BONNIE PINKが秋にアコースティックのツアーをおこなう。ファンクラブ会員のBさんからメールが送られてきたのは6月29日のことだった。そこには京都公演も含まれており、会場はなんと磔磔であった。ここはオール・スタンディングでも300人しか入らない小さな会場だ。当時の私は会社を辞めてまだ働ける状態ではなかったけれど、あまり考えずに「1枚確保しておいてください」と頼んでしまう。

7月16日にBさんから再び連絡がくる。Bさんは京都公演の2日間のうち一方はなんと外れてしまったのとのこと。彼女のライブで完売が出るということは久しくなかったので、今回のライブはプレミアムライブになるのか、と少なからぬショックを受ける。ともかくもう私の分の席は確保できたことは嬉しかった。こういうツテがなければオークションはお世話になるしかなかっただろう。しかも整理番号は「10番」である。私はつくづく幸運だった。

そして当日の午後6時20分ごろ、会場10分前くらいに会場に着いてすぐBさん、そしてBONNIEファン歴がBさんと同じくらいのMさんと合流する。Bさんは既に香川県の高松で既にライブを観ていたが、

「別に悪くはないんだけど・・・」

と微妙なことを口にしていた。今回もライブは「相変わらず」の調子なのだろうか。私も入場する前までは期待値ほぼゼロという状態ではあった。

しかしながら、いざ磔磔の中に入ると気分が一変する。ただでさえ小さな会場に椅子がズラッと敷き詰められているではないか。席数を正確に数えていないけれど、どう見ても120席くらいしかない。私が予想するよりも遥かに今夜はプレミアムなライブとなりそうだ。

しかも10番という整理番号だったため前から2列目のど真ん中に座ることができた。磔磔はステージが低いのが特徴だ。そのおかげでミュージシャンとの距離が以上に近い。またスタンディングではステージ前に柵がこしらえているのが常であるものの、それも今日は設置されてず視野もすっきりと開けている。BONNIEとは1.5mくらいの近さである。ここまで接近できたのはそれこそ02年11月4日に徳島大学でおこなわれた学園祭ライブ以来だ。なんか自分らしくなくテンションがやたらと高くなってきた。そうした心境の中でも開演である。

BONNIEの格好はロングのワンピースであった。至近距離で見る彼女は目が潤んでいて、奇麗だなあ、としばらく見とれていた。私より3歳年上だから38歳とそこそこの年齢なのだが実に可愛らしいというしかない。あわよくば今夜の衣装が薄着で肌の露出が多いものだったらもっと良かったのだが。なんだか完全にミーハーとなっているけれど、今日は特別なことが起こるかもしれない、という不思議な予感が私の頭をよぎる。

1曲目は”Ring A Bell”、そして2曲目は”A Perfect Sky”と先日に出た「Back Room」(11年)から立て続けに歌われる。こういう流れはかつてのツアーと変わりはないが、なんだか今夜の彼女は自分を引き込んでしまうような力を出していた。驚いたのが3曲目で、髪が赤かった頃の「evil and flowers」(98年)から”Hickey Hickey”が飛び出したことである。この曲は初めて聴くことができたのでテンションがさらに一段と上がってしまった。

続くも大好きな曲の一つである”So Wonderful”で、これもなんだかんだいって何年も聴いてなかった気がする(シングルで発売されたのは05年)。去年の「Dear Diary Tour」ではその前に出したアルバム「ONE」(09年)の曲を一切しなかったような人だから、過去の曲はどんどん貴重な存在になっていく一方である。

実際、今回も「Back Room」に収録されている10曲を全て演奏してしまうという具体だった。それだけを見れば「相変わらず」のライブといって良いはずだ。しかし、なぜか今日のライブは近年にないほど素晴らしく感じられたのである。アンコール最後の”Look Me In The Eyes”まで終始ステージを見とれているうちにあっという間の2時間、全16曲であった。とにかく良かった。

しかしなが、ら良かった良かったを言うだけでは感想にならない。いつもは不平不満をぶつぶつと言っていたくせに、いざこうしたライブに接するとそういう言葉しか出てこないから厄介だ(観てる側の人間って勝手なもんですねえ)。しかしそれではあんまりだし、行きたくてもチケットを取るこのできなかった方が読んでいるかもしれないので、良かったと思われる要因を列挙してみる。

・BONNIEではなく単に聴き手である私のテンションが高かっただけ
確かにテンションは高めだったが、横で観ていたMさんも、ここ数年(いつ以来?)ではかなりの出来、と珍しく褒めていたのでこれが理由でもないだろう。ちなみMさんはこの日のライブでBONNIEのライブ参加は100回目!それがこの内容だったのは良かったですねえ。

・音響が良かった
これはMさんの指摘である。といっても磔磔が別に音響の良い会場とかいうのではなく(もともと酒蔵だった建物なので根本的にライブハウスには向いていないだろう)、エンジニアの技術についてを言っている。BONNIEのライブでの音の悪さについては厳しい意見をよく耳にしたが、今回はその辺りが解決されていたようである(私はこの辺りが鈍感なのでよくわからない)。エンジニアが変わったのではとMさんは推測していた。

・バンドの編成が良かった
今回は「Back Room」に参加した鈴木正人(ベース、キーボードなど)、八ツ橋義幸(ギター)、坂田学(ドラムス)との4人編成だった。アコースティックとは言っていたけれど、エレキ・ギターもエレキ・ベースも活躍していたし、オープン・リールで多重コーラスを加えるという場面(”Paradiddle-free”の時)があったりという感じである。それはともかく、今回のバンドも通常より締まっているというか彼女との絡みも良かった気がする。

・会場の雰囲気
通常よりこじんまりとした会場だったので、アットホームというほどでもないけれど、お客は静かに観ているという感じでライブは進んでいった。去年のツアーではやたら「めっちゃかわいい!」とか終始叫んでいるイタい女性がいたけれど、今夜はそうした存在も皆無であった。そのあたりもよい方向に作用したかもしれない。

色々あげてみたけれど、これがライブの良かった一番の要因だと確信できるものは私の中では出てこない。BONNIE自身の調子がどうかというのも大事な話だろうが、アルバム全編をするところを彼女の根本が変わったとは思えない。だから、今回はたまたま良かったけれど次回のライブはまた逆戻り、ということも大いにあり得る。というかその時までに気持ちの切り替えはしておいたほうが良い。しかし個人的な問題があり本日をもってライブはしばらく行けないであろう自分にこうしたライブを見せてくれた彼女には感謝するほかない。

今度はもういつ会えるか、それはよくわからない。そんな想いをこめて最後の最後はスタンディング・オベーションを送った。しかし立ち上がっていたのは私一人だけである。なんだかイタい客になってしまったな。下に演奏曲目を記す。

【演奏曲目】
(1)Ring A Bell
(2)A Perfect Sky
(3)Hickey Hickey
(4)So Wonderful
(5)Paradiddle-free
(6)Last Kiss
(7)Present
(8)Burning Inside
(9)Grow
(10)日々草
(11)金魚
(12)The Sun Will Rise Again
(13)Heaven’s Kitchen
(14)Fish
(15)Tonight, the Night
(16)do you crash?

(アンコール)
(17)流れ星
(18)Look Me In The Eyes






BONNIE PINK「Back Room -BONNIE PINK Remakes-」(11年)
(1)Heaven’s Kitchen (from 02nd album "Heaven’s Kitchen")
(2) Ring A Bell (from 10th album "ONE")
(3)A Perfect Sky (from best album "Every Single Day -Complete BONNIE PINK(1995-2006)")
(4) Burning Inside (from 09th album "Thinking Out Loud")
(5)Paradiddle-free (from 08th album "Golden Tears")
(6) Present (from 06th album "Present")
(7) Last Kiss (from 07th album "Even So")
(8) Look Me In The Eyes (*new song)
(9) Tonight, the Night (from 06th album "Present")
(10) Do You Crash? (from 02nd album "Heaven’s Kitchen")

この作品の感想を書こう書こうと思っているうちに京都でのライブが当日に迫ってしまった。もう今日を逃せば時機を完全に逃してしまうので無理して書こうと思う。

今回出た「Back Room -BONNIE PINK Remakes-」は純粋なオリジナルの楽曲で構成された作品ではない。彼女がこれまで作った過去の楽曲を再演した「リメイク・アルバム」と言われるものである。プロデュースはここしばらく一緒にツアーをしてる鈴木正人(リトルクリーチャーズ)が担当した。

選曲についてはライブはほぼ必ず演奏される”Heaven’s Kitchen”を筆頭に、”A Perfect Sky”、”Last Kiss”、”Tonight, the Night”、”Do You Crash?”と彼女のライブの定番といっていい曲が並ぶ。その中に、渋いというか「どうしてこの曲を選曲したの?」とその理由は本人しかわからないような曲がちらほら入っているという具合だ。そして”Look Me In The Eyes”という新曲が1曲入っている。

以前の日記でも書いたけれど、私は「リメイク・アルバム」というものに特別な意味を見出せると思っていない。昔の作品を再演する以上のものはできないというのが一番の理由だ。だいたいremake(作り直す,再製する,修正する)という言葉そのものに前向きな要素が感じられないではないか。皆さん、そう思いません?

