3.5インチフロッピーから8cmCDへの「進化」
2012年2月14日今日は貴重な休日であったが、朝から雨が降りしきっていた。しかし職安に行ったり使い捨てコンタクトレンズを買いに行ったり洗濯をしたり、と済ませられる用事は一通りこなしてみる。
職安では、あまり見込みはなさそうな案件だったものの、履歴書を送ってみた。履歴書の作成および発送はパッとしたものの、それで手元の証明写真が1枚もなくなってしまう。
今月はもっと申し込みをしないと、春まで転職することはできない。そういう事情もあって、悪天候の中を近くの写真店まで足を運んだ。休みなのにわざわざ背広に着替えて、である。
この写真店は設備投資が遅れているらしく、この夏に撮影してもらった時はデータを3.5インチのフロッピーディスクで渡すほどであった。私が初めてiMacを買った時もすでにフロッピーは対応していない。取り込んで転職サイトに画像を掲載することも不可能だった。
それが頭に残っていたので、自分のUSBを持参した。それに取り込めばパソコンに取り込めるからである。しかし行ってみたら、もうフロッピー使えないのでデータはCDで渡します、と言う。なんだか拍子抜けしたけれど、それなら大丈夫だろう。
撮影してから2時間のほどの後に写真を取りにいった。紙焼きした証明写真を小さな袋に入れてお店の人は渡してくれた。CDは別にくれるのかなと思ったら、追加に紙焼きをする時はこれを持ってきてください、と言って袋から取り出したのはなんと8cmのCDであった。もう今の若い人たちは知らないだろうが、かつて「シングルCD」として使われていたアレだ。フロッピーの次はこんなものを使っているのかと腹の中で苦笑しながらも、CDならパソコンに取り込めるだろうとこの時点では私は何も疑問を抱かなかった。
しかし部屋に帰って部屋に戻って致命的なことに気付く。部屋のiMacのCD/DVDを入れる部分はスロット式になっていて、もはや8cmのディスクを取り込めなくなっていたのだ。
結局、またその写真店に行って自分のUSBに画像データを入れてもらった。最初からこうすれば良かった。そうこうしているうちに一日がもう終わる。
職安では、あまり見込みはなさそうな案件だったものの、履歴書を送ってみた。履歴書の作成および発送はパッとしたものの、それで手元の証明写真が1枚もなくなってしまう。
今月はもっと申し込みをしないと、春まで転職することはできない。そういう事情もあって、悪天候の中を近くの写真店まで足を運んだ。休みなのにわざわざ背広に着替えて、である。
この写真店は設備投資が遅れているらしく、この夏に撮影してもらった時はデータを3.5インチのフロッピーディスクで渡すほどであった。私が初めてiMacを買った時もすでにフロッピーは対応していない。取り込んで転職サイトに画像を掲載することも不可能だった。
それが頭に残っていたので、自分のUSBを持参した。それに取り込めばパソコンに取り込めるからである。しかし行ってみたら、もうフロッピー使えないのでデータはCDで渡します、と言う。なんだか拍子抜けしたけれど、それなら大丈夫だろう。
撮影してから2時間のほどの後に写真を取りにいった。紙焼きした証明写真を小さな袋に入れてお店の人は渡してくれた。CDは別にくれるのかなと思ったら、追加に紙焼きをする時はこれを持ってきてください、と言って袋から取り出したのはなんと8cmのCDであった。もう今の若い人たちは知らないだろうが、かつて「シングルCD」として使われていたアレだ。フロッピーの次はこんなものを使っているのかと腹の中で苦笑しながらも、CDならパソコンに取り込めるだろうとこの時点では私は何も疑問を抱かなかった。
しかし部屋に帰って部屋に戻って致命的なことに気付く。部屋のiMacのCD/DVDを入れる部分はスロット式になっていて、もはや8cmのディスクを取り込めなくなっていたのだ。
結局、またその写真店に行って自分のUSBに画像データを入れてもらった。最初からこうすれば良かった。そうこうしているうちに一日がもう終わる。
寒くなると頭から湧いてくる言葉〜マンガ「じゃりン子チエ」より
2012年2月12日先日に日本が寒波に見舞われた時ほどではないにせよ、相変わらず寒い日々が続いている。
日記ではもう何度となく書いているけれど、私の部屋の暖房設備はとても貧弱だ。セラミックヒーター1台で7畳の部屋が暖かくなるはずもない。
本当は新しい仕事を探すなど色々とすることがあるはずなのだけれど、この部屋にいると何もする気が起きなくなるというのが正直なところだ。そんなことをしていると自分の首がどんどん締まっていくに決まっているというのに。本当に嫌になってくる。
寒さというのは人間にとって、肉体的にも精神的にも悪いものなのは間違いない。それを象徴する言葉がマンガ「じゃりン子チエ」でおばあはん(竹本菊)がどこかでこういうセリフを主人公のチエに言っている。どの巻の話なのか正確な引用ができなくて申し訳ないが、ネットで拾った以下の文がそれらしい。
「人間に1番悪いのは、腹が減るのと,寒いゆうことですわ。
長い事生きてますとな、ほんまに死にたいちゅうことが
何回かありますのや。
そおゆう時、メシも食べんともの考えると
ロクな事想像しまへんのや。
おまけにさむ~~い部屋で1人で居てみなはれ
ひもじい…寒い…もぉ死にたい、これですわ。
いややったら食べなはれ
ひもじい、寒い、もぉ死にたい、不幸はこの順番で来ますのや」
寒くなったらいつもこのセリフを思い出してしまうのは、自分が置かれている環境がまさにこういうものだからなのだろう。
身につまされる、というのはこのことである。
少なくとも「ひもじい、寒い」というのはこの冬ずっと感じていることだ。次の段階になると「もぉ死にたい」か。そういう心境になってもおかしくないところに自分がいるような気がする。その前に冬が終わってくれるだろうか。
日記ではもう何度となく書いているけれど、私の部屋の暖房設備はとても貧弱だ。セラミックヒーター1台で7畳の部屋が暖かくなるはずもない。
本当は新しい仕事を探すなど色々とすることがあるはずなのだけれど、この部屋にいると何もする気が起きなくなるというのが正直なところだ。そんなことをしていると自分の首がどんどん締まっていくに決まっているというのに。本当に嫌になってくる。
寒さというのは人間にとって、肉体的にも精神的にも悪いものなのは間違いない。それを象徴する言葉がマンガ「じゃりン子チエ」でおばあはん(竹本菊)がどこかでこういうセリフを主人公のチエに言っている。どの巻の話なのか正確な引用ができなくて申し訳ないが、ネットで拾った以下の文がそれらしい。
「人間に1番悪いのは、腹が減るのと,寒いゆうことですわ。
長い事生きてますとな、ほんまに死にたいちゅうことが
何回かありますのや。
そおゆう時、メシも食べんともの考えると
ロクな事想像しまへんのや。
おまけにさむ~~い部屋で1人で居てみなはれ
ひもじい…寒い…もぉ死にたい、これですわ。
いややったら食べなはれ
ひもじい、寒い、もぉ死にたい、不幸はこの順番で来ますのや」
寒くなったらいつもこのセリフを思い出してしまうのは、自分が置かれている環境がまさにこういうものだからなのだろう。
身につまされる、というのはこのことである。
少なくとも「ひもじい、寒い」というのはこの冬ずっと感じていることだ。次の段階になると「もぉ死にたい」か。そういう心境になってもおかしくないところに自分がいるような気がする。その前に冬が終わってくれるだろうか。
京都府消費安全生活センターにて
2012年2月10日この日の午後3時40分ごろ、職場を出たらすぐに道でタクシーをつかまえ九条にある京都テルサホールへと急ぎで向かう。かつての職場では映画試写会の仕事などで訪れた場所であるが、今回は施設内にある「京都府消費生活安全センター」を訪ねるためであった。
去年の5月より、ある作家が主催する有料のセミナーというか勉強会に参加していた。年会費は基本10万円で、私は早めに申し込んだため8万円で申し込むことができた。内容を説明するのはちょっと難しいけれど、会員同士が知恵を出し合って所得が増えるようにもっていこう、というような趣旨で開かれている。会員は特典として、その作家が主催する勉強会に参加できたり情報をもらったりできる、というのが売りといえば売りである。
私はその作家の本をよく読んでいて勉強していたので、この人と直接交流できる可能性もあるし参加を決意してみた。申し込んだのは昨年の2月、以前の職場を辞める少し前の話である。これからの自分がどのような道を進むか、そのあたりの端緒をつかめるかもしれない、という淡い期待も抱いていたような気がする。
しかしいざ始まってみると、会員同士が不要品を持ち寄りオークションをし合うとか、ときどき開催されるセミナーもあまり利益に直結するとはいえないとか、もうその作家さんの言動もかつてとは比較にならないほど劣化している、という理由などですっかり嫌気がさしてしまった。それで今月の頭に退会を申し込んだのである。
このセミナー(とりあえず便宜的にそういっておく)にもいちおう規約のようなものがあり、退会の項目には「返金も可とする」という一文があったので、セミナー事務局に退会依頼とともにその旨の質問もしてみた。ちなみに、明確な理由で経費を使ったのであれば返金しなくても結構です、とも付け加えた。
すると後日に先方から、返金希望額を教えてください、との返事がきた。
希望額?何か向こうの基準らしいものはないのだろうか。それにこちらの説明要求にも答えていない。少々カチンときた私は返金希望額を全額8万円と答えたうえで、事務局の対応の悪さもネチネチと指摘してやった。すると先方はさらに返金にあたり条件を一つつけてきた。そんなこと訊いてないぞ事前に言え先に金返せ、などとムッとしながら返答する。
向こうもついに頭がきたらしい。
「ご返金の金額につきましては、渡部様の年会費は80,000円でしたので、経費として2万円を引いた額6万円より今年度の6/1が残っていることから、1万円をご返金させていただきます。」
と。そして、もうこれ以上の応対はしないというような一文も入っていた。希望額などを訊いてきてこの態度はなんだろう。向こうの混乱ぶりも想像される。
この作家は某大型掲示板でも話題になっている人なので、そこにこの一連の出来事を書いてみた。ここにいる人たちはかなり頭もいいので何か相談に乗ってくれると思ったからだ。
実際に書き込んでみると、けっこう反響があった。
「明らかに法律違反だ」
「国民生活センターに相談して内容証明を送ろう」
このようなことを忠告してくれる方もいた。そうだ、どうせ返ってくるのが1万円しかないなら、徹底的に闘ってみようか。そんな気持ちに駆り立てられた。
上に出た独立行政法人の国民生活センターの管轄にあるのが京都府消費安全生活センターである。ここが一番近いと思い入ってみた。相談時間が午後4時までとなっていたのでタクシーで駆けつけたのである。ついたのは3時50分とギリギリだったが窓口の人は嫌な顔ひとつせず中に案内してくれた。
私が相談したのは、
・返金にあたり(規約にも書いてない)条件を突きつけてきたのは法的にどうか
・返金額の理由になる経費の明細を要求することは可能か
ということを軸に訊いてみた。センターの相談員はまず、自分たちは別に法律の専門家ではない、と前置きをした。そして、返金にあたる条件については必ずしも不当なものでもないだろう、ということであった。規約に書いていないから云々を争点にするならばそれはもう弁護士との相談になるということだそうだ。そして区役所などで毎週おこなわれている無料相談会を薦めてくれた。
今月はマンションの更新料が発生したりと支出はなかなか苦しいので、その金額でもぶんどれたら!と勢い勇んでセンターに来たのだけれど、かなりあっけない話となった。
これ以上闘うとして、内容証明を送るだけで2000円くらい(弁護士に依頼したら3〜5万かかるという)費用がかかるというので、返っても最大8万円の自分にはまったく割があわない。
もはや素直に先方の言うことをきいて1万円でももらった方が得だ、という悲しい結末になった。掲示板で書き込みをするなどバタバタした数日だったが、今は徒労感だけが残っている。
