お酒との付き合い方について
2008年7月23日 日常大っぴらに書くのは気がひけるけれど、今年に入ってから酒のせいで2回ほどつぶれている。また、つぶれかかった時も何度かある。
あまりにマズい状態が続いているため、お酒の飲み方について色々と考えることが多い。実をいうと、酒を飲むにあたって私は一つの原則を立てている。
それは、「楽しく飲む」ということだ。これを裏返すと「楽しくなければ飲まない」となる。この原則を貫くために秘かに工夫や努力もしている。
その一つに、「気の進まない宴席には出席しない」というのがある。これを出来ない人はけっこう多いだろう。しかし私はもともと人間関係についてドライなためお誘いを断るのは平気である。ただ、サラリーマンという立場なので人事異動の時期には歓送迎会などお付き合いはある。これはなかなかキッパリというわけにはいかない。そこで(基本的に)1次会しか参加しないと決めている。こうした線引きはけっこう効果的だ。
日垣隆さん(作家・ジャーナリスト)は著書「ラクをしないと成果は出ない」(大和書房。08年)の中で、仕事がらみでお酒を飲む国は韓国、台湾、中国、日本の4ヶ国だけであると紹介しながら、
「やめたことのストレスがお酒の害より上回るなら禁酒する必要はありませんが、少なくとも仕事の場に持ち込む習慣は、今後は改めたほうが良いでしょう。」(p.207)
と提言している。接待など仕事に酒が絡む場面は日本の社会から無くならないだろう。しかし、お酒によって仕事がうまく運ぶようなこともないと私も思う。
そもそも、仕事の付き合いで飲む酒なんて楽しくもなんともない。そういう感覚を養うことの方が大事ではないか。
そう言いながらも私はまだお酒を「楽しく飲む」境地には至っていない。目下の課題がある。それは「節度をもって飲む」ということだ。露骨にいうと「つぶれるまでは飲まない」である。今の私にはこれができない。目の前にある酒はどんどん飲んでしまうからだ。ゆっくり飲むことも苦手である。それでつぶれてしまう。
それでも最近は、徐々にではあるけれど、飲む量やペースを抑えつつある。果たして本当に「楽しく飲む」日が私に訪れるだろうか。訪れてほしいんだけどね。
あまりにマズい状態が続いているため、お酒の飲み方について色々と考えることが多い。実をいうと、酒を飲むにあたって私は一つの原則を立てている。
それは、「楽しく飲む」ということだ。これを裏返すと「楽しくなければ飲まない」となる。この原則を貫くために秘かに工夫や努力もしている。
その一つに、「気の進まない宴席には出席しない」というのがある。これを出来ない人はけっこう多いだろう。しかし私はもともと人間関係についてドライなためお誘いを断るのは平気である。ただ、サラリーマンという立場なので人事異動の時期には歓送迎会などお付き合いはある。これはなかなかキッパリというわけにはいかない。そこで(基本的に)1次会しか参加しないと決めている。こうした線引きはけっこう効果的だ。
日垣隆さん(作家・ジャーナリスト)は著書「ラクをしないと成果は出ない」(大和書房。08年)の中で、仕事がらみでお酒を飲む国は韓国、台湾、中国、日本の4ヶ国だけであると紹介しながら、
「やめたことのストレスがお酒の害より上回るなら禁酒する必要はありませんが、少なくとも仕事の場に持ち込む習慣は、今後は改めたほうが良いでしょう。」(p.207)
と提言している。接待など仕事に酒が絡む場面は日本の社会から無くならないだろう。しかし、お酒によって仕事がうまく運ぶようなこともないと私も思う。
そもそも、仕事の付き合いで飲む酒なんて楽しくもなんともない。そういう感覚を養うことの方が大事ではないか。
そう言いながらも私はまだお酒を「楽しく飲む」境地には至っていない。目下の課題がある。それは「節度をもって飲む」ということだ。露骨にいうと「つぶれるまでは飲まない」である。今の私にはこれができない。目の前にある酒はどんどん飲んでしまうからだ。ゆっくり飲むことも苦手である。それでつぶれてしまう。
それでも最近は、徐々にではあるけれど、飲む量やペースを抑えつつある。果たして本当に「楽しく飲む」日が私に訪れるだろうか。訪れてほしいんだけどね。
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映画「JOY DIVISION ジョイ・ディヴィジョン」を観る
2008年7月20日 CD評など
厳密には昨日(7月19日)の話である。しかし「ダーウィン展」とは別にして書きたい内容なのでこの日に書かせてほしい。
ダーウィン展から帰ってしばらく部屋で休み、午後8時ごろ再び電車に乗って東寺へ向かう。駅から西へ150mのところにある「京都みなみ会館」という映画館へ行くためだ。
http://www.rcsmovie.co.jp/
会場は定員165人と非常に小さい。ここで今夜から1週間、ドキュメント映画「JOY DIVIION ジョイ・ディヴィジョン」が上映される。それを見るためにやって来た。始まるのが午後9時15分というのは私の生活から考えれば遅すぎる。しかし京都ではここでしか観られないから文句もいえない。いや、あまり有名でもないバンドのドキュメント映画を流してくれるのだから感謝するしかないだろう。
映画の公式サイトもある。
http://joydivision-mv.com/
内容は名前の通りマンチェスターが生んだバンド、ジョイ・ディヴィジョンの誕生から消滅(つまり中心人物のイアン・カーティスが自殺するまで)を追ったドキュメンタリーである。彼らがどんなバンドかは映画の公式サイトに載っているので興味のある方は参照してほしい。
冒頭はマンチェスターの町並みが映しだされる。とても暗い工業都市だという噂は聞いていたけれど、実際に映像を目の当たりをすると想像以上に陰惨な風景に驚く。そこにジョイ・ディヴィジョンのあの音楽が流れる。映画の登場人物の一人であるアニーク・オノレ(イアンの愛人だった人)が「私たちの環境音楽」と称していたのは非常に納得がいく。ジョイ・ディヴィジョンの音楽はマンチェスターの風景を実にリアルに映し出していたのである(もちろん、そればかりが彼らの魅力ではないけれど)。
彼らが所属していたレコード・レーベル「ファクトリー」の創始者、トニー・ウィルソン(2007年8月10日、肝臓ガンで逝去)も映画の中でこう言っている。
「これはただのバンドの物語ではなくて、マンチェスターという街の栄光と衰退の物語だ。
かつて輝き、革命的であったにも関わらず、その輝きを失ってしまった街の・・・」
当時のことを語ってくれるのは残されたバンドのメンバー(つまりニュー・オーダー)、「アンノウン・プレジャーズ」や「クローサー」のアルバムジャケットを手がけたデザイナーのピーター・サヴィルなどイアンの周辺にいた人たち、そしてピート・シェリー(バズコックス)やジェネシス・P・オリッジ(スロッビング・グリスル、サイキックTV)といったミュージシャンまで登場する。パンクやニュー・ウェーブについて興味のある人にとってはなかなか魅力的な顔ぶれだ。
しかしなんといっても貴重なのは、ステージで動くイアンの姿だろう。それほど多くは出てこないものの、たとえば”トランスミッション”の鬼気迫るパフォーマンスはイアンの以前も以後も観られないものに違いない。この辺を体験できただけでもこの映画を観る価値はある。
映画館のお客は想像していた通り少なかった。私を含めて20人もいなかっただろう。客層はバラバラで、外国人もいたし中年の人もいたし、私くらいの年代の人もいた。しかし、みんなジョイ・ディヴィジョンに何らかの思い入れを抱いているのだろう。でなければこんな時間に彼らのドキュメント映画を観にくるはずがない。
それにしても、イアンをモデルにした映画「コントロール」やこのドキュメントなど、ジョイ・ディヴィジョンを扱ったものが続く。CDでも過去の作品がデラックス・エディションで再発されたりもしている。果たしていまでも彼らの音楽はこの世界でもリアルに響いているのだろうか。私としてはそうあって欲しいけれど、世間がどう思っているかはよくわからない。ただ、映画であれCDであれ、彼らに光が当たる場面が出てくるのは素直に喜びたい。
映画が終わった時は11時になる直前だった。余韻にひたる暇もなく、いそいでパンフレット(800円)を買って、近鉄電車で家路へ向かった。
ダーウィン展から帰ってしばらく部屋で休み、午後8時ごろ再び電車に乗って東寺へ向かう。駅から西へ150mのところにある「京都みなみ会館」という映画館へ行くためだ。
http://www.rcsmovie.co.jp/
会場は定員165人と非常に小さい。ここで今夜から1週間、ドキュメント映画「JOY DIVIION ジョイ・ディヴィジョン」が上映される。それを見るためにやって来た。始まるのが午後9時15分というのは私の生活から考えれば遅すぎる。しかし京都ではここでしか観られないから文句もいえない。いや、あまり有名でもないバンドのドキュメント映画を流してくれるのだから感謝するしかないだろう。
映画の公式サイトもある。
http://joydivision-mv.com/
内容は名前の通りマンチェスターが生んだバンド、ジョイ・ディヴィジョンの誕生から消滅(つまり中心人物のイアン・カーティスが自殺するまで)を追ったドキュメンタリーである。彼らがどんなバンドかは映画の公式サイトに載っているので興味のある方は参照してほしい。
冒頭はマンチェスターの町並みが映しだされる。とても暗い工業都市だという噂は聞いていたけれど、実際に映像を目の当たりをすると想像以上に陰惨な風景に驚く。そこにジョイ・ディヴィジョンのあの音楽が流れる。映画の登場人物の一人であるアニーク・オノレ(イアンの愛人だった人)が「私たちの環境音楽」と称していたのは非常に納得がいく。ジョイ・ディヴィジョンの音楽はマンチェスターの風景を実にリアルに映し出していたのである(もちろん、そればかりが彼らの魅力ではないけれど)。
彼らが所属していたレコード・レーベル「ファクトリー」の創始者、トニー・ウィルソン(2007年8月10日、肝臓ガンで逝去)も映画の中でこう言っている。
「これはただのバンドの物語ではなくて、マンチェスターという街の栄光と衰退の物語だ。
かつて輝き、革命的であったにも関わらず、その輝きを失ってしまった街の・・・」
当時のことを語ってくれるのは残されたバンドのメンバー(つまりニュー・オーダー)、「アンノウン・プレジャーズ」や「クローサー」のアルバムジャケットを手がけたデザイナーのピーター・サヴィルなどイアンの周辺にいた人たち、そしてピート・シェリー(バズコックス)やジェネシス・P・オリッジ(スロッビング・グリスル、サイキックTV)といったミュージシャンまで登場する。パンクやニュー・ウェーブについて興味のある人にとってはなかなか魅力的な顔ぶれだ。
しかしなんといっても貴重なのは、ステージで動くイアンの姿だろう。それほど多くは出てこないものの、たとえば”トランスミッション”の鬼気迫るパフォーマンスはイアンの以前も以後も観られないものに違いない。この辺を体験できただけでもこの映画を観る価値はある。
映画館のお客は想像していた通り少なかった。私を含めて20人もいなかっただろう。客層はバラバラで、外国人もいたし中年の人もいたし、私くらいの年代の人もいた。しかし、みんなジョイ・ディヴィジョンに何らかの思い入れを抱いているのだろう。でなければこんな時間に彼らのドキュメント映画を観にくるはずがない。
それにしても、イアンをモデルにした映画「コントロール」やこのドキュメントなど、ジョイ・ディヴィジョンを扱ったものが続く。CDでも過去の作品がデラックス・エディションで再発されたりもしている。果たしていまでも彼らの音楽はこの世界でもリアルに響いているのだろうか。私としてはそうあって欲しいけれど、世間がどう思っているかはよくわからない。ただ、映画であれCDであれ、彼らに光が当たる場面が出てくるのは素直に喜びたい。
映画が終わった時は11時になる直前だった。余韻にひたる暇もなく、いそいでパンフレット(800円)を買って、近鉄電車で家路へ向かった。
「ダーウィン展」、観るなら今だ
2008年7月19日
世間では3連休というこの土日月である。私はど真ん中の日曜だけ出勤という変則的な予定だ。とはいえ、休めるわけだしどこかへ行こうと前から考えていた。そこで目をつけていたのが、本日から始まる「ダーウィン展」大阪展である。
公式サイトはこちら。
http://www.darwin2008.jp/
会場は長居公園の中にある「大阪市立自然史博物館」というところだ。スポーツにとんと興味のない人間なので長居は初めてだったけれど、会場には簡単にたどり着くことができた。京阪で淀屋橋まで行き、地下鉄御堂筋線に乗り換えて南下すれば10分ほどである。ただし、駅から博物館までは500メートルほど離れているのはこの真夏日には痛い話だった。
東京では20万人を超える来場者と書いてあるけれど、さすがに初日はあまり人がいなかった。炎天下で係員が暇そうに入口で立っている。しかし、こんな暑いに外で人員整理をするのはキツいだろう。人が少ないのは、彼らにとっては、まだ幸いかもしれない。
本音を言うと、あまり中身には期待してなかった。公式サイトを観るかぎりでは標本くらいしか無いだろうと思っていたからだ。だが実際に会場に入ると非常に興味をそそられ、1時間くらいは中でいろいろ観てしまう。
何が良かったかといえば、まず説明文だろう。ダーウィンの業績や生涯などを簡潔にまとめた文が、大きな字で壁に書かれていて非常に読みやすい。ダーウィンがどのような研究をして「種の起源」を発表していったかが実にわかりやすく展示されている。また、豊富な動物の標本なども好奇心を刺激された。
また、博物館の常設展示も充実している。ほ乳類や昆虫の標本なども膨大な数が展示されているし、ナマズやドンコやタナゴといった川魚が水槽にいたりして面白い。こちらだけでもかなり楽しめるだろう。
といっても、東京のように何万と入場者が詰めかけるようになったらじっくり観ることはできまい。中身も良いし、大阪展もこれからは人数も膨らんでいく可能性は高いだろう。
興味をもっている方は今のうちに、と言っておきたい。
公式サイトはこちら。
http://www.darwin2008.jp/
会場は長居公園の中にある「大阪市立自然史博物館」というところだ。スポーツにとんと興味のない人間なので長居は初めてだったけれど、会場には簡単にたどり着くことができた。京阪で淀屋橋まで行き、地下鉄御堂筋線に乗り換えて南下すれば10分ほどである。ただし、駅から博物館までは500メートルほど離れているのはこの真夏日には痛い話だった。
東京では20万人を超える来場者と書いてあるけれど、さすがに初日はあまり人がいなかった。炎天下で係員が暇そうに入口で立っている。しかし、こんな暑いに外で人員整理をするのはキツいだろう。人が少ないのは、彼らにとっては、まだ幸いかもしれない。
本音を言うと、あまり中身には期待してなかった。公式サイトを観るかぎりでは標本くらいしか無いだろうと思っていたからだ。だが実際に会場に入ると非常に興味をそそられ、1時間くらいは中でいろいろ観てしまう。
何が良かったかといえば、まず説明文だろう。ダーウィンの業績や生涯などを簡潔にまとめた文が、大きな字で壁に書かれていて非常に読みやすい。ダーウィンがどのような研究をして「種の起源」を発表していったかが実にわかりやすく展示されている。また、豊富な動物の標本なども好奇心を刺激された。
