ニック・ロウ「アット・マイ・エイジ」(07年)
(1)A Better Man
(2)Long Limbed Girl
(3)I Trained Her To Love Me
(4)The Club
(5)Hope For Us All
(6)People Change
(7)A Man In Love
(8)Love’s Got A Lot To Answer For
(9)Rome Wasn’t Built In A Day
(10)Not Too Long Ago
(11)The Other Side Of The Coin
(12)Feel Again

学生時代に比べてCDの買う枚数はグッと減ってしまった。その代わりにライブ会場に行く回数がかなり増えていたので、音楽自体への投資額については変わっていないと思う。いや、ヴァン・モリソンを観たさにロンドンに行ったりするのだから、経費はもっと増えているかもしれない。

21世紀に入ってからCDをどれくらい買っただろうか。正直いって、記憶に残ってるアルバムはほとんど無い。鮮やかに残っている思い出といえば、ライブの光景ばかりである。

ただ、数は少ないが印象に残っているアルバムもある。その中でもパッと出てくるのがニック・ロウ(Nick Lowe)の「ザ・コンヴィンサー」(01年)だ。思い出してみると、01年は個人的に豊作な1年だった。スラップ・ハッピー「ライヴ・イン・ジャパン」、浜田省吾「SAVE OUR SHIP」、ボブ・ディラン「ラヴ・アンド・セフト」、スティーヴ・マルクマス「スティーヴ・マルクマス」、モグワイ「ロック・アクション」、eastern youth「感受性応答セヨ」、Bonnie Pink「Just A Girl」など、けっこう名前が挙がってくる。その中でもニック・ロウのアルバムが一番だと思っている。

また、翌年におこなわれた来日公演も素晴らしかった。私は02年11月6日の心斎橋クラブクアトロで観たけれど、ギター1本で見事にステージをこなすニックにはますますハマってしまう。ちなみに、おみやげに日本酒「白鷹」を持っていき、一緒に写真を撮ってもらったことも懐かしい。03年7月14日にフジ・ロック・フェスティバルに行ったときもニック・ロウのステージを観た。ここでもニックは苗場の観衆から大きな声援を贈られていた。

そんなニックが今年になって新作「アット・マイ・エイジ」(AT MY AGE)を出した。あの「ザ・コンヴィンサー」から6年も経っているのは気づかなかった。前作からの期間が一番長いのではないだろうか。ニックの年齢も58歳だという。

最初に聴いた時は、ある程度は予想してはいたけれど、「地味だなあ」というのが率直な感想だった。ホーンやバイオリン、またクリッシー・ハインドがコーラスに入るなど、いつになく華やかな編成であるはずなのに、実際にできている音は呆れるほど落ち着いたものに仕上がっている。もっと鮮やかなアルバムにすることも可能なのでは?と思いたくもなった。

しかし、2回3回と聴くうちに、そんな気持ちもどうでもよくなってくる。「ザ・コンヴィンサー」と並ぶ傑作といえるかどうかまではわからないけれど、彼のファンが求めているような音が「アット・マイ・エイジ」にはたくさん詰まっているからだ。おそらく年末には、このアルバムを年間ベストに挙げる人もけっこう出てくるだろう。CDを買わない私はこれがベスト1になってしまうかもしれないな。

あとは来日公演が決まるのを待つばかりかな。
7月7日(土)、七夕の日に京都は東寺でライブ・イベント「Live Earth」がおこなわれる。直前まで仕事が入っているのでどうしようかと迷っているうちに完売となってしまった。14年ぶりに復活するイエロー・マジック・オーケストラの人気を見くびっていたようである。

BONNIE PINKも出ると後になって発表されたので、余計に観たい気持ちが強くなっていた。オークションも考えてみたが、チケットの競争率は高そうな気配だった。

そんな時に、あるルートからチケットを1枚譲ってもらえることになった。正確には私の分も申し込んでもらったのだが、ともなくチケット(S席9000円)が手に入って一安心である。あとは開場時間までに東寺に行けるどうか。それだけが不安である。
朝、「bounce」のページを見て驚いた。ニュー・オーダーが正式に解散を発表したというのである。

私にとってニュー・オーダーは微妙なところにいる存在だ。全てのアルバムを持っているわけでもないし、持っている数少ない作品ですらたいして聴いていない。

ただ、彼らの前身であるジョイ・ディヴィジョンに対する思い入れは格別だ。最も重要なバンドと言っても過言ではない。だから、ニュー・オーダーというのはなんとなく気になっている存在だった。

単独公演をするとかいう噂も02年くらいにあったような記憶もあるが、結局は01年のフジ・ロック・フェスティバルが日本での最後のステージとなってしまった。しかし、もし私がその場にいたとしても、同じ時間のニール・ヤング&ザ・クレイジーホースを観ていたことだろう。

ジョイ・ディヴィジョンの精神はこれで途絶えてしまうのだろうか。それともバーナード・サムナーやピーター・フックのこれからの活動の中で生き続けるのだろうか。そんなことが頭によぎった。

右目の次は左目

2007年6月20日
ロンドンから帰国するあたりから右目が充血して痛くなっていた。こんな状態ではコンタクトレンズを付けられないので、右目だけ裸眼にしてしばらく過ごした。

そのまま2日経ったら右目の痛みが収まってくる。と思ったら、今度は左目が痛くなってくる。

やはり旅の疲れの影響なのだろうか。

先立つものが・・・

2007年6月19日
渡辺美里ファンクラブ「DO!」より封書が届いた。夏におこなわれる横浜や熊本のチケット再発売かと思ったら、なんとツアーの先行予約だった。まもなく新作アルバム「ココロ銀河」が出るのでツア−も続くのは自然の流れかもしれないが、正直いってやや面食らっている。

日程は、

■09月29日(土):埼玉県 戸田市文化会館
■09月30日(日):渋谷C.C.Lemonホール
■10月05日(金):まつもと市民芸術館
■10月07日(日):広島アステールプラザ
■10月08日(祝):鳥取県 米子市公会堂
■10月13日(土):福井県 ハートピア春江
■10月14日(日):つるまいプラザ愛知県勤労館
■10月20日(土):鹿児島市民文化ホール第2
■10月21日(日):福岡県 大野城まどかぴあ
■11月02日(金):宮城県 仙台電力ホール
■11月04日(日):北海道 Zepp Sapporo
■11月11日(日):山梨県 南アルプス市桃源文化会館
■11月24日(土):神戸国際会館こくさいホール
■12月01日(土):新潟県民会館(大)
■12月09日(日):NHK大阪ホール
■12月15日(土):高知県民文化ホール オレンジ
■12月16日(日):徳島県 阿南市市民会館

と全国17公演である。珍しく北海道が加わっているのは嬉しい。関西は神戸と大阪があり、どちらもチケットは取ろうと思う。

しかし、ロンドンから帰国して以来チケットを買ってばかりなのだ。スティーリー・ダン大阪公演が2万1000円(高すぎ!)で、11月に行われる大阪城ホールのイベント(キャロル・キングほかが出る)が15000円(これも高いなあ)、7月7日(土)の「Live Earth」京都のチケットは現在オークションで落札する見込みである(これも落札価格が1万円前後になるだろう)。さらにBONNIE PINKもツアーをおこなうし・・・。

来月の横浜ライブは深夜バスで行かないと破産するな、これは。熊本も行こうか考えているけれど、横浜の内容しだいで決めよう。
最初に目が覚めたのは確か午前4時半ごろだった。そのまま目覚ましのスイッチを切って(!)、再び寝てしまった。

次に起きたのは9時30分である。今日は休みを入れることなく出勤にしていた。もし出てこなかったら、「あいつ、日本に帰れなかったんじゃないのか?」といらぬ憶測を呼びそうなのは間違いないし、1時間遅刻で会社に行った。

