経済のニュースを見ていたら、「室町期に創業、541年…九州最古の企業が破産へ 負債1.2億円」という記事を見つける。「Sankeibiz」が11年6月11日に配信したもので、全文を引用する。

<室町時代に創業したとされ、長崎県五島市で食料品店を経営する「川口分店」が、近く破産申請することを同社の関係者が21日、明らかにした。東京商工リサーチによると、九州で最も古い企業という。
 川口分店は1470年に創業して塩田の経営を始めたという。
 東京商工リサーチや関係者によると、同社は、大型店やドラッグストアの進出で業績が低迷し、売り上げはここ5年で半減。4月以降、2度の不渡りを出し、4月末に閉店した。負債総額は約1億2千万円。>

1470(文明2)年といえば、かの「応仁の乱」(1467ー77)の最中だというから、そこから21世紀まで営業を続けたと思うと頭がクラクラしてくる。

また創業当時は「塩田の経営」というのもなかなか凄い話だ。塩田とは海水を蒸発させて塩を取り出す場所である。しかし海水を電気分解して塩を作る方法が1972年に国が採用したことにより日本から塩田は消えてしまった歴史がある。川口文店もそういう時代の流れに直面しながら、酒造業、味噌製造業、スーパーと経営手段を変えていったのだろう。

大学時代に簿記学の授業で「ゴーイング・コンサーン」(going concern)という言葉を初めて知った。企業は永遠に継続していく、という考え方で、会計学などもこのような前提で考えられるのだという。当時も現在も、会社がずっと続くなんてあり得ないだろう、という思いは変わらない。あくまで会計などの理論を作るための話なので文句をいっても仕方ないけれど、現実的に企業の平均寿命は「永遠」とはほど遠いだろう。

それでも創業541年というのは驚異的な長さであるのは間違いない。しかし応仁の乱や二度の大戦をくぐり抜けてきた川口分店であっても、この複雑な時代に対応することはできなかったということか。想像以上に激動の世の中を私たちは生きているのかもしれない。
この秋にアコースティックでのライブ・ツアーが決まっているBONNIE PINKが9月21日にアルバムを発売するというニュースが入った。ツアーをするなら何らかの作品を出すのかなとは思っていたけれど、「Back Room -BONNIE PINK Remakes-」と題されたその中身は「リメイクアルバム」だという。

リメイクアルバムなんて言葉は初めて聞いたぞと最初は思ってけれど、言葉の響きだけでだいたい内容の想像はついてしまう。これまで出した楽曲を録音した「セルフ・カバー・アルバム」の名前をリメイクなどと名前を変えただけだ。

収録曲は、

・Heaven’s Kitchen (from 02nd album "Heaven’s Kitchen")
・Last Kiss (from 07th album "Even So")
・Do You Crash? (from 02nd album "Heaven’s Kitchen")
・A Perfect Sky (from best album "Every Single Day -Complete BONNIE PINK(1995-2006)")
・Tonight, the Night (from 06th album "Present")
・Present (from 06th album "Present")
・Ring A Bell (from 10th album "ONE")
・Paradiddle-free (from 08th album "Golden Tears")
・Burning Inside (from 09th album "Thinking Out Loud")
+新曲1曲

という構成になっている。彼女がブレイクしたきっかけとなる”Heaven’s Kitchen”や、紅白歌合戦で披露した”A Perfect Sky”は妥当な線であるものの、それ以外はなかなか微妙な選曲であり、どういう意図をもって選んだのかは興味深い。

しかしセルフ・カバー、いやリメイクアルバムと聞いただけでテンションがガックリと下がったことは否定できない。これまで自分の好きなミュージシャンも同様の趣向でアルバムを出しているけれど、渡辺美里の「Dear My Songs」(08
年)にしろ、佐野元春の「月と専制君主」(11年)にしろ、繰り返し聴くのはなかなか厳しい内容ばかりであったのことが脳裏によぎる。

カバーを出す時は行き詰まっている時、などと大滝詠一がどこかの文章で書いていたことがある。確かに他人の楽曲を歌うカバーという行為は創作意欲が高まっている時にするものではないだろう。ましてや、自分の曲を採録するというのは・・・。

別に出したからといって非難や批判をするつもりもないけれど、そういうことを念頭において、期待値ゼロの気持ちで9月のアルバムを待ってみることにしたい。

別に意地悪を言いたいのではなくて、セルフカバーなんてそんなものなんですよ。
橘玲(作家)さんが7月7日のブログに掲載した文章が様々な示唆に富んでいて非常に面白かった。「信なくば立たず」と題されたその文章は、橘さんが保護者面談のために夜の小学校を訪れるところから始まる。そこで十数人の母親が教室で若い女性を取り囲んでいる光景に出会う。あとで聞いた話では、その教師は生徒を管理できないためトラブルが絶えなかったというのだ。

<私が見たのは、クラスの母親たちが学級運営について教師に問い質している場面だった。いまなら“モンスターペアレント”ということになるだろうが、当時はそのような言葉もなく、親が教師を私刑(リンチ)するかのような光景に大きな衝撃を受けたことを覚えている。>

だが、昔の教師はこのような仕打ちを受けることなどありえなかった。なぜなら1960年代までは大卒の人間というのは地方にも稀少な存在だったからだ。よって教師は地域社会や親からは尊敬のまなざしの目に見られる存在でいられたのである(人間的魅力があるかどうかにかかわらず)。

しかし経済成長にともない日本の大学進学率がどんどん上がっていき大卒も珍しい存在ではなくなっていく。それに反比例して教師の権威は相対的に落ち込んでいった。

<ひとはみな平等であり、教師と生徒は“ひと”と“ひと”して対等である。だが教育という営みは、教師が生徒よりも“エラい”という階層性(差別)を前提としなければ成り立たない。ひとたび校門をくぐったら、「学校」という舞台の上で、教師は「教師」の役を、生徒は「生徒」の役を演じなければならないのだ。
ところが1970年代以降の消費大衆社会のなかで、教師と生徒の「差別」構造は解体してしまった(その象徴が「金八先生」だ)。生徒は、自分と「対等」の人間からなにかを学ぼうとは思わない。学校から教育が失われるのは当然だったのだ。>

そういえば、いわゆる「ゆとり教育」で学習内容が削減されたのも81年からであるが、こうした「教育改革」も教育現場が荒廃に拍車をかけたことも大きいに違いない。「校内暴力」と言われるようなものは減っていくものの、陰湿な「いじめ」が問題になっていくのも80年代あたりからだ。

この文章は最後で、

<最近の政治の迷走を見て、この古い記憶がよみがえった。夜の教室ですすり泣いていたあの女性教師は、いまごろどうしているだろうか。>

と締められている。おそらく、現在の政治家も権威を失った結果として国民からすっかり支持を失っている、というようなことを橘さんは暗に示したかったのだと私は解釈する。

教育(教師と生徒との関係)でも政治(政治家と国民との関係)でも、ある程度の権威がなければ機能しなくなる。それが失ってしまったら、たとえ小手先の処置をしたところで回復することはできないのだ。

ところで、この権威の崩壊というのは様々な現場でおきている現象だ。いま述べた教育現場や政治はもちろん、大学のようなアカデミズムの世界、官公庁、企業などなど。やはり、インターネットの発達によりいままでは隠されていた情報が多くの人に共有されたことが大きいのだろう。それによってかつては「なんだかよくわからないけど凄い人」と思われていた人たちが、実は私たちとたいして変わらない人だとバレてしまったのである。権威がなくなる、とはつまりそういうことだ。

