炊きたて一膳

2006年1月26日
一人暮らしの身で自炊するうえで大きな問題の一つに、作る量が多くなってしまうことがある。それでもお惣菜などは2食・3食に材料を分けるなどの工夫することは可能だが、どうしても調整できないものがある。いうまでもなく、部屋の炊飯器で炊くご飯だ。

最低限の量にしても150グラムは作らなければならない。定期検診の時にも言われたけれど、確かにこれは食べ過ぎである。残りを保存しろとかいう意見も出てくるかもしれないが、翌日にまたご飯を食べる保証などない。だいたい、毎度毎度ご飯を炊くたびに保存していたら面倒このうえないではないか。

体重の劇的な増加を抑えるため、必要以上に食べてしまう自炊はしばらくおこなってこなかった。部屋に戻ってもなるべく食べないような工夫をしている。しかしそればかりでは味気ないという思いも一方ではあった。

そんな時に、どこかで目にしたアレをふと思い出したのだ。「一膳分がチンして炊ける、便利なご飯茶碗」をである。

http://store.yahoo.co.jp/kuramoto/g0003.html

使い方も難しくなさそうだし値段も手頃だったのでネットで注文してみた。これを機会にまた自炊も再開するかもしれない。

しかし、商品の画像は楽天のページを使って、リンクはyahooのページにしているのは我ながらイビツな気がする。ちなみに私が注文したのはyahooショッピングにおいてである。
ニコンのフィルムカメラ事業縮小と、コニカミノルタホールディングスのカメラ・フィルム事業からの完全撤退などの話が今月は相次いだ。理由は言うまでもなくデジタル・カメラの普及と、それにともなうフィルム・カメラの衰退である。日本のカメラ業界もデジタル化の流れは止まらない。

「時代の流れ」といったらそれまでだが、それが進歩とか進化となるのかといえば疑問だ。なぜならば、フィルム・カメラが無くなるということは、つまりフィルムの歴史が終わることを意味するからである。いままで築きあげてきたフィルム・カメラの実績は立派だ。それを断つということは、それまでの「進歩」や「進化」を止めることになる。

同じような流れを辿ったものに、レコードとCDがある。CDの開発にともない、その普及のためにアナログ・レコードは日本から一気に消えていった。しかし、アナログの出す音質にはデジタルはまだ及ばない部分があることは周知の事実である。フィルムについても、引き延ばしなどをしたらデジタル・カメラの質など遠く及ばないというのが専門家の見解だ。現在の写真コンテストの募集作品の8割以上がフィルムでの出品だという。

別にアナログが一番だといっているのではない。アナログとデジタルはまるっきり質が違うので優劣をつけることができないということを強調したいだけだ。デジタルはデジタルで素晴らしい。現に自分もデジタルの恩恵を受けている一人だ。iPodなどデジタルなくしては成り立たない商品だろう。

デジタルとアナログの共存、と一言でいえば簡単だが、この難しい課題に取り組まなければ、21世紀においても人類は進歩ができないまま一進一退を繰り返すだけではないだろうか。

「やっぱりフィルムやレコードが良かったな」などと30年後に語られるような世界にはなってほしくないのだが。
昨日の夜、部屋に帰ったら堀江貴文はすでに逮捕されていた。テレビや新聞は、そして世間は手の平を返したように堀江やライブドアを非難する。その光景は見ていて非常に見苦しい。

しかし、この一連の事件が起きたからといって金持ち礼賛の風潮は変わらない。ライブドアがつぶれようと、堀江が消えてしまおうともだ。個人的には何の感慨もわかないのだ。

寒冬(かんとう)

2006年1月23日
朝おきると、昨日をはるかに上回る寒さに驚いた。それでも出勤しなかればならないのでテレビをつけて身支度をしていると、「おはよう朝日です」の中で、「寒冬」(かんとう)という言葉があることを初めて知った。「暖冬」の反対の意味である。

