フィオナ・アップル大阪公演(06年10月12日、心斎橋クラブクアトロ)
2006年10月12日 ライブ・レポートこんなボケたことを言うのもどうかと思うが、どうしてフィオナ・アップルのチケットを取ったのだろう。私は別に彼女のファンでも何でもない。確か、知り合いの音楽ファンが来日を騒いでいたのに触発されたのがきっかけだったと思う。
ところで、BONNIE PINKファンの間でも今回のフィオナ来日はちょっとした話題になっていて「行く」「行きたい」という声をネットで見かけた。かつてBONNIEがフィオナを絶賛していて、それがきっかけで聴いたBONNIEファンも多いようである。
心斎橋クラブクアトロに集まった人たちは、別に派手な格好をしているわけでもなく、きわめて平凡な音楽ファンが集まったという印象だ。年配の人や外国人も目についたけれど、おおむね20代後半から30代前半くらいが圧倒的な客層だった。
チケットは完売せず当日券がでていたものの、8割方は埋まっていただろう。私はカウンターのある中央の位置を確保した。
7時10分近くになって照明が落ち開演である。まずバンドが現れ、続いてフィオナは真ん中のマイクに立つ、のかと思ったらステージ左側にあるピアノの前に座って歌い出した。バンドの編成はやや変わっている。ベース、キーボード、ドラムス、そしてフィオナがピアノと歌というもので、ギターがいない。さらに、ステージ右側後方に1人、何もしていない人がいる。演奏中もグラスでワインを飲んでいいるではないか。この人は何だろうと思っていたら、フィオナが3曲歌い終わって中央のマイクに移動した時に入れ替わりでピアノの前に座った。フィオナが弾き語りをしない時にはこの人がピアノを担当するわけだ。
バンドの演奏をパッと聴いた時は、少しドラムスの音が小さすぎる印象を受けた。だが、歌が入ると非常にバランスの良い音響であることに気づく。フィオナの声がクッキリと前面に出るような配慮がなされているのだ。こういう場面に出会うと英米と日本との落差を感じてしまう。
肝心のフィオナについてであるが、歌っている時の眉間にシワを寄せて歌う表情やステージをフラフラと動く姿など、おおよそ健康的ではなくて個人的にはちっとも可愛いと思えない。しかし、体の中から振りしぼるようにして歌う姿には圧倒される。ほとんどMCらしいMCもなく歌い続け、お客が手拍子を入れるような余地もなく非常に張りつめた空気を出していた。そんな状態では盛り上がらなかったと思う人もいるかもしれないが、決してそんなことはない。1曲が終わるたびに会場からは力のこもった拍手が送られる。
1時間40分ほどのステージはほとんど知っている曲もなかったし、今日の彼女を観てファンになったわけでもないけれど、貴重な体験ができた一夜だった。最後に曲目を記す。ちなみ名古屋、大阪、そして東京2公演とも同じ内容である。
(演奏曲目)
(1)Get Him Back
(2)To Your Love
(3)Shadowboxer
(4)The Way Things Are
(5)I Know
(6)Sleep to Dream
(7)Limp
(8)Paper Bag
(9)Tymps
(10)Oh Well
(11)On the Bound
(12)Slow Like Honey
(13)Not About Love
(14)Better Version of Me
(15)Get Gone
(16)Fast As You Can
<アンコール>
(17)Extraordinary Machine
(18)Criminal
ところで、BONNIE PINKファンの間でも今回のフィオナ来日はちょっとした話題になっていて「行く」「行きたい」という声をネットで見かけた。かつてBONNIEがフィオナを絶賛していて、それがきっかけで聴いたBONNIEファンも多いようである。
心斎橋クラブクアトロに集まった人たちは、別に派手な格好をしているわけでもなく、きわめて平凡な音楽ファンが集まったという印象だ。年配の人や外国人も目についたけれど、おおむね20代後半から30代前半くらいが圧倒的な客層だった。
チケットは完売せず当日券がでていたものの、8割方は埋まっていただろう。私はカウンターのある中央の位置を確保した。
7時10分近くになって照明が落ち開演である。まずバンドが現れ、続いてフィオナは真ん中のマイクに立つ、のかと思ったらステージ左側にあるピアノの前に座って歌い出した。バンドの編成はやや変わっている。ベース、キーボード、ドラムス、そしてフィオナがピアノと歌というもので、ギターがいない。さらに、ステージ右側後方に1人、何もしていない人がいる。演奏中もグラスでワインを飲んでいいるではないか。この人は何だろうと思っていたら、フィオナが3曲歌い終わって中央のマイクに移動した時に入れ替わりでピアノの前に座った。フィオナが弾き語りをしない時にはこの人がピアノを担当するわけだ。
バンドの演奏をパッと聴いた時は、少しドラムスの音が小さすぎる印象を受けた。だが、歌が入ると非常にバランスの良い音響であることに気づく。フィオナの声がクッキリと前面に出るような配慮がなされているのだ。こういう場面に出会うと英米と日本との落差を感じてしまう。
肝心のフィオナについてであるが、歌っている時の眉間にシワを寄せて歌う表情やステージをフラフラと動く姿など、おおよそ健康的ではなくて個人的にはちっとも可愛いと思えない。しかし、体の中から振りしぼるようにして歌う姿には圧倒される。ほとんどMCらしいMCもなく歌い続け、お客が手拍子を入れるような余地もなく非常に張りつめた空気を出していた。そんな状態では盛り上がらなかったと思う人もいるかもしれないが、決してそんなことはない。1曲が終わるたびに会場からは力のこもった拍手が送られる。
1時間40分ほどのステージはほとんど知っている曲もなかったし、今日の彼女を観てファンになったわけでもないけれど、貴重な体験ができた一夜だった。最後に曲目を記す。ちなみ名古屋、大阪、そして東京2公演とも同じ内容である。
(演奏曲目)
(1)Get Him Back
(2)To Your Love
(3)Shadowboxer
(4)The Way Things Are
(5)I Know
(6)Sleep to Dream
(7)Limp
(8)Paper Bag
(9)Tymps
(10)Oh Well
(11)On the Bound
(12)Slow Like Honey
(13)Not About Love
(14)Better Version of Me
(15)Get Gone
(16)Fast As You Can
<アンコール>
(17)Extraordinary Machine
(18)Criminal
”ニューヨークの夢”を演奏したのか・・・
2006年10月10日イースタン・ユースの吉野のブログを覗いたら、10月7日にポーグスのライブに行ったことが書かれていた。ポーグスは去年も来日していたので全く興味がなかった。しかし、これが根本的に間違いだったのである。ファンだったら誰でも聴きたい”ニューヨークの夢”が演奏されたとは・・・。しかも雪が降るような粋な演出もされていたという。大阪公演でも披露されたようで、ネットの到るところで「良かった」「感激した」という書き込みが目につく。そりゃそうだろうなあ。悔やんでも、後の祭りだなあ。来年も来るんだったらチケットを確保しておくよ。
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「ボロフェスタ’06」ライブレポート(10月9日、京大西部講堂周辺)
2006年10月9日 ライブ・レポートそれにしても北朝鮮には迷惑なものである。核実験をしたため、仕事の都合で出勤する羽目になった。そういえばテポドンの時もそうだった。いい加減にしてほしい。
しかも今日は午後からライブだったので、職場から解放されるまでかなりイライラした。仕事が終わったら自転車を走らせ百万遍まで向かう。今回参加したのは「ボロフェスタ」という京大西部講堂の周辺でおこなわれるイベントだ。ここにイースタン・ユース(eastern youth)が出演するので足を運んだ。3日間にわたっておこなわれるこのイベントは1日券も3日間通し券も完売である。それほど知名度の高いミュージシャンが出るわけでもないのに、どうしてこれほど人が集まるのだろうか。会場に来た当初はその理由がわからなかった。
会場入りしたのは午後3時半すこし前だった。ちょうど講堂内でジッタリン・ジン(Jitterin’ Jinn)が始まる予定だったのでそこに行こうと思った。チケットを出してドリンク代500円(これはチケットに記載されていなかった)を払い、リストバンドを左手に付けて入場する。外からはわからなかったが、中は人がいっぱいだ。そこをくぐり抜けて西部講堂に向かうが、なんと入口が閉まっている。人が多すぎで入場規制をしているのだろうか。中から演奏している音が聴こえる。いまジッタリン・ジンがライブをしているのか。
