今年の4月初旬(正確な日時は忘れてしまった)、縁あってこの本を著者である漆原さんのお話を大阪で聴く機会があった。この「ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない」に関連してビジネス書の世界に関することを色々と知ったのだが、その後の懇親会も含めて実に楽しい時間を過ごすことができた(内容はラジオやテレビでは「ピー」音が出るようなものなのでここで触れることはできない)。漆原さん自身も、取材で多くの人と接しているためか実に人懐っこそうな方だった。酒があまり飲めないのにあんなにテンションが上げられるのは凄いなあ、と社会不適合者の私は感心するばかりである。

それはともかくとして、私は別にビジネス書の愛読者というわけでもなく本書にしても講演会に行く途中にJR大阪駅そばのブックファーストで買ったという状態であった。そんな感じで読んだ本であるものの、その内容には色々と共感したり考えさせられる部分が思いのほか多かった。そういうわけで、購入してからかなり時間が経ってしまったけれど、本書の感想を書いてみたい。

題名から内容のある程度は想像がつくような気もするが、

<昨今のビジネス書界隈の話題をナナメに切り取り、生温かく(決して”温かく”はございません)概観してみよう>
(P.4)

という主旨の本書はこの10年で売れたビジネス書の動向から始まり、そもそもビジネス書というのはどんな書物なのかという分析、ビジネス書がやたらと刊行される出版界の現状、さらにビジネス書を実際に読んでいる人たちの実態など幅広い内容が取り上げられている。

そのあたりは漆原さん自身も、こう言っている。

<私はコンサルタントのような専門家でも、大学教員や評論家のような識者でもなく、単なる一取材者・記者です。だから・・・ということでもありませんが、ある事柄を記事などで語るに際して、基本的に大上段に構えず、理論や分析でゴリゴリに堅くまとめるようなこともせず、どちらかというと対象読者と同じ目線の高さから企画に関わるスタイルを取ってきました。というより、知識もスキルも何かと不十分な人間なので、そういうスタイルでしか仕事ができなかった、というほうが適切かもしれません。>
(P.160-161)

本書もまたこうした漆原さんのスタンスが出た作りになっている。個人的には、良くも悪くも雑誌っぽい作りだなあ、という印象を受けたけれどそれは漆原さんのしている仕事を考えれば自然なことなのだろう。

内容は多岐にわたるため読む人によって気になるポイントは違ってくるに違いない。出版業界にいる人ならば書籍の刊行点数を増やして広く・薄く利益をあげようという販売戦略のあり方に関心がいくだろうし、ビジネス書をたくさん読んでいる人は、自分と同じようにビジネス書を読むものの実際の仕事ではなかなか活かされない経験に共感を抱くかもしれない。

そして私といえばまた違った思いを本書から受け取った。

漆原さんは講演会の時に、自分はビジネス書の世界の人間ではないのでこういう本を出してもたいして影響はない、というようなことを語っていた。実際、ビジネス書畑の人がこうした本を刊行することはあり得ない。また出版業界にしても新しく出るビジネス書が売れないと回っていかない現状があり、本書を歓迎することはないだろう。

私は上のいずれにも該当しないものの、本書に書かれている内容、特に後半に出てくる指摘は自分の実感としては実に腑に落ちるものが多かった。

例えばビジネス書をたくさん読むことについての漆原さんの見解はこういうものだ。

<たしかに、読書は大切です。

その意味ではビジネス書を読むことはよいことといえます。

ただし、これはあくまで一般論であって「適度な運動をすることはカラダによい」という程度の指摘でしかありません。具体論レベルではいうまでもなくケースバイケースであり、程度問題であり、個人差もあることです。少なくとも十把一絡げに「成功」「儲ける」「実現する」なんて要素を「絶対」「楽して」「法則」というような過剰な類型化でまとめてしまえるようなものでは、本来ないはずです。

少し冷静に考えてみましょう。

月に5万円以上ビジネス書に投入できるビジネスパーソンが、果たして労働人口全体でどの程度いるでしょうか。

20~30代のビジネスパーソンの現実的な生活を想像してみてください。実家暮らしならまだしも、ひとり暮らしで家賃や公共料金、食費など生活にかかるコストをすべて自分で負担しなければならない場合は? 結婚していて、小さな子どももいるから奥さんは専業主婦もしくは短時間のパートしかできない、という場合ならどうでしょう?月1万円の図書費すらままならないのではないでしょうか。少なくとも、私がこれまで実際に会い、インタビューしたことのある、月の手取り額が10万円台~20万強の会社員のなかで、月に3万円以上ビジネス書に費やすことができている人は1割もいない印象です。>
(P.171-172)

大半の人が、実際のところってそんなもんだよね、と思ってくれる内容だろう。いやむしろ「当たり前」と考えるかもしれない。しかし上のような事情もあり、ビジネス書の世界の人も出版業界も「当たり前」なことは言わないのだ。そういうことがあからさまに書かれている本書を新鮮に感じたのである。

賃貸マンションで派遣社員という私の立場からすると、漆原さんが出した例にぴったり当てはまってしまうという感じだ。1ヶ月の書籍代は<単行本なら1冊、新書なら2冊買えるかどうかという額>(P.173)というのはドンピシャリである。

本書でも幾度となく指摘している通り、ビジネス書の著者たちは総じて「たくさん本を読め!」と煽る傾向がある。また業績が悪くなる一方の出版業界にしても書籍の点数を増やして薄利多売で回していこうという戦略があるため、同じ流れに乗っている。そのあたりを漆原さんが不気味に感じているところなのだろうが、要するにビジネス書というのは「不安産業」の一つなのだ。不安産業とは生命保険や投資信託または信仰宗教など、先行きの見えない時代を前にして不安にしている人たちの気持ちをつけ込む存在だ。本書ではそこまで露骨に書いてはいないけれど、ビジネス書について一言で表現すればそうなる。

かつてビジネス書にハマったがある時期に目覚めた人の感想が出てくる。

<ビジネス書で得たものは決して無駄ではないんだけれど、それを実務に落とし込むのは容易ではないことに気づいた。>
(P.204)

<ビジネス書って、結局はヒント程度にしかならない。>
(P.206)

これらの発言はビジネス書を不安産業と捉えてみると結構スッキリと話がつながってくる。ビジネス書をたくさん読んだところで一時的気分が高揚したとしても長続きがしなかった、というような現象も理解しやすいのではないか。実際の効果が乏しい、というのは不安産業のいずれにも当てはまるに違いない。

それはともかく、いままで引用した部分だけでビジネス書というか本との上手な付き合い方はもう結論らしきものが出ているのではないか。個々人にとって読書のやり方には違いがあり、誰でもあてはまるような方法は存在しないということである。無論、ビジネス書作家や出版社のおかしな流れに乗っかる必要など一切ない。自分が無理のないペース(予算や時間など)で書かれている内容を取り入れていくことが何より大事なのだろう。

漆原さん自身は「生温かく」という表現を使っているし、敢えて偽悪的にビジネス書を取り巻く状況を描いている部分もある。しかし何度も読んでいるうちに、むしろイビツで異様なビジネス書の世界を「常識」の視点で切り込んでいるように思えてきた。ビジネス書に繰り返し書かれていることがあまりにも現実味がないのである。

漆原さんがまえがきで自嘲的に書いてあるように、本書を読んで何か具体的で即効性のある結果は期待できないかもしれない。しかしビジネス書に振り回されて明後日の方向に進んでしまったような人たちがこの本を読んだら、とりあえずまたスタート地点には戻られるような気がする。これはビジネス書に限らず、おかしな投資話や怪しげなセミナーなどで手を出して痛い目にあった方にも有効ではないだろうか。

こんなことを指摘しても仕方ないけれど、私たちを取り巻く環境は厳しさが増しており、数年先も展望が見えてこないような状況だ(そういえば、今の出版業界は良い話が全くありません、と漆原さんが言っていたことを思い出す)。そういう時に人は不安になり、それゆえにおかしなことに手を出してしまう可能性も大きくなってくる。本書はそうした気持ちに歯止めをかけるような視点がたくさん書かれている。それはあまりに「平凡」な指摘かもしれないが、実際に世に出ている本にそういう視点があまりにも少ない気がしてならない。そういう点で本書は貴重なものといえよう。

最後になるが、漆原さんが今後も同じようなまなざしでさらなる活躍をしてくれることを願っている。
昨日(7月18日)の夜は無料動画配信サイト「GyaO!」にてBONNIE PINKの生ライブトークを視聴していた。彼女がこうした場に登場したのは理由があり、1週間後の7月25日に新作アルバム「Chasing Hope」が発売されるからだ。その宣伝のためである。

部屋のパソコンが動画を観るための適切な設定がされてなかったため最初の10分ほどは観ることができなかったものの、貴重な話(去年買った5匹のバッタがみんな死んだ、とか)もいくつかを聴けてとりあえず良かった。

冗談はさておき、昨夜の話題の中心はもちろん「Chasing Hope」についてだ。私はもう買いに行くのも面倒なのでネットで注文をした。よって出荷日に手を取ることはなく、早くて発売日当日になるだろう。別に急ぐ必要もないし個人的にはそれで十分と思っていた。だが、思いもよらぬ形でアルバム全編を聴くことになる。
「iTunes Store」にて「Chasing Hope」をまるまる無料で視聴できるというのだ。

アルバムの全編を無料配信するという試みは日本人のミュージシャンでは史上初だそうだ。海外ではどの程度おこなわれているのか知らないけれど、ルー・リードとメタリカの共演盤「Lulu」(11年)を偶然何かでまるまる聴いたことがある。プロのミュージシャンが自身の作品を無料で流すということはこれまでは考えられなかったことだが、このご時世にお金を出してまでCDを買う人も少ないし、ひとまずは聴いてもらって関心を引くということでこうした手法は日本でもおそらく増えていくだろう(他に有効そうな宣伝方法もないだろうし)。

無料配信については彼女の公式サイトがわかりやすいのでリンクを張っておく。
http://bonniepink.jp/

配信はアルバム発売日の前日(7月24日)までおこなわれる。その間はタダでいくらでも聴くことができるわけだ。が、この配信にはちょっとした制約がある。アルバムに収録されている曲を1曲ずつは聴くことができないのだ。いや実際は曲と曲の間の時間を調べれば聴くことができるのだけど、それでも時間を測るために1度は通して聴かなければいけない(そのあたりは実際に確認願う)。

こうした配信の仕方に対してBONNIE自身は、このアルバムの曲順には自信があるのでぜひ通して聴いてほしい、というようなことを番組で語っていた。発言内容についてはうろ覚えで申し訳ないが、自分はまずアルバムありきで作曲をするというようなことを受けてのものである。だからシングルについても、アルバムのために作った曲の中から「さて、どれをシングルにしようか?」と考える場面が多い、とかなんとか。彼女の創作活動を垣間みれる発言でなかなか興味深いが、信憑性は高いと感じた。確かに彼女のこれまでのシングルを見てると質はともかく、シングルらしくないなあ、という曲もけっこうある気がするし。