あの年末の寒さの時でもなお、今年は暖冬です、と往生際の悪さを表していた気象予報士もさすがに予測を修正せざるをえない状況に立たされたわけだ。

テレビでは、北極の寒気が予測できなかったとか弁解めいたことを言ったけれど、天気予報なんてその程度のものなのだろうか。しかし、気象予報士に当たっても仕方ない。それよりも、早く寒さが和らいでほしい。暖房の無い部屋では辛いのだ。
ジョイ・ディヴィジョンは終わらない
そういえば、ジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)の新しい音源が日本盤でも出たのではないだろうか。ふとそんなことを思い出し、JEUGIA三条本店に自転車で向かった。1枚だけだが、目当てのアルバム「Let The Movie Begin」が置いてあった。迷わずレジに持っていったのは言うまでもない。

「IAN CURTIS 25 ANNIVERSARY LIMITED EDITION IMPORT CD」というシールがCDケースに付いている。この「Let The Movie Begin」はジョイ・ディヴィジョンの中心人物だったイアン・カーティスの没後25周年を記念したアルバムだ。

中身は非常に変則的な内容となっている。スタジオ・デモとライヴ音源が中心なものの、その間にメンバーのインタビューが挿入されている。よってスッと聴きとおすことのできる類の作品ではない。さらにいえば、日本盤は作品解説が付いているだけで、対訳は一切ない。よってインタビューの内容もさっぱりわからないのは残念だ。自分はいつも日本盤を買ってしまう人間なので、今回もそうしただけであるが。端的にいえば、マニア向けの音源である。

しかし私はオリジナル・アルバムのみならず、ライブ・アルバム、未発表音源、ボックス・セットまで所蔵している熱心なファンなので、こうした音源がでてくるのは非常に嬉しい。ニルウ゛ァーナ、ナイン・インチ・ネイルズ、ペイウ゛メント、モグワイなど、後進のアーティストに絶大な影響を与えてきたジョイ・ディヴィジョンが、いまも評価を受けているからこそこうした作品がでてくるのだろう。

私の話をすれば、ジョイ・ディヴィジョンを初めて聴いたのは98年ごろだったと記憶している。かの2枚目の(そして、イアンの遺作となる)アルバム「クローサー」に接した時の衝撃はいまだに忘れがたい。そして彼らの音楽は、現在も目に見えない力を自分に与えてくれる。

内容はもちろんのこと、このジャケットも実に素晴らしいではないか。陰鬱な背景に、目をひんむいているイアン・カーティスの姿。これを見ているだけでもジョイ・ディヴィジョンの音楽を雄弁に語っているようでしかたない。

最後に、このアルバムは全世界で5000枚限定であることも付け加えておく。
そもそも、株式運用で儲ける利益などたかがしれている。自分の本業が第一で、株はその添え物という認識を持つのは重要だ。

だが、デイトレードをしてしまうとこうした当たり前の考えが吹っ飛んでしまう。前にも述べたけれど、株価は刻一刻と動くのだ。そんな株価の動きが気になってしまったら、集中して仕事などできなくなってしまう。

どこかの株の誤発注によって億単位の利益を得た人をテレビで見たけれど、その姿を見てゾッとした。外で仕事をしているわけでもなく、ただ一日中部屋にこもって株の売買を続けているのである。そんな人生は絶対に送りたくない。

森永卓郎氏は、デイトレードをしている人で長期的に安定した生活を送っている人は知らない、と著書で述べている。確かに、儲かっている儲かっていないを別にしても、四六時中株価に振り回されて精神的にはまるっきり安定できない生活をデイトレーダーが送っているのは容易に想像がつく。

5%の利回りでも、20年かければ資産は2倍になる。そのような長期的視点を持って株式運用をしたいものだ。
昨年の9月あたりから日経平均株価がじわじわ上がりはじめている。