去年の5月より、ある作家が主催する有料のセミナーというか勉強会に参加していた。年会費は基本10万円で、私は早めに申し込んだため8万円で申し込むことができた。内容を説明するのはちょっと難しいけれど、会員同士が知恵を出し合って所得が増えるようにもっていこう、というような趣旨で開かれている。会員は特典として、その作家が主催する勉強会に参加できたり情報をもらったりできる、というのが売りといえば売りである。
私はその作家の本をよく読んでいて勉強していたので、この人と直接交流できる可能性もあるし参加を決意してみた。申し込んだのは昨年の2月、以前の職場を辞める少し前の話である。これからの自分がどのような道を進むか、そのあたりの端緒をつかめるかもしれない、という淡い期待も抱いていたような気がする。
しかしいざ始まってみると、会員同士が不要品を持ち寄りオークションをし合うとか、ときどき開催されるセミナーもあまり利益に直結するとはいえないとか、もうその作家さんの言動もかつてとは比較にならないほど劣化している、という理由などですっかり嫌気がさしてしまった。それで今月の頭に退会を申し込んだのである。
このセミナー(とりあえず便宜的にそういっておく)にもいちおう規約のようなものがあり、退会の項目には「返金も可とする」という一文があったので、セミナー事務局に退会依頼とともにその旨の質問もしてみた。ちなみに、明確な理由で経費を使ったのであれば返金しなくても結構です、とも付け加えた。
すると後日に先方から、返金希望額を教えてください、との返事がきた。
希望額?何か向こうの基準らしいものはないのだろうか。それにこちらの説明要求にも答えていない。少々カチンときた私は返金希望額を全額8万円と答えたうえで、事務局の対応の悪さもネチネチと指摘してやった。すると先方はさらに返金にあたり条件を一つつけてきた。そんなこと訊いてないぞ事前に言え先に金返せ、などとムッとしながら返答する。
向こうもついに頭がきたらしい。
「ご返金の金額につきましては、渡部様の年会費は80,000円でしたので、経費として2万円を引いた額6万円より今年度の6/1が残っていることから、1万円をご返金させていただきます。」
と。そして、もうこれ以上の応対はしないというような一文も入っていた。希望額などを訊いてきてこの態度はなんだろう。向こうの混乱ぶりも想像される。
この作家は某大型掲示板でも話題になっている人なので、そこにこの一連の出来事を書いてみた。ここにいる人たちはかなり頭もいいので何か相談に乗ってくれると思ったからだ。
実際に書き込んでみると、けっこう反響があった。
「明らかに法律違反だ」
「国民生活センターに相談して内容証明を送ろう」
このようなことを忠告してくれる方もいた。そうだ、どうせ返ってくるのが1万円しかないなら、徹底的に闘ってみようか。そんな気持ちに駆り立てられた。
上に出た独立行政法人の国民生活センターの管轄にあるのが京都府消費安全生活センターである。ここが一番近いと思い入ってみた。相談時間が午後4時までとなっていたのでタクシーで駆けつけたのである。ついたのは3時50分とギリギリだったが窓口の人は嫌な顔ひとつせず中に案内してくれた。
私が相談したのは、
・返金にあたり(規約にも書いてない)条件を突きつけてきたのは法的にどうか
・返金額の理由になる経費の明細を要求することは可能か
ということを軸に訊いてみた。センターの相談員はまず、自分たちは別に法律の専門家ではない、と前置きをした。そして、返金にあたる条件については必ずしも不当なものでもないだろう、ということであった。規約に書いていないから云々を争点にするならばそれはもう弁護士との相談になるということだそうだ。そして区役所などで毎週おこなわれている無料相談会を薦めてくれた。
今月はマンションの更新料が発生したりと支出はなかなか苦しいので、その金額でもぶんどれたら!と勢い勇んでセンターに来たのだけれど、かなりあっけない話となった。
これ以上闘うとして、内容証明を送るだけで2000円くらい(弁護士に依頼したら3〜5万かかるという)費用がかかるというので、返っても最大8万円の自分にはまったく割があわない。
もはや素直に先方の言うことをきいて1万円でももらった方が得だ、という悲しい結末になった。掲示板で書き込みをするなどバタバタした数日だったが、今は徒労感だけが残っている。
500円玉にまつわる困った話
2012年2月7日今朝は早くから部屋を出て地下鉄今出川駅を向かい、京都駅までの切符を買おうとした。しかし500円玉を入れるも、返却口からそれが戻ってきてしまった。どうしてだろうともう一回やってみても変わらない。5回ほど同じことを繰り返してみても駄目だったので、百円玉を3枚入れてその場は終わった。
しかし話はこれで終わらなかった。仕事の休憩で勤務地の食堂に行き食券を買おうとしてさっきの500円玉を入れるも、やはり返却口に戻ってくる。今度は千円札を入れて450円の「カツカレー」を買った。
千円札で450円を買い物をしたら、500円玉と50円玉が戻ってくる。出てきた500円玉を見て、あれっと思った。さっきの500円玉と形状が違うのだ。食堂の自動販売機から出てきた500円玉は側面がギザギザの斜線が入っているのに対し、問題のものは「NIPPON」などとローマ字になっているのだ。
勘の良い方ならこのあたりで、私を困らせた原因に気付いたかもしれない。
しかしこの時の私は、
「なんだろう。これって偽物の500円玉なの?500ウォンには見えないし・・・気味悪いからコンビニででも使って逃げてしまおう」
などというようなことを「平成3年」と刻まれた500円玉を見ながら思っていたのである。
それから部屋に戻り、パソコンで「500円玉」を検索したらウィキペディアに私の疑問があっさりと解けた。冒頭にはこう書かれている。
<五百円硬貨(ごひゃくえんこうか)は、日本政府発行の貨幣。五百円玉(ごひゃくえんだま)とも呼ばれる。1982年4月に五百円紙幣に代わり登場した[1]。2000年8月にデザインと材質が変更された[2]。>
2000年、平成12年の8月から500円玉が全く違うものに変わっていたのである。そして平成3年の500円玉はいわゆる「旧・500円硬貨」だったわけだ。
そういえば、旧・500円硬貨は使えません、というような文言が以前は自動販売機などにあったような気がする。今のあるのかもしれないが、京都市営地下鉄にはそんな表記はなかった、と思う(あまり自信がないです)
いずれにせよ、この旧・500円硬貨は店頭でしか利用できないのだろう。とりあえず、偽物ではなくてホッとした。
なお、500円玉の側面についてはここをご覧いただきたい。
http://twitpic.com/1qtyey
しかし話はこれで終わらなかった。仕事の休憩で勤務地の食堂に行き食券を買おうとしてさっきの500円玉を入れるも、やはり返却口に戻ってくる。今度は千円札を入れて450円の「カツカレー」を買った。
千円札で450円を買い物をしたら、500円玉と50円玉が戻ってくる。出てきた500円玉を見て、あれっと思った。さっきの500円玉と形状が違うのだ。食堂の自動販売機から出てきた500円玉は側面がギザギザの斜線が入っているのに対し、問題のものは「NIPPON」などとローマ字になっているのだ。
勘の良い方ならこのあたりで、私を困らせた原因に気付いたかもしれない。
しかしこの時の私は、
「なんだろう。これって偽物の500円玉なの?500ウォンには見えないし・・・気味悪いからコンビニででも使って逃げてしまおう」
などというようなことを「平成3年」と刻まれた500円玉を見ながら思っていたのである。
それから部屋に戻り、パソコンで「500円玉」を検索したらウィキペディアに私の疑問があっさりと解けた。冒頭にはこう書かれている。
<五百円硬貨(ごひゃくえんこうか)は、日本政府発行の貨幣。五百円玉(ごひゃくえんだま)とも呼ばれる。1982年4月に五百円紙幣に代わり登場した[1]。2000年8月にデザインと材質が変更された[2]。>
2000年、平成12年の8月から500円玉が全く違うものに変わっていたのである。そして平成3年の500円玉はいわゆる「旧・500円硬貨」だったわけだ。
そういえば、旧・500円硬貨は使えません、というような文言が以前は自動販売機などにあったような気がする。今のあるのかもしれないが、京都市営地下鉄にはそんな表記はなかった、と思う(あまり自信がないです)
いずれにせよ、この旧・500円硬貨は店頭でしか利用できないのだろう。とりあえず、偽物ではなくてホッとした。
なお、500円玉の側面についてはここをご覧いただきたい。
http://twitpic.com/1qtyey
バレンタインイブって言葉を知ってますか?
2012年2月4日コメント (2)先日の日記で、恵方巻きはバレンタインチョコと一緒で文化でなく商行為だ、というようなことを書いた。そうしているうちに、
「そういえば昔、バレンタインイブって言葉を聞いたな」
という遠い記憶が突如として呼び戻された。もう今日は休みで時間もあるし、忘れる前にこのことについて触れてみたい。
バレンタインイブというのはクリスマスイブと同じ意味で、2月13日、つまりバレンタインデーの前日のことである。
それがどうした、と思う方が大半だろう。ネットでこの言葉を検索してもたいして引っかかるものもない。しかし、いつだったかわからないが、この言葉が出てきた年がある。それはいつか。
バレンタインデーが土曜か日曜になった年だ。
日本でバレンタインデーといえば、好きな男子に女子がチョコレートを贈って告白する日、となぜかなっている(ご存知なので詳細は触れないが、欧米ではそんな習慣はない)。しかし学校も会社もお休みの土日がバレンタインデーになると、必然的にチョコを贈る機会がグッと減ってしまう。それで困るというか損をするのはお菓子メーカー(とその広告代理店)ということになる。そして色々と考えたあげくに出した猿知恵がバレンタインイブだったのだろう。
たぶん私は朝のワイドショーか何かでこのこの言葉を見たのだろう。テレビの司会が、バレンタインイブにチョコを渡しましょう、と嬉しそうに言っているのを見て子どもごころにもイヤーな気持ちになったことだけはよく覚えている。もちろんその時の私は、これが商行為のためにでっちあげたキャンペーンということまでを分析する知識などなかった。しかし、なんだか無理矢理こじつけて作ってるな、ということくらいは感じ取ってしまうのである。
多くの人もそのように思ったのだろうか。このバレンタインイブは全く定着した形跡はない。もしかしたら、バレンタインが土日とぶつかるのは珍しいのだろうか。そこまで調べる勤勉さは私にはないので、この仕事は他の方にお譲りしたい。
「そういえば昔、バレンタインイブって言葉を聞いたな」
という遠い記憶が突如として呼び戻された。もう今日は休みで時間もあるし、忘れる前にこのことについて触れてみたい。
バレンタインイブというのはクリスマスイブと同じ意味で、2月13日、つまりバレンタインデーの前日のことである。
それがどうした、と思う方が大半だろう。ネットでこの言葉を検索してもたいして引っかかるものもない。しかし、いつだったかわからないが、この言葉が出てきた年がある。それはいつか。
バレンタインデーが土曜か日曜になった年だ。
日本でバレンタインデーといえば、好きな男子に女子がチョコレートを贈って告白する日、となぜかなっている(ご存知なので詳細は触れないが、欧米ではそんな習慣はない)。しかし学校も会社もお休みの土日がバレンタインデーになると、必然的にチョコを贈る機会がグッと減ってしまう。それで困るというか損をするのはお菓子メーカー(とその広告代理店)ということになる。そして色々と考えたあげくに出した猿知恵がバレンタインイブだったのだろう。
たぶん私は朝のワイドショーか何かでこのこの言葉を見たのだろう。テレビの司会が、バレンタインイブにチョコを渡しましょう、と嬉しそうに言っているのを見て子どもごころにもイヤーな気持ちになったことだけはよく覚えている。もちろんその時の私は、これが商行為のためにでっちあげたキャンペーンということまでを分析する知識などなかった。しかし、なんだか無理矢理こじつけて作ってるな、ということくらいは感じ取ってしまうのである。