こんな状態だったらイースタン・ユースのライブも観られないかもしれない。そんな不安を抱きながら講堂前でしばらく待っていると、突然会場が開く。しかし入ってみると、人は誰もいない。どうやらリハーサルのために締めきっていたようだ。しかも時間が押していたようで、しばらく待っているとジッタリン・ジンの登場である。
彼女たちがヒット曲を飛ばしたのは私が中学の時だ。その私が今年で30を迎えるから、向こうもけっこうな歳なのは間違いない。しかし目の前にいるボーカルの春川玲子はずいぶん若く見えるし、可愛らしいボーカルも健在である。しかも、私くらいの年齢だったら耳にしたことのある90年のヒット曲”プレゼント”や、ホワイトベリーもカバーした”夏祭り”が演奏されたのはさすがに嬉しかった。おそらく、初めてライブを観る人も多いと見越してのサービスだろう。それにしても、前方のお客のノリが良い。「電車ごっこ」のような形でグルグルと会場を回ったり、モッシュをしたり、しかしダイブするほど暴れることもしない。実に平和な感じでノっていて、観ているこちらも楽しい気分にさせられた。中学の時には彼女たちがパンク・バンドであるという認識はまったく無かったけれど、まぎれもなくファン層はパンクである。最後は”自転車”で、全10曲で駆け抜けたライブは本当に楽しかった。また機会があれば観たいという気持ちにさせられる。
いったん会場を出て食べ物をつまみながら時間をつぶす。それから再び講堂に入り、目当てのイースタン・ユースを待つ。午後7時少し前にメンバーが登場するが、演奏を始めずにずっと音合わせをしている。3分くらい経ってから”踵鳴る”でライブが始まった。しかしせっかくのサウンド・チェックも空しく音質はイマイチである。なんだかボーカルがよく聞き取れない。
今回の演奏曲目は、
(1)踵鳴る
(2)片道切符の歌
(3)扉
(4)雨曝しなら濡れるがいいさ
(5)ズッコケ問答
(6)矯正視力〇・六
(7)荒野に針路を取れ
で、”扉””ズッコケ問答”は初めて聴けたのが収穫だった。音も中盤くらいからまともになったように感じる。持ち時間は短かめだったのでいつものMCも少なめでダーッと進んでいったのは気持ち良かった。次は12月に少年ナイフとの共演で会おう。
イースタンを観たあたりで疲れが出てきたが、最後のムーンライダーズまで待った。ここで観なければ、たぶんもうライブを体験することもないと思ったからだ。しかしイースタン・ユースが終わった時点でザーッと人が去っていく。講堂内にいる人も半分くらいになってしまった。前方には年配の人が目につく。そのまま、念入りな音のチェックをして午後9時少し前に、トリのムーンライダーズが登場する。
個人的にムーンライダーズは、良くも悪くも「玄人向け」のバンドに感じた。鈴木慶一を含めて真っ白な頭をした人たちの出す音は、見た目に似合わず重くて激しくはあるけれど、その面白みは私に伝わるものではなかった。また「はちみつぱい」や鈴木のソロ作「火の玉ボーイ」で聴いた鈴木慶一のボーカルも私の好みではない。それはライブにおいても印象は変わるものではなかった。
そして、アンコールで1曲歌って全てのライブが終了する。と思ったら、壁にかかっていたスクリーンにイベントの出演者が紹介されていく。どこからともなく歓声が起き、スタッフ・ロールが流れて出す時は会場全体で拍手が起きた。ふと振り返ると、「STAFF」のパスを首にかけている女の子が涙ぐんでいた。ムーンライダーズが登場する前に、代表者らしき人が「このイベントにボランティアをしてくれば80人に拍手をお願いします」とステージで言っていたのを思い出す。あの女の子もその一人だったのだろう。
「スタッフの顔が見えるイベント」という時がある。いままではそうした意味はわからなかったが、今日のイベントでそれを実感することができた。日本全体に不穏な空気が渦巻いていた日でもあるにかかわらず、ずいぶん楽しい1日を過ごせたものである。
しかも今日は午後からライブだったので、職場から解放されるまでかなりイライラした。仕事が終わったら自転車を走らせ百万遍まで向かう。今回参加したのは「ボロフェスタ」という京大西部講堂の周辺でおこなわれるイベントだ。ここにイースタン・ユース(eastern youth)が出演するので足を運んだ。3日間にわたっておこなわれるこのイベントは1日券も3日間通し券も完売である。それほど知名度の高いミュージシャンが出るわけでもないのに、どうしてこれほど人が集まるのだろうか。会場に来た当初はその理由がわからなかった。
会場入りしたのは午後3時半すこし前だった。ちょうど講堂内でジッタリン・ジン(Jitterin’ Jinn)が始まる予定だったのでそこに行こうと思った。チケットを出してドリンク代500円(これはチケットに記載されていなかった)を払い、リストバンドを左手に付けて入場する。外からはわからなかったが、中は人がいっぱいだ。そこをくぐり抜けて西部講堂に向かうが、なんと入口が閉まっている。人が多すぎで入場規制をしているのだろうか。中から演奏している音が聴こえる。いまジッタリン・ジンがライブをしているのか。
こんな状態だったらイースタン・ユースのライブも観られないかもしれない。そんな不安を抱きながら講堂前でしばらく待っていると、突然会場が開く。しかし入ってみると、人は誰もいない。どうやらリハーサルのために締めきっていたようだ。しかも時間が押していたようで、しばらく待っているとジッタリン・ジンの登場である。
彼女たちがヒット曲を飛ばしたのは私が中学の時だ。その私が今年で30を迎えるから、向こうもけっこうな歳なのは間違いない。しかし目の前にいるボーカルの春川玲子はずいぶん若く見えるし、可愛らしいボーカルも健在である。しかも、私くらいの年齢だったら耳にしたことのある90年のヒット曲”プレゼント”や、ホワイトベリーもカバーした”夏祭り”が演奏されたのはさすがに嬉しかった。おそらく、初めてライブを観る人も多いと見越してのサービスだろう。それにしても、前方のお客のノリが良い。「電車ごっこ」のような形でグルグルと会場を回ったり、モッシュをしたり、しかしダイブするほど暴れることもしない。実に平和な感じでノっていて、観ているこちらも楽しい気分にさせられた。中学の時には彼女たちがパンク・バンドであるという認識はまったく無かったけれど、まぎれもなくファン層はパンクである。最後は”自転車”で、全10曲で駆け抜けたライブは本当に楽しかった。また機会があれば観たいという気持ちにさせられる。
いったん会場を出て食べ物をつまみながら時間をつぶす。それから再び講堂に入り、目当てのイースタン・ユースを待つ。午後7時少し前にメンバーが登場するが、演奏を始めずにずっと音合わせをしている。3分くらい経ってから”踵鳴る”でライブが始まった。しかしせっかくのサウンド・チェックも空しく音質はイマイチである。なんだかボーカルがよく聞き取れない。
今回の演奏曲目は、
(1)踵鳴る
(2)片道切符の歌
(3)扉
(4)雨曝しなら濡れるがいいさ
(5)ズッコケ問答
(6)矯正視力〇・六
(7)荒野に針路を取れ
で、”扉””ズッコケ問答”は初めて聴けたのが収穫だった。音も中盤くらいからまともになったように感じる。持ち時間は短かめだったのでいつものMCも少なめでダーッと進んでいったのは気持ち良かった。次は12月に少年ナイフとの共演で会おう。
イースタンを観たあたりで疲れが出てきたが、最後のムーンライダーズまで待った。ここで観なければ、たぶんもうライブを体験することもないと思ったからだ。しかしイースタン・ユースが終わった時点でザーッと人が去っていく。講堂内にいる人も半分くらいになってしまった。前方には年配の人が目につく。そのまま、念入りな音のチェックをして午後9時少し前に、トリのムーンライダーズが登場する。
個人的にムーンライダーズは、良くも悪くも「玄人向け」のバンドに感じた。鈴木慶一を含めて真っ白な頭をした人たちの出す音は、見た目に似合わず重くて激しくはあるけれど、その面白みは私に伝わるものではなかった。また「はちみつぱい」や鈴木のソロ作「火の玉ボーイ」で聴いた鈴木慶一のボーカルも私の好みではない。それはライブにおいても印象は変わるものではなかった。
そして、アンコールで1曲歌って全てのライブが終了する。と思ったら、壁にかかっていたスクリーンにイベントの出演者が紹介されていく。どこからともなく歓声が起き、スタッフ・ロールが流れて出す時は会場全体で拍手が起きた。ふと振り返ると、「STAFF」のパスを首にかけている女の子が涙ぐんでいた。ムーンライダーズが登場する前に、代表者らしき人が「このイベントにボランティアをしてくれば80人に拍手をお願いします」とステージで言っていたのを思い出す。あの女の子もその一人だったのだろう。
「スタッフの顔が見えるイベント」という時がある。いままではそうした意味はわからなかったが、今日のイベントでそれを実感することができた。日本全体に不穏な空気が渦巻いていた日でもあるにかかわらず、ずいぶん楽しい1日を過ごせたものである。
