良い日本酒は悪酔いしない。だが・・・
先日の日記でも少し触れていたが、最近は日本酒の良さを再認識している。こないだ4時間ちかくも飲み続けたにもかかわらず、次の日は全く後を引かなかったからだ。酒が弱くなったなあ、と感じることが多い今日このごろなので余計にそう思ってしまった。

そんなわけで昨夜は帰り道に日本酒、それも純米酒を買ってみた。そして部屋で熱燗にして飲みながら本を読んでみる。やはり飲み進めても気分は悪くならない。これからは日本酒を主体にしようかな、とその時は思った。

しかし、である。飲んでいる途中、知らぬ間にコテンと眠りについてしまった。そして、そのまま朝を迎えてしまったのである。

体調は全く悪くない。頭痛も疲れもなく実にスッキリとしている。しかしバタッと寝込んでしまったのは、やはり具合は悪い気がする。

酒との付き合い方はなかなか難しい。だが今日も懲りずに日本酒を熱燗で飲んでしまった。明日も体は大丈夫だろう、たぶん。しかし理想としては、ちびちび酒を飲みながら読書や音楽などを楽しみたいところである。そんな都合の良い真似はできないのだろうか。その辺りを模索していきたい。

スッキリと目覚める日は貴重だ
「こんな気持ちになったのは何年ぶりだろう?」

そんなことを思ってしまうくらい、今朝の目覚めはスッキリとしていた。生まれてから25歳あたりまで、ずっと低血圧の体質に苦しめられてきた。初めて入った会社で働く直前、健康診断を受けた時は上の血圧が100を切っていて、測っていた女性が「えっ?」と驚いて測定をやり直したことを今でも覚えている。

血圧の低い人間にとって、眠りから覚めて起き上がるというのは非常に苦痛が伴う行為だ。大学時代は寝過ごしたため試験を受けられず、単位を落としたこともある。

あまりに低い血圧そのものについては、社会を出て働き始めてから改善はされていった。朝が弱かろうがなんだろうが、決まった時間に起きて仕事に行くという生活を続けてきたためだと思われる。いつの間にか私の血圧は「やや低め」から「普通」と診断されるようになった。

しかしながら、血圧が通常の数字になったものの、朝に起きるのが苦手なのは現在も変わりはない。目を覚ますのは問題ないのだが、布団から出て立ち上がるまでにものすごく時間がかかる。特に今のような寒い季節は最悪だ。にもかかわらず、今日は不思議なくらい壮快な目覚めだった。

昨日なにか目覚めに良さそうなことをしたかといえば、思い当たることは一つもない。むしろ、すっきり起きるということに逆行するようなことをしていた。長い時間にわたって酒を飲んでいたのである。いつもはビールばかり飲んでいる人間なのだが、なぜかこの日は生中を2杯飲んだ時点で日本酒の熱燗に切り替えてしまう。そして、その熱燗がまたやたらと美味かったのだ。食事も美味しいのだが、それよりもお酒ばかり飲むのに夢中な自分がいる。二合の熱燗が入ったトックリを空けてはおかわりを繰り返す。

最近は毎日毎日飲んでいるというわけでもないので、明らかに酒は弱くなっている。飲むのがビールだけであっても、飲み過ぎると翌朝は頭痛がする日もある。にもかかわらず、ビールよりもさらに悪酔いする日本酒である。

「明日はヤバいかもなあ」

と頭の片隅では思いながらも、おちょこを持つ手の動きは止まらない。そのまま4時間ちかく店に居座った。一人で4合から5合は飲んだと思う。だが店を出てからも、気持ちが悪いとか酔いが回っているというような感覚は全くなかったのである。

そういえば、良い日本酒は悪酔いしない、と「美味しんぼ」か何かに書かれていたような気がする。おそらくお店も質の高いお酒を用意してくれたのだろう。

おかげで「美味しかった」、「楽しかった」といったポジティブな思いだけが残った。こういう経験は自分にとっては実に珍しい。

長く生きていたら、こうした日がたまにあっても良いだろう。

(1)ウェイティング・フォー・マイ・マン
(2)リサ・セッズ
(3)ホワット・ゴーズ・オン
(4)スウィート・ジェーン
(5)ウィアー・ゴナ・ハヴ・ア・リアル・グッド・タイム・トゥゲザー
(6)ファム・ファタル
(7)ニュー・エイジ
(8)ロック・アンド・ロール
(9)ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト
(10)ヘロイン

夜寝ているときも「radiko」でラジオ番組を流していることがたまにある。そのため午前2時とかいった中途半端な時間に目覚めることもあるのだが、FM大阪の番組からルー・リードの訃報が飛び込んできたのはそんな時だった。全く思いもよらない話だったので、眠気が一気に覚めてしまう。

それからヴェルヴェット・アンダーグラウンド時代の”スウィート・ジェーン”と”ウエイティング・フォー・マイ・マン”、そして彼のソロから”ニュー・センセーションズ”の3曲が追悼をこめて流された。しかし私といえばその死が信じられず、布団の中で横になったまましばらく呆然と曲を聴いていた。

全世界に熱狂的なファンが存在し、また後世のミュージシャンに計り知れない影響を与えてきたルー・リードであるが、私自身は彼の音楽についてそれほど熱心なわけではなかった。しかし、例えばもっと敬愛していたウォーレン・ジヴォン(2003年没)の時よりもルーの訃報のほうが衝撃が激しかった。その理由はやはり実際に動く彼の姿を観ていたからに他ならない。2000年10月27日の大阪サンケイホール、そして2003年9月17日の大阪厚生年金会館芸術ホールと2回彼のライブを観ることができた。

日記でも彼についてそれほど触れたことはないはずである。それなりにアルバムは持っているものの、主要な作品のいくつかは未だに聴いてないものがある。要するに中途半端な聴き手なわけだが、それでも振り返ってみれば私にとって彼との出会いはかなり重要なものだったし、これを機会に彼についてまとめて書いてみたいと思う。

ルー・リードの音楽を聴いてみようと思いたったきっかけは、佐野元春の著書「ハートランドからの手紙」(93年。角川文庫)に収録されている文章によってであった。たとえこれを読んでなかったしてもいずれCDを聴いていたのかもしれない。ただ、ルーやヴェルヴェットに対する印象はまるで違ったものになっていたことだけは確かである。

ジョン・レノンやボブ・ディランと並んでルーの音楽に多大な影響を受けたと公言する佐野であるが、初めてヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバム「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」(68年)を聴いたときはすんなりと受け入れられたわけではなかったという。

<聞いてみて、なんて録音が雑なんだ、と思った。一回や二回聞いただけでは自分の体の中に素直に入り込んでくる音楽でなかった。>(P.220)

そんなレコードだったらその場で、さようなら、となるのが普通ではある。しかし、

<でも不思議に、ルー・リードが何を歌っているのか知りたい、という欲求が湧いてくる音楽だったんだ。もちろん歌詞カードなんてのはない。友だちを通して横浜の基地にいたアメリカ人に聞き取って貰ったんだけど、受け取った詞はあなぼこだらけ。アメリカ人でも聞き取れないって言う。なぜそんなに不明瞭に歌わなければならないのか、その時はわからなかった。自分がカッコいいと思っていたロックンロールとルー・リードが歌うロックンロールはまったくと言っていいほど異質な物だった。彼らは、彼らの音楽はなんて冷静なんだと思った。そしてヴェルヴェットのレコードはしばらくの間、僕の家の棚に眠っていたんだ。>(P.220-221)

当時の佐野元春は15、6歳と文章の冒頭で書いていたけれど、彼にとってルー・リードの音楽というのはかなり異質なものに響いたことがよくわかり実に興味深い。そして、この文章に触発されて私ものソロ時代の代表作である「トランスフォーマー」(72年)を東室蘭駅ちかくのCDショップで学校から帰る途中に買ったのは確か93年だった。17歳の時である。なぜ「トランスフォーマー」だったのかといえば、片田舎のCDショップにはそれしか置いてなかったのである。もし「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」があったら、真っ先にそれを手に入れていたに違いない、佐野の追体験をしてみたいと思いながら。

ただ、

<「トランスフォーマー」「ベルリン」の頃、ソロになって間もない頃のルー・リードに僕は一番影響を受けた。>(P.223)

とも書かれていたので、これはこれで良いかと思いながらレジに持っていったような気がする。

家へ帰ってすぐアルバムを聴いてみた。しかしスピーカーから流れてきたのは、恐ろしく無愛想なロックであった。曲調は起伏があまりなく淡々としていて、アレンジはポップさが欠けている。さらに、ルーのヴォーカルがサウンドに劣らぬくらいに一本調子だったのだ。唯一3曲目の”パーフェクト・デイ”はなんとも美しいメロディーだなあと聴き入ったもののアルバム全体としては、

「あー、買って損したかな・・・」

とその時は率直にそう思った。しかし、以後も私は事あるごとにこのアルバムを聴き続けていた。なぜかといえば、先に引用した佐野の文章には続いてこのようなことも書かれていたからである。

<「もうすぐ彼女がやってくる」という一節を、何度も何度も繰り返す歌があって、サウンド自体はもの凄く粗雑なんだけれども、聞いているうちに凄く美しい旋律に聞こえてきた。自分がヴェルヴェット・アンダーグラウンドの表現の中に積極的に入り込まなければ、楽しめない音楽だとその時知った。>(P.221)

佐野ですらヴェルヴェットの音楽に馴染むまで時間がかかったのだから、私などがすんなりとのめり込めるわけがない。そう考えたわけである。しかしながら当時は「トランスフォーマー」が傑作だとはとても思えなかった。何度も聴いてはみたものの、こんな表現の音楽もあるんだなという程度の親しみができたくらいだったろうか。この時点の私はルーの音楽を楽しめるという境地には至らなかった。