多くの人もそのように思ったのだろうか。このバレンタインイブは全く定着した形跡はない。もしかしたら、バレンタインが土日とぶつかるのは珍しいのだろうか。そこまで調べる勤勉さは私にはないので、この仕事は他の方にお譲りしたい。
恵方巻きサンドに願いをこめて
2012年2月3日
もう2012年も1ヶ月が過ぎてしまった。
2月を迎えた時にまず頭に浮かんだのがそれだった。今月はマンションの更新料を支払うなどうっとうしいことも多いけれど、それよりも数ヶ月先の自分の姿が全く見えていないのが深刻な問題である。
新しい職場に入って早4ヶ月が過ぎた。以前の職場を離れるも5ヶ月間なにも働き口を見つけられず、やむなく「つなぎ」という形で入った会社である。今もその気持ちは変わらない。
いやむしろ、
「4ヶ月も在籍してしまった。もっと早く去るつもりだったのだが・・・」
と自己嫌悪感が高まるばかりだ。周囲の知り合いに自分の現状を伝えれば、悲惨ですねえ、という反応が一様に返ってくる。毎日毎日、早く辞めたいなあ、ということばかり考えてしまう。今日もそんなことを思いながら仕事を終え、勤務地を出ると入口で画像の商品が売っていた。「恵方巻きサンド」といって、恵方巻きの体裁をとったカツサンド(1本280円。3個買えば800円)である。
関西の方で恵方巻きという変わった習慣がある、というのを北海道出身の私が知ったのは比較的最近のことだ。ウィキペディアで調べてみたら、どうも大阪中心の風習らしく別に関西のものというわけでもないようだ。
またウィキペディアには、
<これは近年に作られた文化で元からある文化や風習ではない。関西で恵方巻きを食べる文化、まして特定の方向を向かって食べるなどという文化は存在しない。>
とも書いてあった。20世紀後半に商売熱心な人たちが普及させたキャンペーンというのが実際のところらしい。日本におけるバレンタインチョコみたいなものか。実に胡散臭い。
最初にこのあたりの実状を知っていたら買わなかったかもしれないが、今年はいつもと違うことをしてみよう、という思いが常にあったのでこの恵方巻きサンドを買ってしまった。
部屋に戻り早速食べてみる。とりあえず、
・特定の方角を向く(今年の場合は北北西)
・目をつぶって食べる
・食べている間は喋らない
・食べながら願い事をする
という4項目は実践してみた。方角については大宮通で南北をまず定めて(道路が碁盤の目になっている京都は東西南北が実にわかりやすい)、そこから少し西を向いて、この辺りが北北西だろう、と見当をつけた。あとの3項目は別に難しいことでもないのでその通りにする。目をつぶって食べるとあまり美味しくないのだが、とは思ったけれど。
そして、
「今年はどうか良い働き口が見つかりますように」
とひたすらそれだけを念じながら恵方巻きサンドを食べ切った。
しかし今になってみれば、どこまでが恵方巻きのオリジナルな食べ方なのかも怪しいのだからもうご利益もクソもないだろう、と情けなくなってくる。こんなバカバカしい真似は今年が最初で最後としたい。
2月を迎えた時にまず頭に浮かんだのがそれだった。今月はマンションの更新料を支払うなどうっとうしいことも多いけれど、それよりも数ヶ月先の自分の姿が全く見えていないのが深刻な問題である。
新しい職場に入って早4ヶ月が過ぎた。以前の職場を離れるも5ヶ月間なにも働き口を見つけられず、やむなく「つなぎ」という形で入った会社である。今もその気持ちは変わらない。
いやむしろ、
「4ヶ月も在籍してしまった。もっと早く去るつもりだったのだが・・・」
と自己嫌悪感が高まるばかりだ。周囲の知り合いに自分の現状を伝えれば、悲惨ですねえ、という反応が一様に返ってくる。毎日毎日、早く辞めたいなあ、ということばかり考えてしまう。今日もそんなことを思いながら仕事を終え、勤務地を出ると入口で画像の商品が売っていた。「恵方巻きサンド」といって、恵方巻きの体裁をとったカツサンド(1本280円。3個買えば800円)である。
関西の方で恵方巻きという変わった習慣がある、というのを北海道出身の私が知ったのは比較的最近のことだ。ウィキペディアで調べてみたら、どうも大阪中心の風習らしく別に関西のものというわけでもないようだ。
またウィキペディアには、
<これは近年に作られた文化で元からある文化や風習ではない。関西で恵方巻きを食べる文化、まして特定の方向を向かって食べるなどという文化は存在しない。>
とも書いてあった。20世紀後半に商売熱心な人たちが普及させたキャンペーンというのが実際のところらしい。日本におけるバレンタインチョコみたいなものか。実に胡散臭い。
最初にこのあたりの実状を知っていたら買わなかったかもしれないが、今年はいつもと違うことをしてみよう、という思いが常にあったのでこの恵方巻きサンドを買ってしまった。
部屋に戻り早速食べてみる。とりあえず、
・特定の方角を向く(今年の場合は北北西)
・目をつぶって食べる
・食べている間は喋らない
・食べながら願い事をする
という4項目は実践してみた。方角については大宮通で南北をまず定めて(道路が碁盤の目になっている京都は東西南北が実にわかりやすい)、そこから少し西を向いて、この辺りが北北西だろう、と見当をつけた。あとの3項目は別に難しいことでもないのでその通りにする。目をつぶって食べるとあまり美味しくないのだが、とは思ったけれど。
そして、
「今年はどうか良い働き口が見つかりますように」
とひたすらそれだけを念じながら恵方巻きサンドを食べ切った。
しかし今になってみれば、どこまでが恵方巻きのオリジナルな食べ方なのかも怪しいのだからもうご利益もクソもないだろう、と情けなくなってくる。こんなバカバカしい真似は今年が最初で最後としたい。
動かなくなった自転車、その後について
2012年1月27日本日は貴重なお休みの日である。洗濯、クリーニング、職安へ行く、散髪などの用事の合間に自転車の修理にも出かけた。
私がいつもお世話になっているところは今出川智恵光院を下がったところにある、男性が一人で営業している店だ。しかし店は開いているもののご主人の姿が見当たらない。たぶんどこかに出かけているのだろう。
5分ほど待っていると軽自動車が店の前に止まる。店の人であった。どうしました?と訊かれたので、たぶんチェーンが伸びたんだと思うんですがペダルが動かなくなったんですと伝える。
変速のある自転車は普通のと違うからねえ、とご主人は言う。確かに私の自転車が6段階の変速がありチェーンの巻き方なども通常のものとは形が違っているのだ。また、変速を変えるレバーも動いてなかった。これを直すのは厄介なこともあるのだろうか。
しかしである。ご主人がペダルを触ってから思いもよらないことを発言したのである。
「動きますよ」
え?
え?
え?
すいません、いまなんとおっしゃいましたでしょうか。ちょっと意味がわからなかったんですけど。
頭がまだ混乱したまま自分でペダルを動かしてみると、あら不思議、普通にクルクルと回りだしたではないか。
「どうぞお帰りください」
と言われ、そのまま自転車に乗って部屋に戻ったけれど、ちっとも釈然とない。
「おかしい。あの時はペダルを踏んでも動かなかったのに・・・」
私のこの4日間はいったい何だったのだろうか。寒空の下で自転車を合計90分ほど押して帰ったのに意味はあったのだろうか。もうそんなことを考えるのも嫌になってきた。
私がいつもお世話になっているところは今出川智恵光院を下がったところにある、男性が一人で営業している店だ。しかし店は開いているもののご主人の姿が見当たらない。たぶんどこかに出かけているのだろう。
5分ほど待っていると軽自動車が店の前に止まる。店の人であった。どうしました?と訊かれたので、たぶんチェーンが伸びたんだと思うんですがペダルが動かなくなったんですと伝える。
変速のある自転車は普通のと違うからねえ、とご主人は言う。確かに私の自転車が6段階の変速がありチェーンの巻き方なども通常のものとは形が違っているのだ。また、変速を変えるレバーも動いてなかった。これを直すのは厄介なこともあるのだろうか。
しかしである。ご主人がペダルを触ってから思いもよらないことを発言したのである。
「動きますよ」
え?
え?
え?
すいません、いまなんとおっしゃいましたでしょうか。ちょっと意味がわからなかったんですけど。
頭がまだ混乱したまま自分でペダルを動かしてみると、あら不思議、普通にクルクルと回りだしたではないか。
「どうぞお帰りください」
と言われ、そのまま自転車に乗って部屋に戻ったけれど、ちっとも釈然とない。
「おかしい。あの時はペダルを踏んでも動かなかったのに・・・」
私のこの4日間はいったい何だったのだろうか。寒空の下で自転車を合計90分ほど押して帰ったのに意味はあったのだろうか。もうそんなことを考えるのも嫌になってきた。
こんな時代があったよね、などと言える日が訪れるだろうか
2012年1月24日
この日は午前8時から午後8時の12時間労働(休憩時間が1時間半あるので、実働は10時間半)だった。厳しい寒さの下を突っ立っているのは辛いものの、業務自体は特に問題なく終えることができた。勤務地を後にして京都駅そばの駐輪場へと向かう。
仕事が終わってもまだ一つ疲れることが残っている。自転車に乗って部屋に戻らなければならない。やれやれ、この寒い夜を40分も自転車をこがないといけないな。これも仕事の一部か。そんなことを思いながら自転車を出庫してペダルを足にかける。するとそこである異状に気付いた。
ペダルを踏んでも動かない。自転車が動かないのだ。チェーンを見るとなんだかダランと緩んだ状態になっている。これがどうも原因らしい。しかし私にこれを直す技術もなく、チェーンを触れても手がいたずらに汚れるだけだ。またこの寒さで手もかじかんでくる。これは一人ではどうしようもない。だが時間はもう午後9時ちかくになろうとしているところだ。営業している自転車店などもう無いだろう。
なんでこの季節の、しかもこんな時間に自転車が動かなくなるんだ?
こういう事態に出会うと、かつてフジテレビ系列で放送されていた「世にも奇妙な物語」の冒頭で出ていた字幕スーパーで、不幸は徐々に訪れるものではなく一挙にどっと襲ってくる、というような格言だか明言を思い出してしまう(ネットで調べたが、正確な出自を見つけることができませんでした)。
「そうだ。いまはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)というものがある。これで助けを呼んでみよう」
そう思い直し、facebook、Twitter、mixiにて自分の現状をつぶやいてみた。
「これを見て、しばらく自転車を置かせてくれる人が出てないかな」
と淡い期待をしながら、とりあえず堀川通を北上した。そして延々と45分くらい押しただろうか。JR京都駅から二条駅まで移動した格好となる。
その間に何かコメント等があったかといえば、想定内ではあるが、一切なかった。たとえSNSという便利なものがあったとしても、私の知り合いの数が絶望的に少ないから全く機能しなかったわけだ。世の中が変わっても自分を取り巻く環境は何も改善されていない。あはははは。
結局、御前三条の某所で明後日の晩まで置いてもらうよう頼んでそこからバスで帰った。そのまま自転車に乗っていれば9時半ぐらいには部屋に着けたのだけど、結局は11時前くらいになってしまった。
明後日の晩はまた御前三条から大宮寺之内まで自転車を押して帰らねばならない。そして修理にもいくらか費用が発生してしまうのだろう。あーあ。
写真は御前三条で食べた「タンメン」(800円)である。
仕事が終わってもまだ一つ疲れることが残っている。自転車に乗って部屋に戻らなければならない。やれやれ、この寒い夜を40分も自転車をこがないといけないな。これも仕事の一部か。そんなことを思いながら自転車を出庫してペダルを足にかける。するとそこである異状に気付いた。
ペダルを踏んでも動かない。自転車が動かないのだ。チェーンを見るとなんだかダランと緩んだ状態になっている。これがどうも原因らしい。しかし私にこれを直す技術もなく、チェーンを触れても手がいたずらに汚れるだけだ。またこの寒さで手もかじかんでくる。これは一人ではどうしようもない。だが時間はもう午後9時ちかくになろうとしているところだ。営業している自転車店などもう無いだろう。
なんでこの季節の、しかもこんな時間に自転車が動かなくなるんだ?
