最近mixiを覗くたびに、画面右側に出てくるレクタングル(四角形)広告の存在が気になっていた。

その広告の上部には、

「新聞を取っていない方へ」

と書いてあり、下には、

「チラシ部! 今すぐ無料メール登録」

と書いてある。これだけでもなんとなく内容がつかめたので、先日これをクリックしてみた。

https://chirashibu.jp/CSP/CSP01/mailmagazine_entry.jsp?vos=mxjbn2s11070530

この「チラシ部」というのは名前が示す通りで、新聞の折り込みチラシのごとく近所のお店の情報がメールで送られてくるシステムである。手続きは簡単で、自分のメールと所在地を登録するだけだ。他に個人情報は一切いらない。

ただ所在地については実に細かい。

・都道府県
・市区郡
・町村大字

とここまで分類している。私の場合ならば、

京都府>上京区>花開院町(「けいかいいんちょう」と読みます)

まで選択しなければならない。

登録した翌日に早速メールでチラシが届いた。しかし載っていたのは6件だけで、伊勢丹や高島屋といった百貨店が半分ほど占めていた。まだまだ駆け出しのシステムだと感じる。それでも新聞を購読してない人間からすれば、無料なら登録しておいて損はないかな、と思ってしまう。

ふとサイトの画面の左上に、

「PRODUCED BY RECRUIT」

と書かれているのを見つける。このサイトの制作にリクルート社が色々と関わっているのだろう。しかし、新聞販売店の貴重な収入源である折り込みチラシに目をつけるとは、リクルート社も恐ろしい。それほど大きな売上げになるとも思えないけれど、求人情報なども入ってくれたら今の自分にはありがたいかも。
就職や転職情報の提供をしている毎日コミュニケーションズが、来春卒業予定の大学生に対して実施している「あなたの就職活動を漢字1文字で表すと?」というアンケートの結果を8月9日に発表した。1位になったのは「楽」(6.4%)という字で2位の「苦」(5.0%)を抜いて3年ぶりに首位に返り咲いたのだとか。

しかしながら同社が調べているように、2012年卒業予定の学生における7月の内々定率は53.0%と前年比マイナス1.5%という数字で、お世辞にも状況が良いわけではない。それなのに「楽」(「楽だった」ではなく就職活動を「楽しめた」という意味らしいが)が1位になるとは一体どういうことなのだろう。

推測するに、この調査に応じてくれた学生(文系男子179名、理系男子238名、文系女子171名、理系女子201名の合計789名)の多くは既に内定をもらっている人なのではないだろうか。この時点で就職活動を客観的に振り返って、楽しかった/苦しかったなどと言えるのは気持ちに余裕がある人しかいないだろう。そもそもまだ進路も決まっていないのに呑気に民間企業のアンケートなど参加するはずがない。大学生の就職率についても、こんなに高いかねえ、といつも思うけれど理由は一緒だろう。

いずれにしても、どうしてこんな意味のなさそうな調査を12年もおこなっているのか。それがまず不思議でならない。
8月7日の昼過ぎにお台場で起きたデモがちょっとした話題を呼んでいる。最近やたらと韓国ブームを煽っていると言われるフジテレビを抗議するため、局周辺に2500人(主催者発表)もの人が集まったという(「J-CASTニュース 」8月7日(日)19時52分配信の記事による)

単なるデモであればそれほど気にならなかったかもしれないが、彼らは「2ちゃんねる」やツイッターといったネットを通じて集まったというから、私も少なからぬ衝撃を受けたのである。

なぜそんなに驚いたのかといえば、ネットの住人は世相について好き勝手なことを言うものの、実際に団結して行動に移す人種だとは思っていなかったからである。

例えば、2001年にアメリカ「TIME」誌が「パーソン・オブ・ザ・イヤー2001」(2001年を代表する人)をインターネットで募った時に「2ちゃんねらー」が組織運動をしてオサマ・ビンラディンやジョージ・ブッシュを押しのけ「Masashi Tashiro」(田代まさし)を1位にさせてしまったことがある(男性の風呂場覗きや覚醒剤所持で彼が捕まったのも同年)。無論この投票は無効になったけれど、せいぜいネットのできる「団結」などこの程度というのが私の認識だった。

しかし今回のデモは、ネットの動きが現実行動へ働きかけられるという事実をまざまざと見せつけられたのである。

デモ参加者の中には「朝鮮人は半島に帰れ」などというお世辞にも品があるといえない発言をしていた人間もいたのは気になるところだが、今回の出来事は決して小さいものではないことは確かである。
せめてこのライブに行くまでには身辺も落ち着いているだろうと思っていたのだが、なかなかそうもいっていないのが現状だ。これから先にライブの告知があったとしても、とても行けそうにない。よって、現時点はこれが私にとって彼女の最後のライブとなっている。

しかし、この人は自分にとって節目になるような時期にはいつも現れる。大学を出てから仕事の無かった11年前、以前の会社を辞めた今年の4月、そしてこの日である。世間からみれば単なる偶然としかいえないのだが、それだけでは片付けられない部分が私にはある。かといって今日のライブに特別なにかを求めているわけでもないが、この人のライブを観て救われた気になったことが何度とあるのでそんなことを思ってしまった。

野外ライブなので一番の心配は天気だったけれど、もう暑いくらいの快晴この点は何も問題はない。会場入口の自動販売機でお茶を買って自分の席を探す。今回「プレミア席」(9000円)というのが設定されていたので選んだ。「C列」というので前から3列目かと誰もが思うだろうけど、実際は前から5列目だった。最前列と思っていたA列の前にさらに「AB列」と「AA列」が存在していたからだ。それでもずいぶん前であり、ステージから数メートルという近さなので不満はない。