米タワーレコードの廃業
2006年10月7日業績が低迷し経営破綻したアメリカのタワーレコードが廃業する。財政再建をめざしたけれど結局は断念せざるをえなくなったという。
iPodをはじめとするネット音楽配信が売り上げに影響されていると、ニュース記事などでは指摘されている。確かにパソコンや携帯で音楽を買う人が増えていることは否定できない。しかしCDが売れていないのは世界的な現象であり、ネットだけで片付けられる話でもないだろう。
ちなみに日本のタワレコはすでに独立しているので、アメリカの廃業への影響は無い。それどころか、グループ会社である「ナップスタージャパン」が定額制音楽配信サービス「ナップスター」を開始すると発表し、ネット配信にも積極的に関わる姿勢を見せている。
「音楽は人生を変える。定額制150万曲聴き放題という音楽環境」
というテーマは確かに魅力的である。アメリカの惨状をよそに、日本のタワレコは新たな展開を見せようとしている。
iPodをはじめとするネット音楽配信が売り上げに影響されていると、ニュース記事などでは指摘されている。確かにパソコンや携帯で音楽を買う人が増えていることは否定できない。しかしCDが売れていないのは世界的な現象であり、ネットだけで片付けられる話でもないだろう。
ちなみに日本のタワレコはすでに独立しているので、アメリカの廃業への影響は無い。それどころか、グループ会社である「ナップスタージャパン」が定額制音楽配信サービス「ナップスター」を開始すると発表し、ネット配信にも積極的に関わる姿勢を見せている。
「音楽は人生を変える。定額制150万曲聴き放題という音楽環境」
というテーマは確かに魅力的である。アメリカの惨状をよそに、日本のタワレコは新たな展開を見せようとしている。
ザ・スミス「ザ・クイーン・イズ・デッド」(86年)
2006年10月5日 CD評など
ザ・スミス CD ワーナーミュージック・ジャパン 2006/09/13 ¥2,100
ザ・クイーン・イズ・デッド
フランクリー、ミスター・シャンクリー
アイ・ノウ・イッツ・オーヴァー
ネヴァー・ハッド・ノー・ワン・エヴァー
セメタリー・ゲイツ
ビッグマウス・ストライクス・アゲイン
心に茨を持つ少年
ヴィカー・イン・ア・テュテュ
ゼア・イズ・ア・ライト
サム・ガールズ
先日、北大路ビブレのJEUGIAを覗いたら、ザ・スミスの「ミート・イズ・マーダー」と「ザ・クイーン・イズ・デッド」の紙ジャケットCDが売っていた。9月に過去の作品が紙ジャケットで出るとは知っていたけれど、発売日などはまったく調べていなかった。あわててすぐ2枚を買ったのは言うまでもない。日本でもファンの多いスミスのことだからすぐに売り切れるだろう。
だだ、買ってからこれがリマスターされていないことを知ってガックリきた。CDの帯には確かに、
オリジナル・アナログLPを復刻再現
コーティング加工再現
内袋(インナー・パック)再現
日本盤初期LP帯復刻
と書いてあるだけで、「デジタル・リマスター」の「デ」の字も無い。
CD世代の人間にとっては紙ジャケットなどそれほど価値があるとは思えない。やはり音質が良くなっていることを期待して買う人の方が多いのではないだろうか。少なくとも私はその立場である。今回だって、あのスミスのアルバムが再発されるのだからきっちりリマスターはされると踏んで買ったのだが、そうならなかったのは残念でならない。ただ、外のツヤのある紙ジャケットはなかなか質が高く、オブジェ(芸術品)としてはかなり向上したといえる。常日頃はデザインなどに無頓着であるものの、このスミスの紙ジャケットについては気に入っている。ぜひ手に取って確認してもらいたい。
作品の中身についてあれこれ言うほど知識もないけれど、オリジナル・アルバムとしてはこの「ザ・クイーン・イズ・デッド」が一番好きであり、最も聴いた回数は多い。しかし、1枚目の「ザ・スミス」が好きという人もいるし、「ミート・イズ・マーダー」が最高という人もけっこういるだろう。どのアルバムもそれぞれ素晴らしいので、これは趣味嗜好の問題でしかない。ただ、何が理由で好みが分かれるのかを考えてみるのも面白いと思うので少し述べてみたい。
スミスは、モリッシーとジョニー・マーの2枚看板のバンドである。あるガイドブックで、あとの2人なんてどうでも良かった、という酷い文章を見たことがあるけれど、そこまで言わなくてもモリッシー&マーがスミスの本質であることは誰も否定できない。
そんな2人の共同作業が最も高いレベルでできあがった作品が「ザ・クイーン・イズ・デッド」であり、その点でこのアルバムが最高傑作と言われるのだろう。
しかし作品の質やスケールが高くなる一方で、なんだかバンドらしくなくなったような印象も受ける。バンドがあまり好きでない私にはその辺が琴線に触れるのだろうが、他の人にはどのように聴こえるのかはわからない。バンド好きの人の意見も聞いてみたい気がする。
ちなみに02年のサマー・ソニックでモリッシーを観た時、アンコールで最後に1曲だけ歌ったのが”ゼア・イズ・ア・ライト”だった。会場にいたファンも思い切り一緒に歌っていて、なんとも感動的だったのをよく覚えている。
ザ・クイーン・イズ・デッド
フランクリー、ミスター・シャンクリー
アイ・ノウ・イッツ・オーヴァー
ネヴァー・ハッド・ノー・ワン・エヴァー
セメタリー・ゲイツ
ビッグマウス・ストライクス・アゲイン
心に茨を持つ少年
ヴィカー・イン・ア・テュテュ
ゼア・イズ・ア・ライト
サム・ガールズ
先日、北大路ビブレのJEUGIAを覗いたら、ザ・スミスの「ミート・イズ・マーダー」と「ザ・クイーン・イズ・デッド」の紙ジャケットCDが売っていた。9月に過去の作品が紙ジャケットで出るとは知っていたけれど、発売日などはまったく調べていなかった。あわててすぐ2枚を買ったのは言うまでもない。日本でもファンの多いスミスのことだからすぐに売り切れるだろう。
だだ、買ってからこれがリマスターされていないことを知ってガックリきた。CDの帯には確かに、
オリジナル・アナログLPを復刻再現
コーティング加工再現
内袋(インナー・パック)再現
日本盤初期LP帯復刻
と書いてあるだけで、「デジタル・リマスター」の「デ」の字も無い。
CD世代の人間にとっては紙ジャケットなどそれほど価値があるとは思えない。やはり音質が良くなっていることを期待して買う人の方が多いのではないだろうか。少なくとも私はその立場である。今回だって、あのスミスのアルバムが再発されるのだからきっちりリマスターはされると踏んで買ったのだが、そうならなかったのは残念でならない。ただ、外のツヤのある紙ジャケットはなかなか質が高く、オブジェ(芸術品)としてはかなり向上したといえる。常日頃はデザインなどに無頓着であるものの、このスミスの紙ジャケットについては気に入っている。ぜひ手に取って確認してもらいたい。
作品の中身についてあれこれ言うほど知識もないけれど、オリジナル・アルバムとしてはこの「ザ・クイーン・イズ・デッド」が一番好きであり、最も聴いた回数は多い。しかし、1枚目の「ザ・スミス」が好きという人もいるし、「ミート・イズ・マーダー」が最高という人もけっこういるだろう。どのアルバムもそれぞれ素晴らしいので、これは趣味嗜好の問題でしかない。ただ、何が理由で好みが分かれるのかを考えてみるのも面白いと思うので少し述べてみたい。
スミスは、モリッシーとジョニー・マーの2枚看板のバンドである。あるガイドブックで、あとの2人なんてどうでも良かった、という酷い文章を見たことがあるけれど、そこまで言わなくてもモリッシー&マーがスミスの本質であることは誰も否定できない。
そんな2人の共同作業が最も高いレベルでできあがった作品が「ザ・クイーン・イズ・デッド」であり、その点でこのアルバムが最高傑作と言われるのだろう。
しかし作品の質やスケールが高くなる一方で、なんだかバンドらしくなくなったような印象も受ける。バンドがあまり好きでない私にはその辺が琴線に触れるのだろうが、他の人にはどのように聴こえるのかはわからない。バンド好きの人の意見も聞いてみたい気がする。
ちなみに02年のサマー・ソニックでモリッシーを観た時、アンコールで最後に1曲だけ歌ったのが”ゼア・イズ・ア・ライト”だった。会場にいたファンも思い切り一緒に歌っていて、なんとも感動的だったのをよく覚えている。
渡辺美里のツアー「Sing and Rosesアコースティックライブ〜うたの木〜」のうち、大阪は摂津で行われる分のチケットが届く。封筒を開けると出てきたのがタイトルの番号である。
「き列」ということは、前から7列目である。「前から7列目」とだけきけば、けっこう前の席ではないかと思うかもしれない。しかし500人収容の摂津市民文化ホールは「た列」(16列)までしか列は無い。同封していた座席図を見ても、真ん中より少しだけ前方という感じである。しかも右端だ。ちなみに、チケットは完売していない。私の後ろには人が座ってなかった、という事態だけは勘弁してほしい。
