ヴァン・モリソン「魂の道のり」(74年。08年に再発。SHM-CD仕様)
2008年8月24日 CD評など
【ディスク1】
(1)Ain’t Nothin’ You Can Do エイント・ナッシン・ユー・キャン・ドゥ
(2)Warm Love ウォーム・ラヴ
(3)Into the Mystic イントゥ・ザ・ミスティック
(4)These Dreams of You ジーズ・ドリームス・オブ・ユー
(5)I Believe to My Soul アイ・ビリーヴ・トゥ・マイ・ソウル
(6)I’ve Been Working アイヴ・ビーン・ワーキング
(7)Help Me ヘルプ・ミー
(8)Wild Children ワイルド・チルドレン
(9)Domino ドミノ
(10)I Just Want to Make Love to You 君を愛したい
【ディスク2】
(1)Bring It on Home to Me 悲しき叫び
(2)Saint Dominic’s Preview セント・ドミニクの予言
(3)Take Your Hands out of My Pocket テイク・ユア・ハンド・アウト・オブ・マイ・ポケット
(4)Listen to the Lion リッスン・トゥ・ザ・ライオン
(5)Here Comes the Night ヒア・カムズ・ザ・ナイト
(6)Gloria グローリア
(7)Caravan キャラヴァン
(8)Cyprus Avenue サイプリス・アヴェニュー
〈ボーナストラック〉
(9)Brown Eyed Girl ブラウン・アイド・ガール
11人編成という大所帯バンド「カレドニア・ソウル・オーケストラ」を従えて73年の夏にアメリカとヨーロッパのツアーの模様を収めたライブ・アルバムである。「魂の道のり」(It’s Too Late to Stop Now... )と名付けられたこの作品は、トルバドール(ロサンゼルス)、サンタ・モニカ・シビック(サンタ・モニカ)、レインボー・シアター(ロンドン)の3か所からの音源が収録された。
収録曲はゼム時代の2曲、そして直前に出た「苦闘のハイウェイ」(73年)までの楽曲が入っている。そしてオリジナル以外に6曲のカバーが取り上げられた構成だ。
通して聴くと、ヴァン・モリソンという人の姿勢は変わっていないのを実感する。ステージで彼の好きな「ロック以前」の曲を配置しているというのは、21世紀に入った現在でも彼のライブの一貫した流れである。
このアルバムで取り上げている人は、
ボビー・ブランド(“Ain’t Nothin’ You Can Do”)
レイ・チャールズ(“I Believe to My Soul”)
サム・クック(“Bring It on Home to Me”)
ウィリー・ディクソン(“I Just Want to Make Love to You ”)
ソニー・ボーイ・ウィリアムス(“Help Me”、“Take Your Hands out of My Pocket”)
とソウルの巨人がズラリと並ぶ。特に“Help Me”に至っては、94年の「ア・ナイト・イン・サンフランシスコ」、06年のLive at Austin City Limits Festival」といったライブ盤でも演奏されているので、彼にとってかなり愛着のある曲と想像できる。
ただ、ヴァンはソウル以外にカントリーやロックンロール、スキッフルなどといった音楽もカバーしているのを考えると、ここでの選曲はかなり黒っぽさが強いものとなっている。この時期の彼は白人としてのソウル・シンガーを目指していたのだろうか。
このアルバムだけの魅力といえば、若き日のヴァンの歌声が聴けることではないだろうか。まだ20代後半だった彼の、いまでは到底みられない勢いや熱気が記録されているのは貴重というしかない。いまだにライブの観られない国の人間にとっては、余計にそう感じるだろう(私はライブを観てますけど)。
ライブの曲順も、現在のようには“Gloria”が最後ではなく、アンコールは“Cyprus Avenue”で締めるというのが当時の流れだった。さらにアンコールがあった時は“Brown Eyed Girl”が歌われた。それが今回ボーナストラックとして追加されたわけだ。
ジョニー・ローガンも伝記「魂の道のり」において、
〈《魂の道のり》は70年代初期のロックが誇る貴重な遺産であり、80年代にまでその価値が継承された、数少ない2枚組ライブ盤の一つだ。無論、その内容は完璧とはいえないまでも、一般的なロックのライブ・アルバムの低水準を考えれば、その占める地位の高さたるや相当のものである。〉(p.233)
と珍しく高い評価をしている。確かに「これがライブ・アルバムの音?」と思ってしまうほど完成度の高い演奏が続く。このアルバムはヴァン・モリソンの頂点を捉えたた記録と同時に、ライブ・アルバムの傑作としても列挙したくなる名盤である。さらにリマスタリングを施され、その内容はより強固なものになった。
このバンドでやり遂げたという意識が本人にもあったのだろう。この作品を出す直前にカレドニア・ソウル・オーケストラを解散してしまった。孤高のシンガーはまた新しい出発を踏み出すことになる。
(1)Ain’t Nothin’ You Can Do エイント・ナッシン・ユー・キャン・ドゥ
(2)Warm Love ウォーム・ラヴ
(3)Into the Mystic イントゥ・ザ・ミスティック
(4)These Dreams of You ジーズ・ドリームス・オブ・ユー
(5)I Believe to My Soul アイ・ビリーヴ・トゥ・マイ・ソウル
(6)I’ve Been Working アイヴ・ビーン・ワーキング
(7)Help Me ヘルプ・ミー
(8)Wild Children ワイルド・チルドレン
(9)Domino ドミノ
(10)I Just Want to Make Love to You 君を愛したい
【ディスク2】
(1)Bring It on Home to Me 悲しき叫び
(2)Saint Dominic’s Preview セント・ドミニクの予言
(3)Take Your Hands out of My Pocket テイク・ユア・ハンド・アウト・オブ・マイ・ポケット
(4)Listen to the Lion リッスン・トゥ・ザ・ライオン
(5)Here Comes the Night ヒア・カムズ・ザ・ナイト
(6)Gloria グローリア
(7)Caravan キャラヴァン
(8)Cyprus Avenue サイプリス・アヴェニュー
〈ボーナストラック〉
(9)Brown Eyed Girl ブラウン・アイド・ガール
11人編成という大所帯バンド「カレドニア・ソウル・オーケストラ」を従えて73年の夏にアメリカとヨーロッパのツアーの模様を収めたライブ・アルバムである。「魂の道のり」(It’s Too Late to Stop Now... )と名付けられたこの作品は、トルバドール(ロサンゼルス)、サンタ・モニカ・シビック(サンタ・モニカ)、レインボー・シアター(ロンドン)の3か所からの音源が収録された。
収録曲はゼム時代の2曲、そして直前に出た「苦闘のハイウェイ」(73年)までの楽曲が入っている。そしてオリジナル以外に6曲のカバーが取り上げられた構成だ。
通して聴くと、ヴァン・モリソンという人の姿勢は変わっていないのを実感する。ステージで彼の好きな「ロック以前」の曲を配置しているというのは、21世紀に入った現在でも彼のライブの一貫した流れである。
このアルバムで取り上げている人は、
ボビー・ブランド(“Ain’t Nothin’ You Can Do”)
レイ・チャールズ(“I Believe to My Soul”)
サム・クック(“Bring It on Home to Me”)
ウィリー・ディクソン(“I Just Want to Make Love to You ”)
ソニー・ボーイ・ウィリアムス(“Help Me”、“Take Your Hands out of My Pocket”)
とソウルの巨人がズラリと並ぶ。特に“Help Me”に至っては、94年の「ア・ナイト・イン・サンフランシスコ」、06年のLive at Austin City Limits Festival」といったライブ盤でも演奏されているので、彼にとってかなり愛着のある曲と想像できる。
ただ、ヴァンはソウル以外にカントリーやロックンロール、スキッフルなどといった音楽もカバーしているのを考えると、ここでの選曲はかなり黒っぽさが強いものとなっている。この時期の彼は白人としてのソウル・シンガーを目指していたのだろうか。
このアルバムだけの魅力といえば、若き日のヴァンの歌声が聴けることではないだろうか。まだ20代後半だった彼の、いまでは到底みられない勢いや熱気が記録されているのは貴重というしかない。いまだにライブの観られない国の人間にとっては、余計にそう感じるだろう(私はライブを観てますけど)。
ライブの曲順も、現在のようには“Gloria”が最後ではなく、アンコールは“Cyprus Avenue”で締めるというのが当時の流れだった。さらにアンコールがあった時は“Brown Eyed Girl”が歌われた。それが今回ボーナストラックとして追加されたわけだ。
ジョニー・ローガンも伝記「魂の道のり」において、
〈《魂の道のり》は70年代初期のロックが誇る貴重な遺産であり、80年代にまでその価値が継承された、数少ない2枚組ライブ盤の一つだ。無論、その内容は完璧とはいえないまでも、一般的なロックのライブ・アルバムの低水準を考えれば、その占める地位の高さたるや相当のものである。〉(p.233)
と珍しく高い評価をしている。確かに「これがライブ・アルバムの音?」と思ってしまうほど完成度の高い演奏が続く。このアルバムはヴァン・モリソンの頂点を捉えたた記録と同時に、ライブ・アルバムの傑作としても列挙したくなる名盤である。さらにリマスタリングを施され、その内容はより強固なものになった。
このバンドでやり遂げたという意識が本人にもあったのだろう。この作品を出す直前にカレドニア・ソウル・オーケストラを解散してしまった。孤高のシンガーはまた新しい出発を踏み出すことになる。
「良し悪し」より「好き嫌い」を
2008年8月23日 とどめておきたこと、特記事項森山直太朗の新曲“生きてることが辛いなら”について論議が起こっているらしい。この曲の歌詞の「死ねばいい」という一節が原因だという。一部のコンビニでは放送を自主規制をするという過剰な反応も出ている。
コンビニの出した方針は論外として、なぜ歌詞の一節に対して論争なんてものが起きるのだろうか。歌詞カードなどほどんど読まずに音楽を聴いて10年くらい経つ私から見ると、まったく理解不能な現象である。
ただ、論争にかかわっている人の思いは明瞭につかめる。こういう人たちは歌詞の意味「だけ」にこだわるからだろう。もっといえば、「音楽そのもの」を見てはいないのである。いわば「木を見て森を見ず」というところか。
もう大昔の話で誰も覚えていないだろうが、いまから8年前(2000年)に宝島社で発行している「音楽誌が書かないJポップ批評」という雑誌で元・朝日新聞社員の烏賀陽弘道というライターがBONNIE PINKらに対して泥水をかけるような文章を書いたことがある。要約すると、BONNIEらの英語詞の文法や発音にデタラメが多い、ゆえに彼女たちは三流の表現者である、というものだった。
いまさら烏賀陽に対してどうこう言うつもりはない。しかし「歌詞の文法や発音がおかしい」から「三流の表現者だ」という論法がどうして成り立つのか。いまだに私には理解できないでいる。
こう書くと意外に思うかもしれないが、私もどちらかといえば英語で歌詞を書く日本人ミュージシャンというのはあまり好きではない。可能だったら日本語詞で作った方が望ましいと思っている。英語詞というだけで拒絶する人も世間には少なくないし(私もそういう体質である)、市場でも不利になるだけだからだ。しかし私は、英語で詩を書く日本人ミュージシャンは駄目、などとは言わない。彼/彼女がそのような創作がしたいというならそれを尊重するべきだと思っているからだ。
私が最も違和感を覚えるのは、烏賀陽のような人種は「この曲が好きだ/嫌いだ」となぜ素直に言えないのだろう、ということだ。英語で詩を書くミュージシャンは嫌だ、と。それで良いではないか。個人的な好き嫌いに対して誰も文句は言わない。しかしなぜ三流の表現者だとかなんとか屁理屈をつけようとするのだろう。それは今回の森山直太朗の件でも同じことを感じてしまう。「好き嫌い」という程度で収めてしまえば良い話を無理やり「良し悪し」というレベルまで持ち上げようとするから論理が破綻してしまうのである。
ちなみに私がBONNIE PINKという人を買っている理由は、彼女の歌声や楽曲、または自己のプロデュースをする才能に対してである。だから、本人にとっては不本意かもしれないけれど、歌詞についてはほとんど読んでいない。しかし、私は音楽を楽しむにはそれで充分だと思ってる。
神戸女学院大学教授の内田樹さんは著書「こんな日本でよかったね-構造主義的日本論」(08年。バジリコ株式会社)の国語教育に触れる文章の中で、エルヴィス・プレスリーの音楽に初めて出会った時のことを書いている。
〈小学校五年生のときにはじめてエルヴィスを聴いたときに私は思わず小さく震えたが、むろん英語の歌詞の意味はぜんぜんわからなかった。でも、「湯煙夏原ハウンドドッグ」でも「来る」べきものはちゃんと「来る」。
そのことにむしろ驚くべきではないのか。
だが、国語教育はなぜか「意味」に拘泥する。作品を「作者の意図」に従属させて怪しまない。だが、『ハウンドドッグ』の歌詞カードを読んで、「エルヴィスはこの曲を通じて何が言いたいのでしょうか?」と小学生に訊くのはまるで無意味な問いであることは誰にでもわかる。〉(P.28)
今回の件を見ていると、残念ながら内田さんが思うほどには「誰にでもわかる」話ではないような気がする。