日本がデフレを脱却する時期も近いようだ。長きにわたる不良債権処理も春にはメドが立ちそうなこと、9月以降に消費税アップをしようとしている政府が不況では増税しにくいので景気を上げる見込みがあることなど、景気回復に向かいそうな要因がいくつかあるからである。

デフレ脱却時の資産活用といえば不動産と株となってくるけれど、不動産は多額の資金が必要であり庶民には手が出せない。比較的小額でもできるならば株しかない。ゼロ金利時代に定期預金へ資産を入れるよりは株式運用は賢い選択ではある。しかし、株を扱ううえで絶対に守らなければいけないことが一つだけある。

絶対にデイドレードをしてはいけないということである。

デイトレードとは、世間がイメージしているような株式運用である。1円でも株価が動いたらすぐにその株を売るという、まさに「切ったはった」の世界だ。昨日からのライブドア株の一連の流れもそうした動きといって良い。そして、繰り返すが、庶民はそんな真似をしてはいけない。ましてや、将来や老後に備えた大事な資金だったらなおさらである。なぜならば、庶民がデイトレードをして勝てる見込みは極めて低いからである。

株価というものは証券取引所が営業している時間ずっと動きつづける生き物のような存在だ。よって、短期的な動きなど予測はほとんど不可能である。その証拠に、ライブドアに強制捜査が入って株価が急落することなど、東京地検特捜部を除いて誰が予測できただろうか。株はさまざまな理由で上がったり下がったりする。

しかし、中長期な視点(具体的には3ヶ月後とか)で見れば株価が上昇するのは確実だ。デフレが終われば必然的に株価は上がるからである。

今日は株価という視点だけに絞って述べたけれど、デイトレードに手を出してはいけない理由はまだある。それは後日に書こう。

株価急落

2006年1月18日
さきの強制捜査が影響してライブドアの株価が急落した。株を手放す人がドッと出たために、取引も一時停止する異常事態になる。

ライブドアの株は1株単位から買えるので、小額でも投資できる(たいていは100株とか1000株単位)。そのため株主の数は15万人もいるというが、今日の一件はそれがアダとなった事例だろう。

株を売った人たちは、堀江社長のイメージが良くて買ったか、ライブドアが成長すると思って買ったか、そのどちらかに違いない。それはそれで結構なことだが、強制捜査が入ったくらいで持っている株をパッと手放すという短絡的な手口には賛成できない。そういう人は経済の流れなどまるっきり考えてもいないので、株で成功などできないだろう。

それにしても、ライブドア1社のことだけで取引の止まるような東京証券取引所もなんだか危うい気がする。
ライブドアに対して東京地検特捜部が強制捜査へ入った。それによってライブドアグループ7社の株価が急激に落下し、時価総額で約1500億円も損失したという。わずか1日にしてここまで株価が下がるとは、こうした企業の危うさを示している。

堀江貴文や三木谷浩史や孫正義などは金持ちと思ったことはない、と前から言い続けていた。彼らは企業買収などを通じてすさまじい成長を遂げているようにはみえるけれど、その一方で外資などから莫大な借金をしている。よって、彼らの純資産はどれほどかといえば、かなり怪しい。

しかも、その純資産にしたって今日の株価の急激な下落である。一瞬にして無くなった1500億円というのは、本当にお金なのか?資産なのか?