まもなく届くであろう下鴨神社のチケットはもう少し良い席になるだろうか。
「き列」ということは、前から7列目である。「前から7列目」とだけきけば、けっこう前の席ではないかと思うかもしれない。しかし500人収容の摂津市民文化ホールは「た列」(16列)までしか列は無い。同封していた座席図を見ても、真ん中より少しだけ前方という感じである。しかも右端だ。ちなみに、チケットは完売していない。私の後ろには人が座ってなかった、という事態だけは勘弁してほしい。
まもなく届くであろう下鴨神社のチケットはもう少し良い席になるだろうか。
ついに始まったゴミ袋有料化
2006年10月3日
いつものように自転車に乗って会社に向かうと、画像のゴミ袋が道のいたるところに置いてある。黒とか青のゴミ袋の姿は見かけなかった。今日から京都市も指定のゴミ袋で出さなければならない。
ただ、ニュースの記事などを見てみると、いままでのゴミ袋で出している人もいてトラブルも起きていたらしい。
そういえば、有料化に先立って「ゴミ袋の無料お試しセット」が市内に配布されていたらしい。しかし2万世帯には行き届かなかったという。私のところも届いていない。
ただ、ニュースの記事などを見てみると、いままでのゴミ袋で出している人もいてトラブルも起きていたらしい。
そういえば、有料化に先立って「ゴミ袋の無料お試しセット」が市内に配布されていたらしい。しかし2万世帯には行き届かなかったという。私のところも届いていない。
ゴミ袋有料化の効果は
2006年9月29日 日常 コメント (4)午前6時、いつもより1時間も早く起きた。そして、部屋のゴミをせっせと集めてゴミ袋に詰める。
10月から京都市内は指定のゴミ袋に出さなければならない。通常のゴミ袋(45リットル)1袋を45円にし、資源ごみのゴミ袋は25円になる。そうなる前に今日のうちにできるだけ出してしまおうというわけだ。来週になってしまったら、いままでの青色や黒色のゴミ袋で出すことができないからである。
しかし、ゴミ袋を有料化することにがゴミ削減にどれほど効果があるのだろう。有料化によってゴミの量が減っていくとは思えない。不法投棄が増えるだけではないか。
少なくとも市民が徳をするようなものが無ければ、ゴミ袋有料化は反発を買うだけで終わるだろう。1袋45円だとゴミ袋に費やされる費用は京都市全体でとんでもない額になる。そのお金がなんらかの形で市民に還元されることを願ってやまない。
10月から京都市内は指定のゴミ袋に出さなければならない。通常のゴミ袋(45リットル)1袋を45円にし、資源ごみのゴミ袋は25円になる。そうなる前に今日のうちにできるだけ出してしまおうというわけだ。来週になってしまったら、いままでの青色や黒色のゴミ袋で出すことができないからである。
しかし、ゴミ袋を有料化することにがゴミ削減にどれほど効果があるのだろう。有料化によってゴミの量が減っていくとは思えない。不法投棄が増えるだけではないか。
少なくとも市民が徳をするようなものが無ければ、ゴミ袋有料化は反発を買うだけで終わるだろう。1袋45円だとゴミ袋に費やされる費用は京都市全体でとんでもない額になる。そのお金がなんらかの形で市民に還元されることを願ってやまない。
渡辺美里「青い鳥」(06年)
2006年9月26日 渡辺美里
1.青い鳥
2.おねがい太陽 〜夏のキセキ〜(Live version)
部屋に帰ってから今日がシングルの出荷日であることに気づいた。すでに午後8時と過ぎていて雨も少し降っている。しかし、自転車を30分ほどこいで、遅くまで開いている白川通ぞいのCDショップまで行ってこのCDを買ってきた。別にそこまでする必要もないのだが。
”青い鳥”の作曲は川村結花が担当している。川村の代表作といえばやはりSMAPの”夜空ノムコウ”だろうか。東京芸術大学卒業で、大学時代は早稲田大学モダンジャズ研究会でバンド活動をしていた人である。二人の共演は初めてだ。そのためか、これまでの美里に無い曲に感じる。
7月22日の山名湖ライブで”青い鳥”を一度聴いた時は、それほど良い印象を受けなかった。いまもその思いを拭えないでいる。何が気に入らないかといえば、出だしの2行である。ここの歌詞はどうにかならなかったのだろうか。他に思いつくフレーズは無いのか。聴くたびにそう思ってしまう。全体的には気に入っているので、余計に2行の歌詞が気になって仕方ない。
彼女の語彙の乏しさは昔からなので、自分の中では大して気にしていないつもりだった。しかし今回は良い曲なだけに残念でならないのだ。
カップリングにしても、7月に出たシングル曲”おねがい太陽 〜夏のキセキ〜”の山中湖ライブにおける音源だ。これについても、もっと他に入れるべき曲はあった気がする。クレヨンで書いたような青い鳥のジャケットもいまいちで、焦点が絞れていないとしか言いようがない。
いままでは彼女についてそれほど文句や不満を述べてこなかったつもりだ。出てくる作品が過去の再生産であろうと、西武ライブが無くなろうと、彼女が活動を続けてくれればそれで良いと思っていたからである。しかし、春のツアーのチケット売れ行きなどを見ているうちに、このままでは彼女の活動自体が閉ざされてしまうのではないかという危機感が高まってきた。別にすぐ引退しても良いというのなら仕方ない。しかし、少しでも長く音楽活動を続けるつもりならば、いまの状態ではまずいだろう。
今後はいろいろな形で、現在の彼女に対する自分の思いを表明していこうと思う。
2.おねがい太陽 〜夏のキセキ〜(Live version)
部屋に帰ってから今日がシングルの出荷日であることに気づいた。すでに午後8時と過ぎていて雨も少し降っている。しかし、自転車を30分ほどこいで、遅くまで開いている白川通ぞいのCDショップまで行ってこのCDを買ってきた。別にそこまでする必要もないのだが。
”青い鳥”の作曲は川村結花が担当している。川村の代表作といえばやはりSMAPの”夜空ノムコウ”だろうか。東京芸術大学卒業で、大学時代は早稲田大学モダンジャズ研究会でバンド活動をしていた人である。二人の共演は初めてだ。そのためか、これまでの美里に無い曲に感じる。
7月22日の山名湖ライブで”青い鳥”を一度聴いた時は、それほど良い印象を受けなかった。いまもその思いを拭えないでいる。何が気に入らないかといえば、出だしの2行である。ここの歌詞はどうにかならなかったのだろうか。他に思いつくフレーズは無いのか。聴くたびにそう思ってしまう。全体的には気に入っているので、余計に2行の歌詞が気になって仕方ない。
彼女の語彙の乏しさは昔からなので、自分の中では大して気にしていないつもりだった。しかし今回は良い曲なだけに残念でならないのだ。
カップリングにしても、7月に出たシングル曲”おねがい太陽 〜夏のキセキ〜”の山中湖ライブにおける音源だ。これについても、もっと他に入れるべき曲はあった気がする。クレヨンで書いたような青い鳥のジャケットもいまいちで、焦点が絞れていないとしか言いようがない。
いままでは彼女についてそれほど文句や不満を述べてこなかったつもりだ。出てくる作品が過去の再生産であろうと、西武ライブが無くなろうと、彼女が活動を続けてくれればそれで良いと思っていたからである。しかし、春のツアーのチケット売れ行きなどを見ているうちに、このままでは彼女の活動自体が閉ざされてしまうのではないかという危機感が高まってきた。別にすぐ引退しても良いというのなら仕方ない。しかし、少しでも長く音楽活動を続けるつもりならば、いまの状態ではまずいだろう。
今後はいろいろな形で、現在の彼女に対する自分の思いを表明していこうと思う。
ウォーレン・ジヴォン CD ミュージックシーン 2006/04/25 ¥2,835
ジ・アンヴォイ(外交使節)
ジ・オーヴァードラフト
ザ・フーラ・フーラ・ボーイズ
ジーザス・メンションド
レット・ナッシング・カム・ビトウィーン・ユー
エイント・ザット・プリティ・アット・オール
チャーリーズ・メディスン
ルッキング・フォー・ザ・ネクスト・ベスト・シング
ネヴァー・トゥー・レイト・フォー・ラヴ
少し前の日記でも触れたが、ウォーレン・ジヴォン(Warren Zevon)が80年代前半に出した3作品が紙ジャケットで再発した。今回のCD化はなんと「世界初」だという。日本のみならず英米ですらこのミュージシャンはたいして評価されていないことに改めて気づかされる話だ。そんな状態なので今回のCD再発を逃したら、もう二度と音源は手に入らない可能性は高い。対訳はついてないし歌詞も内袋に印刷されていて読みづらいなど不満もあるけれど、彼のファンを自認する人はすぐに買った方が良い。ちなみ1000枚限定の発売である。
81年に出たこの「外交使節」は彼がずっと在籍していたアサイラム・レコードにおける最後の作品である。なぜ最後になったかといえば、簡単な話で商業的に失敗したからである。今回の再発CDについて見ても、「ダンシング・スクールの悲劇」(80年)がアルバム・チャートで20位とまずまずの数字だったが、続くライブ・アルバム「炎のL.A」(81年)が80位、「外交使節」にいたっては93位である。そしてジヴォンはアサイラムから契約を切られて5年間も沈黙することになる。
