)
18.All Along the Watchtower 見張塔からずっと
(『ジョン・ウェズリー・ ハーディング/John Wesley Harding』1967年)
19.Blowin in the wind/風に吹 かれて
(『フリーホイーリン・ボ ブ・ディラン/The Freewheelin’ Bob Dylan』1963年)
人気が落ちただけだろう、と多くの方は思うに違いない。しかし、私はむしろファンの高齢化がまず頭に浮かんだ。mixiのコミュニティでは、Zepp(ディランが回るライブハウス)は嫌だ、という書き込みも見かける。ディラン自身も今年で73歳になるのだ。それを観る人の年齢層を考えると、ずっと立ち見をするライブハウスはかなり厳しい環境に違いない。実際、開演前や休憩中に気分が悪くなる人も出て係員が呼ばれている場面も何回かあった。
そこまでして行かなくても・・・と訝しがる人もいるだろう。だが、ディランがまた来日する保証などあるわけがないのだ。私としても、これが動くディランを観る最後の機会かもしれない、という思いで会場に臨んだ。
午後7時きっかりに会場が暗くなり開演である。整理番号は855番という半端な数字だったため適当に真ん中あたりに陣取っていたけれど、私のほぼ正面にディランが立っていた。表情もなんとか確認できるくらいの距離で、思いもよらず絶好の位置にいられたようである。
全国公演を回っている菅野ヘッケルさんのレポートを事前に読んでいたので、もう全体像はわかっていた。1曲目は”Things Have Changed”である。ライブ盤で聴いたことのある曲だが、アレンジも歌い方もそれとは全く異なるものに変化していた。事前に情報を知らなければ、にわかファンにはとても判別できないほどだ。
ディランは中央マイクスタンドと舞台右手のグランドピアノを曲によって行った来たりして歌うという具合である。前回(2010年)はまだギターを持つ場面もあったけれど、今回はついに一度も手にすることがなかった。マイクスタンドに右手を添えて仁王立ちで歌いハーモニカを時おり吹くという感じだが、動きは前より少なくなった気がする。
しかしその一方、歌に集中しているというか、ものすごく丁寧に歌っていると感じた。
「え?丁寧?あのガラガラ声で、お経のようにダラダラと歌っていて、どこに飛んでいくかわからないような歌い方のどこが丁寧なの?」
初めてライブを観た方はそう感じたかもしれない。確かに表面上はあんな声をしているもの、真面目に聴いてみればそんなに不明瞭で崩れた歌い方はしていないことはわかるはずだ。多種多様な歌詞や歌い方を組み合わせて複雑な世界を構築していくのがディランの真骨頂といえる。その辺りに私が気づいたのは最近のことだけれど。
演奏についてもロックやポップスのライブとしては控えめな印象を受けたが、それもディランの歌を際立たせる配慮をしてのものだろう。
ライブの冒頭でパッと感じた印象は、
「大阪にしては、お客がそんなに盛り上がってないなあ」
というものだった。01年や10年の時は1曲ごとに歓声が上がっていたような気もするが、私の周りではそれほどでもなかった。昔の曲を演奏する比率もかなり減ったとかその辺の事情もあるのかと勘ぐったけれど、実はそんなことではなかったとすぐに気づく。
とにかく、ディランを観る観客のまなざしが真剣なのである。
ムダに奇声を発したり安易に手拍子を送ったりはしない。今回設けられた途中の休憩時間でも誰一人動こうとしない。ディランの一挙手一投足を見逃すまいとするその姿勢は胸を打たれるものがあった。
私自身も、
「そうだよな・・・自分にとっても生で観る最後のディランになるかもしれないしな」
と心を改めて、集中力を切らさない限りずっとステージを観ていた。ここまで真面目にライブを観るのも久しぶりな気がする。
演奏曲目については、ほとんどが90年代後半以降のものである。60年代および70年代の曲はあわせて5曲しか披露していない。またアンコールは”見張り塔からずっと”と”風に吹かれて”だが、この2曲もまた凄まじいくらいにまでアレンジが変化している。そんな状態なので、過去の作品を予習してきたような方は思いっきり期待を裏切られる内容に違いない。
しかし、かつての楽曲を安易に再生産するような姿勢だったら、ディランはとっくの昔に過去の遺物と化していただろう。そんな真似をしなかったからこそ、デビュー50年を超えた現在でもライブで極東の地でこれだけお客が集まるというわけだ。
全てのライブが終わった時は、午後9時を回っていた.実に2時間のライブである。ヘッケルさんのレポートによればディランはだいぶ機嫌が良かったようで、観客に向かって6度もお辞儀をしてから去っていったらしい(最後の方はステージが見えずそのあたりは確認できなかった)。
今夜観られたのは、まぎれもなく2014年の最前線に立つミュージシャンの一人であった。次があるという保証など何もない。無いのだけれど、また最新型のボブ・ディランを観る機会が欲しい。会場で買ったパンフレットを抱えながら、そんな思いをともに家路に着いた。最後にヘッケルさんのページにあった曲目を載せておく。
【演奏曲目】
1.Things Have Changed シングス・ハヴ・チェンジド (Bob center stage)
(『Wonder Boys"(OST)』 2001/『DYLAN(2007)』他)
2.She Belongs to Me シー・ビロングズ・トゥ・ミー (Bob center stage with harp)
(『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム/Bringing It All Back Home』 1965)
3.Beyond Here Lies Nothin’ ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシング(Bob on grand piano)
(『トゥゲザー・スルー・ライフ/Together Through Life』2009)
4.Workinman’s Blues #2 ワーキングマンズ・ブルース #2 (bob center stage)(『モダン・タイムス/Modern Times』2006)
5.Waiting For You ウェイティング・フォー・ユー (Bob on grand piano)
(『ヤァヤァ・シスターズの聖 なる秘密 Divine Secrets of the Ya-Ya Sisterhood』 2003)
6.Duquesne Whistle デューケイン・ホイッスル(Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
7.Pay in Blood ペイ・イン・ブラッド (Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
8.Tangled Up in Blue ブルーにこんがらがって (Bob center stage then on grand piano)
(『血の轍/Blood on the Tracks』1975)
9.Love Sick ラヴ・シック (Bob on center stage with harp)
(『タイム・アウト・オブ・マインド/Time Out of Mind』 1997)
(20分の休憩)
10.High Water (For Charley Patton) ハイ・ウォーター(フォー・チャーリー・パットン)(Bob center stage)
(『ラヴ・アンド・セフト/Love and Theft』2001)
11.Simple Twist of Fate 運命のひとひねり(Bob center stage with harp)
(『血の轍/Blood on the Tracks』1975)
12.Early Roman Kings アーリー・ローマン・キングズ (Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
13.Forgetful Heart フォゲットフル・ハート (Bob center stage with harp)
(『トゥゲザー・スルー・ライフ/Together Through Life』2009)
14.Spirit on the Water スピリット・オン・ザ・ウォーター (Bob on grand piano)
(『モダン・タイムス/Modern Times』2006)
15.Scarlet Town スカーレット・タウン (Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
16.Soon after Midnight スーン・アフター・ミッドナイト (Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
17.Long and Wasted Years ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ(Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