それにしても、MP3プレーヤーで音楽が聴いて音楽を1曲単位で買うようになった昨今に敢えて「アルバム」という形式にこだわるというのは、時代に抗っているようで個人的には彼女の姿勢を頼もしく感じてしまう。別にBONNIE PINKについて興味が無い方も、日本人ミュージシャンとして史上初という試みを見るためiTunes Storeに立ち寄ってみてはいかがだろうか。
少し前の日記に書いたが、ここ最近は周囲でFacebookを始めた人が増えている。いろいろと検索してみたら知っている名前がけっこう出てきて驚いた。しかしその使い方といえば、旅行で今ここにいるとか家族の写真を載せるとか、決まりきった使用法しかとっていない気もする。Facebookについて「同窓会」という表現をどこかでしていたけれど、既に知っている人と繋がるのがこのSNSの特徴であり限界という気がする。自分の交遊関係以上にの範囲で知り合いを増やすには色々と工夫が必要になってくるだろう。いずれにせよFacebookによって新しい情報や人に出会う機会は少ないのではないか。

それに比べるとTwitterというのは、自分が何かをしなくても(ある程度のフォロワーを増やしているという前提があるが)見知らぬ情報が勝手に流れてくるような仕組みになっている。逆に自分が情報を拡散することもできるし、その用途は実に幅広い。しかし、知り合いでTwitterを使っている人はそんなにいない印象を受ける。また登録していても情報を流したり広げたりする人は少ない。

そもそも知り合いがいなくてはSNSはそれほど楽しくはならない。知り合いの絶対数が少ない私にはそれが障壁となっていはいるものの、FacebookよりTwitterの方が色々と可能性や面白みがあるように思える。

この「情報の呼吸法」の著者である津田大介さんは日本におけるSNS、特にTwitterの第一人者といって差し支えないだろう。Twitterで津田さんをフォローしている人は現時点で22万を超えており、また彼の情報発信源の中心もTwitterだ(これに対して、津田さんはFacebookをほとんど活用していない)。本書はそんな津田さんが自身の経験に即したSNS、その中でも特にTwitterの活用法を中心に述べたものである。

「メディア・アクティビスト」という肩書きも自称している津田さんは10代の頃から様々なメディアに興味をもち、また活動をしてきている。高校時代は新聞部で新聞を刷り、大学に入ったら当時出てきたばかりのインターネットに没頭、社会に出るとインターネットやパソコン系雑誌のライターとなったりブログ形式のサイト「音楽配信メモ」で情報を発信していた。これだけを見ても様々な形のメディアを網羅してきたといっていいだろう。また津田さん自身の好奇心の大きさも関係しているに違いない。こうしたメディアについての見識が深い津田さんがTwitterやFacebookの「ソーシャルメディア」の特性や利用法、また今後のあり方などを論じたものという解釈でこの本を読んだ。私はTwitterもFacebookも1年ちょっとくらいしか使っていないしそれほど活用してるとも思えないが本書を参考に少しでも面白く使っていければと願っている。

それではソーシャルメディアとしてTwitterにはどんな特徴があるのだろうか。さきほども少し触れてみたが、このあたりではないだろうか。

<ツイッターが便利なのは、自ら検索して情報を得て、ソーシャルキャピタル(人間関係資本、人とのつながりによる無形・無償の財産)を豊かにできるというところですが、それだけではなく、情報が自動的に最適化されつつも、予期しない情報がハプニング的に入ってくるという部分も忘れてはなりません。
(中略)
ソーシャルメディアの場合、情報ではなく人をフォローするので、誤配が平気でたくさん起こります。極端な話、ブロックしている、あるいは嫌いだからフォローしないという人のツイートも公式リツイートで入ってきたりします。自分の考えとは違う意見や他の視点が入ってくるのが避けられない構造になっている。しかしそれこそが面白いし、そこに新しい情報への入り口があるわけです。雑誌やテレビのおすすめはよく分からないけれど、「面白い人」というチャンネルであれば見てみたいと思う人は多いでしょう。>(P.48-49)

Twitterを使ってない方には理解できない用語が出てくるが、実際にやってみればよく感じる話である。私もTwitterを始めてから「おや?」と不思議に感じたのは、思いがけない情報がどんどん流れてくることだった。それは「公式リツイート」という機能で、自分がフォローしている方が拡散している情報なのである。自分で調べられないような思いがけない情報に出会うのはFacebookやmixiでも無いことはないだろうが、Twitterに比べると割合はだいぶ少ないはずである。

このあたりについては、

<「ツイッターは『出会い系』ではなくて『出会う系』だ」と言った人がいますが、この表現は本質をついています。目的を持って「出会いたい」という意思がある人にとって、こんなに見事なツールはないと思います。>(P.50)

と書いているが、Twitterはまさに未知の情報と「出会う」ためのソーシャルメディアだといえる。それ以外にも特色はたくさんあるだろうけど、Twitterの最も重要なところはこの1点に集約されている。

しかしながら、もちろんTwitterを登録してボーッとしているだけで何か情報が入ってくるということはない。それについては本書の表紙にも書いてある、

<発信しなければ、得るものはない。>

という一文で示されてる。ソーシャルメディアからな有用な情報を得るためには、自身が情報を発信するようにならなければいけない。このあたりができるかどうかが、ソーシャルメディアを面白く活用できるかどうかの分かれ道になるのではないか。そして私はその辺りで足踏みしているのが現状なのだが、本書にその答えとなりそうな部分をいくつか挙げてみたい。

まずTwitterを使っていると必ず「自分のフォロワーが増えてほしい」と願うだろう。それについては、

<一番手っ取り早い方法は、ある情報をネットやテレビのニュースで見かけたときに「これはツイッターで話題になるかも」と思ったらすぐに流してみる、ということです。ツイッター上では、衝撃度の高いニュースほど、多くの人の反応が返ってきやすいので、ある程度フォロワーのいる人であれば、何らかの反応が返ってくるでしょう。その反応を覚えておく、ということは自分のフォロワーにどんな人たちがいるのか、ある種その「マーケティング」になります。
(中略)
まずは自分自身がツイッターでフォローを増やし、有用な情報、フォロワーに喜んでもらえるような情報を発信することによってフォロワーに貢献し、自分の日常を書いて自分自身についても興味をもってもらう。それを繰り返していくことで自然にフォロワーが増えていくと思います。>(P.94-97)

となかなか具体的な提案がされているし、実際にフォロワーが増えていく流れというのはこういうものなのだろう。

これ以外にもう一つ気になった箇所を挙げたい。

<あとは自分が面白いと信じることを継続することです。まずは1年間続けてから考えてみてください。反応がないと心が折れてしまって1年間ももたないケースがほとんどです。そこであきらめずに続けられる心の強さが必要です。我慢して続ければそれが情報を「棚卸し」する際の地肉になっていきますし、結果的に自分の強みにもなり「このジャンルの情報発信と続けるんだ」という自負も形成されます。>(P.99)

この「継続する」ということも非常に大事な要素である。例えば01年くらいにネットで「ブログ」が登場した時に多くの人が手を出したけれど、現在まで続けている人はほとんどいないに違いない。今はFacebookになるだろうがそれもいつまでもつかと個人的には思っている。自分のブログを10年くらいやっていて、それでも「どうにか形になってきたかなあ」という程度であるが、一定期間を続けてこれたというのは一つの財産である。ともかく何をするにせよ。ある程度の結果を出すためにはそれなりに時間がかかることだけを念頭に入れたほうが良い。

ところで、上で引用した箇所に「ソーシャルキャピタル」という言葉が出てきた。これも大事なキーワードである。

津田さんは本書の後半で、

<ソーシャルメディアの最大の良いところは、従来「つながり」がなかった人と人を自然と結びつけ、大きなムーブメントにしてしまうところだと僕は思っています。異業種交流会や合コンという手段はあっても、基本的には地元か学校か職場かというコミュニティの中でしか、自分を高めてくれたり、自分に刺激を与えてくれるような人とは出会えなかった。機会は不平等で、選択肢や武器もないなかでのゲームだったと言えるかもしれません。

インターネットとソーシャルメディアはその機会を解放しました。今や人々はローカルの壁を乗り越えて勝手につながっていくことが可能です。いろいろな人とのつながりこそが、自分が困難に陥ったときの解決法になる。これからはソーシャルキャピタル(人間関係資本)の時代になると思います。>(P.146)

ソーシャルキャピタルとは、例えばTwitterだったら自分をフォローしている人の数である。mixiやFacebookだったら繋がっている人数になるだろう。こうしたものがお金の同等もしくはそれ以上の価値のあるものになってくる、というような予測を津田さんや橘玲さん、岡田斗司夫さんあたりは口にしてることだ。パッと見た限りでも資本主義の未来は暗い話は多い。消費税の増税や年金の破綻など私たちの収入は増える可能性は低いとしかいえない。それに代わるものとなるのが人と人との繋がりだと言う人は増えている。

私たちの暮らしもますます厳しいものになるだろうなと思う私としても、こうした考えは少なからず感化されている。こうした厳しい時代を生き抜くには一人だけではますます困難に決まっているのだから。

「現実に友人知人が少ない人間がソーシャルメディアなどを果たして使いこなせるのか?」という思いが心の底にあるけれど、ソーシャルキャピタルに限らず人との繋がりを豊かにしない限りは自分の未来に可能性も開けそうにないとも思っている。そして本書はソーシャルメディアの理解、そして使い方について実にわかりやす形で多くの示唆を与えてくれた。これを読み返しながら自分なりのソーシャルメディアのあり方を模索していきたい。
ここ数日ちょっと心身ともに疲れてしまったようだ。一から何か考えて書く元気もないので、書きかけだったCD評を手直ししたものを載せようと思う。

この文章を書き始めたのは今年の3月上旬あたりだった。その頃の私はTwitterで流れた「キース・リチャーズ死去」というデマを周囲に流して迷惑をかけてしまった。

「デマに振り回された夜」(2012年3月6日に投稿)

http://30771.diarynote.jp/201203070904399096/

キースが亡くなった、と思った時にパッと思い浮かんだのがレナード・コーエンのこのアルバムだった。そして数日後にこのアルバムを手に入れる。1934年生まれのコーエンは現在77歳だ。もうカンオケに片足が入っているような年齢だが、ここにきて新作を出すという事実にまず驚かされてしまう。

たとえばデヴィッド・ボウイやロバート・フリップ(キング・クリムゾン)など壮年のミュージシャンには引退もしくは引退同然の生活を送っている人も出てきている。もはや私も、ずっと現役で活動してくれ!などと好きなミュージシャンに願うような依存心は持っていない。余生を大事するというのは人間として当然だと思うからだ。しかし一方、ヴァン・モリソンやニール・ヤングなど自分が本当に敬愛している人はいつまで活動してくれるのかと不安な気持ちがないわけでもない。前述のデマを聞いた時にそんなことが頭の中をグルグルと回った。

この「オールド・アイディア」(Old Ideas)はコーエンのオリジナル・アルバムとしては12枚目の作品となる。最初に出した「レナードコーエンの唄」(Songs of Leonard Cohen)が1968年のことだ。40年以上のキャリアを持ちながらこれだけしか作品を出していないのだから実に寡作な人である。ちなみに前作「ディア・ヘザー」(Dear Heather)が出たのは04年、実に8年もの月日が流れている。