また、博物館の常設展示も充実している。ほ乳類や昆虫の標本なども膨大な数が展示されているし、ナマズやドンコやタナゴといった川魚が水槽にいたりして面白い。こちらだけでもかなり楽しめるだろう。
といっても、東京のように何万と入場者が詰めかけるようになったらじっくり観ることはできまい。中身も良いし、大阪展もこれからは人数も膨らんでいく可能性は高いだろう。
興味をもっている方は今のうちに、と言っておきたい。
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渡辺美里「ribbon」(88年)
2008年7月13日 渡辺美里
(1)センチメンタルカンガルー
(2)恋したっていいじゃない
(3)さくらの花の咲くころに
(4)Believe(Remix Version)
(5)シャララ
(6)19歳の秘かな欲望(The Lover Soul Version)
(7)彼女の彼
(8)ぼくでなくっちゃ
(9)Tokyo Calling
(10)悲しいね(Remix Version)
(11)10 years
先日のブログでこのアルバムについて述べているうちに、発売してから20年も経っていることに気づいてしまった。私が小学生だった80年代は遥か遠い昔である。
この「ribbon」はそんな80年代の邦楽を代表する1枚といえるかもしれない。なにしろ当時としては異例のミリオンセラーを記録したのだから。当時のキャッチコピーは、
「戦後最大のPOPアルバム」
というものだった。その大仰なフレーズにシラケた人もいただろう。しかし、このアルバムや当時の美里に対してそれだけの冠をつけてもおかしくはない、と私は今でも思っている。
91年に渡辺美里を本格的に聴き始めた私にとって「ribbon」は残念ながらリアルタイムで接したわけではない。それでもこのアルバムは彼女の作品の中で3指に入るものだ。それくらい強い思い入れを持っている。最高傑作は人によって好みは分かれるだろう。しかし彼女のファンで「ribbon」を否定する人はおそらくいない。なぜならば「ribbon」は「歌手」という枠を超えて「表現者」としての渡辺美里を確立した作品だからだ。このアルバムを抜きにして渡辺美里は語れない。
1枚目の「eyes」(85年)、そしてあの“My Revolution”が入っている2枚目の「Lovin you」(86年)の時点で彼女は表向きにはプロデューサーに入っていない。またこの時期はもっぱら他人の提供する歌詞を歌っていた。そのこと自体は否定するものではない。ただ、ここまでの彼女の役割はもっぱら「歌手」としてのものだったということを指摘したいだけである。
3枚目の「Breath」(87年)よりプロデューサーで彼女も名前を連ねる。そして歌詞は自身の作詞のみになった。つまり、歌だけでなく歌詞においても自身の個性を押し出していくように変化していったわけだ。美里の「表現者」としての出発といえよう。「Breath」は10代や20代の若者が持つ心情が鮮やかに刻み込まれた傑作ではある。しかし、ここでもまだ彼女の個性が全開したとはいえないだろう。作品の持つエネルギーは圧倒的なものの、そのベクトルは内に向かっている。それが魅力的であると思う時もあれば、痛々しく感じる瞬間もある。
これと比較してみると、「ribbon」も強いエネルギーの出ているアルバムであるけれどその方向は外へ広がっている。平たく言うと非常に開放的で風通しの良いアルバムに仕上がっているのだ。だからこそこれほどのセールスを記録したのだろう。
それでは「ribbon」をもって確立された彼女の個性とは何だろうか。それは私の言葉で「写実性」と表現したい。ここではこの「写実性」というものを軸にして渡辺美里と「ribbon」について書いてみたい。
いままで彼女について写実性という観点から述べた文章は見たことがない。けれど、私は10代の時から渡辺美里を写実的な表現者だと感じていた。いまもその印象は変わっていない。そして「ribbon」はその典型的な作品だと位置づけている。
論拠を示すため、「ribbon」の歌詞カードに載っている彼女の文章を取り上げたい。この21行の文章にアルバムの中身が見事に凝縮されている。
「私には手紙を通じての友だちがたくさんいます。
レコードを出す前からの友だち。
真夜中のラジオの生放送にハガキを送ってくれた友だち。
外国からのエアメイルをくれる友だち。
今もその頃の手紙を読み返したりすると
一緒にうれしくなったり時には悲しくなったり
また励まされたりします。
そんな人たちの現在を想いながら
いくつかの歌をつくってみました。
みんなとの結び目になればそしてありがとうの想いをこめて
このレコード「ribbon」を捧げます。
91匹のTinyカンガルー
右あがりの丸い文字の君、因数分解を教えてくれた君
やさしい目をしたティーンエイジママ
ファーストフードのレジ笑顔でたたいている君
彼女の彼、れんげ草をつんでくれた君
朝刊を運ぶ少年、よくにた瞳をした恋人
街を歩くピノキオ、歩はばをあわせて歩いてくれた君
汚れたシューズ、よれよれのシャツの君
屋上に腰かけて檸檬かじった君
そして、全てのセンチメンタルカンガルーへ」
アルバムを聴いている人には、この文章から音が聴こえてくる気がしてこないだろうか。たとえ聴いたことのない人でも、どんなアルバムかイメージが湧いてくるのではないか。
たわいものないことが書いてると思う人もいるかもしれない。しかしこうしたたわいもなさが「ribbon」の本質である。「Breath」は大人の世界を目の前にして苦悩している若者が主に描かれていたのに対し、「ribbon」の登場人物はどこにでもいる街の人たちだ。そんな何気ない光景が彼女の手によって普遍的で鮮やかな11編の歌に変わっている。前作と比べて彼女の視点がずっと細やかになったことがうかがえよう。
渡辺美里という人は非常に簡潔にわかりやすく情景を描くのが上手な表現者である(であった、という方が適切だろうか)。しかしこうした彼女の才能を指摘する人を見たことがない。それはファンもアンチも同じである。たとえば意識的な音楽ファンや音楽ライターといった人たちは芸術家くずれのような人が多く、意味不明なものをありがたがり、いわゆる「わかりやすい」作品は「単純」などとレッテルを貼り敬遠するきらいがある。さらにはライター自身も訳のわからない文章を書いて自己満足しているから余計にタチが悪い。「わかりやすい表現」を嫌うのは一向に構わない。それは各人の趣味の問題だから。ただそれが悪いとか駄目だとか言って批判するのは浅薄な話であるということだけは言いたい。
人にパッと伝わるような表現をするのは簡単なことではない。ましてや文章や言葉ではなく音楽をもってするのはいっそう困難な作業である。それを自覚している人は残念ながら本当に少ない。知名度も評価も得られぬまま一生を終わってしまうであろう音楽ライターの皆さんは果たして他人に伝達可能な文章を書いているだろうか。一度は振り返ってみることをお勧めしたい。
本題が外れてしまった。私が強調したいのは、渡辺美里は写実的で鮮やかな光景を提示できる数少ない表現者であるということだ。いや個人的には彼女以外に私は知らない。だから今でも彼女を追いかけざるをえないのだ。昔のようなライブや作品は望めないにしても、代わりになる人がいないのだから仕方ない。
せっかくの機会だから色々書いてみたい。実は、美里のCDを聴くたびに恐れていることがある。10代に心を振るわせた音楽が年を経るごとに色あせていくのではないだろうか、という不安だ。
正直に言うと、歌詞については10代の頃にもっと共感していたような気がする。年をくってしまった自分には縁遠くなった部分が多くなったからだろう。しかしそれは仕方ない話である。そもそもロックやポップスというのはもともと若者のために作られた音楽なのだから。年齢を重ねたため作品に共感できなくなるというのは当然の現象である。それを駄目だという輩は何か勘違いしている。おじさんおばさんの身になってもまだロックやポップスに異様な執着をしているほうがよほど世間ズレているのだから。
ただ、音や歌声は色あせていないのにはホッとする。彼女の声がもつ力強さややさしさ、“さくらの花の咲くころに”の美しい情景、“恋したっていいじゃない”の可愛らしさ、“10 years”を聴く時のなんともいえない心境などはいまだに力を失っていない。
せめて彼女の歌の力だけはこのまま失わないで欲しいと願う。そして、このまま自分の人生が終わるまで、アルバムの輝きは消えないでほしい。私としては渡辺美里の作品をずっと座右に置きたいのである。
今年は20周年ということでデラックス・エディションなど出てくれたら、という思いもある。昔のライブ音源なんて追加されたら感涙ものだろう。といっても、BOOK OFFあたりで二束三文で売られているような状態では望むだけ無理な話だ。それならせめて、このような音楽を求めている人の手に渡ってほしいと願う。
思い入れの強い作品なので、最後に1曲ずつ簡単な感想などを記したい。ちなみにアルバムは88年5月28日に発売され、初登場1位を記録しそのまま4週連続で首位にとどまった。
【曲目解説】
(1)センチメンタルカンガルー(作詞:渡辺美里、作曲・編曲:佐橋佳幸)
88年7月21日、11枚目のシングルとなった曲。最高順位9位、8万枚を売り上げる。缶コーヒー「UCC」のCMにも使われた。「センチメンタルカンガルー」という印象的な言葉は彼女の造語で特に意味はないようだ。こうした一つ一つのフレーズに彼女の言葉に対する感覚の鋭さを感じるけれど、皆さんはいかがだろうか。
(2)恋したっていいじゃない(作詞:渡辺美里、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
88年4月21日、10枚目のシングル。最高位2位、24万6千枚を売り上げる。この曲も缶コーヒー「UCC」のCMにも起用された。アルバムの中で最もスピード感がある曲だ。歌詞のテーマはタイトルの通りのものだ。しかし、サビの「D.A.T.E!」などの可愛いらしいフレーズが随所にあったり、
「ルーズな街のインチキに打ちのめされても
流行のスタイルに流されないよ」
といった登場人物の芯の強い部分が見え隠れしたりと、単にハードでポップな曲にとどまらぬ鮮やかな世界を築いている。いまでもライブで披露されれば盛り上がる。彼女の代表曲の一つといえよう。
(3)さくらの花の咲くころに(作詞:渡辺美里、作曲:木根尚登、編曲:清水信之)
シングル曲ではないけれどファンの間では人気が高い。さくらの花の咲くころには、風の強い日には自分を思い出してほしいと呼びかける。春の光景を美しくやさしい視点で描いていて、こうした曲は前作までにはなかった。また2曲目とはうって変わって、アコースティックギターを主体にしたゆったりした曲調なのも印象を強めているような気がする。
(4)Believe(Remix Version)(作詞:渡辺美里、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗)
86年10月22日にはすでにシングルとして出ている。最高2位、20万6千枚を売り上げた。TBS系ドラマ「痛快!OL通り」の主題歌に使われた。時期的には「Breath」であるけれどなぜかこのアルバムに収録された。歌詞も曲調も「Breath」の世界に近い。さっきは春の歌だがこちらは冬、しかも張りつめたような寒さを感じる曲である。しかし、むしろ清々しい印象を与えるのは彼女のキャラクターによるものだろう。いま思ったが、彼女は四季というものも歌にきっちりと描いている傾向も強い。この曲もその一端を示す作品である。
(5)シャララ(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:佐橋佳幸・西平彰)
冒頭の「ウォーウォー」やサビの「シャララララララ」などコーラス(クレジットに「荒川少年少女合唱隊」という名前もある)に力を入れている。歌詞については、これから新しい出発をしようとしている人に向けているようだ。ただ、それよりもコーラスを含めた楽しい雰囲気に浸ったほうが正解だろう。聴くたびに気持ちが高揚させられる。また、
「教室のだれより 大人びた girl friend
今はやさしい目をしてる teenage mama ね
路地裏のヒーロー 憧れた girl friend
ファーストフードのレジ 笑顔でたたいている」
という若者に対する彼女の柔らかい視点も魅力的だ。
(6)19歳の秘かな欲望(The Lover Soul Version)(作詞:戸沢暢美、作曲:岡村靖幸、編曲:佐橋佳幸)
アルバムで唯一、彼女の作詞ではない作品だ。もともとは2枚目のアルバム「Lovin you」(86年)に入っていたものを再録音している。なぜそうしたか理由はよくわからないけど、過剰なくらい大仰なアレンジに変化してしまった。92年までの彼女はこの曲をライブで歌うたび、マイクなしで会場に生声を披露し強烈な印象を与えてきた。ノドに負担がかかるパフォーマンスだったためか、今ではもうこの曲を歌っていない。かつての彼女のライブを観た人にはこの曲は忘れられないだろう。
(7)彼女の彼(作詞:渡辺美里、作曲・編曲:佐橋佳幸)
歌詞の中に「カセット(テープ)」というフレーズが出てくる。当時はまだCDが出始めている時代だったのを覚えている人はどれほどいるだろう。明日から「彼女の彼」になるという好きな人に、今日だけは恋人のふりをして歩いて、と願う曲。たぶん生で聴く機会はないと勝手に思っていたけれど、06年7月22日に山梨県の山中湖畔でおこなわれたライブで披露された。客席からワーッと歓声があがったのをいまでも覚えている。
(8)ぼくでなくっちゃ(作詞・作曲:渡辺美里、編曲:清水信之)
シングル“センチメンタルカンガルー”のカップリング曲で収録されている。これは作曲も彼女自身がしている。
歌詞は、
「夜明け前ひとり
歩道橋にすわり
朝刊を運ぶ
少年をみている」
という朝の光景で始まる。伴奏はキーボードとピアノだけという非常に簡素な編成だ。音も曲調もゆったりしていてやさしい雰囲気に包まれている。
(9)Tokyo Calling(作詞:渡辺美里、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
曲名はクラッシュ(The Clash)の「London Calling」をもじったものだろう。ただ2つの曲に関連性は全くない。強いて挙げるとすれば、歌詞に少し社会性のあるテーマを取り扱っている点くらいだろうか。
高速道路の建設のために自然が破壊されていく高尾山(東京都)のことテーマにしているそうだ。ロケットの発射音やサイレンが冒頭に入るなど異色な印象を与えるものの、メッセージ性という点では特に強く感じるものはない。メッセージソングと解するより、破壊されていく世界の美しさのようなものを淡々と描いた作品と捉えたい。
「自然だけが息をしていた土手の上にも
容赦のないセメントが流し込まれる」
という感傷的な歌詞よりも、
「あの頃 きみはぼくにれんげ草をつんでくれた」
といった1行がずっと自分には残っている。どこかのブログで、このフレーズが好きだ、という人がいて嬉しかった。それは私も大いに共感するところだ。この曲も再演されることはないと勝手に思っていたけれど、07年7月29日に横浜でおこなったライブで突如うたわれてファンを驚かせた。
(10)悲しいね(Remix Version)(作詞:MISATO、作曲・編曲:小室哲哉)