(アンコール)
18.All Along the Watchtower 見張塔からずっと
(『ジョン・ウェズリー・ ハーディング/John Wesley Harding』1967年)
19.Blowin in the wind/風に吹 かれて
(『フリーホイーリン・ボ ブ・ディラン/The Freewheelin’ Bob Dylan』1963年)
文章の「飾り」はなるべく削ろう
2014年4月15日 読書先日の日記では自分の考える優れた文章表現についてあれこれ述べてみた。結論としてはシンプルで簡潔(=わかりやすい)な表現を用いて読み手に伝わりやすい文章が良いというようなことだった。
「優れた表現なんて人それぞれだろう」
そういう意見を持っている方もいるかもしれない。しかしそういう人に対して「では、あなたの考える優れた文章表現とは?」と訊ねたらおそらく何も返答は無いだろう。
先日ちょっと気になる文章をネットで見つけた。文章を書くうえで参考になる箇所がいくつかあるので引用してみたい。時事通信4月12日(土)18時29分配信の「『まさか警察官が…』=パトカー20台、驚く住民―埼玉」という記事である。
<「まさか警察官がそんなことを…」。警視庁の男性巡査が交際相手の女性巡査を自宅マンションで殺害し、飛び降り自殺したとみられる事件。埼玉県狭山市の現場周辺には12日、パトカー約20台が駆け付け、閑静な住宅街の週末に衝撃が走った。 同じマンションの4階に住む無職男性(67)によると、男性巡査は近所付き合いはなかったといい、「言い争う声やトラブルは聞いたことがない」と話した。巡査と同じ3階に住む中学3年の男子生徒(14)も「叫び声や大きな物音もなかった」と驚きを隠せない様子。 付近の住民によると、マンション敷地内に倒れていた男性巡査の腕には、刃物で切ったような傷がたくさんあったという。近所に住む50代の女性は、「何かあったときに頼りにできるのが警察官。まさかこんなことが起きるとは…」と硬い表情だった。>
別にどうということもない文なのだが、
「衝撃が走った」
「硬い表情だった」
というような表現は必要ないだろう。これを入れてみたところで文章に何か特別な効果を出しているわけでもない。いわゆる「手垢にまみれた表現」というものだが、これがまさに「飾り」である。何か致命的な間違いがあるわけでもないのでそのままでも問題は無いものの、いっそ削ったほうが文章がスッキリして読みやすくなるのは確実だ。文章にムダな部分が無くなるからだ。
それから、たいして長くもない文章で2ヵ所も「体言止め」(「飛び降り自殺とみられる事件。」、「驚きを隠せない様子。」)を使ってるのも、要らないんじゃないかなと思ってしまう。体言止めは読む人の目を止めて印象を強くする働きが期待できるが、あまりに多用するとその効果も薄くなってくる(個人的にはなるべく使わないようにしているが)。こうした表現もまた余計な「飾り」である。
では、「飾り」にはどんなものがあるか。パッと思いついたものをいくつか示してみたい。
・ありふれた表現
これが先の記事で使われたものである。かつては新鮮でインパクトの強かった表現も時が経ち世間でも認知されていくうちにその力も失ってしまう。典型的なものは流行のギャグなどだろう。2014年の現在、文章の中に「おっぱっぴ」と入れたところで効果はどれほど出るだろうか。
・絵文字や顔文字
絵文字は携帯メールが主流だと思うが「アメブロ」でも多用されている。顔文字については通常のブログでも使ってる方は多いだろう。しかし、私は絶対に使わない。FacebookなどのSNSで「_| ̄|○」をたまに使う程度だ。なぜならこれらは絵やイラストであり、他人に何か明確に伝達をする「文字」と同等には使えない(もちろん学術論文やビジネス文書で絵文字や顔文字は認められない)。「デコメ」とはよく言ったもので、これもまた文の「飾り」でしかない。
・情報量が少ない表現
先ほどの「ありふれた表現」と重複する部分もあるが、別の項目にしてみた。
例えば、
「お父さん・お母さんを大切にしよう」
とか、
「世界人類が平和でありますように」
といったものがこれだろう。書いてあることは全く間違っていないし、異論を挙げる人もそんなに無いと思われる表現だ。しかし、こうした「全面的に正しい」表現というのは、往々にして「役に立たない」と同義になる。一言でいえば「一般論」ということになるだろうか。一般論というのは具体的に何か役に立つわけでもなく面白みも無いというのが常である。これを私は「情報量が少ない」と表現してみた。先の「ありふれた表現」もまた含まれている情報量は乏しい。
私事で恐縮だが、誰か特定のブログやメルマガを読む習慣は全くない。なぜかといえば、ネットで書かれている文章の情報量は極めて少ないからだ(絵文字だらけのアメブロなどその典型である)。また、あまり読みやすさを考慮して文を書いている方も見受けられない。もともと世の流れに関心の薄いという人間性もたたり、文章自体もほとんど接していないのが現状だ。
それはともかく、もし「読みやすい」とか「わかりやすい」文章を書きたいと考えるならば、さきほど挙げた「飾り」をなるべく削るようにすることを奨める。それだけでだいぶ文章はスッキリするはずだ。
そして肝心なのは、文章に込める情報量を豊かにしようと努めることである。
さきほどの時事通信の記事を見ての全体的な感想だが、書いている記者の持っている情報量があまり豊かでなさそうだということである。
この文章は冒頭で、
「まさか警察官がそんなことを…」
となっているが、ここにあるのは、
「警察官は市民の安全を守る聖職である。それゆえ、このような間違いがあってはならない」
というような極めて陳腐な警察象である。教師でも政治家でも構わないけれど、現在はネット上でさまざま情報が明るみに出てあらゆる権威は失墜している状況がある。そういう現代においては、「警察官もまあ人の子だよね」というくらいのスタンスで文章を書いた方がよりリアルな警察のイメージに迫れるのではないか。
別にこの程度の分量の記事でそこまで考える必要はないだろう。しかし、こうやっていくつか文章の表現をチェックしてみるだけでも色々なものが見えてくると言いたかっただけだ(また、新聞社や通信社の仕事などたいした技量は要らないということを指摘してみたかった)。
それでは、情報量が豊かな文章というのはどのようにしたら構築できるか。これについては次の機会に書いてみたい。
「優れた表現なんて人それぞれだろう」
そういう意見を持っている方もいるかもしれない。しかしそういう人に対して「では、あなたの考える優れた文章表現とは?」と訊ねたらおそらく何も返答は無いだろう。
先日ちょっと気になる文章をネットで見つけた。文章を書くうえで参考になる箇所がいくつかあるので引用してみたい。時事通信4月12日(土)18時29分配信の「『まさか警察官が…』=パトカー20台、驚く住民―埼玉」という記事である。
<「まさか警察官がそんなことを…」。警視庁の男性巡査が交際相手の女性巡査を自宅マンションで殺害し、飛び降り自殺したとみられる事件。埼玉県狭山市の現場周辺には12日、パトカー約20台が駆け付け、閑静な住宅街の週末に衝撃が走った。 同じマンションの4階に住む無職男性(67)によると、男性巡査は近所付き合いはなかったといい、「言い争う声やトラブルは聞いたことがない」と話した。巡査と同じ3階に住む中学3年の男子生徒(14)も「叫び声や大きな物音もなかった」と驚きを隠せない様子。 付近の住民によると、マンション敷地内に倒れていた男性巡査の腕には、刃物で切ったような傷がたくさんあったという。近所に住む50代の女性は、「何かあったときに頼りにできるのが警察官。まさかこんなことが起きるとは…」と硬い表情だった。>
別にどうということもない文なのだが、
「衝撃が走った」
「硬い表情だった」
というような表現は必要ないだろう。これを入れてみたところで文章に何か特別な効果を出しているわけでもない。いわゆる「手垢にまみれた表現」というものだが、これがまさに「飾り」である。何か致命的な間違いがあるわけでもないのでそのままでも問題は無いものの、いっそ削ったほうが文章がスッキリして読みやすくなるのは確実だ。文章にムダな部分が無くなるからだ。
それから、たいして長くもない文章で2ヵ所も「体言止め」(「飛び降り自殺とみられる事件。」、「驚きを隠せない様子。」)を使ってるのも、要らないんじゃないかなと思ってしまう。体言止めは読む人の目を止めて印象を強くする働きが期待できるが、あまりに多用するとその効果も薄くなってくる(個人的にはなるべく使わないようにしているが)。こうした表現もまた余計な「飾り」である。
では、「飾り」にはどんなものがあるか。パッと思いついたものをいくつか示してみたい。
・ありふれた表現
これが先の記事で使われたものである。かつては新鮮でインパクトの強かった表現も時が経ち世間でも認知されていくうちにその力も失ってしまう。典型的なものは流行のギャグなどだろう。2014年の現在、文章の中に「おっぱっぴ」と入れたところで効果はどれほど出るだろうか。
・絵文字や顔文字