しかし出てしまったものはもう仕方ないし、ライブのチケットは買っておいて予習しないわけもいかないし、とかなり低いテンションの中でこのアルバムを買った。いつもは出荷日に手にいれているCDも今回は発売して数日後まで手に入れていなかったことも自分の心情が出ている。

このアルバムを聴くに際して、自分に課したことが1点ある。

それは、

「純然たる新作で聴く。オリジナルの楽曲との比較をするような真似はしない」

ということであった。

この3年くらいの間に好きなミュージシャンがセルフ・カバーを出すことが立て続けにあり、その内容に少なからず失望をするという経験をしたからである。ガッカリした理由はやはり、オリジナルのほうがずっと良い、という思いが頭に渦巻いたためだ。また。過去の作品との比較でその人の衰えのような部分も見えてくるのもまた辛い。そんなこともあってBONNIE PINKに対しても、そういう作品を作ってもらいたくなかったのだが、と最初はそう思った。聴く前の私の心境はそんなところである。

だが実際に作品に接してみると、私が抱いた不安はおおよそ消え去った。アレンジはアコースティックを基調とした穏やかなものであり、楽曲を滅茶苦茶にするようなことはしていない。無謀な冒険や中途半端な挑戦を排した実に手堅い仕上がりとなっている。

歌声も、以前に比べると力が落ちたなあ、というように感じることもなかった。もともと私は穏やかでシンプルなアレンジの方が彼女の歌声に合っていると思っていたのでこういう音作りは歓迎してしまう。事前の予想に反して気持ちよく全編を聴き終える。また、オリジナルの作品と比較してどうということも自分の頭には一切浮かばなかった。正直ホッとした。

それでは、自分にとって今回の「Back Room」の何が良かったのだろう。しかし突き詰めて考えてみると文章がなかなか書けないので何かとっかかりがないかと公式サイトを調べてみると、アルバムの特設ページに内田順一という人が作品の感想を載っていて、

「BONNIE PINK の"シンガーとしての" 魅力を十二分に感じることのできるアルバムだ。」

と書いているではないか。俺が言おうしようとしたことが既に出ている、と苦笑した。

リメイク・アルバム自体には基本的に何も求めてはいないが、個人的にはこのアルバムを聴いて大きな収穫が一つあった。それは、自分はこの人の声が好きなんだ、ということを再認識できたことである。そしてそれはオリジナル・アルバムを聴く時とは違う作品の接し方ができたことによりBONNIE PINKの魅力の核のようなところを改めて触れることができたのだろう。これは自分でも意外であった。

聴くまでは逡巡していたけれど、過去との比較などはせずに新しい作品として接すれば実に気持ちよく聴ける秀作である。少し前に私のように、リメイク・アルバムなんて・・・と思っている人にも安心して薦められる内容にはなっていると聴いたん人間から言いたい。

さあ、次は彼女にとって一番問題である(笑)ライブの内容はどう展開されるか。開演まであと6時間ほどである。
いまだにTwitterを有効に活用できていない気がするものの、様々なニュースのサイトというのはなかなか便利だ。興味ある記事が紹介されていたらパッとクリックしてザッと読んでみることも多い。電車に乗っている時や休憩など細切れな時間を活用できることも大きいだろう。

今朝もパソコンでTwitterを立ち上げたら、

「挫折から這い上がりチャンスをつかむための5つのステップ」

という題名が目に入り、これは俺が読むべきものだ!と直感し(笑)記事を読んでみた。「Gigazin」というサイトからの文章である。どういうサイトかはよくわからないけれど、記事では「負の感情にとらわれず、再び立ち上がる助けとなる5つのステップ」を以下の通り列挙している。

1:混乱は成功の母
2:今の状態を受け止めて客観視する
3:新たな可能性を無視しない
4:スペシャリストの力を借りる
5:再び挫折は訪れる

具体的には元の記事を参照していただくとして、
http://gigazine.net/news/20111015_quick_ways_to_deal_with_the_confusion/

私がなるほどと勉強になった部分は最後の「再び挫折は訪れる」というところである。

<挫折と復帰というのはつながっている輪のようなもので、一度挫折を乗り越えても、また次の壁が待ち受けています。そう聞くと、何度乗り越えてもキリがないのかとうんざりするかもしれません。しかし、逆に言えば、どんな困難からもいずれは立ち直ることができるということになります。混乱して目の前が真っ暗になり、視界が開けるという経験を何度も繰り返して人は成長していくのです。>(記事より引用)


生きている限り、挫折を経験しては立ち直る。という繰り返しを延々とするのは避けられないのだろう。しかし

「逆に言えば、どんな困難からもいずれは立ち直ることができる」

という指摘もまた真実なのだろう。こういうことを知っていくだけでも生きていくのは少しは楽になるのではないか。

明けない夜はない。

この文章を読んでそんなことを思った次第である。
2011年3月11日の東日本大震災を契機にこの国に生きる人は皆これまでの価値観を改めなければならない状況に置かれた。あの大津波によって想像もつかない数の人命や財産を失い、いまも多くの人が生活を立て直すこともできずに苦しんでいる。直接の被害を受けなかった人もテレビやネットで通じて被災地の姿を見て衝撃を受け、

「私たちはこれからどう生きたらいいのだろうか」

という思いに駆られたに違いない。

この本の著者の橘さんは一貫して自身を「リバタリアニズム(「自由主義」または「自由原理主義」などと言われる)」という立場から文章を書いてきた。リバタリアニズムについて要約して説明すれば、個人(国民)の自由を最大化させるためには国家の介入する部分を最小限に抑えるべきだ、というのが一番肝心なところである。この考えは国家を不要とするという面で無政府主義(アナキズム)と通じる。

国家を介入する部分を最小限に抑えるというのは、例えば社会保険や国民年金といった福祉制度もなくすべき、という意味である。そうしたものが国民ひとりひとりの自助努力でやりくりすべきだ、というのがリバタリアン(リバタリアニズムの考えを持っている人)の基本的なスタンスである。

よって、何の備えもしていない人が事故や病気で不幸な目にあって苦しんでも自己責任である、となってしまう。橘さんもそのような論理をこれまで展開してきた。しかしかの大震災以降はその思いは大きく揺らぐのであった。そのいきさつを本書から、少し長くなるが、引用する。

<私はこれまで、自由とは選択肢の数のことだと、繰り返し書いてきました。なんらかの予期せぬ不幸に見舞われたとき、選択肢のないひとほど苦境に陥ることになる。立ち直れないの痛手を被るのは、他に生きる術を持たないからだ、というように。

私はこのことを知識としては理解していましたが、しかし自分の言葉が、想像を絶するような惨状ともに、現実の出来事として、目の前に立ち現れるなどとは考えてこともありませんでした。

津波に巻き込まれたのは、海辺の町や村で、一所懸命に生きてきたごくふつうのひとたちでした。彼らの多くは高齢者で、寝たきりの病人を抱えた家も多く、津波警報を知っても避難することができなかったといいます。

被災した病院も入院患者の大半は高齢者で、原発事故の避難指示で立ち往生したのは地域に点在する老人福祉施設でした。避難所となった公民館や学校の体育館で、氷点下の夜に暖房もなく、毛布にくるまって震えているのも老人たちでした。