そもそも、ライブドアは何をしている企業なのかが未だに理解できない。物やサービスを提供することもなくただマネーゲームを専心しているだけの企業など社会に存在する価値はないのではないか。まさに虚業である。

U2の来日

2006年1月16日
年末から噂になっていたU2の来日がついに正式に発表された。しかし、どうも日本公演は横浜の日産スタジアムでしか無いようだ。

前回の来日は恐ろしいほど席がガラガラだったらしい。そんな経緯もあって、日本公演は何年も実現することがなかった。そんな悪夢の再現はしたくないということで、1回公演に集中させたというところだろうか。それでも満員になるのかどうかは未知数だ。

関西にいる自分のような立場は、横浜まで行くしかないのだろうか。行きたい気持ちはあるのだが・・・。
やっと日記を書く気持ちの余裕ができた。というほどせっぱつまった心境でも実はなかったのだが、そこそこ忙しい毎日が続いた。家に戻ることもできない時期があり、帰ってきたらメールが60件ほどたまっているという事態にもなっていた。

自分の携帯にもジャンジャン電話がかかってきた(自分はといえば、一度たりとも会社に電話などしていないのに)。通常はマナーモード(職場では当然のはずだが、していない人がけっこういる)にしているけれど、バイブでは気づかないことも多いので久しぶりに「着うた」にした。自分の心境ではザ・スミスとかにしたかったものの、「着うた」は渡辺美里しか入っていない。”My Revolution”や”恋したっていいじゃない”などもあるけれど、昨年もっとも印象に残っていた”夢のあいだ”に設定してみる。

この3日間くらいで、この”夢のあいだ”をどれほど聴いたことだろう。50回はくだらないはずだ。繰り返すが、自分はほとんど電話はしていないにもかかわらずである。

しかし、そんな日も今日でしばらくはお休みだ。疲れた。
この「Diary Note」を制作している人の遊び心なのか、いつのころか「アンケート機能」が搭載されている。自分でも質問を作ることもできるようだが、別に世間に聞きたいことも無いので作ったことがない。

しかし今日、ふとアンケートの質問に目が止まった。タイトルがその質問である。選択肢は「実話だと思う」「作り話だと思う」「電車男を知らない」の3つだ。私が投票した時の結果は以下の通りである。


実話だと思う
52.6%
作り話だと思う
43.0%
「電車男」を知らない
4.4%


予想はしていたけれど、本当か嘘かというのはほぼ半々だった。

電車男の元ネタである「2ちゃんねる」の書き込みの内容にはうさん臭い部分はたくさんあるようで、それを熱心に検証し指摘している人たちもいる。だが、そういう人の姿勢を見ていると、従軍慰安婦や南京大虐殺が無かったと言い張る人たちと重なって見えてくる。人の書き込みなど思い違いや間違いをゼロにするのは、自分は日記を書いているから痛感するが、非常に困難な作業なのだ。些細なミスをあげつらって全ての存在まで否定するというのは生産的な行為とはいえまい。ましてや、元ネタが「2ちゃんねる」なんていかがわしい場所なのだし、目くじらを立てるだけ無駄な気が個人的にはしている。

ところで、原作も映画もテレビドラマも観た私は、だまされたとしたら嫌なので、「本当であってほしい」という立場である。
渡辺美里「スタジアム伝説 forever 1986−2005 BORN FINAL 」(DVD)
連休の合間をぬってこの9枚組DVDボックスを観ていた。そして今日、ついに6枚目と7枚目、最後のスタジアム・ライブの完全収録版までたどりついた。

ライブの模様を完全収録した映像を観るというのは初めての体験だ。冗漫ところを削っている部分も厳密にはあるけれど、演奏はもちろん彼女のMCもすべて収まっている。

DVDで2枚にわたり3時間30分ほどあった8月6日のライブを続けて観たわけだが、文字どおりあの日のライブを追体験する思いがした。ライブ会場で観た限りはそれほどとは思わなかったけれど映像で振り返ると、最初の”Growin’ Up”からアンコール最後の”夏が来た!”まで実に充実した内容のライブだったと言わざるをえない。特に、21曲で30分を超える「ウルトラ・メドレー」は一世一代の名演だ。

また、この映像で楽しみにしていたアンコールの5曲について触れたい。最初の”JUMP”からすでに、何度か声を詰まらせる。いまにも泣き崩れそうになるのをこらえながら歌い続ける姿には会場でも感動したけれど、映像で彼女を表情をアップで観るとたまらない気持ちに再びさせられる。