絵文字は携帯メールが主流だと思うが「アメブロ」でも多用されている。顔文字については通常のブログでも使ってる方は多いだろう。しかし、私は絶対に使わない。FacebookなどのSNSで「_| ̄|○」をたまに使う程度だ。なぜならこれらは絵やイラストであり、他人に何か明確に伝達をする「文字」と同等には使えない(もちろん学術論文やビジネス文書で絵文字や顔文字は認められない)。「デコメ」とはよく言ったもので、これもまた文の「飾り」でしかない。
・情報量が少ない表現
先ほどの「ありふれた表現」と重複する部分もあるが、別の項目にしてみた。
例えば、
「お父さん・お母さんを大切にしよう」
とか、
「世界人類が平和でありますように」
といったものがこれだろう。書いてあることは全く間違っていないし、異論を挙げる人もそんなに無いと思われる表現だ。しかし、こうした「全面的に正しい」表現というのは、往々にして「役に立たない」と同義になる。一言でいえば「一般論」ということになるだろうか。一般論というのは具体的に何か役に立つわけでもなく面白みも無いというのが常である。これを私は「情報量が少ない」と表現してみた。先の「ありふれた表現」もまた含まれている情報量は乏しい。
私事で恐縮だが、誰か特定のブログやメルマガを読む習慣は全くない。なぜかといえば、ネットで書かれている文章の情報量は極めて少ないからだ(絵文字だらけのアメブロなどその典型である)。また、あまり読みやすさを考慮して文を書いている方も見受けられない。もともと世の流れに関心の薄いという人間性もたたり、文章自体もほとんど接していないのが現状だ。
それはともかく、もし「読みやすい」とか「わかりやすい」文章を書きたいと考えるならば、さきほど挙げた「飾り」をなるべく削るようにすることを奨める。それだけでだいぶ文章はスッキリするはずだ。
そして肝心なのは、文章に込める情報量を豊かにしようと努めることである。
さきほどの時事通信の記事を見ての全体的な感想だが、書いている記者の持っている情報量があまり豊かでなさそうだということである。
この文章は冒頭で、
「まさか警察官がそんなことを…」
となっているが、ここにあるのは、
「警察官は市民の安全を守る聖職である。それゆえ、このような間違いがあってはならない」
というような極めて陳腐な警察象である。教師でも政治家でも構わないけれど、現在はネット上でさまざま情報が明るみに出てあらゆる権威は失墜している状況がある。そういう現代においては、「警察官もまあ人の子だよね」というくらいのスタンスで文章を書いた方がよりリアルな警察のイメージに迫れるのではないか。
別にこの程度の分量の記事でそこまで考える必要はないだろう。しかし、こうやっていくつか文章の表現をチェックしてみるだけでも色々なものが見えてくると言いたかっただけだ(また、新聞社や通信社の仕事などたいした技量は要らないということを指摘してみたかった)。
それでは、情報量が豊かな文章というのはどのようにしたら構築できるか。これについては次の機会に書いてみたい。
「上手い文章」って何なんだろう
2014年4月9日 読書
「僕、文章がヘタなんですよぉ。だから上手くなりたいなー、って思うんですぅ」
かつていた職場で、後輩にあたる男性がこんなことを言っていたのを思い出す。
文章が上手くなりたい。
何か書いていたら、そんなことを思う瞬間も一度や二度はあるに違いない。しかし、こういうことを考えても文章の改善は見込めないと思う。先の男性にしても発言を見る限り、文章についてたいして考えてもいないし、別に何かを向上したいとも思っていないのだろう。彼の問題設定があまりにも曖昧なのだ。
そもそもの話になってくるけれど、文章の上手/下手というのは何を基準にして決めるのだろうか。たぶん、パッと答えられる人などそうはいないはずである。
前回のブログでも登場した丸谷才一さんの「文章読本」(95年。中公文庫)の中に「名文」とは何かということが書かれている。それが一つの参考となるだろう。
<ところで、名文であるか否かは何によつて分れるのか。有名なのが名文か。さうではない。君が読んで感心すればそれが名文である。たとへどのやうに世評が高く、文学史で褒められてゐようと、教科書に載つてゐようと、君が詰らぬと思つたものは駄文にすぎない。逆に、誰ひとり褒めない文章、世間から忘れられてひつそり埋もれてゐる文章でも、さらにまた、いま配達されたばかりの新聞の論説でも、君が敬服し陶酔すれば、それはたちまち名文となる。君自身の名文となる。君の魂とのあひだにそれだけの密接な関係を持つものでない限り、言葉のあやつり方の師、文章の規範、エネルギーの源泉となり得ないのはむしろ当然の話ではないか。>(P.31)
要するに、文章の巧拙の基準なんて人それぞれなんだよ、と丸谷さんは言ってるわけだが、一般論としては妥当な見解といえる。たとえば村上春樹さんの小説を読んで感激した人にとっては、村上さんの文章がまさに名文となるのだ。そのこと自体は決して悪いことではないけれど、もしも「村上さんのような文章を書きたい」などと思ったとしても、私からはアドバイスらしきものは一つも出すことができない。私自身は誰か特定の小説家や評論家といったプロの文章家を手本にして書いた経験がないからだ。
もちろん、自分の文章をもっと良いものにしたい、という意識は常に持っていたし、出口汪先生や井上ひさしさんの書いた文章に関する本はよく読んではいた。しかし、二人の文章の真似をしようとしたことも無い。どうしてかといえば、おそらく誰かの文体を模倣する必然性を感じなかったのだろう。
文章を書くのに慣れてない人は「良い文章を書こう!」という気負いが空回りして、「飾りの多い文章」を作ってしまうということが多いのではないだろうか。無論「上手い文章」と「飾りの多い文章」はその質は全く異なる。「飾りの多い文章」はたいてい、非常に読みづらいものとなってしまう。
飾りが多くても上手い文章を書くという人といえば、芥川龍之介が代表的な一人である。しかし芥川が書いていたのはあくまで「小説」である。小説というのは文章によって一つの世界を提示する表現といえるが、そのために文章量もかなり必要となってくる。私たちが日頃おこなう作文といえばパソコンや携帯のメール、ビジネス文書、あとはブログなどのSNS関係くらいだろう。いずれも文章の字数などしれている。2000字を超えることもそうは無いだろう。
私の手元に「月1千万円稼げるネットショップ『売れる』秘訣は文章力だ! 」(05年。ナツメ社)という、実用書を地で行くようなタイトルの本がある。しかし、題名のどぎつさとは対照的に中身はけっこう良いことが書いてある。
本書では文章のポイントについて、
・理解しやすい=スンナリ頭に入る、ありきたりの文章
・わかりやすい=かんたんなことばを使った、わかりやすい文章
・読みやすい=うまいのかどうかわからない、スラスラ読める文章
と3点に集約している(P.30)。
そして、
<うまい文章とは「なんでもない文章」>(P.23)
とも書いている。これは、個人的に「至言」といいたくなる指摘だ。
つまり、実用文に限っていえば、読む人の頭にスッと入ってよどみなく理解できる文章が優れているというわけである。それが「読みやすい」とか「わかりやすい」ということの本質に違いない。
ポピュラーミュージックにも同じようなことがある。プログレッシブ・ロックとかフュージョンとかクロスオーバーとかいった複雑な構成を持った音楽は、一部の音楽ファンには愛好されたものの、そこから一般的な地位を築いたかといえば心許ない。一方、50年代に登場したロックン・ロール、またそれ以前の時代からあるブルースといったジャンルは今でもその影響力は小さくない。
こうした点を見ても、シンプルで簡潔(=わかりやすい)な表現の方が力強く相手に伝わる可能性は高いといえる。
それでは、そんな簡潔してわかりやすい表現をするにはどうしたらよいか。次回はそのあたりについて追求めいたことを試みたい。
かつていた職場で、後輩にあたる男性がこんなことを言っていたのを思い出す。
文章が上手くなりたい。
何か書いていたら、そんなことを思う瞬間も一度や二度はあるに違いない。しかし、こういうことを考えても文章の改善は見込めないと思う。先の男性にしても発言を見る限り、文章についてたいして考えてもいないし、別に何かを向上したいとも思っていないのだろう。彼の問題設定があまりにも曖昧なのだ。
そもそもの話になってくるけれど、文章の上手/下手というのは何を基準にして決めるのだろうか。たぶん、パッと答えられる人などそうはいないはずである。
前回のブログでも登場した丸谷才一さんの「文章読本」(95年。中公文庫)の中に「名文」とは何かということが書かれている。それが一つの参考となるだろう。
<ところで、名文であるか否かは何によつて分れるのか。有名なのが名文か。さうではない。君が読んで感心すればそれが名文である。たとへどのやうに世評が高く、文学史で褒められてゐようと、教科書に載つてゐようと、君が詰らぬと思つたものは駄文にすぎない。逆に、誰ひとり褒めない文章、世間から忘れられてひつそり埋もれてゐる文章でも、さらにまた、いま配達されたばかりの新聞の論説でも、君が敬服し陶酔すれば、それはたちまち名文となる。君自身の名文となる。君の魂とのあひだにそれだけの密接な関係を持つものでない限り、言葉のあやつり方の師、文章の規範、エネルギーの源泉となり得ないのはむしろ当然の話ではないか。>(P.31)