こういう事態に出会うと、かつてフジテレビ系列で放送されていた「世にも奇妙な物語」の冒頭で出ていた字幕スーパーで、不幸は徐々に訪れるものではなく一挙にどっと襲ってくる、というような格言だか明言を思い出してしまう(ネットで調べたが、正確な出自を見つけることができませんでした)。
「そうだ。いまはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)というものがある。これで助けを呼んでみよう」
そう思い直し、facebook、Twitter、mixiにて自分の現状をつぶやいてみた。
「これを見て、しばらく自転車を置かせてくれる人が出てないかな」
と淡い期待をしながら、とりあえず堀川通を北上した。そして延々と45分くらい押しただろうか。JR京都駅から二条駅まで移動した格好となる。
その間に何かコメント等があったかといえば、想定内ではあるが、一切なかった。たとえSNSという便利なものがあったとしても、私の知り合いの数が絶望的に少ないから全く機能しなかったわけだ。世の中が変わっても自分を取り巻く環境は何も改善されていない。あはははは。
結局、御前三条の某所で明後日の晩まで置いてもらうよう頼んでそこからバスで帰った。そのまま自転車に乗っていれば9時半ぐらいには部屋に着けたのだけど、結局は11時前くらいになってしまった。
明後日の晩はまた御前三条から大宮寺之内まで自転車を押して帰らねばならない。そして修理にもいくらか費用が発生してしまうのだろう。あーあ。
写真は御前三条で食べた「タンメン」(800円)である。
ハドソンの消滅
2012年1月22日
最近は仕事をこなすだけに日々になったためか、ただでさえ見てないニュースを余計に見なくなってしまった。せいぜいYahoo!のトップに目を通る程度である(しかしそれすらも題字だけで中身もろくに確認しないけれど)。
しかし先日、
「ハドソン3月1日付けで消滅へ」
という文字が目に入った時、小学校の頃の記憶がバッと甦ってきた。Yahooのトップに載るほどのニュースだろうかとも思ったけれど、本日はハドソンについての思い出を中心に書いてみたい。
ハドソンはもともと1973年に北海道の札幌市で設立された有限会社だった。「ボンバーマン」や「桃太郎電鉄」といったゲームで全国的にその名を知られることになる。しかしゲーム自体もさることながら、「16連打」(1秒間に16回ボタンを押す)の技を持つ「高橋名人」(本名:高橋利幸)が在籍している会社としてファミコン愛好者以外にも広まったと思う。
私は現在まったくテレビゲームの類で遊ぶことはなくなったけれど、80年代に小学生を過ごしていたため完全なファミコン世代であった。だからハドソンという名前にもそれなりに愛着というか思い入れはある。
もう本の題名も覚えてないけれど、高橋名人の自伝(ネットで調べた限りでは86年に祥伝社から出た「名人はキミだ!ーファミコン戦士に告ぐ」に間違いないと思う)を小学生時代に読んだことがある。その内容はもちろんほとんど覚えていないのだが、一つだけ印象に残っているエピソードがあった。それはハドソンがゲームを制作する際の方針というかこだわりについてである。
高橋名人によれば、ハドソンは残り1ビットの容量まで使い切ってゲームを作る、というようなことが書いてあった。その具体例として出したのが当時発売されたばかりのファミコンソフト「忍者ハットリくん」(86年)である。
you tube にゲームの動画があったので参照いただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=OzZC7AQ2Jqs
この最後でハットリくんの父上がチクワに混じって投げてれる鉄アレイはもともと発案されていたものではなく、容量の計算間違いで余ったビットを使って加えたアイデアだというのである。この話は子どもの自分にも何らかの感銘を与えたらしい(具体的に何かといったら説明もできないが)
そういえば当時のコナミが「2メガの大容量」と銘打って「がんばれゴエモン!からくり道中」(86年)や「キングコング2」(86年)といったゲームのテレビCMを流していたが、これは「2メガバイト」ではなく「2メガビット」のことである。いまのゲームに比べたらカスみたいな容量(2HDフロッピー・ディスクの5分の1以下だとか)だが、昔のゲーム会社はそうした制約の下で数々の名作を作っていたわけである。そのアイデアは今でも感心するものが多いし、それが日本をゲーム大国にする礎となったのは間違いない。
それしても、ハドソンがそのコナミ(コナミデジタルエンタテインメント)に吸収されると聞いた時にも少し驚いた。ある時期からコナミの傘下にあったらしいけれど、高校生あたりで記憶が止まっていた人間としてはなかなか意外に感じる。スクエアとエニックスがくっついたほどの衝撃は無いけれど、ゲーム業界も離合集散が激しいのだろうな。
しかし先日、
「ハドソン3月1日付けで消滅へ」
という文字が目に入った時、小学校の頃の記憶がバッと甦ってきた。Yahooのトップに載るほどのニュースだろうかとも思ったけれど、本日はハドソンについての思い出を中心に書いてみたい。
ハドソンはもともと1973年に北海道の札幌市で設立された有限会社だった。「ボンバーマン」や「桃太郎電鉄」といったゲームで全国的にその名を知られることになる。しかしゲーム自体もさることながら、「16連打」(1秒間に16回ボタンを押す)の技を持つ「高橋名人」(本名:高橋利幸)が在籍している会社としてファミコン愛好者以外にも広まったと思う。
私は現在まったくテレビゲームの類で遊ぶことはなくなったけれど、80年代に小学生を過ごしていたため完全なファミコン世代であった。だからハドソンという名前にもそれなりに愛着というか思い入れはある。
もう本の題名も覚えてないけれど、高橋名人の自伝(ネットで調べた限りでは86年に祥伝社から出た「名人はキミだ!ーファミコン戦士に告ぐ」に間違いないと思う)を小学生時代に読んだことがある。その内容はもちろんほとんど覚えていないのだが、一つだけ印象に残っているエピソードがあった。それはハドソンがゲームを制作する際の方針というかこだわりについてである。
高橋名人によれば、ハドソンは残り1ビットの容量まで使い切ってゲームを作る、というようなことが書いてあった。その具体例として出したのが当時発売されたばかりのファミコンソフト「忍者ハットリくん」(86年)である。
you tube にゲームの動画があったので参照いただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=OzZC7AQ2Jqs
この最後でハットリくんの父上がチクワに混じって投げてれる鉄アレイはもともと発案されていたものではなく、容量の計算間違いで余ったビットを使って加えたアイデアだというのである。この話は子どもの自分にも何らかの感銘を与えたらしい(具体的に何かといったら説明もできないが)
そういえば当時のコナミが「2メガの大容量」と銘打って「がんばれゴエモン!からくり道中」(86年)や「キングコング2」(86年)といったゲームのテレビCMを流していたが、これは「2メガバイト」ではなく「2メガビット」のことである。いまのゲームに比べたらカスみたいな容量(2HDフロッピー・ディスクの5分の1以下だとか)だが、昔のゲーム会社はそうした制約の下で数々の名作を作っていたわけである。そのアイデアは今でも感心するものが多いし、それが日本をゲーム大国にする礎となったのは間違いない。
それしても、ハドソンがそのコナミ(コナミデジタルエンタテインメント)に吸収されると聞いた時にも少し驚いた。ある時期からコナミの傘下にあったらしいけれど、高校生あたりで記憶が止まっていた人間としてはなかなか意外に感じる。スクエアとエニックスがくっついたほどの衝撃は無いけれど、ゲーム業界も離合集散が激しいのだろうな。
「ツタンカーメン展」の入場料が高い(たぶん)本当の理由
2012年1月17日こないだ渡辺美里のライブに行った時、会場でもらったチラシ類の中で「ツタンカーメン展」が3月17日より大阪の天保山で開催されることを知る。しかし中身などよりもその入場料に目を奪われた。土日に大人が当日料金で入る場合、なんと
「2800円」
もかかるのである。展覧会の入場料金としては法外な値段だ。しかも、平日と土日で料金が違うなんて聞いたこともない(300円増しになる)。旅館やホテルじゃねえぞと言いたくなる。
主催者側(興行主側?)はいったいどうしてこれほど強気な値段設定をしたのだろう。多くの人は「ぼったくる」ためと考えるだろう。ツタンカーメンだったら多少高い値段でも訪れるだろうという見込みである。
しかし、私はもう一つ思ったことがある。かつての職場のOBだった人が以前にツタンカーメン展(おそらく1965年の話)があった時の模様を教えてくれたことがある。あの時も入場者がとんでもなかったらしく、会場の周りを行列が取り囲むほど人が並んだというのだ(老人の思い出話だから、尾ひれがついていることも否定できないが)
もしそこまで人が入ってくれば、入場整理もそれに比例して大きな手間とお金がかかる。そう考えてみると高めの値段設定はお客に「ふるいをかける」役目を果たしているのかもしれない。
老人の思い出話が頭に残っていたために穿った見方をしたかもしれないが。しかし、私も行ってみたいとは思う。今月までにチケットを買えば2000円だとか。それでもちょっと高いぞ。
「2800円」
もかかるのである。展覧会の入場料金としては法外な値段だ。しかも、平日と土日で料金が違うなんて聞いたこともない(300円増しになる)。旅館やホテルじゃねえぞと言いたくなる。
主催者側(興行主側?)はいったいどうしてこれほど強気な値段設定をしたのだろう。多くの人は「ぼったくる」ためと考えるだろう。ツタンカーメンだったら多少高い値段でも訪れるだろうという見込みである。
しかし、私はもう一つ思ったことがある。かつての職場のOBだった人が以前にツタンカーメン展(おそらく1965年の話)があった時の模様を教えてくれたことがある。あの時も入場者がとんでもなかったらしく、会場の周りを行列が取り囲むほど人が並んだというのだ(老人の思い出話だから、尾ひれがついていることも否定できないが)
もしそこまで人が入ってくれば、入場整理もそれに比例して大きな手間とお金がかかる。そう考えてみると高めの値段設定はお客に「ふるいをかける」役目を果たしているのかもしれない。
老人の思い出話が頭に残っていたために穿った見方をしたかもしれないが。しかし、私も行ってみたいとは思う。今月までにチケットを買えば2000円だとか。それでもちょっと高いぞ。
そりゃあ、家主の意向には従いますけどさあ
2012年1月16日今日は午後から出勤なので、お茶を飲みながらゆっくりしている。
ふと、玄関からガチャッと音がしたので振り向くと、細い茶色の封筒が入っている。これは下に住んでいる大家さんからだ。
来月支払う更新料のことだろうかと思い開けてみると、内容がこうだった。
「渡部さん
誠に勝手ですが、H24年2月分のお家賃は、H24年2月5日迄に、下記の口座に振込をお願い致します。
京都中央信用金庫 大宮寺之内支店
普通 ◯◯◯◯(口座番号) ××××(大家さんの名前)
振込手数料は引いて下さい。
よろしくお願い致します。」
いままでは大家さんが下に住んでいることもあり、時期がきたら直接渡していた。それをこれからは口座振り込みにするというのである。かつて家賃を渡そうしたら大家さんが不在で渡せないというので、これはこれで良いのかもしれないとは思う。
しかし振込先の信用金庫もマンションの向かいに立っていて、徒歩1分くらいの近さにある。これでは家賃を直接持っていく方法とどれほど違いがあるのか。大家さんにとってもそんなに手間がはぶけるのかと思うと、なんだかおかしかった。
ふと、玄関からガチャッと音がしたので振り向くと、細い茶色の封筒が入っている。これは下に住んでいる大家さんからだ。
来月支払う更新料のことだろうかと思い開けてみると、内容がこうだった。
「渡部さん
誠に勝手ですが、H24年2月分のお家賃は、H24年2月5日迄に、下記の口座に振込をお願い致します。
京都中央信用金庫 大宮寺之内支店
普通 ◯◯◯◯(口座番号) ××××(大家さんの名前)
振込手数料は引いて下さい。
よろしくお願い致します。」
いままでは大家さんが下に住んでいることもあり、時期がきたら直接渡していた。それをこれからは口座振り込みにするというのである。かつて家賃を渡そうしたら大家さんが不在で渡せないというので、これはこれで良いのかもしれないとは思う。
しかし振込先の信用金庫もマンションの向かいに立っていて、徒歩1分くらいの近さにある。これでは家賃を直接持っていく方法とどれほど違いがあるのか。大家さんにとってもそんなに手間がはぶけるのかと思うと、なんだかおかしかった。
当事者意識を持ったほうがいい、と思うよ
2012年1月16日先日(1月14日)、以前の職場が主催しているイベントがおこなわれている会場へ足を運んだ。我ながらおかしなことをしたと思う一方、久しぶりに会えた人も何人かいたのでそれはそれで楽しいものであった。
そのとき会場の中で昨年春に入った男性社員がいた。彼が入社すると入れ替わりで私はこの会社を去ったわけでそれほど面識があるわけでもないけれど、この1年で彼はどのように過ごしていたのか気になっていたので話しかけてみた。
「上司は何も教えてくれないし手伝ってもくれないから大変でしょう?」
と私が切り出したら、
「そうですね。でもそれは割り切ってますから」
と冷徹な答えが返ってきたので、これはなかなかしっかりした人間なのかもと思った。
少し調子に乗った私は、こないだブックオフにて105円で買った佐々木俊尚さんの「2011年 新聞・テレビ消滅」(10年。文春新書)をカバンから取り出ししてみる。
すると、
「これ、読みましたよ」
と言ってきたので、へえ新聞業界のことも自分なりに調べているのかなとまた感心した。
私は、
「これは面白かった。マスメディアや広告代理店がここまでバカばっかりなら、自分はまだまだ可能性があるかなと僕は勇気づけられたよ」
と勢いに乗って口走ったら、彼は怪訝そうな顔をする。
「面白かったですか?なんか聞いたことあるような話ばっかりでしょう・・・」
とさっきと同じように冷淡な言い方をしたのである。彼のこの反応にはやや面を食らってしまったのである。
私が佐々木さんの本を読んで面白いと感じたのは、かつての職場と照らし合わせても納得がいく事例が多かったからである。そして、この業界に残るのはつくづくマズいと痛感してしまうのだ。それで辞めてしまったわけだが。
しかし彼にはどうもそういう感覚を持っていないようだ。まるで自分は新聞業界とは離れた場所にいるかのような態度をとる。当事者意識というものがないのだ。
例えばこの本の中では、
<いち早くプラットフォームのシフトが進んだ音楽業界では、みんなが必死で頭を使い、生き残り策を模索し、実行に移している。
日本の新聞やテレビはいまだに「平和ぼけ」が続いているような雰囲気だが、このように必死で知恵を絞らなければならない状況はまもなくやってくる。赤字転落で大騒ぎしているどころの話ではなくなるだろう。生きるか死ぬか、その瀬戸際にみんな追い込まれていくのだ>(本書P.216)
この「みんな」の中に自分も含まれている、と私が新聞関係者ならばそう感じて将来のことを深刻に考えてしまうが、果たして彼にそのような感覚があるのだろうか。
意地悪な言い方をすれば「書いてあるのはどこかで聞いた話ばかりだ」とか「心に響かなかった」などというセリフは本などの感想を言う時の手垢にまみれた常套句であり、なんの意味もなさない。ちゃんと内容を理解しているかどうかも怪しいと思ってしまう。
そういえば彼は、
「僕は今年が勝負だと思っています」
とも言っていた。これにも引っかかった。
彼は一体「何」と勝負するというのだろう?