コンビニの出した方針は論外として、なぜ歌詞の一節に対して論争なんてものが起きるのだろうか。歌詞カードなどほどんど読まずに音楽を聴いて10年くらい経つ私から見ると、まったく理解不能な現象である。
ただ、論争にかかわっている人の思いは明瞭につかめる。こういう人たちは歌詞の意味「だけ」にこだわるからだろう。もっといえば、「音楽そのもの」を見てはいないのである。いわば「木を見て森を見ず」というところか。
もう大昔の話で誰も覚えていないだろうが、いまから8年前(2000年)に宝島社で発行している「音楽誌が書かないJポップ批評」という雑誌で元・朝日新聞社員の烏賀陽弘道というライターがBONNIE PINKらに対して泥水をかけるような文章を書いたことがある。要約すると、BONNIEらの英語詞の文法や発音にデタラメが多い、ゆえに彼女たちは三流の表現者である、というものだった。
いまさら烏賀陽に対してどうこう言うつもりはない。しかし「歌詞の文法や発音がおかしい」から「三流の表現者だ」という論法がどうして成り立つのか。いまだに私には理解できないでいる。
こう書くと意外に思うかもしれないが、私もどちらかといえば英語で歌詞を書く日本人ミュージシャンというのはあまり好きではない。可能だったら日本語詞で作った方が望ましいと思っている。英語詞というだけで拒絶する人も世間には少なくないし(私もそういう体質である)、市場でも不利になるだけだからだ。しかし私は、英語で詩を書く日本人ミュージシャンは駄目、などとは言わない。彼/彼女がそのような創作がしたいというならそれを尊重するべきだと思っているからだ。
私が最も違和感を覚えるのは、烏賀陽のような人種は「この曲が好きだ/嫌いだ」となぜ素直に言えないのだろう、ということだ。英語で詩を書くミュージシャンは嫌だ、と。それで良いではないか。個人的な好き嫌いに対して誰も文句は言わない。しかしなぜ三流の表現者だとかなんとか屁理屈をつけようとするのだろう。それは今回の森山直太朗の件でも同じことを感じてしまう。「好き嫌い」という程度で収めてしまえば良い話を無理やり「良し悪し」というレベルまで持ち上げようとするから論理が破綻してしまうのである。
ちなみに私がBONNIE PINKという人を買っている理由は、彼女の歌声や楽曲、または自己のプロデュースをする才能に対してである。だから、本人にとっては不本意かもしれないけれど、歌詞についてはほとんど読んでいない。しかし、私は音楽を楽しむにはそれで充分だと思ってる。
神戸女学院大学教授の内田樹さんは著書「こんな日本でよかったね-構造主義的日本論」(08年。バジリコ株式会社)の国語教育に触れる文章の中で、エルヴィス・プレスリーの音楽に初めて出会った時のことを書いている。
〈小学校五年生のときにはじめてエルヴィスを聴いたときに私は思わず小さく震えたが、むろん英語の歌詞の意味はぜんぜんわからなかった。でも、「湯煙夏原ハウンドドッグ」でも「来る」べきものはちゃんと「来る」。
そのことにむしろ驚くべきではないのか。
だが、国語教育はなぜか「意味」に拘泥する。作品を「作者の意図」に従属させて怪しまない。だが、『ハウンドドッグ』の歌詞カードを読んで、「エルヴィスはこの曲を通じて何が言いたいのでしょうか?」と小学生に訊くのはまるで無意味な問いであることは誰にでもわかる。〉(P.28)
今回の件を見ていると、残念ながら内田さんが思うほどには「誰にでもわかる」話ではないような気がする。
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(1)Tore Down a La Rimbaud 悲しみはランボーの詩と共に
(2)Ancient of Days 過ぎ去りし日々
(3)Evening Meditation [Instrumental] たそがれ時の瞑想
(4)The Master’s Eyes マスターズ・アイズ
(5)What Would I Do ホワット・ウッド・アイ・ドゥ
(6)A Sense of Wonder センス・オブ・ワンダー
(7)Boffyflow and Spike [Instrumental] 遥かなるさだめ
(8)If You Only Knew イフ・ユー・オンリー・ニュー
(9)Let the Slave Incorporating the Price of Experience レット・ザ・スレイヴ/経験の対価
(10)New Kind of Man 異邦人
〔ボーナス・トラック〕
(11)Crazy Jane on God [Alternate Take] クレイジー・ジェーン・オン・ゴッド(別テイク)
(12)A Sense of Wonder [Alternate Take] センス・オブ・ワンダー(別テイク)
ヴァン・モリソンには頑固で気難しい人というイメージがつきまとう。実際、ステージ上ではずっと仏頂面で笑顔はめったに見られない。昨年ロンドンで彼のライブに行った時に双眼鏡で表情をときどき確認したけれど、やはりニコリともしないしMCもほとんどなかった。そういうことも聴き手が彼を遠ざける要因の一つになっているかもしれない、などと思う時もある。しかし84年に出た本作「センス・オブ・ワンダー」(A Sense of Wonder)は、引きつっているように見えながらもジャケットに彼の笑顔が記録されている。これだけでも特異な作品だ。なぜあのヴァン・モリソンがこのようなジャケットを選択したのだろう。それは神のみぞ知る、というところか。
この作品以前のヴァン・モリソンは色々と難しい局面に立たされていたようだ。それは彼の伝記やアルバム解説などで垣間みることができる。70年代後半から80年代前半までのヴァンは作品の振幅が実に激しい。「イントゥ・ザ・ミュージック」(79年)のように軽やかな傑作を出したかと思えば、続く「コモン・ワン」(80年)は重たい作風になったりする。「ビューティフル・ヴィジョン」(82年)や「時の流れに」(83年)という宗教的な要素の強く出たアルバムを出して引退騒ぎが起き、ファンがあまり喜びそうもない選曲のライヴ・アルバム「ライヴ・アット・ザ・グランド・オペラ・ハウス・ベルファスト」(84年)を出す。これでもう終わりかと誰もが思った矢先に、ヴァンが笑ったこの「センス・オブ・ワンダー」が登場したのである。彼のこうした不可解な動きに当時のファンは相当とまどったらしい。
ジョニー・ローガンが伝記「魂の道のり」で指摘しているように、このアルバムの特徴は「多様性」といえよう。インストゥルメンタルやハミングだけの曲があったり、レイ・チャールズとモーズ・アリソンという彼の敬愛するミュージシャンのカバーがあったり、アイルランドのグループであるムーヴィング・ハーツとの共演もある。また“レット・ザ・スレイヴ/経験の対価”では作家ウィリアム・ブレイクの作品を歌詞に引用するという試みもしている。散漫と思える部分もなくはないけれど、かなり創作を楽しんでいたといえよう。また、ヴァン本人の歌声にも気持ちよく聴き通せる明るさがある。
正直に言うと、個人的にはこのアルバムと次の「イン・ザ・ガーデン」(86年)にはそれほど愛着があるわけではない。その理由はやはりこれ以後の作品の方を好んで聴いているからだろう。最も好きな時期のヴァンといえばやはり「ポエティック・チャンピオンズ・コンポーズ」(87年)からということになる。90年前後は「黄金の円熟期」と言われている。本作や「イン・ザ・ガーデン」はその足がかりといったところではないだろうか。
しかし、この感想を書くために繰り返し聴いているうちに、彼の歌声に引き込まれている自分に気づく。しばらく年月を重ねたら、大好きな1枚になっているかもしれない。
ちなみに、ボーナス・トラックに入っている“クレイジー・ジェーン・オン・ゴッド”は、ヴァンの敬愛するW.B.イェイツ(アイルランドの詩人、劇作家)の作品から歌詞を拝借したものである。しかしイェイツの遺族から拒否があってアルバムに入れることができず、発売自体も延期になってしまったといういわくつきの曲だ。これも彼の伝記に書かれていることである。
(2)Ancient of Days 過ぎ去りし日々
(3)Evening Meditation [Instrumental] たそがれ時の瞑想
(4)The Master’s Eyes マスターズ・アイズ
(5)What Would I Do ホワット・ウッド・アイ・ドゥ
(6)A Sense of Wonder センス・オブ・ワンダー
(7)Boffyflow and Spike [Instrumental] 遥かなるさだめ
(8)If You Only Knew イフ・ユー・オンリー・ニュー
(9)Let the Slave Incorporating the Price of Experience レット・ザ・スレイヴ/経験の対価
(10)New Kind of Man 異邦人
〔ボーナス・トラック〕
(11)Crazy Jane on God [Alternate Take] クレイジー・ジェーン・オン・ゴッド(別テイク)
(12)A Sense of Wonder [Alternate Take] センス・オブ・ワンダー(別テイク)
ヴァン・モリソンには頑固で気難しい人というイメージがつきまとう。実際、ステージ上ではずっと仏頂面で笑顔はめったに見られない。昨年ロンドンで彼のライブに行った時に双眼鏡で表情をときどき確認したけれど、やはりニコリともしないしMCもほとんどなかった。そういうことも聴き手が彼を遠ざける要因の一つになっているかもしれない、などと思う時もある。しかし84年に出た本作「センス・オブ・ワンダー」(A Sense of Wonder)は、引きつっているように見えながらもジャケットに彼の笑顔が記録されている。これだけでも特異な作品だ。なぜあのヴァン・モリソンがこのようなジャケットを選択したのだろう。それは神のみぞ知る、というところか。
この作品以前のヴァン・モリソンは色々と難しい局面に立たされていたようだ。それは彼の伝記やアルバム解説などで垣間みることができる。70年代後半から80年代前半までのヴァンは作品の振幅が実に激しい。「イントゥ・ザ・ミュージック」(79年)のように軽やかな傑作を出したかと思えば、続く「コモン・ワン」(80年)は重たい作風になったりする。「ビューティフル・ヴィジョン」(82年)や「時の流れに」(83年)という宗教的な要素の強く出たアルバムを出して引退騒ぎが起き、ファンがあまり喜びそうもない選曲のライヴ・アルバム「ライヴ・アット・ザ・グランド・オペラ・ハウス・ベルファスト」(84年)を出す。これでもう終わりかと誰もが思った矢先に、ヴァンが笑ったこの「センス・オブ・ワンダー」が登場したのである。彼のこうした不可解な動きに当時のファンは相当とまどったらしい。
ジョニー・ローガンが伝記「魂の道のり」で指摘しているように、このアルバムの特徴は「多様性」といえよう。インストゥルメンタルやハミングだけの曲があったり、レイ・チャールズとモーズ・アリソンという彼の敬愛するミュージシャンのカバーがあったり、アイルランドのグループであるムーヴィング・ハーツとの共演もある。また“レット・ザ・スレイヴ/経験の対価”では作家ウィリアム・ブレイクの作品を歌詞に引用するという試みもしている。散漫と思える部分もなくはないけれど、かなり創作を楽しんでいたといえよう。また、ヴァン本人の歌声にも気持ちよく聴き通せる明るさがある。
正直に言うと、個人的にはこのアルバムと次の「イン・ザ・ガーデン」(86年)にはそれほど愛着があるわけではない。その理由はやはりこれ以後の作品の方を好んで聴いているからだろう。最も好きな時期のヴァンといえばやはり「ポエティック・チャンピオンズ・コンポーズ」(87年)からということになる。90年前後は「黄金の円熟期」と言われている。本作や「イン・ザ・ガーデン」はその足がかりといったところではないだろうか。
しかし、この感想を書くために繰り返し聴いているうちに、彼の歌声に引き込まれている自分に気づく。しばらく年月を重ねたら、大好きな1枚になっているかもしれない。
ちなみに、ボーナス・トラックに入っている“クレイジー・ジェーン・オン・ゴッド”は、ヴァンの敬愛するW.B.イェイツ(アイルランドの詩人、劇作家)の作品から歌詞を拝借したものである。しかしイェイツの遺族から拒否があってアルバムに入れることができず、発売自体も延期になってしまったといういわくつきの曲だ。これも彼の伝記に書かれていることである。
昼前の宅急便で、9月13日(土)に大阪城音楽堂でおこなわれる渡辺美里の「美里祭り2008 ラプソディ・イン・大阪」のチケットが届く。開けてみたら座席はタイトルの通りだった。
座席図はこのようになっている。
http://www.shion.jp/hall/img/zaseki01.jpg
まさにど真ん中という感じだ。プレミアとはいえないまでも、会場はそれほど大きくないしステージがよく見えるだろう。
しかし、芝生席についてはまだ売り切れていないのが気になる。興味のある方は検討していただきたい。
座席図はこのようになっている。
http://www.shion.jp/hall/img/zaseki01.jpg
まさにど真ん中という感じだ。プレミアとはいえないまでも、会場はそれほど大きくないしステージがよく見えるだろう。
しかし、芝生席についてはまだ売り切れていないのが気になる。興味のある方は検討していただきたい。
こんな知能犯罪、私にはできません
2008年8月20日近所の行きつけのラーメン店が嫌がらせに遭っている。店長になりすまして宅配ピザを注文されたらしい。それがこの1週間で2回続いている。
私も容疑者の一人に挙げられていた。しかし店長によれば、1回目はドミノピザ、2回目はシカゴピザと店を変えて電話したというのである。そんな細かい芸は私には不可能だ。
いずれにしても不気味な話である。嫌がらせを受けるほど繁盛はしていないと思うのだが・・・。
私も容疑者の一人に挙げられていた。しかし店長によれば、1回目はドミノピザ、2回目はシカゴピザと店を変えて電話したというのである。そんな細かい芸は私には不可能だ。