87年12月9日に9枚目のシングルとして発売された曲。最高順位2位、17万5千枚を記録している。“Believe”と同じく冬の歌で、これもライブで披露される機会はいまでも結構ある。人気は高いと思われるけれど、私はいまひとつ好きになれない。悲しい悲しい、と落ち込んでいくばかりで彼女らしい上向きな部分(歌詞ではなくて、歌い方や声などの点で)が希薄に感じるからだ。ただライブ、たとえば「スタジアム伝説」(92年)でバイオリンだけをバックにこの曲を歌う姿には圧倒された。
(11)10 years(作詞:渡辺美里、作曲:大江千里、編曲:有賀啓雄)
初出はこのアルバムであるけれど、88年10月21日に出た12枚目のシングル“君の弱さ”のカップリング曲としても収録されている。ファンには改めて説明するまでもないけれど、現在のライブではほぼ確実に歌われる、“My Revolution”と双璧をなす彼女の代表曲だ。また、作曲した大江千里もいつの頃か自分でも歌うようになった。
「10年」という時間をテーマにした曲で、
「あれから10年も
この先10年も」
というフレーズは年をつれて重みが増しているような気がする。「あれから」の10年を振り返り、「この先」の10年をどうするか、そんなことをあれこれ悩んだりするのを止めることはできそうにない。こうした人間の業のようなものがこの曲には含まれている。それが彼女の歌声と相まって多くの人の心に残る作品となったのであろう。おそらくこの曲を聴いて何も感じない人は渡辺美里に縁はない。彼女の全てではないにしろ、渡辺美里の核となる大事な部分が詰まっている。
(2)恋したっていいじゃない
(3)さくらの花の咲くころに
(4)Believe(Remix Version)
(5)シャララ
(6)19歳の秘かな欲望(The Lover Soul Version)
(7)彼女の彼
(8)ぼくでなくっちゃ
(9)Tokyo Calling
(10)悲しいね(Remix Version)
(11)10 years
先日のブログでこのアルバムについて述べているうちに、発売してから20年も経っていることに気づいてしまった。私が小学生だった80年代は遥か遠い昔である。
この「ribbon」はそんな80年代の邦楽を代表する1枚といえるかもしれない。なにしろ当時としては異例のミリオンセラーを記録したのだから。当時のキャッチコピーは、
「戦後最大のPOPアルバム」
というものだった。その大仰なフレーズにシラケた人もいただろう。しかし、このアルバムや当時の美里に対してそれだけの冠をつけてもおかしくはない、と私は今でも思っている。
91年に渡辺美里を本格的に聴き始めた私にとって「ribbon」は残念ながらリアルタイムで接したわけではない。それでもこのアルバムは彼女の作品の中で3指に入るものだ。それくらい強い思い入れを持っている。最高傑作は人によって好みは分かれるだろう。しかし彼女のファンで「ribbon」を否定する人はおそらくいない。なぜならば「ribbon」は「歌手」という枠を超えて「表現者」としての渡辺美里を確立した作品だからだ。このアルバムを抜きにして渡辺美里は語れない。
1枚目の「eyes」(85年)、そしてあの“My Revolution”が入っている2枚目の「Lovin you」(86年)の時点で彼女は表向きにはプロデューサーに入っていない。またこの時期はもっぱら他人の提供する歌詞を歌っていた。そのこと自体は否定するものではない。ただ、ここまでの彼女の役割はもっぱら「歌手」としてのものだったということを指摘したいだけである。
3枚目の「Breath」(87年)よりプロデューサーで彼女も名前を連ねる。そして歌詞は自身の作詞のみになった。つまり、歌だけでなく歌詞においても自身の個性を押し出していくように変化していったわけだ。美里の「表現者」としての出発といえよう。「Breath」は10代や20代の若者が持つ心情が鮮やかに刻み込まれた傑作ではある。しかし、ここでもまだ彼女の個性が全開したとはいえないだろう。作品の持つエネルギーは圧倒的なものの、そのベクトルは内に向かっている。それが魅力的であると思う時もあれば、痛々しく感じる瞬間もある。
これと比較してみると、「ribbon」も強いエネルギーの出ているアルバムであるけれどその方向は外へ広がっている。平たく言うと非常に開放的で風通しの良いアルバムに仕上がっているのだ。だからこそこれほどのセールスを記録したのだろう。
それでは「ribbon」をもって確立された彼女の個性とは何だろうか。それは私の言葉で「写実性」と表現したい。ここではこの「写実性」というものを軸にして渡辺美里と「ribbon」について書いてみたい。
いままで彼女について写実性という観点から述べた文章は見たことがない。けれど、私は10代の時から渡辺美里を写実的な表現者だと感じていた。いまもその印象は変わっていない。そして「ribbon」はその典型的な作品だと位置づけている。
論拠を示すため、「ribbon」の歌詞カードに載っている彼女の文章を取り上げたい。この21行の文章にアルバムの中身が見事に凝縮されている。
「私には手紙を通じての友だちがたくさんいます。
レコードを出す前からの友だち。
真夜中のラジオの生放送にハガキを送ってくれた友だち。
外国からのエアメイルをくれる友だち。
今もその頃の手紙を読み返したりすると
一緒にうれしくなったり時には悲しくなったり
また励まされたりします。
そんな人たちの現在を想いながら
いくつかの歌をつくってみました。
みんなとの結び目になればそしてありがとうの想いをこめて
このレコード「ribbon」を捧げます。
91匹のTinyカンガルー
右あがりの丸い文字の君、因数分解を教えてくれた君
やさしい目をしたティーンエイジママ
ファーストフードのレジ笑顔でたたいている君
彼女の彼、れんげ草をつんでくれた君
朝刊を運ぶ少年、よくにた瞳をした恋人
街を歩くピノキオ、歩はばをあわせて歩いてくれた君
汚れたシューズ、よれよれのシャツの君
屋上に腰かけて檸檬かじった君
そして、全てのセンチメンタルカンガルーへ」
アルバムを聴いている人には、この文章から音が聴こえてくる気がしてこないだろうか。たとえ聴いたことのない人でも、どんなアルバムかイメージが湧いてくるのではないか。
たわいものないことが書いてると思う人もいるかもしれない。しかしこうしたたわいもなさが「ribbon」の本質である。「Breath」は大人の世界を目の前にして苦悩している若者が主に描かれていたのに対し、「ribbon」の登場人物はどこにでもいる街の人たちだ。そんな何気ない光景が彼女の手によって普遍的で鮮やかな11編の歌に変わっている。前作と比べて彼女の視点がずっと細やかになったことがうかがえよう。
渡辺美里という人は非常に簡潔にわかりやすく情景を描くのが上手な表現者である(であった、という方が適切だろうか)。しかしこうした彼女の才能を指摘する人を見たことがない。それはファンもアンチも同じである。たとえば意識的な音楽ファンや音楽ライターといった人たちは芸術家くずれのような人が多く、意味不明なものをありがたがり、いわゆる「わかりやすい」作品は「単純」などとレッテルを貼り敬遠するきらいがある。さらにはライター自身も訳のわからない文章を書いて自己満足しているから余計にタチが悪い。「わかりやすい表現」を嫌うのは一向に構わない。それは各人の趣味の問題だから。ただそれが悪いとか駄目だとか言って批判するのは浅薄な話であるということだけは言いたい。
人にパッと伝わるような表現をするのは簡単なことではない。ましてや文章や言葉ではなく音楽をもってするのはいっそう困難な作業である。それを自覚している人は残念ながら本当に少ない。知名度も評価も得られぬまま一生を終わってしまうであろう音楽ライターの皆さんは果たして他人に伝達可能な文章を書いているだろうか。一度は振り返ってみることをお勧めしたい。
本題が外れてしまった。私が強調したいのは、渡辺美里は写実的で鮮やかな光景を提示できる数少ない表現者であるということだ。いや個人的には彼女以外に私は知らない。だから今でも彼女を追いかけざるをえないのだ。昔のようなライブや作品は望めないにしても、代わりになる人がいないのだから仕方ない。
せっかくの機会だから色々書いてみたい。実は、美里のCDを聴くたびに恐れていることがある。10代に心を振るわせた音楽が年を経るごとに色あせていくのではないだろうか、という不安だ。
正直に言うと、歌詞については10代の頃にもっと共感していたような気がする。年をくってしまった自分には縁遠くなった部分が多くなったからだろう。しかしそれは仕方ない話である。そもそもロックやポップスというのはもともと若者のために作られた音楽なのだから。年齢を重ねたため作品に共感できなくなるというのは当然の現象である。それを駄目だという輩は何か勘違いしている。おじさんおばさんの身になってもまだロックやポップスに異様な執着をしているほうがよほど世間ズレているのだから。
ただ、音や歌声は色あせていないのにはホッとする。彼女の声がもつ力強さややさしさ、“さくらの花の咲くころに”の美しい情景、“恋したっていいじゃない”の可愛らしさ、“10 years”を聴く時のなんともいえない心境などはいまだに力を失っていない。
せめて彼女の歌の力だけはこのまま失わないで欲しいと願う。そして、このまま自分の人生が終わるまで、アルバムの輝きは消えないでほしい。私としては渡辺美里の作品をずっと座右に置きたいのである。
今年は20周年ということでデラックス・エディションなど出てくれたら、という思いもある。昔のライブ音源なんて追加されたら感涙ものだろう。といっても、BOOK OFFあたりで二束三文で売られているような状態では望むだけ無理な話だ。それならせめて、このような音楽を求めている人の手に渡ってほしいと願う。
思い入れの強い作品なので、最後に1曲ずつ簡単な感想などを記したい。ちなみにアルバムは88年5月28日に発売され、初登場1位を記録しそのまま4週連続で首位にとどまった。
【曲目解説】
(1)センチメンタルカンガルー(作詞:渡辺美里、作曲・編曲:佐橋佳幸)
88年7月21日、11枚目のシングルとなった曲。最高順位9位、8万枚を売り上げる。缶コーヒー「UCC」のCMにも使われた。「センチメンタルカンガルー」という印象的な言葉は彼女の造語で特に意味はないようだ。こうした一つ一つのフレーズに彼女の言葉に対する感覚の鋭さを感じるけれど、皆さんはいかがだろうか。
(2)恋したっていいじゃない(作詞:渡辺美里、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
88年4月21日、10枚目のシングル。最高位2位、24万6千枚を売り上げる。この曲も缶コーヒー「UCC」のCMにも起用された。アルバムの中で最もスピード感がある曲だ。歌詞のテーマはタイトルの通りのものだ。しかし、サビの「D.A.T.E!」などの可愛いらしいフレーズが随所にあったり、
「ルーズな街のインチキに打ちのめされても
流行のスタイルに流されないよ」
といった登場人物の芯の強い部分が見え隠れしたりと、単にハードでポップな曲にとどまらぬ鮮やかな世界を築いている。いまでもライブで披露されれば盛り上がる。彼女の代表曲の一つといえよう。
(3)さくらの花の咲くころに(作詞:渡辺美里、作曲:木根尚登、編曲:清水信之)
シングル曲ではないけれどファンの間では人気が高い。さくらの花の咲くころには、風の強い日には自分を思い出してほしいと呼びかける。春の光景を美しくやさしい視点で描いていて、こうした曲は前作までにはなかった。また2曲目とはうって変わって、アコースティックギターを主体にしたゆったりした曲調なのも印象を強めているような気がする。
(4)Believe(Remix Version)(作詞:渡辺美里、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗)
86年10月22日にはすでにシングルとして出ている。最高2位、20万6千枚を売り上げた。TBS系ドラマ「痛快!OL通り」の主題歌に使われた。時期的には「Breath」であるけれどなぜかこのアルバムに収録された。歌詞も曲調も「Breath」の世界に近い。さっきは春の歌だがこちらは冬、しかも張りつめたような寒さを感じる曲である。しかし、むしろ清々しい印象を与えるのは彼女のキャラクターによるものだろう。いま思ったが、彼女は四季というものも歌にきっちりと描いている傾向も強い。この曲もその一端を示す作品である。
(5)シャララ(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:佐橋佳幸・西平彰)
冒頭の「ウォーウォー」やサビの「シャララララララ」などコーラス(クレジットに「荒川少年少女合唱隊」という名前もある)に力を入れている。歌詞については、これから新しい出発をしようとしている人に向けているようだ。ただ、それよりもコーラスを含めた楽しい雰囲気に浸ったほうが正解だろう。聴くたびに気持ちが高揚させられる。また、
「教室のだれより 大人びた girl friend
今はやさしい目をしてる teenage mama ね
路地裏のヒーロー 憧れた girl friend
ファーストフードのレジ 笑顔でたたいている」
という若者に対する彼女の柔らかい視点も魅力的だ。
(6)19歳の秘かな欲望(The Lover Soul Version)(作詞:戸沢暢美、作曲:岡村靖幸、編曲:佐橋佳幸)
アルバムで唯一、彼女の作詞ではない作品だ。もともとは2枚目のアルバム「Lovin you」(86年)に入っていたものを再録音している。なぜそうしたか理由はよくわからないけど、過剰なくらい大仰なアレンジに変化してしまった。92年までの彼女はこの曲をライブで歌うたび、マイクなしで会場に生声を披露し強烈な印象を与えてきた。ノドに負担がかかるパフォーマンスだったためか、今ではもうこの曲を歌っていない。かつての彼女のライブを観た人にはこの曲は忘れられないだろう。
(7)彼女の彼(作詞:渡辺美里、作曲・編曲:佐橋佳幸)
歌詞の中に「カセット(テープ)」というフレーズが出てくる。当時はまだCDが出始めている時代だったのを覚えている人はどれほどいるだろう。明日から「彼女の彼」になるという好きな人に、今日だけは恋人のふりをして歩いて、と願う曲。たぶん生で聴く機会はないと勝手に思っていたけれど、06年7月22日に山梨県の山中湖畔でおこなわれたライブで披露された。客席からワーッと歓声があがったのをいまでも覚えている。
(8)ぼくでなくっちゃ(作詞・作曲:渡辺美里、編曲:清水信之)
シングル“センチメンタルカンガルー”のカップリング曲で収録されている。これは作曲も彼女自身がしている。
歌詞は、
「夜明け前ひとり
歩道橋にすわり
朝刊を運ぶ
少年をみている」
という朝の光景で始まる。伴奏はキーボードとピアノだけという非常に簡素な編成だ。音も曲調もゆったりしていてやさしい雰囲気に包まれている。
(9)Tokyo Calling(作詞:渡辺美里、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
曲名はクラッシュ(The Clash)の「London Calling」をもじったものだろう。ただ2つの曲に関連性は全くない。強いて挙げるとすれば、歌詞に少し社会性のあるテーマを取り扱っている点くらいだろうか。
高速道路の建設のために自然が破壊されていく高尾山(東京都)のことテーマにしているそうだ。ロケットの発射音やサイレンが冒頭に入るなど異色な印象を与えるものの、メッセージ性という点では特に強く感じるものはない。メッセージソングと解するより、破壊されていく世界の美しさのようなものを淡々と描いた作品と捉えたい。