彼の新作を待ち望んでいた人は世界にたくさんいるようだ。私はコーエンを勝手にカルト・ミュージシャンというかミュージシャンズ・ミュージシャン(ミュージシャンから高い評価を受けているミュージシャン)と思っていたけれど、本作は世界16ヶ国で1位、本国カナダではプラチナ(100万枚、かと思ったら8万枚らしい)認定、アメリカでもビルボードで初登場3位を記録するなど、CDが売れていない昨今ということを差し引いても実に素晴らしい結果を残している。

年齢ばかり強調してしまったような気がするが、実際のところは別にこの歳で作品を出したから支持を受けているわけではない。単純に作品が素晴らしく、しかも彼にしか構築できない独自の世界があるからだ。1曲目の”Going Home”の賛美歌を連想させるイントロからもうコーエンの土俵に引き込まれてしまう。好きか嫌いかはともかくとして、もはや誰も辿り着けないような境地まで彼が到達しているのがパッと聴いただけでも実感できるだろう。

コーエンはミュージシャンであると同時に詩人や小説家でもあり、歌詞の評価も高い。しかし英語がよくわからない自分にとってはやはり彼の魅力といえば声である。初期のベスト・アルバムで彼の歌を聴いた時は正直あまりピンとこなかったけれど、ライブ盤「コーエン・ライブ」(94年)においてでその思いはひっくり返った。低音でささやくような彼の歌い方は一本調子でありいわゆる「うまい」というものとは違うかもしれないが、この声の響きはちょっと他に例える人が見つからない。

そしてその声は年齢を重ねるごとにその深みを増しているようだ。ためしに01年の「テン・ニュー・ソングス」を聴いて比較する。11年前のコーエンの方が元気で力があるだろうなと最初は予測したがとんでもない思い違いで、内容は甲乙つけがたかった。コーエンの声、そしてヴァイオリンやホルンや女性コーラスなどの静謐な演奏との絡みは、地味といえば地味かもしれないが、コーエンの世界観もここに極まった感もある。最高傑作などとは恐れ多くて言えないけれど、そういってもいいくらい堂々たる風格をもった作品である。

しかも恐ろしいことに、この8月から新作をともなった世界ツアーもおこなうという。ヴァン・モリソンもそうだが、来日公演が夢となる可能性が非常に高い人であり一度は観てみたいなあと思うものの、具体的な展望は私に何一つない。だが、あくまで生涯現役を貫こうとしているよコーエンの動く姿を見るだけでも胸に迫るものがあるだろうなあ、などと想像してしまう。それはこのアルバムを聴いても一端は感じてもらえると信じている。

先日の土曜日と日曜日は脱原発をテーマにした音楽イベント「NO NUKES 2012」の模様をUSTREAM中継で観ていた。といっても、熱心に観ていたのはYMOだけで、後は彼らのライブ前後に放映された特別番組に少し付き合っていた程度である。そもそもこのイベントの存在を知ったのはクラフトワークが出演するという情報をTwitterか何かで見つけただけだし、イベントの内容については公式サイトにあった下の文章くらいしか知らない。

<福島第一原発の事故から一年。
東京電力や野田首相の「事故収束」「冷温停止」といった発言とは裏腹に、
事故機は先の見えない状態が続き、本当の収束の目処は全く立っていません。
国の原発行政に対するスタンスは全く定まらず、
エネルギー行政へのヴィジョンも明確にならないままです。
避難住民の方の不安な状況は続いたままであり、
内部被ばく等、事故の影響はこれから拡大する恐れもあります。

この現状を踏まえ、日本における脱原発のメッセージを強く訴え、
二度と原発の事故という過ちをくり返さないよう、私達はNO NUKES 2012を開催します。
このイベントは、坂本龍一さんの「脱原発」をテーマにした音楽イベントを行いたいという
呼びかけに賛同したアーティスト、音楽関係者の協力によって実現することになりました。
アーティストが「脱原発」というメッセージを発信する事で、
多くの音楽ファンに原発に対する関心を強めてもらう事がこのイベントの目的です。

このイベントの収益は「さようなら原発1000万人アクション」の中心である、
「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」に全額寄付させていただきます。

NO NUKES 2021事務局>

イベントの公式サイトはこちら。
http://nonukes2012.jp/

USTREAMのページの横では私と同じように観ていた人たちがTwitterでワーワーと感想を書いていてなかなか楽しい光景であった(最後の最後は同時視聴者が3万人を超えていた)。しかしその中に混じって、イベントは良かったけど署名はしない、というような書き込みもちらほらと見かけた。私はYMOのライブの素晴らしさに興奮した勢いでつい署名してしまったけれど、こうしたイベントの趣旨に違和感を持つ人も少なくないだろう。そういう気持ちも理解できる。私もこのイベントの情報を知る程度だったら署名など絶対にしていない。

古くは1969年にアメリカはニューヨークで行われた「ウッドストック・フェスティバル」、85年の「ライヴエイド」などチャリティというかある種の運動と連動しておこなわれる音楽イベントは数多い。しかしライブの内容はともかくとして、そのイベントの主旨までが受け入れられたかといえば怪しいところが大半だろう。

そういえばNO NUKESの企画制作にロッキング・オンが名前を連ねているけれど、ここの社長の渋谷陽一氏はウッドストックもライヴエイドも批判していたのではないか。今回のイベントについてはどういう理屈で賛同したのだろう。彼のことだから、このイベントには必然性がある、とかなんとかもっともらしいことを言っていたかもしれない。そのあたりの正確なことはわからないし今日の主旨ではないのでこの辺りにしておく。

原発に関していえば、どちらかといえば私は脱原発の立場だ。処理するのに何世代にまたがるような時間を費やす核廃棄物を放置しておくのはあまりに無責任な態度であろう。しかし、だからといって「いますぐ全ての原発の稼働を止めよ!」とも言い切れそうにない。そうしたことによって電力が不足したデメリットも容易に想像がつくからだ。いや、そもそも私は原発も福島も放射性物質も、そうしたことに対して全く無知である。

ただ、一つだけ言えることは、原発の問題は1年や2年といった短い期間でなく、死ぬまで付き合っていかなければならないということだ。なぜなら、何十年経っても解決することはないからである。好む好まないない関わらず、この国で生きていく限りはずっとのしかかってくるだろう。

だから、今回のイベントで何百万人の署名が集まったとかUSTREAMの視聴者がこれだけ訪れた、とかいった話題で終わりにしてはいけないと思う。そんなものはすぐに風化してしまう。

かといって、今の私が何かをしているわけでもない。正直いえば自分の生活を工面するだけで精一杯の状態だ。被災地に行ったわけでもないし、寄付とかをしたこともない。ただ、これから生きてる限りはこうした問題を忘れることなく何らかの形で関わっていこうと思う。本を読むなどして知識を得たいし、USTREAMで紹介された福島県双葉町のドキュメンタリー映画「フタバから遠く離れて」(10月13日より公開)も機会があれば観に行こうと思う。

予告編はこちら。
http://vimeo.com/45109825

あまり冴えないなあと自分でも思うが、こんな感じでNO NUKESに対する私の見解としたい。
もし今日、遊べるお金があったら幕張メッセで行われた脱原発イベント「NO NUKES 2012」に行っていただろうか。おそらく足を運んだだろうな。必ず私はこのイベントの趣旨に賛同したいわけでもないけれど、クラフトワークが出るというなら絶対に観たい。

いまから10年ほど前(正確には2002年12月15日、Zepp Osaka)で観たクラフトワークのステージは自分にとって最も印象に残っているライブの一つである。テクノポップの元祖と言われる彼らに対して、どうせ皿を回しているような連中に毛が生えた程度だろうとタカをくくって会場に足を運んだが、あの日の以前も以後も見ていない内容にはとんでもないショックを受けた。

通常のロックやポップスに付きもののアンプやドラム・セットなどの機材は一切なく、テーブルが4本とノートパソコンが置いてあるだけの舞台、そしてバックには大きなスクリーンがあってそこに映像が流れるという内容はもう別世界というほかなかった。その翌日に風邪で倒れたのはご愛嬌として、生のクラフトワークはもう一度くらい観たいなあという思いは今も自分の頭にくすぶっている。

このイベントの模様は多くの人の協力のもと、Ustreamで一部を生中継で配信していた。しかし、肝心のクラフトワークについては一切放送されなかった。権利関係の問題が解決されなかったのだろう。

それでも無料だから、発起人の坂本龍一によるYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を観ようかとUstreamを開いてみた。私が覗いた時は4曲目が始まるところだったろうか。

Ustreamのサイトでは観ている人がTwitterでコメントを投稿している。私はYMOについて詳しくないけれど、とにかく代表曲がバンバン飛び出しているのはわかった(曲名をつぶやいてくれる人が多いので助かりました)。映像もクッキリとしていたし、なによりYMOの演奏が素晴らしい。かつて衛星放送で東京ドームでのライブ、また生では京都の東寺であったイベント「LIVE EARTH」(07年7月8日)でも特に印象は残ってないのに、今夜の演奏にはかなり心を動かされた。何が凄かったのかは自分でもわからないけれど、思わず1000万人目標の署名に参加してしまったほどに興奮してしまった。ライブの最後には、同時に観ていた人が1万9000人を超えていたのも驚きだ。

しかしこのイベントはまだ終わっていない。なんと明日もYMOはライブをおこない、しかも同じようにUstream中継が用意されている。時間は20時45分となっている。明日も観られるかどうか個人的には微妙だが、観たかったなあ、と思った方は意地でも時間を作っておこう。サイトのURLも記しておく。

http://nonukes2012.jp/ustream

しかし、1曲くらいクラフトワークの映像が観られたらなあ、などとどうしても思ってしまうなあ。

彼らの凄さは映像でも伝わるので、興味があったら観ていただきたい。02年の来日公演である。

http://www.youtube.com/watch?v=ZWJ5733vbFA&feature=fvsr
先日、半年ぶりくらいに会った方々から「痩せたんとちゃう?」と言われた。確かに腰回りが細くなっていたり下半身が軽くなっているのは自分でも感じていた。しかし実際に体重を測ってなかったので、こないだ思い切って部屋の体重計に乗ってみる。すると出てきた数字は69.7kgだった。社会人になってから(01年)は70kgを切ったことがおそらく無い。これには自分でも驚いた。

といっても、別に「減量しよう!」などと心に決めたわけでも具体的な努力をしたわけでもない。思いあたる要因といえば、お昼はお弁当を持参しているため食べる量がかなり減ったこと(お弁当箱が小さいから)、それから新しい仕事をしているため心労がけっこうあるくらいだろうか。

これまでの自分の人生の中で、かなり体重を減らした経験は3回ほどある。一度目は暴飲暴食のため体重が83kgという数字に達し、周囲からも「太ったなあ」と言われることが多くなった時だ。80kgという大台に乗ってしまったことは自分でもショックであり、「これはなんとかしないと」と思い本気で減量に取り組んだ。この時は通販で「豆乳クッキー」を大量に購入し、晩の食事をそれに置き換える方法をとった。また、食後は町内を40分ほど歩く生活を続けた。結果としてその時は10kgほど体重を落とすことに成功した。