開演の4時半ちかくになるとスピーカーから流れている音が大きくなる。その曲はクイーンの”WE WILL ROCK YOU”だった。そろそろ始まるのかなと思ったら、バンドから光田健一とスパム春日井が出てきて演奏を初め、それからバンドメンバーが段々と揃い出す。ステージ前で花火がバババンと鳴り、”夏が来た!”のイントロが始まって開演だ。

2曲目は先日発売された新作アルバム「Serendipity」(11年)から”ロマンティック・ボヘミアン”、新譜を出したばかりなのでここからの曲が多いかとも思ったが、実際は6曲とそれほど比率は高くなかっただろう。

複雑に気持ちになったのは”Life”が演奏された時だった。以前の日記でも書いたけれど、会場でおかしなヲタがMCの時にリクエストをしていたのがこの曲である。

http://30771.diarynote.jp/201105031534352971/

その対策のために披露したのかもしれないが、これは吉と出るか凶と出るかは半々だからだ。もしあのヲタがこれに味をしめて、◯◯を歌ってくださあい、とまた別の曲を求めてくる可能性だってある。なんなら私も、「”kick off”を歌ってくださあい。20年ほどライブを観てますが一度も聴いてませえん」と言ってやろうか(恥ずかしくて絶対にできないけれど)。しかし”life”を聴いたのはこの曲が入っているアルバム「Spirits」(96年)を出した時のツアー以来だから、15年ぶりになるだろうか。だからどうということもないが。

面白かったのは”恋したっていいじゃない”の時にギターの設楽博臣がジミ・ヘンドリックスの真似をして歯でギターを弾いていたことだ。有名な演奏法だが実際に演奏する人を観たのはこれが始めてである。それにしてもステージが近いのでバンドのメンバーなどの表情もよくわかる。サックスの竹野昌邦が終始ニコニコしながらバンドと身振りでコンタクトをとていたのが興味深かった。あれだけベテランとなるとあまり緊張などもしないのかな。

全体を通してパッと感じたのは、ライブの時間がいつもより短かったことである。2時間半くらいするのかなと思いきゃ終了したのは6時40分、2時間10分ほどだった。通常のライブでこれほど短いのは珍しい。本当にサラッと終わったという印象だった。演奏曲目もそれほど意表を突いたものがなかったこともあるかもしれないが、ともかくスーッと流れたという感じである。

会場を出る途中で私のそばにいた女性が、震災を意識したような歌詞が多かったねえ、などと話しているのを耳にした。MCでも3,11について触れていたし、そういう思いがセットリストに反映していたかもしれないが、個人的にはあまりピンとこない話であった。

これで彼女のライブの予定はなくなった。果たして自分にはまた行けるような環境を築くことができるのか。未だにそうなっていないのがもどかしい。最後に演奏曲目を記す。

【演奏曲目】
(1)夏が来た!
(2)ロマンティック・ボヘミアン
(3)すき
(4)青い鳥
(5)Life
(6)いつも笑って ちょっぴり泣いて。
(7)始まりの詩、あなたへ
(8)LOVE IS HERE
(9)SHOUT (ココロの花びら)
(10)人生はステージだ!
(11)世界中にKissの嵐を
(12)恋したっていいじゃない
(13)My Revolution
(14)サマータイムブルース

<アンコール>
(15)メロディ
(16)セレンディピティー
(17)10 years
(18)My Love Your Love(たったひとりしかいない あなたへ)

5kgという閾値

2011年8月3日
自分が必死で努力していても、周囲にはなかなか伝わらないことがある。さきほど行きつけの居酒屋に行ったら、痩せた?と訊かれて、ああやっと気づいてくれたんだなあと安堵した。

去年の夏から半年ほどで8キロも増えてしまい、さすがにこれはマズいと反省して減量に務めていたのである。しばらくは成果が出なかったけれど、最近すこしずつ体も細くなっていき、いまはピーク時よりマイナス5キロまで戻した。

しかし、2キロや3キロ減らしたくらいでは、誰も私の変化に気づかなかったという事実は興味深い。たぶん、あの人が痩せた/太った、と周囲が気づきだすのは5kgあたりなのだろうか、と仮説を立てるのも面白いかもしれない。

「閾(いき)」という概念がある。「大辞林」によれば、

〈ある刺激の出現・消失,または二つの同種刺激間の違いが感じられるか感じられないかの境目。また,その境目の刺激の強さ〉

という。わかりやすい例えをすれば、人差し指と中指をピッタリとつけて誰かを突っついている場面を想像してみよう。突っつかれた相手は、一本の指で突かれていると感じるはずだ。それを徐々に二本の指を離していくと、二本の指で指されてるんだなあ、と気づく境目が閾なのだ。

そういうわけで私の次の目標は、あと5キロ減、である。
自分で書いていても変なタイトルだと思うが、「あいつ」の本名など詳しい素性を知らないのでこう書くしかないことをお許しいただきたい。

私は某ラーメン店の常連で店長とも親しくしてもらっている。そして「あいつ」もまた店によく来る客だった。しかし店長が彼と顔見知りになっていくごとに、店におかしな出来事が起きるようになった。頼んでもいないのに宅配ピザが店に届いたことがあり、店長が「あいつ」の前で、寿司でも持ってきてくれたいいのに、などと言ったらしばらくして寿司の出前がくるということも。その時は私も犯人ではないかと一瞬だけ疑われたが。

かくいう私も「あいつ」にうっかり会社の名刺を渡したら、ある時期にいたずら電話が集中してかかる時があった。電話口の相手はいずれもラーメン店を名乗っていて、しかも「あいつ」がよく行く店ばかりだった。なんだか9割方「あいつ」の仕業だと確信はしていたけれど、電話というのはなかなか面倒なもので、非通知設定にされたら追いかけようがないのである。