IT化によってもたらされたものは大きい。プラスの面も多いことには違いないだろう。しかし一方でいろいろなものを破壊していったことも否定できない。そんな光景が教育現場という例で非常にわかりやすく書かれた文章だと思う。

原文はこちら。
http://www.tachibana-akira.com/2011/07/2834
今日の午前、用事で京都駅ちかくに来ていた。それが終ってから帰るために七条通を歩いていると、なにやら消防局の人たちが何人も集まっているのを見つける。それは火事の調査をしているところだった。七条通り沿いにある料理店の中は真っ黒こげになっており被害はかなりのものだったことがうかがえる。しかしその時は、大変だなあ、くらいの認識しかなかった。

部屋に戻ってから別の調べものをしようとして「京都新聞電子版」を覗いてみたら、その火事の記事がデカデカと載っているではないか。それを読んでみてかなり驚いた。火事の出火元は七条警察署の裏側にあるラーメン店「心龍」(京都市下京区東塩小路町185-1)だったからだ。被害はなかなか大きく心龍を含めて計4棟の建物が焼けてしまい、消防車が38台出勤して3時間をかけてやっと消火できたというのだ。

心龍から出火したことなど知らなかったから店がどうなっているけれど、設備も何もかも使用できない状態になっているに違いない。この店には2回ほど行ったくらいで店の人と直接には面識はないものの、知り合いの知り合いくらいの関係である。

ネットの情報によれば7月には他の場所に移転する計画だったという。その矢先の出来事であった。そんなことを知ってしまうと他人事ながらなんとも余計やり切れない気持ちになってくる。
玄海原発(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開について説明するために国の主催で開催したケーブルテレビ番組で、九州電力が再開を支持する内容のメールを送るよう関連会社に要請したことが発覚する。そもそもこの番組自体が県民側からは国が選んだ7人しか参加できなかったり、また放送されるのも地上波放送ではなくケーブルテレビとネットだけだったりとかなりアヤシイ設定ではあった。これはもはや、住民に説明はしました、というアリバイ作りとしか思えない代物である。しかもその上にこのやらせメールだ。バカバカしいにもほどがある。

もちろん世間の目は一様に厳しい。本日(7月7日)9時30分配信の「毎日新聞」の記事では、

<玄海原発の元警備員で、同原発から約1キロの場所に住む同町の農業男性(75)は「町内は原発関連の仕事をしている人が多い。安全性の確認を徹底してくれれば運転再開に同意するから、そんな不正をする必要はないのに」と首をかしげる。佐賀市の会社員の男性(61)は説明番組自体が「県民7人しか参加できず、推進派の作為的なやり方と感じた」と話し、「九電は反対意見を封じ込めるのではなく、それに一つ一つ答える姿勢を持つべきだ」と批判した。>

という近隣に住んでいる人たちの声を紹介している。当たり前すぎて補足する言葉が見つからない。そんなに原発再開をしたいのなら、こうした手続きがまず必要なのではないか。

この一連の出来事から透けて見えるのは、真摯に説明や説得をすることなく情報操作で自分たちの意のままに世間を誘導してやろうという国や企業の傲慢で不遜な思い上がった態度だ。ふざけんな。

しかしながら、今回の話はあまりにバカすぎて極端だろうけれど、いままで生きてきているうちにテレビなどのメディアの間違った情報を無条件に受け入れて頭に刷り込まされてきたのかなあと、この歳(35歳)になって考え込んでしまった。先日はテレビが面白くなくなったことについて触れたけれど、それくらいならまだ害はそんなにあるわけではない。しかし、こういう情報操作に乗ってしまうかもしれないと思うとテレビをつけるのも怖くなってくる今日このごろだ。
「アナログ放送終了まであと18日」

いまもアナログ放送でテレビを観ていると、画面の左下にこのような字幕スーパーが映し出されている。大きくて観づらくなるため苦情もきているというが、もうアナログ放送もカウントダウンが着実に近づいている。

毎日この字幕スーパーを観ている私はもちろんデジタル化に対してなんら対策を立てていない。テレビはともかくチューナーくらいは買おうかな、と思ってはいるが。特に観たいテレビもないし、CMや字幕でさかんに責め立てられても行動に移せない自分がいる。

テレビを観ない人はけっこう多いようだ。

7月4日の「NEWSポストセブン」で『若者のTV離れが加速 20代男性の13.5%が「TV見ない」』という記事があった。タイトルの数字はアスキー総合研究所が調査した「各世代の1日のテレビ視聴時間をまとめたデータ」の結果であり、20代男性の1割以上が観ていないというのはテレビの影響力が大きく低下していることをうかがえる。いまの20代の人たちは、青年期においてインターネットも携帯も既に揃っている世代だ。メディアといえばテレビというわけでもないのだろう。

またこの時期では「2010年 国民生活時間調査報告書」(NHK放送文化研究所・有効回答者4905人)というアンケート結果が紹介されており、70才代は男女とも毎日4時間半以上テレビを観ているのに対し、10代から20代の男性は1日2時間を切っているという。おそらく新聞を読む時間などほぼ皆無なんだろうなあ。

テレビが面白くなくなった、と言われるようになって久しい。私はあれが面白い/面白くないなどと判断するほどテレビはもう観ていないけれど、視聴者の抗議などに制作者側が萎縮していき内容の自由さがどんどん失っていったのは実感としてわかる。

しかし、このデジタル化を機会にテレビから距離をおくというのも悪い選択でないような気がする。たとえば7月3日の「報道2001」(フジテレビ系列)で出演していた政治家や評論家が、原発が停まったら日本経済が混乱する!と皆でわめき散らしていたという。フジテレビは東京電力の元社長が監査役に「天下り」している会社が。バラエティ番組の「やらせ」とかならまだ可愛らしいとも思えるけれど、こういう問題にいくと明らかに偏向としかいえない。

面倒くさいとは思うけれど、一人ひとりがネットや本で地道に情報を集めて自分なりの考えを持つしかない時代になった気がする、たとえそれが間違っていようとも。
日曜日に放送されているサンデー・フロントライン」(テレビ朝日系列)に「これがニュースだ!」というコーナーがある。この1週間で重要だと有識者が思ったニュースのベスト10を挙げるというものだ。その9位に”おひとりさま”顕著 単身3割超」というのがあり、おもわず見入ってしまった。

総務省の調査によれば日本国内の一人暮らし世帯は31.2%と全体の3割を超え、「夫婦と子どもからなる世帯」(28.7%)を初めて上回ったという。

一人暮らしというライフスタイルは世間にもすっかり浸透していて、一人分の鍋を出している料理店が人気だったり、一人用のマンションを買う人に対して偏見もなくなっているという肯定的な面を番組を紹介していた。一方、番組の「これがニュースだ!選定委員会」委員の一人である鳥越俊太郎(ジャーナリスト)さんは、一人暮らしが増える社会が待っているのは孤独死だ、と警鐘を鳴らしてもいる。

一人暮らしが人間にとってが良いのか悪いのかは、今の私には何とも言えない。ただこういう問いが出てくるたび、故・井上ひさしさんの「わが人生の時刻表 自選ユーモアエッセイ 1」(00年。集英社文庫)に収められている「淋しいという基調音」というエッセイを思い出してしまう。夏目漱石について書いた文章だ。短い文章なので全てを紹介させてもらおう。