しかし転機が訪れる。その1年後くらいに買ったヴェルヴェットのライブ・アルバム「ライヴ Vol.1」(74年)によってであった。いきなりライブ・アルバムを買ったの?と疑問に思う方もいるかもしれない。しかし、これも「トランスフォーマー」と同じ理由だが、私の住んでいる地域で手に入るのはこのアルバムだけだったのである。

これを聴いてまず驚いたのは、その音質の酷さである。いままで買ったCDの中でもダントツに悪い。「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」もこんな感じなのかなと連想してしまった。そしてお客の拍手がパラパラとまばらなのが、活動期間中(このアルバムは1969年の音源)の彼らの不遇さを伝えて余りある。93年に彼らは一度だけ再結成してライブ盤も残しているけれど、その時の観衆の反応は実に凄まじい。それと比較したら余計に不憫に感じる。

それはともかく、最初の印象は「トランスフォーマー」とそれほど変わりなくパッとしないものだった。ただ今回は繰り返して聴いていくうちに、そのノイズまみれの演奏から美しいメロディが少しずつ聴き取れるようになっていった。それは高校生の佐野の体験と重なるものなのだろう。ふたたび彼の文章から引用する。

<僕はヴェルヴェットを、ルー・リードを聞くまで、ピアノひとつ、アコースティック・ギターひとつあれば、歌っていうものはすべてを表現できると思っていた。あの時代でいうシンガー・ソングライター的な表現方法が、歌には一番適切だと信じていた。その音楽に対する概念を彼らは一挙に広げてくれた。ルー・リードを聞くことによって、たとえば一〇の言葉を費やして一曲にまとめるというやり方もあるけれども、増幅されたギターの音、バンドとしてのノイズの出し方、決してシャウトのしない抑制された声・・・そういったものを表現のひとつとして繰り入れれば、五の言葉しか費やさなくても一〇以上のメッセージを相手に投げ掛けられるということを、じかに教えられたんだ。

ルー・リードは、ロックンロールという大衆音楽と僕が決めつけてたものが、アート・フォームにもなりえるんだ、たとえばピカソの絵を見るのと同じようなアート表現にもなるんだということを知らせてくれた、一番最初のソングライター、ロックンローラーだった。>(P.221-222)

ルーについて書かれた文章は数あれど、彼の音楽表現の特徴をここまで明瞭簡潔に示したものはおそらく無いのではないだろうか。「増幅されたギターの音、バンドとしてのノイズの出し方、決してシャウトのしない抑制された声」あたりの切り取り方は見事というしかない。彼がルーにどれほど影響を受けているかもわかる気がする。

私自身もルーの音楽を、最初は受け入れられなくてもしぶとく聴いてきたからこそ、それ以後の音楽(80年代のパンク/ニュー・ウェーブ、または90年代のグランジ/オルタナティブ)についても多少は受け入れられるようになった気がする。いや、本当にわかってるかどうかは怪しいが、それでも聴く音楽に多少なりとも幅が出てきたのはこの時の体験が大きい。

いやそれよりも、他人の表現などというのはそう簡単に受け入れられるわけでない。だから「自分に合わない」と感じたとしても安易に良し悪しを口にするような真似は慎まなければならない。それは別に芸術表現に限ることではないが。そうしたことを身をもって知ることができたのが、私がルーに対して本当に感謝しなければならないことだと思っている。

朝から暗いニュースが目に入ってしまった。帝国データバンク 10月18日(金)15時43分配信で、

「アルバイトによる悪ふざけで営業停止となったそば屋が破産」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131018-00010000-teikokudb-ind&pos=3

である。

飲食店で「アルバイト」に「悪ふざけ」ときたら、Twitterの投稿しかないだろう。

破産したのは(有)泰尚というところで、今年の夏アルバイトの大学生が洗浄機に入っている画像をTwitterに投稿したことがきっかけで営業停止中だった。

短い記事の中でも、3店あったお店が創業者が逝去してから1店舗だけの経営になった、などと書いているし経営は順調でなかったことがうかがえる。しかし、そこに営業停止がのしかかって今回の破産に至ったのも間違いない。

「twitter 悪ふざけ」というキーワードで検索したら、もうその手の画像が出るわ出るわ、である。線路を歩いている女子高校生、
タバコを持っている未成年らしき男性3人、公衆電話ボックスで花火をする大学生・・・。あまりの光景に背筋が寒くなってしまう。

しかし、こうして見ていくと投稿者は総じて若い人ばかりである。これはつまり、こんな真似をすると後でどうなるかという予測ができるだけの経験や知識や想像力などが決定的に欠けているということなのだろう。

mixiにFacebookにLINEと、SNSが世間に広がってきてから久しい。しかし簡単に発言や画像が投稿できる仕組みが出来上がったおかげで、後先を考えずに行動する人も増えてきてしまった。むやみに自分の名前や顔を晒す行為がどれほど恐ろしいか。どこの誰がそれを見ているのか。そういうことを学習する機会がこれまでに無かったのだろう。

私自身はSNS登場以前に、掲示板とかオフ会とかネットに関わるもので色々と嫌な目に遭った経験をしているので、自分なりにネットとの付き合い方や距離の置き方を学んだつもりである。それは人から忠告されたり、ニュースで上のような事件を知ったりするだけでは不十分なのかもしれない。やはり、実際に痛い目を見ることも必要な気がしてくる。昨日の日記でも書いたが、人間は目の前に危険が迫って初めてそれに気づく生き物なのだ。

かつては「2ちゃんねる」に巣食う連中、またYAHOO!のニュースに匿名で適当なコメントを残す輩を嫌悪してきた。しかし先のtwitter投稿と比べれば、まだ彼らの方が分別があってネットのリスクを理解して行動していると思えてくるから不思議だ。

ネットとの付き合い方に関して、考えさせられた事例をもう一つ挙げておきたい。それは土屋アンナの舞台「誓い〜奇跡のシンガー」の降板に関する一連の動きである。

この話はまず、土屋が無断で稽古を休んだので裁判を起こした、という部分が最初に報道された。それに反応した連中がYAHOOニュースの投稿欄で一斉に土屋叩きを開始する。しかしその直後に舞台の原作者である潮田朝美が、あれは自分が許可していないのに勝手に舞台化された、それを土屋に言ったら彼女が理解してくれた、とブログで土屋を擁護した。するとYAHOOの投稿欄も土屋バンザイに一転して、それと同時に、叩かれるターゲットは舞台制作者側に移ったのである。

そうした群衆の態度の豹変ぶりになんだか呆れるというか嫌な気分になったわけだが、匿名での投稿なんてそんな無責任なものなのだろう。

しかし、同じ時期にfacebookにこの件について触れながら、

「直感でこちら(土屋側)が正しいと思った!応援してるぜ!」

みたいなことを実名で書いている人を見つける。facebookで私と繋がってる人が上の人の発言に「いいね!」をつけたので私のfacebookページにもこれが表示されてしまったのだ。

「直感?実名とアホ面をさらしながら何を言ってるんだよ?そんな発言、匿名でやれよ」

とガックリきてしまった。また、これに「いいね!」をする人についても・・・。

この舞台に関する記事を読んでいると、確かに制作者の方が悪そうには見えてくる。しかし裁判はまだ継続中であり、結果がどうなるかはまだわからない。制作者側が勝つ可能性だって十分にあるし、示談が成立することだってあり得る。そんな状態なのに、「直感」なるものを信じて勢いでSNSで「応援」(あくまでカッコつき)するとかいう神経も凄い。また、こんな「応援」をされたって土屋側もかえって迷惑な気もするが。

さらにいえば、こんなことを書く人間が最後まで裁判を見守っているとは思えない。翌日には自分の投稿した内容も忘れているだろう。その点ではYAHOOに書き込みをする輩も一緒なのだが。

私としては、係争中なのでなんとも言えません、と模範的(というよりも、現状ではそう答えるしかない)な回答ができる人間でありたいと願う。

Facebookから入ってきた記事で、気になるものがあった。それは「まわしよみ新聞〜新聞メディアの新しい可能性を探る〜」というページである。

https://www.facebook.com/mawasiyomisinbun

なんか大阪の市民メディアらしいが、そこが「新聞はいま、誰が読んでいるのか?」というブログ記事を紹介していた。

永江一石のITマーケティング日記」
http://www.landerblue.co.jp/blog/?p=9150

この記事では2010年にNHKがおこなった調査結果をもとに、新聞の主な読者は60代から70代の男性という完全な高齢者向けのメディアと化している、ということを指摘している。

この記事自体には何も驚くようなことは書かれていない。周囲の友人知人を見回しても新聞を購読している人ってほとんど見かけないからだ。しかしこの「まわしよみ新聞」は、

<日本のジャーナリズムは、なんだかんだで新聞メディアが主力です。>

と冒頭でまず提示しておき、

<それで、調査結果に話を戻すと、要するに今後、世の中の人はどんどんとネットに偏重していき、世の中のニュースを知る手段も大部分はネットになっていくということなんでしょうが、しかしネットニュースの情報源というのは、現状では新聞社、新聞記者が金と時間、コストをかけて入手してきたニュースソースが大部分なわけです。
(中略)
だから新聞を有料購読するのではなくて、インターネットで「無料」で見る人が増えると、一体、どういうことが起きるのか?端的にいえば、新聞社にお金がまわらないということになる。新聞社にお金がまわらないとどういうことが起きるのか?というと、取材力や記者の質がどんどんと劣化していく・・・。>

そして、

<結構、衝撃でした。そして危機意識が芽生えてきました。これはまぢでやばいぞ、と。>

と、なんか「危機感」を抱いたらしいのである。しかしこうした一連の論理展開について私はかなり違和感を持ってしまったのだ。「何を勝手に危機感を抱いてるんだよ?」という具合に。