これは時差ボケというものではないだろう、たぶん。
帰国
飛行機で夕食を終えてから、しばらく眠っていた。目が覚めれば、もう離陸して6時間ほど経っている。あと6時間もすれば日本に帰国だ。

私は3人掛けの席のど真ん中だったので、頻繁に立ったり座ったりするのは具合が悪い。そこで、機内でも飲み物などもあまり取らず、ほとんど席を動かないでいた。結局、飛行機でトイレに行ったのが1回だけで、あとはずっと座っていた。

することもないので、行きの便と同様、手前のテレビ画面で映画「バブルへGO!」を見たり、ヴァン・モリソンの伝記「魂の道のり」を読んだりして時間をつぶした。そして、午後2時ごろだったか、無事に成田空港へ到着した。

入国審査は、日本人については簡単だった。パスポートを提示して終わりである。ふと周囲を見回すと、美川憲一も入国審査の列に並んでいる。変装のようなものを全くしていないので、一瞬で彼とわかった。

スーツケースを抱えて、京成電鉄からJRに乗って東京駅まで向かう。ロンドンにいる間に梅雨明けをしたようで、ものすごく暑い。ラーメンを食べるくらいの時間も無いわけではなかったが、もう疲れてしかたないのですぐ新幹線のチケットを手配し、午後5時半ごろの電車で京都へ向かう。京都駅からタクシーで帰ったので、9時には部屋に戻った。なんだか、昨日までの出来事が夢のように感じる。
危うかった出国
ロンドンに来て4日目、いよいよ最後である。今日も7時ごろには目が覚めた。結局、日本にいる時と体調に変化はなかったといえる。この日もKさんと一緒に食堂で朝食だが、これも今日で終わりだ。パンとコーンフレークだけの食事は、我慢できなくもないが、もう飽きてきたのでちょうどいい時期かもしれない。

私は11時までにホテルをチェックアウトしなければならないが、Kさんはもうしばらくここに滞在する。荷物を預かるから観光でもしたら?と薦められたので、昼まで外を出ることにした。「地球の歩き方」をめくるとナショナルギャラリーという美術館が入場無料らしい。大英博物館では絵がほとんどなかったので、ここを覗いてみようと地下鉄でピカデリー・サーカス(PiccadillyCircus)へ向かう。しばらく歩き中華街や公園などを抜けるとナショナル・ギャラリーが見つかった。展示物が絵のためか、ここは撮影が禁止だった。写真を撮ろうとした人が係員に注意されている。美術の知識はからっきしだが、一つだけすぐわかる作品があった。ゴッホの「ひまわり」である。バブル期に話題になった記憶がまだ残っていた。現在は時価でいくらするのだろう。

ナショナルギャラリーをザッと観てから、ロンドン三越をふたたび訪れお土産を追加で買う。そして、日本の料理や商品が売っている「ジャパン・センター」に入ってみた。公式サイトもある。

http://www.japancentre.com/?cmd=default

1階では寿司や蕎麦などが食べられ、地下の食料品店では「ハイチュー」など日本のお菓子も取り扱っている。お米も売っていたが、驚くことにアメリカ産やベトナム産だった。日本国内だったら考えられない話である。その中に「チキンカツ・カレー丼」というのが売っていたので思わず買ってしまった。エロスの像の前で食べてみる。味については日本と変わらないし美味しい。しかし、やはり値段が問題だ。そんなに量が入ってない割に3.8ポンドである。日本だったら400円くらいが妥当な金額だろう。最後の最後までロンドンの物価についてブツブツ言っていたような気もする。

午後1時、再びアールズコートに戻りKさんと合流し一緒に昼食をとる。近くに中華料理屋があり、そこで「酸辣湯」、それから「焼肉飯」というのを頼む。焼肉飯は表面をカリッと焼いた豚肉がご飯に乗っただけのもので、たいして美味しくない。酸辣湯も酸っぱさばかりが舌に残る。これがロンドンで最後の食事だが、噂どおりに食事は全体的にイマイチだったな。私はとてもロンドンに暮らす自信がない、と自信をもって言える。店を出た後、Kさんにお礼をいって別れる。この時点で午後2時ごろだった。

午後7時に出国なので、このまま地下鉄で空港に行くにはまだしばらく時間がある。そこで、ビートルズで有名なアビイロード(Abbey Road)に寄ってみようと思い、最寄りのセント・ジョンズ・ウッド(St.John’s Wood)駅まで向かう。そこからスーツケースを引きずりながら下り坂を進むのだが、途中で雨がどんどん強くなってくる。あまりにヒドいので、ここに来て初めて折りたたみ傘を取り出す。アビイ・ロードは観光客が絶えず訪れる。画像にも載せているが、ビートルズと同じように横断歩道を歩き、それを記念写真に撮っていた。ロンドンは歩行者優先だが、さすがに写真撮影をしている連中には車もクラクションを鳴らす。アビイロード・スタジオや横断歩道を適当に写真を撮った後で駅に戻る時に、黒人の男性から、

「すいません。日本の方ですか?」

と声をかけられる。日本語で話しかけられたのは初めてだ。何かの取材だろうか?と思ったら、その人は日本語で「ものみの塔」と書かれた冊子を取り出した。まさかアビイロードの近くで宗教の勧誘をされるとは!結構ですと言ったら、向こうもアッサリとあきらめて去っていった。

地下鉄でヒースロー空港へ向かいロンドンの旅が終わった。で、済むと思ったが、今回の真のドラマはここからが始まりだった。

地下鉄ピカデリー線で空港までは1本で行ける。しかし、いくら地下鉄を待ってもヒースロー行きの電車が来ない。途中にあるハマースミス(Hammersmith)駅までしかないのだ。「ハマースミスで乗り換えるのだろうか?」と不審に思いながら、とりあえず電車に乗ってハマースミスへ向かう。しかし、ハマースミスに着いても、駅の様子がおかしい。なにやら駅員と思われる黄色い服の人が大勢いる。そして、構内には張り紙もしている。どうも地下鉄がハマースミスで止まっているようだ。プラットホームにいた駅員に、空港に行きたいんですが、と尋ねると、

「アクトン・タウン(Acton Town)に行くバスに乗れ。黄色い服の人に聞け」というようなことを言われ、ポンと肩を叩かれる。訳もわからないまま駅を出て、黄色い服の人に「バスはどこですか?」と聞くと乗り場に案内される。そこには荷物を持った人がたくさんいる。みんな空港へ向かう人たちなのだろう。さてバスはいつ来るのか、と思ったら駅員が何やら大声で説明をして、再び駅に誘導される。黒人の駅員が何やら私に説明しているが・・・聞き取れない。これは、かなりまずい状況なのではないだろうか。この時点で午後4時半ごろで、気持ちもかなり動揺してくる。

言われるがままに地下鉄に乗る。私はどこへ行くんだ?そんな中、大きな荷物を抱えたアジア系の女の子2人が目に止まる。「空港に行きますか?」と尋ねたら、ハイと答えたので彼女たちにくっつくことにする。これしかもう方法は無いと思ったのだ。彼女の荷物運びを手伝いながら地下鉄に出ると、今度はなんと鉄道に乗り換えである。これで空港に行けるのだろうか。もう午後5時である。離陸の2時間前だ。

私は韓国語をしゃべれないし、向こうも日本語は無理なので英語でいろいろ話をした。彼女たちは2人とも韓国から来たという。私が7時に出国すると言えばかなり驚いていた。そのうち1人は英語を勉強するためにロンドンに4ヶ月滞在したという。私の滞在期間が4日だと言うと、また驚いていた。片言の英語しか話せないけれど、ヴァン・モリソンを観るためだけにロンドンに来たこと、さっきまでアビイロードに行っていたことなどはなんとか伝わっていたようだ。また、飛行機には間に合うと思う、などと励まされたりもした。