<漱石全集を通読するたびに、なにかしら新しい発見に恵まれる一方で、いつもの基調音を聞くのが常である。その基調音は「人間というやつはなんて淋しい存在なのだろう」という静かな悲鳴だ。そういえば、漱石の常用句のひとつが、この「淋しい」であった。もっとも彼には「淋(さむ)しい」と振り仮名をほどこして使う癖があったけれども。
さて、漱石のこの基調音は次のように展開し、変奏されてゆく。
すなわち、ひとは淋しいから一人では生きられない。だがしかし二人以上集まると互いに迷惑をかけ合い、争い合い、裏切り合い、そして憎しみ合い、つまりは一人になりたいと切に願うようになる。ところが一人になってみると、やはり淋しくてやりきれない。そこでまた二人以上集まって・・・。
漱石は一生かかって、このやり切れない堂々めぐりを書き続けたのではなかろうか。漱石はこの堂々めぐりから脱け出す方法を見付けてはいない。というより人間にこの解決策を入手することはできない相談だろう。私はただ、この、淋しさを軸とした堂々めぐりが人生というものはないかという問いを設定した漱石に感謝するばかりである。この問いがあると知っているだけでも、人生、だいぶ生きやすくなると思うからだ。>(P.264-265)

たぶん内田樹(神戸女学院大学名誉教務)さんだったら、子孫が残せないのは人類にとって大問題だというような理由で一人暮らしを否定するだろう。誰かとくっつくというのは生物としては全く正しい行為ではある。しかし一人で生活するのが長くなった私には、むしろその方が当然という感覚になってしまっている。もはや生物として誤った道を進んでしまっているということか。

少なくとも周囲に誰もいないというのは生存上も不利な戦略であり、鳥越さんが指摘している通りその先には孤独死が待っていることだけは間違いない。
さきほど部屋に戻ったら、なんだか見覚えのあるハガキが入っていた。

宛先は、

「京都商工会議所 人材開発センター 簿記検定係」

となっている。6月12日に受けた第128回簿記検定試験(2級)の結果通知である。試験前に届いた受験票と全く同じ形式だったため、どこかで見たことがあるなと感じたわけだ。

試験終了後に書いた日記でも触れたけれど、今回の感触は実に微妙な手ごたえだった。合格ラインの「70点」はたぶんスレスレだろう。
http://30771.diarynote.jp/?day=20110612

自己採点では「76点くらい」ではあった。しかし書き間違いがあったら・・・。そんなことを思いながら恐る恐るハガキをめくってみると、画像のような結果がでていた。「合格」である。点数は「74点」とほぼ予想通りであった。

今回の試験は、2ちゃんねるなどでも書いてあったが、やさしい部類であったのは間違いない。実際、合格率は京都会場で41.9%と実に4割の人が受かったわけだ。

参考までに過去5年間の合格率(全国平均)を見てみると、

第127回(11年2月):32.4%
第126回(10年11月):21.5%
第125回(10年6月):40.0%
第124回(10年2月):12.4%
第123回(09年11月):38.4%

となっているから、やはり簡単な方であったといえよう。

ちなみに私は125回と126回を受けている。周囲には一発で受かったという方もいるけれど、私は三度目にしてようやくという感じだ。いい加減うけるのも嫌になってきたので、今回で受かって本当に良かった。

その代わり専門学校などには通わず独学で合格というのは我ながら立派だと思う。受講料など余計な出費はかからなかったわけだし。もしも某専門学校に行くとしたら入学金と授業料で7万8000円もとられてしまう。果たしてその価値に見合う資格かどうかその辺りは微妙なところだけれど、なんとか今後につなげていきたい。
テレビのアナログ放送終了までもはや1ヶ月を切っているが、私のマンションで地デジの準備はまだできていない。こないだ大家さんと話をした時に、7月中はするつもりだから、と言っていた。いつくるかと内心ビクビクしていたが、昨日の夕方に、1日に部屋に入ります、と告知がポストに入っていた。

正直な話、もうちょっと日数に余裕をもって告知をしてくれませんかねえ、と大家さんに文句を言いたくなった。部屋を片付けておかなければならないからだ。

先月も、こちらの都合だからいつになるかわからないけど火災報知器を付けるために部屋に入るから、などと一方的に言ってきた。その時は、報知器は自分で取り付けますから、と言ってなんとか部屋に入れるのを阻止する。しかし、地デジ工事は私にできる作業ではない。もうあきらめて大家さんを迎え入れるしかないのだ。

そんなこともあって、今日は久しぶりに本科的な掃除をおこなった。昼食は買っておいて、日が暮れるまで外を出ることはなかった。その結果、自分の部屋の広さに対して書籍がやたらと多いことに気づいた。CDの枚数はもっと多いけれど、何百枚も収納できる棚があるため割と整理はされている。本棚兼CD棚が1つあるものの、これも半分くらいはCDだ。

それから自分でも不思議なのは、枕が3個ほどあったことだ。生まれてこのかた枕など買ったことはないのだが、一体どうなっているのだろう。ともかく、もう自分なりに掃除や整理はやり尽くした。別に立ち会ってもいいけれど、何を言われるか怖いので(笑)、昼間は部屋を空けてようと思う。

ところで大家さんが私の部屋に足を踏み入れるのは、勝手に入っていなければ(笑)数年ぶりになる。そこに山のようになっているCDと本、そして通販で買った2メートル近くある洋服掛けを見たらたぶん驚くだろうな。
前の職場を去ってもう2ヶ月になろうとしている。会社を辞めて収入が断ってしまう一方、仕事に関わる諸々のストレスがなくなったおかげで体重を減らせるかなと密かに期待していたところもあった。ちなみに去年の10月から半年ほどで8キロほど増加している。

もちろん、世の中はそう自分の都合よくは回ってくれない。確かにストレスが無くなって割と快適に生活しているものの、体重は全く変わらなかった。今月に35歳になったけれど、なんとなく近頃は基礎代謝も悪くなってきたようにも感じる。

昨日「みんなの家庭の医学」(テレビ朝日系列)を見ていたら、「脂肪肝・メタボを解消!小分けダイエットのススメ」というものが紹介されていた。東京医科大学の小田原雅人・主任教授が監修をしていたこのダイエット法の要点を挙げると、

・食事は普通に3食とって良い。
・間食はしても良いが、その時は野菜を食べる。
・食事をした後は10分間歩く。

以上のことを実践して、被験者だった50歳の男性(元力士の漫画家)は1週間で内蔵脂肪を12.5%を減らすというめざましい結果を上げた。

具体的な方法については番組の公式サイトを参照いただきたい。
http://kenko.asahi.co.jp/doctor/broad_110628.php

このページで、

<このように意志が弱くて、食事のコントロールができない方や運動が続かない方でも、ちょっとした努力を続けることで、健康に一歩近づくことを分かっていただきたいと思います。
 持続性のない極端なダイエット法は、長期的な効果が得られないだけでなく、かえって悪い結果を招くことが多いのです。ダイエットの失敗からリバウンドすることにより、筋肉が減り、脂肪が増えるといった体にとって望ましくない結果になり、むしろ「インスリンの効き」が悪くなってしまいます。>

と紹介している通り、実践する人になるべく負担がかからないよう配慮している点はなかなか優れている。ただ、自分の場合はこれを続けるのは難しいかなと、正直そう感じた。理由は一つある。

一つは、テレビに出ていた被験者に飲酒習慣があるか、それが明らかになっていなかったからだ。私はそれほど間食をしないけれど、お酒はけっこう飲むので、その辺のコントロールに自身がないのだ。