ある社会問題について当事者とは全く関係のない人間がワーワーわめく構図を見かけることがあるが、これもその一つという気がする。

例えば「エスキモー」という表現は「差別的」だという理由で「イヌイット」という言葉に言い換えよ、というのがある。しかし井上ひさしさんは。僕は「エスキモーでいいですよ」とエスキモーの人に言われた、と「日本語教室」(新潮新書。2011年)の中で紹介している。

何が言いたいかといえば、問題の当事者である新聞社の人たちがこの記事を書いた人ほどの危機感を持っているのか、ということなのである。たぶんほとんど持ってないのではないだろうか。

人間というのはなかなか楽天的な考えの生き物で、目の前で実際に恐ろしいことに遭わなければ危機感など生じはしない。そう考えてみれば、新聞社で働く人がそんな感覚を抱く現状などまずあり得ない。

もしも、新聞の読者が離れている!という危機感を抱くとすれば、実際に購読者数が減って会社の収入が落ち込み自分たちの給料が下がって生活が困窮していくという場面ではないか。だが実際のところ、新聞広告の売上げについてはどんどん落ちていっているものの、新聞の購読自体はそれほど激しく下がっているわけではない。その理由は、上の調査結果とも連動してる話だが、「新聞配達」というシステムがあるからだ。

考えればわかることだが、定期購読というのを続けているとなんとなく惰性が働いていく。もう必要がないかもしれないというようなものでも、まあ長年続けてきたわけだし、と止めようという気も起きなくなる。もしかしたら、長年こうして購読し続けた自分を否定してくない、という心理が働くのかもしれない。

それはともかく、新聞の屋台骨を支えているのは、他でもなく定期購読をしている人たちなのだ。そのおかげで、当事者たちは下がった下がったと嘆いているけれど、新聞社の給料は相変わらず世間一般の人がうらやむくらいの水準を保っており、その業績も販売数に関しては危機感を抱くほどにはなかなか落ちないわけだ。

新聞社にお金が回らないと取材力や記者の質がうんぬん、という部分もなんだか現実とは違う。それは新聞の仕事を高尚なものと思い違いしているからだろう。だが現場を見る限り、あの仕事に特別な能力や知性はほどんと必要ない(10年近く新聞業界の片隅にいたけど優秀な人など会ったことがない、と個人的には言いたいけれど、一般化までするのは避けておく)。

いやむしろ、一般常識すら怪しい人だっている。かつて新聞社の子会社で働いていた時、社会部の記者がある用事で訪れた。その時期は7月上旬だったか、会社の役員が変わって間もない頃だったのは確かである。その役員人事で総務局長だったSという人が執行役員に昇格していた。

その張り出しを見た記者が私の方を向いて、

「Sさんって・・・・誰?」

と訊いてきて、しばし唖然としたことが忘れられない。

私は業務上に稟議書を打つことも多かったので、役員の名前などは確認する機会は多い。しかし、社員名簿は会社のポータルサイトから印刷できる形にはなっているし、そんなものでも重役の名前は見かけるだろう。

たいした事例でもないけれど、自分の会社のことすらわからない人間が果たしてその外側を見る視点も人並み以上にあるのか。その辺はやはり怪しい気がする。

私の友人も、

「私のところに◯◯新聞(私のいた職場の本社)の人が取材に来たことがあるけど、『えー、この人が新聞記者?』って感じだったわ。漢字とか知らないし・・・」

と漏らしたこともあるが、別にその記者が特別に無能だったわけではない。むしろ、そういう人の方が圧倒的に多いというのが私の実感である。

かつて所属していた会社の本社である某新聞社は、昨年度に過去最高益を記録したらしい。しかしそれは別に経営者や社員が努力して新しい収入源を開拓したとかいったことではなく、単に人件費など諸経費を見直しただけである(もし私の指摘に間違いがあるならば、具体的な例を教えていだきたい。こちらはいつでも訂正する準備はある。万が一あれば、の話だが)。

日本は世界でも有数の人件費が高い国なので、人員整理をすれば会社の経営状況は劇的に回復する。ましてや新聞社の給与水準ならば、まだまだ全国平均より上である。仕事を回すのにも特に優秀な人材も必要はない。そう考えれば、経費の見直しを進めていけばまだかなりの期間はやり過ごせるだろう。

この記事では記者クラブの閉鎖性を同時に問題にしており、

<そもそもは政治家や官僚や企業が悪いのですが、しかし新聞社や記者クラブも、フリージャーナリストや市民メディア、ネットメディア関係者などを、どこの馬の骨かわからない存在として排斥する気分があって、ある種の「既得権益」を守ろうとしている部分もあります。まずこれを是正しないといけない。できれば早急に。>

とも書いているが、こうした指摘は確か田中康夫さんが10年以上前に言ってたなあという記憶がある。それくらい昔から根強く続いている問題であり、何を新鮮な気持ちで言ってるのかねえ、と鼻白む思いがする。

記者クラブを「既得権益」と書いているけれど、新聞業界にとって一番の既得権益は何かといえば先の新聞配達であり定期購読者である。あれが揺るがない限りは、新聞で働いている人たちが危機意識を持つことなどあり得ないだろう。

さらにこの記事の終わりで、

<もうちょっとみなさん、新聞をちゃんと買って読みましょう>

と提言しているが、それは新聞の既得権益を強化させる以外の何物でもないという気がする。そして記者クラブうんぬんも同時に崩れなくなるに違いない。

そもそもの話、インターネットの出現以降に情報が流れ出ているのは新聞だけではない。アニメも映画もマンガも音楽も同じではないか。なぜ新聞報道の情報だけを特別扱いしなければいけないのか、その理由も分からない。そういう意識の方がよっぽど「既得権益」である。

新聞やテレビといった大メディアを特別視していることが、この記事のズレを生んだ要因ではないだろうか。
170センチ後半はある坊主の男性が勤務先に現れたのは9月の後半からだったろうか。主婦の方ばかりのパートの中にあって、その長身でエプロンを着て作業する姿はなかなか異様なものがあった。年齢はまだ20歳だという。

就業形態もちょっと変わっていた。始業時間は私と同じ午前7時からだが、11時になったら「お疲れさまでした」と、いったん勤務先を離れてしまう。そして午後4時、私の業務が終わる頃にまたやってきて作業を再開するのだ。内勤の仕事が終わる午後7時まで働くらしい。

なぜこんな形になったかといえば、勤務先では朝のパートの他に午後に入れる人間も同時に募集をしていたからである。朝の勤務で応募してきた坊主の彼が面接をした際に、じゃあ午後の方もどうか?とボスが切り出して「します」と言ってこうなったらしい。

しかし、こんな歪な勤務形態がそれほど長くは続かなかった。勤務してすぐの金曜日、そして週明けの月曜日と立て続けに休んでしまう。

「I君(坊主のこと)、今日も休みだってさ。どう思う?こんなんじゃ計算が立たないじゃない!」

現場責任者の一人が、昼間の休憩所でややキレぎみにボヤいていた。

それでも坊主の彼はその後も断続的に出たり出なかったりしていった。そうして10月に入った頃、台風が通過するという日の前日だった、彼は「熱がある」ということでまた勤務先を訪れなかった。そうした連絡はボスの携帯に直接かかってくるらしい。

その翌日の朝、いつも通りに出勤すると、

「あの坊主、辞めたで」

と現場責任者の方が言ってきたのである。

「ああ、ついに・・・」

と特に意外とも思わなかった。

「やっぱり朝が辛かったんですかねえ」

とヘラヘラ笑いながら返して終わった。

しかし、あとで別の方から坊主の素性について話を聞いて少し呆れた。

「あの子、土日の水曜だったな、クラブでDJしてるんだって」

坊主頭だから野球でもしてるんじゃないかと勝手に思っていたが、DJだったとは・・・。しかしDJなんて夜行性の生き物が午前7時から仕事をするなんて土台無理な話である。ボスはそのあたりも面接で把握して雇ったのだろうか。それでも採用しなければならないくらい応募がないのか。

理由はどうあれ、朝の人員および夕方の人員を失ってしまった。そして、その代わりのメドもは立っていない。

もっといえば、パートは主婦ばかりなので色々な用事(運動会とか)で休むこともしばしばだ。先日の朝も人がいなくて、職場のボスと上の方が1人、要するに職場の2トップがパートと同じ作業をしていたのである。その光景は牧歌的といえる気がしないでもないが、「大丈夫なのかこの職場は?」と不安にもなってくる。しかし、繰り返すが、もはや私にはどうすることもできない話である。
いまの勤務先での業務が今月いっぱいと言われてしばらく経つが、特に来月以降の展望は見えていない。いちおう派遣会社から1件だけ話があったものの、年末までしか働けないなど条件があまり良くなかったので保留にした。

そんな不安定な状況の中でも現在の仕事は継続中であり、変わらず淡々と作業をしていた時の話である。手がすいた時に現場責任者の方が寄ってきて、

「派遣会社から契約を断ることってあるのか?」

というようなことを私に訊ねてきたのである。

「え?それは・・・」

質問の意図がわからずしばらく言葉に詰まってしまったけれど、話を聞くとこういうことだった。私が今月いっぱいで契約が切れるということで、現場では人が足りてないのにどうしてだ?と職場のボスに問いただした人がいたというのである。

ボスの返答はこんな感じだった。いままで4ヶ月とか2ヶ月とか1ヶ月とかバラバラの契約期間で更新していたけれど、そういう形は困る、と派遣会社が言ってきて終わりになったと。そんな説明だったらしい。

全てにおいて釈然としない話である。まず第一に私は契約期間について意義を唱えたことは全くない。となれば、派遣会社独自の判断で契約解除を切り出したことになる。そんなことはありえるのだろうか。派遣会社の立場としては1ヶ月だろうが1日だろうが契約期間を延ばしてもらって利益をあげたいと考えるのが自然だろう。