「自然だけが息をしていた土手の上にも
容赦のないセメントが流し込まれる」
という感傷的な歌詞よりも、
「あの頃 きみはぼくにれんげ草をつんでくれた」
といった1行がずっと自分には残っている。どこかのブログで、このフレーズが好きだ、という人がいて嬉しかった。それは私も大いに共感するところだ。この曲も再演されることはないと勝手に思っていたけれど、07年7月29日に横浜でおこなったライブで突如うたわれてファンを驚かせた。
(10)悲しいね(Remix Version)(作詞:MISATO、作曲・編曲:小室哲哉)
87年12月9日に9枚目のシングルとして発売された曲。最高順位2位、17万5千枚を記録している。“Believe”と同じく冬の歌で、これもライブで披露される機会はいまでも結構ある。人気は高いと思われるけれど、私はいまひとつ好きになれない。悲しい悲しい、と落ち込んでいくばかりで彼女らしい上向きな部分(歌詞ではなくて、歌い方や声などの点で)が希薄に感じるからだ。ただライブ、たとえば「スタジアム伝説」(92年)でバイオリンだけをバックにこの曲を歌う姿には圧倒された。
(11)10 years(作詞:渡辺美里、作曲:大江千里、編曲:有賀啓雄)
初出はこのアルバムであるけれど、88年10月21日に出た12枚目のシングル“君の弱さ”のカップリング曲としても収録されている。ファンには改めて説明するまでもないけれど、現在のライブではほぼ確実に歌われる、“My Revolution”と双璧をなす彼女の代表曲だ。また、作曲した大江千里もいつの頃か自分でも歌うようになった。
「10年」という時間をテーマにした曲で、
「あれから10年も
この先10年も」
というフレーズは年をつれて重みが増しているような気がする。「あれから」の10年を振り返り、「この先」の10年をどうするか、そんなことをあれこれ悩んだりするのを止めることはできそうにない。こうした人間の業のようなものがこの曲には含まれている。それが彼女の歌声と相まって多くの人の心に残る作品となったのであろう。おそらくこの曲を聴いて何も感じない人は渡辺美里に縁はない。彼女の全てではないにしろ、渡辺美里の核となる大事な部分が詰まっている。
カラーコンタクトの販売規制
2008年7月10日視力矯正を目的としない「おしゃれ用」のカラーコンタクトレンズが、早ければ年度内に販売規制になるという。そうなれば、通常のコンタクトと同様、都道府県の許可がないと販売できない。目に障害が起きる被害が相次いでいるというのが理由だ。
しかし視力矯正用であろうとなかろうと、コンタクトレンズは目にとって異物なのは変わりない。目の表面には「角膜内皮細胞」という細胞があり、コンタクトをつけているとこの細胞は徐々に減っていく。そして増えることはない。
私は2週間期限の使い捨てコンタクトレンズを使っているけれど、買う時はいつも眼球を検査される。細胞の数ももちろん調べられる。もし細胞がある程度の数まで減少してしまった場合、医者からコンタクトの使用を止められる。
コンタクトレンズを使用する際にはこうした問題がつきまとう。視力の悪い私のような人間はともかく、裸眼でも生活に問題ない人がおしゃれを目的だけにカラーコンタクトをつけるのはリスクが大きすぎるのではないだろうか。
適切な使用をうながすということも含めて、コンタクトを販売規制することは使用者にとっても悪いことではないだろう。
しかし視力矯正用であろうとなかろうと、コンタクトレンズは目にとって異物なのは変わりない。目の表面には「角膜内皮細胞」という細胞があり、コンタクトをつけているとこの細胞は徐々に減っていく。そして増えることはない。
私は2週間期限の使い捨てコンタクトレンズを使っているけれど、買う時はいつも眼球を検査される。細胞の数ももちろん調べられる。もし細胞がある程度の数まで減少してしまった場合、医者からコンタクトの使用を止められる。
コンタクトレンズを使用する際にはこうした問題がつきまとう。視力の悪い私のような人間はともかく、裸眼でも生活に問題ない人がおしゃれを目的だけにカラーコンタクトをつけるのはリスクが大きすぎるのではないだろうか。
適切な使用をうながすということも含めて、コンタクトを販売規制することは使用者にとっても悪いことではないだろう。
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「ムーンダンス」しか聴けなくなったiPod
2008年7月5日いよいよ、私のiPod(3代目)も終わりのようだ。いままでは買い替えてきたけれど、もう買う直すことはないだろう。私の乱雑な使い方が悪い部分もあるかもしれないけれど、こんなに頻繁に壊れていてはお金がいくらあっても足りない。
再生は別に問題ない。音量も曲順も調整できる。しかし「MENU」のボタンをいくら押しても、バックライトが点灯するだけで、まったく使えなくなってしまった。
この症状になる前に私はヴァン・モリソンのアルバム「ムーンダンス」(70年)を聴いていた。そして、いまiPodではこれしか聴くことができない。
彼がいかに好きな私でも「ムーンダンス」ばかり毎日ずっと聴くわけには・・・。
再生は別に問題ない。音量も曲順も調整できる。しかし「MENU」のボタンをいくら押しても、バックライトが点灯するだけで、まったく使えなくなってしまった。
この症状になる前に私はヴァン・モリソンのアルバム「ムーンダンス」(70年)を聴いていた。そして、いまiPodではこれしか聴くことができない。
彼がいかに好きな私でも「ムーンダンス」ばかり毎日ずっと聴くわけには・・・。
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(1)Bright Side Of The Road ブライト・サイド・オブ・ザ・ロード
(2)Full Force Gale 疾風
(3)Steppin’ Out Queen ステッピン・アウト・クイーン
(4)Troubadours トルバドール
(5)Rolling Hills ローリング・ヒルズ
(6)You Make Me Feel So Free フィ−ル・ソー・フリー
(7)Angelou 愛しのエンジェル
(8)And The Healing Has Begun 癒える心
(9)It’s All In The Game オール・イン・ザ・ゲーム
(10)You Know What They’re Writing About ホワット・ゼイアー・ライティング・アバウト
〔ボーナストラック〕
(11)Steppin’ Out Queen (Alternative Take) ステッピン・アウト・クイーン(別バージョン)
(12)Troubadours (Alternative Take) トルバドール(別バージョン)
ヴァン・モリソンの音楽は古くならない、と言われることがある。まったくその通り。というよりも、彼の音楽と時代とは関連がない、と言うのが適切ではないだろうか。そうしたヴァンの音楽性はあの「アストラル・ウイークス」(68年)から現在までずっと続いている。
そんな彼の作品の中にあって、
「このアルバムはいつ聴いても新鮮だなあ!」
と毎回のように感心してしまうものが私にある。それが79年に発表されたこの「イントゥ・ザ・ミュージック」(Into the Music)だ。別に数えたわけではないけれど、オリジナル・アルバムで最も私が多く聴いた作品だと思う。
これを最初に買ったのはおそらく98年か99年のことである。どうして覚えているかといえば、アルバムを初めて聴いた時の印象が実に鮮烈だったからだ。
「発売(79年)から20年ちかく経っているのに全然古びてない!」
そう感激したのを、このアルバムをかけるたびに思い出す。
もちろん、世に出てから30年目を迎えようとしている今もその思いは全く変わらない。つくづく希有な作品と感じる。
繰り返すが、別に「ムーンダンス」(70年)でも「エンライトメント」(90年)でも、彼の他の作品も時代とは無縁の魅力を放ってはいる。それでもなお、私はこの「イントゥ・ザ・ミュージック」に強い思い入れを持ってしまうのだろうか。それはやはり、このアルバムにしかない魅力があるからとしかいいようがない。
この作品の特徴を一言で表現すれば「軽やかさ」である。ヴァン・モリソンは頑固とか、偏屈とか、求道者とか、孤高とか、どちらかといえば重たい印象のつきまとう人である。確かに頑固や偏屈といった人間性は間違っていないだろう。しかし、ファンにはあえて強調するまでもないが、こと音楽については全く違う。聴き手を拒絶するような要素はおおよそ無いといえる。いやそれどころか、これほど洗練された音楽を作る人はいないのではないだろうかと思うほどだ。そして「イントゥ・ザ・ミュージック」はこうしたヴァンの音楽性を証明する好例の一つといえる。
音作りでいえばフィドル(バイオリン)とホーン・セクションが効果的に働いているように思う。「アヴァロン・サンセット」(89年)のような壮大なオーケストレーションと違って、トラッドを連想させる雰囲気をフィドルが出している。そこにホーン・セクションが絡んで軽快な印象はさらに強くなる。
こうした「軽やかさ」のある空気がアルバム全体を包んでいるけれど、その中でも3曲目の“ステッピン・アウト・クイーン”が特に素晴らしい。今回追加された別バージョンと比較すればそれはさらに顕著である。別バージョンは未完成なもののすでに魅力的で個性的な曲だ。しかしそこをさらにアレンジを洗練させ、ホーンセクションとコーラスまで加えてあのオリジナル作品へと完成する。その流れを辿っていくと、いまさらながら彼の才能の凄さを感じてしまう。
ただ正直に感想をいえば、最後の3曲の流れは個人的に冗長で印象に残らない。7曲目まではスーッと気持ちよく聴いて8曲目の途中くらいから寝てしまう、というのが自分のパターンな気する。しかし、8曲目の“And The Healing Has Begun”はヴァンが長年ずっと歌のテーマにしている「癒し」を扱った重要な曲であり、ファンとしてはそれなりにしっかりと受け止めなければならないと思ってもいる。
好き嫌いはともかくとして特筆する部分の多い作品であることは異論ないだろう。私の中でも、最高傑作とは断言しにくいものの、5指に入る大事なアルバムである。数あるヴァンの作品の中でも最も推薦したくなる作品の一つだ。
いや、本音をいえば最高傑作とか他人の評価などはどうでもいい。ただ、このアルバムをかけるたび、草原を駆け抜ける風のような音が心地よい。それだけで私は満足している。こうした作品を手元におけるのは幸福というしかない。
(2)Full Force Gale 疾風
(3)Steppin’ Out Queen ステッピン・アウト・クイーン
(4)Troubadours トルバドール
(5)Rolling Hills ローリング・ヒルズ
(6)You Make Me Feel So Free フィ−ル・ソー・フリー
(7)Angelou 愛しのエンジェル
(8)And The Healing Has Begun 癒える心
(9)It’s All In The Game オール・イン・ザ・ゲーム
(10)You Know What They’re Writing About ホワット・ゼイアー・ライティング・アバウト
〔ボーナストラック〕
(11)Steppin’ Out Queen (Alternative Take) ステッピン・アウト・クイーン(別バージョン)
(12)Troubadours (Alternative Take) トルバドール(別バージョン)
ヴァン・モリソンの音楽は古くならない、と言われることがある。まったくその通り。というよりも、彼の音楽と時代とは関連がない、と言うのが適切ではないだろうか。そうしたヴァンの音楽性はあの「アストラル・ウイークス」(68年)から現在までずっと続いている。
そんな彼の作品の中にあって、
「このアルバムはいつ聴いても新鮮だなあ!」
と毎回のように感心してしまうものが私にある。それが79年に発表されたこの「イントゥ・ザ・ミュージック」(Into the Music)だ。別に数えたわけではないけれど、オリジナル・アルバムで最も私が多く聴いた作品だと思う。
これを最初に買ったのはおそらく98年か99年のことである。どうして覚えているかといえば、アルバムを初めて聴いた時の印象が実に鮮烈だったからだ。
「発売(79年)から20年ちかく経っているのに全然古びてない!」
そう感激したのを、このアルバムをかけるたびに思い出す。
もちろん、世に出てから30年目を迎えようとしている今もその思いは全く変わらない。つくづく希有な作品と感じる。
繰り返すが、別に「ムーンダンス」(70年)でも「エンライトメント」(90年)でも、彼の他の作品も時代とは無縁の魅力を放ってはいる。それでもなお、私はこの「イントゥ・ザ・ミュージック」に強い思い入れを持ってしまうのだろうか。それはやはり、このアルバムにしかない魅力があるからとしかいいようがない。
この作品の特徴を一言で表現すれば「軽やかさ」である。ヴァン・モリソンは頑固とか、偏屈とか、求道者とか、孤高とか、どちらかといえば重たい印象のつきまとう人である。確かに頑固や偏屈といった人間性は間違っていないだろう。しかし、ファンにはあえて強調するまでもないが、こと音楽については全く違う。聴き手を拒絶するような要素はおおよそ無いといえる。いやそれどころか、これほど洗練された音楽を作る人はいないのではないだろうかと思うほどだ。そして「イントゥ・ザ・ミュージック」はこうしたヴァンの音楽性を証明する好例の一つといえる。
音作りでいえばフィドル(バイオリン)とホーン・セクションが効果的に働いているように思う。「アヴァロン・サンセット」(89年)のような壮大なオーケストレーションと違って、トラッドを連想させる雰囲気をフィドルが出している。そこにホーン・セクションが絡んで軽快な印象はさらに強くなる。
こうした「軽やかさ」のある空気がアルバム全体を包んでいるけれど、その中でも3曲目の“ステッピン・アウト・クイーン”が特に素晴らしい。今回追加された別バージョンと比較すればそれはさらに顕著である。別バージョンは未完成なもののすでに魅力的で個性的な曲だ。しかしそこをさらにアレンジを洗練させ、ホーンセクションとコーラスまで加えてあのオリジナル作品へと完成する。その流れを辿っていくと、いまさらながら彼の才能の凄さを感じてしまう。
ただ正直に感想をいえば、最後の3曲の流れは個人的に冗長で印象に残らない。7曲目まではスーッと気持ちよく聴いて8曲目の途中くらいから寝てしまう、というのが自分のパターンな気する。しかし、8曲目の“And The Healing Has Begun”はヴァンが長年ずっと歌のテーマにしている「癒し」を扱った重要な曲であり、ファンとしてはそれなりにしっかりと受け止めなければならないと思ってもいる。
好き嫌いはともかくとして特筆する部分の多い作品であることは異論ないだろう。私の中でも、最高傑作とは断言しにくいものの、5指に入る大事なアルバムである。数あるヴァンの作品の中でも最も推薦したくなる作品の一つだ。
いや、本音をいえば最高傑作とか他人の評価などはどうでもいい。ただ、このアルバムをかけるたび、草原を駆け抜ける風のような音が心地よい。それだけで私は満足している。こうした作品を手元におけるのは幸福というしかない。
8月にも紙ジャケットCDが出るぞ!