スタジアムを縦断する時、「ラストの曲」の”Lovin’ You”を歌ってしばらく立ちつくして歓声を聴いていた時、本当に最後の”夏が来た!”を歌いながらスタジアムから立ち去っていく時、いったい彼女の胸に去来していたものは何なのだろう。泣きはらした彼女の大きな目を見ながら、そんなことがずっと頭に浮かんでいた。

20周年のスタジアム・ライブを見事に締めくくった素晴らしい記録である。
年が明けて2日目、することも無いし寒いしで、いいかげん嫌になってきた。そんなときに思い出したのが「電車男」だった。確か箱根駅伝と同じ時間にドラマをすべて放送する「オタク駅伝」をするはずである。テレビはおおよそ中身は気に入ってないけれど暇つぶしにはもってこいと思った。しかしテレビをつけても電車男は無い。ネットでテレビ欄を見ても「電」の1字も無いのである。

少し考えてわかった。関西テレビがローカルで独自の特別番組を作っているので、「電車男」は流れないのである。箱根駅伝と同じ時間の特別番組を作る関西テレビの姿勢には感心するけれど、そのために関西では「オタク駅伝」が幻に終わってしまった。
年が明けたからといって何かがあるわけでもない。10時ごろ目を覚まし、いつも朝からしている漫才の特番をつけていたらパペットマペットが出てきた。レイザ−ラモーンもずっと腰を振っているけれど、この人は昨日からずっと眠っていないはずだ。若手芸人には盆も正月も無いらしい。

元日はコンビニ以外はどこも閉まっているので、部屋にずっとこもってネットを見ていたら、7月22日に山中湖畔で渡辺美里がライブをするという非公式な情報が目に入った。ファンクラブから届いた年賀状には「夏には”Nextステージ”が、始まります!!」というメッセージがあったけれど、そんな具体的なことは書いてなかった。

情報源は公式サイトだった。

http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/misato/message/index.html

スタジアム・ライブを20年目で終わらせても、まだ夏祭りは続く。どうも彼女は夏の野外ライブというものに思い入れがあるらしい。ともかく、するのだったら1万人規模とか無理のない人数でおこなってほしいと願う。

ちなみに、山梨県は一度も行ったことがない。どうやって行ったらいいのだろう。

早く寝たい

2005年12月31日
大晦日である。といっても除夜の鐘など聞くつもりもないし、紅白で渡辺美里と中島美嘉を観たらすぐ寝ようと思っていた。しかし、この二人はどちらも11時台に登場するという。その時間までどうやって時間をつぶせばいいのだろうか。

とりあえず夕方までは酒や食べ物を買い込んで部屋に戻っても、まだ6時である。それから食事をしたり、テレビでレコード大賞やコントを観たり、渡辺美里のDVDを観たり、yahooメッセンジャーでチャットをしたりしながら、なんとか11時まで時間をつぶした。

まず、渡辺美里である。思えば去年も長崎のハウステンボスにおける彼女のライブをネットで観て年越しをしていた。観た人の感想によれば彼女の目が最後で潤んでいたというが、ぜんぜん気づかなかった。ともかく、緊張することなく無難に歌い切ったので、これで良いだろう。

続いての中島美嘉では”雪の華”が終わって頭を下げた瞬間に、次の北島三郎のイントロが間髪いれずに鳴り出した。曲の余韻にひたる間もなく、美嘉も「ありがとう」とすら言えずである。これには笑ったけれど、段取りが良すぎるのも考えものである。

結局、最後まで紅白を観て、「ゆく年くる年」をなんとなく観てから眠った。
デジタルカメラを買いました
仕事の資料のために写真をとる場面が割と多いけれど、デジカメをずっと使ってこなかった。使ってみたことがあるけれど、カメラの調子が悪くなり対処できなかった経験があって、それ以降は触ることすらしなかった。