被災地域は高齢化する日本の縮図で、乏しい年金を分け合いながら、農業や漁業を副収入として、みなぎりぎりの生活を送っているようでした。そんな彼らが、配給されるわずかなパンや握り飯に丁重に礼をいい、恨み言ひとつこぼさずに運命を受け入れ、家族や財産やすべてのものを失ってもなおお互いに助け合い、はげまし合っていたのです。

私がこれまで書いてきたことは、この圧倒的な現実の前ではたんなる絵空事しかありませんでした。私の理屈では、避難所で不自由な生活を余儀なくされているひとたちは、「選択肢なし」の名札をつけ、匿名のままグループ分けされているだけだったからです。

大震災の後、書きかけの本を中断し、雑誌原稿を断り、連載も延期して、ただ呆然と過ごしていました。そしてあるとき、まるで天啓のように、それはやってきたのです。

私がこれまで語ってきたことが絵空事であるのなら、その絵空事を徹底して突き詰めることでしか、その先に進むことができないのではないかー。

理屈でもなく、直感ともいえませんが、この想念は稲妻のように私を襲い、魂を奪い去ってしまったのです。

それから二週間で、この本を書きました。>(本書P.206-208)

こうして完成した本書を橘さんは、

「私の人生設計論の完成形」(P.222)

と位置づけている。いままで述べてきた論考を1冊に凝縮したのがこの本というわけだ。

まず前半では我が国を襲った2つの大きな出来事、一つは今年の東日本大震災でもう一つは97年7月に東アジア・東南アジアで起きた未曾有の通貨危機(これ以降、日本国内の自殺者は現在まで毎年3万人を超えるようになる)によって
これまで多くの日本人が指向してきた「ローリスク・ハイリターンの人生設計」が崩れ出し「ハイリスク・ローリターンの人生設計」へと変化していく姿が描かれている。

私たちはこれまで4つの「神話」を当たり前という前提で人生を組み立ててきた。

・不動産神話 持ち家は賃貸より得だ
・会社神話 大きな会社に就職して定年まで勤める
・円神話 日本人なら円資産を保有するのが安心だ
・国家神話 定年後は年金で暮らせばいい

これらはある時期までは確かに通用していたものである。そして現在でもこれらを信じている人は少なくはないに違いない。しかし本書を読んでいけば、社会の変化によっていずれも根本から崩れていくさまが感じてもらえるだろう。いま私たちは旧来の人生設計を見直さなければならない局面に立たされているのだ。

そして後半ではそのために「ポスト3・11の人生設計」として橘さんからの提言がいくつか挙げられていて、金融資本の分散方法やこれからの働き方など色々と書かれている。

本書で最も興味深いのは、リバタリアンであるはずの橘さんが政府(国家)に対していくつか提言をしていることだ。なぜかそんなことをしたかといえば、

<私はこれまで、「社会を変える」ことについては意識的に言及を避けてきました。天下国家を語るひとは世の中に溢れていて、それは私の役割ではないと考えていたからです。今回、自分なりの見解を述べたのは、これが日本にとって最後の機会だからです。>(P.223)

このような悲惨な出来事の後でも変わらないとすれば、もうこの国は再び立ち上がることはないということである。そして橘さんは、増税や国債を増発する前に歳出の削減によって復興支援の財源を作りだすこと、国だけでなく地方公務員の給与を減額すること、物価水準にあわせて年金の支給額を減額すること、などを提案している。その中で最も私が目をひいたのは雇用に関することで、

・定年制を法律で禁止すること
・同一労働同一賃金の原則を法律で定めること
・そのうえで、一定額の金銭を支払うことを条件に整理解雇を認めること

と言っていることだ。巷間では「非正規雇用の社員を正社員化せよ!」という声が大きいので、これらの提言は意外に思う人も多いかもしれない。しかし今の日本の企業は正社員を無理矢理かかえこまざるをえないために人を増やすこともできず、会社も社員も苦しんでいるという側面は否定できない。会社の業績も上がらずまた非正規社員を雇用し続けられないとすれば、残った正社員にしわ寄せがくるのは必然だ。

アメリカの労働者というのは、高い給料の獲得を目指す「スペシャリスト」と、給料はずっと上がらないがそんなに忙しくもない「バックオフィス」と2つの働き方が存在する。スペシャリストが2割、バックオフィスが8割という比率だ。ちなみに少し前に日本を騒がせた「成果給」だの「能力給」といった賃金制度はスペシャリスト向けのものだった。それなのに日本の企業は営業にも人事にもそうした制度をあてはめてしまったのがそもそもの失敗である。

それはともかく、解雇規制が緩和され同一労働同一賃金が広がるようになれば、日本もアメリカのように働き方も二極化する。

<この三つの「改革」が実現すれば、日本的雇用制度は消滅し、正社員と非正規社員の「差別」もなくなります。企業は年齢にかかわらず必要な人材を労働市場から採用するでしょうから、新卒で就職に失敗した若者も、中高年の転職希望者も、いまよりずっと容易に自分に合った仕事を見つけることができるようになるはずです。

日本に流動性のある労働市場が誕生すれば、世界最悪の自殺率を引き下げる効果が期待できます。中高年にも転職の可能性があれば、年間8000人ものひとたちが自ら命をことはなくなるでしょう。

たとえ年収が下がっても、仕事さえあれば、ひとは未来に希望を持って生きていくことができるのです。>(P.216)

大学卒業後の就職も、そのまた後の転職も苦しんだ自分にとってみれば、仕事があれば希望をもって生きていける、というのはかなりの真実を含んでいると感じる。

日本の雇用制度を変えることなどできるのかと疑問を持つ方もいるだろう。当の橘さんもそこまで楽観的には考えていない。しかし本書の最後で、

<いずれにせよ、私たちは戦後的な価値観を清算して、ポスト3・11の人生を歩きはじめなくてはならないのです。>(P.223)

と締めくくられている。望む望まないにかかわらず、大震災の生き残りである我々にはその未来を生きるほかはないのだ。

本書はそんな自分にとって、ことあるごとに開く座右の書になると思われる。

ふれんち ラぁ麺

2011年10月11日
ふれんち ラぁ麺
ふれんち ラぁ麺
ふれんち ラぁ麺
先日の昼間に烏丸蛸薬師のあたりを歩いていると、20人くらいの行列が出来ているのに出くわした。列の横を見ると、

「ふれんち・ラぁ麺 ガスパール」

という看板があった。

「ああ。『ガスパール』が新しく作った店ってここなんだ」

と、ここで初めて気づいた。

「ガスパール」は京都市内でいくつか店舗を持つフランス料理の人気店である。今年の8月8日にこの「ふれんち・ラぁ麺 ガスパール」を開店した。ずっとフレンチで営業してきたところがラーメンという分野に手を出したのは不思議というか違和感をもっていたので、開店情報は知っていても行く気が起きなかった。しかしこの行列を見てがぜん興味を持ってしまった。つくづく自分は小市民だと感じる。

本日の午後5時40分ごろに店を訪れた。あの昼間の行列が頭に残っていたのでなるべく早く行こうと思ったのだ(晩の営業は午後5時30分から)。しかしながら私の前にはもう3人くらい並んでいた。開店してわずかしか経っていないにもかかわらず満員となっている。「食べログ」の感想を見ていたら、1時間ほど待った、という書き込みも見かけた。中途半端な時間に来るとかなり待たされると思われる。私は10分も待たずに入れたので幸運な部類か。

座席は15席とそれほど大きくはない。手前にカウンターが7席、奥に大きなテーブルが1台あってそこに8人が座れる。入口の扉の片隅には、

「麺屋棣鄂 (めんやていがく)」

のステッカーが貼ってあった。麺は棣鄂から仕入れているようだ。

メニューは画像で貼っているが、4種類しか商品がないにもかかわらず説明がやたらあって判断しようがない。とりあえずメニューの名前を見てなんとなく「オニオンスープ らあめん」(880円)が気になったのでそれをパッと注文する。鞄から本を取り出して読んでいたら、