いずれにしても不気味な話である。嫌がらせを受けるほど繁盛はしていないと思うのだが・・・。
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「せんとくん」の存在意義は
2008年8月19日平城遷都1300年祭のマスコットキャラクター「せんとくん」をあしらった同祭のPR懸垂幕の掲示を、奈良県および奈良市が拒否したという。結局、県も市も幕を設置することに方針転換をしたけれど、奈良のPRをするために作られたはずが、当の自治体にまで嫌がられるとは哀れでならない。
評判が悪すぎて対抗キャラ(「まんとくん」、「なーむくん」)が出てくる始末だし、こんなに悲惨な事例が続くと、ただのマスコットに過ぎないのに「せんとくん」がなんだか哀れに感じてくるから不思議だ。
ここまでくると、いったい「せんとくん」は何のために生まれてきたのだろう。そんなことまで考えてしまう。
評判が悪すぎて対抗キャラ(「まんとくん」、「なーむくん」)が出てくる始末だし、こんなに悲惨な事例が続くと、ただのマスコットに過ぎないのに「せんとくん」がなんだか哀れに感じてくるから不思議だ。
ここまでくると、いったい「せんとくん」は何のために生まれてきたのだろう。そんなことまで考えてしまう。
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「飲まない」から「飲めない」へ
2008年8月14日東京から戻ってきてホッとしたせいか、昨夜は少し飲み過ぎてしまった。おかげでひどい二日酔いに見舞われる。頭痛と吐き気に苦しみ、この日の晩まで症状は続いた。もちろん仕事などまともにできない。職場では雑用程度のことをしながら隅っこでうずくまっていた。
ここまで苦しむと、またお酒についていろいろと考えてしまう。思いおこせば、平気でガバガバ飲む時もあるけれど「常に酒が強い」というわけではない。ちょっと飲んだだけでガタッときたり、翌日に具合が悪くなる場合もある。どうやら体調とか気持ちとかいった要因に左右されるようだ。
こないだ(7月23日の日記http://diarynote.jp/d/30771/20080723.html)は「節度を持って飲む」という目標を掲げていたけれど、それ以前にたくさんの量を飲むことができなくなっている。ビール2杯と日本酒1合くらいが限度だろうか。これを超えると翌日に影響する。時によってはビールだけでもけっこう酔っぱらうこともある。
飲む量を控えているうちに、だんだんと飲めなくなってきたようだ。これは自分にとって良いことなのだろう。
ここまで苦しむと、またお酒についていろいろと考えてしまう。思いおこせば、平気でガバガバ飲む時もあるけれど「常に酒が強い」というわけではない。ちょっと飲んだだけでガタッときたり、翌日に具合が悪くなる場合もある。どうやら体調とか気持ちとかいった要因に左右されるようだ。
こないだ(7月23日の日記http://diarynote.jp/d/30771/20080723.html)は「節度を持って飲む」という目標を掲げていたけれど、それ以前にたくさんの量を飲むことができなくなっている。ビール2杯と日本酒1合くらいが限度だろうか。これを超えると翌日に影響する。時によってはビールだけでもけっこう酔っぱらうこともある。
飲む量を控えているうちに、だんだんと飲めなくなってきたようだ。これは自分にとって良いことなのだろう。
昨夜は渋谷でディーヴォとポリシックスのライブを観たあと、新宿西口のホテルに泊まった。京都と比べると東京はずっと涼しいのに驚く。かといってすることがあるわけでない私は、昼間は九段下の「斑鳩」、それから湯島の「大喜」とラーメン店を渡り歩いたりした。どちらも人気店なので30分ほど並ぶ。2軒まわってまだ午後2時にもならない。しかたなく御徒町のネットカフェでまた3時間ほど入り浸った。東京に私の居場所はない。
そして、土曜日と同じく「りんかい線」に乗り新木場駅へ向かう。今日の会場は「新木場STUDIO COAST」という大きめのライブハウスだ。駅に降りると、いかにもパンクという雰囲気の人たちが目立つ。行く場所は私と同じにちがいない。5分ほど歩いて迷うことなく会場にたどり着いた。午後5時半、まだ開場まで30分近くあるけれど、すでに人はけっこう集まっている。
客層を見ると奇抜な格好の人が目につく。やはりピストルズの出会いによって人生のどこかが狂ってしまったのだろうか。他に、ローリング・ストーンスやルー・リードやAC/DCのTシャツを着ている人もいる。
服装以外にも気づいたことがある。やたら缶ビールを片手にやってくる人が多いのだ。しかも500ml缶である。今からそんなに飲んでいたら開演までにどうなるのだろう。せめて350ml缶くらいにしてほしい。
午後6時をしばらく回って開場入りである。私の整理番号は776番とかなり後半であったけれど、実際に入ったら前はかなり空いていた。暴れる人が多いと予測される一方、なるべく近くで観たい気持ちもあるので、前方の左側に立って開演を待つ。周囲には外国人、しかも英語圏ではない人が大きな声でおしゃべりをしている。ふと横を見ると小さな女の子もいるではないか。こんなところに連れてくる親の顔が観たい。そんな風景を見ているうちに照明が落ちる。もの凄い歓声の中、スピーカーからは英国国歌“God Save The Queen”が流れ出し、あのセックス・ピストルズが目の前に登場した。といっても、私は特に感慨は湧かなかったけれど。
ジョン・ライドンはずいぶん体格は良くなってしまったものの、あのまなざしは昔と変わらない。ステージに缶ビールなど物を投げつける輩がいた。しかしその程度でバンドは微動だにしない。イギリスと日本の国旗を結んだものを掲げてから“Pretty Vacant”で演奏が始まった。
会場に来た人はピストルズに対してそれぞれ思いを抱いていたに違いない。過剰な期待を持った方もいただろう。しかし私は、お客が喜んで帰ったらそれで良い、という程度の思いしかなかった。そもそもピストルズが「まともな」活動をしていた時期などない。出発はマルコム・マクラーレンがでっちあげたグループだし、さきほど「ウィキペディア」に載っていた彼らの歴史にいたっては、
・1976年11月 - 結成
・1977年10月 - ファーストアルバム『Never Mind the Bollocks』を発売。
・1978年1月14日 - 初のアメリカツアーの最中(ロサンジェルス,ウインターランド公演後)に、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。実質上の解散となる。
と、たったの3行で終わってしまう。むしろ現在の彼らの方がバンドとして機能しているといえよう。
肝心のお客の反応は想像を超えるものだった。ライブ中ずっとダイブが絶えることがない。演奏しているのは50代の人たちなのに、この盛り上がり方ははっきりいって異常である。中にはカバンを持ったままダイブしている人もいた。その人は、見間違いでなければ、スーツ姿だったような・・・。
バンド自体も、ジョンがMCでお客を煽りながら休み休みという感じがしないでもなかったけれど、失望してしまうほどの演奏ではなかったと思う。唯一のオリジナル・アルバムからは全て披露したけれど、“Liar”、“Holidays in the Sun”、“God Save the Queen”、“Anarchy in the UK”は特に盛り上がる。ライブ中に何かが投げられジョンの頭に当たる場面もあった。
どうせ金儲けだろ、という意地の悪い意見を持つ人もいるだろう。そういえば96年の再結成の時は通称「ボッタクリ・ツアー」だった。今回の「COMBINE HARVESTER TOUR」は「集金ツアー」と訳すらしい。しかし、ボッタクリという言葉はボッタクられた時に使う表現である。お客が満足したならばボッタクリでは決してない。実際、ネットではライブを賞賛する書き込みばかりである。それだけでも彼らが来日した意義はあった。
別に私はピストルズを擁護する立場でもないし、唯一のアルバムすらろくに聴かないまま東京に来てしまった(昨日のディーヴォと変わらないな)。しかし、ジョン・ライドンのひんむいた目と痙攣したヴォーカルを生で体験できたのには満足している。予想を超える充実した2日間であった。
最後にネットで拾った曲目を記す。ライブの時間は1時間半ほどだった。
【演奏曲目】
(1)Pretty Vacant
(2)17/Lazy Sod
(3)No Feelings
(4)New York
(5)Did You Now Wrong
(6)Liar
(7)Holidays in the Sun
(8)Baghdad Was A Blast
(9)Submission
(10)Stepping Stone
(11)No Fun
(12)Problems
(13)God Save the Queen
(14)E.M.I.
〈アンコール1〉
(15)Bodies
(16)Anarchy in the UK
〈アンコール2〉
(17)Silver Machine
(18)Roadrunner
そして、土曜日と同じく「りんかい線」に乗り新木場駅へ向かう。今日の会場は「新木場STUDIO COAST」という大きめのライブハウスだ。駅に降りると、いかにもパンクという雰囲気の人たちが目立つ。行く場所は私と同じにちがいない。5分ほど歩いて迷うことなく会場にたどり着いた。午後5時半、まだ開場まで30分近くあるけれど、すでに人はけっこう集まっている。
客層を見ると奇抜な格好の人が目につく。やはりピストルズの出会いによって人生のどこかが狂ってしまったのだろうか。他に、ローリング・ストーンスやルー・リードやAC/DCのTシャツを着ている人もいる。
服装以外にも気づいたことがある。やたら缶ビールを片手にやってくる人が多いのだ。しかも500ml缶である。今からそんなに飲んでいたら開演までにどうなるのだろう。せめて350ml缶くらいにしてほしい。
午後6時をしばらく回って開場入りである。私の整理番号は776番とかなり後半であったけれど、実際に入ったら前はかなり空いていた。暴れる人が多いと予測される一方、なるべく近くで観たい気持ちもあるので、前方の左側に立って開演を待つ。周囲には外国人、しかも英語圏ではない人が大きな声でおしゃべりをしている。ふと横を見ると小さな女の子もいるではないか。こんなところに連れてくる親の顔が観たい。そんな風景を見ているうちに照明が落ちる。もの凄い歓声の中、スピーカーからは英国国歌“God Save The Queen”が流れ出し、あのセックス・ピストルズが目の前に登場した。といっても、私は特に感慨は湧かなかったけれど。
ジョン・ライドンはずいぶん体格は良くなってしまったものの、あのまなざしは昔と変わらない。ステージに缶ビールなど物を投げつける輩がいた。しかしその程度でバンドは微動だにしない。イギリスと日本の国旗を結んだものを掲げてから“Pretty Vacant”で演奏が始まった。
会場に来た人はピストルズに対してそれぞれ思いを抱いていたに違いない。過剰な期待を持った方もいただろう。しかし私は、お客が喜んで帰ったらそれで良い、という程度の思いしかなかった。そもそもピストルズが「まともな」活動をしていた時期などない。出発はマルコム・マクラーレンがでっちあげたグループだし、さきほど「ウィキペディア」に載っていた彼らの歴史にいたっては、
・1976年11月 - 結成
・1977年10月 - ファーストアルバム『Never Mind the Bollocks』を発売。
・1978年1月14日 - 初のアメリカツアーの最中(ロサンジェルス,ウインターランド公演後)に、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。実質上の解散となる。
と、たったの3行で終わってしまう。むしろ現在の彼らの方がバンドとして機能しているといえよう。
肝心のお客の反応は想像を超えるものだった。ライブ中ずっとダイブが絶えることがない。演奏しているのは50代の人たちなのに、この盛り上がり方ははっきりいって異常である。中にはカバンを持ったままダイブしている人もいた。その人は、見間違いでなければ、スーツ姿だったような・・・。
バンド自体も、ジョンがMCでお客を煽りながら休み休みという感じがしないでもなかったけれど、失望してしまうほどの演奏ではなかったと思う。唯一のオリジナル・アルバムからは全て披露したけれど、“Liar”、“Holidays in the Sun”、“God Save the Queen”、“Anarchy in the UK”は特に盛り上がる。ライブ中に何かが投げられジョンの頭に当たる場面もあった。
どうせ金儲けだろ、という意地の悪い意見を持つ人もいるだろう。そういえば96年の再結成の時は通称「ボッタクリ・ツアー」だった。今回の「COMBINE HARVESTER TOUR」は「集金ツアー」と訳すらしい。しかし、ボッタクリという言葉はボッタクられた時に使う表現である。お客が満足したならばボッタクリでは決してない。実際、ネットではライブを賞賛する書き込みばかりである。それだけでも彼らが来日した意義はあった。
別に私はピストルズを擁護する立場でもないし、唯一のアルバムすらろくに聴かないまま東京に来てしまった(昨日のディーヴォと変わらないな)。しかし、ジョン・ライドンのひんむいた目と痙攣したヴォーカルを生で体験できたのには満足している。予想を超える充実した2日間であった。
最後にネットで拾った曲目を記す。ライブの時間は1時間半ほどだった。
【演奏曲目】
(1)Pretty Vacant
(2)17/Lazy Sod
(3)No Feelings
(4)New York
(5)Did You Now Wrong
(6)Liar
(7)Holidays in the Sun
(8)Baghdad Was A Blast
(9)Submission
(10)Stepping Stone
(11)No Fun
(12)Problems
(13)God Save the Queen
(14)E.M.I.