もう一つは、この被験者がダイエットに成功したのは奥さんの献身的な支援があったからできたと思ったからだ。食事の合間に食べる野菜について、被験者が飽きないようにと色々な料理を毎日作ってくれていたのである。被験者はこれまで食事と同じくらいのカロリーを間食でとっていた人なので(1日のカロリー摂取量は約5000キロカロリー!)、もし彼が一人暮らしだった場合、果たしてパッと間食を断ってダイエットを1週間もできていたか。それは疑問なしとしない。

自分の欲望を自分自身で抑えるというのは非常に困難な作業だ。ダイエットは食欲という欲望と直結するから、一人でやってもまず失敗する。よって周囲の人の協力を得るなどして、自分を制御するような仕組みを作っていくことが大事だろう。

そういう考えに至ると、なんの支えもない自分にとってはダイエットは無謀な行為だなと痛感してしまう次第だ。今日は誰とも喋らなかったしね。


「決算書は、わからなくたっていい!」

決算書についてのセミナーの冒頭で、著者の前川さんはホワイトボードに大きくこう書くという。これを見た参加者は一様に怪訝そうな顔をする。決算書が理解したいがためにセミナーに参加した人たちなんだから、当たり前といえば当たり前だが。

経理業務に関わってなくても、決算書くらい読めるようなりたい、と考えるサラリーマンは多いだろう。しかし色々と勉強をしてみても決算書の数字を理解できるようになる人は少ないらしい。それはなぜだろうか。公認会計士と税理士の資格を持つ著者はその理由をこう述べている。

そもそも決算書の細かい知識(会計学)はあくまで「決算書を作る人」にとって重要なものだ。しかし「決算書を読む人」は必死でこうしたことを勉強してしまう。これがボタンの掛け違いとなる。その結果、決算書を読むという所期の目的を達成できなくなってしまうのだ。

たとえば本書のP.87に大正製薬の貸借対照表が載っていて、いろいろな項目(勘定科目)がズラズラと載っている。「資産」を見てみると、

現金および預金 112,464
受取手形 594
売掛金 58,101
有価証券 2,000
商品 2,909
製品 9,623・・・

などと20以上の項目が出てくる(数字の単位は百万円)。しかし「決算書を読む」ためだったらこの全てを覚える必要など、ない。これらの項目を合計した「資産」という「かたまり」の金額さえ見れば良いのだ。

決算書はパッと見れば数字と項目がゴチャゴチャと羅列しているけれど、大きな5項目(資産、負債、資本または純資産、費用、収益)で構成されているに過ぎない。そして、これら5項目の大小を比較することが「決算を読む」という行為に他ならない。

その比較についても、何も難しいことはない。本書のP.76ではポイントを2つに集約している。

(1)貸借対照表(試算表の上半分)
資産、負債、資本の大小を比較する。
この場合、なるべく負債が小さく資本が大きいほうが、財政状態が良好だといえる。

(2)損益計算書(試算表の下半分)
収益と費用の大小を比較する。
収益は費用よりも大きくなければならない。

こんなの簿記の初期段階で勉強しているぞ!と怒る人もいるかもれない。しかし、そういう声を想定したように筆者はこう続ける。

<こんな簡単なことが最重要ポイントなのですから、あっけない話です。が、筆者の長年の経験によりますと、決算書を読むことを苦手にしている人というのは、たいていの場合、このような基礎的かつ根本的な知識を疎かにしていました。そのくせ、瑣末な勘定科目や経営指標を追いかけ、その結果、いたずらに決算書データを複雑化して読み、混乱してしまっているのでした。>(P.77)

「木を見て森を見ず」という言葉がある。簿記を勉強していると社債とか減価償却費とか積送品売上とか雑多な知識をたくさん覚えなければならないけれど、そうしているうちに肝心なことは吹っ飛んでしまうことがしばしばだ。それが一番の問題なのだろう。

<これは決算書に限ったことではないのですが、仕事でも勉強でも、何事も「対象物をいかに単純化して捉えるか」ということが大事です。>(P.77)

この著者の指摘はまさに至言といえよう。

本書を読んだ後で試しに企業の決算書をいくつか調べてみた。そうすると、この会社は売上原価が低いために売上総利益(粗利)が大きいな、とか、この会社は負債(借金)の比率が高くて危ないかも、などという程度の分析(というほどでもないか)はできるようになった。

複式簿記は14世紀半ばのイタリアで生まれたもので、その形式は現在とほとんど変わっていない。19世紀のドイツの詩人ゲーテは小説「「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代(上)」(山崎章甫訳、01年。岩波文庫 )で「人類最大の発明」と書いている。小さな商店から大企業に至るまで、その財務状況を1枚の決算書で表現することができる複式簿記は確かに優れた仕組みだと今更ながらに実感した次第だ。

著者は、決算書は比較してみないと面白くない、と繰り返し強調している。同じ会社を時系列に比較する、また同業他社どうしを比較してみることにより初めてその意味が見えてくるのだ。本書でもマイカルやNOVA(いずれも倒産した会社)など具体的な会社の決算書を挙げて説明しているところが非常に面白い。

本書を読んでみれば、いままで無味乾燥な数字の羅列にしか見えなかった決算書が違った印象に見えてくるだろう。これで720円(税別)ならば十二分に元がとれると言いたくなるほど、得るものが大きい本だ。下手な講演を受けるよりもまず本書を手に取ってもらえたらと思う。
8月12日(金)は梅田に全員集合!
一度ならず二度までも。昼過ぎに書店で「ミュージックマガジン」を開いた時に浮かんだのがこの言葉だった。ライブ情報のページとペラペラとめくっていたら、

ニック・ロウ

という名前が出てきたからだ。

ニ、ニ、ニ、ニック・ロウ?!

リチャード・トンプソンに続いて、またしても来日情報を逃していたのだ。あまりアンテナを張りめぐらしていないせいか、こうした大事な話が自分に最近は入ってこない。しかも会場は同じビルボードライブ大阪である。公演日が8月だから既にチケットは発売中だろう。

しかし、それほど私はバタバタしなかった。iPhoneからビルボードライブ大阪のサイトを覗いてみる。予想通りチケットは残っていた。

http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=7709&shop=2

以前にクアトロに来日した時もチケットは完売してなかったし、今回もおそらく大丈夫だろう。やはりそうだった。ちなみに東京公演は2日間あるのに完売だ。関西在住で良かった、良かった。

安心した私は部屋に戻ってから「ぴあ」のサイトでチケットを購入した。ビルボードライブという会場では1日2回公演をする。1回で1時間ほどしか演奏しないので、もちろん(?)私は2公演ともチケットを確保した。こういう時は頭がショートしてしまうので値段も何も見ないで買ってしまう。

だが、ニック・ロウのライブは本当に素晴らしい。私はこれまで3回(心斎橋クラブクアトロ、フジ・ロック・フェスティバル、ライ・クーダーとの共演)観ているけれど、もう破格の出来である(ライとのライブは刺身のツマのように影が薄かった)。リチャード・トンプソンとはまた違った面で素晴らしいステージを見せてくれること確実だ。

まだ関西の人たちにはチケットが残されている。8月12日(金)は梅田のビルボードライブ大阪へ、ニックへの差し入れに日本酒を用意して出かけよう。

かつて大阪で、本物の人体標本を展示する「人体の不思議展」をおこなったときテレビのCMで、

「これが最後のチャンスやで」

としきりに言っていたけれど、私はニック・ロウの来日公演についてこのセリフを使いたい。なにせニックももう62歳なのだ。これを逃したら本当にもう観れないかもしれないのだ。
私が会社を辞めると表明してから、社内の人は一様に「なぜそんなことをしたんだ?」と信じられないという顔をした。「あいつ、アホやな」と言った輩もいたらしい。それはともかく、彼らにとって会社を去るという発想は根本的に無いのだろう。