しかし、フィルムだと取る枚数も制限されてしまうし現像にも出さなければならない。また、データとして保存することもできないので、管理するにもいろいろと不便である。

職場にはデジカメは一応あるので、買うまでもなかったかもしれない。しかし、自分のデジカメを持たない限り使い方を覚えるのは困難だろうし、スーツやカバンのような消耗品と考えて買うことにした。機種はソニーのサイバーショットで、メモリースティックを入れて4万2000円かかった。

上にある画像は、そのデジカメで取ったものである。住んでいる建物(3階建て)の屋上からの大宮通の映像である。京都のど真ん中なので、周囲はどこもこんな感じの味気ない風景だ。ちなみに、画像をクリックすると大きくなる。
2005年を振り返る(4)渡辺美里「Sing and Roses」
2005年8月6日、音楽がどうのということを超えて自分にとって重大な出来事があった。渡辺美里が86年から続けてきたスタジアム・ライブを20回目でその歴史を終わらせたのである。

最後のスタジアム・ライブは4万人ちかくの人が訪れて大成功に終わったのだが、次の活動はどうなるのか気になっていた。西武ライブという彼女の活動の支柱が無くなって失速するのか、それともいままで重荷となっていたものから解放されてより自由な活動をするのか。私は後者の方だと思っていた。して、この「Sing and Roses」を聴いた時は、その思いは確信に変わった。

ここ数年の彼女にはみられなかった歌声の豊かさがある。本作でそれが聴けたことが最も嬉しかった。この10年の彼女の作品で最も優れたアルバムだろう。今年のベスト・アルバムのみならず、ずっと自分の手元に置いておく作品になるに違いない。
2005年を振り返る(3)中島美嘉「MUSIC」
このアルバムを買って聴くまでは、これは失敗作だろうと踏んでいた。前作「LOVE」以降に出たシングルのほとんどがいまひとつな印象しか持てなかったからである。なおかつ”SEVEN””朧月夜””LEGEND”など毛色の違う曲ばかりなので、一つのアルバムにおさめるのは困難だとも感じていた。

しかし実際の中身はまるっきり違った。アルバムとしての統一感はしっかりとあったのである。さらに、繰り返し聴いているうちにそれぞれの楽曲もかなりの質であることにも気づいたのである。このような感想を持ったのは自分でも意外だったし、音楽というものはわからないものだと思い知らされた。いずれにしても良く聴いた作品だ。今年、2番目によく聴いたアルバムである。

7月、新作にともなったツアーにも1回だけ足を運んだが、ステージさばきも歌声も昨年よりも遥かに力強く成長した彼女の姿があった。また、映画「NANA」の格好で2曲歌うなどの演出もあり非常に楽しかったことを覚えている。

残念だったのは、このアルバムの売り上げが前作や前々作の半分くらいしかなかったことだ。自分が喜ぶような作品は世間では駄目だということなのだろうか。
2005年を振り返る(2)浜田省吾「My First Love」
今年よく聴いたCDはほとんど邦楽だった。といっても数えるほどしかないわけで、その中の少ない1枚がこの「My First Love」だった。

1952年生まれの浜田省吾はもはや50歳を超えているわけで、同じ世代に投げかけている”I am a Father””花火”があったり、自分史を絡めたロックンロール讃歌”My First Love”など歌詞に興味深いものもあるが、それよりも楽曲の充実や円熟味といったことの方に惹かれる。

01年のツアーはBONNIE PINKのライブと重なったので行くことができなかったけれど、今回は大阪公演を観ることができた。さすがアリーナのツアーをずっと満員にしつづけている人だけあって、演出も選曲もベテランとしての風格が存分に出た非常に優れたものだった。また、ステージ上で観客の年齢調査(20代とか30代とか)をおこなっていたのも面白くて印象的だった。

< 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 >

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索