要するに、文章の巧拙の基準なんて人それぞれなんだよ、と丸谷さんは言ってるわけだが、一般論としては妥当な見解といえる。たとえば村上春樹さんの小説を読んで感激した人にとっては、村上さんの文章がまさに名文となるのだ。そのこと自体は決して悪いことではないけれど、もしも「村上さんのような文章を書きたい」などと思ったとしても、私からはアドバイスらしきものは一つも出すことができない。私自身は誰か特定の小説家や評論家といったプロの文章家を手本にして書いた経験がないからだ。
もちろん、自分の文章をもっと良いものにしたい、という意識は常に持っていたし、出口汪先生や井上ひさしさんの書いた文章に関する本はよく読んではいた。しかし、二人の文章の真似をしようとしたことも無い。どうしてかといえば、おそらく誰かの文体を模倣する必然性を感じなかったのだろう。
文章を書くのに慣れてない人は「良い文章を書こう!」という気負いが空回りして、「飾りの多い文章」を作ってしまうということが多いのではないだろうか。無論「上手い文章」と「飾りの多い文章」はその質は全く異なる。「飾りの多い文章」はたいてい、非常に読みづらいものとなってしまう。
飾りが多くても上手い文章を書くという人といえば、芥川龍之介が代表的な一人である。しかし芥川が書いていたのはあくまで「小説」である。小説というのは文章によって一つの世界を提示する表現といえるが、そのために文章量もかなり必要となってくる。私たちが日頃おこなう作文といえばパソコンや携帯のメール、ビジネス文書、あとはブログなどのSNS関係くらいだろう。いずれも文章の字数などしれている。2000字を超えることもそうは無いだろう。
私の手元に「月1千万円稼げるネットショップ『売れる』秘訣は文章力だ! 」(05年。ナツメ社)という、実用書を地で行くようなタイトルの本がある。しかし、題名のどぎつさとは対照的に中身はけっこう良いことが書いてある。
本書では文章のポイントについて、
・理解しやすい=スンナリ頭に入る、ありきたりの文章
・わかりやすい=かんたんなことばを使った、わかりやすい文章
・読みやすい=うまいのかどうかわからない、スラスラ読める文章
と3点に集約している(P.30)。
そして、
<うまい文章とは「なんでもない文章」>(P.23)
とも書いている。これは、個人的に「至言」といいたくなる指摘だ。
つまり、実用文に限っていえば、読む人の頭にスッと入ってよどみなく理解できる文章が優れているというわけである。それが「読みやすい」とか「わかりやすい」ということの本質に違いない。
ポピュラーミュージックにも同じようなことがある。プログレッシブ・ロックとかフュージョンとかクロスオーバーとかいった複雑な構成を持った音楽は、一部の音楽ファンには愛好されたものの、そこから一般的な地位を築いたかといえば心許ない。一方、50年代に登場したロックン・ロール、またそれ以前の時代からあるブルースといったジャンルは今でもその影響力は小さくない。
こうした点を見ても、シンプルで簡潔(=わかりやすい)な表現の方が力強く相手に伝わる可能性は高いといえる。
それでは、そんな簡潔してわかりやすい表現をするにはどうしたらよいか。次回はそのあたりについて追求めいたことを試みたい。
「文章読本」で決定的に欠けていたこと
2014年4月5日 読書
いま必要に迫られて、文章を書いてはパソコンの中に貯めている。そうしているうちに文章を書くこと自体についての関心も出てきたので、かつて自分が読んでいた作文に関する本を再読しはじめた。
おそらく作文について自分が初めて買った本は、朝日新聞社で長年コラムなどを書いていた轡田隆史さんの「うまい!と言われる文章の技術」(98年、三笠書房)だろう。就職試験で出てくる小論文対策のために手に入れたのだと思うが、時代はまだインターネットが光ファイバーはおろかADSLの常時接続も始まってなかった頃である。無論「ブログ」という言葉もなかった(ブログが世間に浸透したのは2001年の「9.11」テロ直後からだろう)。現在と比較してみれば「書く」という行為は敷居が高かったというか、まだ誰もが手軽にすることでもなかったといえる。「書く」こと自体は日本でも1000年以上の歴史があるわけだが、それを取り巻く環境は常に変わってきていることを再認識した。
私自身も当時はこうしてブログやSNS(こういう言葉も無かったなあ)で文章を書く環境があるわけでもなく、作文の基礎的な素養も皆無という状態だった。だから轡田さんの本などを参照しながら色々と文章についてあれこれ試行錯誤をしていた。その時は「この本で勉強をさせてもらう」という姿勢で接したわけだけれど、まがりになりにも10年以上文章を書いているうちに多少の経験も蓄積されたようで、現在の視点で読み返してみると本の印象はだいぶ違ってきている。本日はそのあたりについて書いてみたい。
本書を読んでまず全体的な印象は、非常に多種多様な文章が引用されていることだ。シェイクスピアの「リア王」や「ハムレット」、「万葉集」に収録されている歌、また轡田さん自身が新聞紙上で書いたコラムなどである。それはまさに彼が本や文章が大好きであることに他ならない。その点が、
「本を読むのが苦手なんです。どうにも好きになれません。長い小説なんて背表紙を見るだけで嫌になってくるんです」
と最近は恥ずかしげもなく公言するようになった私との決定的な違いである。
轡田さんは本書の最後で、面白い仕掛けのある文章を書いている。それは、
<現在望み得る最上かつ最良の文章の上達法>(P.221)
を紹介するというものだ。しかしその方法というのは、井上ひさしさんの「井上ひさしエッセイ集8『死ぬのがこわくなくなる薬』」(98年。中公文庫)に収録されている以下の文章を読め、というものなのである。
<編集部から与えられた紙数は四百字詰原稿用紙で五枚。これっぽっちの枚数で文章上達の秘訣をお伝えできるだろうか。どんな文章家も言下に「それは不可能」と答えるだろう。ところが、筆者ならこの問いにたやすく答えることができる。それに五枚も要らぬ。ただの一行ですむ。こうである。
「丸谷才一の『文章読本』を読め」
特に、第二章「名文を読め」と第三章「ちょっと気取って書け」の二つの章を繰り返し読むのがよろしい。これが現在望み得る最上にして最良の文章である。
以上で言いたいことをすべて言い終えた。あとは読者諸賢の健闘を祈る。・・・>
勘の良い方ならば、丸谷さんの「文章読本」(95年。中公文庫)にどんなことが書かれているか見当がつくに違いない。
<作文の極意はただ名文に接し名文に親しむこと、それに盡(つ)きる。事実、古来の名文家はみなさうすることによつて文章に秀でたので、この場合、例外はまつたくなかつたとわたしは信じてゐる。>(P.23)
丸谷「文章読本」は私の手元にもあるが(無論、轡田さんがきっかけだ)、「名文を読め」ではこうも書いてある。
<たとえば森鴎外は年少の文学志望者に文章上達法を問はれて、ただひとこと、「春秋左氏傳」をくりかへし読めと答へた。「左傳」を熟読したがゆゑに彼の文体はあり得たからである。同じ問に対して紫式部が、鴨長明が、夏目漱石がどのやうに教へるかと想像するには、(中略)たとへその返事がどうであらうと、彼らが鴎外の答へ方の方向に異論を唱へるはずはない。>(P.23-24)
このような入れ子構造というか出口の無い永久ループのような論理展開だが、轡田さんはさらに、
<私たちは、ともかく読まなければならないのである。>(P.228)
と念を押して繰り返す。これは丸谷さんも井上さんも、さらにはおそらく紫式部も鴨長明も一致した見解なのだろう。
良い文章を書くためには良い文章を読まなければならない。
この意見はあまり考えなくてもなんとかく「正しい」と実感できるものではある。
しかし一方で、
「全く間違いないとは思うんだけど、なんだか自分にはしっくりこないなあ・・・」
という違和感も常に自分の中にあった。そしてそのまま十年以上の月日が流れたわけだが、今回読み返してみてその理由に気がついてしまったのである。
さきほど挙げた人たちに共通する特徴は、
・文章を読むのが好きで得意
・「上手い文章を書こう」という意識が高い
というものである。おそらくこれは間違いないだろう。それに対して私といえば、
・文章を読むのはあまり好きでないし苦手
・「上手い文章を書こう」ということを(少なくともこの10年ほどは)思ったことが一度もない。
という人間である。轡田さんの本、または丸谷さん及び井上さんの「文章読本」は「文章を読むのが好きな人」が書いたものである。よって、文書の読み書きが苦手だとか嫌いだとかいった人への配慮というのはあまり行き届いてないのも仕方ないことかもしれない。
個人的に一番まずいと思うのは「とにかく読め!」という部分である。これは先の三氏に限らず、ビジネス書でも「1日1冊読め!そうしないとデキる人にはなれない!」という半ば脅迫的なことを書いているものも多い。しかし、漆原直行(編集者)さんは「ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない」(12年。マイナビ新書)の中で、
