この5月17日より新しい勤務地に就いて無事に7日目を終えた。たかだか7日間で全てがわかるなんてことはないけれど、少し前は「生き地獄」とでもいいたい環境で働いていたことを思えば天国のようだ。収入はガクッと落ちるし3年先の保証も無い。だがこれからしばらくまた試行錯誤していきたい。

それにしても、仕事が決まった直後にこうして渡辺美里のライブがあるというのは本当に不思議だ。なにせ約1年前、10年近くいた職場を辞めたのは2011年4月だが、その最後の日に大阪で彼女のコンサートを観ているのだから。

渡辺美里 大阪公演「うたの木オーケストラ2011」(11年4月30日、ザ・シンフォニーホール)
http://30771.diarynote.jp/201105031534352971/

この時の内容は特筆したものではなかったけれど、俺の送別の意味で歌ってくれたのかなあ、などと勝手に思いながら観ていたことを思い出す。もちろん彼女と私の間に何のつながりはない。しかし、人生の節目節目で彼女のステージを観る場面は過去にもあった。

例えば、大学を出たものの仕事が見つからずに鬱々としていた2000年8月5日の西武ドームでのライブだ。この時の西武ライブは15回目という節目だったので、「これで終わりになるのでは」と予感してやむにやまれぬ気持ちで初めて足を運んだ(結果として西武は05年の20回まで続いたけれど)。そのアンコールの最後で彼女が涙ぐみながら”サンキュ”を歌う姿を観た時、

「この人に出会えて本当に良かったなあ・・・」

と自分らしからぬ感激をしたことを今でも忘れない。もう彼女のライブを初めて観た92年から20年も経つけれど、印象に残るほどの場面は数えるほどしかない。その少ない一つが00年の西武ライブだった。そしてそれは、私がかなり精神的に不安定な状況に立たされていたことも密接に関わっていたのは否定できない。そんな私に手を差し伸ばされたような、そんな気がした。

余談だが”サンキュ”は、この20年くらい恐ろしいほど実りのない創作活動を続けている彼女の中では特筆する素晴らしい曲である。ぜひ聴いていただきたい。you tubeで05年(最後の西武ライブ)の映像があったのでリンクを載せておく。
http://www.youtube.com/watch?v=Pui3DrVwAqU

そして今夜もまた、私の新しい門出を祝うかのように2年ぶりに京都でライブしてくれる彼女は、やはり特別な存在としか思えないのだ。これは完全にこちらの一方的な思い込みに決まっているのだが。内容については相変わらず期待値ゼロで臨むものの、今回の私の心境はこんなところである。

今回のツアーは名前の通りライブ・ハウス会場でおこなう。椅子の無いハコを選んだ時点で、こりゃマズいのでは、と直感したら案の定チケットは軒並み「発売中」である。しかし、定員300人のKYOTO MUSEでも完売していないというのはかりショックであった。この理由は簡単で、いつもは大阪で1公演に集まるはずのお客が、大阪(BIG CAT)、神戸(ウィンターランド)、そして京都へと分散してしまったのだろう。今年1月におこなわれたNHK大阪ホール(1417席)も当日券が出ていたのだから、こういう結果になるのも無理はない。

あと、ライブハウスなら行きたくない、と思った人もけっこういたのではと思ってしまう。もはや彼女のファンの平均年齢もけっこう高くなっているし立ち見も辛いだろう。いや、ライブが始まったとたんにむやみに立ち上がっているから、そうでもないかな。とにかく、今後はキャパを考慮ながら適当なホール会場を探したほうが賢明な気がする。

ただ、そのおかげで一般発売してからしばらくたった後でも自分はチケットを買うことができたのだから、こうした状況に感謝するほかない。これまでは「どうせ行くに決まってるのだから」と事前にさっさと確保していたけれど、先行発売をしている頃(今年の2月とか3月)はもう自分の行く末もわからない状態だったので買わなかったのだ(結局しばらくして、何も決まらないままチケットだけは取ってしまったけどね)。それを考えるといま自分がこの場所にいることだけでも実に幸福だと感じる。

KYOTO MUSEはBONNIE PINKのツアー(06年8月30日)以来だからほぼ6年ぶりに足を運んだ。私は一般発売で整理番号は「B82」、おそらく182番目のことか、会場に入った時にはもうお客が半分以上は埋まっていた。その中でもマシな場所はないかと探して真ん中辺に陣取ることにする。

スピーカーからはなぜかザ・プラターズの”煙が目に染みる”が流れている。さらにエルヴィス・プレスリーの”監獄ロック”、エディ・コクランの”カモン・エヴリバディ”など50年代の音楽ばかりが流れている。そしてバディ・ホリーの”メイビー・ベイビー”がかかるとどこからともなく拍手が起こりだす。これが今回の開演のサインなのだろうかと思ったら、案の定会場が暗くなる。そしてバンド・メンバーが、けったいなライトを両耳あたりにつけながら登場し、同じくライトをつけた本日の主役が登場してライブが始まる。

1曲目は最新アルバム「セレンディピティー」(11年)から”ロマンティック・ボヘミアン”である。なんだか今日は最初から声に力が出ているように感じる。そして続くは”パイナップルロマンス”だから早くも会場は盛り上がる。なんだか今日は濃い客層がギューッと集まったようだ。目の前では首にタオルをかけた、頭の薄いメガネのオッサンがブンブン腕を売り回している。この姿を見て、なんだかわからないけど嫌な予感を抱いてしまった。

3曲目の”ニューワールド”の演奏が始まった途端、ハウリングなど音響にトラブルが発生する。いったん中止するかと思ったら、強引に演奏を続けてしまう。これには驚いたが、あまり見たことのない光景だったので、ライブハウスという場は慣れてないのかなあと感じた。

今日もっとも驚いたのはこの直後で、久しぶりのアルバムから、と前置きした歌いだした曲についてである。しかし冒頭の歌詞は全く自分の記憶にはないものだ。なんだこの曲は?と疑問を抱きながら演奏が進んでいるうちに、これって「Lovin’ you」に入ったな?しかし曲目が出てこない、という状態にまでなる。そして中盤くらいの歌詞でようやく、あ!これは”言い出せないまま”だと思い出す。おそらくライブでは25年以上歌ってない曲であろう。もちろん私は生で聴くのは初めてである。そして同じアルバムから”Teenage Walk”という素晴らしい流れだ。
これも1曲まるまる聴くのは久しぶりである。ちゃんと調べていないけれど、もしかしたら10年ぶりくらいかもしれない。

そこから中盤にしていきなり”10years”が飛び出し、またエッ?と思う。いつも本編の最後かアンコールで出てくるこの曲を真ん中にもってきたのが意外だったから。私がこれまで観たライブでこのような展開はちょっと記憶にない。それにしても、「あれから10年も この先10年も」というフレーズは、こうして新しい節目に立っている自分にはまた違った感慨を与えてくれる。

全体としては、全17曲のうち「セレンディピティー」から7曲も演奏されていた。新作を伴ったツアーだから当然といえば当然であるけれど、会場にいる人でこのアルバムを買って聴いている方がどれくらいいるのかなと気にはなる。もはや最近の彼女の動きなど把握していない人とってはつまらなそうな曲目に感じるかもしれない。

しかし今夜の彼女は楽曲うんぬんなど問題にならないくらい調子が良かった。今年の1月に観た時よりグッと良くなっている。もし今日がそこそこのライブだったとしたら、珍しい曲(”言い出せないまま”)が出てきたし、個人的にあまり聴きたくない曲(”ジャングルチャイルド”とか”スピリッツ”とか・・・)がやらなくてスッキリした構成になったし、まあ元気だったし良いか、という程度で感想が終わっただろう。いや本音をいえば、

「今回の内容は絶対に良いはずがない」

、と強い確信をもって臨んでいたくらいである(長くこの人を観ている方なら私の気持ちは理解してもらえると思う)。だが、そんな思いは良い意味でメチャクチャに壊されてしまった。

いったい今の彼女に何が起きたのだろうか。表情も肉眼で確認できるくらいの距離にいられたので歌う姿をちらちら群衆の間から見ていたが、ともかく気合いが違うかなとそういう印象だけは受けた。またバンドのメンバーを今回から2人変えていて、彼らがまたやたら元気がいいというかステージからお客を煽って良い雰囲気と作り出している。そのあたりも影響を与えているかもしれない。

理由はともかくとして、今夜の彼女は最初から最後まで、まさに敵無し、という状態が続いた。そして、私は曲目うんぬんよりも、彼女のパフォーマンスそのものを求めていた、という事実にいまさらながら気づいた。そうでなければ、なんだかんだいって20年もライブ会場に足を運んでいなかったと思う。

再就職したばっかりで気分が高まっていただけだろう、と思う方もいるだろう。私も実はそう思いながらライブをずっと観ていた。今夜がこんなに良く思えるのはなんか変だと。しかし、嬉しことに、そうではなかった。その証拠に、”Lovin’ you”が終わって客電がついてからもお客の拍手が鳴り止まなかったのだから。いままで彼女のライブを観てきて、こうした光景は初めてみなかった。ああ、みんな同じ思いだったんだな、と。

拍手は5分くらい続いただろうか。この状況ならもしかしたら、もう1曲くらいあるか?と期待したが残念ながらそれはなく、ちらほらと会場を去る人が出てきてこの日は終演となった。ここでもう一度でてきてくれたら一生ものの体験だったのだが。いや、もしかしたら私もまた「信者」に戻ったかもしれない、と冗談を言っておく。

良いライブに出会えたのは数えるしかない、などとさっき書いたが、まさか今夜がそうした貴重な一夜になるとは信じられない。ライブ全編を通じて良かったと思えた92年8月の真駒内アイスアリーナの「スタジアム伝説」、02年4月「じゃじゃ馬ならしツアー」大阪公演、04年10月の「Blue Butterfly tour」の大阪フェスティバルホール、くらいしか思いつかない。そして今回はそれに続く記念すべき公演となった。明日もここでライブがあり当日券もある。けれど経済的な事情などで足を運べない。ものすごく残念だ。次は8月に大阪でおこなわれるファンクラブ限定ライブだけか。

ライブハウス・ツアーは全国津々浦々で9月まで続く。ぜひこの調子を継続したまま突き進んでほしい。またこれから1枚でもチケットが多く売れてくれたらと願う。

もしここをご覧になって興味をもった方は、騙されたと思って足を運んでもらいたい。20年間この人を実際に観た者からの感想だから、それなりに信憑性があるかと思う。最後に曲目を記す。