「ハムのムースです。パンに付けてください」

と小さな付き出しが出てきた。このあたりはフレンチのお店という感じだ。そしてメインのラーメン、私が頼んだのはつけ麺だが、が出てきた。詳細はメニューにくわしく書いているけれど、カリカリのベーコン、温泉玉子、バゲット(フランスパン)などが入ったスープは従来のラーメン店には見られないものである。食べ終わる頃には「締めごはん」と小さなご飯(オニオンスープの場合は「牛ホホ肉のハヤシライス」)が付いてきた。いろいろ考えているなあと感心はした。

しかし実際に食べてみた感想は、

「なかなか美味しいけれど、ラーメンという感じではないなあ」

というのが正直なところである。どうしてだろうかと思いながら店を見回してみると、壁にお店のコンセプトのようなものが貼ってあった。

<ふれんち ラぁ麺とは・・・
「クオリティーの高さ」「わくわく感」「気軽さ」を
フレンチに取り入れたい・・・。そんな思いから
生まれたラーメンが、ふれんち ラぁ麺です。
こだわりとして、ラーメンの柱になる
醤油、豚骨、煮干し、こんぶをつかわずに、
フレンチの柱となる「ソースやフォン」「ピュレやスープ」を
ベースに仕上げた最後のスープまで全部
召し上がって頂きたいラぁ麺です。>

「醤油も煮干しも昆布も入ってないのか!」

この一文を読んで、遠い昔に読んだマンガ「美味しんぼ」(作・雁屋哲、画・花咲アキラ。小学館)の第38巻「ラーメン戦争」(93年)を思い出した。1冊まるまるラーメンを取り扱ったこの巻では、中華料理をアレンジしたようなラーメンがなぜ日本人にこれほど愛されているのか、ということが一つのテーマになっている。

そして本書の最後に、日本人はグルタミン酸の味をもの凄く求めている、という結論を出している。グルタミン酸はうまみ成分の一つであり、それを多く含んでいる食材が魚介類や昆布や醤油やシイタケである。化学調味料もグルタミン酸の塊だ。

これを踏まえてみると、ガスパールのメニューにグルタミン酸はあまり含まれていないことがわかる。「食べログ」では、ラーメンらしくない、というような感想も散見したけれど、味の要素からしてラーメンとはかけ離れているのだから当然といえば当然ということだろう。正当なラーメンを求めている人にはおそらく満足できないものと思われる。

その美味しんぼでも山岡や栗田が最初に作ったラーメンはグルタミン酸が多くないものだったので、最初は繁盛してもしばらくしたらお客が離れていくという結果になった。現在行列を作っているガスパールは果たしてどうなるか。なんといってもガスパールの看板があるから、しばらくあの状態は続くような気がする。

【お店の情報】
「ふれんち ラぁ麺 ガスパール」 電話075-212-1382
京都市中京区烏丸通蛸薬師下ル東側 
四条烏丸スタービルB1F
・営業時間
月、火、水、金曜 11:30〜16:00LO、17:30〜22:00LO
土、日曜 11:30〜22:00
(ただし16:00頃に麺のお湯交換のため20分ほど間が空きます)
2011年9月30日は臨時休業
木曜休み
大テーブル8席とカウンター数席 全席禁煙◎

モッシュやダイブをしたがるクズの人たちは、ライブの楽しみは人それぞれだ、などといったことをよく口にする。私は基本的に他人がどんな思想や行動をもつかは自由だという立場をとるように努めている(本音をいえば、他人がどう生きるかについてあまり関心がないからであるが)。ただし、周囲に迷惑をかけない、という条件は必要だと思う。ライブ会場における危険行為もそういうことで否定的な考えをもっているわけだ。

ただこの自分の考え方は間違っていないとは思う一方、何か強い裏付けが無いかもしれないなあという不安も持っていた。だが先日に憲法について少し勉強する機会があった時、私の意見を支持するような条文を見つけた。それは日本国憲法第12条である。

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」


この文章には「これ(自由及び権利のこと)保持しなければならない」、「これ(自由及び権利のこと)を濫用してはならない」と「ならない」で表現している通り、自由や権利について一定の縛りを加えているのだ。つまり、自由や権利は好き勝手に行使していいわけではないと明言している。

また最後には、

「公共の福祉のためにこれ(自由及び権利のこと)を利用する責任を負ふ。」

といっている。自由や権利というのは個人のエゴのためではなく「公共の福祉」、つまり社会のために利用しなければならない、ということも規定しているのだ。これは、モッシュやダイブ行為をするのは自由、などという考えと明らかに反する。

この国に暮らしているならば憲法というのは尊重しなければならない。それはロックだパンクだ反社会勢力だといった立場と関係ない話だ。

私もこの条文についてろくな理解がなかったから偉そうには言えないけれど、この条文の理念は全くその通りだと思う。横山健やクズの皆さんには理解できないかもしれないが。

ついでに補足すると、基本的人権と呼ばれるものは唯一の例外を除き公共の福祉(利益)のために定められている。その唯一の例外とは「思想・良心の自由」だ。内心の自由とも言うが、人間はどんな考えを持つかは自由と憲法には書かれている。

あいつらはクズだな、と思う分は全く自由だということだ。
かつて私は、主にパンク系のライブで起きる「ダイブ」や「モッシュ」について批判的な文章を日記で書いたことがある。

「ダイブしたら即退場」に関わるお粗末な議論
http://30771.diarynote.jp/200909202059049189/

ネット検索で「Ken Yokoyama」とか「カウントダウン・ジャパン」などといったキーワードからこの文章に引っかかる人もちらほらいるようだ。そして先日、これを読んだだれかが気分が悪くなってツイッターで、

「 なんだこれ。イライラが止まらねー。」
「ライブの楽しみ方は人それぞれってのが本質的なものだと思うのだよ。俺は。それをクズ扱いしてるこいつを俺は許せん。まぁ体制に逆らうのがパンクとも言えるけどさ。」


というつぶやきも見つけた。別に許さなくても結構ですよ、と思わず突っ込みを入れたくなったが、この人の発言で思うところがあるので書いてみたい。

さきの私の文章を飛ばし読みなどしなければ、ダイブする人間を排除せよとか抹殺せよとか言っているのではないのが理解できると思う。私はあるイベントでダイブしている人間に少し被害を受けた経験がある。だからモッシュやダイブなどをしている連中に嫌悪感を感じている。それで彼らをクズと思っているのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

私の文章に否定的な人はどうも「クズ」という表現が気に食わないようだ。モッシュやダイブをしている人間に対して失礼だ!ということなのだろう。しかしながら、

「モッシュやダイブをする自由を認めろ!」

という言い分は、

「暴力団にも人権がある!」

というような理屈と重なってしかたないのだ。カタギの人の立場からすれば、

「そりゃあ、人権はあるかもしれないけど・・・」

とその言い分を認めるのに躊躇してしまう人が大半ではないだろうか(きっぱりと「そんなもの無い!」という方が多いかもしれない)。「暴力団にも人権はある」という論理は確かに一面の真実を含んでいる。だが、反社会勢力と呼ばれる人たちを積極的に擁護できる人など世の中にはそんなにいるわけがない。

私の「クズ」表現に対して気分を害した人は、モッシュやダイブをしている連中が周囲から敬意の目で見られているとでも考えているのだろうか。そんなことはないだろう。むしろ彼らを白眼視している人の方が圧倒的だ。ライブ会場で暴れ回って周囲に迷惑をかけている輩(反社会勢力?)に対して、彼らの権利を認めよう!、などと肯定してくれる言う人なんて多いと思うか?