そのそもの話、契約期間がバラバラといった点を派遣会社が問題視するというのも矛盾している。不安定雇用の代名詞である派遣業が安定した雇用など口に出すものか。ただ今月から労働者派遣法が改正(ザッと内容を見た限り「改悪」な気もする)されて色々と派遣業にも縛りが出てきているのも確かだが、それは今回の件とはおそらく関係ない。

勤務先の状況に目を向ければ、この1ヶ月で派遣が1人契約解除されパートが1人辞めてしまい頭数は十分ではない。しかし、それに対する手当てはいまだにされていない。そんな中でまた派遣を一人切ることは現場としては筋が通らない。そして「なぜ?」と訊かれ、ボスが苦し紛れに発した詭弁が上の説明だったのでないだろうか。

ちなみにここのボスについて良く言う人が一人もいない。どうも自分の考えたことは杓子定規に進めていく傾向にあり柔軟な対応ができないらしい。私の契約解除も以前から決めていた計画を覆したくなかったからだろう。

ただ、そんなやり方のおかげで内勤の部署も外勤の部署も至るところでひずみが生じてきている。しかし、もはや私にはどうすることもできないのが辛いところだ。私が抜けた後に誰が穴埋めをするかも決まっていない。ボスが頑張るのかねえ。
9月25日(水)の午後8時53分、一人で近所の居酒屋のカウンターに座っていたら携帯が震え出した。発信元は登録している派遣会社である。

「ついに正式な連絡がきたか・・・」

と少し身構えて電話に出た。要件はもうわかっている。11月以降の勤務先との契約についてだ。

「契約ですが、10月いっぱいということになりました。また次の勤務先を探しますが、連絡が10月に入るかもしれませんので・・・」

「わかりました。こちらは当てもないので、よろしくお願いします」

と話を手短かにして電話を切って、再び飲み直した。

契約が終わることは、実はもう予想がついていた。その日の朝に勤務先の現場責任者から、

「残念だけど、終わるらしいで」

と聞かされていたためだ。

そもそもの話として、契約は長くて今年の11月くらいまで、と働き始める時に言われてはいた。だからほぼ予定通りとはいえる。私と同じ派遣会社の女性は9月いっぱいをもって終了となった。11月以降は派遣社員を雇わないという方針なのだろう。

それは会社の立場を考えれば自然な選択ではある。業務内容から考えると時給は高めだった(実際、近くで働いているパートの方よりも高かった)。それは早朝からの勤務という理由もあったかもしれないが、

「そんな時給、絶対払いたくないわ」

と、カウンター越しの居酒屋店長も言っている額である。しかもその上に派遣会社の取り分も乗っかってきて人件費は跳ね上がってしまう。聞けば勤務先は昨年に大規模なリストラをおこなったらしい。そんな状況の下でこの待遇のまま何年もいられるとは到底考えられなかった。

落ち込んでないと言えば、それは嘘になるだろう。いままで先方から切られたという経験はなかったからだ。いずれも自分から切り出して辞めている。バイトしていたコンビニが閉店するためクビになったということはあったけれど。

ただ一方で、ここで勤めて半年経ったあたりから体がキツく感じてきたのも否定できない。最近は慢性的な寝不足という具合で、昼間はいつも仮眠している状態になっていた。

そんな思いが錯綜しているため、10月をもって終わるのは良かったのか悪かったのか、その辺りの判断は微妙なところである。生活ができなくなる恐れが出てるのだから、本当はもっと危機感を抱くべきかもしれない。しかし10年近くいた職場を離れて最初に入った場所が6ヶ月、その次が7ヶ月半、そして今回がおよそ10ヶ月である。そんな状態を繰り返していると、まあこんなものかなあ、という気持ちになってしまうようだ。

とりあえず現状では指をくわえて派遣会社からの連絡を待つことくらいしかできない。歳も歳だし、たいして資格技能もない人間だから紹介された案件をとりあえず受けようという姿勢ではある。

ではあるけれど、

「干物をつくる仕事なんですが・・・」

とか言われたら、たぶん考えてしまうだろうな。そんなことを思いながらしばらく不安定な気持ちで日々を過ごすことになりそうである。
無駄欠勤や遅刻そして暴言などで周囲を騒がせていた朝のパートが、この9月20日をもって勤務地を去った。彼のために不愉快な思いをしながら働いていた方々も少しはホッとしたことだろう。

私もそんな一人であるが、内心ではそんなに穏やかな心境でもない。

「次は、俺の番かなあ・・・」

という思いが頭の中にちらついているからだ。

周囲の友人には少し漏らしていたけれど、9月いっぱいで現在の契約期間は終わる。そして8月下旬に派遣会社の方から更新の通知はあったものの、なんとその期間はわずか1ヶ月だったのである。

「勤務先によれば、今後のことはまだ決めかねているということなので・・・」

と電話越しの声は歯切れが悪い。まあ、もともと契約期間は「今年の11月までくらい」と事前に言われていたので、予定通りといえば予定通りではある。

それと同じ頃、職場では内勤の契約社員を一人採用した、という噂を聞く。その人が仕事を覚えたら私のお役御免ということだろうか。

契約社員を直接雇用するのが派遣社員を入れるより得なのかどうか厳密にはわからないけれど、私の時給に加えて派遣会社に支払う手数料もあるのでそんなに安い買い物でもないのは確かである。会社の理想としては時給が安くあがるパートで全てを回したいところだろう。私が会社側だったらそう判断する。

今年の1月上旬からこの場所で働いていたわけだが、「次は危ないかも・・・」と思った瞬間はこれまでにもあった。以下が私の契約期間の推移である。

最初の契約期間:3ヶ月(2013年1月〜3月)
1回目の契約更新:2ヶ月(4月〜5月)
2回目の契約更新:4ヶ月(6月〜9月)
3回目の契約更新:1ヶ月(10月)

と、すべて期間がバラバラである。その前の勤務先では3ヶ月ごとだったので、それと比較すればよけいに不安定さが目につく。

ヤバいと感じたのは契約期間が2ヶ月の時で、これを提示された時は、

「(勤務先は)これから更新しないとは言ってませんから・・・」

と派遣会社の担当が言っていたのを今でも覚えている。たぶん、この時期も次の契約が怪しかったのではないだろうか。

はっきり言うけれど、私が現在している業務は誰でもできる内容である。特殊な技術や資格など一切いらない。ただ、休憩時間以外はずっと立ちっぱなしで荷物もけっこう運ばないといけない。しかも始業時間は、午前7時だ。この時間を聞いてちょっと躊躇する人も少なくないだろう(私もそうだった)。

そんな条件のあまり良くない場所のため、パートや契約社員の定着率も高いとはいえない。毎月毎月、一人くらい誰かが消えていっている。私の代わりになるはずだった契約社員も、必要書類を提出せずに消えてしまったと聞く。

まもなく9月も終わりを迎える。私の去就については、週明けにははっきりするだろう。

ふと頭から湧いてきた「自己責任論」
先週に引き続き3連休であるが、ゆっくりできる経済的な余裕もないので土曜日だけ休みにした(先週も同様)。台風が迫っていた1週間前とはうって変わって快晴だし、部屋にこもるのももったいない。そこで午前10時ごろ自転車で平安神宮方面へと向かう。

ラーメン激戦区で知られる京都にあって1軒、うどんで気を吐いている店がそこにある。「山元麺蔵(やまもとめんぞう)」という名前で、訪れるのは実に数年ぶりだ。かなり前から行列のできる店となっており、それゆえ土日や祝日に行くことはなかった。かつては平日に休みを入れ、開店時間直前にスッと入るということをしていた。混雑もそれほどでもなかったからである(最近はどうかわからないけど)。

「早めに行った方がええんとちゃう?」

連休前に勤務先の人とそんな会話をしていた。それで開店時間(11時)の30分前くらいに店へ行ってみることにする。早めに訪れて良かった。すでに店の前には10人以上も並んでいるではないか。もっと遅れて来ていたら余計に待たなければならなかっただろう。

「入店まではざっと1時間くらいかな」

そんな勘定をしながら、カバンをから本を取り出して待っている。すっかり朝晩は寒いくらいに涼しくなっているけれど、昼間はまだまだ暑い。お店もその辺りは配慮していて、並んでいる間に注文を確認するだけでなく、待ってる人に冷たいほうじ茶を出したり日傘や団扇を渡したりしていた。ここまでする店はあまり思いつかない。

開店時間を過ぎてからも列はなかなか解消されない。ラーメンと比べてうどんは茹でる時間もかかるかもしれないが、回転率が悪い理由はおそらく他に大きな原因がある。本を見ながら時おり行列を見ていると、外国人観光客、カップル、そして家族連れが目につく。2人以上のお客は一人と比べて座る時間も長いのは必然だ。

ようやく入店できたのは11時40分くらいだったか。入るなりお店の人が、

「すいません・・・相席でしたらすぐご案内できるんですが・・・」

と申し訳なさそうに言ってきた。別に抵抗もないので、

「それでお願いします」

と答えてテーブル席に着く。向かいにいる二人のお客は外国人だった。その二人が食べ終わって後にしたら、

「すいません・・・また相席でもよろしいでしょうか・・・」

とまた困った顔でお店の人に言われる。

「はい。どうぞ」

と私は即答した。

それから3分くらいでうどんが出てきた。

「早く食べないといけないかなあ」

と頼まれもしないのに、さっさと目の前のものを片付けた。そして席を立とうとしたら、

「あの・・・一口ですが杏仁豆腐です。あと、お茶のおかわりはいかがですか?」

とお店の人が小さいお鉢に入った杏仁豆腐を持ってきたではないか。

「ああ、お茶はもう大丈夫です」

と言いながら、杏仁豆腐を3秒で食べて会計を済ませようとしたら、

「相席にご協力いただいて、ありがとうございます」

と店のご主人が頭を下げてきた。もう何年も行列が続いてるというのに、こうした姿勢は信じられない.むしろこちらの方が恐縮してしまう。

「いえいえ。数年ぶりに来ましたけど、相変わらず繁盛してますね」

と笑顔で返してお店を後にした。1時間待ったものの、その接客の素晴らしさにまた近いうちに訪れたくなった。

ただ実際のところ、昨夜は遅くまで飲んでいたせいもあったかもしれないけれど、待っている間は日差しがけっこう体にこたえた。それでも入りたいから勝手に立って待っているわけで、これは自己責任というものである。