しかし、どこかの時点で気持ちがフッと切れてしまい飲み食いの増える生活を再開するとみるみる80kgくらいまで戻ってしまう。そこから76kgまでなんとか頑張るものの(この時また豆乳クッキーを買ったような・・・)、その直後に仕事のストレスが激増したためにまた80kgを超えてしまう。そしてそのまま職場までも去ってしまった。それが去年の4月である。

それから無職の時期だった5ヶ月くらいはなんだかよくわからないまま76kgくらいまで戻したような気がする。しかし決定的だったのは去年10月から半年ほどいた職場においてである。ここの仕事は本当にキツくて心身ともにボロボロとなった。そのせいもあって、3ヶ月ほど経ったら確か70.6kgの数字を体重計の上で確認した記憶がある。

しかしその時は、

「こんな悲惨な環境にいたら、まあそれくらいになるよな」

と納得したものである。だがここでもストレスが発生して・・・73kgになっただろうか。この辺りが今年の4月前後の数字だと思われる。そしてこの3ヶ月ほどで3キロくらい減ったわけだ。その理由はさきほども書いた通り、食べる量が減ったことが一番大きい。これは間違いない。今の仕事は別に体を酷使しているわけではないからだ。また、お酒を飲んだり3食以外に余計な食事(お菓子やラーメン)を食べる機会もグッと減ってしまった。しかし、これらは私の意思ではなく、そうしなければ家計が回らないのでやっている、というのが正直なところだ。

ここまで書いてやっと結論らしきものが書けそうだ。

もし減量をしたい方がいたら、この点を頭の片隅に入れていただきたい。

それは、

「減量は自分の意思ではそう簡単にできない。実現するためには、周囲の環境を変えてそういう方向に自分を無理矢理もっていくしかない」

これである。

いままでの自分の経験からするとそういう結論しか出てこない。いろいろと無理をして痩せてみたところで結局はリバウンドしてしまい元の木阿弥である。しかしキツい仕事をさせられたり、弁当を「作らざるを得ない」(ここが重要)状況になったり、と環境が変われば自然と体重もそういう方向にいってしまう。

それはなぜだろうか。

人間の意思というのは実に弱く、昨日心に強く決めたことでも翌日には簡単に覆ってしまう。しかし環境というものはそうそう変わってくれない。となれば、自分が環境に適応するか、または逃げ出すしかない。そして適応してしまえばそれ相応の結果が現れるに違いない、本人の意思とは関係なく。

現在の私はこの環境から抜け出そうという思いはない。となると、もうちょっと体重も減ってくれるかもしれないな。
昨夜、部屋を戻るとポストに「郵便物等お預かりのお知らせ」が入っていた。送り主は私が登録している人材派遣会社だった。

「ついに届いたか」

何がきたかはわかっている。約1ヶ月半の使用期間が終わり今月から新たに3ヶ月の雇用契約が結ばれたため、社会保険に加入できる資格がついたのだ。送られてきたのは保険証である。

だが、昼間に部屋へ届けてもらっても受け取れないし、晩も帰る時間のメドがちょっとたたない。そこで出勤前に西陣郵便局まで足を運ぶことにする。もともと自分から取りに行ってるけれど、一つだけ気になることがある。

郵便局に行って荷物を受け取る場合に必要なものがある。

・郵便物等お預かりのお知らせ
・印鑑
・運転免許証や健康保険証

の3つだ。

無免許の私はいつも受取の時は健康保険証を持参していた。しかしこの3月いっぱいで保険資格を喪失していたためそれもできなかった。

「身分証明が必要な場合が出たらどうしよう?」

ということがときどき頭によぎった。それで区役所に行って住基カードを作ってみる。しかし後日ネットで調べてみると、たとえば銀行口座を作る時に身分証明として住基カードは使えないところもある、という話を知り、なんだ不完全な身分証明なんだなとガッカリした。

そこで今日は、住基カードは使えません、と言われるための対策のためにパスポートも持参した。これも立派な身分証明であるが、普段から携帯するものでもないだろう。しかもこのパスポート、今月いっぱいをもって期限切れ(5年前に渡英する時に発行した)となっているのだから、なんとも私の人生は間が悪いというしかない。

郵便局について窓口で呼び鈴を押すと職員が出て来たので、まずは住基カードを出してみる。

職員「住所のわかるものをお持ちですか?」

私「住基カードでいいですか?」

職員「はい。大丈夫ですよ」

使えた!この住基カード、発行して初めて役に立ったんじゃないかな。

こうして私は3ヶ月ぶりに保険証(人材派遣健康保険組合)を持つことができたのである。
今朝ネットでニュースを見ていたら、MONEYzine 7月1日(日)14時0分配信の、

「ライブを録音、その場で販売『お持ち帰りCD』ファン心理をつき好評、瞬時完売も」

という記事に出くわした。

<音楽業界ではCDの新たな販売方法として、「お持ち帰りCD」に注目が集まっている。「お持ち帰りCD」は、ライブ演奏がそのまま入っているCDのこと。ライブ終了後に購入してお持ち帰りできることから、そのように呼ばれている。

 2012年1月に東京の3会場(NHKホール ・府中の森芸術劇場・渋谷公会堂)で行われた奥田民生さんのライブイベントで、その日行われたライブ演奏をCDにした『tamio okuda / Gray Ray & The Chain Gang Tour - Live in Tokyo 2012』(価格は2枚組で4,000円)を「お持ち帰りCD」として販売したところ、瞬時に完売したという。>

この記事によれば、ライブ終了後にすぐマスタリング(音直し)をして短時間で複製し、ライブ会場ですぐに販売するのだという。終演後にパッと売り出すのだから出荷枚数はどれくらいなんだ?と疑問に思ったのだが、これはかなり優れた商売といかサービスである。自分の行ったライブ音源を欲しいかと訊かれれば、全て欲しいと私なら思ってしまうからだ。

改めて強調するまでもないが、産業としての音楽は衰退の一途をたどっている。ネットで調べたら手軽に音源や映像が出てくる時代に金を出してまで聴こうという人はよほど熱心な愛好者だけだろう。レコード会社(って今も言うのかな?)が良い音楽を出さないからだ、という意見をネットで見たことがあるけれど、別に音楽業界がどうなってもいい人の声なのだろう。私も音楽産業などという大きな枠組みに関して興味はないけれど、自分の好きなミュージシャンがこれからも活動していけるのかなと漠然とした不安だけは感じている。

欧米ではその対策をとっていたのかどうか知らないけれど、ライブの入場料やグッズ代などで大きな収益をあげられるような仕組みに以前からなっている(ローリング・ストーンズは売上げの9割以上がライブからだ)。ただそのおかげでチケット代がもの凄く高騰してしまった。今でさえチケット代に割高感のある日本ではとうてい受け入れられない。

そんな状況の中でこの「お持ち帰りCD」というのはミュージシャンの新しい収入源になりうる可能性が高いのではないだろうか。また音楽ファンにとっても楽しみが増えるから一挙両得だ。ミュージシャンの立場からしてみたら、出来の悪いライブを音源化するのは嫌だという心理もあるかもしれない。しかし、CDが売れなけば他の方法を模索するしかあるまい。ぜひこの流れは広がってほしい、とは個人的に願っている。

いずれにせよ、優れたミュージシャンはライブに価値を見出さないとはいけないだろう。生の空間というのは実に貴重なものだ。そして皮肉にも、何もかもがデジタルに飲まれていくご時世にあってその価値はますます高くなっている。

何か今日の日記に引用できる部分がないかなあ、とクリス・アンダーソンの「フリー <無料>からお金を生み出す新戦略」(09年。NHK出版)をパラッとめくったら、音楽産業について触れている箇所にこう書いてあった。

<思い出に残る経験こそが、もっとも希少価値があるのだ>(P.208)

もう6月の業務も終えてしまった。新しい仕事をしてもう1ヶ月半ほどになる。この辺りが一番苦しい時期かもしれない。

「入ってからもう1ヶ月も経つのに、そんなこともできないの?」

というような言われ方になってくる。周囲の見る目も厳しくなってくるし辛いところだ。

そんな状態で1日を終えて部屋から戻り、食事を済ませてボーッとしていたら一冊の文庫本が目に入ってきた。横田濱夫さんの「幸せの健全『借金ゼロ』生活術」(03年。講談社文庫)というものだ。古本屋で買った(「250円」のシールが貼ったままである)から、購入したのは05年とかそんなところだろう。

横田さんは横浜の某銀行に入社し、法人や個人への融資業務を10数年たずさわっていた人だ。在職中に銀行を内幕を書いた「はみ出し銀行マンの勤番日記」(92年。オーエス出版社)がヒットし、銀行を辞めてからはフリーの作家として金融関係を中心に活動を続けていた(しかし、現在は公式サイトもあまり更新されておらず近況はよくわからない)。

本書は2000年に刊行された「はみ出し銀行マンのお金の悩み相談室 ホンネ回答編」(青春出版社)を文庫本にしたものだが、12年前にして既にその分析は明るいものではない。なにせこの本を文庫化するにあたり、「ボーナス・ゼロ時代の緊急提言」という章が新たに設けられているくらいだから。ここでは、お弁当とお茶を自分で用意して1日の食費を600円にすれば年間で約68万円の節約となる、というような案が出てくる。最近はお弁当と水筒を持参している私だが、この本に書かれていたことが頭の片隅に残っていたのかもしれない。

この本はお金に関する質問に対して横田さんが回答する形をとっている。銀行員として働いていた経験があるだけにお金にまつわる分析はかなり鋭い。ファイナンシャルプランナー(FP)について書いているところでは、

<資産運用というのは、そもそもセンスの問題であって、資格とは関係ない。>(P.70)

などという一文には、資産運用ってそういうもんだろうなあ、と思わされる。

しかし私が今回もっとも惹かれたのは第5章の「転職、企業は甘くない」というもので、そこでベンチャー企業を立ち上げたい、とか、リサイクルショップを開業したいという質問を横田さんが答えている。

そのなかで、

「転職すること五回。収入が少しも増えません」

という「不動産関係 男性 三十六歳 独身」からの質問があり、そこに目がいってしまった。

<バブル期に大学を卒業し、転職すること五回。改めて気づくと、年収は二十二〜二十三歳のころと、ちっとも変わっていません。貯金はほとんどなく、現在もアパート住まいを続けています。
大学時代の同級生を見渡してみても、大手企業に就職した友人たちは、そろそろ主任や課長代理といった中間管理職に就きはじめています。年収も倍以上に差が開いてしまいました。
また、女性との付き合いでも、二十代の頃は、みなそれなりに相手にしてくれていたものが、最近はどうも様子が違います。なぜか距離を置かれてしまうのです。こんな状態では、人並に結婚し家庭を持つことさえ、ままならないかもしれません。
なんだか急に、周囲が冷たくなったような気がします。このままの状態が、あとさらに五年、十年と続いてしまうんでしょうか。とても不安です。>(P.215)

36歳、年収が少ない、アパート住まいで独身、とこの質問者と私とは重なる部分ばかなりある。違うところといえば、あっちは結婚して家庭を持ちたがっている点くらいだろうか。それにしても最後の「このままの状態が、あとさらに五年、十年と続いてしまうんでしょうか。とても不安です。」という部分が実に重たく感じる。

<チャラチャラしてるように見えて、女ってのは、実にしっかりしてるからなあ。>(P.216)