【演奏曲目】
(1)ロマンティック・ボヘミアン
(2)パイナップルロマンス
(3)ニューワールド~新しい世界へと~
(4)セレンディピティー
(5)始まりの詩、あなたへ
(6)言い出せないまま
(7)Teenage Walk
(8)10years
(9)ココロ銀河
(10)SHOUT(ココロの花びら)
(11)人生はステージだ!
(12)恋するパンクス
(13)世界中にKissの嵐を

(アンコール)
(14)maybe tomorrow(大江千里のカバー)
(15)My Revolution
(16))しなやかに跳べ!~Life goes on~
(17)Lovin’ you

平日の仕事が決まる2日前くらいに、何年も前に買ったこの本をペラペラとめくっていた。モリッシーについて日記で何か書くための参考になるかなと思って引っ張り出したのだが、現在の自分には思いのほか気になる箇所がたくさんあったので感想を述べてみたい。

その前にまずお断りしておくけれど、この本の構成はあまり統一されておらずお世辞にも優れているとは言いがたい。本書の「はじめに」の最後では、

<できればニートは増えないほうがいい。そのためにもまずは、フリーターでも失業者でもない、ニートと呼ばれる若者の声なき声に、耳を澄ますこと。それが今、何より求められている。>(P.11)

と書かれている。英国発である「NEET」という言葉を広めたきっかけの一つが本書であるが、では我が国における「ニート」とは具体的にどういった人たちなのか、それがこの中で明らかになっていないところが一番まずかった。肝心となる前提があやふやな状態で展開された末の最終章が、

「誰もがニートになるかもしれない」

だから、なんじゃそりゃ?と反感を抱く人が出てきても仕方ない出来だとは思う。ニートだかヒバゴンだか知らないが、何だか訳のわからないものになる可能性はゼロとはいえないだろう。内容の良し悪しを措いておくとしても、ニートという存在を知りたいと願う方には本書は適当とはいえない。余計に混乱するだけだろう。

実際のところ日本では、団塊ニートだの恋愛ニートだの社内ニートだのと、ニートという言葉はもはや何の意味だかわからない状態になっている。本書が出発点ということになれば当然の帰結に違いないだろう。そもそもニートという言葉にこだわること自体、あまり意味がない行為といえる。

ただ本書では失業者とか就業者とかいった言葉の定義は出てくる。それらのいずれにも該当しない人は「なんとなくニートっぽいといえるような」程度の印象は抱くかもしれない。そこでまず失業者の条件を見てみよう(本書P.17の表を参照)。

条件1:仕事がなくて、調査期間中(月末1週間)に少しもしなかった。
条件2:仕事があればすぐつくことができる。
条件3:調査期間中、仕事を探す活動や事業をはじめる準備をしていた。

以上の3つの条件を満たした人が「失業者」であり、これは日本だけでなく先進国の共通であると本書では述べられている。一言でいえば「とにかく仕事を探していること」、これが絶対条件だ。

これに対して、正社員なりフリーターなり条件は違うものの収入を得る仕事をしている人たちは「就業者」と呼ぶ。ここまでは何も難しいことはないだろう。

しかし、こうした労働調査(本書は総務省の調査結果を参考にしている)があった時期に「たまたま仕事を探していなかったため、失業者とは認められなかった人」というのもいて、そうした人たちは「就職希望者」と言われる(P.19)。また15歳以上25歳未満の若者で、学校に通ってたり受験のため浪人していて働いてない人たちは、労働に関わっていないということで「非労働力」と言われる。話はだんだんややこしくなってくる。

そして問題となるのが、この「非労働力」のうち、学生も浪人もしてないし働いてもいない、なおかつ仕事も探していない「非就業希望者」である。当時のデータでは日本にこうした存在が約40万人おり、97年の同じ調査では8万人だったから、6年で5倍にもなっているという結果になっている。

ここまでだったら年齢や定義も定まっているのでそれなりに筋は通っているけれど、本書はさらに上の年代についても言及しており、総務省が5年に1度調査している「就業構造基本調査」についても触れている。これは「25歳以上35歳未満」を対象としている。

<問題は、25歳未満だけではない。25歳以上の若者のなかにも、働くことにとまどいをおぼえたまま、就職活動に踏み出せないでいる人たちが、多数存在する。
>(P.23)

それはそうだろうが、「働く意思がない」という点だけで15歳以上35歳未満まで世代を広げられたら、もう漠然としたことしか論じられなくなるのではないだろうか。少なくとも私はもうお手上げだ。このあたりでニートの定義うんぬんを追っかけるのは終わりにさせていただく。

本書では3章と4章において、兵庫県(「トライやる・ウィーク」)および富山県(「地域に学ぶ14歳の挑戦」)の教育委員会が取り組んでいる、中学生を実際に会社などで数日間働いてもらうという政策を紹介し、2章および5章では仕事をせず働く意欲もない若者に会って聞き取りをしたことが書かれている。いずれもそれなりに興味のある内容だが、ニートとは結局なんなのか?ということの答えにはさっぱりなっていない。むしろ、教育委員会の取り組みがニートと何の関係があるのか、という批判もネットでは見かけた。それはそれで妥当な批判だといえる。

なんだかボロクソに言ってしまった気がするけれど、では当の私はこの本を読んで何に心を動かされたのか。著者の玄田さんがニートの話を交えながら、自身の仕事に対する思いを色々と書いている。それはあまりに理想論的で受け入れがたい指摘もけっこうあるけれど、これは俺の言いたかったことだ!というような言葉も少なくなかった。それらを引用しながら、最後にいまの私が「働くこと」に対する見解を述べさせていただきたい。

<多くの若者が失業した原因は、職業意識の低下でも甘えでもない。不況のせいで求人が激減したことこそ、失業が増えた直接の理由であることは、誰でも知っている。>(P.8)

老若男女を問わず、働いていない人が増えているのは当事者にやる気がないから、という精神論で片付けられることが多い。既得権にすがっている年寄りが原因だ、とか、今の若者がだらしない、といった世代論も見かける。しかし、根本的に不況によって仕事そのものが少なくなっている、という事実認識から始めることが重要ではないだろうか。一部の人たちを悪者にしたところで解決できるような単純な問題ではないのだから。

続いて最終章の「フリーターしかない現実」という項目から。

<これからの時代、正社員しかできない人は、タイヘンだ。転職をすることになっても、プライドとも呼べない、つまらない「プライド」がジャマして再就職を難しくする。フリーターは不安定というけれど、セブンーイレブンでしっかりフリーターした人は別のコンビニでもしっかりツブシがきいたりする。>(P.240)

コンビニの仕事を具体例に出すのはあまりに夢がない気もするし、「若者の多くにとって働くチャンスは、もうフリーターしかない」(P.241)という部分に至っては恫喝と言われる可能性もある。しかし正社員という立場やこれまでの経歴にこだわるのは、これからの時代においてかなり危険な行為なのは確かだ。また、他の場所でも働くことができるような技術を身につけることはこれからの時代を生きる上で大事なことになっていくような気はする。

こんな一文もあった。

<「ニート」はどこか『社会経験の穴』があいてる」
取材をするなかで、ある青年は言った。ニートにあいさつできないという穴があるとしても、それは本人の性格じゃない。あいさつを必要とする経験がないまま成長したということだ。コミュニケーションができない穴があっても、生まれ持った才能の問題じゃない。他人とのゆるやかな関係を保ちながら生きる経験がなかったのだ。>(P.245-246)

この「ニート」を「自分」に置き換えても何ら違和感はない。前の職場を辞めてからこの1年間、仕事探しで試行錯誤したけれど、

「俺ってコミュニケーション能力が根本的に欠落している」

と痛感される経験を山のように積んだ。そして、これはもはや修復不能なレベルだと、半ば諦めてもいる。しかし生きている限り、そうした自分とこれからも付き合っていかなければならない。こうした現実に対する有効な解決策は、自分の中にはまだ出ていない。

また自分を得意とするネガティブな話になるけれど、この1年間はこれまでの人生でもかなり辛い部類に入る経験をした。それはお金が無いとか所属が無いということより(それも苦しかったけどね)、自分の社会的価値ってこの程度なのか、ということを痛いほど思い知らされたことである。社会って残酷なんだな、と今さらながらに感じた。

しかし、である。

<働かなければ、そんな自分の無能さ、無力さなんて、感じなくてすむ。働くなんて、バカらしい。そこまでして働く必要なんてどこにあるのか、なんて思ってしまう。
でも、そうだったとしても、働いて自分に力がないという不幸を実感したことのない人こそ、本当の不幸なのだ、と私は思う。>(P.264)

私の言ったことと論旨は異なるけれど、社会に出ると自分の無力さに気づかされる、という点は同じ指摘だろう。そういう恐れあるからこそ、かつての私は働くことに消極的だったのかもしれない。

ただ、働く場所が見つからずに鬱々とした日々を過ごした今となっては、それでもどこかに所属して働いている状態の方が、幸せとは言わないまでも無職よりずっとマシだと言いたくなる。少なくとも1年前の自分よりは「働く」ということに対して前向きに取り組めるようになった、とは断言できる。これでも少しは前向きになったんだよ。

最後の最後で何か結論めいたことを言おうと思ったけれど、「働く」ということは自分の人生に関わることなので私の思いを言うことで締めたい。

反感を買うのを覚悟で書くが、私はホームレスや生活保護受給者やニート(あえてこの言葉を使おう)といった立場に身を落としたくない。そこまで行ってしまったら、おそらく再び社会に復帰することはほぼ不可能だと思うからだ。だから私は今も踏みとどまるために色々と頑張っているつもりである。

また、仕事がうまくいかなくて生きるのに苦しんでいる人たちに対しては、なんとか現状より落ちていかないように努力してもらいたいと願う。ニートなどに対する私の見解は内田樹さんの「下流志向─学ばない子どもたち、働かない若者たち」(07年。講談社)に習っている。ニートになった人はもう仕方ないけれどこれからニートになりそうな人に対しては、やめた方がいいよ、と声をかける。手元に本書がパッと見つからないので正確な引用ができなくて申し訳ないが、そんな感じの提言だった。ニートを社会復帰させようなどということよりもこれ以上ニートが増えないようにする。そうした水際で行動をしていくことが現実的には大事だと思うからだ。

そして現在の自分はまさにそうした水際にいる。この立場から小さくても声をあげていき続けたい。
先日の土曜日(5月19日)の夜はKYOTO MUSEで渡辺美里のライブを観るはずだった。しかし、事情があってそれは叶わなくなる。それは別にアーティストの都合で無くなったわけではない。

京都公演の日程が、来週の土曜日(5月26日)だったのである。つまり、私の不徳のいたすところだ。

自分の手帳にはしっかりと間違えずに記入していたのだが、しばらく就職活動などバタバタする事態が多かった。そうしてろくに確認もしないで日々を過ごしていたらこのありさまである。それくらい気持ちに余裕もなく必死に仕事をしていたのだ、と哀れみの目で見ていただければ幸いだ。