もう時効(?)なのでここで言うけれど、「あいつ」はmixiをしていたので、新しく自分のIDを登録し、午前3時くらいに、

「京都府警察です。あんた、いたずら電話してるだろ」

などとメッセージを送って速攻でIDを削除してやった(笑)。その日の晩に「あいつ」はラーメン店に駆けつけ、「身に覚えがないんですよお、ないんですよお」、などと頭を抱えていたらしい。バカか。ちなみにこの時から私へのいたずら電話がピッタリと止まったことは言うまでもない。

ここまで書いただけで個人的に満足してしまっているけれど(笑)、まだ「あいつ」についての話は終わらないので続けたい。

「あいつ」は精神面(うつ病で入院した経歴もある)だけでなく行動も不安定なところがあった。ラーメン店に行くたびに仕事を辞めた/見つけたを何度も繰り返していた。主に工場内の単純作業を転々としていた。ダスキンに関係する職場にいた時は、泥棒の疑いをかけられて辞めてやった、とラーメン店で愚痴を言っていた。その数日後、ラーメン店に「お店の清掃の依頼があったんですけど」とダスキンから連絡が入ったという。なんじゃ、そりゃ。

そんな「あいつ」のその後はもっと支離滅裂な状態になり、仕事が全くなくなって、家を追い出されて公的な施設に潜り込むような生活をするようになった。その時もラーメン店にはときどき顔を出していて、店長がタダでラーメンを食べさせてやったこともあったという。あんなのに施しを与えるくらいなら東北に募金した方がよっぽどマシだと思いますがね。

そして現在、「あいつ」はなんと生活保護を受ける身分となったという。生活保護の予算が右肩上がりになっていてなかなか受けられないというのに、福祉事務所は一体どこに目をつけているのだろう。

そんな「あいつ」は先日もラーメンを食べに来て、15万円でやりくりするのは大変だ、などと店にこぼしていたらしい。なんだか世の中って変だなあと、現在収入ゼロの私は思ってしまった。

ちなみに「あいつ」は現在もmixiで近況報告をしているらしい。だが、私も「あいつ」もお互いアクセスブロックをしているので覗くことはできない。残念だなあ(?)
迷い込んでしまった魚
平安時代には物資の運搬のほか、貴族の庭園に水を引くためにも用いられ、後には農業用水や友禅染などにも用いられた堀川は、現在コンクリートに覆われた完全な人工の川と化している。2002年度には親水公園に整備する事業が進められて画像のような状態になった。

18億円かかったと言われるこの整備事業に何の意味があったのか。川の周辺を歩くたびにそんな疑問が湧いてくる。何が嫌かといえば、舗装されきった川には生き物が全く存在しないことだ。水面をアメンボが走っているくらいで、他には何もいない。

しかし昨日の昼間に堀川の周りを歩いていたら思いがけないものが目に飛び込んできた。なんと、一匹の魚が川を泳いでいたのである。細長い体型なので、アユかウグイかと思う。ここまで上ってきたとは考えにくいし、上流から流されてしまったのだろうか。いずれにせよ、こんなところに迷い込んでしまったら食べるエサも無いし、もはや生きていくこともできないのではないか。

そして、そんなおかしな場所に迷い込んでしまった魚の姿を自分と重ね合わせてしまった。もう8月か。

Twitterをしていると

2011年7月31日
佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長は日本ツイッター学会会長 兼 日本フェイスブック学会会長でもある。よって積極的にTwitterやFacebookを活用していて、8月1日に市のホームページを閉鎖してFacebookページに完全移行するという。

いちおう私はTwitterもFacebookも登録しているけれど、現実でもネットの世界でもそれほど知り合いがいるわけでもないためほとんど活用していないというのが現状だ。もともと新しい技術などに興味を持つ人間ではない。しかしながら、あまり時代に乗り遅れるのもどうかと最近は特に思うので、ひとまずTwitterは少しずつ使い始めている。といっても、政治家やタレントなどを何人かフォローした程度だが。

しかしながら、Twitterを使っていると妙な出来事がおきてくる。なぜか私をフォローしている人がときどき出てくるのだ。この無名な私が何をつぶやくかに興味があるのだろうか。

そんな暇な人がそうそういるはずがない。フォローした相手のプロフィールを見てみると、こんな感じだ。

<◯◯ですwツイッター始めました。よろしくお願いします。20歳、田舎で一人暮らし。アフィリエイトで生計を立てています。>

<リストラからの再起を計るべく、中年オヤジがもがき苦しんだ末にたどり着いたのが、ネットビジネスの世界。様々なノウハウを研究しながら有益な情報を発信しています。只今フォロワー集めに威力を発揮する無料ツールをプレゼント実施中!詳しい自己紹介もご覧になれますので是非下記のWebで。>

<福岡の大学4年生です♪テニスサークルに所属しています。最近ネットビジネスにはまってます。最近はオークションで月10万円稼ぎました。よろしくお願いしますね♪♪>

アフィリエイト、ネットビジネス、そしてオークションと、なんだかいかがわしいキーワードが目につくのは気のせいばかりではないだろう。彼らは適当な人を見つけてフォローして、つぶやきなどで自分たちの宣伝をするのが狙いだ。しかし、こんな意図が見え見えのやり方に騙されるバカがいるのだろうか。

それとも、いま私が職の無いことを知っていてこいつらはフォローしてくるのだろうか。だとしたら、ふざけるのもいい加減にしろよ。
7月22日、ノルウェーの首都オスロで爆破事件があり8人が死亡、同日はウトヤ島で銃乱射事件が発生し68人以上が亡くなった。事件の直後に32歳の男性が逮捕されたが、彼の処遇をめぐって国内では議論が起きている。

ノルウェーにおいて死刑制度は1979年に全廃されている。どんな重たい罪であっても最大で禁錮21年となっているのだ。多くの犠牲者が出た事件のため、国内では死刑制度の復活や無期刑の導入を呼びかけている人も出てきているという。