繰り返すが、私は別にモッシュやダイブをするなと言ってるわけではない(人の言う事を聞く連中ではないのだから無駄だと諦めてます)。ただ、今後もそういう光景に出くわしたら、

「全く救いようがねえなあ、このクズどもは・・・」

と遠くから涼しい目で見ているだけである。それだけのことだ。

いつもより早くに起きてバスや電車に乗っていると、この時間にもすでに動いている人は少なくないんだなあ、とまざまざと感じてしまう。

以前の職場にいた時は、基本的に午前9時半までに出社をすることになっていた。そしてその組織にいるうちはそれで十分であった。しかしながら、世間と照らし合わせてみればかなり遅くに働き始める部類ではないだろうか、といまさらながらに思う。

これまで人類の歴史において、いかなる権力者や億万長者も手に入れられなかったものがある。それは時間だ。例えば秦の始皇帝は晩年に不老不死を求めてあらゆるところに手を伸ばしたけれど、逆におかしな薬を飲まされて寿命を縮めたらしい。人間である限り、おそらく時間というのはどんな努力をしても買い戻したりすることはできないものである。

10代や20代の時だったらあまりピンとはこないかもしれないが、35歳にもなってくれば、

「ああ、俺はいまは人生の折り返し地点まで来てしまっているのかなあ」

などと考えたくなくても考えてしまう瞬間がときどき出てくる。もっと自分の時間を活用したいという思いは、年々強くなりこそすれ弱くなることはない。

かといって、限られた時間をやりくりするというのはなかなかできるものではないというのも事実だ。睡眠、食事、勤務など、既に習慣になってしまっているものを変えるというのは恐ろしいほど苦痛なことである。

そんなことで頭をグルグル回していると、早寝早起きをするのが一番なのではないかという結論が出てきた。これは別に睡眠時間を削るというような話ではない。人間の脳機能は夜より朝の方が活発だ、という考え方に則ったものだ。同じ1時間を使うのであれば、夜より朝のほうが有効にできるのではないか。現在このことに反論する人はおそらくいないはずだ。

じっさい早く起きてみると、妙に時間があるように感じてしまう。そういうわけでネットや本を見たり音楽を聴いたり、いろいろと自分の時間を作ることはできる。こないだは午前5時から開店している京都駅前のラーメン店「第一旭本店」(下京区)に5時半くらい行ってみたら、お客でいっぱいだった(笑)。そんな経験も早く起きてみれば可能である(別にしたくないかな?)。

繰り返すが、どんな人間でも1日を25時間にすることはできない。渡辺美里の1枚目のアルバム「eyes」(85年)のタイトル曲”eyes”で、

つらく無口にならないで
理由(わけ)もなく泣けてきても
朝は誰にも新しい
一日を用意してる

という歌詞が出てくる。この歌詞を引用した意味はたいしてないけれど(笑)、1日が24時間与えられているというのは人類に平等なものだ。ならばその限られた時間の中で私たちは自分の人生をやりくりするしかない。そういうわけで、しばらく早寝早起きに励んでみようと思う。
しかも、赤の他人から。今日とある場所で私は言われた。おそらく生まれて初めてではないだろうか。

知人からは酒の席でよく言われる(笑)。それでも、育ちが悪いなあ、とは感じてしまうけれど、今回は名前も知らない相手からである。こういうことが言える輩は、ゴロツキ、という形容しかないだろう。

こういう相手にはどう対処したらよいのか、私にはいい知恵が浮かばない。せいぜい、早く死ね、と心の中で祈るくらいしか・・・。
先日、用事があって久しぶりに朝早くからバスに乗った。堀川通を走って京都駅に向かう系統のバスである。バス停「堀川寺之内」から乗車したのが午前6時40分ごろだった。このくらいの時間でバスに乗るのは、というよりも外に出歩くことは滅多にない。

この京都駅行きのバスに乗って座席に座れた記憶は無いような気がする。今回も同じ状態で後方には中学生の男の子が10人以上で固まって席を占めていた。彼らは野球部でこれからどこかへ練習に行くようだ。途中で全員がドッと降りたらバスは一気にガラガラになった。

ああした集団は端から見ると非常に圧迫感を与えられる。彼らは別に悪いことをしているわけではないのだが、朝のまだ意識もあやふやな時間に集団がワイワイしていると、正直いってうっとうしい。

そしてそんな彼らを見ているうちに、自分の高校時代のことを思い出した。ある時クラスの担任から、学生のバスの乗車マナーが悪いと市民から苦情がきた、と教室で言われたことがある。その高校は室蘭市の片隅にあり、バスの本数もそれほど多くはない。学校が終われば皆とっとと帰りたいので、バスがやってきたら学生がドーッと詰めかける状態になっていた。そして、それが当たり前だと思っていた。

だから、子どもが怖がってバスに乗れない、などと担任が説明した時もヘラヘラ笑って聞いていたものの、いまとなって考えてみれば高校生が押し合いへし合いしている中を小さな子が乗車するのは確かに恐ろしいだろう。しかし当事者である時は周囲が全く見えてなかった。早く帰りたい。それしか頭になかったのだろう。

たぶんバスにいた野球部の子たちも、高校時代の自分と同じで、周囲からそんな目で見られているなどとは夢にも思っていないだろうな。頭は野球のことでいっぱいだろうし、周囲も自分たちしか見えていないに違いない。
大きな展覧会を2つも同時にしないでください
今年の6月25日から京都市美術館で開催されている展覧会「フェルメールからのラブレター展」が来月(10月16日)が終了となる。市中を歩いてみれば掲示板には次におこなわれる「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」のポスターをよく見かけるようになった。そのポスターには展覧会の目玉といえるゴッホの自画像が使われていて目を引いてしまう。

フェルメールはただでさえ人気の高い画家のうえ、会期終了ちかくになれば人がもっと溢れるだろう。そんなことを考え今日行ってみようと思い立ち自転車で岡崎に向かった。

平日の昼間にもかかわらず美術館の前はけっこう人が行き交っていた。入口そばにはチケットの販売ブースが設けられている。今日はそれほど人はいないけれど土日や祝日はここにも列ができるのだろう、などと思いながら1500円を出して入場券を1枚買う。そしてすぐに会場へ向かった。その時に気になったのは、私が行ったところの他にも販売ブースがあったことだ。その時は、さすがフェルメールだと人がいっぱい来るからブースも必要なのだろう、という程度しか思わなかった。

会場に入ってすぐ意表を突かれた。なんと「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」はもうすでに開催されていたのである(9月13日より)。すっかりフェルメールが終わってから始まるのかと思っていたので少々意外に感じた。それはともかくフェルメール展の方の展示室に向かうと行列ができている。列の最後尾にはプラカードを持った係の人が立っている。プラカードには「10分待ち」と表示されていた。

やれやれ、平日でも行列ができるんだったら土日はかなり悲惨な状況なんだろうな、今日来たほうが賢明だったな。

行列の中でそんなことを思いながら、手に持っている入場券をにふと見てみると、とんでもないことに気づいた。

チケットの下の方に、

「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」

とはっきり書かれているではないか。券に印刷されているのも、フェルメールの「手紙を読む青衣の女」ではなく、かのゴッホの自画像である。

あれ?

どうしてこうなったかはもはや説明するまでもない。私はゴッホの方の販売ブースに行ってしまったのだ。そしてろくにチケットを確認することもなく買ってしまったのだ(ちなみに料金は一緒。料金「だけ」は調べていたのだが・・・)。しかし、大きな展覧会が2つ同時期にあって、販売ブースも2種類できているというのは私にとっては前代未聞のことである。

事情を説明すれば払い戻しも可能だったかもしれない。ただチケット裏面の「ご注意」には、

「本券の払い戻し、再発行はできません」

とお約束がきっちりと書かれている。どのみち自分の責任でもあるし、フェルメール展の行列からそそくさと離れてゴッホの展示室へ向かった。

ただワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する印象派やポスト印象の作品83点を展示したこちらの展覧会も内容としてはそれほど遜色はないだろう。モネ、ルノワール、ドガ、クールベ、そしてゴッホが亡くなる前に書いた自画像もしっかり並んでいた。

チケットを買い間違えた自分に大してはアホーアホーと言うしかないが、ゴッホとかを観れて良かった、と言い聞かせるほかに術はない。

もはや続けてフェルメールを観る気力もなかったのですぐに会場を去ったけれど、どこかの時期で再訪しようか、今は思案中である。

9月10日におこなわれた鉢呂吉雄氏(前・経済産業省大臣)の辞任会見について、本筋と違ったところで新たな話題が出てきている。その会見の場で鉢呂氏にかなり汚い口調で質問してきた記者がいたことだ。