そうこうしているうちに午後5時半、なんとかヒースロー空港に到着である。荷物を運ぶのを手伝いながらなんとか走って日本航空の窓口に向かう。「すいません。地下鉄が止まっていて遅れました」と息を切らしながら係の人に伝えると、「ああ、大丈夫ですよ」と涼しい顔で答えが返ってくる。事情を聞くと、どうやら地下鉄が工事中だったらしい。後で知ったことだが、ロンドンの地下鉄はよく止まるそうだ。しかし、本当に危なかった。日本に帰れないのではと、一瞬ではあるが思った時もあった。

とにかく急いで搭乗手続きをする。通路側の席を取りたかったけれど、ほとんど埋まっていて真ん中の席しかなかった。飛行機自体もほぼ満席だという。乗れれば御の字だと思い納得するしかない。それからいろいろ審査をされたが、日本と比べて色々と厳しい。金属類を外して提出しなければならないし、靴も脱がされ調べられる。途中でさっきの韓国の女性に再び出会う。心配そうな顔をしていたので、たぶん間に合うだろう、と答えた。そうして空港のロビーに着いたのは午後6時10分ごろだった。飛行機に入る20分前だから、実に危うい。椅子に座ってなんとなく財布の中を見ると、もう小銭しか残っていない。用意した200ポンド、約5万円はこの4日間で吹っ飛んだことになる。残った小銭をかき集めて、近くの自動販売機でチョコレートを買った。

午後5時半、飛行機に乗り込む。少し離陸の準備が遅れ、実質的に出発したのは午後6時45分くらいだったか。なんとなく外の景色を眺めたが、特に感慨はなかった。出国して1時間ほどで夕食が出て、すぐに眠りにつく。いつの間にか飛行機の中も真っ暗になっていた。
ヴァン・モリソン英国公演2日目(07年6月15日、ハンプトン・コート・パレス)
ロンドンに着いて3日目の朝である。今日も時差ボケらしき症状は全くない。午前8時、食堂に行く前に「地球の歩き方」をめくって電話を入れる。ヨーロッパの観光を扱っている「みゅう」という会社で、そこは日本語の通じる窓口も用意されている。

http://www.myu-info.jp/

「ストーンヘンジ(Stonehenge)へ行くツアーはありますか?」

昨日まではKさんに世話になりっぱなしだったが、そろそろ単独行動をしてみようと思い立った。そこで、「地球の歩き方」の片隅に載っていたストーンヘンジに目をつける。Kさんはかつてレンタカーでストーンヘンジを既に観ているので、行く気はないという。それならばツアーで行けないかと思った。しかし、

「いまからですと、8時半までにウォータールー(Waterloo)駅まで行かないと受付に間に合いません。また、それも定員がいっぱいになっている可能性もあります」

というような答えが返ってきた。今から30分以内にウォータールー駅まで行けるわけがない。予想はしていたものの当日の朝にツアーを申し込むというのは無理があった。よって、ツアーで行く方法は諦めた。

それから食堂でKさんと合流し朝食を取る。やっぱりストーンヘンジを観たいのでその旨を伝えて、9時過ぎに単身で地下鉄に乗りウォータールー駅に向かう。ここから鉄道に乗り換えてまず最寄り駅のソールズベリ(Salisbury)へ行かなければならない。しかし路線があまりにも多すぎて、どの線路がどこへ向かうかさっぱりわからない。駅の構内をウロウロしていると、路線図および時刻表が20種類以上(!)置いてあるのを見つける。そこを物色してソールズベリ行きの路線をなんとか発見する。

次に切符を買うわけだが、地下鉄とはまた違った販売機でよくわからない。買っている人たちを観察していると、キャッシュカード専用の自動販売機があったので、これで買うことにした。画面には何種類か料金が表示されていてこれまた意味不明だ。とりあえず往復で買った方が安いみたいなのでそれを買う。キャッシュカードを入れると、チケットとレシートが有無をいわさず出てきた。値段は25.6ポンドだから6400円くらいだ。JRで京都から神戸の三ノ宮まで行く場合、往復で2100円だからやっぱり高い。

あとは電車に乗れば一安心、とはいかなかった。時刻を確認し所定の乗り場に止まっている電車に入るが、この電車もよくわからない。どうも前の車両は指定席のようである。そこで真ん中へんの車両に入ってみるが、椅子の上に「Reserved」(「予約」ということか?)という紙が置いてあるのだ。私の切符は別に指定でもなさそうだし、不安になってくる。そこでホームにいた駅員に、「Excuse Me.This ticket,O.K?」などとチケットを見せて訊いてみたら、「O.K!」と返事が返ってくる。もう時間もないので、真ん中の車両で「Reserved」の紙が貼っていない席に座ってしまった。ビクビクしながら車両に座っていたが、結果として何事もなくソールズベリまで行くことができた。

ここからバスでストーンヘンジである。駅の窓口に行くとチケットを買うために何人か並んでいた。チラシが置いてあり、ストーンヘンジまで7.5ポンド云々、と書いてある。言葉で説明する自信が無いので、無言で7.5ポンドを窓口に提示するとチケットをくれた。チラシにはバスの時刻表もあり、12時ちょうどにバスが出発するようだ。いまは11時55分だ。「Where is the bus?」と窓口に尋ねたら方向を教えてくれたので、急いでバスに乗り込む。中にいたのは日本人らしき人、東南アジア系の女の子など、いかにも観光客という人たちばかりだった。ここまで来ればもう安心だ。しかし、この辺りから雨が降り出してくる。

出発してすぐは民家もちらほら見かけるも、しばらくすると森だけになっていき、そこを抜ければ広大な草原が目に飛び込んできた。それは生まれて初めて見る地平線だった。大部分が山地の日本では地平線の見られる場所はそれほど無い。おそらくストーンヘンジよりも感激した瞬間だった。そしてソールズベリから20分ほどかかって、目的地へたどり着く。しかし周辺は金網で囲まれていて、入場料を払わなければ近づくことができない。入口を見つけ料金6.3ポンドを支払う。音声ガイド(日本語もある)を無料で貸し出しをしていたが、気づかないまま中に入ってしまった。

紀元前2500年から紀元前2000年にできたと言われるストーンヘンジは、なんのために造られたのかも定かではない不思議な遺跡だが、現在ではすっかり観光地となってしまい人がいっぱいである。だから、ちっとも神秘的な雰囲気ではない。草原の向こうを見れば家畜と思われる動物の群れがいる。ゆっくり観ようと思ったが、雨は一向にやみそうもない。傘もカッパも用意していないのでめちゃくちゃ寒い。それに、モタモタしていたら晩のライブの支度もできなくなる。そこで土産物店に入り、ストーンヘンジの形をした置物(9.9ポンド)と日本語のパンフレット(4.9ポンド)を買って、午後1時半にバスでソールズベリへ戻る。相変わらず外は雨で、晩のライブが不安になってくる。

「3度目にヴァン・モリソンを観ることは、たぶんないだろうな」

などと思いながらソールズベリの景色を見ているうちに、やたらと感傷的な気分に襲われる。

帰りの鉄道は、車両と車両のつなぎ目の狭い座席に座った。向かいに10代後半と思われる短髪の男性が私に何か訊いてきた。どうやら、席が空いているか?と尋ねているようだが、「I don’t know」とだけ答える。そんなこともあったが、午後4時にはウォータールー駅へ戻ることができた。ホテルに戻ると、昨日の約束通り、部屋を移動しなければならない。スーツケースを抱えて階段で4階まで上がる。しかし、別にこっちの都合で部屋を変えるわけではないので、ホテル側が運ぶのが筋な気がするのだが・・・。ちなみに、このホテルにはエレベーターが無い。