〈アンコール1〉
(15)Bodies
(16)Anarchy in the UK
〈アンコール2〉
(17)Silver Machine
(18)Roadrunner
午前中は出勤し、いった部屋に戻ってから、午後3時15分ごろ新幹線の自由席に乗る。東京駅に着いたのは午後5時40分ごろだった。土曜日に渡辺美里のライブに行ったにもかかわらず、またもや上京である。我ながら非効率なことをするものだ。
今回の目的はディーヴォ(Devo)とセックス・ピストルズ(Sex Pistols)の単独公演を観ることである。東京でしかライブがないのが辛いところだけれど、サマーソニックに行けなかった身としては上京するより選択が無い。去年はロンドンや九州まで行ったわけだし、今年も東京でライブを観るくらいの遊びはしておこう。そう思ったわけだ。
今日のライブは渋谷の坂の上にあるライブハウス「SHIBUYA-AX」で、開場が午後6時だった。いつもならば開場前に並んで待たなければならない。しかし今回は2階席のチケットを確保したおかげで急ぐ必要はない。近所で食事をとってからAXに着いたのが6時40分ごろ、それでも余裕をもって会場に来ることができた。2階席と聞くと遠く感じるかもしれないけれど、ステージからの距離は意外に近い。意味も無く立って待つよりもこちらの方がずっと良いだろう。しかし、2階席は半分も人が埋まっていないし、1階席も6割くらいの入りだろうか。お客の中ではディーヴォがかぶっているピラミッドのような帽子(エナジードームというらしい)をつけている人が目につく。どこで売っているのだろうか。
午後7時を少し回って、まずポリシックスの4人が登場する。誰が見てもディーヴォの影響が明らかなバンドである。彼ら目当ての人も多かったのか、1階の前方5分の1くらいは盛り上がっていた。確かに音はバンクにも通じるハードなものだけれど、本家ゆずりのあのギクシャクしたリズムに乗って暴れられるのは不思議だ。それはともかく、バンド自体もディーヴォと共演できるということでかなりテンションは上がって楽しそうにしていたように見える。40分の演奏をして終了。ライブ自体はそれほどのめり込めなかったけれど、最初から最後までロボットのような動きに徹していたキーボードの女性には感心した。
それから25分ほどの舞台替えがおこなわれ、いかにもアメリカというシュールで不気味な映像が流れてから、ディーヴォがいよいよ登場する。ステージの5人のうち3人くらいはかなり太っていた。これは仕方ない話だけれど。
ところで、わざわざ上京してまでディーヴォを観るというから私をよっぽどのファンと思う人もいるかもしれない。しかし正直いえばCDもろくに聴いたことはなく、こないだ紙ジャケットで出た「頽廃的美学論」(78年)を買ったのが初めてである。しかもそのアルバムですらあまり気に入らなかった。よって、ほとんど期待値はゼロだったといえる。
だが実際のステージはといえば、そんな私の斜に構えた態度を正すような内容だった。まず意外に普通のロックが展開されるのに驚く。「普通」というのは語弊のある表現だけれど、要するにすんなりと聴けるという意味で、パンクだのニューウェーブだのという印象は感じなかったということだ。ディーヴォに対して抱いていたギッコンバッタンなイメージはむしろポリシックスのほうが体現しているのではないだろうか。動きも昔の映像で観たようなロボットというものでもなかった。これはどう解釈したらよいのだろう。ディーヴォが最初のアルバムを出したのは1978年、いまから30年も前のことである。彼らの作った音がすっかり定着し、それほど奇抜なものでもなくなり、自然体に楽しめる音になってしまったということか。
曲目など語れる知識がないのが悲しいけれど、ライブ自体は本当に楽しめた。観客もステージの5人の一挙一動に声援を送っている。バンドも大量のスーパーボールを会場にまき散らすなど、いろいろなパフォーマンスをしてくれた。ネットで感想を見ても絶賛の嵐である。最後の曲“Beautiful World”が終わり客電がついてからも大半の人は帰らずに拍手を送るほどだった。いかにこの日のライブが破格の出来だったか想像もつくだろう。ポリシックスがデザインした「ディーヴォ」と文字が入ったTシャツも終演後には完売していた。
さきほども書いたけれど、ほとんど期待していないライブではなった。しかし、恐ろしいことに、今年のベスト・ライブの一つと言えるほどのものである。興味本位でライブ会場に足を運ぶのも悪くない。思いがけない収穫の一夜だった。
さて、明日は問題のセックス・ピストルズである。
今回の目的はディーヴォ(Devo)とセックス・ピストルズ(Sex Pistols)の単独公演を観ることである。東京でしかライブがないのが辛いところだけれど、サマーソニックに行けなかった身としては上京するより選択が無い。去年はロンドンや九州まで行ったわけだし、今年も東京でライブを観るくらいの遊びはしておこう。そう思ったわけだ。
今日のライブは渋谷の坂の上にあるライブハウス「SHIBUYA-AX」で、開場が午後6時だった。いつもならば開場前に並んで待たなければならない。しかし今回は2階席のチケットを確保したおかげで急ぐ必要はない。近所で食事をとってからAXに着いたのが6時40分ごろ、それでも余裕をもって会場に来ることができた。2階席と聞くと遠く感じるかもしれないけれど、ステージからの距離は意外に近い。意味も無く立って待つよりもこちらの方がずっと良いだろう。しかし、2階席は半分も人が埋まっていないし、1階席も6割くらいの入りだろうか。お客の中ではディーヴォがかぶっているピラミッドのような帽子(エナジードームというらしい)をつけている人が目につく。どこで売っているのだろうか。
午後7時を少し回って、まずポリシックスの4人が登場する。誰が見てもディーヴォの影響が明らかなバンドである。彼ら目当ての人も多かったのか、1階の前方5分の1くらいは盛り上がっていた。確かに音はバンクにも通じるハードなものだけれど、本家ゆずりのあのギクシャクしたリズムに乗って暴れられるのは不思議だ。それはともかく、バンド自体もディーヴォと共演できるということでかなりテンションは上がって楽しそうにしていたように見える。40分の演奏をして終了。ライブ自体はそれほどのめり込めなかったけれど、最初から最後までロボットのような動きに徹していたキーボードの女性には感心した。
それから25分ほどの舞台替えがおこなわれ、いかにもアメリカというシュールで不気味な映像が流れてから、ディーヴォがいよいよ登場する。ステージの5人のうち3人くらいはかなり太っていた。これは仕方ない話だけれど。
ところで、わざわざ上京してまでディーヴォを観るというから私をよっぽどのファンと思う人もいるかもしれない。しかし正直いえばCDもろくに聴いたことはなく、こないだ紙ジャケットで出た「頽廃的美学論」(78年)を買ったのが初めてである。しかもそのアルバムですらあまり気に入らなかった。よって、ほとんど期待値はゼロだったといえる。
だが実際のステージはといえば、そんな私の斜に構えた態度を正すような内容だった。まず意外に普通のロックが展開されるのに驚く。「普通」というのは語弊のある表現だけれど、要するにすんなりと聴けるという意味で、パンクだのニューウェーブだのという印象は感じなかったということだ。ディーヴォに対して抱いていたギッコンバッタンなイメージはむしろポリシックスのほうが体現しているのではないだろうか。動きも昔の映像で観たようなロボットというものでもなかった。これはどう解釈したらよいのだろう。ディーヴォが最初のアルバムを出したのは1978年、いまから30年も前のことである。彼らの作った音がすっかり定着し、それほど奇抜なものでもなくなり、自然体に楽しめる音になってしまったということか。
曲目など語れる知識がないのが悲しいけれど、ライブ自体は本当に楽しめた。観客もステージの5人の一挙一動に声援を送っている。バンドも大量のスーパーボールを会場にまき散らすなど、いろいろなパフォーマンスをしてくれた。ネットで感想を見ても絶賛の嵐である。最後の曲“Beautiful World”が終わり客電がついてからも大半の人は帰らずに拍手を送るほどだった。いかにこの日のライブが破格の出来だったか想像もつくだろう。ポリシックスがデザインした「ディーヴォ」と文字が入ったTシャツも終演後には完売していた。
さきほども書いたけれど、ほとんど期待していないライブではなった。しかし、恐ろしいことに、今年のベスト・ライブの一つと言えるほどのものである。興味本位でライブ会場に足を運ぶのも悪くない。思いがけない収穫の一夜だった。
さて、明日は問題のセックス・ピストルズである。
午前6時、またもや深夜バスで新宿駅西口にやってきた。本当は朝から仕事だったけれど、3ヶ月前から会社の同僚に頼んで自分と代わってもらう用意周到ぶりである。そこまでしてライブに行く私の気持ちは誰も理解不能だろう。なぜならば、当の私が理解できないのだから。
新たなる夏のライブもついに3回目、今回は東京で行われる。美里自身はインタビューで、野外ライブを東京でするのは初めてであることを強調している。しかし私としては特に何も感慨はない。
ただ、東京にまつわる曲が披露されるかもしれない。彼女の曲で「東京」というフレーズが出てくるのは、90年のアルバム「tokyo」に入っている“バースデイ”と“Tokyo”、そして96年の「Spirits」に入っている“東京生活”くらいだろうか。パッと思いつくのはこの3曲である。だからどうした、と言われたら返答に窮するけれど、“Tokyo”は生で聴いたことがないから歌われたら嬉しいな、などと考えたりする。期待というほどでもないけれど、私がライブ前に思っていたのはその程度のことだ。
新宿に着いてからカプセルホテルで汗を流し、駅前でうどんを食べてネットカフェで2時間ほど過ごす。このいつものパターンを経てライブ会場へ向かう途中、JR大崎駅でいったん降りる。せっかく上京したから、つけ麺がいま最も有名と言われるラーメン店「六厘舎」に立ち寄るためだ。
公式サイトはこちら。
http://rokurinsha.com/
開店1時間前の10時半に到着したのに、すでに10人ちかくが炎天下で待っている。開店までに列は40人ちかくまで伸びた。お茶も買わずに暑い中を並んでしまって体がキツかったけれど、おかげで最初に店内へ入ることができた。
私は「あつもり、大盛り、えび玉トッピング」(しめて1100円)を頼む。注文は並んでいる間に確認し、席に座ったら3分くらいで料理が出てくる手際は良い。そして、味も良かった。麺は太すぎる気もするけれど、つけ汁に油が上手に使われていてよく絡んでいた。「えび玉」はエビの味のする味玉で、これも気に入った。味については文句はない。
しかし料理が美味しいことと、このために1時間待つのはまた別の問題である。味は気に入ったので私の中で明確な結論はでていない。しかし炎天下の日はやめたほうが良いかもしれない。
「六厘舎」を出てローソンで飲み物を買ってから、大崎駅に戻りりんかい線で最寄り駅の「国際展示場」へ向かう。駅を下りて係員の案内に沿って歩いているうちに1時前にはビッグサイトに着いてしまった。会場からはリハーサルの音が聴こえてくる。
午後1時になるとファンクラブ会員を優先に展示場内が開放される。チケットを提示して中に入り、物販でプログラムを買った。そのまま建物の隅っこに座って1時間ほど眠る。深夜バスで移動した疲れがここにきて出てきたようだ。果たしてライブ本番まで体がもつだろうか。
そうして午後3時、展示場のシャッターが上がり本格的に開場である。そこの客席を観た瞬間、
「なんだか去年に似た会場だなあ」
と思ってしまった。会場が海の近くで、大きな空き地にパイプ椅子が並べられていて、遠くには観覧車が見えるのも去年の横浜と同じである。さらにいえば、私の座席は端っこに位置しているのも一緒だ。これがデ・ジャヴというものだろうか。
客席の横に食べ物を売っているテントがいくつかある。まだ開演まで2時間もあるし、「築地銀だこ」のたこ焼きを1箱(6個入りで500円)買った。なぜかここは開演前まで長蛇の列ができる。空を見上げればうっすらと雲がかかっていた。このままいけば涼しくライブには格好の状態ではある。しかし天気予報は夕立の可能性も伝えている。果たして最後までもつだろうか。そんな不安を抱きながら午後5時を少し過ぎてついに開演である。
1曲目はいきなり“東京生活”だった。しかしよく考えてみると、この曲を聴くのは96年の「Free Spirits TOUR」以来、実に12年ぶりだ。
今回の選曲は下に載せているけれど、「tokyo」、「BIG WAVE」(93年)、「Baby Faith」(94年)の曲が目立つような気がする。感想を先に言ってしまうと、神懸かりと言いたくなるほどの出来だった昨年の横浜公演に比べると勢いという点ではそれほどでもなかったかもしれない。しかし印象的な場面もけっこうあった。
まず、往年のファンにとっては「tokyo」収録の“Boys kiss Girls”と“バースデイ”の2曲が感慨深かったのではないだろうか。“Boys kiss Girls”は最後の西武ライブの中でおこなったメドレーでも披露したけれど、私がまるまる1曲を聴いたのは、92年の「スタジアム伝説」以来のはずである。隠れた名曲“バースデイ”にしても02年の西武ライブ「Miss Seventeen Stadium」で披露したきりだ。通常のツアーではなかなか聴けない曲が出てくるのも夏のライブならではだろう。
“CHANGE”から“BABY”という流れも良い。単純に「Baby Faith」の曲順と同じわけだが、それがこの2曲の印象を強くしている。また、「Baby Faith」の曲はまったく予想していなかったので、不意打ちをくらう格好であった。
それから、これは意外に思う人もいるかもしれないけれど、“素顔”と“ONE MORE KISS”にも唸らされた。正直いってこの2曲の思い入れは全くないし、CDを引っぱり出して聴きたいと思うような代物でもない。しかし、勢いで押すという感じとは対照的に、落ち着いていながらも説得力のある歌いっぷりには、いまさらながら彼女の歌唱力の底力を感じさせた。特にアコースティック・ギターとキーボードのみをバックに歌われる“素顔”は、この曲の良さが引き出てくるアレンジだったと思う。
全体的に地味な選曲だったかもしれない。しかし個人的には見どころがけっこうあったこともあり満足度の高いライブであった。
午後8時の少し手前でライブが終了する。ついに終わりまで全く雨が降らなかった。美里が最後のMCで、このライブを成功するようにと2ヶ月の禁酒、3ヶ月の“禁「じゃがりこ」”をしたと最後に打ち明けたのが可笑しかった。そういう願掛けが幸いしてるかどうかはわからない。しかし一昨年の山中湖ライブは前日で大雨が止まり、昨年の横浜も演奏終了まで雨が降らずと、ここ3年はつくづく天気に恵まれているとはいえよう。
ライブが終了してからスクリーンにさきほどまでのライブの場面が映し出され、スタッフロールが流れた。画像はその時の模様である(ライブ中の画像じゃないからね、念のため)。そして、
「See You Next Summer」
というメッセージが映し出される。果たして来年の夏はどこでおこなわれるのだろうか。どこでおこなわれようとも、都合がつく限りは私も自然と足を運ぶのだろう。深夜バスで帰えるという落ち着かない日程なので足早に会場を後にした。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)東京生活
(2)ブランニューヘブン
(3)夏が来た!