しかしながら、炎天下の中を小さい子が黙って待っている姿はなんとも痛々しい感じがする。この子たちは親に強制的に連れられてきたわけで、そう考えると余計に暗い気持ちになる。小さい子がラーメンやうどんをそこまでして食べたいとは到底思えないし。

少し前に音楽ライターの山崎智之さんがロック・フェスティバルについて書いた記事を思い出してしまった。

「ロック・フェスは幼児虐待の道具になっていないだろうか」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamazakitomoyuki/20130807-00027092/

<幅広い年齢層をターゲットにした、自然との調和を図るフェスティバルということで、近年は親子連れも目立つようになったフジ・ロック。ベビーカーをガラガラ押しながらステージを移動する姿は微笑ましいが、ハッキリ言って、この環境はかなり苛酷なものだ。降りしきる雨、時に顔を覗かす灼熱の太陽。大人でもキツイのだから、子供にとってはそうとうな試練であることは間違いない。しかも子供たちは音楽が好きで自主的に来ているわけでもなく、親に連れてこられただけだ。

ベビーカーにかけられた雨よけビニールの向こうにいる幼児の立場になってみよう。激しい雨がビニールにぶつかって、視界を閉ざされ、大音量の演奏と観衆の声援が耳をつんざく。しかもそれが何時間も、普段の就寝時間をはるかに過ぎた深夜まで続くのだ。初日、ナイン・インチ・ネイルズ終演後の午後11時半過ぎ、興奮に瞳孔を開かせながらベビーカーを押す父親がいた。その手首には、3日通し券のリストバンドがあった。これは幼児虐待といえるのではないだろうか。>

ロック・フェスとはだいぶ毛色は違うけれど、行列のできるラーメン店なども家族連れで行くにはあまり相応しくないのではないか。外で1時間とか待つのはなかなか辛抱がいるし、端からみれば滑稽な姿でもある。だからこそ、誰かを道連れにするような真似は避けなければいけないだろう。家族で来るなと言うつもりもないけれど、正直いって「他に選択肢があるのでは?」という疑問は抱いてしまう。

私がよく訪れる某ラーメン店は小さい子を連れたお客は入れない。いままでは「横暴なルールだなあ」とちょっと苦々しく思っていたけれど、今日になってそういう理屈もなんとなくわかる気がした。

さきほど私の後ろに並んでいたのは若い夫婦で、男性の方はまだ立つこともできないような子どもを胸に抱いていた。その子はやはり待つのが苦しいのか、しばしば泣きわめいている。

その声を後ろで聞いていた私は、

「ああ・・・あなたは不幸な星の下に生まれてきたのかもしれないねえ」

と頼まれてもいないのに、その子の将来を案じてしまった次第である。
Fさん、陰で「味覚障害」と言われてますよ
日頃はよく外食をしているし、Facebookにも食べたものの写真を載せることが多い。すると、

「ラーメンブログとかしないの?」

などと言われることもしばしばだ。しかしそんなことをするつもりはないし、これからもありえないだろう。それにはいくつか理由がある。

勤務先の外勤の方で、Fさんという人がいる。51歳の男性だが、頭は丸坊主で見た目はもっと老けて見える。それはともかくとして、Fさんは私に会うたび自分の気に入った飲食店やコンビニの商品などをやたらと勧めてくるのだ。

ある時、彼は私に某所のカツ丼を勧めてきた。

「渡部っち、ここのカツ丼はめちゃくちゃ美味いでえ。感動するでえ。心に残る味やでえ」

とものすごく嬉しそうな顔で言ってくるではないか。

「心に残る味」って凄い表現だなあと思い、帰り道とは正反対であるものの自転車を20分くらいこいでその場所へ訪れる。

その店は合宿所の食堂のような佇まいで、正直いって美味いものが出るような雰囲気でもなかった。自分の意志ではまず入らないところである。

「しかし、まあ穴場かもしれないし・・・」

と席に座って問題のカツ丼を注文してみた。そうして出て来たのは「かけカツ丼」と言われるものだった。カツをタマゴで閉じるのではなく、ご飯にカツが乗っかっておりその上にタマネギやタマゴを煮たものがかかっている。参考に、ネットで拾った「かけカツ丼」の画像を載せておく(私の行った店ではありません)。

こういうカツ丼は確かにお店ではそんなに見かけないとは思う(昔、死んだ祖父が家でこういうのを作ってくれた記憶があるが)。しかし、タマゴで閉じないでかけただけであり、特別に美味しいというわけでもない。ましてや、感動して心に残るかといえば・・・これ以上はもう言いたくない。

その後もFさんは、あそこのラーメンが京都で一番うまい、とか何だかんだと私に言ってくる。その時の彼の姿は実に楽しそうなので、私もつい奨められるがままに何軒か試してはみた。

しかし、多くの場合、

「まあ、まずくはないけど・・・敢えて人に推すようなものでもないような・・・」

ということばかりであった。私の実感では、Fさんの奨めるもので当たる確率は1割にも満たない。せいぜい20分の1、五分程度だと思われる。

Fさんは私以外の職場の人にもしきりに声をかけているようだ。しかしその評判ときたら、

「あのオッサン、食べ物の趣味おかしいで!」

「なんかやたら奨めるから行ったけど、行ってみたら別に普通・・・。味覚音痴なんちゃう?(笑)」

と、陰ではもうボロクソに言われているのだ。「味覚障害」ってひどい表現だなあと思うももの、まあ40%くらいはその意見に同意したい。

私が日記で、あれが美味い/不味い、などとは書かない理由を察していただけただろうか。私はFさんのようにはなりたくないのである。当の本人はいたって楽しそうに生きているようだが。

ある日の昼休みのことである。休憩室で食事を終えてボーッとしていた私の向かいで、職場のボスと現場責任者の一人が並んで何やら話をしていた。

現場責任者の方はボスには顔を背けて、

「私、もう指導なんてしませんからね!」

と仏頂面で吐き捨てるような口調で言った。

それを受けたボスは、

「もう契約更新はしないから・・・。あとちょっと働いてもらって、ご苦労さん、ということで・・・」

と彼女をなだめるように話している。

これは一体なんだろう、と横で盗み聞きをしている時はわからなかった。しかし後日、こうした出来事が引き金だったらしいと知った。

朝パートにやって来るドヤ氏が、勤務地で商品を運ぶ時にちょっと危ない持ち方をしていたらしい。商品が破損したらまずいと思った責任者が彼に対してその持ち方を指導したのだ。

もし私がドヤ氏の立場だったら、

「ああ、すいません。これからは気をつけます」

と平謝りをする程度だったと思う。注意されるのは面白くないにしても、まあ、こちらに落ち度があるわけだから。

しかしドヤ氏は、

「アホンダラ。俺も商売してるからモノの大切さくらいわかっとるわ!今までこうしてやってきたんじゃ!」

と真っ向から反対したというのである。それが先ほどの二人が話をしていた日の午前に起きたわけだ。

現場責任者に対してちょっと言われたくらいでそこまでムキになるドヤ氏の幼児性も凄いけれど、その行動を支える「いままで俺はこうやって生きてきたから正しい!」とかいう類の根拠のない自信はわりと色々なところで見られる気がする。

あれは去年(2012年)の1月だったか。(ちょっと前にいた職場での)勤務を終えて京都駅の地下を歩いていた時にかつての上司(広告局長まで勤めた人)とバッタリ出くわした。その時は午後8時を過ぎており、向こうはすっかり紅い顔で絶好調な状態になっていた。そして私の顔を見るなり、日記(ブログ)を更新しろだの次の行き先を決めてから会社を辞めるべきだっただのと、酔った勢いにまかせて色々と勝手なことを言ってきたのである。

仕事が終わって疲れた身でそんなことを言われたのかこちらもムッとなり、何偉そうに喋ってんだよ、と言い返してみると、

「俺は(某新聞社の)社友やで」

と寝ぼけた(正確には、酔っぱらった、か)ことをほざいてくるではないか。

「関係ない!こっちは新聞社の子会社に所属していた人間だし、もはや上司でもなんでもないんだから」

とあしらってやったら、言うに事欠いて先方が吐いたセリフが、

「俺は、年上やで」

だったから呆れて言葉も出てこなかった。

年齢が上だとか下だとか、一つの職場に何十年勤めたとかといったそんなどうでもいいことで無条件に周囲が持ち上げてくれると思っているのだろうか。例えばレナード・コーエンが尊敬されるのはあの年齢(今年で79歳)で活動しているからではない。その作品やライブの内容に対して敬意を払われているのだ。

そういえば身内と話して口論になった時、

「お前、何を根拠にそんな偉そうなことを言ってるんだ!」

と問いただしたら、

「それは・・・お母さんがいままで生きた経験が・・・」

と同じようにボケた台詞が返ってきたことがあるような気もする。年長者というのは言うことが無くなると年齢や経験を拠り所にしようとする傾向があるのかもしれない。

しかしそれに対して、

「何が経験だ!頭がボケて体がぶっ壊れてきただけだろうが!」

とこちらは切り返した気がするが、これは話の本筋でもないのでこれくらいにしておく。

どうも人間というのは生きているだけで根拠もない自信を抱いてしまうらしい。かつての上司も身内もドヤ氏も同じ流れにいるように感じる。しかしそれは「馬齢を重ねる」という以上の意味はないだろう。「量が質を凌駕する」ということは人生には必ずしも当てはまらないのだ。経験や年齢によって尊敬されることを期待するよりも、敬意を抱かれるような人間になるよう努力する方がずっと大事だと私は考える。