ライブに行くつもりでいたので、全く他に予定は入れていない。しかし朝からもう何もすることもないので、部屋で寝転がって携帯をいじって時間をつぶしていた。
そしてFacebookのアプリを立ち上げていた時のことである。

当然のことながら、同じアプリであってもパソコンとスマートファンではレイアウトや機能などが違う部分がけっこうある。Facebookにおいて大きいところでは「友達を検索」する機能ではないだろうか。その携帯にある「携帯の電話帳を検索」という項目を見つけてオヤッと思い、そこから「友達の検索」をしてみた。これが間違いの始まりである。

すると、Facebookでまだ繋がっていない知り合い、もしくは全く訊いたこともないような人の名前が10人ほど出てくるではないか。どうも携帯の電話帳に入っている情報(電話番号およびメール・アドレス)とFacebookとが連動しているようだ。知らない人は一体誰だろうと思ったが、その人たちのページを行ってみると某料理店の店主とかが基本情報に載っている。私の電話帳にいくつか登録している料理店の電話番号からつながったのだろう。まあ、全くつながりが無いというわけでもないが、なんだかなあ。

これは便利というより余計なお世話の機能だなとやや不快に思いながらページを閉じようとした瞬間、なんとなく親指が画面右上の方に滑ったような気がした。そして、なんかどこかのボタンを押したような、そんな感触を持つ。画面の片隅に目をやると、

「すべてを招待」

という、恐ろしそうな項目がある。

「いま、俺、なんか変なところを押したのかもしれないなあ・・・。大丈夫かなあ」

と漠然と不安を抱いた。しかし自分では確認のしようもない。とりあえずお茶でも飲みながらまたパソコンでネットをいじっていると、10分くらい経ってから近所の知り合いよりメールが届く。向こうからはあまり送ってくる人でもないのでなんだろうと思いながら開けてみると、

「何かわからん君のメール来たけれど?そのまま返信してもいいのかわからん!」

という内容である。この時は私の事情がいまいちつかめなかった。

そこで、

「?なんですか?なんか誤送信しました?」

と返信してみる。訳がわからないと言いながら、しっかりと「誤送信」と書いているからもう事情の3分の1くらいは予想していたのかもしれない。

さらに続く返信は、

「フェイスブックから来たのでそのまま返信したらどこへ行くのかわからんから?」

とのことである。

フェイスブック・・・聞きたくもなかった。この言葉によって私の漠然とした不安は、具体的な恐怖へと変貌していく。

改めて携帯からFacebookを立ち上げ、検索機能を確認する。問題の「すべて招待」のページ左部分には、

「連絡先が95件見つかりました」

と表示されている。ということはこの95件にFacebookの招待メッセージが届いた、といえばそういうわけではない。このうち電話番号のみでメール・アドレスが入っていない連絡先が大半である。ここには物理的にメッセージが届くことはない。95件のうちパソコンおよび携帯のメール・アドレスが入っていたのは25件ほどだった。それほど多くはない。

知り合いの絶対数が少ないのが奏功したな、などと余裕をかましているわけにもいかなかった。誤送信メールを送った後はどうなるのか。そして対処法はあるのか。初めての経験で悩んでいるうちに、

「そうだ。自分と同じようなミスをした人がネット上にもいるに違いない」

そこで、

「Facebook 招待 誤送信」

とキーワードを入れてYahoo!から検索してみると、やはり失敗している人が続々出てくる。そのトップの、

「Facebookの悪夢リターンズ!|お口の奥地」
というブログがパッと飛び出てきたので読んでみた。
http://ameblo.jp/sasakky-dds/entry-10538152135.html

この日記には招待機能の恐るべき事実が載っていた。

<多くの方から「またメールがきた!」とご指摘を受けました。
なんと、Facebookの招待メールは一回送ると、定期的に勝手に再送信されるようです>
(注:実際のページでは絵文字が散りばめられています)

ええええええ。

「定期的に勝手に再送信」って・・・なんじゃそりゃ?

だがありがたいことに、この解決策がすぐ下に載っていた。

<1、 招待履歴を削除する
http://www.facebook.com/invite_history.php

「選択」の項目で「すべて」を選んで「選択したアイテムを削除」
「並び替え」は「送信日時」にすると漏れがない

2、友人検索ツールでインポートされた友達を削除
http://www.facebook.com/contact_importer/remove_uploads.php

 削除ボタンを押す!!

3、ごめんなさいメールを全員に送る

コレでFacebookの悪夢から逃れることが出来そうです!>

これを読んですぐ、私も上の手続きをして火消しに努めた。これでメールが何度も送られることはないだろう、と思っているうちに、ある方からFacebookの「承認」の返事が届く。彼は今日まで登録をしてなかったようで、私のメールをきっかけに始めたようだ。間違って招待メールを送った身としてはありがたいというか、申し訳ないというか複雑な心境である。

「間違って送ったところにもお詫びをしないといけないな」

と思い、いくつかのところに「すいません」メールを送信した。すでにFacebookでつながってる人、あと個人的に連絡したくない人には特にメッセージは送らなかったが。これからのことがあるので、ヤバい連絡先は一掃させてもらった。あースッキリした。

その日のうち6人くらいから返信が届く。内容は「気にしないでください」というものと「そんなの届いてないよ」というメールが半々くらいだった。メッセージが受信されていなったはおそらく携帯メールのみの受信設定にしているのだろう。

しばらく会っていない人にもメールをしたので、元気にしているの?と3人くらいから言われた。ええ、先週の木曜日から突然元気になりましたよ。って俺はいったい何の話をしているんだ。

ともかく、手がすべっただけでとんでもないことになる招待機能については、システムを再考する余地が大いにあるだろう。

これを存続するならせめて、

「本当に送信しますか?」

という確認の文言くらい送る前に表示してほしい。ともかく、これ以上犠牲者が出ないことを祈る。もし失敗して送信した方は、すぐ火消しをしましょう。

iPhoneをいじってたら、Facebook関連のメールを数十人単位で誤送信してしまいました・・・。

スマートフォンにしてから、こういうことが多いのよね_| ̄|○

新しい職場に入って二日目である。今日も目覚ましよりも早く起きてしまった。いや、正確にはセットした時間くらいに目が覚めたと思う。しかし当の時計がジリジリと音が鳴らなかったのである。最近そんな調子になってることが多い。電池が切れかかってることも考えられるが、買ってから20年くらい経っているであろう時計だしもうガタがきていてもおかしくない。iPhoneのアラーム機能を使ったほうが賢明だろうか。

昨日から決めていたことだが、本日は自転車で勤務地まで向かうことにした。所要時間はわからないので始業の1時間前に出発してみる。結果として40分かからないくらいの距離であった。けっこう時間がかかるし、狭い道に市バスが通るような場所で交通量も多くて怖い。これならバスに乗ったほうが座れるしゆっくりできる。次からの交通手段はバスでほぼ決まりという感じだ。

今日も朝からSさんが私の横で付きっきりの指導をしてくれた。基本的にパソコンの前での作業が大半だが覚えることが多く、先日にしたこともなかなかできない。そんな中、新しい作業を教えてられた時の話である。パソコンのシステムの中にエクセルもあるのだが、そこに入っている表からデータを抽出する場面が出てきた。

Sさんから、

「フィルタは使える?」

と尋ねられる。ハッとした私は、

「いや・・・それは関数のことですか?」

と真面目に言ってしまった。その時の自分の頭の中で、「FILTER」とかいう関数があるのでは?という思いがなぜか横切ったのである。

それを聞いたSさんは、

「違う!違う!』

と苦笑していた。この発言で絶対に、

「あ、こいつ、エクセルのこと何にもわかってないな」

と即断されたに違いない。だが仕方ないだろう。いままでそんな機能なんて使う機会がなかったんだから。まあ、これが私のパソコンレベルだ。かつては初級シスアドの国家資格を持ってるのもダテじゃ・・・ある。

そんなことをしながら、パソコンと格闘していうちに午後5時半も過ぎて本日の勤務も終了となった。

とりあえず仕事の知識とパソコンのシステムを覚えないとスムーズに業務はできないと痛感する。これはしばらく苦労するなあと不安になったら、

「いままでこの仕事を他の人にもしてもらったけど、2日目でこれだけできたのは上出来だと思うよ」

とSさんからは言われた。スタートとしてはまずます、のようだ。本当に向こうがそう思ってるかどうかはわからないけどね。

また、

「派遣社員からこの会社に直接雇われた人もいるから、頑張ってみたら」

とも言ってくれた。

とりあえず、ますはエクセルをもう少し頑張ってみよう、と願いながら自転車で部屋に戻った。

今日は新しい職場で働き始める日だ。気合いを入れて朝5時に目覚ましをセットしたが、またしても4時半くらいに起きてしまった。身支度をしたりネットをしたり本を読んだりしても時間が余ってしまう。

「職場の様子がわからないし、周辺を歩き回ってみようか」

そう思い、さっさと部屋を出てバスに乗り込んだ。今度の勤務地は最寄りのバス停から一本で行けるところにある。所要時間は把握してなかったけれど、実際に行ってみたら25分程度だった。バスもあまり混んでおらず、職場まで席に座ることができた。

バス停を降りると、道の反対側のバス乗り場に、私の担当をしてくれた派遣会社のSさんが座っていた。約束の時間までまだ20分くらいあるけどずいぶん早い到着だなと感心する。そのSさんはひとまず置いて、勤務地周辺をしばらく散策してみた。そこは京都市内でもけっこう辺鄙な場所で閑静な住宅街の中にある。そして徒歩10分圏内にはコンビニすら立ってない。昼は外で食事を済ませるのはどうも無理みたいだ。こんなこともあるかと思い、バスに乗る前にローソンでパンとおにぎりを買っておいて正解だった。

15分ほど近辺を歩いてから、正面玄関でSさんと合流する。その場で勤務記録や給料振込、社会保険についてザッと説明される。社会保険については2ヶ月を超えて雇用契約が結ばれないらしい。もらえるとしたら7月からだそうだ。うわあ。それまでは病気になれないな。

何か疑問点はありませんかと言われたので、メールで労働条件の通知が届いていたのだが、勤務時間がどうも聞いてたのと違っていたのでSさんに、

「勤務時間が8時半から5時になってたけど、5時半じゃありませんか?」

と訊ねたら、

「ごめんなさーい。郵送する書面ではちゃんとしときますんでぇ」

とSさんの顔からは悪びれた様子は全くなし。まあ、可愛いから許してやるけどさ。そして私を指導してくれる勤務先のSさんが玄関に到着したら、

「では、頑張って仕事をしてください」

とSさんはその場を去っていった。早いなあ。そしていよいよ勤務開始である。

ここで詳しい仕事の内容を書くのは控えるけれど、仕事を指導するSさん、私と同じ派遣社員の男性1人、そしてパートの女性が2人というこじんまりとした職場であった。そこにほぼ1日ずっといるという具合だ。職場ではラジオ番組がずっとかかっている。これまでいた職場とはずいぶん雰囲気が違う。