(4)yes
(5)Boys kiss Girls
(6)バースデイ
(7)私のカルテ
(8)素顔
(9)Nude
(10)ONE MORE KISS
(11)ココロ銀河
(12)CHANGE
(13)BABY
(14)SHOUT [ココロの花びら]
(15)夏灼きたまご
(16)すき
〈アンコール1〉
(17)ジャングル チャイルド
(18)東京ブギウギ/銀座カンカン娘
(19)恋したっていいじゃない
(20)10 years
(21)My Revolution
〈アンコール2〉
(22)My Love Your Love(たったひとりしかいないあなたへ)
(23)サマータイム ブルース
新たなる夏のライブもついに3回目、今回は東京で行われる。美里自身はインタビューで、野外ライブを東京でするのは初めてであることを強調している。しかし私としては特に何も感慨はない。
ただ、東京にまつわる曲が披露されるかもしれない。彼女の曲で「東京」というフレーズが出てくるのは、90年のアルバム「tokyo」に入っている“バースデイ”と“Tokyo”、そして96年の「Spirits」に入っている“東京生活”くらいだろうか。パッと思いつくのはこの3曲である。だからどうした、と言われたら返答に窮するけれど、“Tokyo”は生で聴いたことがないから歌われたら嬉しいな、などと考えたりする。期待というほどでもないけれど、私がライブ前に思っていたのはその程度のことだ。
新宿に着いてからカプセルホテルで汗を流し、駅前でうどんを食べてネットカフェで2時間ほど過ごす。このいつものパターンを経てライブ会場へ向かう途中、JR大崎駅でいったん降りる。せっかく上京したから、つけ麺がいま最も有名と言われるラーメン店「六厘舎」に立ち寄るためだ。
公式サイトはこちら。
http://rokurinsha.com/
開店1時間前の10時半に到着したのに、すでに10人ちかくが炎天下で待っている。開店までに列は40人ちかくまで伸びた。お茶も買わずに暑い中を並んでしまって体がキツかったけれど、おかげで最初に店内へ入ることができた。
私は「あつもり、大盛り、えび玉トッピング」(しめて1100円)を頼む。注文は並んでいる間に確認し、席に座ったら3分くらいで料理が出てくる手際は良い。そして、味も良かった。麺は太すぎる気もするけれど、つけ汁に油が上手に使われていてよく絡んでいた。「えび玉」はエビの味のする味玉で、これも気に入った。味については文句はない。
しかし料理が美味しいことと、このために1時間待つのはまた別の問題である。味は気に入ったので私の中で明確な結論はでていない。しかし炎天下の日はやめたほうが良いかもしれない。
「六厘舎」を出てローソンで飲み物を買ってから、大崎駅に戻りりんかい線で最寄り駅の「国際展示場」へ向かう。駅を下りて係員の案内に沿って歩いているうちに1時前にはビッグサイトに着いてしまった。会場からはリハーサルの音が聴こえてくる。
午後1時になるとファンクラブ会員を優先に展示場内が開放される。チケットを提示して中に入り、物販でプログラムを買った。そのまま建物の隅っこに座って1時間ほど眠る。深夜バスで移動した疲れがここにきて出てきたようだ。果たしてライブ本番まで体がもつだろうか。
そうして午後3時、展示場のシャッターが上がり本格的に開場である。そこの客席を観た瞬間、
「なんだか去年に似た会場だなあ」
と思ってしまった。会場が海の近くで、大きな空き地にパイプ椅子が並べられていて、遠くには観覧車が見えるのも去年の横浜と同じである。さらにいえば、私の座席は端っこに位置しているのも一緒だ。これがデ・ジャヴというものだろうか。
客席の横に食べ物を売っているテントがいくつかある。まだ開演まで2時間もあるし、「築地銀だこ」のたこ焼きを1箱(6個入りで500円)買った。なぜかここは開演前まで長蛇の列ができる。空を見上げればうっすらと雲がかかっていた。このままいけば涼しくライブには格好の状態ではある。しかし天気予報は夕立の可能性も伝えている。果たして最後までもつだろうか。そんな不安を抱きながら午後5時を少し過ぎてついに開演である。
1曲目はいきなり“東京生活”だった。しかしよく考えてみると、この曲を聴くのは96年の「Free Spirits TOUR」以来、実に12年ぶりだ。
今回の選曲は下に載せているけれど、「tokyo」、「BIG WAVE」(93年)、「Baby Faith」(94年)の曲が目立つような気がする。感想を先に言ってしまうと、神懸かりと言いたくなるほどの出来だった昨年の横浜公演に比べると勢いという点ではそれほどでもなかったかもしれない。しかし印象的な場面もけっこうあった。
まず、往年のファンにとっては「tokyo」収録の“Boys kiss Girls”と“バースデイ”の2曲が感慨深かったのではないだろうか。“Boys kiss Girls”は最後の西武ライブの中でおこなったメドレーでも披露したけれど、私がまるまる1曲を聴いたのは、92年の「スタジアム伝説」以来のはずである。隠れた名曲“バースデイ”にしても02年の西武ライブ「Miss Seventeen Stadium」で披露したきりだ。通常のツアーではなかなか聴けない曲が出てくるのも夏のライブならではだろう。
“CHANGE”から“BABY”という流れも良い。単純に「Baby Faith」の曲順と同じわけだが、それがこの2曲の印象を強くしている。また、「Baby Faith」の曲はまったく予想していなかったので、不意打ちをくらう格好であった。
それから、これは意外に思う人もいるかもしれないけれど、“素顔”と“ONE MORE KISS”にも唸らされた。正直いってこの2曲の思い入れは全くないし、CDを引っぱり出して聴きたいと思うような代物でもない。しかし、勢いで押すという感じとは対照的に、落ち着いていながらも説得力のある歌いっぷりには、いまさらながら彼女の歌唱力の底力を感じさせた。特にアコースティック・ギターとキーボードのみをバックに歌われる“素顔”は、この曲の良さが引き出てくるアレンジだったと思う。
全体的に地味な選曲だったかもしれない。しかし個人的には見どころがけっこうあったこともあり満足度の高いライブであった。
午後8時の少し手前でライブが終了する。ついに終わりまで全く雨が降らなかった。美里が最後のMCで、このライブを成功するようにと2ヶ月の禁酒、3ヶ月の“禁「じゃがりこ」”をしたと最後に打ち明けたのが可笑しかった。そういう願掛けが幸いしてるかどうかはわからない。しかし一昨年の山中湖ライブは前日で大雨が止まり、昨年の横浜も演奏終了まで雨が降らずと、ここ3年はつくづく天気に恵まれているとはいえよう。
ライブが終了してからスクリーンにさきほどまでのライブの場面が映し出され、スタッフロールが流れた。画像はその時の模様である(ライブ中の画像じゃないからね、念のため)。そして、
「See You Next Summer」
というメッセージが映し出される。果たして来年の夏はどこでおこなわれるのだろうか。どこでおこなわれようとも、都合がつく限りは私も自然と足を運ぶのだろう。深夜バスで帰えるという落ち着かない日程なので足早に会場を後にした。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)東京生活
(2)ブランニューヘブン
(3)夏が来た!
(4)yes
(5)Boys kiss Girls
(6)バースデイ
(7)私のカルテ
(8)素顔
(9)Nude
(10)ONE MORE KISS
(11)ココロ銀河
(12)CHANGE
(13)BABY
(14)SHOUT [ココロの花びら]
(15)夏灼きたまご
(16)すき
〈アンコール1〉
(17)ジャングル チャイルド
(18)東京ブギウギ/銀座カンカン娘
(19)恋したっていいじゃない
(20)10 years
(21)My Revolution
〈アンコール2〉
(22)My Love Your Love(たったひとりしかいないあなたへ)
(23)サマータイム ブルース
サマソニに行けば済む話、ではあるけれど
2008年8月7日8月9日と10日は「サマーソニック」が開催される。都合がつけば行きたいと毎年おもっているけれど、仕事がいつも入っているのが現状だ。
ただ、東京では「SUMMER SONIC EXTRA 」と題して、サマソニに出演するミュージシャンの単独公演が多数企画されている。その中で8月11日にディーヴォのライブがあったので、これだけでも観ようとチケットを押さえた。
それからしばらくして、セックス・ピストルズも単独公演が8月12日にあったことを知った。しかし、この時は仕事の都合がまだつかなかったし、どうせ東京だとすぐ完売しているだろうと思い諦める。
しかし今日、ふとピストルズのことを思い出して「ぴあ」のサイトを覗いてみたら、チケットがまだ残っていたのである。そして、そのまま何も考えずに1枚取ってしまう。
冷静に考えれば私は“アナーキー・イン・ザ・U.K”も“ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン”も曲が出てこないような聴き手である。更に言えば、デイーヴォについてもろくに知識はない。ほとんど興味本位だけで会場に行くわけだ。宿も押さえたので、あとは新幹線で上京するだけである。
しかし、観たくてしかたないコールドプレイについては単独公演が無いのが残念だ。今夜はポール・ウェラーがライブをしていたという。
いまの部署にいる間は、サマソニに行くことは難しい。
ただ、東京では「SUMMER SONIC EXTRA 」と題して、サマソニに出演するミュージシャンの単独公演が多数企画されている。その中で8月11日にディーヴォのライブがあったので、これだけでも観ようとチケットを押さえた。
それからしばらくして、セックス・ピストルズも単独公演が8月12日にあったことを知った。しかし、この時は仕事の都合がまだつかなかったし、どうせ東京だとすぐ完売しているだろうと思い諦める。
しかし今日、ふとピストルズのことを思い出して「ぴあ」のサイトを覗いてみたら、チケットがまだ残っていたのである。そして、そのまま何も考えずに1枚取ってしまう。
冷静に考えれば私は“アナーキー・イン・ザ・U.K”も“ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン”も曲が出てこないような聴き手である。更に言えば、デイーヴォについてもろくに知識はない。ほとんど興味本位だけで会場に行くわけだ。宿も押さえたので、あとは新幹線で上京するだけである。
しかし、観たくてしかたないコールドプレイについては単独公演が無いのが残念だ。今夜はポール・ウェラーがライブをしていたという。
いまの部署にいる間は、サマソニに行くことは難しい。
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受け入れられそうにない新作「Dear My Songs」
2008年8月6日 渡辺美里この秋に渡辺美里が新作アルバムを出すという話は、DVD「Voice2」(08年)に入っていた案内で知った。
私はある時期からアルバムもライブも期待しないことに決めた。変な期待を抱いて後で失望する経験を何度も繰り返したためだ。今回のアルバムについてもそのような思いで接するつもりだった。
しかし、である。アルバムの内容を知った時は落ち着いていられなくなった。なんと「セルフカバーベストアルバム」だというのである。
Sony Music Onlineの紹介ではこう書いていた。
渡辺美里 「Dear My Songs」
【発売日】 2008.10.08
【品番】 ESCL-3130
【価格】 3,059(tax in)
【解説】
渡辺美里デビュー25周年に向けての企画アルバム。
「My Revolution」「10 years」「Lovin’ you」「悲しいね」など、
これまで美里が歌ってきた数々の名曲を、井上鑑による豪華リアレンジを始め、
弦一徹、斉藤恒芳によるストリングスを中心とした贅沢な編成、
ゴンチチ、石成正人、谷本光のギター、小松亮太のバンドネオン、斎藤有太によるピアノとのコラボレーション、
さらに山本拓夫によるビックバンドアレンジといった、日本屈指のミュージシャンと作り上げる、
アコースティックアレンジを中心とした超豪華セルフカバーベスト!