それにしても、仕事が適当な上に遅刻や無断欠勤までするドヤ氏は今回の件でけっこう致命的なことを言ったのではないだろうか。おなじ職場にいる者としてはこの行方を見守りたい。

職場に朝の時間だけパートに来ているドヤ氏に関わる話は、まだある。

彼と私の始業時間は同じで、午前7時からだ。私はいつも始業開始の10分前くらいに職場へ来るようにしている。現場責任者に頼まれている雑用がありそれを片付けているからだ。ただ、そういう作業がなくても多少は早めに出勤するのが社会人のたしなみではあると思う。

しかし、問題のドヤ氏といえば、例外なく始業開始の2、3分前くらいのギリギリにやってくる(下手をすれば遅刻、または無断欠勤もする)。これはおそらく職場のボスが、始業時間の直前の出勤でいいよ、と言われたからだと思われる(私もそんなことを言われた記憶がある)。

別に私はアルバイトを管理する立場でもないし、ギリギリに出勤するくらいならそれほど気にしない。それがその人のペースだと思うからだ。しかし、ドヤ氏にはこれに「おまけ」がつく。彼は職場に着いたらまず打刻(だこく。タイムカードを押すこと)をして、それからエプロンを着て勤務を始める、かと思えば喫煙スペースに行ってタバコを吸い出すのである(さらに缶コーヒーを飲むこともある)。

これにはさすがの私も、

「それはちょっとまずいのでは・・・」

と思ってしまった。時計の針はもう午前7時を回っているのだ。勤務時間に入っているというのにどうしてここで喫煙をするのか。

現場責任者も、

「始業前にタバコを吸うの構わん。ただ、打刻してからというのはおかしい」

と私に言っていた。そして一度は彼にも注意をしたという。しかし言うこともきかないのでそれで終わりにしたらしい。その判断は賢明だったと思う。こんな輩にどう言ったところで従うわけがないのだ。

ドヤ氏の手法(?)は終業に関しても同じような手口を使う。彼の終業時間は12時までだが、「11時57分」くらいで仕事を切り上げるのを常としている。なぜそれがわかるかといえば彼が職場を離れる時に、

「お疲れさぁでしたぁ!」

みたいにデカイ声で終わりと告げるからだ。これは別に彼が礼儀正しいとかそういうものではなく、いわば「居酒屋のノリ」というか「飲食店のノリ」なのだろう。さすがに声を出さずにこういう業種はできまい。

それはともかく、ドヤ氏は12時まで働くことはまずない。理由は始業と同じことで、終わってから着替えて打刻をする頃には12時ちょうどになるという計算をしているのである。こうやって具体的に書いていると、実に彼のケチくさい魂胆が見えてイヤーな気持ちになってくる。

しかしながら、12時57分までしっかり(?)働くというのは、彼にとっては「まだマシ」な方である。酷い時には、11時50分くらいに喫煙スペースに行き、そのまま終業時間まで居座るということもあるからだ。私はこの時間はその喫煙スペース近くで作業しているが、頼みもしないのに自分の作業に彼が加わってきた時もある。

「別に一人で大丈夫ですけど・・・」

と追い払おうとしても、

「いや、手伝いますわ」

と言ってくる。

「何が、手伝います、だ。自分の持ち場に戻りたくないからといって、取ってつけたようなことするな!」

とかなり頭にきた。

こういう時に現場では、

「あれ?ドヤさんどこ行ったの?」

「いないね。帰ったんじゃないの?」

と苦笑の交じった会話が展開される。ドヤ氏は、例えは実に古いが、「腐ったみかん」だとつくづく思う(「腐ったみかん」の意味がわからない方は、ネットで適宜参照していただきたい)。

むろん、就業時間中にちょくちょくタバコを吸っているのも変わらない。彼のおかげで仕事が増えた私(彼がしない分を押しつけられたのだ)を尻目に、恍惚の表情で喫煙をしながら、

「今日は水曜日でしたよね?」

と訊いてきたことがある。

面倒くさいし彼の相手もしたくないので、

「はあ、そうですけど」

と無愛想に答えた。曜日なんて気にしてどうするんだと思ったら、

「今日は・・・週刊少年マガジンの発売日やね!」

と彼は満面の笑みを浮かびながら、そう言った。目当てのマンガでもあるのだろうか。

はー、私もなんだか腐ったみかんになりそうな心境である。

今の職場に来てからずっと普段着で仕事をしてくる。外勤の方はスーツで統一しているが、内勤は特に指定がない。パートの人たちはなぜかみんなエプロンをしているけれど、私は特に何も言われぬまましばらく仕事をしていた。

しかしある日、いつものように作業をしていたらボスが近くに来て立ち止まり、

「ヒラヒラするから・・・シャツのボタンを止めるように」

と切り出してきたのである。

「シャツが出る程度で支障のある作業でもないはずだが・・・」

と訝しく思ったものの、私の生殺与奪の権限を握っている上司である。彼からの指示は重く受け止めなければならないだろう。また、そんな些細な話で争っても何も始まらない。その時からシャツのボタンは止めて作業をすることにした。

しかし、ボスの要求はこれで終わらなかった。それから数日経って、また作業中に私のそばに来て立ち止まり、

「だらしないから・・・シャツは中に入れるように」

と再び服装に指示を出してきたのである。

これに対しては、

「うーん・・・いまどきシャツをスボンの中に入れる人ってそんなにいないんだけどねえ・・・」

とさすがに違和感を抱いてしまった。ましてや私は内勤であり、外部の人と接触するわけでもない。しかし、これまた業務命令と解釈してすぐシャツを入れた。こうしたことに対して特に若い人はこだわりを持つかもしれないが、私にとってはこの程度のことに抵抗するのは時間の無駄と思っている。そんなことを貫いて何が生まれるというのか。そう考えてしまうのだ。

そんなわけで、以後はボタンを止めるシャツは入れるで作業をするようになった。それに慣れてしまったある時、そのまま仕事を終えた帰りに大宮通を歩いていたことがある。ちょうどその姿を見た友人から、

「なにシャツを中に入れてるんや?どこのオタクが歩いてると思ったわ(笑)」

と言われてしまった。それ以来、職場を出るとすぐシャツを出してボタンを外すことにしている。

どうでもいい話をするけれど、私は自分のことを「オタク」とか「マニア」といった人種と思ったことはない。そんな域に達する知識とか勤勉さとか熱心さを持ち合わせていないからだ。ただ、そういう雰囲気の人間であるとは自覚している。これでリュックサックを背負ってウエストポーチを付けたら外見は完璧なそれである・・・絶対にしないけどね。

しかしこうした上司の指示があまりにくだらないので、ある日の昼休みに職場の方へその話を伝えたら、

「あのオッサン、アホちゃう?」

という反応が異口同音で返ってきた。内心、私もそう思っている。ただ、繰り返すが、そうした低次元のことに関しては私はさっさと妥協するようにしているから気にはならないし、すぐ相手の指示に従う。

だが、そんな素直な私もどうしても納得いかない部分が一つだけある。それは私のことではなく、朝にパートへ来るT氏の格好についてである。

実は、彼の服装について私はずーっと気になってしかたないところがあった。それは、彼がいつも短パンを履いていることである。足首が出ている程度の短パンであるが、それがいつも目に入ってくる。

例えば倉庫内作業をする場合、短パンというのはまず認められない。うるさい場所だとチノパンとか安全靴とか具体的な指定が入るだろう。台車とかフォークリフトとかが通る場所は足元が危ないからだ。今の職場は別に倉庫でもないしそんな大きい場所でもないし、小さい台車を少し使う程度の規模でしかない。ただ、それでも短パンはふさわしくないのでは・・・と思ってしまう。なんだかT氏のたたずまいが海や川へ遊びに来てるように見えてならないのだ。

そもそも、T氏から発する雰囲気がどうも「働く」ということとかけ離れているような気がする。もはや誰も彼を弁護することもないだろうから言わせてもらうけれど、最初に見た時は、

「ボス。この人はどこのドヤから拾ってきたんですか?」

という印象だった(「ドヤ」が何かご存知ない方はネットで適宜調べていただきたい)。そして実際の彼の働きぶりはどうだったかといえば、以前の日記を参照していただければと思う。ともかく、これからは「ドヤ氏」または「ドヤさん」と彼のことを呼びたい。

だが、ボスは彼の短パンに対して何か言っているような気配はない。まあ、あんな面倒くさい人間に対してあれこれ指示をする気もないのだろうけれど。

そういえば職場の人がかつて、

「渡部君、Mさん(ボスのこと)の言うことをハイハイ聞いてたらどんどん言ってくるから注意しなよ」

と忠告を受けていたことを思い出した。

うーん、それなら私も少しは面倒くさい人間になってみようか。そうしたら、今より働きやすい環境になるのかもしれない。別にそこまでストレスを感じてないけれど。

月末や月初が忙しい会社も多いだろう。私の勤務先も同じ事情で、8月1日は珍しく残業を1時間ほどしてから帰る。だが、その2時間後に職場でとんでもないことが起きるとは全く予測ができなかった。

これは今日の昼前くらいに、現場責任者の一人から直接聞いた話である。しかし、いまだに、

「あり得ない話でもないが・・・信じがたいなあ」

というのが正直な感想だ。

その現場責任者の方は私(午前7時出勤)より遅出の出勤になっていて、午前10時15分に職場にやってくる。そして午後7時とか8時くらいまで仕事をするという。その時点で職場のフロアにいる人は彼女と、これまた遅出のパートさん(基本は午後2時から6時まで)の女性1人だけである。