<たしかに、読書は大切です。
その意味ではビジネス書を読むことはよいことといえます。
ただし、これはあくまで一般論であって「適度な運動をすることはカラダによい」という程度の指摘でしかありません。具体論レベルではいうまでもなくケースバイケースであり、程度問題であり、個人差もあることです>(P.171)
と喝破している。ここで言われる「程度問題」とか「個人差」といったものが、これまでの「文章読本」系の本に欠けていた視点だといえる。
ケータイやSNSのおかげで「書く」という行為がグッと身近になり誰でもするようになった今、私たちに必要なのは「デキない人」のための読書法や文章術なのでないか。では、それはどんなものかといえば、かなり今回は長々と書いてしまったので、近いうち(せめて1週間以内)に別のところでヒントらしき提言をしてみたい。
おそらく作文について自分が初めて買った本は、朝日新聞社で長年コラムなどを書いていた轡田隆史さんの「うまい!と言われる文章の技術」(98年、三笠書房)だろう。就職試験で出てくる小論文対策のために手に入れたのだと思うが、時代はまだインターネットが光ファイバーはおろかADSLの常時接続も始まってなかった頃である。無論「ブログ」という言葉もなかった(ブログが世間に浸透したのは2001年の「9.11」テロ直後からだろう)。現在と比較してみれば「書く」という行為は敷居が高かったというか、まだ誰もが手軽にすることでもなかったといえる。「書く」こと自体は日本でも1000年以上の歴史があるわけだが、それを取り巻く環境は常に変わってきていることを再認識した。
私自身も当時はこうしてブログやSNS(こういう言葉も無かったなあ)で文章を書く環境があるわけでもなく、作文の基礎的な素養も皆無という状態だった。だから轡田さんの本などを参照しながら色々と文章についてあれこれ試行錯誤をしていた。その時は「この本で勉強をさせてもらう」という姿勢で接したわけだけれど、まがりになりにも10年以上文章を書いているうちに多少の経験も蓄積されたようで、現在の視点で読み返してみると本の印象はだいぶ違ってきている。本日はそのあたりについて書いてみたい。
本書を読んでまず全体的な印象は、非常に多種多様な文章が引用されていることだ。シェイクスピアの「リア王」や「ハムレット」、「万葉集」に収録されている歌、また轡田さん自身が新聞紙上で書いたコラムなどである。それはまさに彼が本や文章が大好きであることに他ならない。その点が、
「本を読むのが苦手なんです。どうにも好きになれません。長い小説なんて背表紙を見るだけで嫌になってくるんです」
と最近は恥ずかしげもなく公言するようになった私との決定的な違いである。
轡田さんは本書の最後で、面白い仕掛けのある文章を書いている。それは、
<現在望み得る最上かつ最良の文章の上達法>(P.221)
を紹介するというものだ。しかしその方法というのは、井上ひさしさんの「井上ひさしエッセイ集8『死ぬのがこわくなくなる薬』」(98年。中公文庫)に収録されている以下の文章を読め、というものなのである。
<編集部から与えられた紙数は四百字詰原稿用紙で五枚。これっぽっちの枚数で文章上達の秘訣をお伝えできるだろうか。どんな文章家も言下に「それは不可能」と答えるだろう。ところが、筆者ならこの問いにたやすく答えることができる。それに五枚も要らぬ。ただの一行ですむ。こうである。
「丸谷才一の『文章読本』を読め」
特に、第二章「名文を読め」と第三章「ちょっと気取って書け」の二つの章を繰り返し読むのがよろしい。これが現在望み得る最上にして最良の文章である。
以上で言いたいことをすべて言い終えた。あとは読者諸賢の健闘を祈る。・・・>
勘の良い方ならば、丸谷さんの「文章読本」(95年。中公文庫)にどんなことが書かれているか見当がつくに違いない。
<作文の極意はただ名文に接し名文に親しむこと、それに盡(つ)きる。事実、古来の名文家はみなさうすることによつて文章に秀でたので、この場合、例外はまつたくなかつたとわたしは信じてゐる。>(P.23)
丸谷「文章読本」は私の手元にもあるが(無論、轡田さんがきっかけだ)、「名文を読め」ではこうも書いてある。
<たとえば森鴎外は年少の文学志望者に文章上達法を問はれて、ただひとこと、「春秋左氏傳」をくりかへし読めと答へた。「左傳」を熟読したがゆゑに彼の文体はあり得たからである。同じ問に対して紫式部が、鴨長明が、夏目漱石がどのやうに教へるかと想像するには、(中略)たとへその返事がどうであらうと、彼らが鴎外の答へ方の方向に異論を唱へるはずはない。>(P.23-24)
このような入れ子構造というか出口の無い永久ループのような論理展開だが、轡田さんはさらに、
<私たちは、ともかく読まなければならないのである。>(P.228)
と念を押して繰り返す。これは丸谷さんも井上さんも、さらにはおそらく紫式部も鴨長明も一致した見解なのだろう。
良い文章を書くためには良い文章を読まなければならない。
この意見はあまり考えなくてもなんとかく「正しい」と実感できるものではある。
しかし一方で、
「全く間違いないとは思うんだけど、なんだか自分にはしっくりこないなあ・・・」
という違和感も常に自分の中にあった。そしてそのまま十年以上の月日が流れたわけだが、今回読み返してみてその理由に気がついてしまったのである。
さきほど挙げた人たちに共通する特徴は、
・文章を読むのが好きで得意
・「上手い文章を書こう」という意識が高い
というものである。おそらくこれは間違いないだろう。それに対して私といえば、
・文章を読むのはあまり好きでないし苦手
・「上手い文章を書こう」ということを(少なくともこの10年ほどは)思ったことが一度もない。
という人間である。轡田さんの本、または丸谷さん及び井上さんの「文章読本」は「文章を読むのが好きな人」が書いたものである。よって、文書の読み書きが苦手だとか嫌いだとかいった人への配慮というのはあまり行き届いてないのも仕方ないことかもしれない。
個人的に一番まずいと思うのは「とにかく読め!」という部分である。これは先の三氏に限らず、ビジネス書でも「1日1冊読め!そうしないとデキる人にはなれない!」という半ば脅迫的なことを書いているものも多い。しかし、漆原直行(編集者)さんは「ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない」(12年。マイナビ新書)の中で、
<たしかに、読書は大切です。
その意味ではビジネス書を読むことはよいことといえます。
ただし、これはあくまで一般論であって「適度な運動をすることはカラダによい」という程度の指摘でしかありません。具体論レベルではいうまでもなくケースバイケースであり、程度問題であり、個人差もあることです>(P.171)
と喝破している。ここで言われる「程度問題」とか「個人差」といったものが、これまでの「文章読本」系の本に欠けていた視点だといえる。
ケータイやSNSのおかげで「書く」という行為がグッと身近になり誰でもするようになった今、私たちに必要なのは「デキない人」のための読書法や文章術なのでないか。では、それはどんなものかといえば、かなり今回は長々と書いてしまったので、近いうち(せめて1週間以内)に別のところでヒントらしき提言をしてみたい。
「笑っていいとも!」終了で感じたあれこれ
2014年4月1日 とどめておきたこと、特記事項昼の休憩時間は基本的に勤務先の休憩所で過ごしている。そこにはテレビは設置されていない。持っている携帯はiPhoneなのでワンセグ機能も備わってない。よって「笑っていいとも!」最終回を観ることはできない状態だった。
「電気店だったら観られるだろうが、歩いて行ける距離にもないしなあ・・・」
そんなことを考えながら勤務先を飛び出して、歩きながらネットをいじくっていたら、中国のサイトらしきものでフジテレビを視聴することができてしまった。電波が途切れて全てを観ることはできなかったけれど、テレフォンショッキングとギネスブックの受賞の光景はなんとか立ち会えたのは嬉しかった。ただ、日本のテレビ番組をわざわざ中国経由で受信して観るというのは、我ながらややこしいことをしてるなあと感じる。
最後のグランドフィナーレは最初から最後まで通して部屋で観た。過去の映像などで番組を振り返るなどではなく、昼間と同様にダラダラとやっているうちにいつの間にか3時間が過ぎていくという流れは実に「いいとも!」らしかった。そして最後のレギュラー陣全員に感謝のコメントをさせたのは、彼らに出番を作ろうというタモリの配慮だったのだろう。
番組を観ている間、あれこれ頭に思い浮かぶことがあった。「いいとも!」について一番不思議なのは、この番組を一体いつ観ていたのか?ということだった。番組の放送は平日の正午の1時間である。仕事や学校のある人は基本的に観ることはできない時間帯なのだ。いつも観られる立場にあるのは専業主婦や年金生活者、あとはニートくらいだろう。
にもかかわらず、「いいとも!」をそれなりの回数を観ていたという実感が自分の中にある。月曜から金曜まで通して観たことがあるかといえば、それは確実に何度かはあるだろう。