全ては、

http://news.livedoor.com/article/detail/5852748/

で観ることができるけれど、肝心のやり取りを以下の通り抜粋する。

所属、氏名不明「具体的にどう仰ったんですか?あなたね、国務大臣をお辞めになられる、その理由ぐらいきちんと説明しなさい」

鉢呂「私も非公式の記者の皆さんとの懇談ということでございまして、その一つひとつに定かな記憶がありませんので」

所属、氏名不明「定かな記憶がないのに辞めるんですか。定かな事だから辞めるんでしょう。きちんと説明ぐらいしなさい、最後ぐらい」

鉢呂「私は国民の皆さん、福島県の皆さんに不信の念を抱かせたこういうふうに考えて…」

所属、氏名不明「何を言って不振を抱かせたか説明しろって言ってんだよ」

この態度があまりに酷い記者に向かって、

「そんなやくざ言葉やめなさいよ。記者でしょう。品位を持って質問してくださいよ」

「恥ずかしいよ、君はどこの記者だ!」

と返したのが、フリージャーナリストの田中龍作さんである。一連のやり取りやその後の経緯は田中さんのブログにも掲載されている。

「鉢呂経産相辞任 記者クラブに言葉狩りされて」
http://tanakaryusaku.jp/2011/09/0002887

「枝野・新経産相会見 大臣官房に逃げ込んだ暴言記者」
http://tanakaryusaku.jp/2011/09/0002912

いまのところこのヤクザ風記者の所属は明らかになっていない。

世間の人はこのニュースにかなり怒りを覚えるかもしれないが、新聞業界の片隅にいた人間としてはそれほど異様には感じない。若い人たちは若い人たちでダメだが、年配の新聞社員は本当に酷い。たとえガラが悪い人でなくても、挨拶や電話も常識的な対応ができていない(自分の名前を名乗らない、とか)。また、無根拠に高い給料をもらっているので変にプライドが高いのも困ったものだ。はっきりいって、昼の光にあてられない(表に出せない)人ばかりである。

そもそも、「新聞屋」(こういった方が雰囲気が出るだろう)というのは昔はガラのいい商売ではなかった。それがいつのころから「ジャーナリズム」とか「マスメディア」といった横文字に変わったり、業績が上がって高級取りの職種になったこともあって印象が良くなったという話である。今は何も良いところがないが。

先の態度の悪い記者というのも、かつての新聞業界が生み出した20世紀の遺物である。記者クラブや会社の後ろ盾があるから偉そうにできるだけに過ぎない、ということを彼らはどれほど自覚しているのだろうか。

ちょっと個人的なことを言わせてもらうが、この時代に新聞社で働いていたという経験は世間では全く評価されない。もしリストラをされるような事態に陥ったら、自分で稼げる手段を持っていないければ、どこにも勤めることができず路頭に迷うのは確実である。

もっとも、自分には何もないことを自覚しているからこそ多くの人は傾いている会社であっても必死でしがみつこうとしているのだろう。ただ、会社があなたを定年まで雇ってくれるという保証は一切ない。最悪の事態など考えたくない気持ちはわからなくもないが、自分の人生がかかってるのだからその程度は頭を使ってほしいと願う。
Twitterで多くの人をフォローしていると、1つの事例に対して様々な角度から意見を概観できるのが大きな利点だ。多種多様な論考を見ていけばカッとならずなるべく冷静に対応することができるだろう。Twitterの仕組みを考えれば当たり前の話であるが、今回の鉢呂吉雄経済産業相の辞任に関する一連の出来事を見てそういう思いが一層強くなってきた。

鉢呂氏の辞任に関して「おおよその事実」は皆さんもマスコミの報道でご存知だと思うが、大きく分けて2点あげられている。いずれも9月8日に福島第1原発の周辺地域を視察した時の感想だ。

(1)周辺の市町村を「死の街だった」などと言った(らしい)
(2)視察後に防災服を記者にすりつけ「放射能をうつすぞ」などと言った(らしい)。

「などと」とか「らしい」とか入れたのは理由がある。鉢呂氏の発言について統一的なものが無いからだ。ちなみにこの発言は公式なものではない、非公式発言、いわゆる「オフレコ」というものである。

9月10日の夜に行われた辞任記者会見ではその発言について追求された時も、

「私も非公式の記者の皆さんとの懇談ということでございまして、その一つひとつに定かな記憶がありませんので」

などと、一貫して具体的な内容を話すことを本人は拒否し続けた。
http://news.livedoor.com/article/detail/5852748/

一言でいえば、なんだこりゃ?である。正直いって大臣の仕事内容などわからないけれど、明確な理由もないまま辞任を申し出て総理大臣がそれを受理してしまうなどという程度の軽さでいいのだろうか。

被災者でも政府関係者でもない人間から見れば鉢呂氏の一連の言動が、もしそれが事実であればの話であれば、大臣になれて舞い上がったために出たアホくさいレベルとは思うものの自分で辞めるなら仕方ないかなという認識だったろう。しかし、本人が言ったかどうかわからない発言によって辞任するなんて尋常な話でははない。

フリージャーナリストの田中龍作さんは、鉢呂氏は記者クラブの「言葉狩り」によって葬られたのではないか、と「BLOGOS」2011年09月11日00時33分配信の記事で指摘している。
http://news.livedoor.com/article/detail/5852621/

「オフレコ懇は日本の記者クラブ特有のものだ。出席できるのは、クラブ詰の記者だけである。極端な話、記者全員が一致団結して大臣のコメントを捏造することさえ可能だ。本来オフレコのはずの、それも真偽の定かでない発言が表に出てきたのが不思議である。今回、経産省記者クラブが全社一致したのか。それを知ることはできないが、発言をめぐって鉢呂氏は『定かに記憶していない』としている。」

マスコミが全く報道していない大事なことが1点ある。鉢呂氏が大臣就任後も「脱原発」を目指す考えを表明していたことだ。

こうしたことを言う大臣は一部の人たちにとって目障りな存在だったのは間違いない。記者クラブの連中が鉢呂氏をつぶしたというのは陰謀論すぎて個人的には受け入れがたいと当初は感じていた。しかし今となっては、そういう可能性もあるのかなとも思えてくる。

辞任を受理した首相は何も言わない。野党である自民党も、

「追及にも値しない。あまりにも幼稚で無神経な発言をした。追及するなんてばかばかしい」

と谷垣禎一総裁が9月11日に奈良県橿原市で記者団に発言している。これ以上立ち入る気もないという。新しい経済産業相が決まったら、今回のことは何もなかったかのようにメディアもなるのだろう。実に不気味だ。

今回の件は、マスコミは一面的な報道しかしない、というような生易しい話ではない。これは明らかに捏造である。こんなことを平気で報道する日本の新聞は滅んだ、とTwitterで断じた方がいた。私はとっくの昔に死んでいると思っているけれど、新聞社がゾンビ会社であることをさらに露呈してしまったのは確かである。
少し前の話になるが、記憶にとどめておくため書いておきたい。

9月3日に毎日放送(MBS)が開局60周年の特別番組「31.5時間ラジオ『ラジオの力』〜対話が日本を元気にする〜」を放送し、いろいろなゲストを招いて対談をさせていた。その中で内田樹さんが茂木健一郎氏と「おせっかいアハッ!ラジオ」と題して話をするということをTwitterで知って、これは面白そうだなあとradikoで聴いてみることにした。

パソコンをいじりながら聴いていたのであまり詳しいことは覚えていなけれど、これからの大阪はどうあるべきか、というようなテーマで話を進めていった。その途中「君が代」について話題が切り替わる。橋下徹知事が条例で教職員に君が代の起立斉唱を義務化したことを受けてのことであった。

その時に内田さんが展開した論はこんな感じである。自分はいま君が代が好きで大きな声で歌っているけれど、若い頃は嫌いだし歌わなかった。ただ年齢を重ねて外国を行ってみたりすると日本という国も良いところがたくさんあるなあと思うようになり、だんだんと小さな声で歌うようになっていったという。

内田さんの凄いところはここからで、昔の自分がそんな感じだったから「君が代」を歌いたくないという若者の気持ちがわかる。今は歌いたくない時期なのだから条例で強制しても仕方ないのではないか、と言ったのである。遊んでいる子どもに「なんで勉強しないの!」と怒鳴るのと同じではないか、というような例えもしていた。

たいていの人はこんなことを言わない。なぜなら、若い時の自分のことなどすっかり忘れてしまうからだ(敢えて忘れたふりをしている例もあるかもしれない)。かつての自分のことを棚に上げて若い人に無理難題を押しつけるというのはいつの時代も変わらない光景かもしれない。そういえば小林秀雄が「無常という事」という有名な短文エッセイで「上手に思い出す事は非常に難しい」という言葉を残しているけれど、大事なことというのは時間が経つとスコーンと忘れてしまうようである。