その日は月初ということもあり作業はたまっていて、パートのIさんも定時で終わらず残業していた。現場責任者の人とIさんは離れて別々の作業をしていた。時計の針は午後7時を回っていた頃である。

その時、遠くにいたIさんが突然、

「なんかエプロンを着た知らない男性が立っている!」

と言って駆け寄ってきたのだ。

こんな時間に誰が?と責任者の方が行ってみると、そこにはいたのは・・・朝の時間パートに来ているT氏だったのである。あの無断欠勤男のことだ。

T氏の正確な勤務時間は午前7時から11時の4時間である。よって午後2時から来るIさんは彼の顔を全く知らなかったので驚くのも無理はなかった。

いや、たとえ顔を知っている責任者にしても、目の前の出来事が把握できないでかなり困惑していた。

それでも、

「て、Tさん・・・何やってんの?」

となんとか訊ねてみる。

しかし、

「え?なんですか?今日は会社、休みなんですか?今日は何曜日ですか?」

と、いまだに現状が認識できないでいる。

「店はどうしたのよ?もう開けてるんじゃないの?」

そう。T氏の本業は居酒屋の経営なのである。正確な営業時間は知らないが、午後7時の時点でたいていの店は開けているだろう。しかし、当のT氏はそこからはるか離れた場所で、エプソン姿をしたまま立っているのだ。ちなみにエプロンはパートの人はなぜかみんな着用して仕事をしてる(私はしてません)。

「大丈夫?大丈夫?」と肩を揺さぶられ、店のことを言われて、

「あ、ああ・・・」

とようやく事情に気づいたのか、そのまま彼は職場を後にしたという。

ここからは現場責任者の話である。

「Tさんって、仕事が終わってから店の仕込みをするのよね。おそらくその後に仮眠をとってるんだろうけど、そこから寝ぼけて午前7時と午後7時を間違えたんとちゃうかなあ?いま午後7時はまだ明るいし」

「でもねえ、私らも寝ぼけて『あ、いま朝?夕方?』と訳がわからなくなることってあるけど、普通はどこかの時点で気づくでしょう?そのままこうやって行動に移すって・・・ありえへんわ(笑)」

「しかも、あの人、ここ(職場)までバスで来てるのよ(笑)。寝ぼけてバスにまで乗ってくるなんて・・・」

いろいろと話を聞いたものの、私が返した答えといえば、

「いや・・・可能性はゼロとはいえませんが、いまだに信じられないんですけど・・・」

と煮え切らないものだった。

話はさらに続く。

「今日Tさんに会ったわけだけど、昨日のことはちっとも口に出さないのよ。普通だったら『昨日はお騒がせしました』とか一言くらいあるでしょ?あの人、本当に寝ぼけてたんじゃないなあ。私も昨日のことが本当のことかどうかわからなくなってきたわ・・・」

これをご覧になった方は、すんなりと信じられるだろうか。事実は小説よりも奇なり、という言葉があるが、これはそういう類の話のような気がする。
よほど支持している政党や政治家がいなければ関心もなかっただろうが、今日は参議院選挙の投票日だった。

その日は用事で昼前から左京区の方にいたが、道を歩いていると自転車に乗っている初老の男性から、

「投票場所ってどこやろう?」

と横からいきなり声をかけられたのである。

あまりに唐突な質問だったので、

「あー、私は上京区の人間なので・・・(笑)」

とおもわず真面目に対応してしまった。しかしそれを言ったあとハッと気づいた。

「あ・・・ハガキに・・・」

と言いかけたのだが、その男性はブツブツ何かを言いながら過ぎ去っていった。

私が言おうとしたことの見当はつくと思うけれど、投票する場所はハガキにしっかりと明記されているわけである。もし本当に投票しに行くんだったらハガキもしっかりと持っているはずで、それを確認すれば数秒で済む話でしかない。

いまはネットで調べれば簡単な情報はすぐわかる時代になった。それゆえ、安易に掲示板などで質問してくる人に対して、

「ググれカス」(「そんな簡単な情報はグーグルを使って自分で調べろボケ」という意味)

という悪罵がしばしば投げつけられるが、もう上の質問はそんなレベルの遥か下をいっている。キーボードを打つ手間もいらないのだから。

わざわざ赤の他人にこんなことを訊いてきたあの男性はいったい本当に投票場へ行くつもりだったのか?その意図がさっぱりわからない。しかし、もし詮索しても「最近の若いもんはなっとらん!」とか逆ギレしそうな気がする。そんなことも自分で調べられない人がもはや他人の質問に答えられるわけがない。そういうこともあって、今日1日はなんとなくイヤーな気分で過ごすことになった。

後でこのことを周囲に話したら、

「僕、選挙権が無いんでちゅー、と言えば良かったんや」

とある人から笑われた。そうだなあ。私の答えは真面目過ぎたとつくづく思う。

お急ぎでしたら・・・
サラリーマンでない方々には先月、住民税の請求が届いたことだろう。私も派遣社員で住民税が給料から引かれる形になっていないため、直接支払っている。現在の収入額が乏しいので金額もたかがしれているけれど、厳しいものは厳しい。こないだ自転車の修理に1万かかった時には、次の給料まで支払いを保留しようかな、と本気で検討したほどである。

その支払い期限の一発目が本日7月1日であった。他人のことはわからないけれど、自分の場合は一括払いもしくは4回払い(金額が4分割されている)の納付書が送られてきている。一気に全て処理するのが最も楽に決まっている、のだが、もちろんそんな余裕は自分にない。とりあえず4枚の納付書の1枚目を期限内に片付けようと、仕事が終わったらすぐ最寄りの郵便局へと向かった。職場から歩いて5分程度の場所にある郵便局だ。

「これで期限にギリギリ間に合った」

とホッとしたのも束の間で、窓口を見ると受付を片付け始めているではないか。

「あー、申し訳ありません。窓口は4時で終了になるので・・・」

と職員の女性が困った顔で言ってきた。

しまった。窓口は4時までだったか。時計はもう4時20分を回っていた。建物の中に入れたからまだ業務をしていると勝手に思ってしまったのである。

「あの・・・これ、今日が支払いの期限なんですけど・・・」

と納付書を握ってこちらも困った素振りを見せると、

「どうしてもお急ぎでしたら・・・」

と切り出してきたので、

「お?受け付けてくれるのかな?」

と、一瞬だけ期待した。

しかしそんな例外など認められるはずもなく、

「お急ぎでしたら・・・京都駅近くにある中央郵便局は6時まで受け付けておりますが・・・」

とご丁寧な代案を出しくれた。しかし、京都駅ってここから自転車で30分ちかくはかかるだろう。しかも自分の部屋とは全く逆方向だ。

行くか行くまいか。ちょっと悩んでいたら、

「あの、京都市の分(納付書のこと)ですよね?それだったら明日でも大丈夫ですよ」

と職員が余計なことを言ってきたのでちょっとムッときてしまった。支払いが1日やそこら遅れても大事に至らないことくらいわかってるわい。

「そうですか!ありがとうございました!」

とその場を立ち去り、すぐ自転車で京都駅まで向かう。

「もうこうなったら、意地でも今日中に処理してやる」

自分の頭にはそれしかなかった。

賢明で合理的な思考をする方ならば、

「職場から徒歩5分のところに郵便局があるんだったら、明日の昼休みにでも行ったらいいんじゃないの?」

と疑問を抱いたかもしれない。それは全くその通りである。しかし、こないだの自転車の件もそうだが、

「この件については今日中に始末をつけるんだ!」

と決めたら自分はどうにもならないようである。ましてやこうしたお金の処理はとっととケリをつけないとズルズルと支払いを延ばしてしまう気がする。自分はそういう人間なのでその辺りのことがよくわかっている。ましてや支払い期日は今日であるし、期限内に終わらせたいのが人情だ。また本日は2013年後半の最初の日というのもなんとなく頭にあった。それに、翌日の昼休みをこんなことに費やしたくないという思いもある。

グダグダと理由を並べたけれど、つまりはとっととお金の処理をしてスッキリしたいというだけのことだ。こんなことを引き延ばしても良いことは何一つない。

中央郵便局に着いたのは午後5時10分くらいだったか。番号札をもらって3分ほど待った後で支払いはスッと受け付けてくれた。これでとりあえず一安心、だが次の支払いが9月1日である。こういうイヤな日はすぐに近づいてくるだろう。

無意味な遠回りをしたおかげで、かなり疲れてしまった。近くのサーティーワンで写真のソーダを飲んでから部屋に戻った。

ギリギリの線

2013年6月28日 お仕事
昨夜はものすごく久しぶりに食べ放題、それも焼肉の食べ放題に行く機会があった。その前に行ったのは何年前とかそのくらいであり、もう思い出すことすらできない。

若い人は誰もいない集まりだったので、制限時間を待たずして肉類の注文はピタッと止まってしまった。最後はみんなでアイスクリームばかり食べていたような気もする。それでも肉やガーリックライスなど栄養があるものを食べ過ぎたせいか、部屋に戻ってからも眠れずにいた。

そのまま日付が変わる時間まで起きて日記の更新などをしていたけれど、これはやはりまずかった。いつも通り午前4時30分に目を覚ましたものの、すぐに二度寝してしまったのである。気が付けば、そこから2時間の月日が流れていたわけだ。時計を見れば、6時30分を過ぎている。

あああああ。

とりあえずコンタクトレンズをはめて(裸眼ではもう作業ができないため)、ヒゲも剃らずにカバンを持って部屋を飛び出した。恥ずかしい話だが、靴下も履くことができなかった。おかげで足下は終始違和感を抱いたまま1日を過ごした。石田純一はこの状態でなんともないのだろうか。実に謎である。