この時点で午後5時ごろだった。まだ時間があるので、Kさんと近くのバーでギネスを飲む。私がソールズベリに行っている間、ギネスを飲んだりネット・カフェで時間をつぶしていたらしい。ライブに行く前に食事を済ませようとハンバーガーのチェーン店「バーガーキング」(Burger King)に入る。ポテトやドリンクの付いたセットで4ポンド近くだ。およそ1000円だから、やっぱりロンドンの物価は異様だ。食べ終わった後、KさんはDolores O’riordan(クランベリーズのメンバーだった人)のライブへ、私は昨日と同じくハンプトンコートへ向かう。昨日買ったヴァン・モリソンの顔が入ったTシャツを着替えて出発だ。

前日も行っていたので、ハンプトンコートまでは何も問題なく着く。それにしても今日は実に天気が良い。画像にも載せているが昨日とはまったく景色が違う。庭でくつろいでいる人の数も今日の方がはるかに多い。ブラブラしたり写真を撮っているうちに開演時間も近づいてきた。今日の席は昨日よりやや後ろの席であるが、多分これがヴァン・モリソンを生で観る最後の日だろう。そんなことを思いながら午後8時40分ちょうど、時間どおりにバンドが現れてライブの開始だ。

1曲目は昨日と変わらず、ハーモニカを吹きながらの”Wonderful Remark”だった。しかし、今日のヴァンの様子が違う。前日より明らかに声が出ている。調子が良いのはヴァンだけではない。この日のコーラス隊も”I Can’t Stop Loving You””Moondance”などで実に見事な歌を披露する。どうして3人もコーラスを入れたのか、その理由がこの日でわかったような気がした。”Bright Side Of The Road”あたりから前方左側にいるお客が踊り出す。アイリッシュ系の人なのかわからないが、観客の反応もすこぶる良かった。

また、特筆すべきはこの日の曲目である。”Magic Time””Real Real Gone””One Irish Rover””I’m Not Feeling It Anymore””Georgia On My Mind””Jackie Wilson Said”と、好きな曲がバンバン飛び出したのだからもう何も言うことはない。特に”Georgia On My Mind”は、レイ・チャールズを2曲も歌わないと思っていたから、嬉しい不意打ちだった。しかもその歌いっぷりには唸らされる。現存するシンガーの中でも最高峰であると感じるとてつもなく素晴らしいパフォーマンスだった。

といっても、ニール・ヤングのようには人を圧倒させる力を放つアーティストではない。具体的に説明するのは不可能だが、たとえばヴァンの伝記「魂の道のり」の中で作品解説をしている大鷹俊一氏が映像作品「ザ・コンサート」(90年)について、

「驚くべきことだがステージに流れる詩情は絶対に音だけでは味わえないもので、たぶんそれは不器用が服を着たヴァンが、歌うことだけにかけてきたからこそ醸し出されるものなのだ。」

と書いている。それは実際のステージにおいても有効な表現だった。CDで聴くような雰囲気がにじみ出てくる、といえばファンの方ならば伝わるだろうか。

そんな中でも、双眼鏡で時おりヴァンの表情を確認していた。いつ見ても笑顔は無く、目をつぶって顔を上げながら歌っている時もある。いったい彼は何を考えているのだろう。もはや目の前の観衆すらほとんど気をとめていないようにも思える。そんな姿を見ているうちに、もう彼は自分の手の届く範囲で歌っていればそれで満足なのではないか?という推測が私の中に浮かんだ。

海外に行く直前までヴァン・モリソンの最近の演奏曲目などいろいろ調べてみた。そうしているうちに、ヴァンが予想以上に勢力的に活動を続けていることがわかった。ほぼ毎月のようにライブをしているし、作品もずっと出し続けているのはファンならよくご存知の通りである。ただ、活動範囲はヨーロッパとアメリカに限定されているし、日本の聴き手にはそうした動きが実感として伝わらない。

ロンドンのCDショップを少し覗いたが、彼の作品はほとんど廃盤状態である。本国ですらそれほど大きな扱いはされていない。こんな状態ではヴァン本人も自分の残した作品の影響の大きさを自覚しようがないかもしれない。ただ、小さな会場を埋めるような観客がヨーロッパやアメリカではいくらでもいるのだし、わざわざ日本などでライブをしようという欲望も起きないのではないだろうか。ただ彼は誰に何と言われようと、自分の意志が続く限り、この世界のどこかでこれからも歌い続けていくのだろう。日本に来る時が果たして訪れるのだろうか、その願いだけは私も持ちつづけていきたい。

そんな私の思いなど知るよしも無いヴァンは、今夜も「Thank You」くらいしかMCもせず、最後に”グロリア”を歌いハーモニカを吹きながらステージを去っていった。

正直に告白するが、私は別に涙を流すことはなかった。たとえばニール・ヤング&ザ・クレイジーホースを初めて観たほどには感激しなかったのは事実である。色々な理由があったかもしれないが、私の中では最高のライブであったかは、いまの時点では断言できない状態である。しかし、”Georgia On My Mind”の歌うヴァンの姿、また”One Irish Rover”で「ウェイ、ウェイ、ウェイ・・・」と繰り返し歌っていた彼の表情を私は忘れることはないに違いない。そして、しばらく時間が経ってから、私がこの場所にいられたことがどれほど幸福だったか、身をもって知る瞬間が訪れるような気がする。

ライブが終わり宮殿をしばらくふらふらしていたら、眼鏡をかけた白人のおばあさんに、私の着ているTシャツはここで売ってるのか?と尋ねられる。売り場がどこにあるのか説明できずに困っていたら、近くにいた男性がおばあさんに説明してくれた。日付が変わる頃にホテルに戻る。明日でこの旅も終わりだ。

最後にネット拾った演奏曲目を示す。”Shake Your Money Maker”は、おそらくブルースのエルモア・ジェイムスの曲と思われる。

【演奏曲目】(カッコ内はヴァンの演奏した楽器)
(1)Wonderful Remark(ハーモニカ)
(2)Enlightenment (ハーモニカ)
(3)Magic Time(サックス)
(4)Have I Told You Lately (サックス)
(5)Real Real Gone/You Send Me(サックス)
(6)I Can’t Stop Loving You(ピアノ)
(7)Moondance(サックス)
(8)Saint. James Infirmary (サックス)
(9)Bright Side Of The Road
(10)Playhouse
(11)Cleaning Windows/Boppin’ The Blues/Be Bop A Lula
(12)One Irish Rover
(13)I’m Not Feeling It Anymore
(14)Georgia On My Mind
(15)Jackie Wilson Said(サックス)
(16)The Beauty Of The Days Gone By(アコースティック・ギター)
(17)Help Me/Shake Your Money Maker(サックス、ハーモニカ)
<アンコール>
(18)Brown Eyed Girl
(19)Gloria(ハーモニカ)
ヴァン・モリソン英国公演1日目(07年6月14日、ハンプトン・コート・パレス)
時差ボケとやらの影響はないようで、午前7時ごろスッと目が覚める。30分ほど経つとKさんから内線が入り、2人で1階の食堂に向かう。小さめの食堂には宿泊客がひしめき合っていた。ホテルの朝食はコーンフレークにパンとトーストだけである。あとは紅茶、コーヒー、オレンジジュースにミルク、さらに「HOT CHOCOLATE」と書かれたポットがあった。飲んでみたら、ココアみたいな味がする。