日の丸や君が代については色々と語られているけれど、この内田さんが語った話は自分の中で一番しっくりきた。しかしこのような長い目で若い人を見守っていくような視点はすぐに結果を求める世知辛い現代ではなかなか受け入れられないだろうな、とも感じた。
昨日(9月1日)、この日記にかつてない変化が突然おとずれた。私の日記における1日のアクセス数というのは120件程度しかない。しかし、この日の午後から急激に訪問する数が増え出していることに気づく。サイトを再読み込みするたびにブログ右上にあるアクセス・カウンターが5件、10件と増えているのだ。これは尋常なことではない。

利用しているブログ「Diary Note」には「アクセス解析」という機能がついていて、どこかのサイトに日記がリンクされてそこから飛んできた場合、そのリンク元が表示されるようになっている。

やたらとアクセス数が増えるというのは絶対に何か理由があるはずだ。そう思って「アクセス解析」のところを確認したら、なんと「Yahoo!ニュース」から日記から飛んできているではないか。

リンク元はこちら。
http://backnumber.dailynews.yahoo.co.jp/?m=6138478&c=local

記事は「渋谷C.C.Lemonホールが「渋谷公会堂」に−ネーミングライツ終了で /東京」という見出しである。かつてライブの殿堂であった渋谷公会堂は、2006年10月1日よりサントリーがネーミング・ライツ(命名権)を4億円で獲得したことにより「渋谷C.C.Lemonホール」という名前に変更していた。しかしその期限である5年間が終了するため、ふたたび渋谷公会堂という名前に会場名が戻ることになる。そういうニュースであった。

そしてこの記事に関連して「名称変更時の意見」の一つに、私が5年前に書いた日記がリンクされていたわけだ。

「2006年10月1日、『渋谷公会堂』が消える日」(2006年9月24日に掲載)
http://30771.diarynote.jp/200609282231530000/

見てのとおりたいしたことを書いたわけでもないけれど、このニュースはYahooのトップ・ページに載っていたおかげで、そこからたどってくる人はずっと止まらない。

「このままいくと今日のアクセス数はどうなるかなあ」

と思いながら布団に入った。この日記ではアクセス数は翌朝くらいにならないと表示されないようになっている。一夜あけてすぐパソコンを立ち上げて確認したら、目を疑うような数字になっていた。

なんと、

2899件

である。1日でこのような数字を記録することはもう私の日記からは出てこないだろう。それにしても、Yahooを見ている人がいかに多いかをつくづく思い知らされた。

だが、無料で日記を利用してこんなことを書くのもどうかと思うが、この日記はアフィリエイト機能のようなものも設定されてないし、アクセス数が増えたからといって私に何か報酬などが発生することもありえない。9月1日はたくさんの人にご来場いただきました。それだけのことである。

また、リンク元からなんとなく訪れた人ばかりであるから、この日記自体に興味をもってくれる方も皆無といっていいだろう。余談だが、Twitterで私をフォローする人も今日は1人しかいなかった。

数日後にはアクセス数も以前の水準に落ち着くに違いない。まもなく関西にも台風が上陸しそうだが、私の日記にも瞬間風速で小さな台風が巻き起こったようだ。

mixiのこれからは

2011年9月1日
この8月31日に株式会社mixiが「mixiページ」という新しいサービスを提供した。それに対して多くの意見がネットに飛び交っていて、その大半は否定的なものである。

私はmixiページの機能についてそれほど詳しく調べてわけではないけれど、マイミクの方が紹介してくれた「Impress Watch 」8月31日(水)16時0分配信の記事「ソーシャルページが作成できる「mixiページ」、ネット全体公開も」を読んでだいたい理解することができた。

そこではmixiページが「ミクシィ版の『Facebookページ』」と表現され、「Twitter連携」だの「同ページをフォローするユーザーとコミュニケーションが図れる」だのとTwitterとの関連も挙げられている。これはどうみてもFacebookやTwitterに迎合しているという印象しか受けない。これは一体どうなっているのだろう。

さらに、mixiがmixiらしさを失っているのはこれだけではない。記事から引き続き引用する。

<(mixiページは)これまでのmixi上のコンテンツと異なり、任意でインターネット上に公開できるのも特徴。ネットに公開することで検索エンジンにもヒットし、mixiのアカウントを持っていない人にも情報を届けられる。>

これまでのmixiはYahooやGoogleのような検索エンジンには引っかからないようにできていた。しかし一部とはいえ、そうした機能もなくしてしまうというわけだ。端から見れば、いままで閉じたコミュニティだったmixiに風穴が開くような印象を抱く方がいるかもしれない。しかし私はむしろmixiの魅力を失うだけだと考える。

世界的に見ればSNSは原則実名のFacebookが主流であって、日本ではかなり盛り上がってるように見えるTwitterはそれほど普及していない。この理由はいろいろな観点から分析できるかもしれないが、日本人というのはムラ社会というか閉じた共同体を求めてる国民性が根底にあるのではないかなと感じてしまう。そして、そう考えるとmixiが普及した理由もそうした閉じられた部分にあったのではと推測してしまう。だがmixiはそういった魅力とも言える部分を悪い方向に変えてしまったのである、しかも自分自身の手で。

それにしてもmixiはなぜここまで自社の独自性を放棄してしまったのか、その理由がいま一つわからない。TwitterやFacebookが日本にも普及するにつれて、広告収入が向こうに流れていっているのに危機感を抱いているのだろうか。それでも今回の改革はあまり長期的な視野にたったものではないように見えるが。

【参考記事】
Impress Watch 」8月31日(水)16時0分配信
「ソーシャルページが作成できる「mixiページ」、ネット全体公開も」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110831-00000042-impress-inet
島田紳助の芸能界引退に絡んで暴力団に関する内容がニュースで取りあげられている。ネットで過去の記事をいろいろとたどってみると、近年は警察庁をはじめ都道府県の自治体も暴力団対策にかなりの力を入れているようだ。昨年4月に福岡県から始まった「暴力団排除条例」では、暴力団とみなされた人は例えば銀行口座が開けなかったり、事務所(自宅)を借りることがでなくなるなどの処置がとられる。つまり暴力団を人間と見なさないというわけだ。

「現代ビジネス」が2011年1月13日に配信した「警察庁『山口組壊滅作戦』で地下に潜りマフィア化する暴力団の恐怖 安藤隆春警察庁長官への期待と不安」(執筆はジャーナリストの伊藤博敏氏)という記事で、今年の1月6日に警察庁の安藤隆春長官が記者会見でこう述べたことが紹介されている。

「今年は暴力団対策が最重要課題だと位置づけている」
「さらに暴力団対策を進めることで、日本の治安の風景を変える覚悟でやりたい」

暴力団を取り巻く状況を見ていると、安藤長官の年頭の発言はかなり本気度の高いものといえよう。多くの一般市民にとってはこうしたことは無条件に大歓迎するかもしれない。しかし個人的には警察などのやり方には不安がつきまとう。

例えば私たちがなんとなく怖がってしまう団体に「右翼」という人たちがいるけれど、おそらく日本で最も知名度の高い右翼である鈴木邦夫(一水会顧問)さんは著書「愛国者は信用できるか」(06年。講談社現代新書)でこう説明している。

<天皇制を批判したら、すぐに右翼が攻撃してくると思っている人が多いが、そんなことはない。論文や評論に対して抗議することはない。それは「言論の自由」だと思っている。そのくらいは、わきまえている。戦前のように、学者のアラ探しをして攻撃するようなことはない。>(P145)

暴力団にしてもそれは同様だ。端的にいえば、彼らの利益を侵害するような行為をしない限りはむやみに手を出してくることはない。

私は暴力団を擁護するような立場ではない。ただ、今回の暴力団排除条例や警察の努力によって彼らに打撃を与え弱体化したとしても、その結果市民が安心して暮らせる平和な社会が実現する可能性は限りなく低いと感じているだけである。いや、下手をしたらもっとややこしい社会ができてしまうかもしれないとすら思っている。