外へ出るとひたすら今出川通まで突っ走った。かつて日記にも書いたけれど、この2月には自転車のカギを見失って遅れたことがある。その時はバスとタクシーを使って着いたものの、まだ6時15分とかそこらだった。今回はさらに時間が厳しい。間に合わないかもしれないなあ、と半ば諦めながらも今出川通を出ると、幸いすぐにタクシーがやってきた。この時点で6時40分ごろである。始業時間まで、あと20分だ。

運転手の方からは、

「時間は大丈夫ですか?」

と訊かれたので、

「7時までに着けばなんとか・・・」

とビクビクしながら言うと、

「ああ、道が空いてますから大丈夫ですよ」

とのことである。

だが、仕事場はちょっと入り組んでいてスッと辿り着ける場所ではない。iPhoneで住所を調べるも、出てくるのは「◯◯町××番地」だからわかりづらい(乗ったタクシーにカーナビは搭載されてなかった)。

それでも、ああでもないこうでもない、と後ろから指示を出しながら、6時53分には到着することができた。結果としていつもと出勤時間は変わりない。無事に着くまでは本当に不安だった。昨日はパートのT氏が30分ほど寝坊していたから、

「昨日はあっち(T氏)で、今日はこっち(私)かよ!」

と職場の方から思われるに決まっている。それもあって絶対遅刻だけはしたくなかった。

ただ、今回のおかげで職場に間に合うギリギリの線が把握できたのはまあ良かったことかな。今出川大宮からほぼ20分というところか。それを切ったらもうアウトである。それは身をもって知った。

このことは、寝坊してしまうとかなりダメージが大きいことを示す。早朝はバスも電車も本数は限られているし、今日のようにタクシーが都合よく止まるということも保証の限りではない。そう考えると、よくまあ半年ほど平日は欠かさずきちんと起きてきたと自分で思う。これも一つの「能力」だろう。たいした能力でもないけどね。

そのまま別に問題もなく仕事を終えることができた。気が抜けたので、思わず職場の方の一人に、

「いやー、今日タクシーで来たんですよ。寝坊したんで」

と言ってみる。すると先方はニコリともせず、

「お前は真面目に来てるから、1回や2回寝坊したって怒られないわ。もし遅れても、俺がごまかしてやるから」

という思いがけない返事がきた。別にかばわなくてもいいけれど、有り難い言葉である。やはり真面目に毎日出てくるだけでも、それなりに信用とか信頼は作られるのだなと思いを新たにした。

しかし、タクシー代1380円と帰りのバス賃220円は無駄な出費であったな。ちゃんと起きていれば発生しないお金である。

今日で6月の勤務が終わる。ここに来たのは今年1月の中旬からなので、もう半年ちかくになった。

それぞれの無意味な出費
またかの話になるが、今朝もパートのT氏が遅刻をした。始業時間から10分20分経っても姿を見せない。また無断欠勤か?と思っていたら、7時30分を過ぎたころやっと現れる。

「来た・・・」

と職場のボスは安堵の表情を浮かべ、朝の早くから社員面接があるとかですぐその場を離れていってしまった。そうした状況から判断すると、T氏に対して叱責したとかはなかったようである。

木曜日は週の真ん中のためか、職場はあまり忙しくならない。よって一部のパートの方は他の曜日より1時間少ない3時間勤務となっている。30分遅刻したからT氏の労働時間は2時間半ほどだ。にもかかわらず、途中でしっかりタバコを吸いに来て缶コーヒーを飲んで休んでいた。いつもようには喫煙スペースで10分とか15分とかダラダラいるというわけではなかったけれど、遅刻したその日にそこまで余裕をかませる度胸はすごいというしかない。どうせ俺はクビにならない、とタカをくくっているのか。それとも、こんなバイトの仕事など無くなろうと構わないと考えているのか。

しかし現場からは、

「あいつ、いなくなったらいいのに。いなくてもいいわ」

「Tさん、また寝坊したって?もうクビやな・・・」

といった声が聞こえてきたので、周囲からの不満があまりに高くなったらT氏はもう危ないだろう。いやそもそも、今もノホホンと適当に働いてそれで済んでいるというのがおかしい話なのだが。

T氏のおかげで後味の悪い日になったけれど、仕事が終わったら自転車をこいで5分ほどのところにある自転車店へ向かった。以前からブレーキがきかなくなっていたのだが2日前も朝に、

「これはもう乗れる状態じゃない」

と諦めて、帰り道にあった店へ修理に出したのである。しかし、これには前段がある。

まず店に入って、

「ブレーキがきかないので診てもらえませんか」

と頼んだら、

「ブレーキですか。それだと7000円になりますね」

といきなりけっこうな額を切り出されたのである。以前の日記で書いたが、前に別の店でブレーキを直してもらった時は「500円」しか取られなかった。その差は実に14倍である。

「しかしなあ。もうこの状態のまま走るのも危ないしなあ・・・どうしよう」

と悩んでいる矢先に、

「あー、タイヤもボロボロですね。1ヶ月もたないですねえ。あと軸も取れそうですねえ」

と、どんどん悪い箇所を指摘しているうちに修理代も積み重なっていき、最終的に提示された金額はなんと「1万6500円」である。その時の心境を一言でまとめると、ふざけるな、である。もはや新品に買い替えられる値段になってしまったではないか。

「この自転車、新品の時は2万くらいだったんですけど・・・」

と言ったら、

「そうですよねえ」

と平然と返してきたので、

「バカ野郎。そこまでわかってるなら、新品を奨めるとか他の方法があるだろうが。こないだ請求がきた住民税を滞納させる気か!」

とけっこう腹が立ってしまった。それでも、とりあえず自転車が無いと仕事も日常生活もほとんど機能しなくなるため考えざるを得ない。しかし、こんな無意味な出費に1万6500円・・・。

そういうわけで私が無い頭で考え抜いた結論が、

「軸というのは、まあ今すぐどうにかなるというわけではないですよねえ?」

と店員に言うと、

「そうですねえ。ただ、半年はもたないかなあと」

と相変わらず不安を煽るような答え方をする。

で、こちらは、

「では、緊急で直す必要があるブレーキの修理とタイヤ交換をお願いします」

と頼んだ。それで再提示された金額が「1万700円」である。これでも私には相当に痛い出費だが、後先を考えればもう仕方ない。

そうして本日、1万700円を支払って無事に自転車が戻ってきた。それに乗りながら、

「もうこんな高い店には絶対頼まない!」

と心に誓った。

余談だが、修理中はお店から代わりの自転車を借りていた。それが電動自転車というものだったのだが、あまりに重たくて乗り心地は最悪だ。買い替えるにしても電動だけは選ばないぞ、とこちらも固く決心した次第である。

ところで、無駄な出費で苦しんでいるのは世の中で私だけではないようだ。昼休みが終わって職場を出てみると、何やら社員の人たちが集まって駐車場の方を見ている。その視線の先がこの画像であった。

置いてあった車の1台のタイヤが全て無くなっているのだ。盗難である。後で警察が2人来て調査をしていたけれど、

「あれはもう見つからんやろうなあ」

という声がどこからともなく聞こえてきた。

朝起きて駐車場で自分の車を見た当事者は、一体何を思ったのだろうか。想像するだけで恐ろしくなる。

私は免許もないし車の知識もほとんどない。それで知り合いにこの話をメールして、タイヤが無くなったらどのくらいかかるんでしょうねえ?と訊ねたら、

「全てだったら、30万とか40万じゃないのかなあ」

という返事がきた。同じ無意味な出費でも、私とはケタ違いの額である。しかも本人の落ち度は皆無に近いというのに。合掌である。

梅雨前線がまた活発になり、今日も雨が降りそうな空模様であった。しかし始発バスに乗って出勤するのも面倒なので、たぶん大丈夫だろう、と根拠もない考えで自転車に乗った。

午前中は暗い雲が空を覆っていて、マズいなあという感じではあった。ただ昼休みを終えて再び外を見てみると、太陽が顔を出し気温も高くなってきている。

「これなら帰りは濡れて帰らずに済みそうだな」

ホッとして仕事を再開しようとした矢先に、目の前へ小さなものが足下にバーッと飛び込んできた。大きさは虫よりずっと大きい。半信半疑でそれに近づいてみると、それは1羽のスズメだった。

向こうは鳥で、こちらは人間である。全く違う生き物のはずだがその表情を見たとたん、

「なんか怯えているぞ・・・」

と直感した。実際のところこのスズメはまともな行動をとれなかった。空へ飛び去ることができず、低空飛行でそこらを跳ね回っていた。そのままなんと玄関から職場に入ってしまったのである。わざわざ人のいる場所に飛び込むなんて通常ならあり得ない話だ。

そのあとどうしたかといえば、商品を入れるガラスの冷蔵庫の裏側に入ってしまったのだ。明らかに錯乱している。

それを追いかけた職場の人も、

「おーい!出てこい。こいつ・・・めちゃくちゃ怯えてるで・・・」

と私と同じ印象を抱いていた。

周囲の誰かが、

「カラスや、カラスや」

と言っていたので表を見ると、1羽のカラスが近くでウロウロしているではないか。スズメはこれに襲われて逃げていたところだったのだろう。

それからスズメはどうなったか。バタバタしていた時に私はもう午後の業務を始めていたので詳しい顛末はわからない。ただ、どこかに飛び去って職場から消えていったことは確かだった。

それにしても、あのスズメの怯えた表情はもうこちらの同情をひくのに十分だった。捕まえたら部屋に持っていって保護しようかな、などと自分らしくない思いを抱いたほどである。

しかし、果たしてあのスズメは今もまだ生きているのだろうか。そうでなければ、命の尽きる時期がちょっと遅くなっただけ、ということになる。そんなことを考えると、なんともやり切れない気持ちになってきた。

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