こうした流れを見ると、落ち目の時の作品と思われるに違いない。しかしアルバムの内容は実に充実している。1曲目の重たいタイトル曲から始まり、ハードなピアノとヴォーカルの” ジ・オーヴァードラフト”、後半の美しいバラードなど、全編に渡りジヴォンの魅力が詰まった傑作である。個人的にはすべての曲が好きというわけもないけれど、演奏も歌も圧倒的なものがあるのは否定できない。
しかし裏を返せば、その中身の充実さがアダとなり商業的に成功しなかったのだろう。最初にCDを聴いた瞬間、これは売れないだろうな、と自分も感じたほどである。しかし、好きな人にとってはまさに一生ものと断言できる作品だ。
このアルバムを聴く時、このミュージシャンを知っている喜びとともに、彼の不遇さにも胸を打たれる。
ジ・アンヴォイ(外交使節)
ジ・オーヴァードラフト
ザ・フーラ・フーラ・ボーイズ
ジーザス・メンションド
レット・ナッシング・カム・ビトウィーン・ユー
エイント・ザット・プリティ・アット・オール
チャーリーズ・メディスン
ルッキング・フォー・ザ・ネクスト・ベスト・シング
ネヴァー・トゥー・レイト・フォー・ラヴ
少し前の日記でも触れたが、ウォーレン・ジヴォン(Warren Zevon)が80年代前半に出した3作品が紙ジャケットで再発した。今回のCD化はなんと「世界初」だという。日本のみならず英米ですらこのミュージシャンはたいして評価されていないことに改めて気づかされる話だ。そんな状態なので今回のCD再発を逃したら、もう二度と音源は手に入らない可能性は高い。対訳はついてないし歌詞も内袋に印刷されていて読みづらいなど不満もあるけれど、彼のファンを自認する人はすぐに買った方が良い。ちなみ1000枚限定の発売である。
81年に出たこの「外交使節」は彼がずっと在籍していたアサイラム・レコードにおける最後の作品である。なぜ最後になったかといえば、簡単な話で商業的に失敗したからである。今回の再発CDについて見ても、「ダンシング・スクールの悲劇」(80年)がアルバム・チャートで20位とまずまずの数字だったが、続くライブ・アルバム「炎のL.A」(81年)が80位、「外交使節」にいたっては93位である。そしてジヴォンはアサイラムから契約を切られて5年間も沈黙することになる。
こうした流れを見ると、落ち目の時の作品と思われるに違いない。しかしアルバムの内容は実に充実している。1曲目の重たいタイトル曲から始まり、ハードなピアノとヴォーカルの” ジ・オーヴァードラフト”、後半の美しいバラードなど、全編に渡りジヴォンの魅力が詰まった傑作である。個人的にはすべての曲が好きというわけもないけれど、演奏も歌も圧倒的なものがあるのは否定できない。
しかし裏を返せば、その中身の充実さがアダとなり商業的に成功しなかったのだろう。最初にCDを聴いた瞬間、これは売れないだろうな、と自分も感じたほどである。しかし、好きな人にとってはまさに一生ものと断言できる作品だ。
このアルバムを聴く時、このミュージシャンを知っている喜びとともに、彼の不遇さにも胸を打たれる。
2006年10月1日、「渋谷公会堂」が消える日
2006年9月24日といっても、建物がつぶされるとかいう話ではない。サントリーが建物の命名権(ネーミング・ライツ)を獲得したため、10月より「渋谷C.C.Lemonホール」と名前が変わるという意味だ。
ついに一度もライブに行く機会はなかったけれど、渋谷公会堂といえば数々のミュージシャンが足を踏んだ歴史のある場所だ。別に渋公に思い入れはないが、名前が変わってしまうのにやはり違和感を持ってしまう。
年間8千万で契約期間は5年間、消費税を含めてネーミング・ライツにサントリーが投資する額は4億2千万円である。果たして、この広告は高いか安いか、よくわからない。しかし少なくとも、音楽ファンにとっては様々な意味で記憶に残るホール名になることは間違いない。
10月5日にBONNIE PINKの再追加公演がこの場所で行われる。もちろん、すでに「渋谷公会堂」ではなくなっている。
ついに一度もライブに行く機会はなかったけれど、渋谷公会堂といえば数々のミュージシャンが足を踏んだ歴史のある場所だ。別に渋公に思い入れはないが、名前が変わってしまうのにやはり違和感を持ってしまう。
年間8千万で契約期間は5年間、消費税を含めてネーミング・ライツにサントリーが投資する額は4億2千万円である。果たして、この広告は高いか安いか、よくわからない。しかし少なくとも、音楽ファンにとっては様々な意味で記憶に残るホール名になることは間違いない。
10月5日にBONNIE PINKの再追加公演がこの場所で行われる。もちろん、すでに「渋谷公会堂」ではなくなっている。
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カラオケで一夜を
2006年9月23日 BONNIE PINK今日はNHK大阪ホールに行った。BONNIE PINKの今年3度目のライブである。今回は追加公演ということで、8月に京都と大阪で観たものとは内容が若干違っていた。
ライブが終わった後、チケットを取ってくれた方たちと一緒に谷町で食事をしているうちに電車が無くなってしまう。そのまま千日前のカラオケボックスに入り、始発電車が来るまでそこにいようということになる。最初は4人いたけれど、午前2時を過ぎるころには2人が帰り、私ともう1人だけになる。そこからは交互に何曲も何曲も歌ってみるも、時間はまったく過ぎない。午前4時半を過ぎる頃にはもう二人とも歌う気力は失っていた。カプセルホテルに泊まるよりは安くあがったけれど、なかなかきつい一夜であった。
ライブが終わった後、チケットを取ってくれた方たちと一緒に谷町で食事をしているうちに電車が無くなってしまう。そのまま千日前のカラオケボックスに入り、始発電車が来るまでそこにいようということになる。最初は4人いたけれど、午前2時を過ぎるころには2人が帰り、私ともう1人だけになる。そこからは交互に何曲も何曲も歌ってみるも、時間はまったく過ぎない。午前4時半を過ぎる頃にはもう二人とも歌う気力は失っていた。カプセルホテルに泊まるよりは安くあがったけれど、なかなかきつい一夜であった。
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バズコックス大阪公演(9月22日、梅田Shangri-La)
2006年9月22日 ライブ・レポートPunk Punk Punk「LONDON PUNK生誕30周年」
チケットの上にこんな一文があった。ロンドンでパンク・ロックが生まれてから30年経つということらしい。だが、パンクの原点はいつなのか諸説いろいろある。それをここでは76年に位置づけているのは、おそらくセックス・ピストルズの最初で最後のオリジナル・アルバム「勝手にしやがれ!」が発売された年だからだろう。ロンドンで最初に出たパンクのレコードといえばダムドになるが、パンクの象徴といえばやはりピストルズということになる。
そのピストルズに衝撃を受けて結成したパンク・バンドはたくさんある。その一つがバズコックス(BUZZCOCKS)である。しかも1976年に結成だから、さきのロンドン・パンク生誕30周年にこれ以上ふさわしいバンドはいない。ちなみに私は76年の生まれであり、最近は「私、パンクと同い年なんです」と言ってみたりしている。
大阪の会場は新梅田シティ(空中庭園展望台)の真下にある「Shangri-La」という新しめのライブハウスである。
http://www.shan-gri-la.jp/
キャパシティは最大400人となっている。しかし入場時には半分も入っていない。私は先週くらいにチケットを買ったので整理番号が162番だったけれど、おかげでずいぶん前に入ることができた。カウンターでビールをもらって前方の左端で開演を待つ。年配の人が多いかと思ったが、自分より若そうな人が目につく。「CBGB」(ニューヨークのパンク・ムーブメントで重要な役割を果たしたライブ・ハウス)と書かれたシャツを着た人がいる。パンクのライブならではだ。やたら一人で叫んでいる男性が目につく。ライブが始まる前なのに迷惑な人だ。こうして待っているうちに会場も8割ほど埋まってくる。
そして午後7時を5分ほど過ぎて、いきなり拍手が起きる。ステージに目を移すと、いつの間にやらバンドが出てきているではないか。照明も落とさずに現れるというのは、表面的な派手さのないバズコックスらしい。しかし、ピート・シェリー(ギターとボーカル)の姿にはちょっとショックを受けた。年をとるのは仕方ないとして(55年生まれ)、首がなくなるほど太っているではないか。同い年のスティーブ(ギターとボーカル)はスラッとしているというのにである。こんな状態で大丈夫なのだろうか。