そして、取り上げられるのは以下の曲である。
【収録曲】※曲順未定
My Revolution (album「Lovin’ you」収録)
作詩:川村真澄 作曲:小室哲哉 編曲:井上鑑
Lovin’ you (album「Lovin’ you」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:岡村靖幸 編曲:斎藤有太
10 years (album「ribbon」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:大江千里 編曲:弦一徹
悲しいね (album「ribbon」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:小室哲哉 編曲:斉藤恒芳
Believe (album「ribbon」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:小室哲哉 編曲:谷本光
My Love Your Love (album「Spirits」収録)
作詩・作曲:渡辺美里 編曲:井上鑑
素顔 (album「ハダカノココロ」収録)
作詩:渡辺美里・大江千里 作曲:大江千里 編曲:小松亮太
サンキュ (album「Love Go Go!!」収録)
作詩・作曲:渡辺美里 編曲:ゴンチチ
悲しいボーイフレンド (album「eyes」収録)
作詩・作曲:大江千里 編曲:石成正人
PAJAMA TIME (album「BREATH」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:小室哲哉 編曲:山本拓夫
Kiss from a rose (album「Sing and Roses」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:TAKURO 編曲:弦一徹
ココロ銀河 (album「ココロ銀河」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:川村結花 編曲:斉藤恒芳
以上、12曲である。
選曲についてなど細かいことを言うつもりはない。しかし、私がパッと思い浮かんだのは、
「オリジナルのバージョンを超えることはできないだろうな」
という1点だけだ。
渡辺美里がセルフカバーのアルバムを出したのは今回が初めてではない。92年の「Hello Lovers」というのがそれで、彼女の過去の楽曲をジェイ・グレイドンやアリフ・マーディン(故人)といった人たちがアレンジし直した作品である。このアルバムを駄作と称する人もいるけれど、その原因はおそらくオリジナル作品との比較によるものではないだろうか。まっさらな新作と思えば、当時の彼女のもつ圧倒的な歌の力を楽しめる。その考えは買った当初から現在まで変わらない.ちなみに「Hello Lovers」については別の場所で感想を記している。よかったら読んでもらいたい。
http://watabekazuaki.hp.infoseek.co.jp/musicreview/HELLOLOVERS.html
セルフカバーの是非はともかく、92年の当時の彼女ははっきりいって「何をしてもうまくいく」という状態だったろう。それゆえ、アリフ・マーディンなど大物まで彼女の制作を手がけるという幸運も引き寄せられたと思う。また、CDの売り上げも良かったし制作費も潤沢だったにちがいない。
それに比べて、現在の彼女を取り巻く状況はどうだろう。あまり多くのことは言いたくない。しかし、今の彼女にオリジナルを凌駕するようなものを作れるだろうか。この辺りを冷静に判断できるかどうかで、その人が「信者」かどうかが分かる気がする。
オリジナル・アルバムだったらどれほど酷い内容でも今の私は妥協できる。期待ゼロなんだから。しかし、このセルフカバーについてはその自信がない。いまから中身が心配である。
私はある時期からアルバムもライブも期待しないことに決めた。変な期待を抱いて後で失望する経験を何度も繰り返したためだ。今回のアルバムについてもそのような思いで接するつもりだった。
しかし、である。アルバムの内容を知った時は落ち着いていられなくなった。なんと「セルフカバーベストアルバム」だというのである。
Sony Music Onlineの紹介ではこう書いていた。
渡辺美里 「Dear My Songs」
【発売日】 2008.10.08
【品番】 ESCL-3130
【価格】 3,059(tax in)
【解説】
渡辺美里デビュー25周年に向けての企画アルバム。
「My Revolution」「10 years」「Lovin’ you」「悲しいね」など、
これまで美里が歌ってきた数々の名曲を、井上鑑による豪華リアレンジを始め、
弦一徹、斉藤恒芳によるストリングスを中心とした贅沢な編成、
ゴンチチ、石成正人、谷本光のギター、小松亮太のバンドネオン、斎藤有太によるピアノとのコラボレーション、
さらに山本拓夫によるビックバンドアレンジといった、日本屈指のミュージシャンと作り上げる、
アコースティックアレンジを中心とした超豪華セルフカバーベスト!
そして、取り上げられるのは以下の曲である。
【収録曲】※曲順未定
My Revolution (album「Lovin’ you」収録)
作詩:川村真澄 作曲:小室哲哉 編曲:井上鑑
Lovin’ you (album「Lovin’ you」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:岡村靖幸 編曲:斎藤有太
10 years (album「ribbon」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:大江千里 編曲:弦一徹
悲しいね (album「ribbon」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:小室哲哉 編曲:斉藤恒芳
Believe (album「ribbon」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:小室哲哉 編曲:谷本光
My Love Your Love (album「Spirits」収録)
作詩・作曲:渡辺美里 編曲:井上鑑
素顔 (album「ハダカノココロ」収録)
作詩:渡辺美里・大江千里 作曲:大江千里 編曲:小松亮太
サンキュ (album「Love Go Go!!」収録)
作詩・作曲:渡辺美里 編曲:ゴンチチ
悲しいボーイフレンド (album「eyes」収録)
作詩・作曲:大江千里 編曲:石成正人
PAJAMA TIME (album「BREATH」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:小室哲哉 編曲:山本拓夫
Kiss from a rose (album「Sing and Roses」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:TAKURO 編曲:弦一徹
ココロ銀河 (album「ココロ銀河」収録)
作詩:渡辺美里 作曲:川村結花 編曲:斉藤恒芳
以上、12曲である。
選曲についてなど細かいことを言うつもりはない。しかし、私がパッと思い浮かんだのは、
「オリジナルのバージョンを超えることはできないだろうな」
という1点だけだ。
渡辺美里がセルフカバーのアルバムを出したのは今回が初めてではない。92年の「Hello Lovers」というのがそれで、彼女の過去の楽曲をジェイ・グレイドンやアリフ・マーディン(故人)といった人たちがアレンジし直した作品である。このアルバムを駄作と称する人もいるけれど、その原因はおそらくオリジナル作品との比較によるものではないだろうか。まっさらな新作と思えば、当時の彼女のもつ圧倒的な歌の力を楽しめる。その考えは買った当初から現在まで変わらない.ちなみに「Hello Lovers」については別の場所で感想を記している。よかったら読んでもらいたい。
http://watabekazuaki.hp.infoseek.co.jp/musicreview/HELLOLOVERS.html
セルフカバーの是非はともかく、92年の当時の彼女ははっきりいって「何をしてもうまくいく」という状態だったろう。それゆえ、アリフ・マーディンなど大物まで彼女の制作を手がけるという幸運も引き寄せられたと思う。また、CDの売り上げも良かったし制作費も潤沢だったにちがいない。
それに比べて、現在の彼女を取り巻く状況はどうだろう。あまり多くのことは言いたくない。しかし、今の彼女にオリジナルを凌駕するようなものを作れるだろうか。この辺りを冷静に判断できるかどうかで、その人が「信者」かどうかが分かる気がする。
オリジナル・アルバムだったらどれほど酷い内容でも今の私は妥協できる。期待ゼロなんだから。しかし、このセルフカバーについてはその自信がない。いまから中身が心配である。
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内容量490ml
2008年8月5日昨日に引き続き、今日も朝から外で仕事である。空には雲はほとんどなく、日差しは前日以上にきつそうな気配だ。
自転車を走っている間にもう喉がかわく。昨日と同じく道の途中にあるファミリーマートに入った。しかし、今日は買うものを変えてみることにした。買ったのは、凍ったペットボトルのお茶である。
なぜ凍ったものにしたかといえば、そのほうが経済的だと思ったからだ。凍っている場合、飲みたくても溶けなければ飲むことができない。おかげでガバガバ飲むことなく、1本のペットボトルを夕方までもたせることができた。
その凍ったペットボトルのラベルをなんとなく見ていたら、通常のお茶やジュースと異なる点に気づいた。内容量が「490ml」になっているのだ。500mlより10mlだけ少ない。たぶん凍って膨張する部分を計算して量を減らしているのだろうな。
自転車を走っている間にもう喉がかわく。昨日と同じく道の途中にあるファミリーマートに入った。しかし、今日は買うものを変えてみることにした。買ったのは、凍ったペットボトルのお茶である。
なぜ凍ったものにしたかといえば、そのほうが経済的だと思ったからだ。凍っている場合、飲みたくても溶けなければ飲むことができない。おかげでガバガバ飲むことなく、1本のペットボトルを夕方までもたせることができた。
その凍ったペットボトルのラベルをなんとなく見ていたら、通常のお茶やジュースと異なる点に気づいた。内容量が「490ml」になっているのだ。500mlより10mlだけ少ない。たぶん凍って膨張する部分を計算して量を減らしているのだろうな。
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暑さには飲み物よりもアイスか
2008年8月4日連日のように真夏日を記録している京都で、本日と明日は外でずっと仕事である。今日はそれほど日差しが強くなかったため、作業自体はあまりキツくなかった。ただ、やたらとノドが乾くのは我慢できない。
午前中から昼間にかけてはペットボトルをお茶を飲んでいた。しかし午後3時過ぎる頃から、なんとなくアイスクリームを食べたくなる。そこで近くのファミリーマートで「ハーゲンダッツ」(ミルフィーユ味)を買って、そばの公園で食べた。すると、どうだろう。さっきより体が冷えたような気分になったのである。
液体のお茶やジュースよりも、凍っているアイスやかき氷などのほうが温度が低いため体の冷却効果も高いのだろうか。単純に考えればそうなるけれど、果たして実際のところは?
午前中から昼間にかけてはペットボトルをお茶を飲んでいた。しかし午後3時過ぎる頃から、なんとなくアイスクリームを食べたくなる。そこで近くのファミリーマートで「ハーゲンダッツ」(ミルフィーユ味)を買って、そばの公園で食べた。すると、どうだろう。さっきより体が冷えたような気分になったのである。
液体のお茶やジュースよりも、凍っているアイスやかき氷などのほうが温度が低いため体の冷却効果も高いのだろうか。単純に考えればそうなるけれど、果たして実際のところは?