時事通信7月25日に配信した記事によれば、93人が犠牲になって禁錮が21年となると、1人の殺害につき刑期はたったの82日しかないことになるのだ。なんだかよくわからないまま実刑をくらったホリエモンですら2年6ヶ月も服役しなければならないのに。私自身は死刑制度に対して、人間の作った制度に完璧なものなどないので誤った運用する可能性がある、という考えのもと「慎重派」という立場であるけれど、それでもこの罪は軽すぎるなあと素朴に感じてしまう。

そこでノルウェー司法当局は26日、容疑者を「人道に対する罪」で起訴する方向であると明らかにした。 それを聞いてオッと思い、今日の日記ではそれについて触れることにした。

「人道に対する罪」(crimes against humanity)という言葉は法律を勉強した人くらいした聞いたことがないかと思う。この概念ができたのは第二次世界大戦後の連合国による国際軍事裁判「ニュルンベルク裁判」までさかのぼる。これはドイツが起こした未曾有の戦争責任、具体的にはホロコースト(ナチスによるユダヤ人大虐殺)を裁くために初めて出てきた。仲正昌樹(金沢大学法学類教授)さんの著書「日本とドイツ 二つの戦後思想」(05年。光文社新書)にこの点について解説されている。

<これは、政治的、人種的、宗教的な理由から特定の人々に対する絶滅、奴隷化、追放などの「非人間的行為」を計画的に実行したことを、国際法上の罪と見做す考え方である。>(P.27)

ニュルンベルク裁判をおこなっていた時点ではすでにナチスの主な指導者(ヒトラー、ヒムラー、ゲッペルス)はことごとく自殺していたけれど、例えばアウシュヴィッツのガス室の責任者であったアドルフ・アイヒマンは死刑判決を受けている。

しかしながら今回のテロについては確かに多大な犠牲者を出した大事件であるものの、ホロコーストなど戦争犯罪に出てくる「人道に対する罪」が持ち出されるのはなんだかそぐわないなあと、第三者から見て違和感を覚えてしまう。

それにこの「人道に対する罪」が晴れて適用されたとしても、禁錮期間が30年になる程度にすぎない。この事件の判決結果はノルウェー国内外に大きな議論を巻き起こすに違いないけれど、法律というのはなかなか現実に即すことができないものだとつくづく感じた一件である。
京都在住のミュージシャンであるレイ・ハラカミが7月27日に脳出血のため急逝した。享年40歳である。

彼が作っていた音楽はテクノとかエレクトロニカとかいったジャンルに括られるもので、個人的にはほとんど食指の動かぬ分野である。しかしながら彼の音楽にはなんとなく日本的というか叙情的なものがあり、私のような人間でも親しみを感じる部分がある。矢野顕子とのユニット「yanokami」の音も魅力的だった。といってもまともに彼の音楽をyou tubeで聴いたのは訃報に接してからのことだが。そうでなければ、一生縁のない音楽だったかもしれない。

最初は「追悼」を日記のタイトルにしようと思ったけれど、にわかファンにもならない私がそういう表現を使うのも何かおかしいと感じたのでやめにした。

それにしてもレイは27日の午後4時にtwitterでつぶやいていて、その日の午後7時ごろに亡くなってしまったのだから文字通り「急逝」である。彼自身は過去や未来について考えたり、生きることや死ぬことについてあれこれ考える時間も与えられないまま突然この世を去ってしまった。まさに一瞬の夢のような出来事だったに違いない。

一方、この世に残された親族や友人、ファンの悲しみや喪失感は計り知れないものがあるだろう。

最後にyou tubeで見つけた曲を1つ紹介する。興味をもった方は、まだ色々と曲があるので調べてみてほしい。
rei harakami -”nijizou(にじぞう)”
http://www.youtube.com/watch?v=xH6wEzLZ5S0
現在の転職市場は様変わりしており、ネットを介して便利なサービスを色々と提供している。その一つが「スカウト」だ。「リクルートエージェンシー」や「デューダ」といった転職サイトに自分の学歴や職歴などの情報を掲載しておくと、それを見た企業の採用担当者が関心をもった場合に「うちに応募してみませんか?」というメールが送られてくる。サイトを介してやり取りするので個人情報が漏れるようなことはない。

自分のような変わった経歴の人間にスカウトなどくるはずがない。そう確信はしていたものの、何もしないよりはしておいた方がいいかなと思い登録をしてみた。すると先日デューダから、

「DODAスカウトサービスからのお知らせ 」

という件名のメールが届く。一体どんな企業からメールがきたんだと専用サイトに行って確認すると、

<【未経験からでも安心して働ける営業職】◎12時出社で残業ナシ!◎月収100万円も可能!◎朝日新聞のグループ会社で企業基盤も安定!>

送り元は「株式会社朝日サポートセンター」といって、朝日新聞社の子会社だった。新聞セールスの販売員の募集である。

私が新聞業界で働いているという経歴を見た会社の採用担当がメールを送ってきたのだろう。しかしせっかくの申し出だが、新聞業界に戻るという選択肢は私の中には全くない。

それにしても、自分にはこういうところしか声がかからないのだろうか。情けなくって涙が出てくらあ。
7月23日にイギリスの歌手、エイミー・ワインハウスが自宅で亡くなった。まだ27歳の若さで、死因は薬物の過剰摂取とみられている。

と書いておきながら、この人の音楽をまともに聴いたことはこれまでなかった。奇行の多い人、という噂が耳に入っていたのでなんとなく遠ざかっていたのだと思う。だから,彼女についてあれこれ書く材料は私の中にはない。

しかし、ミュージシャンにとって27歳というのは鬼門なのだろうか。ロバート・ジョンソンからジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、カート・コバーンと、この歳で亡くなった伝説的ミュージシャンは多い。そしてエイミーのその中に加わってしまったわけだ。尾崎豊は享年26歳である。