しかし、不安になったのは一瞬だけだった。最初からMCらしいものもなくバンバン演奏を続ける。衰えらしいものは一切ない。しかも、70年代の曲がバンバン飛び出すから凄い。”AUTONOMY””I DON’T MIND””WHAT DO I GET”・・・パンク時代における最高のソングライターの一人といわれるピートの名曲ばかりである。これで盛り上がらないはずがない。前方にいるお客はもう暴れまくっていたけれど、ダイブをする人は皆無だ。それで良いと思う。会場は小さいし、ステージまで転がっても受け止めるような人もいないし、こうして節度をもって盛り上がるライブが一番良い形だと信じる。
スティーブはギターを掲げて何度もお客を煽る。なんだかピート・タウンゼントを連想したが、最後はなんとマイクスタンドとドラムをぶっ壊してしまう。そんなパフォーマンスも功を奏し、最後まで熱を失わないライブだった。お客もバンドも実に楽しそうだった。私も最後の方でスッと前に進んでスティーブとタッチをしてもらうほどである。アンコールを含めても1時間ほどという短さだったが、あの内容には誰も不満はなかったにちがいない。そして、デビュー30年を経てもパンクの精神が生き続けていることを確認できたことが私にはなにより嬉しかった。
チケットの上にこんな一文があった。ロンドンでパンク・ロックが生まれてから30年経つということらしい。だが、パンクの原点はいつなのか諸説いろいろある。それをここでは76年に位置づけているのは、おそらくセックス・ピストルズの最初で最後のオリジナル・アルバム「勝手にしやがれ!」が発売された年だからだろう。ロンドンで最初に出たパンクのレコードといえばダムドになるが、パンクの象徴といえばやはりピストルズということになる。
そのピストルズに衝撃を受けて結成したパンク・バンドはたくさんある。その一つがバズコックス(BUZZCOCKS)である。しかも1976年に結成だから、さきのロンドン・パンク生誕30周年にこれ以上ふさわしいバンドはいない。ちなみに私は76年の生まれであり、最近は「私、パンクと同い年なんです」と言ってみたりしている。
大阪の会場は新梅田シティ(空中庭園展望台)の真下にある「Shangri-La」という新しめのライブハウスである。
http://www.shan-gri-la.jp/
キャパシティは最大400人となっている。しかし入場時には半分も入っていない。私は先週くらいにチケットを買ったので整理番号が162番だったけれど、おかげでずいぶん前に入ることができた。カウンターでビールをもらって前方の左端で開演を待つ。年配の人が多いかと思ったが、自分より若そうな人が目につく。「CBGB」(ニューヨークのパンク・ムーブメントで重要な役割を果たしたライブ・ハウス)と書かれたシャツを着た人がいる。パンクのライブならではだ。やたら一人で叫んでいる男性が目につく。ライブが始まる前なのに迷惑な人だ。こうして待っているうちに会場も8割ほど埋まってくる。
そして午後7時を5分ほど過ぎて、いきなり拍手が起きる。ステージに目を移すと、いつの間にやらバンドが出てきているではないか。照明も落とさずに現れるというのは、表面的な派手さのないバズコックスらしい。しかし、ピート・シェリー(ギターとボーカル)の姿にはちょっとショックを受けた。年をとるのは仕方ないとして(55年生まれ)、首がなくなるほど太っているではないか。同い年のスティーブ(ギターとボーカル)はスラッとしているというのにである。こんな状態で大丈夫なのだろうか。
しかし、不安になったのは一瞬だけだった。最初からMCらしいものもなくバンバン演奏を続ける。衰えらしいものは一切ない。しかも、70年代の曲がバンバン飛び出すから凄い。”AUTONOMY””I DON’T MIND””WHAT DO I GET”・・・パンク時代における最高のソングライターの一人といわれるピートの名曲ばかりである。これで盛り上がらないはずがない。前方にいるお客はもう暴れまくっていたけれど、ダイブをする人は皆無だ。それで良いと思う。会場は小さいし、ステージまで転がっても受け止めるような人もいないし、こうして節度をもって盛り上がるライブが一番良い形だと信じる。
スティーブはギターを掲げて何度もお客を煽る。なんだかピート・タウンゼントを連想したが、最後はなんとマイクスタンドとドラムをぶっ壊してしまう。そんなパフォーマンスも功を奏し、最後まで熱を失わないライブだった。お客もバンドも実に楽しそうだった。私も最後の方でスッと前に進んでスティーブとタッチをしてもらうほどである。アンコールを含めても1時間ほどという短さだったが、あの内容には誰も不満はなかったにちがいない。そして、デビュー30年を経てもパンクの精神が生き続けていることを確認できたことが私にはなにより嬉しかった。
携帯にかけてくるな!
2006年9月20日仕事の都合上、自分の携帯を複数の人に教える場面があった。そのため、この2日間で3件の電話が入る。それも、うち2件は午前8時半とか9時とか、まだ会社にも出てきていない時間にかけてくるのである。
携帯ならば本人が出るので確実ではある。しかしこの携帯はあくまで「緊急連絡先」として教えたものだ。「いつでもかけて下さい」なんて一言もいってない。急ぎでもない用事だったら会社にまず電話をするのが筋だろう。私が不在な時でも誰かに伝言を残せばいいだけの話だ。それなのにたいしたことのない用件で朝っぱらから携帯に電話してくる神経は解せない。
知らない電話番号には出ない人が世間にいる。私も今日からそうしようかな。そんなことを考えてしまう出来事だった。
携帯ならば本人が出るので確実ではある。しかしこの携帯はあくまで「緊急連絡先」として教えたものだ。「いつでもかけて下さい」なんて一言もいってない。急ぎでもない用事だったら会社にまず電話をするのが筋だろう。私が不在な時でも誰かに伝言を残せばいいだけの話だ。それなのにたいしたことのない用件で朝っぱらから携帯に電話してくる神経は解せない。
知らない電話番号には出ない人が世間にいる。私も今日からそうしようかな。そんなことを考えてしまう出来事だった。
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再び、U2のチケットを購入
2006年9月19日この春に横浜の日産スタジアムでU2がライブをするはずだった。しかしメンバーの家族が病気という理由で、日本のみならずアジア太平洋ツアーはすべて延期となる。もちろんチケット代は払い戻しとなり、私は近所のファミリーマートで返金してもらった。
それから数ヶ月して、振替公演の日程が発表される。今度は横浜1公演ではなく、埼玉のスーパーアリーナで3公演おこなうという。横浜の時は迷わずチケットを取ったけれど、今回は仕事が断続的に入る時期だけにかなり迷った。せっかく買っても行けない可能性も高いのである。実際、3公演の内の1つはすでに仕事と重なっている。
しかし、結局「ぴあ」の先行予約を申し込んだ。そして今日、当選のメールが届く。とりあえずチケットを押さえなければ話にならない。仕事のためにチケットが無駄になるかもしれない。翌朝に帰らなければならない事態に陥るかもしれない。だが、その時はその時で考えるしかないだろう。
それから数ヶ月して、振替公演の日程が発表される。今度は横浜1公演ではなく、埼玉のスーパーアリーナで3公演おこなうという。横浜の時は迷わずチケットを取ったけれど、今回は仕事が断続的に入る時期だけにかなり迷った。せっかく買っても行けない可能性も高いのである。実際、3公演の内の1つはすでに仕事と重なっている。
しかし、結局「ぴあ」の先行予約を申し込んだ。そして今日、当選のメールが届く。とりあえずチケットを押さえなければ話にならない。仕事のためにチケットが無駄になるかもしれない。翌朝に帰らなければならない事態に陥るかもしれない。だが、その時はその時で考えるしかないだろう。
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ウォーレン・ジヴォン「センチメンタル・ハイジーン」(87年)
2006年9月15日 CD評など
Warren Zevon CD Virgin 2003/05/06 ¥1,712
Sentimental Hygiene
Boom Boom Mancini
Factory
Trouble Waiting to Happen
Reconsider Me
Detox Mansion
Bad Karma
Even a Dog Can Shake Hands
Heartache
Leave My Monkey Alone
Nocturne [*][Instrumental]
Leave My Monkey Alone [Spanish][#][*]
先日CDショップで現物を見て知ったことだが、ウォーレン・ジヴォンの過去の作品のうち、
「ダンシング・スクールの悲劇」(80年)
「炎のL.A./ウォーレン・ジヴォン・ライヴ」(81年)」