素朴に私はそんな疑問を抱いた。
もし新聞業界に未来がないと本当にわかっているのなら、そこで彼がどんなに頑張ったところでその先が何もないのである。佐々木さんの本をどこかで聞いた話の羅列と思うほどの知識があるなら、そこまでの見当がついてもいいはずである。一般論として、社会人になったばかりの立場なら2〜3年がむしゃらに働くこと自体は、業界や業種に限らず、ある程度の意味はあるだろう。しかし、10年近くこの会社にいた身としては、あの職場で日々の仕事をしているだけでは必ずどこかで行き詰まるし成長もできなくなると断言できる。「勝負」などできるような場所は、あそこには無い。
現在の彼に必要なのは、
「佐々木さんの本に書かれてることって自分の会社でも起きてる現象ですよ!」
と感じられる皮膚感覚ではないかと思う。
そのような日が果たして彼に訪れるのだろうか。
そのとき会場の中で昨年春に入った男性社員がいた。彼が入社すると入れ替わりで私はこの会社を去ったわけでそれほど面識があるわけでもないけれど、この1年で彼はどのように過ごしていたのか気になっていたので話しかけてみた。
「上司は何も教えてくれないし手伝ってもくれないから大変でしょう?」
と私が切り出したら、
「そうですね。でもそれは割り切ってますから」
と冷徹な答えが返ってきたので、これはなかなかしっかりした人間なのかもと思った。
少し調子に乗った私は、こないだブックオフにて105円で買った佐々木俊尚さんの「2011年 新聞・テレビ消滅」(10年。文春新書)をカバンから取り出ししてみる。
すると、
「これ、読みましたよ」
と言ってきたので、へえ新聞業界のことも自分なりに調べているのかなとまた感心した。
私は、
「これは面白かった。マスメディアや広告代理店がここまでバカばっかりなら、自分はまだまだ可能性があるかなと僕は勇気づけられたよ」
と勢いに乗って口走ったら、彼は怪訝そうな顔をする。
「面白かったですか?なんか聞いたことあるような話ばっかりでしょう・・・」
とさっきと同じように冷淡な言い方をしたのである。彼のこの反応にはやや面を食らってしまったのである。
私が佐々木さんの本を読んで面白いと感じたのは、かつての職場と照らし合わせても納得がいく事例が多かったからである。そして、この業界に残るのはつくづくマズいと痛感してしまうのだ。それで辞めてしまったわけだが。
しかし彼にはどうもそういう感覚を持っていないようだ。まるで自分は新聞業界とは離れた場所にいるかのような態度をとる。当事者意識というものがないのだ。
例えばこの本の中では、
<いち早くプラットフォームのシフトが進んだ音楽業界では、みんなが必死で頭を使い、生き残り策を模索し、実行に移している。
日本の新聞やテレビはいまだに「平和ぼけ」が続いているような雰囲気だが、このように必死で知恵を絞らなければならない状況はまもなくやってくる。赤字転落で大騒ぎしているどころの話ではなくなるだろう。生きるか死ぬか、その瀬戸際にみんな追い込まれていくのだ>(本書P.216)
この「みんな」の中に自分も含まれている、と私が新聞関係者ならばそう感じて将来のことを深刻に考えてしまうが、果たして彼にそのような感覚があるのだろうか。
意地悪な言い方をすれば「書いてあるのはどこかで聞いた話ばかりだ」とか「心に響かなかった」などというセリフは本などの感想を言う時の手垢にまみれた常套句であり、なんの意味もなさない。ちゃんと内容を理解しているかどうかも怪しいと思ってしまう。
そういえば彼は、
「僕は今年が勝負だと思っています」
とも言っていた。これにも引っかかった。
彼は一体「何」と勝負するというのだろう?
素朴に私はそんな疑問を抱いた。
もし新聞業界に未来がないと本当にわかっているのなら、そこで彼がどんなに頑張ったところでその先が何もないのである。佐々木さんの本をどこかで聞いた話の羅列と思うほどの知識があるなら、そこまでの見当がついてもいいはずである。一般論として、社会人になったばかりの立場なら2〜3年がむしゃらに働くこと自体は、業界や業種に限らず、ある程度の意味はあるだろう。しかし、10年近くこの会社にいた身としては、あの職場で日々の仕事をしているだけでは必ずどこかで行き詰まるし成長もできなくなると断言できる。「勝負」などできるような場所は、あそこには無い。
現在の彼に必要なのは、
「佐々木さんの本に書かれてることって自分の会社でも起きてる現象ですよ!」
と感じられる皮膚感覚ではないかと思う。
そのような日が果たして彼に訪れるのだろうか。
そういえば今の仕事に就いた頃。
「身辺が順調に回るまでは無駄な経費を使わないぞ」
と心の中で思っていた時があったような気がする。しかしこうしてライブに行ってしまうのだから人間の心はつくづく脆いものだ。いや、もともと私は我慢などできない体質だったか。もう完全に本能のままに生きているという具合である。
今年の渡辺美里は、今後のライブ日程を見る限り、けっこう活発に動くようだ。来月は大阪城ホールでおこなわれる飲酒運転撲滅キャンペーンのイベントライブに出演し、3月は小学校の同級生の塩谷哲(愛称「ソルト」)と大阪でライブを2回、4月から7月にかけてはライブハウスでのツアーもおこない、夏の恒例ライブは日本武道館で公演をするという。
しかし現在の私といえばそんな活動を逐一追いかける余裕はない。ライブハウスのツアーは大阪2公演、京都でも2公演あるけれど今のところ駆けつけられそうにない。その頃の私は一体どうなっているか、自分でもわからないからだ。
今日のライブだって本当は行くつもりなどなかった。ただ「ぴあ」からのメールで大阪でもライブがあることを知り、いちおう申し込んでみたら当選したので「買ったら行くしかねえな」と足を運んだまでである(最初から「行かない!」と決断できないところが私の弱さであるが)。実際のところライブに行ったり外食したり酒を飲むほどの経済的余裕はないのだけれど、正月に好きなミュージシャンに行くくらいの息抜きは大目に見てほしい(しかし、私は誰に許しを得ようとしているのか)
今日の席は2階席の前から2列目右側というところである。これまではファンクラブ予約で取っていたので1階の真ん中くらいだったけれど、これはもう仕方がない。スピーカーからは、レッド・ツェッペリン”ロックン・ロール”、デヴィッド・ボウイ”スターマン”、Tレックス”メタル・グルー”、スタイル・カウンシル”シャウト・トゥ・ザ・トップ”と、もうベタベタな有名曲ばかりが流れていた。
そして午後5時5分ごろ、誰が歌っているのかよくわからないジャーニーの”ドント・ストップ・ビリーヴィン”のカバーが流れ終わると会場の照明が落ちて開演である。1曲目は元日の渋谷と同じく、私の大嫌いな”ジャングルチャイルド”で幕を開けた。最悪なスタートですなあ、と内心思いながらも、いやむしろ嫌な曲が冒頭にもってこられた方が良かったかもしれないと考え直す。そして”恋したっていいじゃない”、”サマータイムブルース”と続き、私の気持ちも徐々に落ち着いてきた。しかし、ステージに立つ美里は金髪のおかしなカツラをつけているのもなんだか気になった。これも5曲目の”世界で一番遠い場所”から外したのでそれほど気にはならなかったが。冒頭は、今日はちょっとイマイチだなあ、というのが正直な印象であった。
ところで、2階席にいるのはけっこうメリットがあった。1階のお客は総立ちという雰囲気だが、こちらはそういうわけでもなく座って観ている人も多い。それに合わせてというわけでもないが、アンコールまではずっと座ってライブを観ることができた。もうお客の平均年齢もグッと上がっているのだし、みんなあまり無理をしない方がいいのではと思うだが、いかがだろう。
本日の曲目は最後に記すけれど、特に驚いたり貴重だと思った曲は個人的には皆無であった。あえていえば”グリーン・グリーン”はおそらく99年の「うたの木 オーケストラ」以来ライブで聴いてなかったと記憶する。元日ライブと照らし合わせるとアルバム「Spirits」(96年)からの選曲が目立つかな、というのが今回の特徴だろうか。
期待値ゼロでライブに臨んでいる自分としては1曲でも、
「お!これも歌ったか。意外だな」
と思える瞬間があればもう十分である。そしてここ数年の元日ライブではそんな場面がちょこちょこあったから今回はその辺りが少し残念ではあった。
面白い瞬間といえば、最後の最後で歌った”サンキュ”でキーボードの光田健一が何小節かすっ飛ばしていきなりサビの部分を演奏したことである。私ですら気付く大きなミスだったけれど、美里はとっさにサビを歌うなどフォローをして演奏は表面上なにごとも無かったかのごとく進んでいた(歌詞はガタガタになっていたけれど、全体の流れはとりあえず滞らずに済んだ)。演奏が終わって最後の挨拶をした時もそのことには何も触れてなかった。この辺りにバンドの結束力というか手腕に感心する。
そんなこともあって、興味深い光景も見れたし今日は満足しておこう。そういう感想で日記を締めたかったけれど、最後にどうしても言いたいことがある。
ライブに行ったことのある方なら説明不要だが、今日のライブでもアンコール前にまたしていも
「美里!チャチャチャ!」
が発生したのである。そしてライブ終了後は三本締めまで起こり、しかも会場の多くの人が参加してしまったのだ。なんかライブの間から無駄に大声を出している人間が目立つので嫌な雰囲気だなあと感じたが、その予想が当たってしまった。
暴言を承知で言うけれど、今夜の客層は最低最悪である。
そして、大人しい良心的なファンに代わって、空気の読めないクズどもに告ぐ。
そんなことは冷たい風の吹き荒む会場外でやれ!周囲の人まで巻き込むんじゃない!以上。
こんなこと言ってもわからない輩だけどねえ。いちおうブログという形で記録を残しておきます。
そういう後味の悪さもあり、2012年の彼女の船出はなんとなく雲行きが怪しい気がする。さて、私が今度彼女に会えるのはいつになるやら。いや、そもそも彼女のことなど思いやる余裕は今の自分には無いんだな、と寒い外を出た時にその厳しい現実に気付いてしまった。最後に今夜の曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ジャングルチャイルド
(2)恋したっていいじゃない
(3)サマータイムブルース
(4)セレンディピティー
(5)世界で一番遠い場所
(6)BELIEVE
(7)悲しいね
(8)悲しいボーイフレンド
(9)始まりの詩、あなたへ
(10)グリーン・グリーン
(11)ムーンライトダンス
(12)人生はステージだ!