から始まる横田さんの回答はこんなところだ。

<ご相談者が、大学時代の同期生と今の自分を比べ、アセる気持ちもよくわかる。
たしかに、新卒で採用されてからずっと大企業に勤めていれば、今ごろ年収一千万円ぐらいいってたかもしれない。
身分は保障され、生活は安定し、奥さんや子供たちと幸せな家庭を築きつつ・・・。ハタから見ても、大企業のサラリーマンは、かくも恵まれ、幸せそうに映る。
しかしどうだろう。ある意味、そんなのは「今だけの話」と言えるかも。
「たしかに過去はそうだったけど、これからはわからない」「大企業の社員といえども、将来の身分保障はない」ということだ。
現に、一連の金融破綻で消滅した銀行に勤めてた人たちはどうだったか?
(中略)
世の中、そうでなくとも、終身雇用や年功序列制の廃止、リストラ、「勝ち組」「負け組」への二極分化、それによる貧富の差の拡大・・・。と、先の読めない時代へ突入している。いわゆる「一流企業」に勤めてたって、うかうかしられない。
>(P.217-218)

これらの指摘は現在すでに現実化というか日常化している。実際、この10年ほどでどれほどの企業が消滅したり大規模な人員削減をしただろう。さらに付け加えれば、文庫本が出た03年あたりは「IT長者」やベンチャー企業の経営者といった「勝ち組」がもてはやされていたけれど、ここ最近はそういう人も減ってしまったところだろうか。世の中はますます厳しく、そして混迷が深まっている気がする。

最後に横田さんは、バブル期に高値で住宅を買った人たち(例えばピーク時に七千万円だったマンションが三千万を切るまでになった)を引き合いに出し、

<幸いご相談者は、その点「マイナスからのスタート」じゃなく、単にカネと資産がないという「ゼロからのスタート」だ。
だったらまだ、マシなんじゃないかと思うよ。少なくともオレだったら、前向きにそう考える。>(P.220)

なるほど、確かに今の職場を嫌だと思っても住宅ローンや教育ローンを抱えて身動きのとれない人が一定数は存在する。そうしたしがらみが無かったからこそ私も割と前の会社をスッと辞められたわけだ。その辺を肯定的に考えるべきだな、と思っていた矢先に、

<ただし、いつまでも今のままじゃ、それこそ本当の「負け組」になってしまうことも、これまた事実だ。
現状を脱出できるか、できないか。時間はあまりない。
いずれにしても、一世一代、やる気と根性が試されている時期なんじゃないかな?>(P.220)

と締めくくられて、ウーンとなってしまった。このままじゃマズい、時間もあまりない。それも厳然たる事実である。

この36歳の質問者は、現在の年齢に直すと48歳前後になっている計算だ。あれから一体どうなったのだろう。そんなことが気になった。
今日は仕事を終えて部屋に戻る前に最寄り「みずほ銀行」のATMへ向かった。派遣会社から給料が振り込まれているかどうか確認するためである。

登録している派遣会社の給料日は「月末締め、翌月25日払い」となっている。私は先月の5月17日から就業したので、本日は5月17日〜5月31日まで働いた分が支払われることになる。それまで1ヶ月半ちかく待ったわけだ。そういう給料体系のところは珍しくもないだろうけど、経済的に余裕の無い身としてはこの間はなかなか辛いものがある。しかも月の途中からなので(厳密にいうと5月の出勤日は11日間)金額も通常の半分ほどにしかならない。

金額の多寡はともかく、入ったお金を回して生活しなくてはいけない。近いところではカード(携帯料金やネット回線の使用料はカード引き落としにしている)の支払いが2日後に待っているし、家賃も月初には振り込んでおかなければならない。ああ、このお金もすぐに消えてしまうなと思いながらATMで暗証番号を押したけれど、残高照会の画面を見て少なからず驚いた。

給料が1円も振り込まれていないのである。

なぜだ?勤務記録は職場からファックスで送っているし、それから書類の不備などの指摘も受けていない。いったい何が起きたのだろう。

しかし30分ほど色々と調べてみた末に、お金はしっかりと振り込まれていたことが判明した。

私の「ゆうちょ銀行」の口座に・・・いわゆる「勘違い」というもので・・・。

閑話休題。

無事にお金は振り込まれていたものの、本当に大変なのはこれからである。次の給料日(’6月25日)が訪れるまでなんとかやりくりしなければならないからだ。こんなことを日記に書くのもどうかと思うが、現状はいままで生きてきた中で一番、お金が無い。まあ最終手段としてキャッシュカードというものがありかつては利用していたけれど、そんなことをしていたら生活はいつまでたっても安定しない。

そういう事情もあり、この1ヶ月は職場と部屋の往復だけの毎日になりそうな気がする。今回は本当にそうしないと生活ができない、というギリギリの状態だ。ちょうど良いというわけでもないけれど、今の職場で仕事を覚える段階も佳境に入っている。たぶん遊びたくなるような余裕もしばらくは無いだろう。この辺りは運命と思って受け入れるしかない。

というわけで、この日記を読んでいるお金持ちの方に業務連絡をします。

ご飯食べさせてください。

ご連絡をお待ちしてます(冗談ですが、本気も混じってます)。

とは言いながら、晴れて次の給料日がきたら好きなことにちょっとお金を回そう、8月のサマーソニック参戦(大阪会場の1日券は1万2500円)なんてどうかなあ、などと考えてしまうから我ながらおめでたい人間である。あー、早く7月25日になってほしい。

作家の橘玲さんが「大震災の後で人生について語るということ」(11年。幻冬舎)に続く新しい本を出した。

本書の帯には、

<従来の日本人論をすべて覆すまったく新しい日本人論!!>

と書いてある。

日本人論を書くというのは結構な冒険が必要だ。最近では内田樹さんの「日本辺境論」(09年。新潮新書)があるが、日本とか日本人とか大きなテーマを設定すると1冊の本ではどうしても概論というか表面的な内容になってしまう(実際、ネットの書評でもそのような感想を見かけた)。必然的に細かいところに拘る専門家などからの反感は避けられない。そんなことを思うと、内田さんも橘さんもかなり度胸がある。私だったら絶対にしたくない仕事だ。橘さんはどうしてこのような本を執筆しようと思い立ったのか。

本書の名前は「かっこにっぽんじん」と読む。日本人をいったんカッコに入れる、という手法を意味しており、日本人うんぬんを言うことはまず措いて論を進めようというのだ。

<本書のアイデアはものすごく単純だ。
私たちは日本人である以前に人間(ヒト)である。人種や国籍にかかわらず、ヒトには共通の本性がある。だとしたら「日本人性」とは、私たちから人間の本性を差し引いた後に残ったなにものかのことだ。>(P.2)

また、

<これまで「日本人の特徴」と考えられてきたものは、その大半がこのふたつの「本性」(「人間の本性」と「農耕社会の本性」)で説明できる。>(P.109)

とも述べている。

まず最初に「ヒト」とはどういう生き物なのか、そして「農耕民族」というのはどういう民族なのか、という大きな話から展開していくため380ページ近くになる分量となった。

そうした後で、他の国と比較して日本はどのような特徴があるのかを述べるわけだが、冒頭で橘さんは「世界価値観調査(World Value Survey)」(世界80カ国以上の人々を対象に政治や宗教、仕事、教育、家族観を調べたもの)の結果を紹介し、日本人だけ突出して違う部分が3点あることを示す。

それは、

・日本人は戦争が起きても国のためにたたかう気がない
・自分の国に誇りも持っていない
・世界の中でダントツに権威や権力が嫌い

というものだ。このあたりは世間の持つ日本人のイメージとかなり異なるだろうが、実際の調査結果はこのようになっている。そして橘さんはさまざま研究を参照しながら日本人を、

<世界でもっとも世俗的な民族>(P140)

と要約する。こないだの日記でも同じ部分を引用したが「世俗的」とは何かといえば、

<世俗的というのは損得勘定のことで、要するに、「得なことはやるが、損をすることしない、というエートスだ>(P.140)

日本人は共同体意識の強いムラ社会である、という認識が一般的だが、それは農耕民族だったらどこでも同じようなものだという(むしろ日本人は他の農耕民族と比べて血縁や地縁の縛りは弱い)。そしてその価値観は日本人が歴史に登場して以来、一貫して変わらないものであると本書は結論づける。

といってもすぐには納得いかないだろう。そこで皆さんが「えっ?!」と思うような事例が一つ載っていたのを紹介したい。

<日本人は当たり前と思っていてほとんど意識しないが、「ワンルームマンション」というのは日本独特の居住形式で、海外ではほとんど例がない。
私がこのことに気づいたのは二〇年ほど前で、香港人の知人から「なんで日本人は一人暮らしなんていう恐ろしいことをするのか」と真顔で訊かれたからだった。香港というきわめて高度化した都市に住むひとびとですら、当時は「一人で暮らす」という発想がなかったのだ>(P.151-152)

欧米諸国も事情は同じで大学の寮は二人1部屋だし、部屋を借りる場合はルームシェアをするのが通例だという。多くの日本人は見知らぬ人と共同生活をするというのは考えられないに違いない。このあたりに日本の特殊性が見つけられ、そしてそれも「世俗性」というキーワードを使えばかなりのところまで理屈付けができるようになる。

こうした事例を踏まえながら、近代から現代へと徐々に話が移行していく。後半では、現在の日本で最も注目を集めている橋下徹・大阪市長が率いる「維新の会」について、小泉純一郎氏や橋下氏の思想の根底にある新自由主義(ネオリベラル。略してネオリベ)が対立する政治哲学(古典的自由主義や保守主義)よりも優位な考えであることを解説した後で、

<福祉国家が財政的にも制度的にも破綻している以上、オールドリベラルや保守本流はたたかう前から負けている。建設的な批判は包摂され、比較検討され、政策立案の素材に組み込まれていく。あとは「独裁」「ファシズム」のような罵声か、「弱者に冷たい」「言葉づかいが下品だ」という無意味な道徳論が残るだけだ。市地方政治家の立場でネオリベの政治哲学をツイートしている限り、ハシズムは無敵だ。
もっとも、政権を握ったオバマがいまは「ワシントンとウォール街の擁護者」として共和党の大統領選候補者たちから批判されているように、橋下市長が将来、国政の実権を握ることになれば、国民大衆の利害と正面からぶつかることになる。政治家として真価は、そのときはじめて問われるだろう。>(P.332)

罵詈雑言が飛び交う橋下市長および維新の会をどのような点で評価していくか、その辺のポイントを実に鮮やかに切り取っている文章ではないだろうか。こうして日本の政治や経済の問題についても述べられていく姿は実に興味深かった。

本書の執筆動機はあの「3・11」以降、わたしたちがどのような道を進むのかを提示しようとしたものである。最後はかなり理想論になるが、橘さんは最後はこのような形で締めくくっている。

<私たち日本人に残された希望は、いまの世俗性を維持したまま自由な自己表現のできる社会をつくることしかない。
(中略)
すべてのローカルな共同体(伽藍)を破壊することで国家をフレームワーク(枠組み)だけにして、そこに退出の自由な無数のグローバルな共同体を創造していく。後期近代(再帰的近代)の終着点となるその場所がユートピアへの入口だとするならば、そこに最初に到達することが、歴史が日本人に与えた使命なのだ。
これが私のだ。」(P.372-373)