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(1)Kingdom Hall 熱狂のキングダム・ホール
(2)Checkin’ It Out チェッキン・イット・アウト
(3)Natalia ナタリア
(4)Venice U.S.A ベニス U.S.A
(5)Lifetimes 俺達の生き様は
(6)Wavelength 魂の呼び声
(7)Santa Fe/Beautiful Obsession サンタフェ/魅せられし故郷
(8)Hungry For Your Love 愛の乾き
(9)Take It Where You Find It 全てはもとどおり
〔ボーナストラック〕
(10)Kingdom Hall(Live)熱狂のキングダム・ホール(ライヴ)
(11)Wavelength(Live)魂の呼び声(ライヴ)
まず最初に、初めて私がこのアルバムを手にした時のことを書きたい。といってもいつの頃だったかははっきりしない。しかし新京極にあった中古CDショップで買ったのだけは覚えている。この店で見つけた「Wavelength」という名前のアルバムについて予備知識がまったく無かった。ヴァンのアルバムだから買っておこうか、という程度の認識だったのである。ぼやけたジャケットもあまり良い印象が持てず、これは海賊版かな?などと思ったりもした。
なぜこんなことを書いたかといえば、ヴァン・モリソンのファンの中でもこの作品はそれほど認知されていないのではと思ったからだ。「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン」(90年)や「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン2」(91年)にはこのアルバムの曲は入ってもいないし、なかなか親しみのわかない感じがする。私としてもしばらくの間は、上で書いたような印象しかもってなかった。
しかしながら、ちゃんと聴いてみると中身についてはなかなか侮れないものがある。2年半の沈黙を破って発売された77年の前作「安息への旅」(A Period Of Transition)はドクター・ジョンと共同プロデュースしたものの地味な曲が多いためか音楽メディアからの評価は今ひとつだった。そんなあまりうまくいったとはいえないカムバックを受けて出したのが本作である。アルバムは全米28位、英国では27位を記録した。
この作品の特徴といえばキーボードの音色だろう。ヴァンのアルバムでキーボード類といえば「ハヴ・アイ・トールド・ユー・レイトリー」で聴けるピアノ、またジョージィ・フェイムのハモンド・オルガンなどがパッと思い浮かぶ。しかし「いかにもキーボード」という音やアコーディオンがちりばめられているのはこの作品くらいだけではないだろうか。ゼムの仲間だったピーター・バーデンスやザ・バンドのガース・ハドソンといったゲストの参加が大きいのかもしれない。
そんなバックで歌われるヴァンの歌声は、前作にはない勢いや軽やかさがあって心地よい。ヴァンの伝記「魂の道のり」のアルバム解説で大鷹俊一さんは「ふっきれた」という表現を使っているけれど、本作は上り調子になっていくヴァンの姿を捉えた佳作といえよう。歌詞も、彼が小さい頃から影響を受けたラジオ、ダンスホール、アメリカのことを歌ったものなど深刻なテーマはあまりない。
近年に出たライブ映像「ライヴ・アット・モントルー1947/1980」(06年)ではタイトル曲や“熱狂のキングダム・ホール”の素晴らしい演奏を観ることもできる。このDVDを観ればアルバムが身近に感じられるかもしれない。
70年代中盤から80年代半ばあたりまでのヴァンの作品はかなり内容の振幅が激しい。しかし、本作から次の「イントゥ・ザ・ミュージック」(79年)までは右肩あがりの調子を保っていく。
(2)Checkin’ It Out チェッキン・イット・アウト
(3)Natalia ナタリア
(4)Venice U.S.A ベニス U.S.A
(5)Lifetimes 俺達の生き様は
(6)Wavelength 魂の呼び声
(7)Santa Fe/Beautiful Obsession サンタフェ/魅せられし故郷
(8)Hungry For Your Love 愛の乾き
(9)Take It Where You Find It 全てはもとどおり
〔ボーナストラック〕
(10)Kingdom Hall(Live)熱狂のキングダム・ホール(ライヴ)
(11)Wavelength(Live)魂の呼び声(ライヴ)
まず最初に、初めて私がこのアルバムを手にした時のことを書きたい。といってもいつの頃だったかははっきりしない。しかし新京極にあった中古CDショップで買ったのだけは覚えている。この店で見つけた「Wavelength」という名前のアルバムについて予備知識がまったく無かった。ヴァンのアルバムだから買っておこうか、という程度の認識だったのである。ぼやけたジャケットもあまり良い印象が持てず、これは海賊版かな?などと思ったりもした。
なぜこんなことを書いたかといえば、ヴァン・モリソンのファンの中でもこの作品はそれほど認知されていないのではと思ったからだ。「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン」(90年)や「ベスト・オブ・ヴァン・モリソン2」(91年)にはこのアルバムの曲は入ってもいないし、なかなか親しみのわかない感じがする。私としてもしばらくの間は、上で書いたような印象しかもってなかった。
しかしながら、ちゃんと聴いてみると中身についてはなかなか侮れないものがある。2年半の沈黙を破って発売された77年の前作「安息への旅」(A Period Of Transition)はドクター・ジョンと共同プロデュースしたものの地味な曲が多いためか音楽メディアからの評価は今ひとつだった。そんなあまりうまくいったとはいえないカムバックを受けて出したのが本作である。アルバムは全米28位、英国では27位を記録した。
この作品の特徴といえばキーボードの音色だろう。ヴァンのアルバムでキーボード類といえば「ハヴ・アイ・トールド・ユー・レイトリー」で聴けるピアノ、またジョージィ・フェイムのハモンド・オルガンなどがパッと思い浮かぶ。しかし「いかにもキーボード」という音やアコーディオンがちりばめられているのはこの作品くらいだけではないだろうか。ゼムの仲間だったピーター・バーデンスやザ・バンドのガース・ハドソンといったゲストの参加が大きいのかもしれない。
そんなバックで歌われるヴァンの歌声は、前作にはない勢いや軽やかさがあって心地よい。ヴァンの伝記「魂の道のり」のアルバム解説で大鷹俊一さんは「ふっきれた」という表現を使っているけれど、本作は上り調子になっていくヴァンの姿を捉えた佳作といえよう。歌詞も、彼が小さい頃から影響を受けたラジオ、ダンスホール、アメリカのことを歌ったものなど深刻なテーマはあまりない。
近年に出たライブ映像「ライヴ・アット・モントルー1947/1980」(06年)ではタイトル曲や“熱狂のキングダム・ホール”の素晴らしい演奏を観ることもできる。このDVDを観ればアルバムが身近に感じられるかもしれない。
70年代中盤から80年代半ばあたりまでのヴァンの作品はかなり内容の振幅が激しい。しかし、本作から次の「イントゥ・ザ・ミュージック」(79年)までは右肩あがりの調子を保っていく。
私って買物が下手ですか?
2008年8月2日
部屋のテレビがここにきて故障した。音声は全く問題はないものの、画面がほとんど映らなくなってしまったのだ。会社の後輩に、それって既にテレビじゃないじゃないですか、と言われる。確かにこれではラジオと機能に大差はないだろう。
このテレビは私が京都に来た時(96年2月)からずっと使っていて、一度は修理に出している。ここまで時間が経てばおそらく再修理は不可能だろう(確認はしていないが)。
では買い替えるという選択になるが、そうなるとあの問題が出てくる。デジタルにするか、アナログにするかということだ。2011年7月24日をもって地上波アナログ放送は中止になる。アナログ放送で観られるのはあと3年ほどだ。つくづく微妙な時期に壊れてしまったものである。
しかし、少なくとも私には、デジタル対応テレビはまだまだ高価だと判断した。よって、安いブラウン管テレビを買って3年間はしのいでいこうと決める。そして、オークションで買ったのが画像のテレビだった(オークションのページに載っていたのを拝借した)。ちなみに商品は今朝に届く。重さは36.5kgだったので運ぶのが大変だった。
商品はSONY型テレビ「KV-25DA65 」、05年製である。落札金額は1万3500円、送料2500円を入れて合計1万6000円である。
知り合いからは、リサイクルショップに行けば1万円くらいで買えますよ、と後で言われたけれど落札したものはしょうがない。ただ、現物はけっこう良い品ではある。
これで3年間使って1万6000円、悪くないと思うがどうだろう。テレビの相場には疎いけれど、高く買ってしまったかな?
このテレビは私が京都に来た時(96年2月)からずっと使っていて、一度は修理に出している。ここまで時間が経てばおそらく再修理は不可能だろう(確認はしていないが)。
では買い替えるという選択になるが、そうなるとあの問題が出てくる。デジタルにするか、アナログにするかということだ。2011年7月24日をもって地上波アナログ放送は中止になる。アナログ放送で観られるのはあと3年ほどだ。つくづく微妙な時期に壊れてしまったものである。
しかし、少なくとも私には、デジタル対応テレビはまだまだ高価だと判断した。よって、安いブラウン管テレビを買って3年間はしのいでいこうと決める。そして、オークションで買ったのが画像のテレビだった(オークションのページに載っていたのを拝借した)。ちなみに商品は今朝に届く。重さは36.5kgだったので運ぶのが大変だった。
商品はSONY型テレビ「KV-25DA65 」、05年製である。落札金額は1万3500円、送料2500円を入れて合計1万6000円である。
知り合いからは、リサイクルショップに行けば1万円くらいで買えますよ、と後で言われたけれど落札したものはしょうがない。ただ、現物はけっこう良い品ではある。
これで3年間使って1万6000円、悪くないと思うがどうだろう。テレビの相場には疎いけれど、高く買ってしまったかな?
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不思議な縁のあるジッタリン・ジン
2008年8月1日ヤフーニュースに、
「ジッタリンジンが再燃の兆し」
という見出しが、しかもトップで出ていたのは奇妙に感じた。そういえばテレビをつけると、パチンコのCMで“夏祭り”をたまに耳にはしていた。その反響が大きかったため着うたを出したところ、10万ダウンロードを超える勢いだという。
ニュースの下にはコメント欄があって、そこがやたらと盛り上がっている。しかし、懐かしいだとか、名曲はいつ聴いても良いだとか、いまの曲はよくわからんとか、要するに昔ちょっとジッタリン・ジンを耳にしていた程度とおぼしき人ばかりなのが面白かった。おそらくここに書き込みをした中でジッタリン・ジンのファンはいない。ライブ会場にまで足を運ぶような人たちは、このヤフーのニュースに冷ややかな視線を送っているだろう。にわかファンの私もそう思う。“夏祭り”「だけ」が脚光を浴びたからといっていまさら「人気が再燃」とはいかないだろう、とね。せいぜい、現在40代前後の人たちがCMを観て懐かしがっている、というのが今回のヒットの実体ではないだろうか。着うたが売れているのは単純に喜ばしいけれど、私にはそれ以上の格別の思いはない。
それはともかく、2000年にはホワイトベリーにカバーされたり、今回のようにパチンコで楽曲を使われたりと、ジッタリン・ジンは不思議な縁のあるバンドだなと感じる。優れていると言われるバンドでも、このような形で曲が何度も世に出るというのはなかなかあるものではない。
ずっと活動していれば、こういうことも起きるのだろう。マイペースで続けてきた本人たちの意識もたぶんそんなところだと思う。
「ジッタリンジンが再燃の兆し」
という見出しが、しかもトップで出ていたのは奇妙に感じた。そういえばテレビをつけると、パチンコのCMで“夏祭り”をたまに耳にはしていた。その反響が大きかったため着うたを出したところ、10万ダウンロードを超える勢いだという。
ニュースの下にはコメント欄があって、そこがやたらと盛り上がっている。しかし、懐かしいだとか、名曲はいつ聴いても良いだとか、いまの曲はよくわからんとか、要するに昔ちょっとジッタリン・ジンを耳にしていた程度とおぼしき人ばかりなのが面白かった。おそらくここに書き込みをした中でジッタリン・ジンのファンはいない。ライブ会場にまで足を運ぶような人たちは、このヤフーのニュースに冷ややかな視線を送っているだろう。にわかファンの私もそう思う。“夏祭り”「だけ」が脚光を浴びたからといっていまさら「人気が再燃」とはいかないだろう、とね。せいぜい、現在40代前後の人たちがCMを観て懐かしがっている、というのが今回のヒットの実体ではないだろうか。着うたが売れているのは単純に喜ばしいけれど、私にはそれ以上の格別の思いはない。
それはともかく、2000年にはホワイトベリーにカバーされたり、今回のようにパチンコで楽曲を使われたりと、ジッタリン・ジンは不思議な縁のあるバンドだなと感じる。優れていると言われるバンドでも、このような形で曲が何度も世に出るというのはなかなかあるものではない。
ずっと活動していれば、こういうことも起きるのだろう。マイペースで続けてきた本人たちの意識もたぶんそんなところだと思う。
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「マタ アイマショウ」は嘘じゃなかった
2008年7月31日昨年に観たライブの中で最も素晴らしかったものといえば、迷うことなく大阪城ホールのイベントにおけるキャロル・キングを挙げる。かの名盤「つづれおり」の楽曲が目の前で演奏されたことに、自分の予想を超えるほど感激したのを今でも覚えている。
ちなみに感想は過去の日記に書いた。興味があれば参照してほしい。
http://diarynote.jp/d/30771/20071105.html
この時キャロルは、
「マタ アイマショウ」
と日本語で言ってステージを去っていった。是非とも実現してほしいと願う一方、もはや還暦をとうに過ぎた彼女が再び日本の地を踏むのかという疑念もあった。
しかし、である。彼女の言葉が嘘でないことがわかった。この11月にまた来日するというのである。単独公演は90年以来、実に18年ぶりだ。
公演は4回あるけれど残念ながら東京公演しかない。
2008年11月10日(月) 、11日(火)渋谷 Bunkamura オーチャードホール
2008年11月21日(金) 、22日(土)東京国際フォーラム ホールA
である。
しかし昨年のことを思えばとてつもなく素晴らしいステージを観られるのは確実だ。自分の中には迷いはない。後半の2公演に足を運ぼうかと今は考えている。本音をいえば全て観たいんだけどね。
ちなみに感想は過去の日記に書いた。興味があれば参照してほしい。
http://diarynote.jp/d/30771/20071105.html
この時キャロルは、
「マタ アイマショウ」
と日本語で言ってステージを去っていった。是非とも実現してほしいと願う一方、もはや還暦をとうに過ぎた彼女が再び日本の地を踏むのかという疑念もあった。
しかし、である。彼女の言葉が嘘でないことがわかった。この11月にまた来日するというのである。単独公演は90年以来、実に18年ぶりだ。
公演は4回あるけれど残念ながら東京公演しかない。
2008年11月10日(月) 、11日(火)渋谷 Bunkamura オーチャードホール
2008年11月21日(金) 、22日(土)東京国際フォーラム ホールA
である。
しかし昨年のことを思えばとてつもなく素晴らしいステージを観られるのは確実だ。自分の中には迷いはない。後半の2公演に足を運ぼうかと今は考えている。本音をいえば全て観たいんだけどね。
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渡辺美里「Voice2」(08年)
2008年7月30日 渡辺美里
(1)スピリッツ
(2)ムーンライトピクニック
(3)すき
(4)夏のカーブ〜一瞬の夏〜真夏のサンタクロース
(5)Tokyo Calling
(6)BIG WAVEやってきた
(7)チェリーが3つ並ばない
(8)夏だより
(9)ココロ銀河
(10)Cosmic Girl
(11)夏が来た!〜三百六十五歩のマーチ
(12)恋するパンクス〜ブルーライトヨコハマ
(13)輝く道
(14)37.2℃ (夢みるように うたいたい)
(15)Welcome
(16)月の砂漠
(17)SHOUT(ココロの花びら)
(18)もっと遠くへ・・・
(19)その手をつないで
(20)KISS & CRY
(21)LOVE IS HERE
(22)Oh! ダーリン
(23)Gift
(24)Long Night
(25)青い鳥
(26)私のカルテ
(27)熱情
(28)ココロ銀河
(29)10years
(30)My Revolution
(31)Lovin’ you
昨年から始まった渡辺美里のDVDシリーズ「Voice」の2作目が発売した。今回は07年の彼女の活動を追ったものである。
去年の美里はけっこう色々なことをした。与謝野晶子の詩の朗読会「言の葉コンサート」の参加、森林保護のために薬師寺でおこなわれた「Present Tree」、恒例の夏のライブは横浜、秋から冬にかけての「ココロ銀河ツアー」など。ライブした会場は多岐にわたる。
その中でも横浜でのライブは奇跡的な素晴らしさだった。序盤から本編終了までの流れは神がかりといえるもので、久しぶりに「信者」に戻りそうになるほど気分が高揚したことを覚えている。特に“夏のカーブ”〜“一瞬の夏”〜“真夏のサンタクロース”のメドレー、そして続く“Tokyo Calling”はこのライブと白眉といえよう。自分でも目の前で起こっていることが信じられなかった。膨大な名曲(主に80年代に作られたものだが)を持つ彼女のみができる力業である。
しかし、だからこそライブの模様が細切れになっているのが残念でならない。全ての活動を収めたい気持ちは理解できるけれど、2時間近く(正確には113分)でまとめれば無理がでてくる。結果として“夏のカーブ”メドレーも要約されてしまった。“一瞬の夏”が始まる時の、(尾崎豊の“卒業”を連想させる)あの学校のチャイムの音をまた聴きたかった。
ただ救いなのは、もう一つのハイライトである“Tokyo Calling”が完全に収録されていることだ。これは「快挙」という表現を使っても言い過ぎではない。88年のアルバム「ribbon」に収録されているこの曲が21世紀になって聴けるとは。会場でこの曲が出てくると思った人は皆無だったに違いない。嬉しいことに、今は何度も再生して観ることが可能だ。個人的にはそれだけでもDVDを買う価値はあると思っている。
他に1曲まるまる収めている曲といえば
夏だより
ココロ銀河
輝く道
夏が来た!