食事を済ませてから10時ごろ、地下鉄に乗りベーカー・ストリート(Baker Street)駅へ向かう。そこから10分ほど歩くと、スミスなどを輩出したことで有名なインディーズ・レコード・レーベルのラフ・トレード・レコード(Rough Trade Record)に入る。実際はなんてことない小さなレコード店だった。CDの中身は全て抜いてあり、歌詞カードなども確認できるのは日本と違うところである。建物の写真を撮ったものの、何も買わずに出ていく。

そこからまた地下鉄でオックスフォード・サーカス(Oxford CIrcus)駅へ行き、そこから何度も行ったり来たり、果てはバスまで乗りながら、「地球の歩き方」に載ってるフィッシュ・アンド・チップスの店「THE ROCK & SOLE PLAICE」になんとかたどり着く。

調べてみたらサイトもあった。
http://www.hollyeats.com/RockSolePlaice.htm

せっかくイギリスに来たんだからフィッシュ・アンド・チップスくらい食べたいと思ったのである。味は期待してなかったけれど、予想通り白身魚フライとフライド・ポテトの味しかしない。この店の名物のマッシュ・ピー(豆を煮たもの)もたいして美味しくない。これにコーラを足して13ポンドくらいだから、やっぱり高いな。ロンドンで生活するのは大変だと実感する。

道を引き返して、続くは大英博物館である。観光は全くするつもりはなかったが、せめてここくらいは行きたいと思っていた。ミイラやロゼッタ・ストーンのほか、かのイースター島のモアイ像まで観ることができたのには感激した。それにしても、観光客の数はものすごい。ツアーと思われる日本人の集団も見かける。それから駅に戻る途中、ヴァージン・メガストアに立ち寄る。今月11日に出たヴァン・モリソンのベスト・アルバムも置いてあったが、日本盤が出るのを信じて買わなかった。続いてピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)駅に行きロンドン三越でお土産を買って、さあ帰ろうと思ったら、

「ビッグ・ベンは観なくて良いんですか?」

とKさんに言われたのでウェストミンスター(Westminster)駅を降りて、ビッグ・ベンおよびウェストミンスター宮殿の前をざっと通る。ようやくホテルに戻ったのは午後6時ごろだった。

その時にホテルの人から何やら言われる。意味がわからないで困っていると、隣のKさんが、「部屋を変われ」と言っていると教えてくれる。そういえば私の部屋はベッドが2つある。急に2人連れの客でも入ったのだろうか。なんかわからないが、もっと大きい部屋に移れるとかなんとか言ってるようなので「O.K」と軽く答えてしまった。それからすぐ身支度をしてホテルを出る。いよいよライブに出発だ。

まずウィンブルドン( Wimbledon)駅まで地下鉄で行き、そこから鉄道に乗り換える。そして15分ほどしてからハンプトン・コート・パレス(Hampton Court Palace)駅に着く。テムズ川を渡ると、会場のハンプトン・コート・パレスに着く。今回観るライブはホールやライブ・ハウスではなく、この宮殿(Palace)の中で行われる。フェスティバルは「ハンプトン・コート・フェスティバル(Hampton Court Festival)」という名前で、ヴァン・モリソンは今日と明日ここでステージをおこなう。

公式サイトもある。
http://www.hamptoncourtfestival.com/

宮殿はカメラにすっぽり収まらないくらい大きい。入口でフェスティバルのパンフレットを買い、チケットを提示して中に入るとすぐステージが見えてくる。さきほどまで雨が降っていたので座席は濡れている。しかし雨は上がってライブの時には問題ないだろう。宮殿の中にはグッズ売り場があり、会場限定販売のCD(去年におこなわれたライブ1日分がまるまる入っている)、Tシャツと帽子をあわせて30ポンドで買った。

ステージを抜けると大きな庭に出る。この辺りがフェスティバルの不思議なところで、お客はみんな芝生で酒など飲んでくつろいでいるのだ。音楽を聴くのが目的なのか、それともピクニックをしたいのか。彼らの意図がはっきりしない。食べ物も売っているがなんだかよくわからないものも多く、サンドイッチを買ってベンチに座って食べていた。外はまだまだ明るく、開演時間になっても昼間と変わらないだろう。

合間にさっきのTシャツ(ヴァンの顔をプリントされている)をトイレで着替えたりしたが、周囲を見回してもこれを着ているのは会場で私だけのようである。ここにはヴァン・モリソンの熱心なファンはいないのか?また、東洋人らしき姿も見つからない。どうやら日本人はわれわれ2人だけである。

午後8時20分、開演まであと20分というところで席に座る。しかしこの時点で席はほとんど埋まっていない。5分前くらいになってようやく人も入り始めたが、開演時間までには収まりきらないだろう。だが、そんな状態で8時40分ちょうど、アナウンスとともにバンドがステージに現れてしまった。始めてしまうのか?とこっちの気持ちは落ち着かないまま、ついにヴァン・モリソンがステージに登場する。

繰り返すが、私はこの人を観るだけのためにイギリスにやって来た。だから実物が出てくると感動のあまり涙が・・・と自分でも思っていたが、横からまたゾロゾロと人が入ってくるような慌ただしい状態でそんな気持ちにはとてもなれなかった(隣に知人がいる、という面も多分にあったかもしれない)

黒ずくめにサングラスの格好で出てくると予想していたが、今日は眼鏡と白い帽子という出で立ちだった。ファンが心配するほどには太っていなかったので少し安心する。まずハーモニカを手にしながら”Wonderful Remark”、そして最も聴きたかった曲の1つである”Enlightenment ”を歌う。歌う姿にはさすがに感動するかと思ったが、正直いって、いまいち声が出ていないような気もする。

続いてサックスを抱えて”Stranded”、オリジナルと全く違うアレンジの”Have I Told You Lately ”(この曲は原曲に近い形で聴きたかった)を演奏してから「Thank You」と言う。これがこの日、最初で最後のMCとなってしまった。

バンドは9人編成とけっこう大所帯だ。ギター、ベース、ドラムス、キーボード、フィドル(バイオリン)、そしてコーラス隊が3人(男性1人、女性2人)もいる。この男性が達者な人で、曲によってはアコースティック・ギターやトランペットも手にする。さらに女性プレイヤーが1人いて、彼女はスライド・ギターやバンジョーを演奏していた。

ステージでのヴァン・モリソンは噂に聞いている通りだった。マイク・スタンドの前で仁王立ちになり、派手な動きは全く見せない。ただ、ハーモニカ、サックス、ピアノ、アコースティック・ギターをとっかえひっかえ持ちながら演奏をしてくる。レイ・チャールズの”I Can’t Stop Loving You”の途中では客席に背中を向けてピアノを弾いていたが、その姿はなんともいえない哀愁がただよう。

お客の反応は概しておとなしいものだった。ライブ・アルバム「ア・ナイト・イン・サンフランシスコ」(94年)で聴けるような盛り上がりはなく、1曲終わってから拍手が起きる程度である。ホールでのライブとはやはり勝手が違う。”Have I Told You Lately””Moondance””Bright Side Of The Road””The Beauty Of The Days Gone By”くらいで客席が少しだけ歓声がわいた。「ダウン・ザ・ロード」(02年)に入っている”The Beauty Of The Days Gone By”への反応は意外な気がするけれど、好きな人が多いのだろうか。

選曲については、
http://db.etree.org/bs_d.php?year=2007&;;;;;;;artist_key=94

で過去半年くらいの演奏曲目を調べていたので、驚くようなものは1つもなかった。試しに楽曲を過去10年(98〜07年)とそれ以前(〜97年)に分けてみると、ちょうど半々くらいである。そこにアルバムに入っていないカバ−曲も時おり混ざるという具合だ。