暴力団とも関係が深い話になるが、消費者金融という職業もグレーゾーンの撤廃などによってすっかり弱体化している。高い金利とキツい取り立てが批判を浴びた結果であるが、しかしそれはかなり一面的な見方と言わざるをえない。なぜ消費者金融の金利が高いかといえば、貸した金が戻ってこない可能性が高いためその分を上乗せしているだけだ。そもそも貸金業というのは原則的に借りたい人間がいるから成り立つ商売であり、業者を排除したからといってその需要が減るわけでもない。消費者金融から借りることができなくなった人は、代わってもっとヤバくて高金利な違法の闇金融業者に流れていくだけである。これは完全に法改正以前よりも事態が悪くなったとしかいえない。

同じことが今回の暴力団対策に対してもいえるのではなかろうか。さきの現代ビジネスの記事にはこのような予測も書かれている。

<「山口組壊滅作戦」を進めれば、弘道会=山口組は地下に潜って先鋭化、愛想のいい隣人、行きつけのパン屋、宅配の運転手、といった普通の人が、水面下で非合法活動をしている時代になるかも知れない。>

消費者金融の流れを見てみれば、暴力団対策によって闇の勢力が無くなっていくなどとは私には到底思えない。それはこの世界から戦争や飢えがなくなるということくらい夢物語な気がするのだが、いかがだろう。

【参考文献】
伊藤博敏「警察庁『山口組壊滅作戦』で地下に潜りマフィア化する暴力団の恐怖
安藤隆春警察庁長官への期待と不安』
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1894

昨夜の午後10時、島田紳助がいきなり記者会見を開き芸能界からの引退を表明した。所属事務所の吉本興行が発表した文書ではその理由を以下のように書いている。

<弊社の調査によれば、島田紳助について、平成17年6月頃から平成19年6月頃までの間、暴力団関係者との間に一定の親密さを伺わせる携帯メールのやり取りを行っていたことが判明いたしました。このような行為は、社会的影響力の高いテレビ等のメディアに出演しているタレントとしては、その理由を問わず、許されないものであります。 >

これを見てすんなりと、なるほどなるほど、と紳助の引退を納得できる人がどれだけいるのだろう。さきほど私は「いきなり」と書いたが、やはり時期的なことが一番おかしい。なぜ6年ほど前の話をこの時期に持ち出し、しかも午後10時に記者会見を開かなければならないのだろう。もっと周到な準備をすることができるのではなかったのか。

ネットでは色々な憶測が飛び交っている。例えばツイッターでこういうものが目についた。

<紳助スキャンダル。それも24時間テレビが終わったタイミング。さぁ、これで当分お茶の間は紳助一色。これが情報のコントロール。そんで前原は知らない間に首相になる。>

今回の件はもっと他の大きな情報を目立たなくされるための操作であるという考えだが、果たして政界と芸能界が一致団結して芝居を打たなければならないような出来事があるのだろうか。なんだか不気味だ。

紳助の引退会見によって本来より目立たなくなったニュースに注視した方が良いかもしれない。
前の職場で一緒だった方から、Kさんが7月10日に93歳で亡くなりました、という旨のメールが届く。Kさんは会社のOBで、会社の株式も持っていて株主総会にもいつも顔を出していたらしい。彼はある目的で私のいた職場にもときどき顔を出していた。

私は以前の会社の大半を新聞社が主催する事業(イベント)に関わる職場にいた。テレビ局や新聞社はスポーツや展覧会など色々なイベントをおこなっている。そしてその招待券も当該部署にいけば置いてある場合が多い。しかしそれはもちろん社内の人や取引先、広告主に渡すためのものである。

Kさんはそうした招待券を目当てに職場に来ていたのだ。展覧会の招待券はまだ枚数はそこそこあるとしても、社外にほとんど出していない映画試写会の招待券までもらって行った。現在会社にいる人でKさんが現役の時を知っている社員などほとんどいない(編集にいたらしいが)。面識のある人が誰もいないのに堂々ともらっていく姿を見ていると、ずいぶん図太い神経をしているんだなと感じたものだ。

そんなKさんの姿を見ていた当時の上司が、

「辞めてからも会社に来るなんて、ずいぶんいい思いをしてきたんやろうなあ。俺だったらもう二度と来ないで」

などと言っていたらしい。全く同感である。例えば大学時代にいた同志社大学の図書館やラウンジはよく利用するものの、在籍してた心理学実験室などには近寄る気は一切おきない(良い思い出が一つもないからね)。職場については、挨拶したい人もいるし一回くらいは訪れるかもしれないが。

それにしても招待券というのは、職場にいた時はそこらに転がっていたのでたいして価値などないと思っていたけれど、そこから離れてしまったとたん入手が困難になってしまう。時おり知り合いから券を頼まれることもあるけれど、広告営業に異動して渡すこともできなくなった時は、

「お前、異動して何も取り柄がなくなったな」

などと冷たく言われたこともある。ううう。確かに営業部で提供できるサービスなんて何ひとつ無い・・・。しかしKさんのような図太さを大半の人は持っていないから、職場を離れた社員は券をもらいに行くどころかそもそも職場にも足を踏み入れない。良い思い出が無かったんだな(笑)

そういえばKさん以外にも招待券をもらいたがっていた人間がいたのを思い出した。そいつは携帯でかつての上司に連絡して招待券を送ってもらっていた。それについては目をつぶるとしても(つぶりたくないが)、会社の郵便で券を送るという行為は明らかにおかしい。かつての後輩もメールを通じてそいつに券を催促されたことあり(図々しいですねえ)、わけもわからないまま郵送費を自腹で送ったと聞いたことがある。しかしそれが常識的な対応だろう。私だったら送りもしないけどね。

それはともかく、新聞で展覧会の情報を見つけるたびに職場にきたであろう笠井さん、本当にお疲れさまでした。せいぜい私はあなたのような人間にだけはならないとこの場で誓わせていただきます。
「産経新聞」 8月14日(日)2時11分配信の記事で、

「地デジ化余波でテレビ塔収入激減 名古屋など存続危機」

という見出しを見つけたので読んでみた。この時に初めて知ったが、東京タワーや名古屋テレビ塔などの「電波塔」というのはアナログ電波を送ることによる関連収入によって運営されている。しかしこのたびのデジタル化によって大幅に収入が下がってしまう。例えば国内初のテレビ塔である名古屋テレビ塔の場合、テレビ局が支払っていた年間約8千万円の放送機器やアンテナの設置料が無くなってしまう。今年度はなんとか黒字にできそうだが来年度以降はもう厳しいらしい。

今後の対策としては、

<名古屋テレビ塔は「アナログ後」の活性化策としてリニューアル計画を策定。放送関連機器が設置されていた部分を飲食や物販などのテナントに改修し、現在30万人弱の入場者を50万人に引き上げる。減収分を「入場料でカバーする」(同社)考えだ。>


電波について何もわからない素人でも、こんなの無茶ですよ、というような荒唐無稽な計画だ。既得権だった放送収入が途絶えた途端、その穴を入場料で埋めようなどというのは絶対に不可能だからだ。

実際この記事の後半では、タワーを取り巻く惨状を伝えている。

<名古屋テレビ塔の入場者は最盛期の3分の1以下に落ち込んでいる。同様にラジオ放送の送信に特化するさっぽろテレビ塔(札幌市)も、22年度の入場者数は約34万人と、3年間で10万人も減り、収支も赤字が続く。さっぽろテレビ塔の運営会社は「東京など大都市は別格だが、地方のタワーは厳しい」という。>


大都市とか地方ということではなく、そもそも入場料だけで黒字にしている施設が日本国内にどれだけあるかというのが現実的な問題だろう。以前に大学の授業(博物館学)で聞いた話では、美術館・博物館であれば大阪城の天守閣など数えるほどしか存在しないという。タワー会社にしてみたらいい加減な国策のとばっちりを受けた格好かもしれないが、こういうことはずっと前に予測していたことではないか。まさか計画が撤回されるとでも思っていたとか?

いずれにせよ、このままでは経営が立ち行かなくなるのは明らかである。全国どこでもタワーというのは観光スポットとして有名だけれど、存続できなくなってしまったらとり壊されてしまうのだろうか。あれだけ立派に作られるとそれも無理な気もするが。

< 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 >

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索