(13)パイナップルロマンス
(14)グッときれいになりましょう
(アンコール)
(15)10 years
(16)My Revolution
(17)スピリッツ
(18)Growin’ Up/Can’t Take My Eyes Off You/Growin’ Up
(19)Lovin’ You
(20)サンキュ
「身辺が順調に回るまでは無駄な経費を使わないぞ」
と心の中で思っていた時があったような気がする。しかしこうしてライブに行ってしまうのだから人間の心はつくづく脆いものだ。いや、もともと私は我慢などできない体質だったか。もう完全に本能のままに生きているという具合である。
今年の渡辺美里は、今後のライブ日程を見る限り、けっこう活発に動くようだ。来月は大阪城ホールでおこなわれる飲酒運転撲滅キャンペーンのイベントライブに出演し、3月は小学校の同級生の塩谷哲(愛称「ソルト」)と大阪でライブを2回、4月から7月にかけてはライブハウスでのツアーもおこない、夏の恒例ライブは日本武道館で公演をするという。
しかし現在の私といえばそんな活動を逐一追いかける余裕はない。ライブハウスのツアーは大阪2公演、京都でも2公演あるけれど今のところ駆けつけられそうにない。その頃の私は一体どうなっているか、自分でもわからないからだ。
今日のライブだって本当は行くつもりなどなかった。ただ「ぴあ」からのメールで大阪でもライブがあることを知り、いちおう申し込んでみたら当選したので「買ったら行くしかねえな」と足を運んだまでである(最初から「行かない!」と決断できないところが私の弱さであるが)。実際のところライブに行ったり外食したり酒を飲むほどの経済的余裕はないのだけれど、正月に好きなミュージシャンに行くくらいの息抜きは大目に見てほしい(しかし、私は誰に許しを得ようとしているのか)
今日の席は2階席の前から2列目右側というところである。これまではファンクラブ予約で取っていたので1階の真ん中くらいだったけれど、これはもう仕方がない。スピーカーからは、レッド・ツェッペリン”ロックン・ロール”、デヴィッド・ボウイ”スターマン”、Tレックス”メタル・グルー”、スタイル・カウンシル”シャウト・トゥ・ザ・トップ”と、もうベタベタな有名曲ばかりが流れていた。
そして午後5時5分ごろ、誰が歌っているのかよくわからないジャーニーの”ドント・ストップ・ビリーヴィン”のカバーが流れ終わると会場の照明が落ちて開演である。1曲目は元日の渋谷と同じく、私の大嫌いな”ジャングルチャイルド”で幕を開けた。最悪なスタートですなあ、と内心思いながらも、いやむしろ嫌な曲が冒頭にもってこられた方が良かったかもしれないと考え直す。そして”恋したっていいじゃない”、”サマータイムブルース”と続き、私の気持ちも徐々に落ち着いてきた。しかし、ステージに立つ美里は金髪のおかしなカツラをつけているのもなんだか気になった。これも5曲目の”世界で一番遠い場所”から外したのでそれほど気にはならなかったが。冒頭は、今日はちょっとイマイチだなあ、というのが正直な印象であった。
ところで、2階席にいるのはけっこうメリットがあった。1階のお客は総立ちという雰囲気だが、こちらはそういうわけでもなく座って観ている人も多い。それに合わせてというわけでもないが、アンコールまではずっと座ってライブを観ることができた。もうお客の平均年齢もグッと上がっているのだし、みんなあまり無理をしない方がいいのではと思うだが、いかがだろう。
本日の曲目は最後に記すけれど、特に驚いたり貴重だと思った曲は個人的には皆無であった。あえていえば”グリーン・グリーン”はおそらく99年の「うたの木 オーケストラ」以来ライブで聴いてなかったと記憶する。元日ライブと照らし合わせるとアルバム「Spirits」(96年)からの選曲が目立つかな、というのが今回の特徴だろうか。
期待値ゼロでライブに臨んでいる自分としては1曲でも、
「お!これも歌ったか。意外だな」
と思える瞬間があればもう十分である。そしてここ数年の元日ライブではそんな場面がちょこちょこあったから今回はその辺りが少し残念ではあった。
面白い瞬間といえば、最後の最後で歌った”サンキュ”でキーボードの光田健一が何小節かすっ飛ばしていきなりサビの部分を演奏したことである。私ですら気付く大きなミスだったけれど、美里はとっさにサビを歌うなどフォローをして演奏は表面上なにごとも無かったかのごとく進んでいた(歌詞はガタガタになっていたけれど、全体の流れはとりあえず滞らずに済んだ)。演奏が終わって最後の挨拶をした時もそのことには何も触れてなかった。この辺りにバンドの結束力というか手腕に感心する。
そんなこともあって、興味深い光景も見れたし今日は満足しておこう。そういう感想で日記を締めたかったけれど、最後にどうしても言いたいことがある。
ライブに行ったことのある方なら説明不要だが、今日のライブでもアンコール前にまたしていも
「美里!チャチャチャ!」
が発生したのである。そしてライブ終了後は三本締めまで起こり、しかも会場の多くの人が参加してしまったのだ。なんかライブの間から無駄に大声を出している人間が目立つので嫌な雰囲気だなあと感じたが、その予想が当たってしまった。
暴言を承知で言うけれど、今夜の客層は最低最悪である。
そして、大人しい良心的なファンに代わって、空気の読めないクズどもに告ぐ。
そんなことは冷たい風の吹き荒む会場外でやれ!周囲の人まで巻き込むんじゃない!以上。
こんなこと言ってもわからない輩だけどねえ。いちおうブログという形で記録を残しておきます。
そういう後味の悪さもあり、2012年の彼女の船出はなんとなく雲行きが怪しい気がする。さて、私が今度彼女に会えるのはいつになるやら。いや、そもそも彼女のことなど思いやる余裕は今の自分には無いんだな、と寒い外を出た時にその厳しい現実に気付いてしまった。最後に今夜の曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ジャングルチャイルド
(2)恋したっていいじゃない
(3)サマータイムブルース
(4)セレンディピティー
(5)世界で一番遠い場所
(6)BELIEVE
(7)悲しいね
(8)悲しいボーイフレンド
(9)始まりの詩、あなたへ
(10)グリーン・グリーン
(11)ムーンライトダンス
(12)人生はステージだ!
(13)パイナップルロマンス
(14)グッときれいになりましょう
(アンコール)
(15)10 years
(16)My Revolution
(17)スピリッツ
(18)Growin’ Up/Can’t Take My Eyes Off You/Growin’ Up
(19)Lovin’ You
(20)サンキュ
ニューヨーク・タイムズに続く日本の新聞はどこだ
2012年1月14日facebookを見ているうちにこの記事が目に飛び込んだ。その瞬間、
「ああ、自分が考えていたことが現実になるんだ」
と思った。「現代ビジネス」のサイトに載っていた2012年1月12日配信の、
<「新聞の印刷・宅配をやめ、電子端末を無料配布せよ」が現実に。米書店大手バーンズ&ノーブルがニューヨーク・タイムズ購読者にタダで電子端末「ヌック」を提供>
http://summify.com/story/Tw4IQAIvkE1MLWnw/gendai.ismedia.jp/articles/-/31544?utm_campaign=share&utm_medium=general&utm_source=share
という題名だ(書いているのは牧野洋氏。カリフォルニア在住だという)。
タイトルから内容は見当をつけるだろうが、電子書籍端末「ヌック」を提供しているバーンズ&ノーブル社が、アメリカン・タイムズを1年購読契約した読者に対してヌック本体を無料で提供するというサービスを始めるというのだ。
昨年(2011年)は「電子書籍元年」などと言われていたこともあるので新聞が電子タブレットで読めるようになるというのは世間にとって大したニュースに感じないかもしれない。しかし国内外の新聞業界にこの話はとんでもない衝撃を与えることだろう。
なぜならば、これまで印刷工場(印刷)や販売所(宅配)が担っていた機能をタブレットが奪ってしまうということだからだ。牧野さんはこれを「新聞販売店の電子端末化」と言っている(ここに「印刷工場の電子端末化」という言葉も加わればもっと良かった)
冒頭の話に戻るが、もし新聞に生き残る方法があるとすればこうした電子新聞の普及しかない、と少し前から個人的に思っていた。新聞を購読していない若者に対して、キンドルを無料で渡しますから新聞を購読をしませんか、などといえば飛びつかないわけがない。
しかし、親しい会社の後輩と飲んでそんな話をしても彼は渋い顔をする。彼は新聞販売店を回る担当だった。このあたりに日本の新聞が技術革新を阻む大きな問題が横たわっている。
電子書籍で新聞を配信する、というのはとりもなおさず販売店の仕事をなくしてしまうことに他ならない。また紙で新聞を刷る必要もなくなるから印刷工場もいらなくなる。21世紀になってから100億円もかけて印刷工場を作ったという某地方新聞がこんなことを許すはずはない、と思う。
それでも前に進むしかないと私は思っているけれど、業界や会社はそのような動きをつま先ほども見せなかった(今もそうだろう)。そういう先行きの無いところは去るしかないと思った。居場所のなくなった人間がその場を去っていくのは必然だった。
それはともかく、ニューヨーク・タイムズとバーンズ&ノーブルがこのような大胆な決断をすることができたのは、両社とも経営があまりにも悪くなり先が見えなくなったことがもっとも大きい。捨てるものがなくなったら思い切った行動もとれる。
ただ、それが良いことかどうかはわからない。困ったあげくに有り金をギャンブルにつぎこんで大損するような事例を連想してしまう。ギャンブルというのは余裕資金でおこなう方が勝てるというのも真実なのだ。だから、この戦略が成功するかどうかもいま一つわからない。キンドルと組めばまだマシだったかな、ダメな会社が組んで何をやってもダメな気がするが、と言うのは言い過ぎか。
しかし日本の新聞も困って困って困ったあげく、どこかの新聞が電子書籍端末での配信に必ず踏み切るだろう。果たしてどこが最初に手を挙げるか。そしてそれは興味深い展開につながっていくだろう。
「ああ、自分が考えていたことが現実になるんだ」
と思った。「現代ビジネス」のサイトに載っていた2012年1月12日配信の、
<「新聞の印刷・宅配をやめ、電子端末を無料配布せよ」が現実に。米書店大手バーンズ&ノーブルがニューヨーク・タイムズ購読者にタダで電子端末「ヌック」を提供>
http://summify.com/story/Tw4IQAIvkE1MLWnw/gendai.ismedia.jp/articles/-/31544?utm_campaign=share&utm_medium=general&utm_source=share
という題名だ(書いているのは牧野洋氏。カリフォルニア在住だという)。
タイトルから内容は見当をつけるだろうが、電子書籍端末「ヌック」を提供しているバーンズ&ノーブル社が、アメリカン・タイムズを1年購読契約した読者に対してヌック本体を無料で提供するというサービスを始めるというのだ。
昨年(2011年)は「電子書籍元年」などと言われていたこともあるので新聞が電子タブレットで読めるようになるというのは世間にとって大したニュースに感じないかもしれない。しかし国内外の新聞業界にこの話はとんでもない衝撃を与えることだろう。