アルバム未収録の曲を調べてみると、”Be Bop A Lula”はジーン・ヴィンセントの曲で、昔からヴァンのレパートリーである。”Boppin’ The Blues ”はカール・パーキンス、”Brand New Cadillac”はヴィンス・テイラーという人がオリジナルらしいが、私にはクラッシュのカバーで親しみのある曲だ。この日に演奏したカバー曲は他にいくつかあるけれど、いちおう何らかのアルバムには入っている。しかし、過去の曲だろうが最近の曲だろうがアルバム未収録だろうが、初めてのヴァン・モリソンである私にとってはいずれも貴重なものである。

ときどき双眼鏡でヴァンの表情を確認したが、笑った顔は一度も見られない。途中で、私の右に座っていた子ども連れの男性から「双眼鏡を貸してくれ」と言われ2回ほど貸してあげるような場面もあった。

MCも無いのでステージはどんどん進んでいき、気がつけば本編最後の”Brown Eyed Girl ”である。ここでようやく立ち上がったり踊ったりする人が出てくる。”Brown Eyed Girl ”を終えてヴァンが舞台右へ消えていったと思ったら、すぐさま”Gloria”の演奏が始まり会場は総立ちとなる。それもつかの間で、この短い曲を歌い終えると、バックの演奏を横にハーモニカを吹きながらヴァンはまた舞台から消えてしまった。時計を見れば10時10分ごろで、ほぼ1時間半のステージだった。さすがに周囲は暗くなっている。

隣で観ていたKさんは、

「あっという間だった。気持ちよく聴けた」
「バンドがやたらうまかった」

と感想を述べていた。それは同意できるのだが、長年ずっとヴァン・モリソンを観たがっていた私には釈然としない気持ちも残る。強烈な印象も残らぬままスーッと終わってしまったという感じだったからだ。「感動した。涙が出た」とか感傷的なこと書きつらねても良いのだが、それではたいした意味はないだろう。ヴァン・モリソンを観た数少ない日本人の1人という立場なのだから、それなりに生身の彼の姿をなるべく正確に述べたいと思う。

気分屋で有名な彼の調子の悪いライブだっただろうか。いや、特にヴァン・モリソンの熱心なファンでもないKさんでも「良かった」という感想があったのだから、手抜きのライブではなかっただろう。それならば、初めての海外渡航などで疲れていた自分の心境のせいだろうか。はたまた、お客がやたら動き回って落ち着かない会場の雰囲気のためか。いずれにしても、初めて観たヴァン・モリソンのライブを位置づけるのは今日は不可能である。明日のライブを観るとまた考えが変わってくるのだろうか。

宮殿を後にして駅に向かうも、臨時電車は11時24分まで来ないという。寒い中をホームで1時間ほど待ってその電車に乗り、ウィンブルドンで地下鉄で乗り換えてアールズ・コートに戻ったのは日付の変わる0時過ぎだった。この日も部屋についたらすぐに眠る。

【演奏曲目】(カッコ内はヴァンの演奏した楽器)
(1)Wonderful Remark(ハーモニカ)
(2)Enlightenment (ハーモニカ)
(3)Stranded(サックス)
(4)Have I Told You Lately (サックス)
(5)There Stands The Glass
(6)Back On Top(ハーモニカ)
(7)Playhouse
(8)I Can’t Stop Loving You(ピアノ)
(9)Moondance(サックス)
(10)Saint. James Infirmary (サックス)
(11)That’s Life(サックス)
(12)Stop Drinking Wine(ハーモニカ)
(13)Bright Side Of The Road
(14)Cleaning Windows/Boppin’ The Blues /Be Bop A Lula
(15)The Beauty Of The Days Gone By(アコースティック・ギター)
(16)Precious Time
(17)Goin’ Down Geneva /Brand New Cadillac(ハーモニカ)
(18)Help Me/(サックス、ハーモニカ)
(19)Brown Eyed Girl
<アンコール>
(20)Gloria(ハーモニカ)
ロンドンへ
道が混んでいなかったためか、深夜バスが新宿駅前に着いたのがなんと午前5時半だった。空港に早く行くに越したことはないので、JRのホームへ向って歩き出す。すると空港行きのリムジンバスに並んでいる列を途中で見つける。5時45分に始発が出るという。料金は3000円と高いけれど、これに乗ることにした。そうしたらなんと1時間ほどで成田へ着いてしまった。空港に入る直前、バスの中でパスポートの確認がされる。やはりこの辺の警備は厳重だ。

時間はまだ7時、飛行機が出る5時間前である。いくらなんでも早く着きすぎだ。しかし地下1階のソフトバンク店舗で携帯を借りたり、円をポンドに両替したり、シャワーを浴びたり、朝食を取ったり、コンビニで必要備品を買っているうちに、あっという間に手続きの始まる10時近くになっていた。

搭乗手続きは、荷物検査をしてからATMのような機械の画面を触れてパスポートを読み取り、それから座席を選ぶという手順だった。希望していた通路側の席はほとんど埋まっていたがなんとか確保する。手続きが終わると航空券が出てくる。

続いて再び荷物とパスポートの確認をして飛行機の近くまでたどり着く。免税店などをざっと見た後、飛行機の前に着く。11時40分頃に飛行機に乗り込んだ。私の隣は外国人の男女だ。席に座ったとたん強烈な眠気に襲われる。深夜バスや荷物を持った疲れのためか。気がつけば12時30分になっている。しかしまだ飛行機は離陸していない。飛び立ったのは12時45分ごろだった。いよいよ初めての出国である。離陸1時間後に出た食事を済ませてすぐ眠る。そのまま午後6時くらいまでほとんど目が覚めなかった。テレビ画面で映画「バブルへGO!」(07年)を観て2時間経ち、しばらくしたら2度目の食事が出てくる。それが済んでしばらくすると、テレビ画面から陸地が見えてきた。ついにロンドンのヒースロー空港に到着である。時間は現地時間で午後3時半ごろだった。

「arrival」(到着)の表示にしたがって通路を歩いていると、ついに入国審査である。日本人らしき男性も係員の中にいたが、それでは面白くないので黒人の女性のところに行く。入国審査の質問は、

(1)何日滞在するのか
(2)滞在の目的は何か
(3)帰りの航空券は持っているのか

と「地球の歩き方」に載っている通りのもので、アッサリ通過できた。これで晴れてイギリス入国である。スーツケースを受け取り、私の1時間前に空港に着いているはずの知人Kさんを探さなければならない。と思ったら、出口でタバコを吸っている姿をすぐ見つけた。これでまずは一安心である。

宿泊先は同じなので、まず地下鉄でアールズ・コート(Earls Court )まで向かう。しかしその前に「オイスター・カード(Oyster card)」というものを買わなければならない。オイスター・カードは日本でいうSuicaやPiTaPaやICOCAと同じような非接触型ICカードで、ロンドンの地下鉄やバス、または鉄道の一部でも利用できる。しかも、物価の高いロンドンではこれが重要なのだが、オイスター・カードを使えば現金払いの半分以下の料金になるのだ。

Kさんの薦めでチャージ式のオイスター・カードを買うことにする。カードの代金が3ポンド、そこに好きな金額をチャージするという方式だ。販売窓口に行くと、出てきたのは両腕に入れ墨の入った係員だった・・・。

「Oyster pre pay,Please」

と言うと、入れ墨の係員が何やら訊いてきた。

しかし、まずい・・・聞き取れないのだ。係員が怖くて「Pardon?」と聞く勇気もでない。そこで焦りながらも頭をグルグル回して、彼が何を言わんとしているか想像してみる。「チャージ式のカードをください」と言ったのだから、相手は「いくらチャージするのか?」と聞いてくるのが道理だろう。そのような見当をつけて「30ポンド」と答えたら、カードの保証金(カードを返せば戻ってくる)3ポンドを足した「33ポンド」がレジに表示される。こうしてオイスター・カードを無事に手に入れることができた。