それはおそらく夏休みや冬休みや祝日、または熱を出して学校を休んだ時など学校に行ってない日に観ていたのである。物心がついた時(6歳)から放送が始まっていたので、そうした時期だけテレビを観ていたとしてもけっこうな蓄積はある。年に10回観ていたとしても、ゆうに300回を超えてしまう計算だ。まあ、社会に出てからは全く観る機会は失っていたわけだが。
しかし、休日しか観られないからといって何か過剰な期待してテレビの前にいたわけでもない。昼食をとるかとらないかのボヤーッとした状態のなか、オープニングで”ウキウキwatching”を歌うタモリ、そしてテレフォンショッキングや日替わりのコーナーを眺めていたらいつの間にか1時間が過ぎていく・・・。「いいとも!」を観るというのはそんな感じだったのではないだろうか。
しかし一方、
「オープニングでタモリが歌わなくなった」
「テレフォンショッキングのお友達紹介の直前にCMが入るようになった」
「テレフォンショッキングがお友達紹介の形でなくなった」
という具合に、番組内におけるちょっとした変化に視聴者が反応しラジオや雑誌などで取り上げられて話題になることもたびたびであった。そんなテレビ番組は他に思い浮かばない。そういう不思議な存在感が常に「いいとも!」にはあった。空気のような存在、といえば大仰な表現かもしれないが、あながち間違ってもいないと思う。
しかしそんな「いいとも!」も長寿番組ゆえのマンネリ化を指摘する声も聞かれるようになり、打ち切り説もこれまでに何度となく浮上した。長年観ていた人が世を去っていくためなのか、近年は視聴率も徐々に低迷していく。この「徐々に」という状態は実に厄介だったという気がする。何か新しい試みをしてテコ入れしようと思う一方、長年築き上げたスタンスを崩したらこれまでのファンに見限られてしまうのでは?というジレンマに番組関係者も直面していたと感じるからだ。興味のない人からすれば「オワコン(終わったコンテンツ)」の一言で済む話かもしれないけれど、個人的にはなんだか新聞産業の状況が似ている気がしてくる。そして「いいとも!」は2013年度の最後にその歴史に幕を下ろした。
ネットでは「タモロス」という言葉が目につく(別にタモリ自身が引退するわけでもないので「いいともロス」あたりが適当な表現だと思うが)。さきほど書いた通り、昼間に仕事や学校のある多くの人たちは番組が観れるわけでもないし大きな実害があるわけでもないろう。
にもかかわらず私自身、
「今日からは、もう、正午に”ウキウキwatching”が流れないんだなあ・・・」
といった喪失感にとらわれていることに気がついた。それは何十年も壁に貼っていたポスターをはがした時に出てくる真っ白な跡を眺めるような、そんな感覚に近い気がする。
「いいとも!」の終了によって、この32年間という時間の長さ、そしてテレビを取り巻く環境も凄まじく変質してしまったことに嫌でも気づかされてしまったということなのだろう。
「電気店だったら観られるだろうが、歩いて行ける距離にもないしなあ・・・」
そんなことを考えながら勤務先を飛び出して、歩きながらネットをいじくっていたら、中国のサイトらしきものでフジテレビを視聴することができてしまった。電波が途切れて全てを観ることはできなかったけれど、テレフォンショッキングとギネスブックの受賞の光景はなんとか立ち会えたのは嬉しかった。ただ、日本のテレビ番組をわざわざ中国経由で受信して観るというのは、我ながらややこしいことをしてるなあと感じる。
最後のグランドフィナーレは最初から最後まで通して部屋で観た。過去の映像などで番組を振り返るなどではなく、昼間と同様にダラダラとやっているうちにいつの間にか3時間が過ぎていくという流れは実に「いいとも!」らしかった。そして最後のレギュラー陣全員に感謝のコメントをさせたのは、彼らに出番を作ろうというタモリの配慮だったのだろう。
番組を観ている間、あれこれ頭に思い浮かぶことがあった。「いいとも!」について一番不思議なのは、この番組を一体いつ観ていたのか?ということだった。番組の放送は平日の正午の1時間である。仕事や学校のある人は基本的に観ることはできない時間帯なのだ。いつも観られる立場にあるのは専業主婦や年金生活者、あとはニートくらいだろう。
にもかかわらず、「いいとも!」をそれなりの回数を観ていたという実感が自分の中にある。月曜から金曜まで通して観たことがあるかといえば、それは確実に何度かはあるだろう。
それはおそらく夏休みや冬休みや祝日、または熱を出して学校を休んだ時など学校に行ってない日に観ていたのである。物心がついた時(6歳)から放送が始まっていたので、そうした時期だけテレビを観ていたとしてもけっこうな蓄積はある。年に10回観ていたとしても、ゆうに300回を超えてしまう計算だ。まあ、社会に出てからは全く観る機会は失っていたわけだが。
しかし、休日しか観られないからといって何か過剰な期待してテレビの前にいたわけでもない。昼食をとるかとらないかのボヤーッとした状態のなか、オープニングで”ウキウキwatching”を歌うタモリ、そしてテレフォンショッキングや日替わりのコーナーを眺めていたらいつの間にか1時間が過ぎていく・・・。「いいとも!」を観るというのはそんな感じだったのではないだろうか。
しかし一方、
「オープニングでタモリが歌わなくなった」
「テレフォンショッキングのお友達紹介の直前にCMが入るようになった」
「テレフォンショッキングがお友達紹介の形でなくなった」
という具合に、番組内におけるちょっとした変化に視聴者が反応しラジオや雑誌などで取り上げられて話題になることもたびたびであった。そんなテレビ番組は他に思い浮かばない。そういう不思議な存在感が常に「いいとも!」にはあった。空気のような存在、といえば大仰な表現かもしれないが、あながち間違ってもいないと思う。
しかしそんな「いいとも!」も長寿番組ゆえのマンネリ化を指摘する声も聞かれるようになり、打ち切り説もこれまでに何度となく浮上した。長年観ていた人が世を去っていくためなのか、近年は視聴率も徐々に低迷していく。この「徐々に」という状態は実に厄介だったという気がする。何か新しい試みをしてテコ入れしようと思う一方、長年築き上げたスタンスを崩したらこれまでのファンに見限られてしまうのでは?というジレンマに番組関係者も直面していたと感じるからだ。興味のない人からすれば「オワコン(終わったコンテンツ)」の一言で済む話かもしれないけれど、個人的にはなんだか新聞産業の状況が似ている気がしてくる。そして「いいとも!」は2013年度の最後にその歴史に幕を下ろした。
ネットでは「タモロス」という言葉が目につく(別にタモリ自身が引退するわけでもないので「いいともロス」あたりが適当な表現だと思うが)。さきほど書いた通り、昼間に仕事や学校のある多くの人たちは番組が観れるわけでもないし大きな実害があるわけでもないろう。
にもかかわらず私自身、
「今日からは、もう、正午に”ウキウキwatching”が流れないんだなあ・・・」
といった喪失感にとらわれていることに気がついた。それは何十年も壁に貼っていたポスターをはがした時に出てくる真っ白な跡を眺めるような、そんな感覚に近い気がする。
「いいとも!」の終了によって、この32年間という時間の長さ、そしてテレビを取り巻く環境も凄まじく変質してしまったことに嫌でも気づかされてしまったということなのだろう。
自分の中にある残酷さに気づいた瞬間
2014年3月19日 時事ニュースFacebookで繋がっている方が、こんな記事を紹介していた。中国版「赤ちゃんポスト」を設置したらこんなことになったという話である。
中国「赤ちゃんポスト」運用停止、1か月半で260人超
AFP=時事 3月17日(月)16時19分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140317-00000037-jij_afp-int
1月下旬の開設から3月16日朝までに預けられた子どもの数は計263人にのぼったという。1日あたり5人という計算だ。
さらに、
<預けられた子ども全員に脳性まひやダウン症、先天性心疾患など何らかの病気があり、67%は1歳未満の乳児だった。>
という。お国柄が出ているという見方もできるかもしれないが、個人的には「無責任だ!」などと単純に怒る気にはなれない。自分がそんなことを言える立場の人間でもないと考えるからだ。
かつて友人がブログで、親戚に子どもができたものの障がいを持つ可能性がありそうでどうしようか話題になっている、というようなことを書いていた。彼自身は、産まない方がいい、という考えをブログで述べていたわけだが、それを読んだ人たちから「当然産むべきだ!」という非難のコメントがたくさん書かれた。産むべきではない、という意見は無かったような気がする。
この一連の流れを見ていた私はものすごく違和感を覚えた。私自身は、
「産まないに決まってるでしょ」
という考えしか頭になかったからである。
そしてその理由をしばらく考えた末に、
「俺って残酷な心の持ち主なんだな・・・」
ということに気づかされたのであった。自分ではもうちょっと人間味があふれていると勝手に思っていたから、心の奥底にこうした残酷性があることは少なからず衝撃を覚えたものである。