こういう訃報に接したら悲しむのが当然ではあるものの、おかしなファン心理というのがあるもので、老いて醜い姿を晒すくらいなら輝いている時に死んでもらったほうが良い、などと考える輩も出てくる。例えばザ・キュアーのロバート・スミスは、デヴィッド・ボウイはアルバム「ロウ」(77年)が出た後に死んでしまえばよかった、などと言っていたらしい。自分も同じことを言われているかもしれないのに。

「Don’t Trust Over Thirty」(30歳を過ぎた連中は信じない)というのは、自分がその年齢に達することを念頭においていない発言である。調べてみるとこれは70年代のヒッピー文化の時に生まれた言葉らしい。なるほど、どうりで青臭いわけだ。

彼らの言い分はいちおう理解している。美しいものがボロボロに朽ち果てていく姿を見るのは辛い。しかし、そんなことを思っている自分だって同じ運命をたどっていくのだ。

そういえば、こういう運命に抗おうとする男について書いた小説がかつてあった。谷崎潤一郎の「春琴抄」(1933年)である。といっても私は小説そのものを読んでいないので、あらすじを引用したい。少し長いけれど、これをちゃんと読んだ人も少ないと思うので紹介させてもらう。

<大阪の商家の娘春琴はまれに見る美貌であったが、八歳の時失明し、以後琴の世界に生き、十五歳で春松検校門下の随一となった。その春琴には、佐助という青年が仕えていた。二人の関係は異常ともいえるものだった。
佐助はひたすら春琴に身を粉にして仕えていく。春琴は一時も佐助なしではいられない。化粧から、着替え、外出するときも、佐助が春琴の手を引いていく。
一つ象徴的な場面がある。
春琴が弟子の家に呼ばれて稽古をつけるとき、用を足したくなっても目が見えない。佐助がそっと彼女の表情からそれを察し、誰にも気づかれないようにそっと手を引き厠に連れて行く。
うっかり春琴の様子に気がつかないでいたら、春琴はいきなりバチで佐助の顔を切り、さっさと立ち上がり一人で便所へ向かっていく。後から、佐助があわてて追いかけるという按配である。
万事がこんな具合だった。
ある時、一人の放蕩息子の求婚を春琴が激しくはねつけたため、ある夜何者かが春琴の寝室に忍び込み、その美しい顔に熱湯を浴びせて逃げるという事件が起こった。
春琴の叫び声を聞きつけた佐助は、暗闇の中を両手で隠してうずくまっている春琴を見つけた。
春琴の顔はひどい火傷のため、包帯をぐるぐる巻き付けてある。彼女はその包帯を取る日をおびえた。佐助だけにはその顔を見られたくない。
佐助は春琴のそんな気持ちをくみ取り、一人鏡台の前に座り、鏡で自分の目を見ながら針で両目を一つずつつぶしていく。
これが「春琴抄」の世界だが、まさに谷崎文学の美の極致ではないだろうか。佐助にとって春琴はひたすら気高く、自分には手の届かない存在でなければならない。だからこそ、春琴は佐助に甘えたり、優しい言葉をかけてはならないのだ。ただの男女と成り下がるとき、この恋は終わる。お互い愛し、やがて、飽き、別れるだけではないか。
だが、佐助がどれほど春琴に恋い焦がれても、やがて人間は年を取り、いつまでもその美貌を留めることができなくなる。だから、春琴はまだ若く、一番美しいときに、偶然であっても、佐助は自ら自分の目をつぶした。
だから、佐助の脳裏には永遠に美しい春琴が住み着いたのである。>(出口汪「出口汪の頭がよくなるスーパー読書術」、05年、青春出版社。P212-214)

個人的にはもう要約だけで十分です、という内容だ。しかし、自分の目をつぶしてしまうという愛情は並大抵のものではないことだけは伝わってくる。ロバート・スミスの発言にはそのような思いは一欠片も感じられないし、目や耳をつぶすような覚悟もないだろう。

私の中でも、好きなミュージシャンはずっと格好良くいてほしい、という思いはゼロではない。実際、ヴァン・モリソンやニール・ヤングやルー・リードなど、いくつになっても凄いエネルギーを出している人たちは存在する。しかし彼らは本当に奇跡的な部類であろう。多くのミュージシャンは10年も活動すれば創造力も肉体も衰えてくる。音楽活動自体を止めてしまう人だっているだろう。それに対して難癖をつけるのは簡単だが、結局それは自分に返ってくるということを多くの音楽ファンはライターは気づいていない。そういう自分はどうなのか、と言われたら返す言葉もない人がほとんどだろう。

私がよくライブに行くミュージシャンの中にも、お世辞にも順風満帆といえない人はいる。再浮上するということも無い気がする。しかしそれでももがき苦しみながら音楽活動を続けている姿から学んだりすることも少なくない。長年にわたり第一線で活躍している人よりも何倍もリアリティを感じてしまうからだ。

いやもしかしたら、こうしたミュージシャンにもう一人の自分を見ているような、そんな気になってしまうのかもしれない。若くして人生が終わってしまうというのは、やはり損だと思う。
さよなら、テレビのアナログ放送
2011年7月24日正午をもって、地上波テレビのアナログ放送が終了する。ぜひその瞬間に立ち会いたいと願っていたのだけれど、抜けられない用事が入ってしまう。無職の身に盆も正月もないのだ。

用件が終わったころ、時計はすでに12時を回っていた。確かアナログ放送が終わったら青をバックに白色の字幕スーパーが出てくる、と先日のテレビ番組で説明されていた。そして7月25日になった瞬間、画面はサンドストーム(砂嵐)に切り替わり本当にアナログ放送は終了となる(東北などの一部地域は今年度いっぱいまでは続くらしいが)