改札前にある黄色い円盤のような部分(これが牡蠣に似ているから「オイスター」と名付けられたらしい)にカードをつけると、「ピッ」と音がして入口が開く。しかし日本ではPiTaPaもICOCAも使ってない私がロンドンでこんなことをするのは不思議である。そしてKさんの案内にしたがって地下鉄に乗り込む。それにしても、世界で初めて地下鉄が走ったロンドンである。歴史があるのか電車は古くて汚い。しかも、かなり揺れる。窓から見える町並みも古い建物ばかりだ。そうしているうちに20分ほどでアールズ・コート駅に着いた。

そこから歩いて2、3分ほどにある「オックスフォード・ホテル」へ入りチェックインだ。窓口で保証金(deposit)の10ポンドを払ったり(チェックインの時に返金される)などしたが、やっぱり言葉が聞き取れない。Kさんが隣にいなかったらどうなっていただろうか。スーツケースをかついで3階の部屋まで上がるが、エレベーターは無い。トイレは外にある、と事前情報をKさんからもらっていたが、私の部屋には付いていた。しかも、画像はその部屋だが、なぜかベッドが2つある。私とKさんとの宿泊料金は1泊で2000円ほど差があったが、どうもそれが理由らしい。付属設備はシャワー、テレビ、ラジオ、それに湯沸かし器があるくらいの簡素なものだ。ロンドンにいる間はここで寝泊まりすることになる。

部屋でしばらくいるとKさんから、食事に行きませんか、と内線が入る。評判の良い店をネットで調べたそうだ。再び地下鉄に乗りサウス・ケンジントン(South Kensington)まで向かう。そこから歩いて5分くらいの場所にあるベトナム料理屋に入った。この店に着いた時には午後8時半ほどだったのに、外はまだ明るい。ロンドンで初めての食事だが、ソフトシェルクラブの唐揚げや春巻きなど料理はなかなか美味しかった。金額はチップを含め54ポンドくらいだ。それほど食べていないと思うが、やはり物価は高めな気がする。

ホテルに戻ったのは午後10時半ごろだった。シャワーを浴びて(部屋にはタオル石鹸しか置いてない)、11時にはすぐ眠る。ヴァン・モリソンのライブもついに明日に迫った。
今年もBONNIE PINKが全国ツアーをおこなう。関西は大阪と京都でライブがあるが、大阪は仕事のため京都公演にしか行けそうにない。

これで話は終わるはずだった。しかし、遅れて発表された東京公演の内容には少し心が揺れている。

まず、会場はなんと日本武道館なのだ。1万人収容のアリーナ級の会場で単独ライブをするのは初めての試みである。BONNIE本人もいろいろ考えているようで、”A Perfect Sky”をプロデュースしたバーニング・チキンをスウェーデンから参加してもらう予定だという。かのヒット曲”A Perfect Sky”がオリジナルに近い形で聴くことができるのかと想像してしまう。

また、東京の公演日も曲者だった。10月26日(金)はちょうど私も仕事で上京しているのだ。開演時間は午後7時だし会場入りは問題ないだろう。そのまま一泊して翌日に帰れば良い。

「せっかく上京しているのだから、多くのファンとともに彼女の晴れ舞台を観ろ」という天の声が聞こえたような気がする。

ただ、武道館が果たして満員になるかは大いに不安である。
あと1週間で・・・覚えられるわけがない!
ついにロンドン行きまであと1週間となった。

とにかくヴァン・モリソンを観ることが目的の渡英である。行く前に彼の曲をなるべく頭の中に入れて臨みたい、と以前の日記でも書いた。そんなわけでここ1ヶ月は、あまり時間は無い中でとっかえひっかえ彼の作品を聴いていた。しかしふと、棚に並べているCDの数の多さが気になった。

どれほど凄いかといえば画像を見ての通りである。CDの枚数はざっと40枚を超える。参考までに台所のサラダ油(600グラム入り)のボトルを横に置いてみた。ボトル2本分くらいの高さになっているのがわかるだろう。

1枚に10曲入っていたと仮定しても400曲である。こんなに曲を覚えられるはずがない。もう無駄な努力はやめようと思った。

それにしてもキャリアが長いとはいえ作品の多さには圧倒される。毎年のようにアルバムを出しているのは認識していたが、こうしてCDを並べてみて改めて彼の凄さを実感した次第である。
ついに6月に突入し、ロンドン行きもいよいよ近づいてきた感じだ。海外に行くために絶対必要なもの(パスポートや旅券など)は揃ったが、生活用品などはまだ買っていないものもある。

その一つが変圧器だ。日本とイギリスでは電圧が異なるため、そのままでは電化製品を使うことができない。といってもデジタルカメラくらいしか持って行くものはないが、やはり変圧器は持っていた方が良いだろう。ということで、大丸京都店にある旅行用品のコーナーへ行った。見た目はコンセントと同じような形の変圧器の値段は5040円とけっこうする。でも仕方ないかなと店員に渡した。すると、最近のデジタルカメラは変圧器が必要ないものが多いですよ、というようなことを言われた。

え?そうなの?不安になったので、その時は変圧器を買わずに部屋に戻る。そしてデジカメの充電器を確認する。すると充電器の側面には、

本器を海外旅行用の電子式変圧器(トラベルコンバーター)に接続しないでください。発熱や故障の原因となります。

と、しっかり書いているではないか!変圧器が必要どころか、使うと危険だとはとんでもない話である。対応する電圧も100ボルトから240ボルトと書いてあり、ロンドンでも使えるようだ。

ただ、イギリスのコンセントは差し込み口が3つある形なので、ソケットは必要である。これはどこかで買っておかなければなるまい。
(1)グロリア
(2)ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー
(3)ジャッキー・ウィルソン・セッド
(4)ドミノ(ライブ音源)
(5)ムーンダンス(ライブ音源)
(6)クイーン・オブ・ザ・スリップストリーム
(7)ワイルド・ナイト
(8)キャラヴァン(ライブ音源)
(9)ワンダフル・リマーク
(10)ブラウン・アイド・ガール
(11)デイズ・ライク・ディス
(12)イントゥ・ザ・ミスティック(ライブ音源)
(13)愛の渇き
(14)サムワン・ライク・ユー
(15)ブライト・サイド・オブ・ザ・ロード
(16)ハヴ・アイ・トールド・ユー・レイトリー
(17)リアル・リアル・ゴーン
(18)アイリッシュ・ハートビート
(19)コンフォタブリー・ナム(ライブ音源。ロジャー・ウォーターズとのデュエット)

CDを手に入れた時に最も嬉しかったのはヴァン・モリソンのベスト「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン」(90年)を買った時である。登別という片田舎では彼の作品などろくに売っていない。しかし、あれは確か94年だったと思うが、近所に「サティ」ができて、そこのCDショップにこのベスト・アルバムが1枚だけ置いてあったのである。すぐに買って帰ったのは言うまでもない。代表曲である”グロリア”や”ムーンダンス”や”ワイルド・ナイト”といった曲が一気に聴けたのだから、もうその満足感といったらなかった。

その大事な「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン」であるが、ここ数年ずっと聴いていない。なぜかといえば、ある人に貸してからそれっきりだからである。もう5年くらい経つのではないだろうか。ちなみにその人は、これまた私の大好きなジョイ・ディヴィジョンのベスト・アルバムまで貸している。それも戻ってきていないのは言うまでもない。

こうなったら買い直そうと思いCDショップを回ったけれど、ベスト・アルバムは見当たらない。もしかしたら廃盤になっているのではないだろうか。オリジナル・アルバムも廃盤ばっかりだが、ベスト・アルバムすら気軽に入手できない状態なのはファンとしては嘆かわしい。