こういう問題が出てきた時は、
「どんな子であろうが産むべきだ。その子と運命を共にする。それが親の責任だ」
といったのが模範回答には違いない。しかし、障がいというのを割と身近に見てきたこともある身としては、どうにもそんなことは言えない。障がいを持った子を2人かかえた母親が自殺したという事件が実家の近所ではあった。責任とか運命とか一言で片付けるには、あまりにも現実というのは厳しすぎる。
人類の歴史をたどってみると、人間以外に対してはかなり無茶苦茶なことをしている。ミカンはもともと身に種が入ってるものだったが、食べやすくするためそれが無くなるように改良された。犬もペットとして飼いやすいように性格も優しく従順なものにされていった。こうした事例は数え切れないほどあるだろうが、共通するのは人間の利己主義である。それが人間自身にも向けられるというのは、あまり褒められた話でもないが、必然といえるかもしれない。
また現代は過剰なほど色々な情報が入ってくるためか、何事にも「リスク管理」という視点が出てしまう。こうした考え方を嫌う人も多いだろうが、進学、就職、結婚、出産などの人生の節目にある出来事は全てリスクが伴ってくるものだ。昨今は未婚とか少子化という問題が絶えず話題になるけれども、リスク管理という点で考えればそういう結果になるというしかない。わざわざリスクを抱えるようなことを最初から避けているわけだ。ある本に、理屈で考えていたら結婚などできない、というようなことが書かれていたが、まったくその通りだと思う。
当の私もリスクで物事を考えるクセがあるから、結婚はおろか自分の子どもが欲しいなどとは夢にも思わない。一番の理由は自分のような人間のDNAなど残したくないということだが、上のようなリスク回避という観点も同じくらい重要である。
現在の自分は、最初に挙げたような出産に関する問題について「産むべきではない」と言うことはない。が、「絶対に産むべきだ」とも言いきれない自分がここにいる。赤ちゃんポストの記事を読んで、そんなことを考えた次第である。
中国「赤ちゃんポスト」運用停止、1か月半で260人超
AFP=時事 3月17日(月)16時19分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140317-00000037-jij_afp-int
1月下旬の開設から3月16日朝までに預けられた子どもの数は計263人にのぼったという。1日あたり5人という計算だ。
さらに、
<預けられた子ども全員に脳性まひやダウン症、先天性心疾患など何らかの病気があり、67%は1歳未満の乳児だった。>
という。お国柄が出ているという見方もできるかもしれないが、個人的には「無責任だ!」などと単純に怒る気にはなれない。自分がそんなことを言える立場の人間でもないと考えるからだ。
かつて友人がブログで、親戚に子どもができたものの障がいを持つ可能性がありそうでどうしようか話題になっている、というようなことを書いていた。彼自身は、産まない方がいい、という考えをブログで述べていたわけだが、それを読んだ人たちから「当然産むべきだ!」という非難のコメントがたくさん書かれた。産むべきではない、という意見は無かったような気がする。
この一連の流れを見ていた私はものすごく違和感を覚えた。私自身は、
「産まないに決まってるでしょ」
という考えしか頭になかったからである。
そしてその理由をしばらく考えた末に、
「俺って残酷な心の持ち主なんだな・・・」
ということに気づかされたのであった。自分ではもうちょっと人間味があふれていると勝手に思っていたから、心の奥底にこうした残酷性があることは少なからず衝撃を覚えたものである。
こういう問題が出てきた時は、
「どんな子であろうが産むべきだ。その子と運命を共にする。それが親の責任だ」
といったのが模範回答には違いない。しかし、障がいというのを割と身近に見てきたこともある身としては、どうにもそんなことは言えない。障がいを持った子を2人かかえた母親が自殺したという事件が実家の近所ではあった。責任とか運命とか一言で片付けるには、あまりにも現実というのは厳しすぎる。
人類の歴史をたどってみると、人間以外に対してはかなり無茶苦茶なことをしている。ミカンはもともと身に種が入ってるものだったが、食べやすくするためそれが無くなるように改良された。犬もペットとして飼いやすいように性格も優しく従順なものにされていった。こうした事例は数え切れないほどあるだろうが、共通するのは人間の利己主義である。それが人間自身にも向けられるというのは、あまり褒められた話でもないが、必然といえるかもしれない。
また現代は過剰なほど色々な情報が入ってくるためか、何事にも「リスク管理」という視点が出てしまう。こうした考え方を嫌う人も多いだろうが、進学、就職、結婚、出産などの人生の節目にある出来事は全てリスクが伴ってくるものだ。昨今は未婚とか少子化という問題が絶えず話題になるけれども、リスク管理という点で考えればそういう結果になるというしかない。わざわざリスクを抱えるようなことを最初から避けているわけだ。ある本に、理屈で考えていたら結婚などできない、というようなことが書かれていたが、まったくその通りだと思う。
当の私もリスクで物事を考えるクセがあるから、結婚はおろか自分の子どもが欲しいなどとは夢にも思わない。一番の理由は自分のような人間のDNAなど残したくないということだが、上のようなリスク回避という観点も同じくらい重要である。
現在の自分は、最初に挙げたような出産に関する問題について「産むべきではない」と言うことはない。が、「絶対に産むべきだ」とも言いきれない自分がここにいる。赤ちゃんポストの記事を読んで、そんなことを考えた次第である。
うがいと手洗いはするように、と勤務先のボスから言われたのは去年の12月に入った頃だろうか。石鹸はしっかり泡立てないと効果が下がる、などという細かいアドバイスもあったような気もするが、それはともかく部屋に戻った時にはこの2つの行為を続けていた。
その甲斐もあってか、1月が終わるまで目立った症状もなく過ごすことができた。日頃そのようなこともしてなかったこともあり余計に効果があったのかもしれない。
しかし今月の初め、そんな安定した状態に変化がおとずれる。宮崎では25度を記録したという週末から、雪がちらつくほどの寒さへと一転した時期である。
「こういう時は風邪をひきやすいんだよな・・・」
という思いが頭にあったが、いつも以上のことはせずにそのまま生活していた。
月曜日は朝からかなり寒く感じたものの、それ以外は普通に仕事をして1日が終わろうとしていた時の夕暮れだった。
「なんだか、熱が出てきたような・・・」
そんな違和感を抱きながら勤務先を出ると、ひときわ外が寒い。
「このまま放っておくと重症になるかもしれない」
そう感じて帰り道のドラッグストアで風邪薬を買った。正直いって薬に費やすお金が惜しいという思いも強かったが、働かないとお金にならない日給月給の身としては体を壊すと全てが終わりである。そういう判断をしてレジに向かった。
だが、出費はこれで終わりにはならなかった。
「これを一緒に飲むと効きますよ。妊婦さんも飲んでるものです」
と1本500円くらいするビタミン剤を店員は奨めてくるではないか。以前に風邪をひいた時も、全く同じ営業をされたの。そして今回もまた言われるがままに買ってしまう。身も心も弱っている時は、こういう押しには負けてしまうということか。
前回の模様は日記にも書いてあった。
「やられた・・・買わされた」(2012年5月10日の日記)
http://30771.diarynote.jp/201205101808069229/
この時の日記では買った店の具体的な名前も書いてあるが、それはまあいいだろう。
部屋に戻ったら薬とビタミン剤をすぐに飲んでみる。そしてそのまま床に入った。それから1時間ほど経つと、スッと体が楽になっていくのを感じる。薬が効いてきたようだ。この調子なら翌日には回復しているだろうと楽観的な気持ちのまま眠りにつく。
実際、翌日も体調にはさして悪くもなく仕事をこなす。むしろ体はいつもよりよく動くくらいだった。ただ、妙に体から汗が出てくるのが気になる。そして勤務が終わって外に出ると、また空気がやたら寒く感じてしまうのだ。そうなると体温のほうが気になってくる。部屋の隅から体温計を取り出して測ってみることにした。しばらくしたらピピピーと音が鳴る。そしてその数字を見て、我が目を疑った。
表示されていたのは、
「38.2度」
である。けっこうな高熱ではないか。しかし、ここまで高熱が出ていたら咳やくしゃみ、頭痛や関節の痛みなどの諸症状が出てきてしかるべきである。それなのに、自分には目立った症状が無いのだ。あえて挙げるなら、寒気である。こうした経験は自分の中で思い浮かばない。
facebook上で「いまこんな体調なんですけど」とつぶやいてみたら、「熱の出ないインフルエンザもあるらしいですよ」というようなコメントもいただいたけれど、私の場合はその逆の症状なのだ。熱がある「だけ」といってもよい。あとはそれにともなって寒気がするくらいだ。