部屋に帰る途中、たまたま出会った近所のオジサンが終了の瞬間を観たという。画面が青くなって字幕が出ました?と訊いたら、砂嵐になった、とのこと。そんなバカな。急いで部屋に戻りテレビをつけてみると、やはり写真のような画面になっていた。この時は読売テレビの画面だが、朝日放送も関西テレビも構成は同じだった(字幕スーパーの形やアナウンスの声は違っていたが)

ああ、終わったんだな。長きにわたり続いたアナログテレビ放送の歴史が終わり悲しくなるかな、と思っていたら全く何も感慨がわかなかった。もうテレビをまともに観なくなってずいぶん経つ身としては、映らなくなったらといって特に不便を感じるわけでもないからだ。毎日欠かさず観ていたのは高校生までだったか。現在、目当てにしてるテレビ番組など一つもない。

そういう人間なので、いまだに私の部屋のテレビはデジタル化に対応していない。いわゆる「地デジ難民」の一人というわけだ。晴れて職を得た日にはチューナーくらい買ってもいいと思ってはいるけれど、「こんにちは、テレビのデジタル放送」と日記で書けるは果たしていつ訪れるやら、である。

「ぴあ」の休刊

2011年7月22日
先日の7月21日をもってエンタテインメント情報誌「ぴあ」(首都圏版)が休刊となった。創刊が1972年、39年の歴史が終わったことになる。

今朝の「モーニングバード」(テレビ朝日系列)でもこのことが紹介され、出演者の長島一茂ほかが、映画情報などは「ぴあ」を読んで手に入れていた、というように昔を振り返っていた。

ネット以前の時代は映画や音楽などサブカルチャーの情報源は雑誌が一番だったのが間違いない。しかし現在もそのようなことをしているのはマニアと呼ばれるような人たちだけだろう。簡単な情報はパソコンや携帯で拾える時代になってしまったことが、この「ぴあ」の休刊が如実に表している。

ぴあ株式会社のサイトでは、

【今後の展開】
そして、この度ぴあは、成熟化するデジタルネットワーク社会に相応しい情報提供のあり方を見据え、情報誌としての「ぴあ」は時代の役割を十分に全うしたと判断。ぴあがぴあとしてさらに進化していくために、2011年7月21日(木)の発行をもって同誌を休刊することを決定いたしました。今後は「ぴあ」のエンタテインメント情報をベースとしたサービスのさらなる強化を図るとともに、新たなメディア・コンテンツの開発に努めてまいります。

ぴあは、エンタテインメント領域のさらなる活性化を目指し、時代の変化に対応しながら、これからもさまざまなメディアを通じて良質なエンタテインメント情報を提供してまいります。


という声明を発表している。正直いって今後どういう展開をはかっていくのか、道筋のようなものは見えてこない。

クレジットカードは「ぴあカード」を所持し、すっかり株価の下がった株式も持っている私としては、どうなってしまうのかなあと不安な気持ちになってくる。

中村とうようの死

2011年7月21日
音楽誌「ニューミュージック・マガジン」(現「ミュージック・マガジン」)の創始者の中村とうようが亡くなった、といっても多くの人には全くピンとこない話だろう。別に詳しく紹介するような価値のある人でもないし、経歴については割愛する。

以前から独善的なことを書く人間と薄々は感じていたけれど、決定的だったのは山下達郎がアルバム「COZY」(98年)を出したころの「ミュージック・マガジン」誌上で、達郎君に比べたらヴァン・モリソンなど二流の演歌歌手並の節回しだ、などと何を意図して書いてるのかさっぱりわからない文章を見た時である。

この時点で、

「こいつはまともなライターじゃないな」

と私の中では判断してしまった。英語で作詞をするミュージシャンは三流だ、とか書いた某泡沫ライターと同様、もはや真剣に付き合っていられるレベルの人間ではないと思ってしまったのである。

しかし自殺したと聞いてしまった今は、これまでの文章も病気がさせたことなのかな、などと考えてしまう。死人を叩いても仕方の無い話だから。
他にすることがない、というわけでもないけれど会社を辞めてからブログをなるべく書くように努めている。毎日なにかを書き続けていれば、なぜかアクセス数も不思議と増えてくる。おかげで以前は1日に30件程度のアクセスが多い時には200件を超える日も出てきた。こうなると書いてる人間も不思議と、書くことがないけど今日も何か書いてみようか、などと思ってしまう。アフィリエイトなどの利益に直結するようなシステムもないのに。

そんな自分が最近のブログで少し気になっていたことがある。右上にあるアクセスカウンターだ。わざわざブログで文章を書いていてアクセス数に興味のない人はいないだろう。このブログももうすぐ10万件の大台に突入しそうというところだった。今朝見たときは99900件。昨日のアクセス数が88件とやや少なめだったので、これは明日に持ち越しかなと思っていたら夜になって覗く人の数がやたらに増えてくれて、いつの間にやら10万件を達成していた。

しかしながら、この「寺之内日記」を開設したのは02年10月12日、9年ちかく前のことだ。長い時間をかけての達成であるから凄くもなんともない、だろう。

試しに9年(3285日)で10万件のアクセス数と考えると、10万÷3285=約30(笑)。私の日記などやはりこのくらいの数字で落ち着くようだ。

それはともかく、気力が続く限り、またこの日記のサービスが続く限りは何かを載せていきたい。
出町柳へ行く途中、傘が飛ばされそうになるほど風が強くなってきた。台風6号が明日にも近畿に上陸するかもしれないという噂が流れる中、京阪電車で中之島の大阪国際会議場へ向かう。中島美嘉のライブである。本音をいえば今あまり出歩きたい心境ではないけれど6月ごろ既にチケットを取ってしまったから仕方ない。しかもチケットはオークションを利用して8000円で手に入れたものだ(定価は6800円)。