「ジ・アンヴォイ(外交使節)」(82年)
の3枚が紙ジャケットで再発されていた。いずれも日本で初のCD化であり、しかも本国アメリカでは廃盤だという。どの作品も商業的には失敗作ばかりなので妥当な扱いであるかもしれない。しかしジヴォンの作品が手軽に手に入らない状態になっているのはファンとして寂しい限りである。そんな中での紙ジャケ再発は貴重なことだ。限定1000枚の発売なので近いうちに全て揃えたい。
ここで紹介する「センチメンタル・ハイジーン」も03年に再発したきりのようだ。もちろん日本盤など今は売っていない。私が持っている日本盤CDは95年に札幌の古本屋で手に入れたものだが、いつ出たものかははっきりしない。ただ、CDで出たのも一度きりではないかと思われる。
60年代後半からアメリカ西海岸を拠点に活動していたジヴォンは、イーグルスやジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタットといった仲間ほどには商業的に成功しなかった人である。それでも78年にアルバム「エキサイタブル・ボーイ」や、その中に収録されている”ロンドンの狼男”がヒットした。
しかし「ジ・アンヴォイ(外交使節)」を最後に82年、アサイラム・レコードとの契約を打ち切られる。そのまま5年の沈黙の時を過ぎて出したのが「センチメンタル・ハイジーン」だった。この作品の特徴は、やはりゲスト陣の豪華さだろうか。ドン・ヘンリー、ニール・ヤング、ボブ・ディラン、さらにはジョージ・クリントンの名前まで出てくる。こんな大物ばかりが、しかもバックで登場する作品などそうあるものではない。また、R.E.Mがアルバム全体で演奏をしているのも話題になり、そのせいかアルバムもヒットに結びついた。
ただ、バックが誰であろうとジヴォンの個性とか魅力について他の作品とそう変わりはない。社会の暗い部分を描く歌詞や独特のダミ声などは健在だ。そのアクの強さがやはり凶となるのか、以後の作品でヒットしたものといえば、遺作となる「ザ・ウインド」(03年)しか無い。
何がどうしてなのかうまく説明できないけれど、私はジヴォンのことがとても好きだ。iPodにこの「センチメンタル・ハイジーン」を入れて最近よく聴いている。その時にふと「一度は生で観たかったなあ」と、どうしようもないことを思ってしまった。彼がガンで亡くなってから、もう3年になる。
Sentimental Hygiene
Boom Boom Mancini
Factory
Trouble Waiting to Happen
Reconsider Me
Detox Mansion
Bad Karma
Even a Dog Can Shake Hands
Heartache
Leave My Monkey Alone
Nocturne [*][Instrumental]
Leave My Monkey Alone [Spanish][#][*]
先日CDショップで現物を見て知ったことだが、ウォーレン・ジヴォンの過去の作品のうち、
「ダンシング・スクールの悲劇」(80年)
「炎のL.A./ウォーレン・ジヴォン・ライヴ」(81年)」
「ジ・アンヴォイ(外交使節)」(82年)
の3枚が紙ジャケットで再発されていた。いずれも日本で初のCD化であり、しかも本国アメリカでは廃盤だという。どの作品も商業的には失敗作ばかりなので妥当な扱いであるかもしれない。しかしジヴォンの作品が手軽に手に入らない状態になっているのはファンとして寂しい限りである。そんな中での紙ジャケ再発は貴重なことだ。限定1000枚の発売なので近いうちに全て揃えたい。
ここで紹介する「センチメンタル・ハイジーン」も03年に再発したきりのようだ。もちろん日本盤など今は売っていない。私が持っている日本盤CDは95年に札幌の古本屋で手に入れたものだが、いつ出たものかははっきりしない。ただ、CDで出たのも一度きりではないかと思われる。
60年代後半からアメリカ西海岸を拠点に活動していたジヴォンは、イーグルスやジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタットといった仲間ほどには商業的に成功しなかった人である。それでも78年にアルバム「エキサイタブル・ボーイ」や、その中に収録されている”ロンドンの狼男”がヒットした。
しかし「ジ・アンヴォイ(外交使節)」を最後に82年、アサイラム・レコードとの契約を打ち切られる。そのまま5年の沈黙の時を過ぎて出したのが「センチメンタル・ハイジーン」だった。この作品の特徴は、やはりゲスト陣の豪華さだろうか。ドン・ヘンリー、ニール・ヤング、ボブ・ディラン、さらにはジョージ・クリントンの名前まで出てくる。こんな大物ばかりが、しかもバックで登場する作品などそうあるものではない。また、R.E.Mがアルバム全体で演奏をしているのも話題になり、そのせいかアルバムもヒットに結びついた。
ただ、バックが誰であろうとジヴォンの個性とか魅力について他の作品とそう変わりはない。社会の暗い部分を描く歌詞や独特のダミ声などは健在だ。そのアクの強さがやはり凶となるのか、以後の作品でヒットしたものといえば、遺作となる「ザ・ウインド」(03年)しか無い。
何がどうしてなのかうまく説明できないけれど、私はジヴォンのことがとても好きだ。iPodにこの「センチメンタル・ハイジーン」を入れて最近よく聴いている。その時にふと「一度は生で観たかったなあ」と、どうしようもないことを思ってしまった。彼がガンで亡くなってから、もう3年になる。
トンカツを作ってみよう。神の啓示か何かわからないが、スーパーの中をグルグル回っているうちにそんなことが思い浮かんだ。ただ、ロースカツを作るのは難しそうだし、1枚を失敗したら取り返しがつかない。そこで一口カツ用のモモ肉を1パック買う。4切れ入っているので1回や2回は失敗しても大丈夫、だろう。
部屋に帰ってすぐ鍋に油を入れて調理開始だ。肉と一緒に買った「フライパンでできるカツ揚げ粉」(昭和産業株式会社U)の袋の裏に載っている作り方によれば、
(1)パン粉をつけた肉をまず「強火」で高温(170〜180度)の油で30秒から1分揚げる。
(2)そこから「中火」にして、揚げ色を見ながら3〜4分揚げる。
となっている。最初に強火でカラッと揚げてから、低い温度でじわじわと肉に熱を通すということだろう。この辺を念頭に置いて、まずモモ肉を1枚とりだして作ってみた。まず強火で1分ほど揚げる。衣が良い感じの色になってきた。そして火を弱めて3分揚げる、のを待たずして衣が黒く焦げていくではないか!これ以上はまずいと判断し、カツを引き上げた。カツを二つに切って中身を見れば中心まできれいに火は通ってはいる。しかし、表面は真っ黒だからとても成功とはいえない。
油を眺めてみると、火を止めたあとも煙が出ている。火を弱めたくらいでは油の温度が下がらないということか。ならばと、2枚目の肉を手にして再び強火で1分揚げる。そして、いったんカツを鍋から取り出し火を止める。これで油が冷めるまでしばらく待った。そして再び中火にして、30秒ごとにひっくり返しながら3分揚げる。すると、画像のような見事な揚がり具合になった(写し方が下手なので美味しくなさそうに見えるだろうが)
同じやり方で残る2枚の肉も上手に揚がる、のならば良かったが、2枚のうち1枚はわずかに中心が赤かった。十分に火が通っていなかったのである。その1枚は再び油に入れて揚げたので問題ないけれど、今後またカツを作る際は揚げる時間が課題となるだろう。
ものすごく美味しい揚げ物にするには問題があるかもしれないが、上のような方法で油を冷ましてそこからじっくり揚げれば、平均以上のものが出来上がるだろう。
部屋に帰ってすぐ鍋に油を入れて調理開始だ。肉と一緒に買った「フライパンでできるカツ揚げ粉」(昭和産業株式会社U)の袋の裏に載っている作り方によれば、
(1)パン粉をつけた肉をまず「強火」で高温(170〜180度)の油で30秒から1分揚げる。
(2)そこから「中火」にして、揚げ色を見ながら3〜4分揚げる。
となっている。最初に強火でカラッと揚げてから、低い温度でじわじわと肉に熱を通すということだろう。この辺を念頭に置いて、まずモモ肉を1枚とりだして作ってみた。まず強火で1分ほど揚げる。衣が良い感じの色になってきた。そして火を弱めて3分揚げる、のを待たずして衣が黒く焦げていくではないか!これ以上はまずいと判断し、カツを引き上げた。カツを二つに切って中身を見れば中心まできれいに火は通ってはいる。しかし、表面は真っ黒だからとても成功とはいえない。
油を眺めてみると、火を止めたあとも煙が出ている。火を弱めたくらいでは油の温度が下がらないということか。ならばと、2枚目の肉を手にして再び強火で1分揚げる。そして、いったんカツを鍋から取り出し火を止める。これで油が冷めるまでしばらく待った。そして再び中火にして、30秒ごとにひっくり返しながら3分揚げる。すると、画像のような見事な揚がり具合になった(写し方が下手なので美味しくなさそうに見えるだろうが)