2008年6月25日そろそろヴァン・モリソンの紙ジャケットCDの第二弾が出ないかなあと思っていた矢先、CDジャーナルのサイトを覗いたら予定が載っているではないか。
http://www.cdjournal.com/main/cd/list.php?type=12&ym=200808&genre=21
今回再発されるのは、
ヴィードン・フリース+2
ライヴ・アット・グランド・オペラ・ハウス
ノー・グールー、ノー・メソッド、ノー・ティーチャー(イン・ザ・ガーデン)+2
エンライトメント+2
コモン・ワン+2
ナイト・イン・サンフランシスコ+1
時の流れに+2
ヒーリング・ゲーム+1
の8作品である。名作と評価されている作品とそうでもない作品が混在されたラインナップとなった。個人的には最も好きなアルバムである「エンライトメント」がボーナストラック追加になるのが嬉しい。ただ一般的には70年代の「ヴィードン・フリース」、そしてライブ盤「ナイト・イン・サンフランシスコ」が注目されるかな?
発売日は8月27日。パッと買えるようにお金を用意しておこう。
http://www.cdjournal.com/main/cd/list.php?type=12&ym=200808&genre=21
今回再発されるのは、
ヴィードン・フリース+2
ライヴ・アット・グランド・オペラ・ハウス
ノー・グールー、ノー・メソッド、ノー・ティーチャー(イン・ザ・ガーデン)+2
エンライトメント+2
コモン・ワン+2
ナイト・イン・サンフランシスコ+1
時の流れに+2
ヒーリング・ゲーム+1
の8作品である。名作と評価されている作品とそうでもない作品が混在されたラインナップとなった。個人的には最も好きなアルバムである「エンライトメント」がボーナストラック追加になるのが嬉しい。ただ一般的には70年代の「ヴィードン・フリース」、そしてライブ盤「ナイト・イン・サンフランシスコ」が注目されるかな?
発売日は8月27日。パッと買えるようにお金を用意しておこう。
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「炭火焼肉たむら」に行ってきた
2008年6月17日
まだまだ忙しい6月中旬、この日は丸一日仕事を休んだ。行きつけのラーメン店長から、大阪南港のインテックス大阪で「関西ラーメン産業展」というイベントがあるから一緒に来てくれ、と頼まれたからだ。
公式サイトはここ。
http://www.k-ramenexpo.com/
この展示会はあくまでラーメン店の関係者を対象としている。だから会社員の私は本当は入ることができない、というのが建前である。また入口ではアンケートと名刺2枚を差し出す必要がある。私はもちろん会社の名刺しかない。そこで「これからラーメン店を立ち上げようとしている」という旨をアンケート用紙に記し、展示会の招待状(店長からもらった)と名刺2枚を差し出した。私の不安とは裏腹に受付では特に質問されることなく、アッサリとIDカードが渡された。私のIDには、
「開業予定者」
と書かれている。ちなみ今日は店長ともう一人の3人で来たわけだが、その一人もイタリアンのお店を経営している。
ラーメン関係者だけでどれほどの人が来るのだろう。店長も私もその辺は懐疑的ではあった。しかし実際に中に入れば人が一杯である。会場も広くて様々な展示がしている。店長の手の中は資料の山になっていた。また試食できるところも多い。別に食べるつもりはなかったものの、何軒か回っているうちにすっかりお腹がふくれてしまった。商品だけあって、食べたラーメンはいわゆるインスタントである。スープは出来合いの調味料を組み合わせて作ったものだ。しかし味はなかなか侮れないものが多くて正直いって驚いた。下手な店よりも美味しい、というのが3人の一致した意見である。
午後4時を過ぎたころ、地下鉄を乗り継いで京橋へ向かう。今日の第二の目的地「炭火焼肉たむら」、あの「たむらけんじ」の経営する焼肉屋へ行くためだ。せっかく大阪に行くから寄りましょうという店長の配慮である。ラーメン店に通うたびに私が行きたい行きたいとうるさかったからだろう。しかし大阪南港から本町、心斎橋、そして鶴見緑地線から京橋へ行くのは予想以上に時間がかかってしまった。京橋に着いた時には午後4時54分、予約した時間は5時である。
京橋から歩いて10分ほどかかるためタクシーをつかまえる。たむけんの焼肉屋、と言ったらすぐ通じたものの、
「最近はあまり並んでないねえ」
などと運転手が言うのが気になる。こないだは名古屋店も出したけれどもはや
ピークが過ぎてしまったのだろうか。ちょっと寂しい気持ちになりながらも店に到着する。しかし実際のところ開店まもないにもかかわらずどんどん人が入ってくる。5時30分頃にはカウンター以外は満員になっていた。
90分で入れ替えという制約はあるものの、店員はパッと料理を出してくるからストレスは感じない。味は普通程度だが何しろ値段が安い。3人でビールを2杯ずつ飲んで一通り食べても1万円を切っているのだから。ゆっくり食べることはできないものの、総合的にみれば非常に良い店だと思う。
帰りに、
「たむけんが店にいなくて残念でしたね」
と一緒に行った人に言われた。そんなに私は彼の熱心なファンに思われているのだろうか。確かに、本人がいた時のことを考えて彼の著書「たむらけんじの東京で売れてる芸人 犬に噛まれろ!!」(竹書房)をカバンに忍ばせてはいたが・・・。
それにしてもラーメンや焼肉ざんまいで充実した休日を過ごしたものである。
公式サイトはここ。
http://www.k-ramenexpo.com/
この展示会はあくまでラーメン店の関係者を対象としている。だから会社員の私は本当は入ることができない、というのが建前である。また入口ではアンケートと名刺2枚を差し出す必要がある。私はもちろん会社の名刺しかない。そこで「これからラーメン店を立ち上げようとしている」という旨をアンケート用紙に記し、展示会の招待状(店長からもらった)と名刺2枚を差し出した。私の不安とは裏腹に受付では特に質問されることなく、アッサリとIDカードが渡された。私のIDには、
「開業予定者」
と書かれている。ちなみ今日は店長ともう一人の3人で来たわけだが、その一人もイタリアンのお店を経営している。
ラーメン関係者だけでどれほどの人が来るのだろう。店長も私もその辺は懐疑的ではあった。しかし実際に中に入れば人が一杯である。会場も広くて様々な展示がしている。店長の手の中は資料の山になっていた。また試食できるところも多い。別に食べるつもりはなかったものの、何軒か回っているうちにすっかりお腹がふくれてしまった。商品だけあって、食べたラーメンはいわゆるインスタントである。スープは出来合いの調味料を組み合わせて作ったものだ。しかし味はなかなか侮れないものが多くて正直いって驚いた。下手な店よりも美味しい、というのが3人の一致した意見である。
午後4時を過ぎたころ、地下鉄を乗り継いで京橋へ向かう。今日の第二の目的地「炭火焼肉たむら」、あの「たむらけんじ」の経営する焼肉屋へ行くためだ。せっかく大阪に行くから寄りましょうという店長の配慮である。ラーメン店に通うたびに私が行きたい行きたいとうるさかったからだろう。しかし大阪南港から本町、心斎橋、そして鶴見緑地線から京橋へ行くのは予想以上に時間がかかってしまった。京橋に着いた時には午後4時54分、予約した時間は5時である。
京橋から歩いて10分ほどかかるためタクシーをつかまえる。たむけんの焼肉屋、と言ったらすぐ通じたものの、
「最近はあまり並んでないねえ」
などと運転手が言うのが気になる。こないだは名古屋店も出したけれどもはや
ピークが過ぎてしまったのだろうか。ちょっと寂しい気持ちになりながらも店に到着する。しかし実際のところ開店まもないにもかかわらずどんどん人が入ってくる。5時30分頃にはカウンター以外は満員になっていた。
90分で入れ替えという制約はあるものの、店員はパッと料理を出してくるからストレスは感じない。味は普通程度だが何しろ値段が安い。3人でビールを2杯ずつ飲んで一通り食べても1万円を切っているのだから。ゆっくり食べることはできないものの、総合的にみれば非常に良い店だと思う。
帰りに、
「たむけんが店にいなくて残念でしたね」
と一緒に行った人に言われた。そんなに私は彼の熱心なファンに思われているのだろうか。確かに、本人がいた時のことを考えて彼の著書「たむらけんじの東京で売れてる芸人 犬に噛まれろ!!」(竹書房)をカバンに忍ばせてはいたが・・・。
それにしてもラーメンや焼肉ざんまいで充実した休日を過ごしたものである。
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ブログに執着しなくなって久しいけれど、そこに仕事も絡んできて今月は一つも更新してなかった。ただ、この日の日記はどうしても記しておきたい。
忙しい忙しいと言いながらも、今日は仕事を昼で切り上げて神戸に向かった。「雲外蒼天」というイベントにイースタン・ユースが出演するのを観るためだ。
会場は初めて行く「VARIT」というところである。すぐ見つかるか不安だったけれど東急ハンズからずっと西へ向かうとアッサリ店にたどり着いた。
今夜はワンマンではなく3バンドが出演した。最後のイースタンは“そして神戸”をバックという意表をつく登場だ。今日も素晴らしいライブになる。誰もがその時は思っていただろう。しかし、この夜はとんでもない邪魔が入ってしまったのだ。
私は会場全体を見下ろせる高い場所に立っていた。2曲演奏が終わった後、後ろにいた一人の男がお客をかきわけて最前列へ進み、そして吉野寿の真ん前に陣取っていくのが見える。
ずいぶん図々しい客だな、という程度でその時は観ていた。だが、こいつは「図々しい」という言葉で片付けられるような輩ではなかったのである。前に来ただけでは飽き足らず、吉野に何やら言葉をかけてきた。それに対して吉野が、
「上がってこい」
と反応するなど、一触即発になりそうな場面があった。会場の様子やミクシィの書き込みから察するに、会場に紛れ込んだ酔っぱらいが吉野に罵声を浴びせたのが実態らしい。結局そのクズはほどなくして周囲の人に追っ払われて会場を出た。
いままでたくさんライブを観てきたけれど、これほど後味の悪い内容は初めてである。あのクズはなんのためにあそこに来たのだろうか。
クズが出て行った後で、
「神戸を嫌いにならないでください!」
と言ったお客の男性の声が忘れられない。イースタンの3人に限ってそんなことはないと私は信じているけれど、実に痛々しい叫びだった。演奏曲目を最後に記す。
【演奏曲目】
(1)荒野に針路を取れ
(2)沸点36℃
(3)未ダ未ダヨ
(4)ギラリズム夜明け前
(5)夜がまた来る
(6)街はふるさと
〈アンコール〉
(7)夏の日の午後
忙しい忙しいと言いながらも、今日は仕事を昼で切り上げて神戸に向かった。「雲外蒼天」というイベントにイースタン・ユースが出演するのを観るためだ。
会場は初めて行く「VARIT」というところである。すぐ見つかるか不安だったけれど東急ハンズからずっと西へ向かうとアッサリ店にたどり着いた。
今夜はワンマンではなく3バンドが出演した。最後のイースタンは“そして神戸”をバックという意表をつく登場だ。今日も素晴らしいライブになる。誰もがその時は思っていただろう。しかし、この夜はとんでもない邪魔が入ってしまったのだ。
私は会場全体を見下ろせる高い場所に立っていた。2曲演奏が終わった後、後ろにいた一人の男がお客をかきわけて最前列へ進み、そして吉野寿の真ん前に陣取っていくのが見える。
ずいぶん図々しい客だな、という程度でその時は観ていた。だが、こいつは「図々しい」という言葉で片付けられるような輩ではなかったのである。前に来ただけでは飽き足らず、吉野に何やら言葉をかけてきた。それに対して吉野が、
「上がってこい」
と反応するなど、一触即発になりそうな場面があった。会場の様子やミクシィの書き込みから察するに、会場に紛れ込んだ酔っぱらいが吉野に罵声を浴びせたのが実態らしい。結局そのクズはほどなくして周囲の人に追っ払われて会場を出た。
いままでたくさんライブを観てきたけれど、これほど後味の悪い内容は初めてである。あのクズはなんのためにあそこに来たのだろうか。
クズが出て行った後で、
「神戸を嫌いにならないでください!」
と言ったお客の男性の声が忘れられない。イースタンの3人に限ってそんなことはないと私は信じているけれど、実に痛々しい叫びだった。演奏曲目を最後に記す。
【演奏曲目】
(1)荒野に針路を取れ
(2)沸点36℃
(3)未ダ未ダヨ
(4)ギラリズム夜明け前
(5)夜がまた来る
(6)街はふるさと
〈アンコール〉
(7)夏の日の午後
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今日はこんな日、でも大間違い
2008年5月28日 渡辺美里さっき何となく「CDジャーナル」のサイトを覗いたら、右のほうにある「今日は何の日?!」というところに、
「渡辺美里が大ヒット・アルバムを発売」
と書いてあった。
http://www.cdjournal.com/main/calendar/today.php?tno=302
思いあたるフシがあったのでクリックしてみたら、やはり88年のアルバム「ribbon」についてであった。この作品はこの年の5月28日に発売され120万枚も売り上げた。彼女のセールスの最高記録である。
しかし、書いてあった文章がいただけない。
「渡辺美里の大ヒット3rdアルバム『ribbon』発売。当時にしては珍しいミリオン・セラーを達成し、同年の最高売り上げを記録したこのアルバムは、豪華な楽曲提供者によるヒット曲が満載であった。小室哲哉の「悲しいね」ほか、伊秩弘将「恋したっていいじゃない」、大江千里「10 years」、佐橋佳幸「センチメンタルカンガルー」、岡村靖幸「シャララ」、そして木根尚登「さくらの花の咲く頃に」など。美里姉御の元気で一生懸命な応援ソングが、時代と合致した時期であった。」