中島美嘉に関しては、昨年に大阪城ホールでデビュー10周年記念ライブを観るはずが彼女が耳の病気療養のため中止になってしまった。そういうこともあって、その続きを観ないと気持ちがおさまらないなあと思って無理やりチケットを取ったのである。席は1階真ん中の一番左端だった。ステージには幕がかかっていて、ツアー名の「THE ONLY STAR」と白っぽいネコのシルエットが映し出されている。そのネコは10分ごとくらいに少し動いていたのでスライドではなく動画だったのだろう。そして午後6時43分に明かりが消えて、仮面を被ったピエロのような人が一人で不気味なパントマイムしばらくしてから開演となる。

1曲目はなんだろうなあと思っていたら、ニュー・オーリンズで録音された”All Hands Together”だった。アラン・トゥーサンが参加しているこの曲を聴くたびドクター・ジョンの”アイコ・アイコ”を連想してしまう。これを一発目にもってかなくてもと思う一方、観客と手拍子を一緒にしたいがために選んだのかなとも思った。しかし続くは昨年10月の幻のライブで1曲目に歌われるはずだった”GLAMOROUS SKY”である。これを最初にもってくるべきだったのでは?とこの辺の意図はわからなかった。

mixiのコミュニティでも多くの人が指摘しているけれど、声の調子はかなりおかしかった。6月下旬から7月上旬の7公演を延期していたくらいなので大阪も大丈夫かと不安だったけれど、昨日(7月18日)ではアンコールもなかったという。ドクターストップも出たという噂も出ていたし、かなり無理をしての敢行だったのは間違いない。昨年に休業をし、こないだも公演中止をしていたからこれ以上は休めないということか。

それ以外では、総じていつものツアーと同じような展開だった。観客の声に答えるグダグダのMCのところでは、

「かわいい!』
「まつ毛ちょうだい!」
(女性から)「結婚して!」

と好き放題いろいろ言われているのにいちいち返事をしていた。しかし本人にしてみれば喋りが苦手なので客と応対しているほうがラクだとかつて話していた。またなにを思ったのか観客全員でウエーブを2回させられた。ウエーブをしたのは渡辺美里のライブくらいである。本編最後の”雪の華”では1コーラス目でマイクを客席に向ける。悪いな、字幕スーパーがないと私は歌えないんだよ。

ふと後ろですすり泣く声が聞こえていたので振り向くと、後ろの女性が涙ぐんでいた。涙というのはウエーブをした後でも出てくるんもんなんですか。ただ、昨年の休業について触れながら歌った”A MIRACLE FOR YOU”は気持ちがこもっている感じで、私にも胸に迫るものがあった。自分も現在はあまり良い精神状態ではないので、ふとした時にこの曲を思い出すような気がする。

アンコールのMCで震災について触れる場面があり、その時に”ALL HANDS TOGETHER”が05年に大型ハリケーン「カトリーナ」で被災したニューオリンズのために制作したチャリティ・ソングだったことを話していた。ああ、すっかりその事実を忘れていたけれど、だからこの曲を冒頭にもってきたのかなと今さら気づかされる。

終演後はステージからマイクなしで「ありがとうございました!」と最後の力を振り絞って観客にお礼をいってこの日のライブが終わる。振替公演は9月に行われるためライブはこれで一段落ということか。お疲れさま。今度はお互い(?)ベストな状態で再会できればと願う。しかし彼女はともかく、私は駄目かもしれないなあ。最後に演奏曲目を記す。

【演奏曲目】
(1)ALL HANDS TOGETHER
(2)GLAMOROUS SKY
(3)LIFE
(4)BABY BABY BABY
(5)ALWAYS
(6)一番綺麗な私を
(7)流れ星
(8)メドレー:愛している/ORION/STARS/愛してる
(9)16
(10)SONG FOR A WISH
(11)CANDY GIRL
(12)SPIRAL
(13)LONELY STAR
(14)I DON’T KNOW
(15)DANCE WITH THE DEVIL
(16)雪の華

(アンコール)
(17)Dear
(18)A MIRACLE FOR YOU

TBSが42年放送を続けてきた時代劇ドラマ「水戸黄門」を現在の第43部をもって終了すると7月15日に発表された。

「asahi.com」7月15日の記事によれば、1969(昭和44)年8月から始まった水戸黄門は79年2月5日放送の第9部最終話で視聴率43.7%を記録したり、同年8月から12月に放送した第10部の平均視聴率は37.7%となるなど、驚異的な人気を博す文字通りTBSの看板番組であった。だが40年目の08年10月20日に初めて視聴率1ケタ(9.7%)まで落ち込んでしまう。

かつて「報道のTBS」、「ドラマのTBS」と言われるほどその分野に強かった同局であるが、今ではすっかり勢いを失っているようだ。

試しに、視聴率を調べている会社「ビデオリサーチ」のサイトで今年度(4月~7月)の週間平均視聴率を調べてみた。ただし数字は関東地区のものである。
http://www.videor.co.jp/data/ratedata/top10.htm

同社ではテレビ番組を「報道」、「アニメ」、「ドラマ」などと8つの項目に分類してそれぞれの視聴率のトップ10を載せている。

「ドラマ」では開局60周年記念の冠がついた「JIN-仁-」を1位を記録した時期があるものの、他にトップ10へ入っていたのは「渡る世間は鬼ばかり」と2時間ドラマの「月曜ゴールデン」しかない。この2番組を昔から続いているものだから、新しい番組で視聴者を集めているとはいえないだろう。かの水戸黄門はさすがに一度もランキング入りしてはいなかった。「ドラマのTBS」などとはもう言える状態ではないようである。

では報道番組についてはどうか。こちらも日曜日の「サンデーモーニング」、土曜夜「情報7daysニュース」が顔を出しているくらいである。報道については、オウム真理教を批判していた坂本堤弁護士のインタビュー映像を放送直前に教団幹部に見せた「TBSビデオ問題」など深刻な不祥事が続いたおかげですっかり信用を落としたことが大きい。