サラリーマンという立場からすれば、所属している組織を離れるというのは非常に恐ろしい行為である。私もこないだまで会社員だったからそれは肌身で感じている。

ではなぜ、サラリーマンは会社にしがみつかざるをえなくなるのか。それについては、岡野雅行(岡野工業代表社員)さんが「学校の勉強だけではメシは食えない!」(07年。こう書房)で説明してくれる。岡野さんは、大企業で働いている技術屋さんが技能オリンピックで金メダルを取ったことを例に挙げて、こう述べている。

<大手っていうのは、そうやって特化した専門的なことばっかりをやらせる。お前は研磨専門、お前は型専門、お前はマシン専門、お前はワイヤー専門。そうやって1行程ずつを専門の職人に作らさせて、最後にひとつの製品を組み立てるわけだ。だけど、ためしに1から9まで全部の工程を一人にやらせてみな。たちまちひとり立ちできる技術が身について、どんどん独立していっちゃうよ。>(P.128)

これを逆に考えてみれば、一つのことしかできない人には独立など絶対にできないのである。いわゆる「専門バカ」という状態だろう。また企業もそのようなサラリーマンばかりを生産してきたことも付け加えておきたい。

ただ組織の歯車とはいえ、技能オリンピックで金メダルを取れるほどの職人になってしまえば会社にずっとしがみつける可能性は高いだろう(会社が無くなってしまえば全てが終わりであるが)。

一番悪いのは、技術も知識も何も持っていないで、歯車としての最低限の仕事しかできない人だ。こういう輩はもう会社にしがみつくことが自己目的化しているし、もはや社外では使い物にはならない。

別に私はサラリーマンの生き方を否定したいわけではない。終身雇用や年功序列が崩壊している状況で必ずしもそうした立場が安泰ではないということを指摘したいだけだ。

ただ、自分の働いている職場が営業だろうと経理だろうと、その領域以上のことを学んだら良くないということはないだろう。これは仕事に直結しないかもしれないが、これからの人生を豊かにしてくれるはずだ。学校を出てからも私たちが学ぶ理由がこの辺にある。

先の私をアホ呼ばわりした人は、これまで職を転々として今の職場に辿り着いた。もはや50歳も過ぎているし会社にしがみつくことしか頭にないのだろう。だから私に対してそのような誹謗中傷をしたわけだ。それはそれで結構だが、こうした人であっても、様々な知識や教養を獲得することにより人間性を磨くことのできる可能性だけはまだ残されているとは思う。
原発をめぐる動きを見ていると、つくづく恐ろしいと最近感じることがある。この国では本当に困っている人のことなど何も考えていないのだ、大半の政治家も企業もマスコミも。こうした非常事態においても、彼らに見えているのは自分たちのスポンサーだけである。

海江田万里経済産業相は停止中の原発で安全が確認できた、と全国の自治体に原発の再稼働に躍起になっている。それを受けて菅直人首相も、

「私もまったく同じだ。すべての原発を停止するとは言ってない。(政府が停止要請した中部電力)浜岡(原発)は例外的で特別な事情があるが、他の安全性が確認されたものは稼働していく」

と言っている。むやみに「安全宣言」を出している民主党のバックには電力会社が組織する電気事業連合会がいる。もちろん自民党もたいして変わらない。石原伸晃幹事長など先日18日の講演で脱原発運動に対して、

「アナーキー(無政府的)で、代替エネルギーのことを考えていない」
「公安関係者から聞いたが、バックにいるのは革マル派、中核派、原水協(原水爆禁止日本協議会)。そういう人たちがいるのに普通の人が多く集まっている」

などとかなり滅茶苦茶なことを言っていた。お前らのバックにいるのは電力会社だろうが。スポンサーに媚びたいという気持ちは誰でも同じが、そのやり方はあまり卑しすぎるというしかない。

こうした人たちに対して、橋下徹大阪府知事が珍しくまともなことを言った。メディアでは、

「安全だっていうなら、大臣、経産省幹部、みんな強制的に原発周辺に住ませればいい」

という発言が取り上げられていたけれど、私が感心したのは次のものである。

「本当に電力が足りないなら、リスクを明示した上で、地元に一時的にでも納得してもらうというアプローチにしないといけない」

よほど偏った思想の持ち主でもない限り、国の産業が破壊されても生活が思い切り不便になっても原発を再稼働するのは反対!という人はそれほど多くはないのではないか。市井の人々の考えはその程度だと思う。

現実論としては、代替エネルギーを模索しながら現状をなんとかやりくりをしていくという形しか国はとらざるをえない(うまくいくかどうかは、わからないが)。首相や大臣はそれをきちんと説明して説得するよう努めるのが筋だろう。

しかしこの国のトップもその取り巻きも、ただただスポンサーに良い顔をすることしか頭にないのである。そうでなければ、ろくに手続きをとらずに「安全宣言」を発することなどするわけがない。

首相はいつ辞めるのかという議論が出ているけれど、延命することがだけが目的になってしまっている政治家はあまりに多い。そういう形に骨抜きにしたのは企業や組合なのだが、そういう構造も実に怖いといえる。
「2ちゃんねる」などの掲示板で、

「お前、ゆとりだろ」

という悪罵が飛ぶのを見かけたことがある。「ゆとり」とは「ゆとり教育を受けた世代」という意味で、頭が足りなそうなコメントに対してかけられる言葉だ。学習塾の日能研が電車の中吊り広告で展開した、

「ウッソー!?半径×半径×3」

という円周率の簡略化を始め、学校教育の内容がかなり薄っぺらになるということで「ゆとり教育」が世間に注目された。

1976(昭和51)年に生まれた私はもちろん円周率は「3.14」と教えられてきた。だからというわけでもないけれど、下の世代で出来の悪そうな人間を見つけたら「ゆとり」または「ゆとり風」と言ってバカにしていたものだ。しかし本書を読んで非常に衝撃的な事実を知った。それは「ゆとり教育」なるものが実施されたのは1981(昭和56)年にまでさかのぼるということだった。ということは1983(昭和58)年に小学校へ入った私も、すっかり「ゆとり教育」を受けていることになるではないか。

個人的には、「あの時代の人間は・・・」、などというような世代による分類の仕方はしていないつもりだが、今の20代で出来が悪いわりに生意気な奴(アイツとか、アイツとか)に対しては、「アレはゆとりだな」などと半分冗談、半分本気で言っている時がある。いや、そんなことをいってこみ上げる怒りを和らげようとしているのかもしれない。しかし自分も「ゆとり教育」の実施過程にいた世代だとしたら、下の連中をうかつにバカにできなくなってしまう。これは面白くない。

本書の「頭は必ず良くなる」というタイトルだけを見れば、学力はどのようにしたら伸びるか、というようなことが書かれた内容と思われるだろう。もちろんそうした話も出てくるけれど、日垣さんが脳科学者や長年教育現場にいた人などとの対談で構成したこの本は、「ゆとり教育」をはじめとした日本の教育政策がどのように失敗していったということが重大な話題になっているように私には読めた。