私に仕事を教えてくれる方は4歳くらいしか年齢が変わらない男性で、ずいぶん親切に作業を教えてくれる。最初はできるわけないから、と無駄にプレッシャーをかけるような真似はしてこない。実際、かなり覚えることが多い業務(最初は何でもそうかな)なのでそう言ってもらえて心情としては助かった。ともかく作業をこなすだけで疲れるだけの初日だったけれど、こういう人の下でなら大丈夫かなと少し安心した。

それに比べると、少し前に半年間いた某所は悪夢としか思えないほどである。その職場で親しくしていた男性(20歳そこそこ。彼もそこを私と同時期に辞めた)に先日、働くところが決まったよ、とメールをしたらパッと返ってきたのが、

「金はいいの?」

というものだったので苦笑してしまった。本音を言えば、平日だけの派遣の仕事がそんなに待遇など良いわけがない。交通費も別途支給されるわけでもない。しかも給料は月末締めで翌月25日に支払いである。さすがにこれはあまりにあんまりだと思う。

それでも、仕事をする上での環境はかつてよりグッと改善されたことは間違いない。自分にとってはそれが一番貴重なことである。この部分は強調したい。

いまはすっかり著書も読まなくなったけれど、森永卓郎さんが仕事に関して述べていたことが今も頭に残っている。それは仕事を選ぶ基準についてであり、仕事は、

収入×苦痛の度合い

で考えよう、というようなものだった。森永さんは、楽して儲かる仕事なんて無い、という身もふたもないことを言ってからこの公式を挙げていたと思う。

給料が良くても体を酷使したり、精神的に無理がかかるような仕事をしても続かない。それで挫折でもしたら生涯年収としては逆に下がる可能性もある。いや、そもそもお金という尺度だけで人生を測るのはなかなか危険な行為ではないだろうか。確かにお金があればあるほど良いに決まってるが、それと同じくらい私は自分の時間が欲しいし無理な働き方もしたくない。健康のためなら死んでもいい、というような愚かな選択を取りたくないのである。

「金はいいの?」と言ってきた彼に対しては、

「人はパンのみにて生きるにあらず、という言葉を知らねえのか?」

と返してやりたい。よく、お金か自由か、などという青臭い二元論を聞くこともあるけれど、どちらが片方を取るというような問題ではないだろう。むしろ、この二つの要素をどうやってバランスを取るかが、その人の人生の充実度と繋がっていくと思う。

現在の私といえば、ピーク時からすれば収入は半分くらいになってしまった。しかし仕事のプレッシャーは思い切り解放されており、残業もほとんどしなくて済むようになった。そういう部分では自分の思い通りになっていっている。しかしこういう環境を整えるまで、かつての職場を去ってから1年ほど費やしてしまった。また、お金も人間関係も色々と失ったものもある。しかしどん底の状態はこれで一端は脱したと思う。なんとかこの状態を維持しながら、次の段階への足がかりを作っていきたい。そう願っている。
毎日が日曜日、は今日でお開き
昨夜はあるところからご招待があり、勢いあまってビールや日本酒をガバガバ飲んでしまった。今日は予定も全くないので昼まで眠っていても問題なかったのだが、いつも通りというか、午前7時にパッと目が覚めてしまった。目覚まし時計はまだ鳴っていない。目覚ましが鳴る前に起きてしまうとなんだか損した気持ちになるのは私だけだろうか。

昨日とはうってかわって本日は朝から快晴だ。それを見てパッと頭に思い浮かんだのは、雨のために15年ぶりに順延となった葵祭である。

「そういえば、葵祭ってちゃんと見たことなかったっけ」

明日からまた新しい職場で働くし、基本的にこれからは休みもなくなる。平日の昼間に出かける機会もないだろう。これも良い機会と思い、行列のスタート地点となる京都御所まで歩いて行くことにした。御所の真ん中あたりに着いたのが午前9時半ごろである。午前10時30分に行列が動き出す予定だ。

ネットで行列の行くコースを確認するまで、烏丸通を横断するものとばかり思っていた。明らかに、時代祭と勘違いしている。もともと冠婚葬祭に関心の無い人間であり人の集まる場所も嫌いだから仕方ない、のかな?

それにしても、日中はもうかなり暑くなっている。行列が動きだしたらもう部屋に戻ろうと思っていたけれど、時間になっても目の前にいる一団は全く動かない。そして10分、20分経っていく。私の目の前には牛車が一台あり、黒い牛がその前に一頭立っている。この牛、いったいどっから持ってきたのだろう。その牛も飽きて疲れてきたのか時おり大きな声でモーと鳴いていた。小学校低学年くらいの子どもたちが牛につながった綱を握っていたが、たぶん怖かっただろうな。

この半年ほど立ち仕事を続けていたのでこうして待っているのも平気かと思っていたけれど、大丈夫なのは仕事で気が張っている時だけらしい。もう暑くて死にそう早く帰りたい、とへばって座り込んでいたら、行列がゆっくりゆっくりと動き出す。ものすごく遅いペースである。観光客はそれに合わせて前に進んでいく人がいた。そのまま最後まで着いていくんでしょうかねえ。

私は画像のモーモーさんが横切ってしまったらもう充分とすぐにその場を離れた。周囲には設営業者も陣取っていて、行列がいなくなると結界などをサッと片付ける。こうして最後まで撤去作業をするのだろう。お疲れさまです。

それから、昼間はある方に蕎麦をご馳走になり、それから一眠りして、夕方はまた四条方面でラーメンを食べて今日1日が終わった。そんな感じで今日がもう終わろうとしてる。極めて平凡な1日だった。しかし、まさに日曜日のような過ごし方である。しかし仕事が始まったらこういう無駄な行動もできなくなってくるだろう。
それでも、モリッシーの歌に出てくるような「毎日が日曜日」(Everyday Is Like Sunday)という世界にとどまっているのも真っ平ごめんだ。

世の中には、こんな仕事なんかしたくない、また仕事そのものをしたくないと思っている方も少なくないだろう。しかしどこにも所属できずにフラフラしていた時期を経験した身としては、それでもどこかで働いているほうが、幸せとはまでは言わないけれど、多少はマシだと確信している。

この日記ではこれからも、本当にささやかな影響しか与えられないのだが、そんなことを発信していきたい。もし自分のような人間がその経験から示すことがあるとしたら、この時代に「働く」という行為はどんなことなのか、というようなことだと思うから。

この4月に入った会社が色々あって仕事ができなくなり、その代わりを探すためハローワークや複数の人材派遣会社に当たってみた。4月14日に某派遣会社へ行った時は、パッと探せるものは無いですねえ、と担当の方からは消極的な返事しかもらえなかった。いくら派遣だからといって都合よく仕事がある時代でもないかと落胆してその時は帰った。しかしその翌日に、こういう仕事がありますけどいかがですか、とすぐに連絡が入った。そして、ご希望でしたら「書類選考」の候補に入れさせてもらいます、とのことだった。もう何の望みもない私としては、お願いします、としかいえなかった。

書類選考とは何かといえば、派遣会社に登録している人の中から適当な候補者を選び出す段階である。そして顧客(派遣先)に対して「こんな人がいますが、どうですか?」と打診するわけだ。そして、では会ってみましょうか、ということになると「職場見学」へと進む。

お願いしますと頼んでから数時間後、では職場見学の日程を調整したいのですが、と電話がかかってくる。とりあえず派遣会社による選考を抜けることはできた。しかし本当の問題は次の職場見学である。

まとまった期間を派遣社員として働いた方ならご存知だろうが、こちらで働きたいという意志があるからといってパッと勤務できるというものではない。

「派遣の窓」というサイトにその辺りが詳しく説明されている。私も職場見学の直前にかなり参考にさせてもらった。

http://www.hakennomado.com/syokubakengakutoha.shtml

<職場見学とは、一言で言ってしまえば派遣採用時の『面接』です。
現在、労働者派遣法では特定行為にあたる事前面接を禁止しています。(労働者派遣法第26条7項、「派遣先が講ずべき措置に関する指針」)
しかし、「打ち合わせ」「職場見学」などと称して『事前面接』が行われる場合が多いのが現状です。
2004年3月の派遣法改正に伴う指針で、厚生労働省は「本人が希望すれば職場訪問などを認める」と明示しましたし、また、正社員への登用の可能性を前提に派遣社員として採用する「紹介予定派遣」では『事前面接』が可能にもなりました。
派遣での『事前面接』は法の原則は今でも違法となっておりますが、解禁に向けて徐々に動いているようにもみえます。
(まぁ、すでに当たり前の状況ですが。。。)>

つまり、私がこの世で最も嫌いな儀式である面接をしなければならない。さすがに1日や2日しか働かない日雇いとは違い、雇用主も採用には当然慎重になるというわけだ。それにしても採用までの道のりは本当に険しい。

実際にどういう選考が行われているかというと、「派遣の窓」にはこう書かれている。

http://www.hakennomado.com/syokubakengakunogenjyou.shtml

<都心部でのお仕事の場合、感覚値ですが、80%が『職場見学』ありのお仕事だと思います。それはみなさんも肌で感じていると思います。しかも、その中の70%のお仕事が『競合』となっているのではないでしょうか(実際、営業活動をしているともっと多い気もしますが)
「競合って?」という人もいるかもしれませんが『競合』とは企業が複数社の派遣会社に発注を出し、各社1名ずつ紹介しその中から一人決定するというもの。。。まさに『面接』です。
ほとんどが2社から多くて5社くらいの競合となっています。という事は1つの仕事に2~5人のライバルがいるって事ですね。>

この話の通りだとすれば、職場見学は単なる顔合わせの出来レースでは決して無いということだ。他に候補がいる、と考えるだけでもう私は絶望的な気持ちになってしまう。これまでの内定率はもう1%すら満たない人間だからね。

とりあえず職場見学の日取りを決めないといけないけれど、その時はもう4月下旬に臨時の仕事を入れてしまったため、

「すいません。すぐに調整はできないんですが•••。連休直前ならいつでもOKです」

などという返事をしてしまった。電話口で、これで終わったかな、と思いながらしゃべった。候補者なんて他にいくらでもいるに違いない。

「そうですか。連休前だと先方も忙しいと思いますが•••調整してみます」

と向こうはそんな感じだった。

それから1週間くらい経ってまた派遣会社から電話がかかってくる。

「他の人に決まったという連絡かな。もう終わったな」

と思いながら出ると、

「先方が連休前までバタバタしてまして、時間が作れるとしたら休みが明けた5月15日でもよかったら職場見学をと言ってますが、いかがですか?」

というのである。5月の中旬とはちょっと遅い気もするがこちらの都合も聞いてもらった手前もあるしそれでお願いすることにした。派遣会社を登録してから職場見学までおよそ1ヶ月を要したことになる。