読んだ瞬間、ガックリと力が抜ける。「ribbon」は「4枚目」のアルバムだ。なんでこんな根本のところを間違えるのだろう。何も調べて書いてないのが一目瞭然である。
この文章の下には、
「2001年04月23日作成(掲載記事は基本的に作成時の内容のまま掲載しております。作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映しておりません。)」
というただし書きが虚しい。動向とかは全く関係ないだろうが。つくづく、音楽誌もサイトもたいした情報がないのだなあと再確認した出来事だった。
「渡辺美里が大ヒット・アルバムを発売」
と書いてあった。
http://www.cdjournal.com/main/calendar/today.php?tno=302
思いあたるフシがあったのでクリックしてみたら、やはり88年のアルバム「ribbon」についてであった。この作品はこの年の5月28日に発売され120万枚も売り上げた。彼女のセールスの最高記録である。
しかし、書いてあった文章がいただけない。
「渡辺美里の大ヒット3rdアルバム『ribbon』発売。当時にしては珍しいミリオン・セラーを達成し、同年の最高売り上げを記録したこのアルバムは、豪華な楽曲提供者によるヒット曲が満載であった。小室哲哉の「悲しいね」ほか、伊秩弘将「恋したっていいじゃない」、大江千里「10 years」、佐橋佳幸「センチメンタルカンガルー」、岡村靖幸「シャララ」、そして木根尚登「さくらの花の咲く頃に」など。美里姉御の元気で一生懸命な応援ソングが、時代と合致した時期であった。」
読んだ瞬間、ガックリと力が抜ける。「ribbon」は「4枚目」のアルバムだ。なんでこんな根本のところを間違えるのだろう。何も調べて書いてないのが一目瞭然である。
この文章の下には、
「2001年04月23日作成(掲載記事は基本的に作成時の内容のまま掲載しております。作成後に生じた動向、および判明した事柄等は反映しておりません。)」
というただし書きが虚しい。動向とかは全く関係ないだろうが。つくづく、音楽誌もサイトもたいした情報がないのだなあと再確認した出来事だった。
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せめて車中では携帯の電源を
2008年5月26日今日の午後は仕事で大津市の何カ所かをまわった。行きは地下鉄と京阪、帰りはJRに乗る。その間に携帯で連絡をもらっている人がいたのだが、こちらがかけても出てくれない。電車に乗っている時に返信をされても困るので、帰りの車中では電源を消すことにした。
すると不思議なほど気持ちが良くなっていた自分がいることに気づく。どうしてなのだろうかと考えた。
現代人らしくない話だが、私は持ちたくて携帯を持った人間ではない。仕事で連絡がとれないと困るという圧力がかかったから、仕方なく所持したまでである。
そして、持った結果は予想通りだった。私が携帯をかけるということは圧倒的に少ない。ほとんどは向こうからかかってくる電話である。
携帯が便利なのは否定しない。便利だからこそこれほど普及したのだろう。しかし、「便利に利用すること」と「便利に利用されること」が表裏一体だと気づいている人はどれほどいるのだろうか。携帯の電源を切った時、私はそれに気づいたのだろう。携帯に「つながれていた」自分が、一瞬だけであるが、解放されたのである。
私の大好きなバンド、イースタン・ユースに“矯正視力〇・六”という名曲に、
携帯電話を破壊して
ようやく世界とつながった
という一節がある。携帯から切り離された時間も必要なのかもしれない。せめて車中では電源を切ろうかな、考えている。
すると不思議なほど気持ちが良くなっていた自分がいることに気づく。どうしてなのだろうかと考えた。
現代人らしくない話だが、私は持ちたくて携帯を持った人間ではない。仕事で連絡がとれないと困るという圧力がかかったから、仕方なく所持したまでである。
そして、持った結果は予想通りだった。私が携帯をかけるということは圧倒的に少ない。ほとんどは向こうからかかってくる電話である。
携帯が便利なのは否定しない。便利だからこそこれほど普及したのだろう。しかし、「便利に利用すること」と「便利に利用されること」が表裏一体だと気づいている人はどれほどいるのだろうか。携帯の電源を切った時、私はそれに気づいたのだろう。携帯に「つながれていた」自分が、一瞬だけであるが、解放されたのである。
私の大好きなバンド、イースタン・ユースに“矯正視力〇・六”という名曲に、
携帯電話を破壊して
ようやく世界とつながった
という一節がある。携帯から切り離された時間も必要なのかもしれない。せめて車中では電源を切ろうかな、考えている。
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受かってしまいました
2008年5月24日 とどめておきたこと、特記事項
昼食を済ませてから西陣の郵便局へ行く。昨日おくられていた配達記録を受け取るためである。送り先は情報処理推進機構(IPA)というところだ。
このIPAに関して自分が思い当たることといえば、先日に受験した初級シスアド試験だろう。しかし、である。確かこの試験の不合格者には特に連絡は来ないはずである。成績照会はIPAのサイトですることができるが、私はパスワードを忘れてしまったためにできていなかった。
ただ、午前問題は8割方とったとはいえ午後問題はもうガタガタだった。自分ではどう考えても受かっているとは思えない。あまり期待しないまま郵便局で大きめの封筒を受け取った。
そこには、
「合格証書在中」
「二ツ折厳禁」
と赤字で印刷されていた。中身は画像の通りである。
しかし、国家試験の合格証書をもらって言うのもどうかと思うが、自分としては受かる学力があったとはどうしても思えない。まさに「まぐれ」である。
それでも、履歴書にかける資格が保持できたのだから、これを励みに精進していこうとは思っている。
ところで、お断りするが、私は断じてコンピューターに強いとは言えない。これからもっと勉強します。まだまだこれからです。
このIPAに関して自分が思い当たることといえば、先日に受験した初級シスアド試験だろう。しかし、である。確かこの試験の不合格者には特に連絡は来ないはずである。成績照会はIPAのサイトですることができるが、私はパスワードを忘れてしまったためにできていなかった。
ただ、午前問題は8割方とったとはいえ午後問題はもうガタガタだった。自分ではどう考えても受かっているとは思えない。あまり期待しないまま郵便局で大きめの封筒を受け取った。
そこには、
「合格証書在中」
「二ツ折厳禁」
と赤字で印刷されていた。中身は画像の通りである。
しかし、国家試験の合格証書をもらって言うのもどうかと思うが、自分としては受かる学力があったとはどうしても思えない。まさに「まぐれ」である。
それでも、履歴書にかける資格が保持できたのだから、これを励みに精進していこうとは思っている。
ところで、お断りするが、私は断じてコンピューターに強いとは言えない。これからもっと勉強します。まだまだこれからです。
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たむけんの新しいブログが開設!
2008年5月23日今朝の「おはよう朝日です」(朝日放送)でたむらけんじが、ブログを始めたと言っていた。たむけんの公式サイトにはもともとブログは存在していたので、新しいものにしたのだろう。しかし「たむけん ブログ」で検索しても、ひっかかるのは民主党の田村謙治議員の「たむけんblog」か以前のブログだけだった。
番組でたむけんが、品川祐のブログで紹介したらドッと人が来た、と言っていたのでまずそこを探したらリンクが張られていた。
http://tamuken.laff.jp/
開設にしたのが昨日(5月22日)だから知られていないのも仕方ないか。私は人のブログを見る習慣がまったくないけれど、ここはたまに覗くかもしれないな。
しかし「炭火焼肉たむら」のメルマガ(あまり届かないが)まで登録している私っていったい何者なのだろう。
番組でたむけんが、品川祐のブログで紹介したらドッと人が来た、と言っていたのでまずそこを探したらリンクが張られていた。
http://tamuken.laff.jp/
開設にしたのが昨日(5月22日)だから知られていないのも仕方ないか。私は人のブログを見る習慣がまったくないけれど、ここはたまに覗くかもしれないな。
しかし「炭火焼肉たむら」のメルマガ(あまり届かないが)まで登録している私っていったい何者なのだろう。
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会場にいくずいぶん前から、
「今日は前に陣取るのはやめよう」
そう決めていた。整理番号が29番と非常に若い番号にもかかわらずである。
今日のバンドのどちらかのライブに行ったことのある人なら、私がなぜそう考えるかすぐ勘づくだろう。ステージ前にいると暴れるお客につぶされる恐れがあるからだ。そこで私は真ん中近くのそこそこの位置を確保して開演を待つ。目の前にはやはりヤバい雰囲気の連中がどんどん集まってくる。その中にはジェイソンのようなマスクをつけている男が一人いる。こいつは何をしにここに来たのだろう。顔を見る限りは30代後半、私よりずっと上のように見えるが。そうこうしているうちに会場はパンパンになる。今日の公演はモンパチの効果もあり即完売であった。
開演時間を15分ほど過ぎて、まずモンゴル800が登場する。彼らを最初に観たのは02年の4月3日、大阪城ホールでグリーン・デイのライブの前座においてだった。ちょうどアルバム「MESSAGE 」(01年)が異常に売れていた頃で人気も飽和状態の時ではないだろうか。それから野外ライブで一度観たくらいで、もう数年ぶりという感じである。彼らも結成10周年だという。
知らない曲も多いだろうなと思ってはいたところ、最初は沖縄民謡“安里屋ユンタ”を一節歌って、続いてユニコーンの“大迷惑”のカバーが演奏された。
最近はダイブなどもなくなったという話を耳にしたことがあるけれど、そんなのは大嘘で、“小さな恋の歌”あたりからステージに向かって転がっている連中が続出する。やはりと言うべきか、あのマスク野郎もそこに加わっていた。そうでなければあんなマスクはつけないだろうな。客席は高いテンションのまま1時間のライブが終わる。要所要所ではダイブが出てくる。
それから25分ほど舞台替えがある。やはりというべきか、さっきよりお客が減っているように見える。モンパチだけが目当てという人も多かったということか。
しかし黒い幕が開いて1曲目の“アニー”が始まるとすぐ、会場が揺れるほど盛り上がる。モンパチもジッタもお客のノリはそんなに違いはなかった。あのマスク男はここでもダイブしていた、ような気がする(少なくとも私の目の前で暴れていたのは確かだ)。
セットリストは最後に載せるけれど、“PLEASE DON’T CRY”と“大雨のブルース”は久しぶりに歌う、と春川玲子がMCで言っていた。“大雨のブルース”
は音源を調べてもなかったのでライブのみの曲かと思ったら、“雨”のアレンジを変えたものらしい。“黄金の夜明け”や“自転車”、それから初期の曲が演奏される時のお客の弾けぶりは恐ろしいほどである。ライブを「楽しく観る」、「楽しく聴く」ためには前に行かない方がいい、本当に。
私は周囲に押しつぶされることなく楽しめたので満足だったけれど、目の前で暴れている連中には正直いってうんざりしている。ただ、彼らの顔を見ていると本当に楽しそうだ。そういう場を提供していることは本当に素晴らしいことで、そういう点でモンパチやジッタのような存在は小さくないとは思っている。
【演奏曲目】
(1)アニー
(2)指輪
(3)やけっぱりのドンチャラミー
(4)猫娘
(5)恋のルアー
(6)こいのぼり
(7)PLEASE DON’T CRY
(8)黄金の夜明け
(9)自転車
(10)大雨のブルース
(11)相合傘
(12)夏祭り
(13)晴
〈アンコール〉
(14)クローバー
(15)プレゼント
「今日は前に陣取るのはやめよう」
そう決めていた。整理番号が29番と非常に若い番号にもかかわらずである。
今日のバンドのどちらかのライブに行ったことのある人なら、私がなぜそう考えるかすぐ勘づくだろう。ステージ前にいると暴れるお客につぶされる恐れがあるからだ。そこで私は真ん中近くのそこそこの位置を確保して開演を待つ。目の前にはやはりヤバい雰囲気の連中がどんどん集まってくる。その中にはジェイソンのようなマスクをつけている男が一人いる。こいつは何をしにここに来たのだろう。顔を見る限りは30代後半、私よりずっと上のように見えるが。そうこうしているうちに会場はパンパンになる。今日の公演はモンパチの効果もあり即完売であった。
開演時間を15分ほど過ぎて、まずモンゴル800が登場する。彼らを最初に観たのは02年の4月3日、大阪城ホールでグリーン・デイのライブの前座においてだった。ちょうどアルバム「MESSAGE 」(01年)が異常に売れていた頃で人気も飽和状態の時ではないだろうか。それから野外ライブで一度観たくらいで、もう数年ぶりという感じである。彼らも結成10周年だという。
知らない曲も多いだろうなと思ってはいたところ、最初は沖縄民謡“安里屋ユンタ”を一節歌って、続いてユニコーンの“大迷惑”のカバーが演奏された。
最近はダイブなどもなくなったという話を耳にしたことがあるけれど、そんなのは大嘘で、“小さな恋の歌”あたりからステージに向かって転がっている連中が続出する。やはりと言うべきか、あのマスク野郎もそこに加わっていた。そうでなければあんなマスクはつけないだろうな。客席は高いテンションのまま1時間のライブが終わる。要所要所ではダイブが出てくる。