まず「ゆとり」という概念が生まれた背景を本書より紹介しよう。

<日垣 77年に全面改正された学習指導要領では、初めて「ゆとり教育」という言葉が出てきました。「受験戦争は悪であり、子どもを摩耗させる。受験戦争から子どもを救え!」という世論に押され、文部省(当時)の理論に「ゆとり」という発想が出てきたのです。77年の改正により、学校での学習内容が3割も減らされました。2002年には、学習内容がさらに3割も減った。現在では週休2日制が実施され、「総合学習(総合的な学習の時間)」という授業がスタートしています。70〜80年代に比べると、学校の授業はおよそ半分になってしまいました。例えば、中学英語では100個しか単語を覚えなくてよく、台形の面積など計算できなくても良いということになってしまった。>(P.223)

こうしてまず中学校では週4時間「ゆとり」の時間が新設され、英語の授業が週4時間から3時間となる。授業の削減はどんどん進み、20年の間に中学校の年間授業時間が1000時間(!)も少なくなってしまったのである。私が中学生だったのは89年4月から92年3月までの期間だが、この時点ではどれほど学習時間が減っていのだろうか。考えてみると嫌な話である。

学習時間や内容の細かいことを列挙するとキリがないけれど、当時の文部省の政策には、受験戦争や詰め込み教育が悪であるという考え方が根底にあった。だが「受験戦争」が子どもに悪い影響を与えているのだろうか。いやそもそも「受験戦争」なるもの自体がそもそも存在していたのだろうか。本書ではそのあたりに疑問を呈している。

<日垣 (中略)65〜75年には、文字どおり”受験戦争”がありました。ところがこの時期、実は少年犯罪が激減しています。受験戦争と少年犯罪の減少に、相関関係があると断言できません。しかし現実として、数字の上で少年犯罪は完全に減っています。>(P.214)

これを受けて精神科医の和田秀樹さんが、

<和田 60年代の中ごろから80年代の中ごろは、世界的に「子どもを自由にしよう」という機運がある時代でした。アメリカでは、「カフェテリア方式」といいまして、好きな科目だけをとって単位が足りたら卒業ができたり、校則をどんどんなくしたり、自主性を伸ばす勉強の仕方をどんどん導入していったのです。イギリスも同様です。日本で受験戦争が起こっていた時代に、欧米では逆に子どもを自由にしていた。そのときに不思議な現象が起こりました。ルールがゆるくなったのですから当然ですが、欧米で少年犯罪が増えてしまったのです。子どもの自殺率もものすごく増えました。アメリカでは15〜19歳の自殺率が、なんと3倍にも増えてしまいました。>(P.215)

皮肉な話だが、受験勉強の厳しかった時代の日本では少年犯罪が減少し、子どもを自由にさせた欧米は犯罪と自殺が激増したという歴史がある。この事実をどう受け止めたらいいのだろう。個人的には、まだ精神的に不安定な時期の子どもに何も方針を与えず野放しにして良い結果が出るというのはあまりにムシが良すぎる話だと感じる。子どもの自主性を尊ぶというならば、それを突き詰めると学校教育そのものが必要なくなるという話になってしまう。文部科学省が無くなるというなら、それはそれで結構かもしれないが。

そして、文部省がもう一つ決定的に見誤った点がある。それは、日本がアメリカの教育モデルを良いものとして手本にしてしまったことだ。宇多田ヒカルがコロンビア大学を入って中退した例など、アメリカの大学といえば「入るのは簡単で、出るのは難しい」というイメージで、日本の大学とは好対照で高いレベルの学力があると思われている。私もそう感じていたが、実際はそんな単純な話ではない。

<日垣 (中略)アメリカの大学生は毎週大量の本を読んでいるとか、入学は楽だけれども卒業は大変だということについて、日本ではすごく良いことのように受け止められてきました。しかし、実際はそういうことではありません。アメリカは初等中等教育に失敗したので、大学で大量の詰めこみをしなければならなかったのです。当時の日本は、初等中等教育で詰め込み教育をやったことによって、アメリカよりもずっと成功していました。それなのに「アメリカに学べ!」と学校教育のカリキュラムを減らし、子どもたちの思考力を奪ってしまった。>(P.236)

アメリカの初等教育の失敗は本当に酷いようで、読み書きのできない人が人口の13%もいるという。そういう国を日本は手本にしているのだ。

日垣さんは、

<人が何かを獲得するときに詰めこみなければ道は開けません>(P.222)

と指摘している。誰でもこれまで生きたことを振り返れば、自然とそういう結論が導かれるだろう。

現在の文部科学省は果たしてどのような観点で教育政策を考えているのかはわからない。ただ、あと1点だけ気になることを最後に指摘したい。92年に日本では「新学力観」というものが提唱された。簡単にいうと、点数で競争するのではなく、学習に取り組む姿勢を重要視するというものだ。これによって通知表のつけ方が変わり、たとえばテストの点数が良くても先生の話を聞いていないような生徒は評価が悪くなってしまう。教師の顔色をうかがうことも学習には重要になるわけだ。

また、文部科学省が押し進める「観点新評価」というものがある。生徒が先生からどう見られるか、友だちが多いかどうかといった側面まで重視されるという。友だちが多いかどうかといったら、私の評価は間違いなく「1」だろう(笑)。

それはともかく、こうしたものを眺めていると、文部科学省が子どもをどのように育てたいかがなんとなく見えてくる気がする。つまりは上に従順で協調性のある人間であろう。つくづく都合の良い話だと思う一方、学力や人間性などというものは簡単に作り出すことができないというのも一面の真実だろう。

日垣さんは、

<アメリカは、自分で物事を判断するのではなく、まわりの人に合わせる典型の社会だと思います。日本もアメリカ型の社会を目指しながら、なおかつ教育や子育ての中心に子どもの自立を置いてきました。現在、学校教育には子どもの歯止め効果がなくなり、家庭での躾(しつけ)の能力も落ちてしまった。確固たる自分をもたず、ものすごくわがままで、人に合わせることだけに長けた子どもが大量に生まれてしまっています。>(P.274-275)

私は子どもを持つこともないし、実のところ教育に対してそれほど関心があるわけではない。ただ、「確固たる自分をもたず、ものすごくわがままで、人に合わせることだけに長けた」人間は私の周囲にもちらほらいることを思うと、この国の将来ってどうなるのかなあと、ちょっとだけ暗澹たる気持ちにはなる。
eastern youthはツアーがあるたび必ず足を運んでいる。しかしながら今回は、新作アルバム「心ノ底二灯火トモセ」(11年)を買ったのはライブの数日前で、セブンイレブンでチケットを発券したのは当日の昼間だった。ひとまず部屋を出るまでアルバムを聴き続けて、開場1時間前の午後4時にバタバタと会場へ向かう。

行ったことのある方なら説明不要であるけれど、磔磔というのは非常に狭い会場だ。もともと酒蔵だった建物を改良したライブハウスだから、音楽を演奏するのに適した形になっていない。音響は別にいいわけでもないし、ステージは低くて後ろにいたらもうミュージシャンの姿は拝めない。

しかしながら、私はある事情があって、たとえ整理番号が1番であろうと、ライブハウスでは後方または端っこでライブを観ることに決めている。ただ今日はなんだかボヤッとしていたのか、なんとなく前から2列目あたりに陣取ってしまった。

突っ立ってビールを飲んでいるうちに午後6時を回り、ライブが始まった。会場の照明が暗くなり2階からメンバーが出てくると後ろの客がドーッと前に押し寄せてきた。しまった、やはり後ろで観るべきだった。