それ以外のアニメ、音楽、スポーツなどの項目にいたっては、サッカーなど特別番組がランキング入りするだけである。こうしてザッと見ただけでも、TBSには「これが強みだ!」という分野は見当たらない。実際のところ放送部門は赤字であり、不動産などそれ以外の部分でなんとか利益を確保しているのが社の現状だ。

さきほど述べたTBSビデオ問題について、会社が正式にこれを認めた96年3月25日、当時の看板報道番組だった「筑紫哲也 NEWS23」のキャスターであった故・筑紫哲也氏は、

「TBSは今日、死んだに等しいと思います」

と有名な発言をした。あれから15年も経過しているけれど、TBSも新聞社と同様、既に死んでいるのに継続している「ゾンビ会社」なのだろう。もしかしたら他のテレビ局やラジオ局もそうかもしれない。

いつの間にやらアナログ放送の終了まであと1週間となってしまった。これにともない「地デジ難民」が生じるとか色々いわれはじめているけれど(私もその一人か)、たとえ無理やりにデジタル化したところで肝心のコンテンツ(番組内容)を改善することが果たしてできるのか。そんなことを考えるとテレビも新聞と同様、前世紀の遺物と化す日も遠くないような気がしてくる。

火事じゃないってば

2011年7月15日
火事じゃないってば
今日はなぜか朝の6時ごろに目が覚めた。珍しくパッと起きることができたので、朝食もさっさと済ませようと思い立つ。部屋にはいつもパンが朝食用に置いてあり、そのままマーガリンを塗って食べている。しかし今日は何を思ったのか、レンジでトーストしようと思った。オーブン機能はずっと使っていないので大丈夫かなと不安に思いながら卵を焼いていると、焦げくさい臭いとともに部屋がどんどん曇ってきた。あまりに煙が充満したため、部屋に設置されていた火災報知機が鳴り出す。鳴り出すどころか、

「火事です。火事です」

としゃべり始めたから余計に焦ってくる。火事じゃないってば。このままでは大家が起きて消防署や消防団もやってくるぞ。しかし「警報停止」というボタンを押してもしゃべりは収まらず、下に垂れているヒモを引っ張ったらようやく黙ってくれた。しかし、この処置で良かったのか?

あまり早く起きてみても、自分にとって良いことはあまりないようだ。
生まれて初めて「週刊新潮」を買いました
本日の昼間、堀川寺之内のローソンで「週刊新潮」2011年7月21日号を買った。価格は340円、この雑誌を購入したのは生まれて初めてのことである。なぜかといえば、以前いた会社が記事で取り上げられているからだ。もちろん良い話で載っているわけではない。

題名は、

「覚醒剤退職者を執行役員で採用した恐るべき京都新聞」

というものである。発端は6月29日の株主総会において、白石京大(しらいし・きょうた)氏がいきなり執行役員に就任されたことだ。京大氏はかつて日本新聞協会の会長を努めた故・白石古京(こきょう)の孫にあたる。京都新聞は白石一族が経営権を完全に掌握している同族企業だ。その御曹司の京大氏も新聞社に入社し報道カメラマン、販売局員と歴任し、そろそろ役員に就任するかと思われていた矢先の2005年2月に覚醒剤所持の件で逮捕される。懲戒解雇などの処置はなくその直前に依頼解職という形で社を去っており、そのやり方については社内でも疑問が出ていた。しかしあれから6年が経ち、京大氏はまた会社に舞い戻ってきてしまったのである。

しかし、ここまで酷い話は珍しいにしても、新聞社でおかしな経営や人事をおこなっているところは珍しくない。それはなぜか。

全国紙でも地方紙においても、新聞社というのは株式を上場していない。表向きの理由は「大株主に支配されたら公共メディアとしての中立性が損なわれる!」などと言っているけれど、その裏側では外圧を恐れることなく株主が好き勝手に密室で経営をしているわけだ。これはもう構造的な問題であろう。

無論、こうした会社では人事にケチをつけられる者など社内にはいない。もし役員がそんなこと言ったりしたらすぐ会社から放り出されるだろう。現場や労働組合から何か言われたら(これも所詮ポーズでしかない。まさか抗議で辞任なんて誰もしないよね?)、「もう『みそぎ』は済んだ!」とか「逮捕歴があるからというのは差別だ!」と苦し紛れなことを言って火消しに専念するのだろう。かつていた会社だからそのあたりのところは容易に想像がつく。

私はもはやこの会社と関係はないし、何か批判や抗議をしたいわけではない。それより、新聞というのは構造的にもう駄目なんですよ、と色々な角度から指摘したいだけだ。

ただ個人的には、こうした醜聞(スキャンダル)によって、京都新聞の販売店を回っている社員が現場で嫌なことを言われてるんじゃないかなと想像してしまう。編集でも広告でも事業でも、末端にいる人がこういうことで被害を受けるのである。役員連中がそんなこと知るよしもないだろうが。

この記事でなぜか、毎日新聞元編集委員でジャーナリストの徳岡孝夫という人がこんなコメントを出している。

<京都新聞は夏に比叡山でお化け屋敷を主催していて、学生だった僕らは”全国紙が主催するのは高校野球なのに”と冷やかしていたものです。そんな新聞社の社主の孫ですから、覚せい剤くらいやっても驚きませんよ。ただ、逮捕から6年、そろそろまたやりたくならなければいいのですが>

高校野球だろうがお化け屋敷だろうが、そんな何十年前の話はいまさらどうだっていいだろう。京都にしろ毎日にしろ、本当は潰れているはずなのに存続している「ゾンビ会社」なのだから、中にいる人のレベルも推して知るべしである。そんな空しさを感じる記事であった。

しかしこれから何年かして、果たして白石一族は京大氏を晴れて社長にさせてしまうのだろうか。その時はもっと大きな記事で週刊新潮には取り上げてもらえたらと願う。

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