それから25分ほど舞台替えがある。やはりというべきか、さっきよりお客が減っているように見える。モンパチだけが目当てという人も多かったということか。
しかし黒い幕が開いて1曲目の“アニー”が始まるとすぐ、会場が揺れるほど盛り上がる。モンパチもジッタもお客のノリはそんなに違いはなかった。あのマスク男はここでもダイブしていた、ような気がする(少なくとも私の目の前で暴れていたのは確かだ)。
セットリストは最後に載せるけれど、“PLEASE DON’T CRY”と“大雨のブルース”は久しぶりに歌う、と春川玲子がMCで言っていた。“大雨のブルース”
は音源を調べてもなかったのでライブのみの曲かと思ったら、“雨”のアレンジを変えたものらしい。“黄金の夜明け”や“自転車”、それから初期の曲が演奏される時のお客の弾けぶりは恐ろしいほどである。ライブを「楽しく観る」、「楽しく聴く」ためには前に行かない方がいい、本当に。
私は周囲に押しつぶされることなく楽しめたので満足だったけれど、目の前で暴れている連中には正直いってうんざりしている。ただ、彼らの顔を見ていると本当に楽しそうだ。そういう場を提供していることは本当に素晴らしいことで、そういう点でモンパチやジッタのような存在は小さくないとは思っている。
【演奏曲目】
(1)アニー
(2)指輪
(3)やけっぱりのドンチャラミー
(4)猫娘
(5)恋のルアー
(6)こいのぼり
(7)PLEASE DON’T CRY
(8)黄金の夜明け
(9)自転車
(10)大雨のブルース
(11)相合傘
(12)夏祭り
(13)晴
〈アンコール〉
(14)クローバー
(15)プレゼント
我が「最大の敵」の復活はあるか
2008年5月19日来年からサザンオールスターズが無期限の活動休止をするというニュースを見たのはミクシィのページだったか。
本人にはどうでも良い話だが、私にとって桑田佳祐という人は「最大の敵」である。なんとか批判したいけれど、「くだらない」とか「バカだ」とか「クズだ」とか安易にいえない手強い相手という意味でそう思っている。
たとえば、桑田の曲はワンパターンだ、という批判というか難癖を見かけるけれど、それは彼の才能の大きさを証明する以外のなにものでもない。単にワンパターンで表現が乏しいミュージシャンだったとしたら、どうしてあれだけのセールスを記録できるというのか。不明瞭なボーカルにしても、突拍子も無いパフォーマンスにしても、どこかの曲のパクリだとかいう指摘も、30年も一線で活躍してきたという実績の前では「イチャモン」の一言で片付けられるだろう。
そんな実力者にもかかわらず、私は桑田のことが大嫌いである。いやむしろ、彼があれだけの人気を持続していることに対して嫌悪感を抱いているのかもしれない。
桑田佳祐という人は非常に欲望の強い人である。人気とかセールスといったものへの執着が異常にあるためここまで生きてこれたのだろう。私はそう思っている。
私が彼を本当に嫌になったのは、忘れもしない93年の12月1日におこなわれた「AAA〜アクト・アゲインスト・エイズ」というイベントを衛星放送で観た時である。この日は「エイズ撲滅」をキーワードに多くのミュージシャンが全国でライブをおこなった。日本武道館では桑田がプロデューサーを務め、昔の良い曲を歌おうという趣旨で多くのミュージシャンが他人の曲をカバーしていた。私は渡辺美里が目当てで衛星放送を観ていたが、彼女が“鉄腕アトム”や“タイムマシーンにお願い”を歌っている姿に、
「彼女のオリジナルが聴きたかったなあ。でもイベントの趣旨が趣旨だし・・・」
と諦めていたところ、桑田が最後の最後で自身の“勝手にシンドバッド”を歌い出したのである。
これには子ども心にも、
「それは反則でしょう!しかも、あんたは今日のプロデューサーでしょうが!」
と憤慨してしまった。この日のショックというか嫌悪感は相当なもので、一緒に出ていた美里に対しても、
「こんなイベントに出やがって・・・桑田のダシにされただけだろうが!」
と矛先を向けた時期もあったほどである。
しかし、思えば桑田という人はこうした手法をずっと繰り返していたのでないだろうか。長渕剛が彼を嫌っていたのは、83年の名古屋球場ライブで共演すると言ったのに前座扱いされたということに対してである。また95年にMr.Childrenと“奇跡の地球”を共演した時も、ミスチルの人気にあやかるどころか、それを踏みつけてさらに上に行こうというような意志を感じさせた。
こうした光景を見るにつけ、大物らしくない態度だなあ、とつくづく思ってしまう。たとえば同じAAAの横浜アリーナでプロデューサーを担当していた佐野元春は、イベントの時間が長引いたため自分の曲数を減らしている。そんな佐野の態度と桑田の行為とは好対照というしかない。
サザンおよび桑田に対して、最初は胡散臭いミュージシャンと感じて嫌っていた程度のレベルだったが、こんな事例も相まってひときわ強い嫌悪感が私の中で育った次第である。ラジオで曲がかかったり、テレビに映った瞬間には電源を消すのが常であった。そしてそんな生活を繰り返すうち、この10年くらいサザンや桑田の音楽に接しなかった。よって、自分としてはサザンの活動休止について別に喜ぶとかいった感情はまったく起きていない。
ところで、ウィキペディアなどで調べてみれば、サザンはいままで活動休止を何度も宣言している。だから、おそらくまたしばらくして活動再開するに違いない。桑田のあの強烈な欲望が続く限り、また見事に復活してしまうだろう。しかし、もはや私にとってはどうでも良いことである。いや、実はかつての彼に対する嫌悪感もすっかり消えているのかもしれない。だからといってサザンや桑田の音楽を聴くつもりはこれからもないけどね。
本人にはどうでも良い話だが、私にとって桑田佳祐という人は「最大の敵」である。なんとか批判したいけれど、「くだらない」とか「バカだ」とか「クズだ」とか安易にいえない手強い相手という意味でそう思っている。
たとえば、桑田の曲はワンパターンだ、という批判というか難癖を見かけるけれど、それは彼の才能の大きさを証明する以外のなにものでもない。単にワンパターンで表現が乏しいミュージシャンだったとしたら、どうしてあれだけのセールスを記録できるというのか。不明瞭なボーカルにしても、突拍子も無いパフォーマンスにしても、どこかの曲のパクリだとかいう指摘も、30年も一線で活躍してきたという実績の前では「イチャモン」の一言で片付けられるだろう。
そんな実力者にもかかわらず、私は桑田のことが大嫌いである。いやむしろ、彼があれだけの人気を持続していることに対して嫌悪感を抱いているのかもしれない。
桑田佳祐という人は非常に欲望の強い人である。人気とかセールスといったものへの執着が異常にあるためここまで生きてこれたのだろう。私はそう思っている。
私が彼を本当に嫌になったのは、忘れもしない93年の12月1日におこなわれた「AAA〜アクト・アゲインスト・エイズ」というイベントを衛星放送で観た時である。この日は「エイズ撲滅」をキーワードに多くのミュージシャンが全国でライブをおこなった。日本武道館では桑田がプロデューサーを務め、昔の良い曲を歌おうという趣旨で多くのミュージシャンが他人の曲をカバーしていた。私は渡辺美里が目当てで衛星放送を観ていたが、彼女が“鉄腕アトム”や“タイムマシーンにお願い”を歌っている姿に、
「彼女のオリジナルが聴きたかったなあ。でもイベントの趣旨が趣旨だし・・・」
と諦めていたところ、桑田が最後の最後で自身の“勝手にシンドバッド”を歌い出したのである。
これには子ども心にも、
「それは反則でしょう!しかも、あんたは今日のプロデューサーでしょうが!」
と憤慨してしまった。この日のショックというか嫌悪感は相当なもので、一緒に出ていた美里に対しても、
「こんなイベントに出やがって・・・桑田のダシにされただけだろうが!」
と矛先を向けた時期もあったほどである。
しかし、思えば桑田という人はこうした手法をずっと繰り返していたのでないだろうか。長渕剛が彼を嫌っていたのは、83年の名古屋球場ライブで共演すると言ったのに前座扱いされたということに対してである。また95年にMr.Childrenと“奇跡の地球”を共演した時も、ミスチルの人気にあやかるどころか、それを踏みつけてさらに上に行こうというような意志を感じさせた。
こうした光景を見るにつけ、大物らしくない態度だなあ、とつくづく思ってしまう。たとえば同じAAAの横浜アリーナでプロデューサーを担当していた佐野元春は、イベントの時間が長引いたため自分の曲数を減らしている。そんな佐野の態度と桑田の行為とは好対照というしかない。
サザンおよび桑田に対して、最初は胡散臭いミュージシャンと感じて嫌っていた程度のレベルだったが、こんな事例も相まってひときわ強い嫌悪感が私の中で育った次第である。ラジオで曲がかかったり、テレビに映った瞬間には電源を消すのが常であった。そしてそんな生活を繰り返すうち、この10年くらいサザンや桑田の音楽に接しなかった。よって、自分としてはサザンの活動休止について別に喜ぶとかいった感情はまったく起きていない。
ところで、ウィキペディアなどで調べてみれば、サザンはいままで活動休止を何度も宣言している。だから、おそらくまたしばらくして活動再開するに違いない。桑田のあの強烈な欲望が続く限り、また見事に復活してしまうだろう。しかし、もはや私にとってはどうでも良いことである。いや、実はかつての彼に対する嫌悪感もすっかり消えているのかもしれない。だからといってサザンや桑田の音楽を聴くつもりはこれからもないけどね。
ブログよりも営業を
2008年5月17日今日は京都市内のある某ラーメン店の話を。
その店は開店当初から知っている店で、味もさることながらそのボリュームが魅力的だ。そういう理由もあり、ほどなくして昼時には行列もできる人気店へと成長する。私もお腹がすいた時は、自転車を30分ほどこいでその店に行くことも多かった。
しかし、理由はわからないが、ある時期から店は休みがちになる。せっかく行っても開いていないことが何度か続いた。そんな状態が続きお客からの苦情も多かったのだろう。先月からブログを開設して営業情報を載せるようになった。
店がブログを開設した理由はわかるが、はっきりいって本質的な問題は解決しないだろう。安定的な営業ができない状態にあることがそもそもの原因なのだから。
たとえば営業日を月・水・金だけに限定するとか、決まった日に営業するような方策をとらない限り、お客との行き違いも減らないと思う。営業できそうな時はなるべく開けようというのは、心情的には理解できるのだが、結果としてお客が混乱するだけである。
ブログに営業情報を載せる方法にしても、今日は20時から営業します、とその日の午前11時29分に書かれても見る人にはたいして役には立たないだろう。昼に行ってみようかな、と思っていた人にとっては掲載が遅すぎる。私もこの店は昼に行くのがほとんどだし。
またブログの内容には営業情報以外も書かれているが、その内容にも気になる点がある。たとえば某巨大掲示板に店の批判があって、それを読んでショックを受けたというのである。しかもその書き込みに対してブログで謝罪までしているのだから呆れてしまう。あんなものを気にしてどうするのだろう?だいたいブログで反応をするなんて、ああしたところに巣食っている連中の格好のネタをなるだろうが。
愚痴のようなことを書いている日もある。店を休めば怒られるが、ちゃんと営業してもほめられない、というような内容だったと記憶してる。「記憶してる」と書いたのは、その日の日記が店の主人によって削除されたためだ。いまは「不適切でした。不愉快な思いをさせて申し訳ありません」うんぬんの謝罪文に変わっている。
いずれにしても、読んでいて楽しいブログではないと思う。
私はこの店が好きだし、ご主人もいい感じの人だ。良い人だからこそ、掲示板の書き込みを気にしたりするのだろう。それゆえ、ブログを更新するよりも店の営業に集中させた方が良いのでは?と言いたくなってしまうのだ。
その店は開店当初から知っている店で、味もさることながらそのボリュームが魅力的だ。そういう理由もあり、ほどなくして昼時には行列もできる人気店へと成長する。私もお腹がすいた時は、自転車を30分ほどこいでその店に行くことも多かった。
しかし、理由はわからないが、ある時期から店は休みがちになる。せっかく行っても開いていないことが何度か続いた。そんな状態が続きお客からの苦情も多かったのだろう。先月からブログを開設して営業情報を載せるようになった。
店がブログを開設した理由はわかるが、はっきりいって本質的な問題は解決しないだろう。安定的な営業ができない状態にあることがそもそもの原因なのだから。
たとえば営業日を月・水・金だけに限定するとか、決まった日に営業するような方策をとらない限り、お客との行き違いも減らないと思う。営業できそうな時はなるべく開けようというのは、心情的には理解できるのだが、結果としてお客が混乱するだけである。
ブログに営業情報を載せる方法にしても、今日は20時から営業します、とその日の午前11時29分に書かれても見る人にはたいして役には立たないだろう。昼に行ってみようかな、と思っていた人にとっては掲載が遅すぎる。私もこの店は昼に行くのがほとんどだし。
またブログの内容には営業情報以外も書かれているが、その内容にも気になる点がある。たとえば某巨大掲示板に店の批判があって、それを読んでショックを受けたというのである。しかもその書き込みに対してブログで謝罪までしているのだから呆れてしまう。あんなものを気にしてどうするのだろう?だいたいブログで反応をするなんて、ああしたところに巣食っている連中の格好のネタをなるだろうが。
愚痴のようなことを書いている日もある。店を休めば怒られるが、ちゃんと営業してもほめられない、というような内容だったと記憶してる。「記憶してる」と書いたのは、その日の日記が店の主人によって削除されたためだ。いまは「不適切でした。不愉快な思いをさせて申し訳ありません」うんぬんの謝罪文に変わっている。
いずれにしても、読んでいて楽しいブログではないと思う。