なぜならば、これまで印刷工場(印刷)や販売所(宅配)が担っていた機能をタブレットが奪ってしまうということだからだ。牧野さんはこれを「新聞販売店の電子端末化」と言っている(ここに「印刷工場の電子端末化」という言葉も加わればもっと良かった)
冒頭の話に戻るが、もし新聞に生き残る方法があるとすればこうした電子新聞の普及しかない、と少し前から個人的に思っていた。新聞を購読していない若者に対して、キンドルを無料で渡しますから新聞を購読をしませんか、などといえば飛びつかないわけがない。
しかし、親しい会社の後輩と飲んでそんな話をしても彼は渋い顔をする。彼は新聞販売店を回る担当だった。このあたりに日本の新聞が技術革新を阻む大きな問題が横たわっている。
電子書籍で新聞を配信する、というのはとりもなおさず販売店の仕事をなくしてしまうことに他ならない。また紙で新聞を刷る必要もなくなるから印刷工場もいらなくなる。21世紀になってから100億円もかけて印刷工場を作ったという某地方新聞がこんなことを許すはずはない、と思う。
それでも前に進むしかないと私は思っているけれど、業界や会社はそのような動きをつま先ほども見せなかった(今もそうだろう)。そういう先行きの無いところは去るしかないと思った。居場所のなくなった人間がその場を去っていくのは必然だった。
それはともかく、ニューヨーク・タイムズとバーンズ&ノーブルがこのような大胆な決断をすることができたのは、両社とも経営があまりにも悪くなり先が見えなくなったことがもっとも大きい。捨てるものがなくなったら思い切った行動もとれる。
ただ、それが良いことかどうかはわからない。困ったあげくに有り金をギャンブルにつぎこんで大損するような事例を連想してしまう。ギャンブルというのは余裕資金でおこなう方が勝てるというのも真実なのだ。だから、この戦略が成功するかどうかもいま一つわからない。キンドルと組めばまだマシだったかな、ダメな会社が組んで何をやってもダメな気がするが、と言うのは言い過ぎか。
しかし日本の新聞も困って困って困ったあげく、どこかの新聞が電子書籍端末での配信に必ず踏み切るだろう。果たしてどこが最初に手を挙げるか。そしてそれは興味深い展開につながっていくだろう。
雨は夜更け過ぎに雪へと変わった
2012年1月11日今日の天気予報は午後から雪マークがついていた。降水(降雪?)確率は50%と微妙なところだったので、自分が外で働いている間は降らないでほしいと願っていた。
結果として雪を見ることなく終業となったけれど、帰る頃には小雨がパラパラと降ってくる。風もいつもより冷たい。嫌な予感がする。
案の定、夜になったら雪がちらつく空模様となる。山下達郎の代表曲”クリスマスイブ”の
<雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう>
という一節を思い出した。しかし音楽のようにはロマンティックなものではなく、現実はただただ寒くて辛いだけだ。
そういえば今月の電気代の明細は先月の倍くらいになっていた。つくづく嫌な季節である。
結果として雪を見ることなく終業となったけれど、帰る頃には小雨がパラパラと降ってくる。風もいつもより冷たい。嫌な予感がする。
案の定、夜になったら雪がちらつく空模様となる。山下達郎の代表曲”クリスマスイブ”の
<雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう>
という一節を思い出した。しかし音楽のようにはロマンティックなものではなく、現実はただただ寒くて辛いだけだ。
そういえば今月の電気代の明細は先月の倍くらいになっていた。つくづく嫌な季節である。
成人の日の「朝日新聞」社説を読んで
2012年1月10日成人の日(2012年1月9日)の「朝日新聞」社説で尾崎豊について触れた内容がありそれが酷い、という感想をTwitterで佐々木俊尚さんや小田嶋隆さんがつぶやいていたので気になって確認してみた。
http://www.asahi.com/paper/editorial20120109.html
「成人の日にー尾崎豊を知っているか」という題名の本文は、
<ああ、またオヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。>
と始まる。全国紙の社説らしからぬ馴れ馴れしい口調(文体?)になっていて、まずそこに違和感を覚えた。もう最初からこの筆者は既に勘違いをしているようだが、文章が進むにつれて内容はさらにいっそう悲惨なものになっていく。
<キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ。その時のオヤジより少し下の26歳。雨中の追悼式に、4万人が長い長い列を作ったものだ。
新聞には「高校を中退し、自由を求めて外に飛び出した彼の反骨精神が、僕を常に奮い立たせていた」と投書が載った。
彼が「卒業」「15の夜」といった曲で歌ったのは、大人や社会への反発、不信、抵抗。恵まれていないわけじゃないのに、「ここではない、どこか」を探し、ぶつかり、傷つく。
その心象が、若者の共感を呼んだ。尾崎の歌は高校の教科書にも採用されたほどだ。>
そういえば、尾崎豊が亡くなったのは20年前(92年)だったか、とこの文章は思い出させてくれたけれど、私にとってのメリットはそれだけだった。そして文章はこのように続く。
<ところが最近は、うんざり顔をされることが多いらしい。
オヤジと同世代、精神科医の香山リカさんは毎年、大学の授業で尾崎豊を聴かせ、感想を問うてきた。ここ数年「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」と、批判的な意見が増えているという。
教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?
でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、尾崎のころよりずっとずっと生きづらい。
だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。
尾崎豊はどこへ行ったのか。>
ここまで読んでいただいた方にちょっとお尋ねしたい。
この文章は何を書いているかわかりますか?
正直に言うが、この筆者が一体なにを述べたかったのか、私にはさっぱり理解できない。根本的なことをいえば、文章の論理が破綻していて前後が全くつながっていないのだ。エッセイだというのならまだ許せる気もするが、これは新聞の社説である。社説というのは新聞社としての見解を示す場ではないのか。それがここまで支離滅裂なのはかなりまずい、と思う。
それでも無理矢理に行間を推測してみれば、こんな流れだろうか。
尾崎豊は反骨精神を持った若者だった。
→それに比べて現在の若者は従順で謙虚だ。
→若者よ、もっと怒れ。当事者意識を持て。
ということをこの文章はどうも言いたかったようである。
筆者は自分の文章を「オヤジの『居酒屋若者論』」とわざわざ前置きをしているのもこの酷い文章を書いた言い訳にしたかったからかもしれない。これはもう、最近の若者はなっとらん、という以上のものではないのだから。おそらく書き直す時間が無いためこんな前置きを後でつけたのではないだろうか。
あまりの文章の不味さにそればかりを指摘してしまったけれど、私が本当に悲しいというか情けないと思ったのは、尾崎豊についての知識や愛着がこの著者から全く感じられないことであった。4万人が追悼式に参列しただの、高校の教科書に採用されただの、多くの若者に支持されただの、全て彼が死んでからの出来事である。ファンだったら、それがどうした、というレベルの話でしかない。彼のミュージシャンとしての本質とか魅力とは何の関係もない話である。
おそらく筆者は、尾崎が亡くなって20年というのをたまたま見つけて(ここまでは目の付けどころが良かったかも)、断片的な(どーでもいい)事実を繋ぎ合わせてこの文章をでっち上げたにちがいない。残念ながら私のようなヲタにはそういう流れがパッと見えてしまうのだ。そういえば12年ほど前に、英語で歌詞を書くミュージシャンは三流だ、と駄文を書いたのも朝日新聞社(アエラ)の社員だった。なんだかなあ。
どうも批判めいた文章になってしまったかもしれない。しかし私は別にこの社説を書いた人に何か言いたいという気持ちはないし、怒りのようなものも一切ない。ここまで次元の低い人と争うというのは自分の品位を落とす以外のなにものでもないからである。単に、日記のネタになるかなあ、という思いで社説を読んでみたけれど、その内容が予想以上に酷かったというだけの話だ。
ちなみに尾崎豊については、私もアルバム「十七歳の地図」(83年)の感想に絡めてに書いたことがある。興味があれば一読いただいて、社説の人との違いを見てもらえればと思う。
http://30771.diarynote.jp/201004251140469326/
http://www.asahi.com/paper/editorial20120109.html
「成人の日にー尾崎豊を知っているか」という題名の本文は、
<ああ、またオヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。>
と始まる。全国紙の社説らしからぬ馴れ馴れしい口調(文体?)になっていて、まずそこに違和感を覚えた。もう最初からこの筆者は既に勘違いをしているようだが、文章が進むにつれて内容はさらにいっそう悲惨なものになっていく。
<キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ。その時のオヤジより少し下の26歳。雨中の追悼式に、4万人が長い長い列を作ったものだ。
新聞には「高校を中退し、自由を求めて外に飛び出した彼の反骨精神が、僕を常に奮い立たせていた」と投書が載った。
彼が「卒業」「15の夜」といった曲で歌ったのは、大人や社会への反発、不信、抵抗。恵まれていないわけじゃないのに、「ここではない、どこか」を探し、ぶつかり、傷つく。
その心象が、若者の共感を呼んだ。尾崎の歌は高校の教科書にも採用されたほどだ。>
そういえば、尾崎豊が亡くなったのは20年前(92年)だったか、とこの文章は思い出させてくれたけれど、私にとってのメリットはそれだけだった。そして文章はこのように続く。
<ところが最近は、うんざり顔をされることが多いらしい。
オヤジと同世代、精神科医の香山リカさんは毎年、大学の授業で尾崎豊を聴かせ、感想を問うてきた。ここ数年「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」と、批判的な意見が増えているという。
教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?
でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、尾崎のころよりずっとずっと生きづらい。
だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。
尾崎豊はどこへ行ったのか。>
ここまで読んでいただいた方にちょっとお尋ねしたい。
この文章は何を書いているかわかりますか?