そして本日の午後、派遣会社の担当の方と一緒に見学へ向かった。その前に、私は自分の意志で職場見学をしました、という署名にハンコを押してもらうよう頼まれた。さきほど言ったとおり面接は禁止となっているので、その対策というわけだ(こちらが職場見学を希望するというのは一向に構わないのである)。

職場見学は、派遣先から3人、こちらは担当者と私の2人である。隣に誰かがいるということで、通常の面接ほどには緊張しなかったと思う。まず担当者が作ってきたA4で1枚ものの簡単な職務経歴書(会社などの個人情報は伏せられている)をもとに、私がこれまでの経歴を説明する。色々と突っ込まれるかと思ったが、先方は私のこれまでした業務にはそれほど関心がなかったようで経験に関する質問は皆無だった。

先方が訊ねてきたのは、

•仕事の内容はこういうことだが、どうだ
•住んでるところはどこか
•正社員ではないが大丈夫か

というくらいで、いま思えばこちらの働く意思を確認したかったような気がする。それからこれはお決まりなことだが、質問はありませんか?というのが出てきた。具体的な職場の雰囲気や人数などがつかめなかったので、その辺りを訊いてみた。そんな感じで職場見学は終わった。所要時間は20分くらいである。

職場を出たあと担当の方から

「どうでしたか?思っていた仕事内容と違ってましたか?」

と訊いてきたので、

「いや、別にありません」

と答えたら、

「では、これから最終選考に入ります。前向きに話をさせてもらってもよろしいですか?」

と言われた。「前向きに」とは派遣会社からは私を推してくれるということか?

「はい。ぜひお願いします」

と即答したら、担当の方はまた再び職場の中に入っていった。

「ここからが最終選考か•••どうなるのかなあ。あとは派遣先の意向だけか」

と不安に思いながら雨の中を歩く。

「上京区に住んでいると言ったら、ちょっと遠いですねえ、と先方は渋い顔をしたしなあ•••」

と相変わらず私は悪い方へ悪い方へとしか考えが至らない。しかし、これまでこれまでなんだから仕方ないではないか。

「合否は当日中にお返事できると思います。もし長引きそうならまた連絡します」

とのことだった。駅から歩いている間はずっとiPhoneを手に握っていた。それでボーっとしていたため、タクシーに引かれそうになる。危ない。

「駄目だったら、また他をあたらないといけないなあ」

そんなことを思うと、部屋で連絡を待つのが辛くなってきた。そこで進路を変更しハローワーク西陣へ行くことにする。天気が悪いせいか人はそんなにいなかった。また、求人も良いものがあまり無かった。20分ほど仕事を検索してもラチがあかないので帰ろうとしたら、ついに派遣会社から連絡がくる。職場見学終了から1時間20分ほど経ったころである。

「渡部さん、さきほどの職場見学ではありがとうございました」

「いえいえ。こちらこそ。お疲れさまでした」

「それで•••ぜひ働いていただきたいと思うのですが」

「•••はい、ぜひお願いします」

涙は出てこなかったけれど、胸の奥からグッとくるものを感じた。これでしばらく就職活動はしなくていいと思うと本当に気持ちが楽になった。

別にこれで何もかもが解決したわけではない。決まった仕事はひとまず最大3年間の契約であり、それ以降の予定は白紙の状態だ。また、私自身もちゃんと勤められるかどうかは正直わからない。

派遣の面接に行くんですと周囲の人に言うと、正社員の方が安定しているよ、と異口同音に答えが返ってくる。しかしこのご時世、正社員になれたからといって万事うまくいくとは限らない。勤務先の方にも、だから私は就業形態にはこだわりません、と強く主張した。これが良かったのかもしれないが。

いずれにしても明後日から新しい仕事の始まりとなる。背広を着て働くのもほぼ1年ぶりだ。この間は本当に辛いものがあった。ある友人は、面接に行きます、と私が言うたびに、受かったら飲みに行きましょう、といつもメールを送ってくれたがそれがもうずっと叶わなかった。しかし今日ようやく約束を果たしてもらえそうだ。

その方以外にも私がフラフラしているのを心配している人は多かっただろう。また、お前なんか早よ死んだらええねん(なぜか関西弁)と思っている人もいるだろう。こちらも正直いって、もう生きていて良いことなんかあるのかねえ、と思うばかりの今日この頃ではある。しかし死ぬほどの決意もない私は、それでもまだしばらくはこの世界で踏ん張ってみようと思う。

追い風か、向かい風か、それはわからない。

しかし風向きは、確実に変わった。
先日モリッシーが10年ほどぶりに来日公演をおこなった。その感想はすでに書いたけれど、せっかくだしもう少し彼にまつわることを述べてみようと思う。

私がザ・スミスを初めて聴いたのは1枚目のアルバム「ザ・スミス」(83年)で、確か高校3年(94年)の頃だったと思う。当時も今も歌詞カードはほとんど見ないけれど、アルバム2曲目の”ユーヴ•ゴット•エヴリシング•ナウ”(YOU’VE GOT EVERYTHING NOW)のサビにある、

<仕事なんかに就いたことはないさ
やりたいと思ったことがないからね>

<仕事なんかに就いたことは一度も無いね
何故って僕は恥ずかしがり屋だから>

という部分だけは今でも不思議と頭の中に残っている。当時は、ああイギリスってこういう国なんだな、と向こうの人が怒りそうな印象を抱いた気がする。しかし現在の視点で振り返ってみれば、私はこの時から「働く」ということに対して関心というか疑問ようなものを持っていたのかもしれない。

モリッシーの作品についても歌詞の内容で印象に残っている曲が一つある。それはスミス解散から半年後に出したアルバム「VIiva Hate」(88年)に収録されており、シングル曲にもなった”Everyday Is Like Sunday”だ。

<濡れた砂の上を ゆっくり足をひきずりながら
ベンチに戻ると
服は盗まれている
この海辺の町は
閉鎖されそこねた町
ハルマゲドン—ハルマゲドンよ 来い!
はやく来い 最終戦争よ!>

「毎日が日曜日」と題したこの曲は、海辺の町、それもベンチに服を置いたら盗まれてしまうような治安の悪い町で暮らす仕事の無い若者(断定してないが、たぶんそうだろう)が、最終戦争よ来い、核爆弾よ来い、と自暴自棄な台詞を吐くという内容の歌である。

こう書くとなんとも辛気くさい印象を与えそうだが、ストリングスをバックにあのモリッシーの歌声が乗っかると不思議な気品さが出てくる。彼の代表曲の一つでもある。これを初めて聴いた時も、いかにも英国的だなあ、と感じてしまった。私のイギリスに対する偏見も相当なものだ。

すっかり日本でも定着した「ニート」の元である「NEET」は「Not in Education, Employment or Training」の頭文字を取った英国発の言葉であり、「教育、雇用、職業訓練の、いずれもしない16歳から18歳の若者」とそれなりに定義がなされている。

しかし日本における「ニート」の意味はかなり曖昧、というか決まらなにまま広まっていった。よって恋愛ニートだの社内ニートだの団塊ニートだのといった言葉も出ており、もはや何をもってニートと指すのかわからなくなっているのが現状だ。それでも、働いていない若者というのは80年代や90年代に比べてずっと日常的な風景になったのは間違いない。

そしてこの曲が発表されてから四半世紀ちかく経った現在、我が国に照らし合わせてみてもあまり違和感のない内容になっているような気がする。主人公が「NEET」であっても「ニート」であっても大差はないだろう。

だからザ•スミスやモリッシーの音楽も再評価されているのかな、と思ったがこないだの来日公演の観客数を見るとまだまだそういう時代は訪れそうもないようである。

興味があればyou tubeで聴いてみていただければと願う。

http://www.youtube.com/watch?v=y7Gee3THtb8

再び眠りにつく前に

2012年5月11日
この3日間、日雇いの仕事を立て続けに入れた。一昨日と昨日は深夜から早朝(午後10時半から翌日午前7時半)、そして今日が夕方(午後5時から10時)の時間である。

今日はそんなスケジュールにしてしまっため、午前9時ごろに部屋に戻ったらすぐに眠りについた。今日の集合時間が午後4時なので睡眠時間が確保できないからだ。目覚まし時計は午後1時にセットする。4時間ほど寝て昼食を食べてから出発しよう。

しかし私は7時間は寝ないと満足しない人間、しかも夜中に働いていた疲れもあって、目が覚めたのは午後2時半ごろである。勤務地まで辿り着けるかどうかギリギリの時間だ。これはマズいと、用意していた食事もとらずに部屋を飛び出して地下鉄まで走った。あまりに焦っていたので、コンタクトレンズをつけるのも忘れてしまった。

結果として地下鉄もJRもパッと乗ることができたので、勤務地に着くこと自体は余裕だった。しかし昼食をとっていたら確実に遅刻する、という程度の余裕しかなかったが。体も別に疲れも残っておらず、5時間の仕事を無難にこなして終わった。

人によっては、どうせ夜寝るんだからとそのまま起きる方もいるかもしれない。しかし自分の場合は、少しでも睡眠時間が確保できるのであれば、できるだけ眠ることにしている。睡眠時間を削るのはどうしても耐えられないのだ。

そしてまた明日も昼前から仕事がある。それに備えて本日二度目の就寝に入るけれど、そういえばこの4日間の平均睡眠時間はどうなったんだろう、とふと頭をよぎった。昨日は午前9時半ごろから午後4時くらいまで寝て、今日は朝9時から午後2時まで寝て•••という具合に訳がわからなくなっているが、おそらく余計に眠っているに違いない。自分が睡眠時間を減らすというのはあり得ないからだ。では、おやすみなさい。
4月の後半にひいた風邪のタチが悪く、いまだに症状が続いている。昨夜から今朝にかけて日雇いの仕事をしたのだが、鼻水とくしゃみが絶えることがなくて余計に疲れた。今夜も同じ仕事を入れてしまったため、このままではまずいなあ、と帰りに近所の「薬のヒグチ」に行った。

ヒグチに行くのはこの3週間で3度目である。そしてそのたびに何か風邪薬を買っている。最初に買った薬は全く効かず、それから熱が再発してきたので「ベンザブロックL」を試したらやや落ち着いた。しかしそれから鼻づまりがずっと続いて止まらず、昨夜は鼻水とくしゃみが再発している。主な症状がそれななので今回は「ベンザブロックS」をレジに持っていった。もう薬代も4000円くらいになったんじゃないかな、バカバカしい、などと思いながら支払おうとすると、レジの横にいた店員の女性が、