そうなのだ。前に集まる客というのは基本的に暴れ回る人間が多いのだ。それで私はある時期から、たとえステージがろくに観れないとしても、前方に立つのを避けるようにしたのだった。しかし今日はそれをすっかり忘れてしまった。

暴れるクズたちがどれほど酷いかといえば、2列目にいた私がライブ中盤になる頃には真ん中くらいまで押し下げられてしまった、といえば多少は理解していただけるだろうか。こんな梅雨の最中、狭いハコで大人数が暴れたらどうなるか。もう痛いわ汗まみれになるわで、ライブを楽しめるような心境にはもはやなれなかった。

だが、いったん後ろにいけばもうバタバタする必要もなく以後はゆっくりと観ることができた。どうやら会場の中央に立っている柱より後方にいる人たちは大人しく観ていて、その前方は未だに精神がガキなクズどもが暴れている、という構図となっている。もし磔磔で激しそうなライブを観る際は中央の柱を参考にしていたら良い、かもしれない。

ライブの内容については、相変わらず全力でしているなと感じたものの、さきほども書いた通りこちらの調子が最悪だったので没頭して観れるような心境ではなかった。少し遠出をして心斎橋クラブクアトロに行けばよかったかもしれない。クアトロならば広いから、暴れるクズどもに巻き込まれることも避けられるし・・・。ちなみに大阪公演は7月8日(金)である。

最後に演奏曲目を記す。メモを取る余裕もなく久しぶりに頭で覚え


【演奏曲目】
(1)ドッコイ生キテル街ノ中
(2)靴紐直して走る
(3)這いつくばったり空を飛んだり
(4)沸点36℃
(5)荒野に針路を取れ
(6)東京west
(7)踵鳴る
(8)雑踏
(9)直情バカ一代
(10)尻を端折ってひと踊り
(11)男子畢生危機一髪
(12)青すぎる空
(13)雨曝しなら濡れるがいいさ
(14)素晴らしい世界

〈アンコール1〉
(15)夜明けの歌
(16)一切合切太陽みたいに輝く

〈アンコール2〉
(17)夏の日の午後
京都に「一蘭」がやってきた
京都に「一蘭」がやってきた
相変わらず京都には新しいラーメン店が毎月どこかに開店している。しかしながら一時(だいたい10年ほど前)のラーメン・ブームのようなものは陰をひそめたような気がする。最近で話題になったことといえば「つけ麺」の登場くらいだろうか。そのつけ麺も世間では定着してしまい、それ以後は特に目立った動きもない。関東あたりから人気店がやってくることもたまにあるものの、京都で商売をするのは勝手が違うのか、早々と撤退した事例も数多い。

そんな印象の昨今のラーメン事情であるけれど、これは結構な話題になると思われるのが本日開店した「一蘭」である。

一蘭は昭和35年に福岡県で創業された豚骨ラーメン専門店だ。九州と関東を中心に30店舗を展開しており、京都は大阪に続き関西圏で2件目の出店となった。

公式サイトはこちら
http://www.ichiran.co.jp/index.html

この店は個性的なところがたくさんある。最も有名なのは、席が一人分ずつ仕切られているあの「味集中カウンター」(特許をとっているそうな)だろう。また、スープの濃さや麺のゆで加減などを事細かに書いて注文する「記入式オーダーシステム」、ラーメンを出す店員とお客が顔を合わせない店の構造など、挙げていったらキリがない。ともかく、ラーメンマニア以外の人にもよく知られている有名店なのだ。

公式サイトを覗くと、本日の10時に開店し開店前に並んだ人には先着で記念品が当たるという。することもないので、9時に自転車をこいで河原町のお店まで向かった。平日だしそんなに人もいないだろうとタカをくくっていたら、写真のような光景で少し驚いた。私の前は50人くらいはいたのではないだろうか。私も列に加わりまっていたら後ろもどんどん伸びていく。寺町通の近くまで行っていたような気もする。店に入れるまで30分くらいかかっただろうか。どうせ近いうちに行くつもりだったから、これくらい待つのは自分にとっては許容範囲である。

これほど人が来るのを考えると、安定した営業を続けていたらそれなりに成功しそう。しかし、一風堂といい一蘭といい、豚骨ラーメンは京都の人に好かれる要素を何か持っているのだろうか。それがどうにも私には不思議でならない。

ところで、店に行ってみようと思っている人に対しては、秘伝のタレ(中心に浮いている赤いタレ)とニンニクがかなり効いているので少なめにした方が良いですよ、と言いたい。「記入式オーダーシステム」を書く時に調整できるので最初はそうした方がいい、と思う。
今日は京都産業大学まで日商簿記2級の試験を受けに行った。あまり自慢できる話ではないけれど簿記2級は過去2回落ちている。いままでは過去問題をしっかり解かないなど準備不足が失敗した大きな原因だった。しかし今は無職の身で他にすることもないし、今度こそはしっかり勉強して臨もうとした。それに、働きながら勉強して受かった人も私の身近に結構いるので、そういう人にこれ以上負けられないという思いもある。

実際、今回は過去問題や模擬試験をかなりこなした。基本的な問題ならなんなく解けるレベルまでにはなった。今までにない傾向の問題が出なければ合格圏内に入れるだろう。そういう状態でこの日を迎えた。

簿記試験の内容についてはくわしく触れないけれど、今回(第128回)の問題はそれほど難しくはなかったと思う。まったく手も足も出ないようなものは出題されなかった。落ち着けば85点くらい取れた、はずだった。

しかし、である。ある問題で計算につまづいてしまい、その部分で大幅な減点となってしまった。20点を稼げるはずのところが8点しか取れなかったのだ。どんな試験でも12点の減点は相当に厳しい。

試験が終ったのは午後3時45分だったけれど、部屋に戻る頃にはすでに大原簿記専門学校などがネットで解答速報が出していた。おそるおそる自己採点をしてみたところ、

第1問:16点
第2問:20点
第3問:たぶん12点くらい
第4問:20点
第5問:8点

という結果となった。合計点は100点満点で76点くらいである。合格ラインは70点だから、書き間違いをしなければ・・・である。しかし、7月4日の合格発表まで安心できそうにない。

もし落ちたとしたら、やはり第5問の失敗が原因ということになる。この第5問だが、問題の説明文や与えられた情報をもとに素直にやれば解けていた。それができなかったのは、計算する過程を横着しようという思いがふと湧いてきたからだ。こうした横着さは、時間がなくて焦っていた部分も大きいものの、無意識に出てきてしまったものである。

緊張した場面になるとその人間の本性というのが出てくるものなのだろう。今回の件でつくづく自分の駄目さ加減を恐ろしいと感じた。しかし、それもこれも試験に受かってしまえば笑い話にしてしまえるけれど。
BONNIE PINK@100万人のキャンドル・ナイト(2011年6月8日、西梅田公園)
「夏至・冬至、夜の8時から10時の2時間、みんなでいっせいにでんきを消しましょう」

こんな呼びかけのもと、街中にたくさんのローソクをともすイベント「100万人のキャンドル・ナイト」は今年で12回目を迎えるという。大阪だけのものかと思ったら、全国の津々浦々でおこなわれている。

公式サイトはこちら。
http://www.candle-night.org/jp/

個人的にはあまり興味をひかない内容ではあるが、関連イベントの一つ「Twinkl Love Live」でBONNIE PINKが出演するというので、阪急電車に乗って大阪へ向かった。会場の西梅田公園には6時前には着いたが、開演の7時までまだ時間がある。すでにステージ前に陣取っている人が20人くらいいたけれど、地べたに座って待つのもキツい。そこで少し時間をつぶして開演20分前くらいに場所を確保した。コンクリートの地面に座るとお尻が痛い。長時間続けていると痔になりそうだ。