今日もCDショップを回ってみた。やはりベスト・アルバムは無い。しかしその代わりにこの画像のCDの国内盤が売っていたので買って帰った。この「ムーヴィー・ヒッツ」は名前の通り、ヴァン・モリソンの数あるアルバム(他人との共同作品や編集盤を除いても34枚ある)から映画で使用された曲ばかりを集めた作品である。収録曲は19曲だが、大半はあの「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン」と重複している。かぶっていないのは、

キャラヴァン
デイズ・ライク・ディス
イントゥ・ザ・ミスティック
愛の渇き
サムワン・ライク・ユー
リアル・リアル・ゴーン
エンライトメント
アイリッシュ・ハートビート
コンフォタブリー・ナム

の9曲である。

ちなみに「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン」は全20曲で、

ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー
スウィート・シング
ウォーム・ラヴ
フル・フォース・ゲイル
アンド・イット・ストーンド・ミー
デッド・イェ・ゲット・ヒールド
クリーニング・ウィンドウズ
ホエンエヴァー・ゴッド・シャインズ
ドウェラー・オン・ザ・スレッショルド

が収録されている。

人によって好みが分かれるかもしれない。しかし「ムーヴィー・ヒッツ」に入っている”キャラヴァン”はザ・バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ」の時の音源である。また、チーフタンズとの共演の”アイリッシュ・ハートビート”、「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン2」に入っている”リアル・リアル・ゴーン”がの名曲が入っている点から、この「ムーヴィー・ヒッツ」が現時点で最も優れたヴァン・モリソンのベスト・アルバムと言えるのではないだろうか。ヴァン・モリソンを初めて聴こうと思っている人(日本にどれくらいいるのだろう・・・)はぜひこの「ムーヴィー・ヒッツ」をお勧めしたい。

「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン」を持っている人にとっても、”ドミノ””ムーンダンス”そして”キャラバン”などがライブ音源となっているので、やはり見過ごすべきではない。ロジャー・ウォーターズ(元ピンク・フロイド)とのデュエット曲というのも不思議な取り合わせで貴重である。

そうこうしているうちにロンドン行きも近づいてきた。彼のライブに立ち会うまでに1曲でも多く頭の中に入れておきたい。最近はそう願うばかりの毎日だ。
来月いっぱいで「笑いの金メダル」(テレビ朝日系列)が打ち切りになる。5月20日の放送は視聴率が5・6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)しかなかったという。「エンタの神様」(日本テレビ系列)の低迷は知っていたけれど、他のお笑い番組も例外ではなかったということか。

エンタや笑金の視聴率が良かった頃は番組を観てなかったし、別にお笑いブームにも思い入れはない。ただ笑金については「ワン・ミニッツ・ショー」(駆け出しの芸人が1分程度の持ち時間をもらってコントをするコーナー)が好きだった。あのコーナーに出ている「たむらけんじ」を観ていなければ、私は彼のファンになっていなかっただろう。

「売れた後輩をおごるの嫌やわー、ほんま嫌やわ−。東京で売れてる芸人、全員死ね!」

というのが、たぶん最初に頭に残ったたむけんのフレーズだと思う。それからしばらくして、たむけんは笑金のレギュラーにもなった。

しかし、この4月からたむけんの姿が番組から消える。さらに、「ワン・ミニッツ・ショー」も無くなる。その一方、芸人が漁に出たりドミノをしたりと、ほとんどドキュメントとしかいえない内容に変わってしまった。

「もう笑金を観ることもないかな」

と思っていた矢先に打ち切りが発表されたので、妙にタイミングが良いなと感じる。

ただ、番組が存続しようとしまいと、たむけんがいなくなった時点で個人的には笑金の存在意義はなくなっていた。
スーツケースが届く。しかし・・・
海外のみならず国内旅行も嫌いな私は、トランクやスーツケースのような類を持っていない。しかし、長期で旅行するとなればしっかりした荷物入れ、しかもカギがかかるようなものを持っておきたい。

航空券やホテルの予約で利用した「地球の歩き方」のサイトに「地歩工房(ちあるこうぼう)」というページがあり、そこでもスーツケースなどが売っている。ここで買おうと思ったが、値段を見てすぐ考え直した。2万5000円とか3万5000円とかの商品ばかりなのである。スーツケースの相場は知らないけれど、これはあまりに高いだろう。しかも最初で最後の海外旅行なのかもしれないのに。

それならばとヤフーのオークションでスーツケースを調べてみると、安い商品がいっぱい出てくる。その数ある中で「TSAロック装備」という触れ込みのスーツケースに目がいった。希望価格は6300円という安さだ。カギがかかるという1点で、これを落札した。

数日後、商品を受け取った。画像がそれである。見た目はテカテカしていて、一目で安物とわかるような代物だ。値段が値段だからそれは我慢するけれど、ちょっと予想外の事態があった。それはスーツケースの大きさである。「中型」というのを選んだつもりだが、外でよく見かけるものの倍はあるだろうという大きさなのだ。こんなの持っていたら、「何週間も滞在するの?」と思われそうである。

携帯で写真を撮るのもちょっと大変だった。撮影場所は風呂場である。
パスポートも手に入り、あとは身支度というか細々とした作業もする時期に入ってきた。

まず、旅行期間中だけ保険に加入する。海外でケガや病気のために病院にかかったりした場合、その金額がけっこうとんでもないらしい。これについては、「地球の歩き方」のサイトで見積もりがとれるので、そこから一番安いのを選ぶ。カード支払いで金額は2000円を少し超える程度だった。

それから、いちおう携帯電話も持っていこうと考えている。auの場合は以下のような「auグローバルエキスパート」というサービスがある。

http://www.au.kddi.com/kaigai/ge/index.html

自分の携帯電話からICカードを抜き、借りた携帯電話に差し込めばイギリスでも使用できるという。説明を見る限りは簡単だ。

しかし現実はそう生易しいものではない。私の持っている携帯の機種は「W33SA」である。ICカードには対応していないのだ。「auグローバルエキスパート」は利用できない。

ならば、携帯電話そのものを借りるしかない。その方向でいま検討をしているが、果たしてあるだろうか。
パスポートを取得
今日は会社を休んで京都駅ビルにある京都旅券事務所まで足を運んだ。こないだ申請したパスポートが受理されたので受け取りに来たのである。

申請については、戸籍抄本を手に入れることを含めてかなり手間取ったけれど、受理はほんの2、3分で終わった。生年月日と戸籍の都道府県(北海道のこと)を照合し、パソコンで生年月日や氏名などに間違いがないか確認しただけでアッサリとパスポートが渡された。

いまのパスポートにはICチップが内蔵されている。中を調べてみると真ん中に分厚いページが1枚だけある。この中にチップが入っているらしい。高温になる場所、湿気の強い場所、直射日光のあたる場所、そして磁気の強い場所(テレビやレンジの上)は避けるように、とそのページには記されている。

不可解な喉の痛み

2007年5月11日
今週の初めあたりから喉が痛かった。しかし、いつものような風邪の症状とは感じが違う。熱もないし鼻水も出ないのだ。ただ喉が痛く、食べ物を口に入れるたびに違和感がある。

どう考えても風邪とは思えない。気持ちが悪いまま、「咽頭がん」とか「食道がん」とかネットで検索する日々が続く。病院に通った方が良いかな、とも思った。

しかし、ひょんなことで症状の原因らしきものを知ることになる。会社の上司が電話でこんなことをしゃべっていたのだ。自分も喉が痛くて仕方ないが、原因がわからない。医者に行ったら、黄砂が原因ではないかと言われたという。

「こうさ」と聞こえたから、考えられるのは黄砂しかないだろう。私もそれが原因だったのだろうか。

そうやって悩んでいるうちに、いつの間にか痛みは治まっていた。

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