「これを一緒に飲むとよく効くんですよ、いかがですか」

と急に営業を始めてきやがった。それは風邪薬ではなく、栄養ドリンクのようなものだった。

箱には、

「かぜなどの
発熱性消耗性疾患時
病中病後の栄養補給に」

と書かれている。値段は2本で1050円だ。

「うー、1000円を超えるのか。もう風邪に出費したくないな」

と思う一方、

「しかしこれ以上長引いたら仕事にも支障が出てくるし」

とかなり気持ちが弱っていたため、じゃあください、と言ってまんまと買わされてしまった。店員にしてやられたり、と思った。

とりあえずベンザブロックSを飲んでから、このなんだかよくわからないドリンクも口に入れてみる。栄養ドリンクを飲む習慣はほとんど無いけれど、かつて飲んだユンケルみたいな味に感じた。

それから一眠りして夕方に目を覚ましてみると、症状は落ち着いたようには感じる。しかしこれはベンザブロックSの効果かもしれないし、単に睡眠をとったおかげかもしれない。効果のほどは今夜あたりにわかるだろう。

またしても辛気くさい話題になるが、こういうニュースを目にすると何か書かずにはいられない。

読売新聞 5月8日(火)15時25分配信の、「就活失敗し自殺する若者急増…4年で2・5倍に」というものだ。記事はこのような文章で始まる。

<就職活動の失敗を苦に自殺する10~20歳代の若者が、急増している。

 2007年から自殺原因を分析する警察庁によると、昨年は大学生など150人が就活の悩みで自殺しており、07年の2・5倍に増えた。>

厚生労働省によれば、08年4月は96.9%あった大学生の就職率が昨年(11年)4月には過去最低の91.0%までに低下したという。大きな転機はやはり08年9月のリーマンショックで、そこに東日本大震災がさらに追い打ちをかけている。私が先日受けた会社の説明会でも、リーマンショック以降は企業団体の求人が半分ほどになった、と衝撃的な話を聞かされた。

しかし、大学生の就職率が9割というのは感覚的にはあり得ない。実際は明らかにもっと悪いだろう。

私が浪人していた95年あたりから日本が不景気という空気が徐々に形成されてきたと思う。かつての、銀行はつぶれない、とか、出版業界とかギャンブル業界は不況に強いとかいうような「神話」がだんだんと崩れていった頃である。

しかしその時でも、

「いまは不景気だって言ってるけれど、それは東京あたりの話で、千葉や埼玉だったら仕事はまだあるぞ」

などと予備校の古文担当の先生が言っていたくらいで、今に比べればまだまだ呑気な段階だった。大学4回生だった99年は大学生の就職率が91.8%(当時は過去最低の数字だった)を記録した年で、卒業時点で進路が決まってない人もちらほらいたものの、学生の就職について大学も現在ほどには対策を取り組んでもいなかった。事態はまだ深刻ではなかった、今ほどには。

21世紀に入ってからは社会人になったので学生の就職事情には疎くなったけれど、世間ではIT長者のような人たちがもてはやされて、やれベンチャーだ起業だのといった言葉が行き交っていて、そうしたものに乗せられた人たちも多かったに違いない。

しかし最近ではもう景気の良い話はすっかり聞こえなくなった気がする。これからの日本は人口が確実に減っていくしGDP(国民総生産)を基準としたような「豊かさ」は徐々に失っていくだろう。

岡田斗司夫さんは「評価経済社会」と称して、これからは「お金」よりも「評価(または評判)」が重要な社会に変化していく、というような仮説をたてている。そしてお金が昔ほど必要にならなくなり、バリバリ働くことも重要じゃなくなるというようなことも言っている。

詳しくは岡田さんのブログを参照いただきたい。
http://blog.freeex.jp/archives/51323548.html

これからの世の中はどうなっていくか予測もつかないけれど、なんだか過渡期に入ったという感覚だけは自分も持っている。しかしながらそういう時代は変化に耐えられず犠牲になっていく人が出てくるのが常だ(岡田さんも、この20年は苦しいだろう、と言っている)。就職がうまくいかずに自殺する若者が増えているというのはその一つではないだろうか。

こうした時期において従来の価値観にこだわるのはなかなか危険な行為だ。かつて私が新聞社の子会社を退職し、5ヶ月ほどフラフラした末に某所の契約社員に滑り込んだ時の話である。その直後、近所にあった行きつけの小料理屋(今はない)に、なんとか働くことが決まりました、という旨を伝えた。そのとき横にいたお客さん、50代くらいの女性から、

「良かったわね。正社員なの?」

と訊かれたので、

「いや、契約ですけど」

と答えたら、

「えー?正社員じゃなきゃ駄目でしょう!私の子どももいま仕事を探してるけど、正社員じゃなきゃ心配なのよ。とにかく正社員よ!」

とまくしたてられたのには閉口した。もう論理が破綻しているから何も答える気も起きなかったが、とりあえず先方は正社員に強いこだわりを持っていることだけはよーく伝わった。このご時世、正社員になれば安泰です、なんてこともないんだけどね。

しかし、かつてこの日記でも書いたけれど、別にそれは子どものことを考えてるのではなく自分が安心したいだけなのだ。こうした親のプレッシャーも若者を自殺に追い込む原因かもしれないと感じる。

一方、今年の春に入った新入社員の6割が「今の会社に一生勤めようと思っている」と思っていると公益財団法人「日本生産性本部」の調査が明らかにしている。2000年の同調査では20.5%しかいなかったというから若者の安定志向も相当なものといえよう。

就職活動のプレッシャーが強まれば強まるほど、その疲れに負けて自殺する人も後を絶たないだろう。しかし現状では正社員にとって替わるような人生設計がほとんど提示されていない。そうしたモデルが出てこなければこうした問題も解決の糸口が見えてこないと思われる。

本来ならばこうした問題提起をしている私自身が、こんな生き方もあるよ!と何か具体例を出せたら良いのだけれど、現状では「正社員という身分を蹴って年収がガタ落ちになり定職もなくフラフラしている」というのだから何も言えない。

そしてあれから約1年、まだ私はこうした道の途上にいる。
5月2日から5日間ずっと働いた。仕事内容はたいしたものではないけれど、ともかく体の調子が悪くてそれが一番辛いことだった。それでも5日間は無事に終わり、薬のおかげで体もなんとか良くなりつつある。

連休明けの今日は昼まで眠り、午後は中断していた資格の勉強などをした。といっても意図的に休みを入れたわけではない。むしろ、働けるものなら働きたかった。先月の20日間以上は全く収入のない状態になっていたのでどこかで穴埋めがしたかったからだ。しかし肝心の仕事が無かったのである。

いまアルバイトで入っている仕事は時期によって多い/少ないの波がある職種だ。この春先は少ない季節となっている。アルバイト待遇である私はおろか正社員の人たちも軒並み今日は休みとなっていた。基本給などではないため、仕事がなければ収入ももちろん落ちてしまう。形としては正社員であっても実体はかなり不安定といわざるをえない。

新聞社の子会社にいた時代は、途中で給料体系が成果給や年俸制になったりしたこもあるけれど、給料が下がることなどなかった。先月まで半年間いたところは時給労働であったものの仕事が無いから時期というのはなかった。そういう面だけを見れば割と安定した職場に働いていたともいえる。

しかしこの4月から、入ったものの仕事が無い、時期によって仕事が増減する、というようなことを立て続けに経験した。いや、本当はどの企業だって事情は同じはずなんだけれど、基本給が保障されているサラリーマンの立場ではどうしても見えてこない部分があるわけだ。

毎月同じ給料をもらえる根拠などどこにもない。どこかで誰かがこんなことを言っていた。自営の方には自明のことなのだが、大多数の日本のサラリーマンにとっては決して理解できないものである。

去年の夏だったか、向日市に本社のある某印刷会社の説明会に参加した時のことである。そこで話をしていた社員の人が、この会社の1件目の仕事が入るまでに何ヶ月もかかったという事例を紹介し、だから自分たちにとって仕事があるのはありがたい、というようなことを言っていた。その時はなんだか宗教じみているというか、ある種の不気味さを感じたものの(この会社では数年前に社員が作業中に事故死している)、今となってはその言葉の意味も少しは実感できるような気がする。

人間というのは実際に経験してみないと納得できない生き物だと、これも誰かが言っていた。まさにその通りだと思う。しかし仕事がなくて明日の生活に不安を抱くなど、別に経験しなくても良い出来事かもしれない。ああ、早くこんな状況から脱したいものだ。

風邪のぶり返し

2012年5月5日
5月2日から3日間、泊まり込みで滋賀県は守山市で仕事(アルバイト)をしていた。業務内容はたいしたことなかったけれど、2日目は拘束時間が15時間ほどにもなり精神的に厳しいところもあった。ともかく何事なく終えて昨日の夜には自分の部屋に戻ることができた。

仕事中もっとも辛かったのは、鼻水とくしゃみが終始止まらなかったことに尽きる。先週の金曜日あたりから症状が現れて熱まで出てきたのでその翌日には近所のドラッグストアで薬を飲んだ。しかし熱は下がったものの体のだるさは相変わらず続く。そして先の鼻水とくしゃみ、さらに部屋に戻る頃には寒気もしてくる。どうやら熱も上がってきたようだ。こないだ飲んだ薬は全く効いてなかったらしい。

明日も明後日も仕事なのでこのままではマズい。それでまた近所のドラッグストアに足をふらつかせながら向かった。しかし前回の風邪薬は全く駄目だったということが頭をよぎる。そういえばネットで風邪薬について調べてみると、市販の風邪薬(いわゆる「総合感冒薬」というもの)は風邪そのもをの治療するわけではなく風邪の症状を抑えるためのものです、というような記述を見つけた。

「病院にかかったほうが良いのでは•••」

とも思った。だがいかんせん、現在の私は健康保険証を所持していないのである。これで入院などしたらいくら費用がかかるか、と考えると恐ろしくなってきた。

とりあえず現在の主な症状(発熱、鼻水、くしゃみ)に効果のありそうなものを探し「ベンザブロックL」18錠分(1380円)を買ってみる。この出費も実に痛い。

それでも飲んで一晩ねむってみたら、症状の大方は改善された。症状はおさまり体のだるさも消えている。ベンザブロックLと私との相性が良かったのだろう。しかし健康保険証は早くなんとかしなけれないけないだろう。コンタクトレンズの購入にも必要になってくるし。だがそれもこれも平日の仕事が決まってからのことであり、今はまだ不安定な状態だ。いつまでこんな日が続くのか。