正直に言うが、この筆者が一体なにを述べたかったのか、私にはさっぱり理解できない。根本的なことをいえば、文章の論理が破綻していて前後が全くつながっていないのだ。エッセイだというのならまだ許せる気もするが、これは新聞の社説である。社説というのは新聞社としての見解を示す場ではないのか。それがここまで支離滅裂なのはかなりまずい、と思う。
それでも無理矢理に行間を推測してみれば、こんな流れだろうか。
尾崎豊は反骨精神を持った若者だった。
→それに比べて現在の若者は従順で謙虚だ。
→若者よ、もっと怒れ。当事者意識を持て。
ということをこの文章はどうも言いたかったようである。
筆者は自分の文章を「オヤジの『居酒屋若者論』」とわざわざ前置きをしているのもこの酷い文章を書いた言い訳にしたかったからかもしれない。これはもう、最近の若者はなっとらん、という以上のものではないのだから。おそらく書き直す時間が無いためこんな前置きを後でつけたのではないだろうか。
あまりの文章の不味さにそればかりを指摘してしまったけれど、私が本当に悲しいというか情けないと思ったのは、尾崎豊についての知識や愛着がこの著者から全く感じられないことであった。4万人が追悼式に参列しただの、高校の教科書に採用されただの、多くの若者に支持されただの、全て彼が死んでからの出来事である。ファンだったら、それがどうした、というレベルの話でしかない。彼のミュージシャンとしての本質とか魅力とは何の関係もない話である。
おそらく筆者は、尾崎が亡くなって20年というのをたまたま見つけて(ここまでは目の付けどころが良かったかも)、断片的な(どーでもいい)事実を繋ぎ合わせてこの文章をでっち上げたにちがいない。残念ながら私のようなヲタにはそういう流れがパッと見えてしまうのだ。そういえば12年ほど前に、英語で歌詞を書くミュージシャンは三流だ、と駄文を書いたのも朝日新聞社(アエラ)の社員だった。なんだかなあ。
どうも批判めいた文章になってしまったかもしれない。しかし私は別にこの社説を書いた人に何か言いたいという気持ちはないし、怒りのようなものも一切ない。ここまで次元の低い人と争うというのは自分の品位を落とす以外のなにものでもないからである。単に、日記のネタになるかなあ、という思いで社説を読んでみたけれど、その内容が予想以上に酷かったというだけの話だ。
ちなみに尾崎豊については、私もアルバム「十七歳の地図」(83年)の感想に絡めてに書いたことがある。興味があれば一読いただいて、社説の人との違いを見てもらえればと思う。
http://30771.diarynote.jp/201004251140469326/
寒さに負けそう
2012年1月7日年が明けてから、間に休日が1日あったものの、ずっと午前6時に勤務地へ行っていた。ここしばらく職場では遅刻する人も目につき、始末書だか反省文だかを書かされている人もいた。
私はいまのところ遅刻はしていないものの、まだ日も出ていない時間から起き上がるのはなかなか苦痛ではある。しかもこの寒い季節だ。布団から出るのにも時間がかかってしまう。起き上がって吐いた息が白い時はさらに気分が滅入ってくる。
以前の日記でもたびたび書いているけれど、私の部屋の暖房設備は極めて貧弱だ。セラミックヒーターという生暖かい風が出る小さな器具があるだけで、部屋全体を暖めることができない。
また、今は外に突っ立ってる仕事をしているため体にこたえる。寒さって体力を奪うものなんだなと身をもって感じているところだ。それから、これは理由がよくわからないけれど、体の部分で手が一番寒くなる。これだけはどうも我慢のしようがない。部屋でもキーボードを打つ指先がかじかんでしまうと日記を書く気力もなくなってしまう(日記の更新がとどおっているのはそれが一番の理由だ)
ネットでこの1週間天気予報を見たら、ずっと寒い日になっている。いつまでこんなことが続くのやら。
私はいまのところ遅刻はしていないものの、まだ日も出ていない時間から起き上がるのはなかなか苦痛ではある。しかもこの寒い季節だ。布団から出るのにも時間がかかってしまう。起き上がって吐いた息が白い時はさらに気分が滅入ってくる。
以前の日記でもたびたび書いているけれど、私の部屋の暖房設備は極めて貧弱だ。セラミックヒーターという生暖かい風が出る小さな器具があるだけで、部屋全体を暖めることができない。
また、今は外に突っ立ってる仕事をしているため体にこたえる。寒さって体力を奪うものなんだなと身をもって感じているところだ。それから、これは理由がよくわからないけれど、体の部分で手が一番寒くなる。これだけはどうも我慢のしようがない。部屋でもキーボードを打つ指先がかじかんでしまうと日記を書く気力もなくなってしまう(日記の更新がとどおっているのはそれが一番の理由だ)
ネットでこの1週間天気予報を見たら、ずっと寒い日になっている。いつまでこんなことが続くのやら。
12月29日から1月3日まで6日連続の勤務だった。つくづく「年中無休」の施設の中で働くのは損だと感じる。こんな環境が増えていくから働きたくなる若者、入っても3年以内で辞めてしまう若者が増えるのではないか。21世紀になっても企業などはこんな愚かなことを続けるのかと思うとこの国の将来は暗澹としかいいようがない。
先日(1月3日)は夕方で仕事が終わったので、二条駅ちかくにある出世稲荷神社まで足を伸ばした。ネットで、
「神社 就職 京都」
をキーワードで検索したらこれが見つかったからである。部屋に戻る途中に寄れる場所なのでありがたかった。
「今年はもっとマシな環境で働けますように」
と悲痛な祈りをして、お守り(500円)まで買ってしまう。私はもともと信心深くはないし、あまり超越的なものにすがるということもしない人間だ。だが今年は自分のスタイルを少しでも変えていこうと思い決断した。職場等で酷い目にあっていて精神的に弱っているということも否定できないが、あいつも少しは人間的なことをするようになったな、と肯定的に解釈してくれれば幸いである。
お参りをしてから午後5時半すぎに、新年の営業を開始した「風花 三条御前店」で「濃厚塩らーめん」(700円)を食べる。こういうのを「食べ始め」とでも言うのだろうか。しかし閉店(午後10時近く)まで居座ってしまったのはまずかったと思う。これは普段の自分の行動パターンそのものだ。自分を変えていくのはつくづく困難である。
先日(1月3日)は夕方で仕事が終わったので、二条駅ちかくにある出世稲荷神社まで足を伸ばした。ネットで、
「神社 就職 京都」
をキーワードで検索したらこれが見つかったからである。部屋に戻る途中に寄れる場所なのでありがたかった。
「今年はもっとマシな環境で働けますように」
と悲痛な祈りをして、お守り(500円)まで買ってしまう。私はもともと信心深くはないし、あまり超越的なものにすがるということもしない人間だ。だが今年は自分のスタイルを少しでも変えていこうと思い決断した。職場等で酷い目にあっていて精神的に弱っているということも否定できないが、あいつも少しは人間的なことをするようになったな、と肯定的に解釈してくれれば幸いである。
お参りをしてから午後5時半すぎに、新年の営業を開始した「風花 三条御前店」で「濃厚塩らーめん」(700円)を食べる。こういうのを「食べ始め」とでも言うのだろうか。しかし閉店(午後10時近く)まで居座ってしまったのはまずかったと思う。これは普段の自分の行動パターンそのものだ。自分を変えていくのはつくづく困難である。
「臥薪嘗胆」を胸に秘めて
2012年1月2日年末から連日で出勤している身としては、いまだに新年を迎えたという気分にならない。個人的には休みのとれる1月4日を2012年の始まりかなと思っている。
それでも元日は仕事が終わってから近所の北野天満宮まで初詣でへ出かけてみた。元日にお参りをするのはいつ以来だろう。それほど自分には記憶にない。いつもならばしない行動を年頭からとったのにはそれなりに理由がある。
昨年は10年近く勤めていた職場を去るという個人的には大きな決断をした年だった。しかし辞めたのは良いものの、その後の働き口は見つからず5ヶ月ほどふらついてしまう。そして「つなぎ」で入ったいまの仕事の環境もなかなか悲惨なものとなっている。賽銭箱に5円玉を投げ込み祈ったことも、
「もっといいところに転職できますように」
である。
だが、願っているばかりでなく行動しなくては結果も出しようがない。去年(いや11年ほど前に最初の仕事を探していた時もか)と同じ轍を踏むような真似だけをさすがにしてはならないと思い、今年はいままでと違う行動パターンを意図的にとろうと決めた次第である。元日参りをしたのもその一つだ。
過去の日記でも何度か書いているけれど、人間は変わることができるか、ということに関して私はかなり否定的な見解をもっている。相当な努力をしてみたとしても、自分というものはなかなか変えられない。それは過去の自分の姿を振り返るだけでも十分な気がする。
しかし根本を変えられないとしても、小さな変化を積み重ねていけば大きな変化に近いものができるに違いない。そんなことを今は考えている。
購読している無料メールマガジンの文章の中に「臥薪嘗胆」という故事成語が目に入りオッと思った。言葉の意味を忘れていたけれど自分にふさわしいものだったようなとウィキペディアで調べてみたら、
「復讐のために耐え忍ぶこと、また、成功するために苦労に耐える」
と書いてあるではないか。
この言葉は今年のみならずこの5年間くらいの自分が常に持ち続けるような気がする。
それでも元日は仕事が終わってから近所の北野天満宮まで初詣でへ出かけてみた。元日にお参りをするのはいつ以来だろう。それほど自分には記憶にない。いつもならばしない行動を年頭からとったのにはそれなりに理由がある。
昨年は10年近く勤めていた職場を去るという個人的には大きな決断をした年だった。しかし辞めたのは良いものの、その後の働き口は見つからず5ヶ月ほどふらついてしまう。そして「つなぎ」で入ったいまの仕事の環境もなかなか悲惨なものとなっている。賽銭箱に5円玉を投げ込み祈ったことも、
「もっといいところに転職できますように」
である。
だが、願っているばかりでなく行動しなくては結果も出しようがない。去年(いや11年ほど前に最初の仕事を探していた時もか)と同じ轍を踏むような真似だけをさすがにしてはならないと思い、今年はいままでと違う行動パターンを意図的にとろうと決めた次第である。元日参りをしたのもその一つだ。
過去の日記でも何度か書いているけれど、人間は変わることができるか、ということに関して私はかなり否定的な見解をもっている。相当な努力をしてみたとしても、自分というものはなかなか変えられない。それは過去の自分の姿を振り返るだけでも十分な気がする。
しかし根本を変えられないとしても、小さな変化を積み重ねていけば大きな変化に近いものができるに違いない。そんなことを今は考えている。
購読している無料メールマガジンの文章の中に「臥薪嘗胆」という故事成語が目に入りオッと思った。言葉の意味を忘れていたけれど自分にふさわしいものだったようなとウィキペディアで調べてみたら、
「復讐のために耐え忍ぶこと、また、成功するために苦労に耐える」
と書いてあるではないか。
この言葉は今年のみならずこの5年間くらいの自分が常に持ち続けるような気がする。
いつの間にやら新年
2012年1月1日この日記を書いている時、時計は午前4時半ちかくを回っていた。あと30分ほどしたら部屋を出て勤務地へと向かう。「年中無休」をうたう某大型施設の一角で働いているため、盆も正月も関係ない状態だ。雇われてる身としては何も言えないけれど、休み無しってどうなんだろうねとは思ってしまう。昨夜は飲むためにビールを1缶買ったけれど、疲れてうたた寝してしまいそのままにしてしまった。
思えば、ミレニアム(21世紀)を迎える時は深夜のコンビニでレジを売っていた。以前の職場にいた時は元日のイベント(京都御所を周りを走るマラソン大会。現在は中止)のため当日運営はもとより大晦日も設営作業をしていた。そんなことを考えてみると、社会に出てから世間でいうところのお正月の過ごし方、というのをしてこなかった気がする。いや、むしろ正月も普通に働いているのが自分にとっての普通だったかもしれない。
昨日の仕事終わりに近くのスーパーへ買い物へ行くと、今日は7時までの営業(いつもは9時まで)と書いており、来年は6日から始めますと張り出していた。定休日もないスーパーなのだからこれくらい休んでも別に良いのでは、と個人的には思った。
私が小学生の頃はまだ百貨店も週1日の定休日があったような気がする。しかしいつの間にやらデパートもレストランもスーパーも年末年始すらまともに休まなくなり、営業時間もずっと遅くなっていく。同じ頃に「コンビニエンス・ストア」というものも全国に広がりだしたのは偶然なのだろうか。もっともコンビニだって最初から24時間営業という形態だったわけでもない。「セブンイレブン」という名前は、午前7時から午後11時まで営業する、という意味だと覚えている人はいまどれほどいるのか。
休みがなくなって売上げが伸びているというのならまあ話がわかるけれど、百貨店はこの20年ほどずっと業績を落とし続けている。貧すれば鈍する、と一言でいってしまえばお終いかもしれない。しかし、私たちはどっか自分たちのライフスタイルを修正する余地はあるのではないだろうか。世間の流れは簡単に変えられないとしても、個々人のレベルだったら工夫はある程度できるはずである。
私は部屋を出る2時間前くらいに目を覚ましている。早すぎるだろう、と周囲から言われているけれど、そうすることによって本を読んだり日記を書いたりする時間を確保できるのである。今の職場環境は早晩見切りをつけるつもり(あと3ヶ月以内には!)だけれども、このような生活を変えようとは思わない。
別に私たちは苦労するためだけに生まれたわけではない、はずだから。では、いってきます。
思えば、ミレニアム(21世紀)を迎える時は深夜のコンビニでレジを売っていた。以前の職場にいた時は元日のイベント(京都御所を周りを走るマラソン大会。現在は中止)のため当日運営はもとより大晦日も設営作業をしていた。そんなことを考えてみると、社会に出てから世間でいうところのお正月の過ごし方、というのをしてこなかった気がする。いや、むしろ正月も普通に働いているのが自分にとっての普通だったかもしれない。
昨日の仕事終わりに近くのスーパーへ買い物へ行くと、今日は7時までの営業(いつもは9時まで)と書いており、来年は6日から始めますと張り出していた。定休日もないスーパーなのだからこれくらい休んでも別に良いのでは、と個人的には思った。
私が小学生の頃はまだ百貨店も週1日の定休日があったような気がする。しかしいつの間にやらデパートもレストランもスーパーも年末年始すらまともに休まなくなり、営業時間もずっと遅くなっていく。同じ頃に「コンビニエンス・ストア」というものも全国に広がりだしたのは偶然なのだろうか。もっともコンビニだって最初から24時間営業という形態だったわけでもない。「セブンイレブン」という名前は、午前7時から午後11時まで営業する、という意味だと覚えている人はいまどれほどいるのか。
休みがなくなって売上げが伸びているというのならまあ話がわかるけれど、百貨店はこの20年ほどずっと業績を落とし続けている。貧すれば鈍する、と一言でいってしまえばお終いかもしれない。しかし、私たちはどっか自分たちのライフスタイルを修正する余地はあるのではないだろうか。世間の流れは簡単に変えられないとしても、個々人のレベルだったら工夫はある程度できるはずである。
私は部屋を出る2時間前くらいに目を覚ましている。早すぎるだろう、と周囲から言われているけれど、そうすることによって本を読んだり日記を書いたりする時間を確保できるのである。今の職場環境は早晩見切りをつけるつもり(あと3ヶ月以内には!)だけれども、このような生活を変えようとは思わない。
別に私たちは苦労するためだけに生まれたわけではない、はずだから。では、いってきます。