伽藍(学校や会社など退出不可能で閉鎖的な空間)を抜けてバザール(いつでも退出可能な開放的な空間)へと迎えるのは、世界でも希に見るほど世俗性が強い日本人にその可能性が高い、と橘さんは示唆している。

<社会そのものは変われなくても、伽藍を抜け出してバザールへと向かうことは、個人としてはじゅうぶん可能だ。>(P.367)

望む/望まないに関わらず、日本社会を覆っている伽藍は崩れてきているのも間違いない。いや、そう確信したからこそ私はかつての職場(そこは典型的な伽藍の会社だった)を離れて新しい道を模索しているわけだ。

個人的には、

<日本人をカッコに入れるいちばんの効用は、「国家」や「国民」という既成の枠組みから離れることで、世の中で起きているさまざまな出来事をシンプルに理解できるようになることだ。>(P.8)

という本書の意図は達せられた。本書を読んでから、将来の見通しがちょっと開けてきたように思う(かといって、自分の未来が明るくなったわけでは決してないが)。この本で得た知見を踏まえて、また自分で新たに色々なことを学んでいこうという気持ちになった。

ところで、私が今回もっとも衝撃を受けたのは最後の「あとがきーーエヴァンゲリオンを伝える者」に載っていた橘さんの小学生時代の思い出かもしれない。私は橘さんのクールというか、ある意味では「身も蓋もない」とも感じられる文章に惹かれてきた。国家を縮小して最後には国家のない社会を目指すリバタリアニズム(Libertarianism)を標榜する橘さんと個人主義的な部分の強い自分に共振するとろがあるのかなと今までは考えていたけれど、本書をもってその一番明確な理由にブチ当たったようである。

<私はずっと、自分がふつうの日本人とはどこかちがっていると感じていた。それは「学校」という集団にどうしても馴染めなかったからで、中学や高校でもこの違和感がずっとつきまとった。
それと同時に、一人でいることにさしたる苦痛がないことにも気づいた。
(中略)
こうした性向は大学四年になっても就職活動はまったくしなかった。大きな会社に入っても、そこにいるひとたちとうまくやっていくことなどできるはずはないと思っていたのだ。
「他人(ひと)とはちがう」というのは傲慢さの裏返しであり、世間から半分落ちこぼれた自分を正当化する言い訳でもある。そのくらいのことはさすがに気づいてはいたが、それでも自分が別だという確信は揺らがなかった。
(中略)
しかしこの本を書き終えて、私にもようやくわかった。そんな私こそが、典型的な日本人だったのだ。>(P377-378)

この部分は、私のこれまでの半生を要約したもの、としても全く違和感がない。そのことに何よりも驚いたのである。

この本の前身ともいえる「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(10年。幻冬舎)の最後で、

<ここまでぼくの話を訊いてくれたのだから、君はぼくに似ているのだ。>(P.263)

と締めくくっているのを思い出した。この本を読んだ当時は、まあ似てる部分もあるかもね、という程度で終わった。しかし「(日本人)」を読んでから確信した。橘さんとの出会いはもはや偶然ではなかったのだ。橘さんの著作を読んでいる方も同じような気持ちを抱いた方はいるのだろうか。

そして「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」と「大震災の後で人生について語るということ」に続き、本書もまた私の座右の一冊となった。
SNSはもっぱらTwitterを活用している津田大介さんが珍しくFacebookを使っていた。何やら新聞記事の切り抜きを紹介しているので覗いてみると、それは今から30年近く前の1983年2月5日発行の「毎日新聞」だった。

題名は、

<「原発は金になる」推進講演会で敦賀市長>

というものである。そんなに長くもないので全文を掲載する。

<全国原子力発電所所在市町村協議会会長(全原協)を努める福井県敦賀市の高木孝一市長が北陸電力(本社・富山市)の原発建設候補地である石川県羽昨郡志賀町での講演会で「五十六年四月の日本原電放射能漏れ事故はマスコミが騒いだだけ。原発は金になる」などと発言したことが四日、明らかになった。敦賀市の反原発団体が同日午後、講演テープをつきつけたのに対して、同市長は謝罪したが、同市や志賀町の原発反対住民の怒りはおさまりそうにない。

この発言は原発推進派の羽昨広域商工会が一月二十六日、町民約百五十人を
集めて開いた講演会で飛び出した。このなかで高木市長は「原発反対運動は県議選で過去二回も惨敗しており、住民に密着していない」「原発は電源三法交付金や原発企業からの協力金があり、たなぼた式の金だ」とぶちあげ、「(放射能汚染で)五十年、百年後に生まれる子供がみんな障害者でも心配する時代でない」と結んだ。>

大昔のこの記事を紹介した津田さんの意図はわからないけれど(コメントは一つもなし)、おそらく原発推進派の人でも、これはいかがなものかなあ、と言われそうな露骨な発言ではある。

しかし私はこれによって原発をどうのこうの述べるつもりはない。最後に出てくる、

「(放射能汚染で)五十年、百年後に生まれる子供がみんな障害者でも心配する時代でない」

という部分に強く興味を惹かれたのである。

これを見て私は、日本人って忘れっぽいし無宗教だからこういう発言は割と本質を突いてるかもしれないなあ、とパッと思った。

日本人が忘れっぽいというのは、あまり良い表現ではないけれど、そんなに的外れでもないのではないだろうか。私は一度だけロンドンまで行ったことがあるけれど、びっくりするくらい昔の建物や道路が残っている。いま暮らしている京都市内は文化政策もあってまだ街並みは残っているほうではあるけれど京都駅周辺は他の都市と比べても景観に大差はないだろう。日本人はけっこう新しいものに対して積極的だが、次の新しいものが出てくるとまたすぐ乗り換えてしまう傾向が強い気がする。そしてこのあたりはマスコミや広告代理店の影響があるのではと個人的に解釈していた。

また、特定の宗教を信仰する度合いが薄いのも影響があるだろう。キリスト教でも仏教でもイスラム教でも、たいていの宗教では人間が死んでからの話が出てくる。そして、生きている時に悪いことばかりしていると死後の世界ではろくな目に遭わない、という理屈になっていく。こうした教えがその人の生き方に一定の歯止めをかける役割を果たしているだろう。しかしそうした宗教の縛りの無い人は、自分が生きてる間さえ良ければいいや、という刹那的な考えに陥る可能性がある。さきの高木氏の発言はこうした考えが根底にあるような気がしてならないのだ。

私は限りなく無神論の人間だが、未来の問題を考える場合は人間を超越した存在(いわゆる「神」か)の視点というのはどうしても必要になってくるとは思う。それは何もいかがわしいことではなくて、「お天道さまが見てるから、悪いことしちゃ駄目だよ」という程度のレベルである。ともかく人間が自分の死んだ先のことまで考えるためには宗教的な部分が出てくるだろう。ちなみにこのような考えは私のオリジナルではなく仲正昌樹(金沢大学法学類教授)さんがどこかの著書で述べられていたことのうろ覚えである。

ここしばらく橘玲(作家)さんの新刊「(日本人)」(12年。幻冬舎)を読んでいた。「従来の日本人論をすべて覆すまったく新しい日本人論!!」と帯に書かれたこの本の感想は近いうちに日記に載せる予定だが、そこでは私の考えを補足してくれるような指摘が出てくる。それはアメリカの政治学者ロナルド・イングルハートの大規模なアンケート調査で、日本人は「世界でもっとも世俗的な民族」(本書P.140)であると示唆する結果を出した。橘さんは続ける。

<世俗的というのは損得勘定のことで、要するに、「得なことならやるが、損をすることはしない」というエートスだ。>(P.140)

<いまが楽しければ、来世はどうなっても構わないーー日本人は万葉のむかしからそう考えていた。江戸時代の封建制が明治の近代になっても、戦前の天皇制が戦後のでデモクラシーに変わっても、日本人の価値観はずっと同じだった。>(P.144)

驚くことに、この考えを採用すれば戦前/戦後の境目で日本人の価値観がガラッと変わってしまったことも説明がついてしまう。戦前の日本は外国への移民や身売りなどをしなければならないほど経済的に貧しかった。だから台湾や朝鮮半島や中国へ進出することは「得をすること」なので国民はこぞって軍事拡張を支持した。だが大東亜戦争(日中戦争から太平洋戦争)において日本人の死者が300万人に達したり空襲や原子爆弾などで日本中が焼け野原になったりと悲惨な目に遭う。そういう体験に懲りた日本人は戦争を「損なこと」と感じて戦後は反戦平和の声が大きくなった。橘さんの論旨はこういう感じである。ある種のイデオロギーを持っている方には不満の多い指摘かもしれないが、私はこれを読んで頭の中がかなりスッキリしたし、むしろ「日本人って割といい民族かもね」と思うようになったことも否定できない。

先日の6月16日に野田政権は関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を正式決定した。十分に議論や調査もしていない中でのこの決断には民主党内からも批判が出ている。個人的にも拙速な感は否めないけれど、このままズルズルと再稼働する発電所が増えていくような気がしている。

橘さんの提示する日本人の世俗性から考えると、原発再稼働が得なのか損なのか、という点で国民の合意を得た方の流れに向かっていくのだろう。ただ、短期的な視点から考えると推進の声のほうが強い気がするし、政府が事をうやむやにして勝手に決めてしまう部分もあるかもしれない。

ただ、どういう考えを提示するにしても、「国民にとって得な選択とは何か?」という視点がこの国では必要になってくるだろう。
梅雨入りになってから天気もあまりすぐれない。今日の夕方の京都市内はけっこう激しい豪雨が40分くらい続いた。そんな中でなぜか私は外にいたけれど(理由は秘密)、そんな状態でも自転車に乗っている人が何十人もいるのには驚いた。カッパを着たり片手に傘を持っていたりずぶ濡れとなったりとその姿は様々だが、みんな必死でペダルを踏んでいる姿は必死すぎて痛々しかった。

しかしそんな人を見ているうちに、

「そういえば、傘をさして自転車に乗ったら違法じゃなかったっけ?」

ということを思い出した。事故が多いことが指摘されてきたためか自転車に乗る人の風当たりも厳しくなってきているように感じるけれど、傘の取り締まりについてはあまり聞いたことがない。

だが、ネットで調べてみると取り締まり云々は簡単ではないようだ。「教えて!goo」での「『自転車の傘さし運転は違法』は有名無実?」という質問に対する答えが実に興味深い。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4404618.html

警察が傘さし運転を取り締まらない理由としては、要約するとこういうものがある。

・取り締まれるとしても運転免許所持者のみに限られるため 

反則金を取るという行政罰は運転免許を持っている人(自動車やバイクについての専門的知識のある人)しか適応されず、無免許(専門的知識のない人。私のような人のこと)はせいぜい説教くらいしか警察はできない(もしそれ以上のことをしたら警官は「特別公務員職権濫用罪」となる)。

・「法規制は必要最小限でなければならないという国民主権の原則があるため

大多数の人が傘さし運転をしている現状では、それを取り締まってしまうと膨大な違法者が出てきてしまう。これは国家権力の濫用にあたり、この場合は「法律そのもの」が違法ということになる(国家権力を抑制するためにこうした規制がある)。