世間ではゴールデンウイークということで、自分の周囲では外に出ている人も多い。私も京都から出たは出たが単なる出稼ぎだし、今日も明日も働き詰めという別の意味での「黄金週間」となっている(かなりショボイ「黄金」だけどね)。さらに仕事も出てくるなら7日以降もずっと働くつもりだ。だからせめて体だけは無事でいてほしい、というのが自分のささやかな願いだったにもかかわらずこの状態なのだから人生はつくづくままならない。
モリッシーの大阪公演から一夜明けた今日、仕事もなく1日のほとんどを部屋で過ごした。こないだの土曜日の朝は37.1度の熱が出ていたがもうすっかりそれは収まっている。にもかかわらず、体の具合はどうもすぐれない。熱が出た日の夜にすぐ薬を飲んだけれど効果はあまりなかったらしい。18錠、2日分しか入ってないためもう薬ももう残っていない。

薬を飲んでも全く何も良くならなかったどころか、何となく鼻の下に違和感がある。そう思って鏡を見ると、案の定、水ぶくれがいくつもできている。口唇ヘルペスである。熱が出た時はたいていこれが吹き出てくる。

何か対策はないものかとネットで口唇ヘルペスについて調べたら、

http://www.selfdoctor.net/q_and_a/2007_12/herpes/herpes.html

<口唇ヘルペスは一生つき合っていく病気です>

と書いていて嫌になってくる。ともかくこれは疲れが出ている時に現れる。そして、なんだか調子が悪いな、と思っていたら知らぬ間に鼻の下がとんでもないことになっているというのがしばしばだ。決定的な治療法は無いようだし、こうした体質と付き合っていかなければならないのだろう。

上記のサイトでは口唇ヘルペスの予防としてバランスの取れた食事をとること、そして過労を避けることを挙げている。食事については工夫の余地はあるかもしれないが、疲れについては睡眠もなるべくとっているし多分どうすることもできないだろう。

精神的な部分に関しては、もうこれより下はないくらいどん底だ。働く環境が改善されなければヘルペスにまた襲われるだろう。あと2週間ほどで少しは状況が変わると思うのだが、果たしてどうなるか。

いまから9年半前の2002年8月、サマーソニックでモリッシーのライブを観た方はどれほどいるだろうか。あの時は私も生まれて初めてあのモリッシーを生で観られるということで色々な思いを抱いて会場の大阪南港へ行った。サマーソニックの公式サイトで、モリッシーが日本に到着しました、というニュースが出たときはホッとしたものの、ライブの直前まで「果たしてちゃんとライブに出てくれるのか?」と不安なまま最前列で待っていたことも懐かしい。

そんな個人的な思い出はともかくとして、実際にライブを観て一番意外だったのは、会場にお客があまり入っていなかったことである。ステージは野外でなく展示場の中でそれほど広いわけでもない。それでもお客がパンパンになるということはなかった。モリッシーのファンはあまり多くないんだな、と認識を新たにした。

そもそも日本における彼の人気や知名度はどれほどのものなのだろう。「英国病」と言われるほど経済的問題が慢性的になっているイギリスと比べて、ザ・スミスが活動していた80年代前半から中盤の我が国は空前の(そして異常な)バブル景気に湧いていた。そうした社会情勢の違いもあってか、一部のマニアを除いてパンクやニュー・ウェーブといった音楽が世間的に高い注目が浴びたとはいいがたい。

しかしこの出口が見えない現在においてこうした音楽が実感を持って受け入れられてもおかしくない。などと勝手に思ってみたものの、来日公演のチケットは川崎公演以外は「絶賛発売中」という惨状だ。サマーソニックのことを思えば想像できなくない結果であるが、この国でスミスやモリッシーがブレイクする日はまだ訪れないようだ。

そんなことを書いておきながら、当の私にしても今日のライブを心待ちにしていたかといえばかなり怪しい。それが別にモリッシーの音楽がどうとかいうよりも、自分の身辺がガタガタになっていてライブを楽しめるような心境でないからだ。実際、先日にビルボードライブ大阪で観たリチャード・トンプソンを観ている間も心中は全く穏やかではなかった。

「俺はいまこんなことをしていて良いのか?」

正直いってそんな感じである。だが昨日あたりから過去の作品を聴いたりyou tubeでライブ映像を観たりしているうちに、

「モリッシーというのはこういう状況の時に聴くのに相応しいのでは?」

と考えが変わっていき、だんだんとテンションが高くなっていった。そして当日の昼前に近所のセブンイレブンでチケットを発券し、京阪電車で大阪へ向かう頃にはかなりライブが楽しみになってくる。なにせ9000円もするチケット(しかもドリンク代500円は別)なんだから楽しまないと損であろう。

本日の会場は、大阪南港にあったZepp Osakaが難波に移転して、この4月27日に新たに営業を開始したZepp Nambaである。初めての場所なのでパッと辿り着けるか心配だったが、思いのほかパッと会場まで行くことができた。私のとった交通手段を具体的にいえば、京阪電車で「北浜」駅を降りて地下鉄堺筋線に乗りかえ、最寄りの「恵美須町」で降りてそこから西へ歩いた。駅から「クボタ」の本社ビルを目指して歩けば簡単に着くだろう。Zeppはそのすぐ南にあるからだ。

小雨が降ってきたので、急いでチケットを渡してドリンク代を払い会場へ入る。入口のテーブルにはお客が持ち込んだペットボトルが何十個も並んでいたのが目についた。持ち込み禁止ということだがZepp Osakaでこんな光景を見た記憶がない。何か事情が変わったのだろうか。

私が着いたのは午後4時半過ぎで、開場時間の4時からもう30分以上過ぎていた。だが今回は2階の指定席を取っていたので場所を確保する必要もなくゆっくりと会場入りすることができる。上から見ると1階の立ち見席の様子がよくわかる。まだお客の数がまばらだ。開演までに果たしてどれほど埋まってくれるかどうか。まずそれが何より心配だ。

午後4時40分を過ぎたあたりだったろうか。会場が暗くなりステージを隠している白い幕にいくつか映像が流れ始める。それは昔のミュージシャンのプロモ・ビデオだった。エルビス・プレスリーやニコ?(声が似ていたが確信がもてない)など、そしてモリッシー本人がファンクラブに入っていたニューヨーク・ドールズの映像が出てきた時に会場前方がひときわ騒がしくなる。どうやらこれが開演のサインらしい。そして会場が暗くなってモリッシーとバンドがゆっくりと舞台左手から現れてくる。背後のスクリーンから見たこともない男性の肖像が映し出されたと思いきゃ、

「オオサカ、ワイルド。オスカー・ワイルド!」

とモリッシーが第一声を発し、ああ、あれはオスカー・ワイルド(アイルランド出身の文豪)だったのかと気付く。そしてザ・スミスの2枚目のアルバム「ミート・イズ・マーダー」(85年)収録の”ハウ・スーン・イズ・ナウ?”で大阪公演が幕開けとなった。駄洒落に続いて一発目がスミスの曲とはなかなかのスタートではないだろうか。

モリッシーの動きは基本的にサマーソニックの時と変わらない。胸がはだけたシャツを着てステージを右へ左とフラフラしながら、なんとも締まらない雰囲気を作りだしていた(ただ、マイクをぶんぶん振り回す場面はなかったと思う)。しかし前回の来日と決定的に違う点は、お客との距離が思いっきり近いところである。モリッシーも歌いながら最前列のいる人たちと握手したり、持っている花を取ったと思ったらすぐ客席にまた放りなげるなど、まめにサービスをしてくれる。私は幸運にもサマーソニックでは一番前でライブを観たのだが、いかんせんステージと客席には大きな溝があったので握手など叶わなかった。そんなこともあってモリッシーとお客のやり取りをなんだか羨ましくもあった。

またモリッシーの歌声も実に良い。来日公演の情報を集めていると、面白いサイトがあり、

http://blogs.dion.ne.jp/atonsdemo/

そこに「モリッシー来日公演『よくある質問』」というのを見つけた。いろいろと情報を提供しているので質問メールなどが届くのだろう。「Q.ジョニー・マーも来ますか?」という凄い質問もあったが(笑)、私が唸らされたのは、

<Q.来日公演に行って来ました。歌声が全然衰えていなくて感動しました。
A.申し訳ありませんが、「衰えていない」は適当ではありません。間違いなく年齢を重ねるごとに巧くなり凄みも増しています。>

というやり取りである。これについては私も同感だった。you tubeでは今年のライブ映像もたくさん観られるけれど、それらと比べたらサマーソニックの模様はかなりショボクレているように感じてしまうのだ。今年の53歳になるモリッシーは明らかに以前よりパワーアップしていると言いたい。その姿を観られたのは実に嬉しかった。

演奏曲目については、私はモリッシーのソロどころかスミスの曲についての記憶も怪しい人間なので良いとも悪いとも言えないけれど、スミスで最も好きなアルバム「クイーン・イズ・デッド」(86年)から”アイ・ノウ・イッツ・オーヴァー ”が聴けたのが一番の収穫であった。同アルバムに入っている”ゼア・イズ・ア・ライト”を聴きたいという感想がネットで散見したけれど、こちらはサマーソニックで既に観ているので、俺は別にいいや、というところである。あと”エヴリデイ・イズ・ライク•サンディ”をまた再び聴けたのが良かったかな。

アンコールでは何が出るかなと思ったら、なんと1枚目のアルバム「ザ・スミス」(84年)から”スティル・イル”を、日の丸の旗を腰に巻いた格好で歌ってくれた。その間、ステージに上がろうとするお客が出て来たが、スタッフによって客席に押し戻されていたのが2階から確認できた。それでも二人ほどは運良くモリッシーに抱きつくことができたが。そんなことをしながら日の丸を掲げてヨタヨタステージを去っていく。モリッシーが消えるとすぐ会場が明るくなりスピーカーから音楽が流れて終演を告げる。お客の方もわかっているのか、思いのほか皆アッサリと会場を出て行く。本編17曲、アンコール1曲で90分ほどのステージであった。外はまだ明るい。

とにもかくにも、無理して行った甲斐のあるライブだった。ただ中盤の”ミート・イズ・マーダー”の演奏中では、鶏や豚などの家畜が物のように扱われている映像をこれでもかと流してくれた(ご存知ない方のために付け加えるが、モリッシーは菜食主義者である)。このあたりの趣味の悪さも実にモリッシーらしいと思いながらも気が滅入る瞬間であった。こういう部分が日本でいま一つ彼が受け入れられない一因なのかもしれない。