同じやり方で残る2枚の肉も上手に揚がる、のならば良かったが、2枚のうち1枚はわずかに中心が赤かった。十分に火が通っていなかったのである。その1枚は再び油に入れて揚げたので問題ないけれど、今後またカツを作る際は揚げる時間が課題となるだろう。
ものすごく美味しい揚げ物にするには問題があるかもしれないが、上のような方法で油を冷ましてそこからじっくり揚げれば、平均以上のものが出来上がるだろう。
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一気に寒くなり
2006年9月13日暑い暑いと汗をかいていた時期も終わったようだ。今日の京都の最低気温が20度を切ったという。天気もしばらく雨模様らしく、それが過ぎるとまた寒くなるだろう。暑がりの自分にもそろそろ冷房は必要でなくなりつつあるが、窓を開けても風の入ってこない部屋なので、もうしばらくは使うことになるだろう。
それにしても急激に温度が下がったものだ。風邪をひいている人も多いらしい。この調子だと冬もすぐ訪れるだろう。
それにしても急激に温度が下がったものだ。風邪をひいている人も多いらしい。この調子だと冬もすぐ訪れるだろう。
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オレンジ・ジュース「キャント・ハイド・ユア・ラヴ・フォーエヴァー」(82年)
2006年9月12日 CD評など
オレンジ・ジュース CD ポリドール 1998/03/25 ¥1,750フォーリング・アンド・ラフィング
アンタイトルド・メロディ
ワン・ライト
テンダー・オブジェクト
ダイイング・デイ
L.O.V.E.(ラヴ)
インテュエイション・トールド・ミー(パート1)
アップワーズ・アンド・オンワーズ
サテライト・シティ
スリー・チアーズ・フォー・アワ・サイド
コンソレーション・プライズ
フェリシティ
イン・ア・ナットシェル
ユー・オールド・エキセントリック
インテュエイション・トールド・ミー(パート2)
フランツ・フェルディナンドのCDを初めて聴いた時のことを思い出している。彼らのポップなところが単純に惹かれたのだが、具体的にどの辺りが魅力なのかを説明するのはなかなか難しい。しかし、オレンジ・ジュースの影響を彼らが受けているという話を聞けば、自分がフランツを好きになった一因がそれのような気がしてくる。大好きなジョイ・ディヴィジョンの精神が死に絶えることなくモグワイやペイヴメントの中で生きている(生きていた)ように、フランツもまたオレンジ・ジュースの持っていた何かを受け継いでいるのかもしれない。
私が持っているオレンジ・ジュース(Orange Juice)のこの「キャント・ハイド・ユア・ラヴ・フォーエヴァー」は何年か前に中古CD屋で買ったものである。それはいつの頃かははっきり思い出せなけれど97〜99年の間くらいに違いない。その頃の私は「パンク」や「ニュー・ウェーブ」などと言われたミュージシャンのCDを収集していた時期なので、そんな時にこれも手に入れたのだろう。中に入っている解説の日付が91年であり、さらにオレンジ・ジュースの作品が初CD化となり喜んでいるフリッパーズ・ギターの二人(小沢健ニと小山田圭吾)の対談も入っているからつくづく時代を感じてしまう。
活動していた時期に出た4枚のアルバムのうち日本盤は1枚しか発売されなかったという通り、我が国では長らく評価を受けてこなかったバンドだ。しかし英国での彼ら、および彼らの在籍していたレコード・レーベル「ポストカード・レーベル」は、ポスト・パンクとかインディーズといった当時の音楽シーンを象徴する存在の1つのようだ。大手のレコード会社を押しのけてチャートの上位に入った彼らやアズテック・カメラはインディー・レーベルの星だったのだろう。
オレンジ・ジュースが最初に出したこの「キャント・ハイド・ユア・ラヴ・フォーエヴァー」は彼らの代表作であると同時に「ネオ・アコースティック」(略してネオ・アコ)と呼ばれた音楽の代名詞となっている作品だ。私はネオ・アコには特に思い入れはないけれど、このアルバムは確かに傑作だと思う。エドウィン・コリンズのあまり若々しくない歌い方とポップな演奏が絶妙なバランスを取っており、しかも古びていない。現在の感覚では骨董品としか思えない当時の作品が多い中にあってこのアルバムは実に貴重である。
しかし、このアルバムはどうも98年に再発されたきりのようだ。実のところ、現在もそれほど彼らの評価は高くないのかもしれない。紙ジャケットやリマスターでの再発など、パンク誕生30年記念に便乗してどこかが企画しないだろうか。ただ、リマスター云々などしなくても十分に楽しめる水準の作品なので中古でもなんでも手に入れてほしいと言いたい。
アンタイトルド・メロディ
ワン・ライト
テンダー・オブジェクト
ダイイング・デイ
L.O.V.E.(ラヴ)
インテュエイション・トールド・ミー(パート1)
アップワーズ・アンド・オンワーズ
サテライト・シティ
スリー・チアーズ・フォー・アワ・サイド
コンソレーション・プライズ
フェリシティ
イン・ア・ナットシェル
ユー・オールド・エキセントリック
インテュエイション・トールド・ミー(パート2)
フランツ・フェルディナンドのCDを初めて聴いた時のことを思い出している。彼らのポップなところが単純に惹かれたのだが、具体的にどの辺りが魅力なのかを説明するのはなかなか難しい。しかし、オレンジ・ジュースの影響を彼らが受けているという話を聞けば、自分がフランツを好きになった一因がそれのような気がしてくる。大好きなジョイ・ディヴィジョンの精神が死に絶えることなくモグワイやペイヴメントの中で生きている(生きていた)ように、フランツもまたオレンジ・ジュースの持っていた何かを受け継いでいるのかもしれない。
私が持っているオレンジ・ジュース(Orange Juice)のこの「キャント・ハイド・ユア・ラヴ・フォーエヴァー」は何年か前に中古CD屋で買ったものである。それはいつの頃かははっきり思い出せなけれど97〜99年の間くらいに違いない。その頃の私は「パンク」や「ニュー・ウェーブ」などと言われたミュージシャンのCDを収集していた時期なので、そんな時にこれも手に入れたのだろう。中に入っている解説の日付が91年であり、さらにオレンジ・ジュースの作品が初CD化となり喜んでいるフリッパーズ・ギターの二人(小沢健ニと小山田圭吾)の対談も入っているからつくづく時代を感じてしまう。
活動していた時期に出た4枚のアルバムのうち日本盤は1枚しか発売されなかったという通り、我が国では長らく評価を受けてこなかったバンドだ。しかし英国での彼ら、および彼らの在籍していたレコード・レーベル「ポストカード・レーベル」は、ポスト・パンクとかインディーズといった当時の音楽シーンを象徴する存在の1つのようだ。大手のレコード会社を押しのけてチャートの上位に入った彼らやアズテック・カメラはインディー・レーベルの星だったのだろう。
オレンジ・ジュースが最初に出したこの「キャント・ハイド・ユア・ラヴ・フォーエヴァー」は彼らの代表作であると同時に「ネオ・アコースティック」(略してネオ・アコ)と呼ばれた音楽の代名詞となっている作品だ。私はネオ・アコには特に思い入れはないけれど、このアルバムは確かに傑作だと思う。エドウィン・コリンズのあまり若々しくない歌い方とポップな演奏が絶妙なバランスを取っており、しかも古びていない。現在の感覚では骨董品としか思えない当時の作品が多い中にあってこのアルバムは実に貴重である。
しかし、このアルバムはどうも98年に再発されたきりのようだ。実のところ、現在もそれほど彼らの評価は高くないのかもしれない。紙ジャケットやリマスターでの再発など、パンク誕生30年記念に便乗してどこかが企画しないだろうか。ただ、リマスター云々などしなくても十分に楽しめる水準の作品なので中古でもなんでも手に入れてほしいと言いたい。
効果抜群!「ブラックキャップ」(アース製薬)
2006年9月11日 日常
ここ数日ずっとゴキブリに悩まされていた。何か対策を立てなければとドラッグストアを物色していると、この「ブラックキャップ」が目に入る。部屋中に12個もばらばけて598円だったので、今回はこれにすることにした。
台所の棚や引き出しにポンポンとばらまいて一晩待ってみた。もう3日ほど経つが効果は抜群である。いまのところ4匹のゴキブリがひっくり返っているのを見つけた。
アース製薬を宣伝しても私に何もメリットは無いのだが、目に見えるほどの成果があがって嬉しかったりする。
台所の棚や引き出しにポンポンとばらまいて一晩待ってみた。もう3日ほど経つが効果は抜群である。いまのところ4匹のゴキブリがひっくり返っているのを見つけた。
アース製薬を宣伝しても私に何もメリットは無いのだが、目に見えるほどの成果があがって嬉しかったりする。
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