とりあえず「重症でもないみたいだ」という判断のもと、その日も市販の薬を飲んで眠った。ビタミン剤は1本しか買ってなかったので飲むことはなかった。そのまま次の日も普通に働いた。そして帰って部屋に戻ってまた体温を調べたら、36.5度の平熱にすっかり戻っていた。
それから多少の鼻水や咳の症状があったものの、2週間くらい経って平常の体に戻ったような気がする。病院にも行かなかったので、結局自分の症状がインフルエンザだったのか、それとも単なる風邪だったのかはついに不明のままである。
ただ、その間は平気で職場や町中をうろついていたので、もしインフルエンザのウイルスをまき散らしていたとすれば迷惑以外の何物でもないだろうけどね。
その甲斐もあってか、1月が終わるまで目立った症状もなく過ごすことができた。日頃そのようなこともしてなかったこともあり余計に効果があったのかもしれない。
しかし今月の初め、そんな安定した状態に変化がおとずれる。宮崎では25度を記録したという週末から、雪がちらつくほどの寒さへと一転した時期である。
「こういう時は風邪をひきやすいんだよな・・・」
という思いが頭にあったが、いつも以上のことはせずにそのまま生活していた。
月曜日は朝からかなり寒く感じたものの、それ以外は普通に仕事をして1日が終わろうとしていた時の夕暮れだった。
「なんだか、熱が出てきたような・・・」
そんな違和感を抱きながら勤務先を出ると、ひときわ外が寒い。
「このまま放っておくと重症になるかもしれない」
そう感じて帰り道のドラッグストアで風邪薬を買った。正直いって薬に費やすお金が惜しいという思いも強かったが、働かないとお金にならない日給月給の身としては体を壊すと全てが終わりである。そういう判断をしてレジに向かった。
だが、出費はこれで終わりにはならなかった。
「これを一緒に飲むと効きますよ。妊婦さんも飲んでるものです」
と1本500円くらいするビタミン剤を店員は奨めてくるではないか。以前に風邪をひいた時も、全く同じ営業をされたの。そして今回もまた言われるがままに買ってしまう。身も心も弱っている時は、こういう押しには負けてしまうということか。
前回の模様は日記にも書いてあった。
「やられた・・・買わされた」(2012年5月10日の日記)
http://30771.diarynote.jp/201205101808069229/
この時の日記では買った店の具体的な名前も書いてあるが、それはまあいいだろう。
部屋に戻ったら薬とビタミン剤をすぐに飲んでみる。そしてそのまま床に入った。それから1時間ほど経つと、スッと体が楽になっていくのを感じる。薬が効いてきたようだ。この調子なら翌日には回復しているだろうと楽観的な気持ちのまま眠りにつく。
実際、翌日も体調にはさして悪くもなく仕事をこなす。むしろ体はいつもよりよく動くくらいだった。ただ、妙に体から汗が出てくるのが気になる。そして勤務が終わって外に出ると、また空気がやたら寒く感じてしまうのだ。そうなると体温のほうが気になってくる。部屋の隅から体温計を取り出して測ってみることにした。しばらくしたらピピピーと音が鳴る。そしてその数字を見て、我が目を疑った。
表示されていたのは、
「38.2度」
である。けっこうな高熱ではないか。しかし、ここまで高熱が出ていたら咳やくしゃみ、頭痛や関節の痛みなどの諸症状が出てきてしかるべきである。それなのに、自分には目立った症状が無いのだ。あえて挙げるなら、寒気である。こうした経験は自分の中で思い浮かばない。
facebook上で「いまこんな体調なんですけど」とつぶやいてみたら、「熱の出ないインフルエンザもあるらしいですよ」というようなコメントもいただいたけれど、私の場合はその逆の症状なのだ。熱がある「だけ」といってもよい。あとはそれにともなって寒気がするくらいだ。
とりあえず「重症でもないみたいだ」という判断のもと、その日も市販の薬を飲んで眠った。ビタミン剤は1本しか買ってなかったので飲むことはなかった。そのまま次の日も普通に働いた。そして帰って部屋に戻ってまた体温を調べたら、36.5度の平熱にすっかり戻っていた。
それから多少の鼻水や咳の症状があったものの、2週間くらい経って平常の体に戻ったような気がする。病院にも行かなかったので、結局自分の症状がインフルエンザだったのか、それとも単なる風邪だったのかはついに不明のままである。
ただ、その間は平気で職場や町中をうろついていたので、もしインフルエンザのウイルスをまき散らしていたとすれば迷惑以外の何物でもないだろうけどね。
2014年は、もっと活発に
2014年1月6日2014年に切り替わってからずいぶん経ったけれど、日記については何も動いていなかった。
個人的に「新年を迎えた!」と感じたのは、1月4日になってからである。年末年始は用事があってバタバタしていたためだ。そんな状態になってもう3年が経とうとしている。これは極めて私的な話だから、世間にとってはどうでもいいことだろうけど。
この時期はそんな状態であるものの、「昨年は良い年だったのか?」と訊かれたとしたら、「まあまあ良かったよ」と素直に言える自分がいる。
2013年は一言でいえば、ものすごく静かな1年、だったと表現できるだろうか。ともかく大きな事件事故もなく、めちゃくちゃ嫌なことも出会わずにスーッと過ぎていった印象だ。それは以前の2011年、2012年があまりに酷い年だったということと無関係ではないだろうが。
10年近く在籍していた職場を離れたのは11年5月のことだった。辞めようと思った時にいちばん頭にあったのは、
「自分の時間が欲しい!」
というものである。収入はもう生活費ギリギリで構わないから、好きにできる時間が欲しい。それが当時の自分の切なる願いだった。また、そんなことを思うくらい、その時の私には時間がなかったのである。
しかし世の中が自分の思い通りに動いてくれるはずなどなく、まず生活をやりくりするのに必死であった。そして働く環境も、行くところは悲惨を極めるところばかりだったのも拍車をかける。2012年はもう言葉に出来ないほど最悪だった。
逃げるように過ぎていった2012年から一転、2013年はさきほど書いた通り、自分にとって障害になるような要因は一挙に消えていった。それは現在も継続中である。ようやく自分の描いていた環境が整ったという感じだ。だからこそ、この2014年はもっと活動していかなければならない、と自分に強く課題を与えなければならないと思っている。
と言いながら、既にその船出は怪しくなってきている。元日に新しいブログを立ち上げるつもりでいたのだが、全くそれに手をつけていない。別に元日に開始する必然性など無いのだけれど、なんだかもう今年の先行きを象徴しているようで嫌な感じではある。
また、年賀状を送った方の一人から、ブログを拝見してます、とショートメールをいただいた。ずっと更新してないんですがねえ、と思いながらも、それなら週1くらいでリハビリがてらに書いてみようかという気持ちにもなっている次第である。
個人的に「新年を迎えた!」と感じたのは、1月4日になってからである。年末年始は用事があってバタバタしていたためだ。そんな状態になってもう3年が経とうとしている。これは極めて私的な話だから、世間にとってはどうでもいいことだろうけど。
この時期はそんな状態であるものの、「昨年は良い年だったのか?」と訊かれたとしたら、「まあまあ良かったよ」と素直に言える自分がいる。
2013年は一言でいえば、ものすごく静かな1年、だったと表現できるだろうか。ともかく大きな事件事故もなく、めちゃくちゃ嫌なことも出会わずにスーッと過ぎていった印象だ。それは以前の2011年、2012年があまりに酷い年だったということと無関係ではないだろうが。
10年近く在籍していた職場を離れたのは11年5月のことだった。辞めようと思った時にいちばん頭にあったのは、
「自分の時間が欲しい!」
というものである。収入はもう生活費ギリギリで構わないから、好きにできる時間が欲しい。それが当時の自分の切なる願いだった。また、そんなことを思うくらい、その時の私には時間がなかったのである。
しかし世の中が自分の思い通りに動いてくれるはずなどなく、まず生活をやりくりするのに必死であった。そして働く環境も、行くところは悲惨を極めるところばかりだったのも拍車をかける。2012年はもう言葉に出来ないほど最悪だった。
逃げるように過ぎていった2012年から一転、2013年はさきほど書いた通り、自分にとって障害になるような要因は一挙に消えていった。それは現在も継続中である。ようやく自分の描いていた環境が整ったという感じだ。だからこそ、この2014年はもっと活動していかなければならない、と自分に強く課題を与えなければならないと思っている。
と言いながら、既にその船出は怪しくなってきている。元日に新しいブログを立ち上げるつもりでいたのだが、全くそれに手をつけていない。別に元日に開始する必然性など無いのだけれど、なんだかもう今年の先行きを象徴しているようで嫌な感じではある。
また、年賀状を送った方の一人から、ブログを拝見してます、とショートメールをいただいた。ずっと更新してないんですがねえ、と思いながらも、それなら週1くらいでリハビリがてらに書いてみようかという気持ちにもなっている次第である。