他にも、地域課の警察官は取り締まりができず(それは交通課の仕事になる)もししてしまったら越権行為となる、といった警察独自の事情もあるようだ。

しかしこの「国民主権の原則」というのは傘さし運転以外にも見られる話だろう。

例えば、免許を持っている人で身近に経験しているものに交通違反というものがあり、これを犯すと、さきほど少し触れたが、反則金が課せられる。反則金は「罰金」というイメージがあるけれど(私も以前はそう思っていた)、正式には「過料」(「科料」」ではない。私もついさっきまでそう思っていた)と言われるものである。何が違うといえば、罰金や科料は「刑罰」であるが過料はそうではないのだ。

なぜ交通違反は過料になるかといえば、多くの人が日常的にしてしまう交通違反に対して刑罰を与えてしまったとしたら、世間は前科者だらけになってしまうからだ。このあたりも国民主権の原則に通じるだろう。

そういうことを踏まえると、傘をさして自転車に乗っている人があれだけ目につく状況では取り締まりもかぎりなく不可能な気がしてくる。

ちなみに動きの鈍い私は、よほど緊急のことがでもない限りは傘をさして自転車に乗るような真似はしないことにしている。

本日Yahooのトップを見たら、

「社員が幸せな会社 創業者は」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120615-00000512-san-bus_all

という題名を見たので覗いてみると産経新聞6月15日(金)10時2分配信の記事だった。岐阜県にある「未来工業」の創業者・山田昭男(相談役)さんのインタビューが掲載されている。

未来工業は世間の企業とはあり方がかなり異なっており、

・営業のノルマ、残業は一切なし
・定年は70歳
・年間の休暇は有休休暇を除いても140日
・しかも全員が正社員

など、多くのサラリーマンが羨むような制度が溢れている。同社は昭和40年に5人で立ち上げたのがが現在は社員800人、売り上げ高は200億円、しかも創業以来「赤字なし」だという。

<--65歳の平社員の平均年収が約700万円とか、育児休暇3年(何度でも)とか、気前がいいですね>

という記者の質問に対して80歳の山田さんはこう答える。


<山田 社長の仕事というのはね、社員を幸せにして、「この会社のためにがんばろう」と思ってもらえるような『餅(インセンティブ)』を与えること。社員がヤル気を出して会社が儲(もう)かれば、分け前をまた『餅』にする。それだけだよ。バブル崩壊後、多くの会社が、正社員を派遣社員やアルバイトに切り替えてコストを下げようとしたでしょ。だけど、それで会社が儲かるようになったのか、って聞きたいですよ。人間(社員)を「コスト扱い」するな、ってね。>

後段の正社員うんぬんの話については同意しかねる。創業以来赤字なしの山田さんには人員削減をしてでもなんとか会社を継続させようという経営者の気持ちは理解しにくいのかもしれない。もしもそういう会社が無理に正社員雇用にこだわったとしたら、さらなる人員削減しかないではないか。また、派遣や契約やアルバイトといった雇用を生み出すこともなかっただろう。こうした雇用形態があったからこそ失業率が現状程度でとどまっていると捉えることもできる(正社員を維持していたら国内の経済状況が良くなっていた、などと誰が断言できるだろうか)。

未来工業についてちょっとネットで調べてみたら、テレビ東京系の番組「カンブリア宮殿」のページにぶつかった(未来工業は2011年1月20日放送分で紹介されたらしい)。

「カンブリア宮殿」のサイトはこちら。
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/list/list20110120.html

そこには、

<誕生! 「考え抜く」は社員たち>

という項目があり、未来工業が社員にアイデアを出させる工夫が載っていた。

<実は未来工業では、毎日1、2個は新製品が誕生しているという。そのおかげで、シェアトップのスライドボックスだけでも85種類も作っているのだ。取り付け穴が2個しかなかったものを4個に改良するなど、常に何かしらの改良で新商品が生まれ続けている。そんな社内のあちこちに掲げられているのは「常に考える」という標語ーー山田氏曰く「大手と同じものを作っていては負けてしまう、考え続けて差別化しろ!」これが全社員に徹底されているのだ。例えば営業社員にノルマはないが、ユーザーを必死に訪ねては、製品開発の種を拾い続ける。その結果、開発部門には全国の営業から毎日10件程の要望や提案が寄せられ、新商品化にこぎつけるのだという。「コストがかかるからダメとかではなく、どうしたら売れるか、客が便利だと思うものを『考え』ればいいんです」
そして「考え抜く」ための社内制度…改善提案は、全て1件500円で買い取りを行い、毎年1万件近く集まる。>

未来工業を見て最も印象に残ったのが社員に対する異様な高待遇である。さまざまな報酬を与えてノルマも課さないようにしたら社員の意識が高くなって業績も上がる、というパッと見たら逆説としか思えない会社を支える原理とはなんだろう。そしてしばらく考えてみると、自分の中に一つの仮説ができた。
それは、

「お金や生活に心配がなくなれば仕事に集中できるのではないか」

というものだった。私がそんなことを考えたのは、ドイツの政治哲学者、ハンナ
・アーレントの論考を思い出したからである。「全体主義の起源」(1951年)や「人間の条件」(1958年)などの代表作があるアーレントの特徴の一つに、古代ギリシャの都市国家「ポリス」で展開された政治を理想にしていたことが挙げられる。

などとわかったような言ったものの、実はアーレントの著作をまともに読んだこともない。彼女の思想などについては仲正昌樹(金沢大学法学類教授)さんの著書「思想の死相」(07年。双風舎)のアーレントの項を参考にしている。仲正さんはアーレントについてこう解説している。

<彼女が理想とする「自由な政治」は、古代ギリシアのポリス、とくにアテネで展開していたような、一定の財産を持ち、家事・労働から解放されているーー「市民」たちが公共(public)の広場に集まっておこなう「討論」をモデルにしています。物理的な利害関係から「自由free」にならない限り、「人間」らしいまともな議論はできない、ということですね。>(P.73)

古代ギリシャはさまざまな思想や文化が花開いた時代であった。奴隷という非人間的な制度が存在したという問題はあったものの、一日一日を生きるのに必死になるような状態でなかったからこそ、人は読書とか学問とかに時間を費やす余裕ができたことも確かだろう。そういえば中国の故事にも「衣食足りて礼節を知る」というものがある。食うに困っている状況では良い発想など出てこない、というのは世界共通の話なのだろう。

このあたりのことを考えると、未来工業の方針もなかなか利にかなっているような気もしてきた。しかし、だからといってここの真似をするようなところが出てくるとは思えない。社員に大判ぶるまいできる会社など、今のこの国にはそうそう無いからである。

ゲリラ住民税

2012年6月14日 日常
またしても日記を書く間隔が空いてしまった。一行も書けなくなるほど忙しいわけでもないが(毎晩、昼のお弁当の準備はしているけれど)、何か人に言いたいような出来事がなかったことも事実である。

しかし今日は「目が覚めるような」話が突然に降ってわいてきたので記したい。しかし、これも「またしても」であるが、実に辛気くさい内容になってくる。

いつものように仕事が終わって自転車に部屋に戻ると、郵便受けに何やら少し厚めの茶封筒が1通入っていた。裏面には「三菱東京UFJ銀行」の文字が見えたので、自分は口座を持ってるから何かの案内かなと一瞬は思った。

しかし、それ違うだろう、とすぐ判断がついた。大手の銀行で自分のところの案内を茶封筒で届けるのはあり得ないだろう。表面をひっくり返してみると、

「京都市上京区役所 区民部市民税課 市民税担当」

と印刷されている。

「市民税というと・・・もしかして・・・」

とイヤな予感を振り払って封筒を開けてみたら案の定、

「平成24年度 市民税・府民税 納税通知書 兼 税額決定通知書」

という名前の分厚い用紙が入っていたのである。つまり、住民税を払え、ということだ。

それにしても、去年の住民税を(区役所に分納してもらって)払い切ったのはつい先週のことである。全てを清算してホッとしたのも束の間、こんなに矢継ぎ早に催促がくるとは予想外だった。だから今日の日記の題名はそういう思いがあってつけた次第である。

もちろん、1年ちょっと前に会社を辞めて、確定申告も自分上京税務署に行って手続きをしたので自宅に通知書が送られてくることはわかっていた。しかし、去年この通知書が届いたのは確か8月とか9月だったと記憶している(貯金が尽きてきて、やばいなあと思ったときに届いたはず)。会社を辞めた時期が5月だったのが関係あるのだろうか。それはともかく、通知が来るのは夏くらいだろうなあ、と勝手に思っていたので今日は本当にイヤーな気分になっている。

もう去年は5ヶ月ほど仕事をしてなかったため「総所得」は異様に低い。だから住民税の金額も去年の1割くらいになってしまったが。わっはっは。

それでも、現状はもうそんな想定外のお金を支払う余裕が本当に無いのだ。最初の納付期限は「7月2日」となっている。一言だけいわせてもらえば、ふざけるなこの野郎、である。この期限を守ることは、絶対に無理である。せっかく去年は頑張って毎月定額を納めていたけれど、今回でついに滞納となりそうだ。

今年もまた分納してもらおうかな?と半ば本気で考えている。
今朝、お弁当の準備をしながらパソコンでFM大阪の番組を聴いていると、「ボーカロイド(VOCALOID)」に関する話題が取り上げられていた。時流に乗っている方は「初音ミク」とセットでこの言葉を承知していただろうが、私は今日になって初めてこれを知った次第である。もちろん初音ミクについても全く知識はない。

今日の日記を書くにあたりボーカロイドについてちょっと調べたら色々と技術の話が出てきて少し嫌になってくる。それでも、歌声の録音を素材にしてかなりリアルに再構築できる技術ということくらいは理解できた。ただ、それだけではたいして関心は持たなかったと思う。しかしそのラジオ番組で「オッ」と興味を惹かれる曲が流れたのである。

それは今は亡き植木等の音声を使ったボーカロイドで加山雄三の”君といつまでも”だった。パッと聴く分には、植木等が歌ってるなあ、と思える出来にけっこう衝撃を受けた。

ただ、これはボーカロイドが歌っているということが頭にあったからかもしれないが、なんだか表現力が平板な印象に感じた。微妙なニュアンスのようなものが抜け落ちているのだろう。おそらく植木等のファンだったら余計にそう感じるに違いない。

いまやボーカロイドの楽曲を集めたアルバムがチャート1位になる時代であり、また実際の歌手のCDだって声を加工してしまうこともよく知られている。しかしそうした編集によって消えてしまったものの中に、個性というか大事な要素があるのではないだろうか。

現在の技術を駆使すればプロ顔負けの「うまい」楽曲や歌を作り出すこともできるだろう。しかしそういうものを聴いたところで、感心することはあっても心を動かされることはないだろう、というのが好きなミュージシャンを観るためだけに英国に行った自分の感想である。
経験のある仕事でも異業種でも、新しい環境で仕事を始めれば最初は誰でも苦労する。当の私も5月17日から再び働き始めてもう半月ほどになる。

ある程度の時間が経つと、周囲の状況が少しずつではあるが見えるようになってくる。しかしそれに比例して自分の仕事ぶりも良くなっていくかといえば、そんなに進歩がないというのが正直なところだ。毎日のようにミスをする。今の仕事はけっこう細かさというか正確さが求められる部分が多い。ガサツな私にはけっこう厳しいところがある。