これくらいだったか。あとの曲は微妙にカットされていて「完全収録」とは言いづらいものばかりである。
“夏が来た!”は熊本城の下でおこなわれた時のもので、この曲をバックにライブの風景がダーッと流れてくる。ライブの模様を断片的に紹介するよりも、この“夏が来た”のような手法にしたほうが良かったのではという気がする。
去年のライブは私もいろいろ行ったけれど(詩の朗読会、薬師寺、横浜、熊本、大阪と神戸のツアー、元日ライブ)、横浜ライブと「ココロ銀河ツアー」の神戸公演以外はそれほど印象には残っていない。しかし、こうしてダイジェストで辿ってみると観るべき点はあるかなとも思えてくる。
収録曲が昨年出たアルバム「ココロ銀河」の曲に比重が置いてあるのも、07年の記録と考えれば納得もいく。それから、最近の彼女の傾向からすれば「ココロ銀河」の収録曲が今後も演奏される可能性は低い。そういう意味でも貴重な記録となるかもしれない。
そう書きながらも、さきのメドレーや“Tokyo Calling”ばかりを繰り返している自分がいる。もっといえば、こうした瞬間に立ち会うがためにわざわざ横浜までライブを観に行ったわけだ。今年もこのような「瞬間」が訪れるのだろうか。今の私が彼女に期待することがあるとすれば、そういうことである。
(2)ムーンライトピクニック
(3)すき
(4)夏のカーブ〜一瞬の夏〜真夏のサンタクロース
(5)Tokyo Calling
(6)BIG WAVEやってきた
(7)チェリーが3つ並ばない
(8)夏だより
(9)ココロ銀河
(10)Cosmic Girl
(11)夏が来た!〜三百六十五歩のマーチ
(12)恋するパンクス〜ブルーライトヨコハマ
(13)輝く道
(14)37.2℃ (夢みるように うたいたい)
(15)Welcome
(16)月の砂漠
(17)SHOUT(ココロの花びら)
(18)もっと遠くへ・・・
(19)その手をつないで
(20)KISS & CRY
(21)LOVE IS HERE
(22)Oh! ダーリン
(23)Gift
(24)Long Night
(25)青い鳥
(26)私のカルテ
(27)熱情
(28)ココロ銀河
(29)10years
(30)My Revolution
(31)Lovin’ you
昨年から始まった渡辺美里のDVDシリーズ「Voice」の2作目が発売した。今回は07年の彼女の活動を追ったものである。
去年の美里はけっこう色々なことをした。与謝野晶子の詩の朗読会「言の葉コンサート」の参加、森林保護のために薬師寺でおこなわれた「Present Tree」、恒例の夏のライブは横浜、秋から冬にかけての「ココロ銀河ツアー」など。ライブした会場は多岐にわたる。
その中でも横浜でのライブは奇跡的な素晴らしさだった。序盤から本編終了までの流れは神がかりといえるもので、久しぶりに「信者」に戻りそうになるほど気分が高揚したことを覚えている。特に“夏のカーブ”〜“一瞬の夏”〜“真夏のサンタクロース”のメドレー、そして続く“Tokyo Calling”はこのライブと白眉といえよう。自分でも目の前で起こっていることが信じられなかった。膨大な名曲(主に80年代に作られたものだが)を持つ彼女のみができる力業である。
しかし、だからこそライブの模様が細切れになっているのが残念でならない。全ての活動を収めたい気持ちは理解できるけれど、2時間近く(正確には113分)でまとめれば無理がでてくる。結果として“夏のカーブ”メドレーも要約されてしまった。“一瞬の夏”が始まる時の、(尾崎豊の“卒業”を連想させる)あの学校のチャイムの音をまた聴きたかった。
ただ救いなのは、もう一つのハイライトである“Tokyo Calling”が完全に収録されていることだ。これは「快挙」という表現を使っても言い過ぎではない。88年のアルバム「ribbon」に収録されているこの曲が21世紀になって聴けるとは。会場でこの曲が出てくると思った人は皆無だったに違いない。嬉しいことに、今は何度も再生して観ることが可能だ。個人的にはそれだけでもDVDを買う価値はあると思っている。
他に1曲まるまる収めている曲といえば
夏だより
ココロ銀河
輝く道
夏が来た!
これくらいだったか。あとの曲は微妙にカットされていて「完全収録」とは言いづらいものばかりである。
“夏が来た!”は熊本城の下でおこなわれた時のもので、この曲をバックにライブの風景がダーッと流れてくる。ライブの模様を断片的に紹介するよりも、この“夏が来た”のような手法にしたほうが良かったのではという気がする。
去年のライブは私もいろいろ行ったけれど(詩の朗読会、薬師寺、横浜、熊本、大阪と神戸のツアー、元日ライブ)、横浜ライブと「ココロ銀河ツアー」の神戸公演以外はそれほど印象には残っていない。しかし、こうしてダイジェストで辿ってみると観るべき点はあるかなとも思えてくる。
収録曲が昨年出たアルバム「ココロ銀河」の曲に比重が置いてあるのも、07年の記録と考えれば納得もいく。それから、最近の彼女の傾向からすれば「ココロ銀河」の収録曲が今後も演奏される可能性は低い。そういう意味でも貴重な記録となるかもしれない。
そう書きながらも、さきのメドレーや“Tokyo Calling”ばかりを繰り返している自分がいる。もっといえば、こうした瞬間に立ち会うがためにわざわざ横浜までライブを観に行ったわけだ。今年もこのような「瞬間」が訪れるのだろうか。今の私が彼女に期待することがあるとすれば、そういうことである。
たむけんのこれからは
2008年7月29日人生には3つの坂があるという。
上り坂、下り坂、そして「まさか」だ。
この話はテレビのワイドショーで誰かが言っていたと記憶している。ライブドアの話題の中で、株式について触れた時のことだったか。株式や先物取り引きといった投資にも「まさか」は付きものである。
たむらけんじが経営する焼肉店「炭火焼き肉たむら」名古屋店で4人が食中毒を出した、というニュースを観た時に浮かんだのが、さきの「まさか」の話だ。個人的には、商売がうまくいってるのは結構だけど店舗を広げすぎでは?と不安だった。そのさなかにこの報道である。ちなみに私は先月(6月17日)に「炭火焼き肉たむら」本店へ訪れている。
まず気になったのが彼のブログだった。
http://tamuken.laff.jp/
たむけんのブログは不特定多数が承認なしでコメントできる形になっている。行ってみると案の定、
「食中毒おめでとうございます! 芸能界から消えて下さい!」
、とここぞとばかりに誹謗中傷を書き込むクズどもと、
「私わたむけんさん応援してますよ」
のようなファンからの「励ましの言葉」で埋め尽くされていた。
私としては、たむけんがこの事態にまずどのように対応するかが気になっていた。食中毒を出してしまったことは、もう取り返しがつかない。大事なのは、これから彼がどうするかである。
ひとまず、7月28日の夜におこなった記者会見でグレーのスーツを着たたむけんは、
「来ていただいた方の期待を裏切り、苦しい思いをさせてしまい本当に申し訳ありません。今後は一層、衛生面に注意を払っていきます」
「店に顔を出すたび、洗浄などは徹底してやるよう、口を酸っぱくして言ってきた。ただ、昨年の夏場にもこんなことはなかったのでボク自身、生肉を扱うことに対する甘さがあったと言われても仕方がない」
などと自分の責任を率直にお詫びはしていた。
これを機会にまた一から出直してほしい、といった言葉で締めたいけれど、正直いって不安をぬぐいきれない。私の頭にはあの船場吉兆の例がちらつくからだ。あそこは産地偽装問題で営業停止になり、一度は営業を再開したものの使い回しの発覚によって店は完全につぶれてしまった。だからたむけんにしても、またちょっとでも不祥事を起こしたら再起不能になるのでは、と恐れてしまうのである。
ラーメン店を営業している知り合いの方の話を聞くと、大きなチェーン店の居酒屋もけっこう食中毒の事件を起こしているらしい。しかし話題にはあまりならないというだけの話のようである。産地偽装や使い回しもおそらくそうだろう。いわば「どこでもやっている。どこでも起きている」というレベルの出来事なのかもしれない。しかし船場吉兆は有名店ゆえにマスコミの取り上げ方が大きかった。
それから、マスコミも世間も、さんざん持ち上げたあげくに叩き落とすのが大好きという部分もある。私としてはたむけんがそういうことに巻き込まれるのを見たくない。彼にとってはいらぬ心配かもしれないけれど、そういう思いで今後も彼の活動を追っていきたい。
上り坂、下り坂、そして「まさか」だ。
この話はテレビのワイドショーで誰かが言っていたと記憶している。ライブドアの話題の中で、株式について触れた時のことだったか。株式や先物取り引きといった投資にも「まさか」は付きものである。
たむらけんじが経営する焼肉店「炭火焼き肉たむら」名古屋店で4人が食中毒を出した、というニュースを観た時に浮かんだのが、さきの「まさか」の話だ。個人的には、商売がうまくいってるのは結構だけど店舗を広げすぎでは?と不安だった。そのさなかにこの報道である。ちなみに私は先月(6月17日)に「炭火焼き肉たむら」本店へ訪れている。
まず気になったのが彼のブログだった。
http://tamuken.laff.jp/
たむけんのブログは不特定多数が承認なしでコメントできる形になっている。行ってみると案の定、
「食中毒おめでとうございます! 芸能界から消えて下さい!」
、とここぞとばかりに誹謗中傷を書き込むクズどもと、
「私わたむけんさん応援してますよ」
のようなファンからの「励ましの言葉」で埋め尽くされていた。
私としては、たむけんがこの事態にまずどのように対応するかが気になっていた。食中毒を出してしまったことは、もう取り返しがつかない。大事なのは、これから彼がどうするかである。
ひとまず、7月28日の夜におこなった記者会見でグレーのスーツを着たたむけんは、
「来ていただいた方の期待を裏切り、苦しい思いをさせてしまい本当に申し訳ありません。今後は一層、衛生面に注意を払っていきます」
「店に顔を出すたび、洗浄などは徹底してやるよう、口を酸っぱくして言ってきた。ただ、昨年の夏場にもこんなことはなかったのでボク自身、生肉を扱うことに対する甘さがあったと言われても仕方がない」
などと自分の責任を率直にお詫びはしていた。
これを機会にまた一から出直してほしい、といった言葉で締めたいけれど、正直いって不安をぬぐいきれない。私の頭にはあの船場吉兆の例がちらつくからだ。あそこは産地偽装問題で営業停止になり、一度は営業を再開したものの使い回しの発覚によって店は完全につぶれてしまった。だからたむけんにしても、またちょっとでも不祥事を起こしたら再起不能になるのでは、と恐れてしまうのである。
ラーメン店を営業している知り合いの方の話を聞くと、大きなチェーン店の居酒屋もけっこう食中毒の事件を起こしているらしい。しかし話題にはあまりならないというだけの話のようである。産地偽装や使い回しもおそらくそうだろう。いわば「どこでもやっている。どこでも起きている」というレベルの出来事なのかもしれない。しかし船場吉兆は有名店ゆえにマスコミの取り上げ方が大きかった。
それから、マスコミも世間も、さんざん持ち上げたあげくに叩き落とすのが大好きという部分もある。私としてはたむけんがそういうことに巻き込まれるのを見たくない。彼にとってはいらぬ心配かもしれないけれど、そういう思いで今後も彼の活動を追っていきたい。