最後に上のサイトに載っていた曲目を記す。

【演奏曲目】
(1)how soon is now?
(2)you have killed me
(3)black cloud
(4)alma splattered”(alma matters)
(5)when last i spoke to carol
(6)you’re the one for me, fatty
(7)maladjusted
(8)last night i dreamt that somebody loved me
(9)i’m throwing my arms around paris
(10)speedway
(11)let me kiss you
(12)meat is murder
(13)ouija board, ouija board
(14)to give (the reason i live)
(15)everyday is like sunday
(16)i know it’s over
(17)i will see you in far-off places

(アンコール)
(18)still ill

弱り目にたたり目

2012年4月27日
朝おきた時にすぐ、これはまずいかもしれないな、と感じた。鼻水が出てきてとまらないうえ、喉にも違和感がある。これは間違いなく花粉症ではない。風邪であろう。久しぶりにひいた気がする。本日は研修最後の日であるが、1日を過ごすのはなかなか厳しいものがあった。指導をしていた社員の一人から、大丈夫ですか?と怪訝そうな顔で言われた。ダラけていたように見られたに違いない。それでも今日1日はなんとか終えることができた。

はっきりいって、このまま体の状態が回復しないのはマズい。連休中はモリッシーのライブの日以外は働けるだけ働くつもりだからだ。今月は20日以上無収入だったわけで、それをどこかで補完しなくてはならない。

このような厳しい状態で体まで壊してしまってはもうお終いなのだが、運命というのは本当に思うようにいかない。とりあえず28日、29日と働いたら1日休みである。なんとかこの2日間は体をもたせてほしいと願うばかりである。

いままで黙っていたけれど、最近はテレビ番組を時々観るようになっている。といっても部屋のアナログテレビにチューナーを設置したというわけではない。ネットで調べたら、パソコンでテレビを観られる無料ソフトを発見したからだ。無料だけあって画質などはあまり良くないものの、内容を確認するのは問題ないのでときどき利用している。

今日Twitterの「トレンド」の部分に「退職トラブル」という文字が目に入ったので、思わずクリックしたら今夜のNHK「クローズアップ現代」でこのような内容を放送するということが紹介されていた。ちょうど番組が始まって10分くらいだったので、ソフトを立ち上げて観ることにした。

番組の正式な題名は、

「やめさせてくれない 〜急増する退職トラブル〜」

というもので、番組サイトではこのような紹介をされていた。

<厳しい雇用情勢が続く中、全国の労働者支援の窓口に意外な相談が増えている。「会社をやめたくてもやめさせてくれない」というものだ。長年労働者を支援してきたNPO法人・労働相談センターには、“退職拒否”に関する相談がこの2年で3倍に急増。退職する権利は法律で守られているが、会社側が失業保険の申請に必要な「離職票」を出さない、「やめたら研修などで投資した額や、営業で出た損失を損害賠償請求する」という脅しをかけるなど、様々な手法で社員をやめさせず、トラブルに発展するケースが相次いでいる。一つ一つの事例からは、新たな人材を雇い入れる資金や体力すら失い、都合良く働き続ける社員を手放さない企業の姿と、棚上げされる労働倫理の今が浮かび上がる。なぜやめられないのか、そしてなぜやめさせないのか。急増する“退職拒否”の実態を報告する。>

リーマンショック以降の長引く不景気で会社をクビにされた、というのではなく、逆に辞めたいけれど会社が辞めさせてくれないという労働相談が増えているというのだ。いま仕事ができなくて困っている人たちにとっては直感的に理解しがたい話かもしれない。私もまた仕事ができなくて困っている人間だが、別に不思議だとは思わない。

岡田斗司夫さんが去年の10月16日に同志社大学で「私たちは生涯、働かないかもしれない」と題した講演をおこなった。その時の模様を動画で観た時に岡田さんは、今の会社は人手不足だ、というようなことを話していてそれが非常に印象に残っていたのである。

現在は就職にあぶれる人が増えている一方、会社の業績を伸ばすことがなかなかできないため人を雇う余裕がなくなっているという現象が起きている。そうなると正社員の立場にいる人は少ない人数で仕事をこなさなければならない。いきおい労働時間も増えていく。このあたりのことを岡田さんは「人手不足」と表現したわけだ。

これを踏まえてみれば、今夜の「クローズアップ現代」で取り上げられた問題(辞めようとする正社員にあの手この手を使って阻止する)もすんなりと理解できるかと思う。

番組では、退職した会社から離職票が届いたと思ったら「懲戒解雇」と記されていたり、辞めた分の損害賠償として約2000万を請求してきたりと、正気を失っているとしか思えない会社もあるんだなと呆れてしまった。ちなみにこの損害賠償を求めたところは京都の会社であり、一審で要求を退けられるどころか、元社員の人に賃金の未払い額1000万円ほどを支払うよう命じられているという。

番組に出ていた弁護士で日本労働弁護団会長の宮里邦雄さんは、このような不当な請求はまず通らないから安心してください、と断言していた。懲戒解雇にしてもよほどの要件が揃っていない限りは適用されないという。

一方で宮里さんは、こうした労働問題の原因について訊かれた時に、

「去るも地獄、残るも地獄」

と現在のサラリーマンが取り巻く状況を評していた。会社を辞めるのもとどまるのもリスクは存在する、という当たり前のことを世間のどの程度の人が理解しているのだろうか。

そういえば日本生産本部が4月23日に発表した「2012年度新入社員春の意識調査」によると、今年の新入社員の実に6割が「今の会社に一生いたい」と答えたという(調査は今年の3月下旬から4月、新入社員2089人に実施した)。この先行き不安な時代では納得の結果とも思えるが、しかし正社員になってしまえば一生安泰だと思っているのだろうか。そんなことは全くないということが今日の番組は多少なりとも示してくれた気がする。
Twitterを眺めていたら、音楽ニュースサイト「ナタリー」より、

「京都精華大で佐久間正英、近田春夫、高野寛、Boseが教授」

という文章が飛び込み、へえ、と思った。精華大学といえばマンガ学部を日本で初めて設立した大学であるが、来年の2013年4月には「ポピュラーカルチャー学部」もできるというのである。

ナタリーの文章によれば、

<同学部の音楽コースではポップスやロック、クラブミュージックをはじめとした「ポピュラー音楽」に取り組み、新しい時代に必要な音楽の作り方を基礎から学習。教授として佐久間正英、近田春夫、高野寛、准教授としてBose(スチャダラパー)などの就任が予定されており、さらに客員教授として藤原ヒロシ、細野晴臣、ピエール・バルーなども教鞭をとる。>

と名だたるミュージシャンが教員として招かれている。日本のポピュラーミュージックを少しでも聴いている人は、ほお、と思う顔が2、3人はいるに違いない。

http://natalie.mu/music/news/68416

個人的にはこれからの日本の音楽がどうなるのかといったことに特に大きな関心はない。いままでもそうだし、これからも多分そうだろう。私が興味を持つのは自分の好きなミュージシャンの行く末だけである。

ただ、近田晴夫や細野晴臣が大学の教員になる日がくるとは誰が予測しただろう。別に良い悪いの話ではないけれど、ポピュラーミュージックもずいぶんと歴史が積み重なったものだと実感する。

先日、60年代を代表するロック・バンド「ザ・バンド」で主にドラムスとヴォーカルを担当していたリヴォン・ヘルムが71歳でこの世を去った。ロックという音楽が生まれたのは1960年代というのが一般的な見解だけれど、そこからもう50年以上の月日が経っていることになる。こんなことを話すのも気が引けるが、あと10年も経てば当時の主要ミュージシャンはほとんどいなくなるだろう。悲しいけれど、それは自然の摂理だから仕方ない。

近田氏や細野氏にしてもいい歳である。そんなこともあって、後進のミュージシャンたちに何か残そうとでも思ったのだろうか。このニュースを見てそんなことを想像してしまった。

こんな体に誰がした

2012年4月24日
経済的に不安定な状態が続いているものの、とりあえず昨日から仕事がまた始まった。といっても今週いっぱいは研修に参加をしている。

新しい職場に入るにあたって実施されるものの一つが健康診断だ。以前の会社に入る際も受けたので(11年10月)、半年ぶりほどのことである。正直いってうっとうしいのだが決まりなので仕方ない。とはいえ研修のカリキュラムに健康診断の時間が設定されているため、仕事中に済ませることができた。個々人が時間を使って診察料も払って受ける必要がないのだ。そうなると、お金をもらって検診もできるから得だなと思えてくる。

検診は京都工場保健会の宇治支所検診センターでおこなわれた。職場に集合して会社の車でそこまで案内してくれる。そこで検尿、身長・体重・血圧・聴力・視力の測定、レントゲン、心電図、採血、そして問診とひと通りを調べられた。私を含めてこの日受けた5人はいずれも、即入院です、と言われることもなく無事に終了した。

だが、帰りの車中でちょっと気になることがあった。それは血圧の話になった時、受けた一人が、

「下が89でした」

と話すと、車を運転していた会社の人が、

「それは高いな・・・」

と言われ、エッ?下の血圧が80台って高いの、と少し不安になった。なぜなら今日の私の血圧も上が138、下が89を計測していたからである。

測られた時もアレっとは思った。いままでの結果から考えれば、上がせいぜい120から130くらいの間に収まると思っていたからだ。ただその時は、

「138って過去最高だな、でも歳をくったら血圧なんて上がるもんだろうし・・・」

という程度しか思わなかった。だから車中で、下が80台だとちょっと深刻だな、という話になった時は実に不安な気分になった。思えば父親は糖尿病、母親は高血圧、祖父はガンと、危ない遺伝要因がそろい踏みである。

「Yahoo!ヘルスケア」によれば、
http://health.yahoo.co.jp/katei/detail/ST030010/2/

家庭で測る血圧について触れているものの、

<家庭血圧の正常値は収縮期血圧(上の血圧)が125mmHg、拡張期血圧(下の血圧)は80mmHg未満であり、同様に収縮期血圧135mmHg以上、拡張期血圧85mmHg以上を高血圧としています。>

となっているから、私はギリギリ「高血圧」の分類ということになる。病院で測定する場合は条件が違うとしても、少なくとも正常だがちょっと危ういラインなのは確かだろう。

私の血圧が上がったのは何故だろう。個人的にその要因になるようなことは思いつかない。1年前にくらべたら体重は10キロくらい落ちているわけだし、酒を飲む量もかなり減っているのも間違いない(だから、年齢が原因かな、と思ったのだ)。

いずれにせよ、年齢を重ねるうちに体もあちこちでガタがきてるのかなあという気がしてくる。そういえば先日も急ぎの用で駅まで走ったらすぐ息切れをしてしまい、体力が落ちてることを痛感する。

そもそも何の資産もない人間なのだから、困ったら体を動かして乗り切るしかない。近頃はそんなことも常に頭にあるので、この問題については目をつぶることなく真剣に対策を考えなければならないとは思っている。

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