「自分にはこの仕事に向いてないかも・・・」

気持ちが弱ってくるとこんなことも頭をよぎってしまう。ここで辞めたり切られたりしたら、もはや行くところなど自分には無いというのに。

そんなモヤモヤした気分の時、去年の10月から今年の3月までいた会社の研修期間中に私を指導した人の言葉を思い出した。別にその人が立派だとかいうわけでもなかったけれど、5日ほどの研修の終わりだったろうか、これから現場で働く私たちに対してこんなことを言ってくれた。

「壁にぶつかる時があると思います。その時は、3ヶ月は頑張ってみよう。そう思ってみてください」

この人は別の場面では、

「辞める時は1ヶ月前には言ってください。まあ、辞めるのは仕方ないですよ」

と言っていたし、結局は私も半年で逃げるように勤務地から去ってしまった。研修期間中にも、社員の方が上司と言い争いをして「辞めます」となった光景も目の当たりにしている。そもそも人を育てるという方針のある会社ではなかった。

ただ「3ヶ月」という期間がなんだか自分には妙にしっくりきていて、それが頭にまだ残っているのだ。考えてみればその職場に就いて最初の2ヶ月ほどは、もう10年分くらい怒られたと思う。

「いますぐ辞めたい。もう辞めたい」

と毎日思いながら職場に行っていたのはいま考えても痛々しい。ただ、それでも3ヶ月目くらいから周囲にあまり怒られない程度の仕事ぶりにはなってはいた。そういう経験もあって、業務内容とか周囲の環境とかを把握する目安が3ヶ月くらいなのかなあ、と勝手に自分では思っている。

当初は、今の場所もとにかく3ヶ月は頑張ろう、という結論にしようと思ったが、前の職場のことを思い出すとそんな悠長なことを言ってられないことに気づいた。なんとかこれ以上落ちていかないよう必死にならねば、と心を新たにした次第である。

アレクサンドロス王子の言葉「でも・・・それでも きっと楽しい・・・」
アレクサンドロス王子の言葉「でも・・・それでも きっと楽しい・・・」
今日は午前6時半に目を覚まし、起き上がったらすぐ台所に向かう。昼に食べるお弁当を作るためだ。こうやって自分で昼食を準備するのは生まれて初めてのことである。

まもなく36歳になる自分がなぜお弁当を作ったのか。多くの方はすぐ食費の節約と思うだろう。しかし一人暮らしで自炊をしたところで、そんなにお金が浮くわけではないというのが自分の実感だ。余計に食材を買って無駄にしてしまうことも少なくない。

それよりも個人的には、時間の効率化ということに期待をしている。これまでは冷蔵庫の中をほとんど空にしていたため、何か食べたくなったらいちいち外に出るのが常だった。これが1日に2度も3度も続くのは相当に無駄な行為である。また、いまの勤務地に行く途中にコンビニに立ち寄るのも面倒に感じていた。朝の弱い方なら同感できると思うけれど、仕事に行く前はなるべくゆっくりしていたいものだ。そんなこともあり、また新しい勤務地に就いてそれほど忙しくない状態になれたこともあり、じゃあお弁当でも作ってみようかと思い立ったのである。

そしてできたのが写真のものだ。ご飯は「ドライカレーの素」でドライカレーにし、あとはタレ漬け牛肉を焼いた。私が直接作ったのはこれだけである。あとはトマトでも添えて終わろうかと思ったけれどそれだけではタッパ(ローソン100で購入)がスカスカだ。そこで近所のフレスコに行ってポテトサラダを買おうとしたら、アボカドが安く売っていたので(87円)付け加えてみた。アボカドを弁当に入れるってあまり聞いたことがない。我ながらけっこう斬新かも、と思ってしまった。盛りつけとか細かい部分は色々あるけれど、色合いなどは初めてにしてはまあうまくいったかなと自分では評価している。

お弁当を用意すると決めた時、飲み物もどうにかしないとな、と思いAmazonで水筒を買った。それが画像である。冷たいのも熱いのも入れられるものでそこそこ量のある(500ml以上)のものがないかな、と調べたら象印のこの水筒が良さそうだったので注文する。かかった値段は送料など含めて1609円である。実際に麦茶と氷を入れて使ってみたら、朝入れたものが夕方まで氷が残るくらいしっかりと冷たく飲める。なかなか良い具合だ。

ただ、お弁当を勤務地に持って昼にいざ食べようとなった時に、お箸を準備するのを忘れていたという失敗はあった。新しい試みをするとこういう手落ちは必ず出てくるものだ。

とりあえず明日のお弁当の準備をしたけれど、もともと要領の良い人間でもない自分がいつまでこれを続けられるのかわからない。しかし部屋で食事を作ってしまえば時間がかなり工面できることが1日だけでも実感することができた。

少し前までは、お弁当を作ろうなどは絶対に思わなかった。そんな余裕がなかったのだから。お金や将来の心配もいろいろあるけれど気持ちの面ではかなり改善されたということだろう。日々の生活を送るのが少し楽しくなってきたような気がする。

先日、私が唯一リアルタイムで読んでいるマンガ「ヒストリエ」(作・岩明均。講談社)が「第16回手塚治虫文化賞」において大賞を受賞した。最新刊の7巻をペラペラめくっていたら、若き日のアレクサンドロス王子(アレクサンドロス3世)が語る台詞が印象に残った。

この作品で未成年の頃のアレクサンドロスは心優しいながらも非常に弱々しいイメージで描かれている。本人もそれを自覚しており、自分はとうてい父親の後を継げられる人間ではないと悩んでもいる。そんな彼が王族の幹部候補生が帝王教育を受ける「ミエザの学校」で学友のベウケスタスと一緒に馬に乗りながらこんなことを話す。マンガの内容を具体的に記述するのも気がひけるので概要だけを紹介する。

自分は到底父親を継げる器ではない。しかし、だからといって努力を放棄するのはただの「逃げ」だ。しかしこの学校で同年代の仲間と一緒に学んでいけばこんな自分にも何か「答え」が見つかるかもしれない。そんな気がする、と。

そしてベウケスタスに、辛く悲しい出来事も色々あるだろう、と言った後でなんともいえない表情をしながらこうつぶやく。

「でも・・・それでも きっと楽しい・・・」(P.120)

アレクサンドロス王子はこれからの波瀾万丈の人生を予測しながらも、なんとか肯定的でありたいと願いこのようなことを話したのだろうか。そのあたりは想像するほかないけれど、今の自分の心境に重なる部分があるのかなあ、と勝手に思ってしまった。

Facebookという名前を知ったのはけっこう前のことだった気がするけれど、実際に登録したのは1年くらい前である。まだ以前の会社にいたころ職場の人と話をしていた時、

「興味があるけれど実名なのが気になるんですよ」

言われたのがいまでも頭に残っている。私はブログも実名を出して書いてるけどねえ、と思いながらもそういう点でFacebookは日本国内ではあまり流行らないかなと直感した。

日本人は俺が俺がと前に出ていかないのが美点である一方、某大型掲示板のように人の見えないところでは好き放題やるような陰湿な部分も裏ではある。美点は欠点にもなりうるという典型例であるが、半匿名が大多数なmixiのような形のほうがSNSは受け入れやすいだろうとも思っていた。

しかしそれから2年ほど経っただろうか。SNSを取り巻く環境はかなり変わってきている。私の周囲ではFacebookに登録している人がけっこう目についてきたのだ。それに反比例するかのように、mixiでは身売りの噂が出てくるのだから世の流れというのは恐ろしい。

ただ、自分のことを棚にあげて言うけれど、Facebook独自の活用をしている人はあまりいないようだ。家族の写真とか旅先の風景とか食べ物の画像とかを載せて「いいね!」などとしている程度である。はっきりいってmixiの延長線上の使い方だ。勿論そういうことで全く問題はないのだけれど、両者には見過ごせない違いがあるということを認識して使っているのかなと少なからず疑問が残っている。今日はそれについて述べてみたい。

さきほど少し触れたけれど、私はもう10年近くブログを続けており、mixiは06年に知人から招待してもらって以来だ。いずれにおいても私は実名を公開している。その理由は今日の本題ではないので割愛するけれど、私のような真似をしている人はそれほど多くはない。それは説明するまでもなく、自分にとってデメリットが色々と出てくるからだ。もしブログやmixiでうかつなことを書いて思いがけない人から非難を浴びたり、もし最悪なら「炎上」という事態におちいることもありうる。だから多くの人は敢えて実名をさらすようなリスクを負わないわけだ。ここまでは理解できる話だろう。

しかしそれならば、Facebookで実名を出すのはどうして平気なのだろう。

私にはさっぱりこの理由がわからない。ブログや他のSNSと比較してFacebookが安全などという話も聞いたことがないし。

例えばFacebookを使うにあたって問題になっている一つに、繋がりたくない相手から友達リクエストが届いたときの対応、というものがある。現実社会で付き合いのある人というのは無下に断るのは確かに難しい。ましてや相手が職場の上司とか大事な取引先だったりしたら大変だ。もし繋がったとしたら、それ以後Facebookも使いづらくなるだろう。

余談だが、こないだ知り合いに友達申請をして承認された。それは自体は良かったが、向こうの「友達」の中にかつての職場の上司を見つけてちょっと驚いてしまった。こちらはもはや付き合いもない人なので万一リクエストを受けたとしても、メリットがございませんので、と平気で断るが。

ともかくネット上で実名を出すというのは、そういうことだ。この世界に深く突っ込んだことのない方はその辺があまりわかっていないのではないだろうか。

私が自宅でインターネットを使うようになったのはいまから12年前、2000年の前半くらいである。その時はダイヤルアップ回線、しかもパソコンではなくゲーム機のドリームキャストで接続していたという貧相な環境だった。それはともかく、あの頃は某サイトの掲示板に書き込みをしたり夜中にチャットもした。オフ会というのにも数回参加したことがある。しかし今はそういうことを一切していない。

そういうことを通じて、けっこう痛い目を遭ったからだ。

問題を起こしたのはお前が欠陥人間だからだ、と思う人もいるだろう。では、私が欠陥人間なのは100%事実としよう。しかし、たとえあなたが品行方正な人だとしても、ネットにいる人が正常だとは限らないのではないだろうか。

私は基本的に性悪説に立つ人間なので、自分が正しく振る舞ったからといって相手も同じように返してくれる、などというような無邪気な考えになれないのだ。

また、自分の頭の中も基本的には信じないようにしている。36年近くも自分をやっていて、そのどうしようもなさを嫌というほど自覚しているつもりだ。そもそも人間なんてどこか間違いをするようにプログラムされている、と考えるくらいがちょうどよい。ここまで書いて気づいたが私が実名を出すのは、匿名なら好き勝手なことを言えるのを良いことにとんでもないことを書くというような真似に歯止めをかけるため、というのも一つにあるのだ。

なんか恫喝めいた部分もあるかもしれないけれど、周囲の知り合いだけでワイワイやるだけならそうそうおかしな目には遭わないだろうとは思う。しかし、上のような危険の可能性もあることも頭の片隅に入れていただければ幸いである。

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