することもないので会場の様子を撮影してツイッターで投稿などしていると、BONNIE PINKの公式アカウントからこんな情報が飛び込んでくる。

<今夜のTwinle Love Liveスケジュール、再度発表!
19:00〜タテタカコさん/
19:40〜カジヒデキさん/
20:20〜リクオさん/
21:00〜ボニーピンクさん。です。お楽しみに!#candle_o>

うそお。BONNIEの最後は登場なの?彼女を観たらスッと帰ろうと思ったのに完全に予定が狂ってしまった。近所で酒でも飲んで9時前に会場に戻ろうかとも一瞬は思ったけれど、後ろを観るとけっこうな人が集まっている(2000人くらいはいただろうか)。これはもう、イボ痔になろうが切れ痔になろうが、BONNIEのライブが終るまで離れるわけにもいかない。そうして午後7時を迎える。

上のタイムテーブルを見て、正味の演奏時間は30分と舞台転換が10分という割り振りかなと予想をした。しかし1組目のタテタカコは40分みっちり歌ってしまった。続くカジヒデキも同様だった。失礼ながら、最初の2組はまるっきり興味がなかったので、コンクリートの上での鑑賞はなかなか辛いものがあった(特にお尻が)。さらに失礼ながら、カジヒデキは今年で44歳という年齢だが、あの短パンなどの格好はどうなんだろう、と思った。

続くリクオについては、今はなき梅田バナナホールで観たことがある(BONIIEがゲストで出たのがライブに行った理由だが)。あの時は非常に楽しいライブだったけれど、今夜も一見の観客も飲み込んでしまうステージを展開した。年間に150から200本も色々な場所(寺とか教会や公民館など)でライブをしているという経験がなせる業だろう。

この日も演奏していた”パラダイス”の動画がyou tubeに存在するので、ぜひ観ていただきたい。彼の凄さの一端を感じることができると思う。
http://www.youtube.com/watch?v=nST25qq4ImE&feature=feedf

リクオの演奏が終って午後9時15分を回ったころ、目当てのBONNIE PINKが登場する。さあ何か歌うのかと思ったら、リクオとウダウダ話し出してなかなか始まらない。2人でスタンダードの”Over The Rainbow”を共演してからも終始同じテンションでこのイベントや震災について自分の思いをグダグダと述べていた。喋らなかったらもう1曲くらいできただろう。こっちはお尻がもう限界だぜ。

奥野真哉のキーボードをバックに演奏したのは、

(1)Many Moons Ago
(2)Wildflowers
(3)ナミナミ
(4)The Sun Will Rise Again
(5)流れ星

というものだった。去年出たアルバム「Dear Diary」(10年)から3曲と、震災後に作った”The Sun Will Rise Again”という、想定内の構成ではある。ただ、”Wildflower”はけっこう久しぶりに聴いた。以前は執拗なくらいにステージで演奏していた気もするが・・・。”Heaven’s Kitchen”をやらなかったことは、評価するべきか(笑)

歌についていえば、それなりに声が出ていたかなという印象。ただキーボードだけの”ナミナミ”は少し無理があったか。こういうアレンジで演奏することはもうないと思うので貴重かもしれないけれど。内容自体は悪くなかったと思う。

しかしながら、見上げれば国道に車が走り、演奏中に救急車や消防車のサイレンが聴こえてくるという環境は果たして良いものなのだろうか。個人的にはあまり好みではないけれど、キャンドルだらけのステージと合間って不思議な空間を演出していたのは間違いない。

最後はリクオの演奏でザ・タイマーズの”デイドリーム・ドリーマー”を出演者全員で歌い終了。予定終了時間の10時を大幅に回っていた。

座り続けて約3時間半以上。もしこれから痔にでもなったら、原因は確実にこのライブである。
京都市中京区の御前三条に「こぶ志」というラーメン店があった。さまざまなタイプのラーメンが食べられる京都市においても極めて個性的な商品を出す店で、新メニューが出るたび熱心なファンがブログでそれを紹介をするなど人気店となっていた。

しかしこの2月、今の店を閉めて下京区で「拳(こぶし)ラーメン」と屋号を変えて営業再開するという話が出てくる。どうしてわざわざ「こぶ志」を「拳」などと半端な名前の変え方をするだろうと最初は怪訝に感じた。しかし京都ラーメンに関する掲示板で、雇われの立場だった店長が独立する云々の情報が書いてあったので、心機一転で頑張るためか縁起担ぎの意味で変えたのだろうとその時はそれで納得した。

はっきりとその理由がわかったのは、かつての御前三条の場所に「こぶ志」がカレーうどんの店として今月また始めるというニュースにおいてであった。情報元の某ラーメン・サイトの掲示板に書かれていた説明によれば、要するに「拳ラーメン」の店長は「こぶ志」という屋号を使う権利を持っていないということだ。名義を持っているのは経営母体の会社で、元・店長は「こぶ志」の名前でできるよう交渉したものの、それが叶わず今回の結果となったそうだ。「拳ラーメン」という名前はこうした妥協の末にできた産物といえる。

そういえば音楽界でも似たような話を見かける。アメリカのバンド、ガンズ・アンド・ローゼスはオリジナル・メンバーがアクセル・ローズただ一人だけになっていてもこのバンド名で活動をしている。日本のハウンドドッグも現在はボーカルの大友康平だけでライブをしている。バンド名の所有権を持っているからだ。一方、ガンズの元メンバー3人は03年に新たなバンド、ヴェルヴェット・リヴォルヴァーを結成してかなりの人気を得ている。ハウンドドッグにいた人たちは・・・今ひとつよくわからない。

お店にしろバンドにしろ、世間に広まった屋号(バンドにはこの表現は合わないかな?)というのは商売をするのに絶大な力となる。こうしたものを商業簿記2級の知識では「のれん」という。

国語辞典「大辞林」(三省堂)で「のれん」を調べてみると、

(1)商店で、屋号などを染め抜いて店先に掲げる布。また、部屋の入り口や仕切りにたらす短い布をもいう。

と実物の定義がまず出てくる。続いて、

(2)店の信用。店の格式。「ーにかかわる」「ーを守る」「ーを誇る老舗」

(3)営業活動から生まれる、得意先関係・仕入れ先関係・営業の秘訣・信用・名声など、無形の経済的財産。グッドウィル。

と実物から派生した概念についても記されている。

商業簿記における「のれん」は(3)の意味で使われる。企業が長いあいだ事業活動をすることにより獲得した知名度で、もっとわかりやすくいえば企業の「ブランド」のことだ。それは資産価値があるものと解釈されるが、現金や有価証券のようには目に見えるものではないので「無形固定資産」と分類される。さきのラーメン店やバンドの事例を見てみれば、「のれん」に商業的なメリットを持っていることがすんなりと理解できるに違いない。そして権利を持っている者がそれを行使することができる。

確かにブランド名の力は強い。しかし、名前だけで実体は伴っていないという場合はどうだろう。ラーメン店ならば、同じ屋号であっても作る人が違えば中身は必然的にまったく別のものでしかない。バンドにしても、ヴェルヴェット・アンダーグランドやゼムのように、主要なメンバーがいなくなっても同じ名前で続けることはある。しかしその中身といえば・・・。

本日営業を再開する新生「こぶ志」がどのような道をたどるのか、色々な意味で興味深い。

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