私はこの店が好きだし、ご主人もいい感じの人だ。良い人だからこそ、掲示板の書き込みを気にしたりするのだろう。それゆえ、ブログを更新するよりも店の営業に集中させた方が良いのでは?と言いたくなってしまうのだ。
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円満退社は難しい。だけど、
2008年5月16日ひったくりの件に続き、また近所の話を少し書きたい。
近くに鉄板焼きが主体の居酒屋がある。そこの店員の一人が先日いきなり辞めてしまった。話によれば、店の人と口論の末に出て行ったらしい。近所にも声が聞こえるほど激しいやり取りだったという。
その辞めた人と私とはたいして面識はない。ただ、行きつけのラーメン店で毎週のように出くわしていて、お互いの顔は認識しているくらいの仲ではあった。
彼がラーメン店に訪れるのは、食事をする時もあったが、だいたいはその店のビール「アサヒスタイニーボトル」を買うためがほとんどだった。店長によると、仕事中にこっそりと抜け出して買っているのだという。勤務中に酒を飲むのは感心できる話ではない。だが、飲まないとやってられない、と愚痴をこぼしていたらしい。
それからしばらくして、我慢の限界を超えて辞めてしまったというわけだ。
私には彼の苦しみとか苦労を理解することはできない。しかし、飛び出すように辞めてしまうのは賢明なやり方とはいえまい。経営者はもちろん、彼にしても後味が悪かったのではないだろうか。
ラーメン店で彼と顔を合わせたら、
「変な客が来てる」
「昼からずっといるでしょう?」
などと言われたことがあるが、ここ最近はずっと会っていない。果たして今はどうしているのやら。
その居酒屋といえば、こないだから改装工事に入った。そういう忙しい時期に辞めてしまったのだから、やはりタイミングが悪すぎたとしかいえない。別に彼を責めるつもりはないのだけれど、上手な引き際というのは難しいということを痛感させる出来事であった。
近くに鉄板焼きが主体の居酒屋がある。そこの店員の一人が先日いきなり辞めてしまった。話によれば、店の人と口論の末に出て行ったらしい。近所にも声が聞こえるほど激しいやり取りだったという。
その辞めた人と私とはたいして面識はない。ただ、行きつけのラーメン店で毎週のように出くわしていて、お互いの顔は認識しているくらいの仲ではあった。
彼がラーメン店に訪れるのは、食事をする時もあったが、だいたいはその店のビール「アサヒスタイニーボトル」を買うためがほとんどだった。店長によると、仕事中にこっそりと抜け出して買っているのだという。勤務中に酒を飲むのは感心できる話ではない。だが、飲まないとやってられない、と愚痴をこぼしていたらしい。
それからしばらくして、我慢の限界を超えて辞めてしまったというわけだ。
私には彼の苦しみとか苦労を理解することはできない。しかし、飛び出すように辞めてしまうのは賢明なやり方とはいえまい。経営者はもちろん、彼にしても後味が悪かったのではないだろうか。
ラーメン店で彼と顔を合わせたら、
「変な客が来てる」
「昼からずっといるでしょう?」
などと言われたことがあるが、ここ最近はずっと会っていない。果たして今はどうしているのやら。
その居酒屋といえば、こないだから改装工事に入った。そういう忙しい時期に辞めてしまったのだから、やはりタイミングが悪すぎたとしかいえない。別に彼を責めるつもりはないのだけれど、上手な引き際というのは難しいということを痛感させる出来事であった。
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ヴァン・モリソン「キープ・イット・シンプル」(08年)
2008年5月14日 CD評など
(1)How Can a Poor Boy? ハウ・キャン・ア・プア・ボーイ
(2)School of Hard Knocks スクール・オブ・ハード・ノックス
(3)That’s Entrainment ザッツ・エンターテインメント
(4) Don’t Go to Nightclubs Anymore ドント・ゴー・トゥ・ナイトクラブズ・エニーモア
(5) Lover Come Back ラヴァー・カム・バック
(6)Keep It Simple キープ・イット・シンプル
(7) End of the Land エンド・オブ・ザ・ランド
(8) Song of Home ソング・オブ・ホーム
(9) No Thing ノー・シング
(10)Soul ソウル
(11)Behind the Ritual ビハインド・ザ・リチュアル
過去の作品がドッと再発されるにもかかわらず、日本でまったく盛り上がる気配のないヴァン・モリソンであるが、アメリカでは人気が再燃しているらしい。この新作「キープ・イット・シンプル」もオリジナル・アルバムとしては過去最高の10位を記録したのは先日に述べた通りである。
ヴァン・モリソンは伝説の人ではなく、いまだに現役のミュージシャンだ。ブランクらしきものもないまま今日まで作品を作りつづけてきた創作力は、浮き沈みの激しい音楽業界の中で驚異的とさえいる。そして、この「キープ・イット・シンプル」も現在の彼が過去に流されていないことを証明する作品だ。この堂々たる新作の発売を機会に新しい聴き手が少しでも増えてくることを願いたい。
などと書いてみたが、このアルバムを聴いた瞬間、
「いつになく地味だなあ!」
と率直に思ってしまった。はっきり言わせてもらうが、ヴァン・モリソンをこれから聴こうと思う人はこのアルバムに手を出さない方が良いだろう。いや、別にお買い上げていただいても一向に構わないが、これでヴァンの魅力がパッと感じてもらえるかどうかは心もとない。これは彼の作品を何十枚も持っている私の感想だ。多少は参考にしてもらえればと思う。
一方、ここ数日の私といえばこのアルバムを繰り返す聴く日々を送っている。やはり今回のアルバムもいつも通りファンの期待を裏切らない作品であることは間違いない。というわけで、この「キープ・イット・シンプル」はどの部分が地味で、そしてどの部分が魅力的なのか。そのあたりを中心に述べてみようと思う。
さきほど「地味!」と書いたが、本作の大きな特徴はやはりその抑制された音作りであろう。試しに、前作「ペイ・ザ・デヴィル」(06年)でも、その前の「マジック・タイム」(05年)でも、過去の適当なアルバムと比較してみよう。ここまで少ない音でできた作品は見当たらないはずである。
また、曲調もおおむね平板というか淡々としたものばかりである。ブルース色の強い曲もあるけれど、基本的に起伏のある展開はまったく無い。熱心なファンに向けて解説すれば、本作は77年に出た「安息への旅」(A Period Of Transition)よりも地味なアルバムに位置づけられるだろう。すごいでしょ?
これだけ書くと、なんか1回聴いただけで忘れ去られてしまうような作品と思う人もいるかもしれない。しかし、そんなアルバムをなぜ私は繰り返し聴くのだろうか。こういう疑問は得てしてなかなか答えがでないものだが、自分の中でしっかりとした回答ができあがっている。
今回はバックがあまりにも地味な音のために、ヴァンのヴォーカルが不思議と前面に出ているからだ。そして、それがこのアルバムの一番の魅力になっている。
と言ってはみたものの、世間的に「うまい歌手」といえる人なのかどうかは怪しい。還暦を過ぎてもはや熱唱などするはすもないし、それどころかタイトル曲“キープ・イット・シンプル”など声が割れてよく聴き取れない箇所もある。よくこれで商品にできたな、と意地の悪い批判がおきても不思議ではない。しかし、アルバムを通して聴いているうちにジワジワと引き込まれてしまう。音楽とか歌というのは表面に出ているものだけではないのだ。たぶんそれは彼のファンならば感じてもらえると確信している。
それから、今回は全曲ヴァンのオリジナルで構成されていることも、私が繰り返し聴く要因の一つかもしれない。カバーが含まれていないアルバムは「バック・オン・トップ」(99年)以来だが、リアルタイムで彼のアルバムを繰り返し聴いていたのもその頃が最後だったような気もする。
やはり自分はヴァンの曲が好きなんだなあ、ということも再認識しながらこのアルバムに接している日々である。
(2)School of Hard Knocks スクール・オブ・ハード・ノックス
(3)That’s Entrainment ザッツ・エンターテインメント
(4) Don’t Go to Nightclubs Anymore ドント・ゴー・トゥ・ナイトクラブズ・エニーモア
(5) Lover Come Back ラヴァー・カム・バック
(6)Keep It Simple キープ・イット・シンプル
(7) End of the Land エンド・オブ・ザ・ランド
(8) Song of Home ソング・オブ・ホーム
(9) No Thing ノー・シング
(10)Soul ソウル
(11)Behind the Ritual ビハインド・ザ・リチュアル
過去の作品がドッと再発されるにもかかわらず、日本でまったく盛り上がる気配のないヴァン・モリソンであるが、アメリカでは人気が再燃しているらしい。この新作「キープ・イット・シンプル」もオリジナル・アルバムとしては過去最高の10位を記録したのは先日に述べた通りである。
ヴァン・モリソンは伝説の人ではなく、いまだに現役のミュージシャンだ。ブランクらしきものもないまま今日まで作品を作りつづけてきた創作力は、浮き沈みの激しい音楽業界の中で驚異的とさえいる。そして、この「キープ・イット・シンプル」も現在の彼が過去に流されていないことを証明する作品だ。この堂々たる新作の発売を機会に新しい聴き手が少しでも増えてくることを願いたい。
などと書いてみたが、このアルバムを聴いた瞬間、
「いつになく地味だなあ!」
と率直に思ってしまった。はっきり言わせてもらうが、ヴァン・モリソンをこれから聴こうと思う人はこのアルバムに手を出さない方が良いだろう。いや、別にお買い上げていただいても一向に構わないが、これでヴァンの魅力がパッと感じてもらえるかどうかは心もとない。これは彼の作品を何十枚も持っている私の感想だ。多少は参考にしてもらえればと思う。
一方、ここ数日の私といえばこのアルバムを繰り返す聴く日々を送っている。やはり今回のアルバムもいつも通りファンの期待を裏切らない作品であることは間違いない。というわけで、この「キープ・イット・シンプル」はどの部分が地味で、そしてどの部分が魅力的なのか。そのあたりを中心に述べてみようと思う。
さきほど「地味!」と書いたが、本作の大きな特徴はやはりその抑制された音作りであろう。試しに、前作「ペイ・ザ・デヴィル」(06年)でも、その前の「マジック・タイム」(05年)でも、過去の適当なアルバムと比較してみよう。ここまで少ない音でできた作品は見当たらないはずである。
また、曲調もおおむね平板というか淡々としたものばかりである。ブルース色の強い曲もあるけれど、基本的に起伏のある展開はまったく無い。熱心なファンに向けて解説すれば、本作は77年に出た「安息への旅」(A Period Of Transition)よりも地味なアルバムに位置づけられるだろう。すごいでしょ?
これだけ書くと、なんか1回聴いただけで忘れ去られてしまうような作品と思う人もいるかもしれない。しかし、そんなアルバムをなぜ私は繰り返し聴くのだろうか。こういう疑問は得てしてなかなか答えがでないものだが、自分の中でしっかりとした回答ができあがっている。
今回はバックがあまりにも地味な音のために、ヴァンのヴォーカルが不思議と前面に出ているからだ。そして、それがこのアルバムの一番の魅力になっている。
と言ってはみたものの、世間的に「うまい歌手」といえる人なのかどうかは怪しい。還暦を過ぎてもはや熱唱などするはすもないし、それどころかタイトル曲“キープ・イット・シンプル”など声が割れてよく聴き取れない箇所もある。よくこれで商品にできたな、と意地の悪い批判がおきても不思議ではない。しかし、アルバムを通して聴いているうちにジワジワと引き込まれてしまう。音楽とか歌というのは表面に出ているものだけではないのだ。たぶんそれは彼のファンならば感じてもらえると確信している。
それから、今回は全曲ヴァンのオリジナルで構成されていることも、私が繰り返し聴く要因の一つかもしれない。カバーが含まれていないアルバムは「バック・オン・トップ」(99年)以来だが、リアルタイムで彼のアルバムを繰り返し聴いていたのもその頃が最後だったような気もする。
やはり自分はヴァンの曲が好きなんだなあ、ということも再認識しながらこのアルバムに接している日々である。
久しぶりに白髪を
2008年5月7日30歳になるあたりから、もう若くはないんだ、という自覚を持つようにしていた。別に老け込むつもりでもない。周囲から指摘されても平静でいられるように準備をしようと思ったまでである。自分で自分を「オジサン」と言い始めたのも30歳を過ぎた頃だ。
また、以前は白髪を見つければすぐ引っこ抜いていたけれど、放っておこうと思った。これからは増える一方になるからだ。
しかし今日、ふと洗面所の鏡を見ると、スーッと長く伸びている2本の白髪が気になってしかたない。そこで思い切ってそれを毛抜きで抜いてみた。黒い髪も1本よけいに取ってしまったが、まだ染めるより抜いたほうが良い気がする。
ちなみに、鼻毛を抜いた時もたまに白いのが出てくることがある。
また、以前は白髪を見つければすぐ引っこ抜いていたけれど、放っておこうと思った。これからは増える一方になるからだ。
しかし今日、ふと洗面所の鏡を見ると、スーッと長く伸びている2本の白髪が気になってしかたない。そこで思い切ってそれを毛抜きで抜いてみた。黒い髪も1本よけいに取ってしまったが、まだ染めるより抜いたほうが良い気がする。
ちなみに、鼻毛を抜いた時もたまに白いのが出てくることがある。
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