不気味な着信履歴

2010年7月25日
ことあるごとに言っているかもしれないが、私は携帯を持ちたくて持った人間ではない。学生時代はもちろんのこと、就職してからも1年以上は持たないでやり過ごしていた。緊急の時に連絡が取れなかったら困るだろう、という周囲の圧力があったことと、持たなかったらマズいと自分でも思う場面もありしぶしぶ所持することになる。

それから7年ほど経過しているわけだが、いまでも私の携帯は「受信することが専門」となっている。返信する場合を除いて自分から電話することはめったにない。

携帯をかけるような緊急事態など私にはほとんど存在しないからだ。

だいたい、やたらと携帯で電話をする人間など準備不十分のためにそのような状況に追い込まれている人間と相場が決まっている。哀れなのは私のように、そういう連中に振り回されている人である。

そんな私のところに午後10時35分、着信履歴があった。しかし電話番号はアドレス帳に登録されているものではない。しかも固定電話で「03」から始まっている。

こんな時間に東京ナンバーだと?

頭で思いつく限りでは、私の携帯を知っている者など東京にはいないはずだ。しかも固定電話とはいったいどういうことだろう。

まったく因果関係はないことだが、昨日のことも引きずっている私としては実に気持ちが悪い。無論、その番号にはかけていないことは言うまでもない。

こういう事例も含めて、可能だったら携帯を手放したい。それが心底おもっている私の本音だ。
今日は朝から滋賀県の山奥まで仕事に行った。この連日の猛暑に加えて昨夜はけっこうな量の酒を飲んだため具合がかなり悪い。

仕事の内容自体はたいしたものではなく、催しの受付をする程度のものだった。会場に到着してすぐ職員の方の横で手伝う。しばらくして手がすいている時にその人と「暑いですね」などと雑談になった。しかし、「どこの出身ですか?」という話になってからあらぬ方向に進んでいく。思わず、北海道です、と言ったとたん相手の表情が急に変わった。

「北海道のどこ?登別?オレもそう!」

といきなり馴れ馴れしい口調になり、北海道弁まで飛び出してきたのである。何の因果かわからないが、この人は中学・高校が私と同じだったのである。生まれたところも私の隣町だ。恐るべき偶然の一致である。こんなところで同郷の人間に出会えて嬉しかったためか、先方のテンションは異様に上がり出す。

だが私の方といえばそれに反比例するように、どんどん気分が悪くなってくる。私は北海道に対して何の思い入れもないし、再びこの地に足を踏み入れたいとも思わない。昔のことを人に話すのは大嫌いで、過去を振り返ったり思い出したりするのは古傷をえぐられるような話だから、当時のことはどんどん忘れてしまっている。そんな態度をとっていると、

「ごめん。北海道を好きでもない人に地元の話なんかして・・・」

などと一瞬はこちらの気持ちを察してくれたのかと思ったら、またすぐ、

「今度、一緒に食事いきましょう!」
「渡部さん、中学校の先生って誰?」

とかニコニコしながら言ってきやがる。あまりに気持ち悪さに、二日酔いも吹っ飛んでしまったほどだ。

「どうやってコイツから逃げようか・・・」

そこから一日中ずっとそればかり考えていた。神か仏か知らぬが、どういう巡り合わせでこの人と私を出会わせたのだろうか。

以降も、

「渡部さんの趣味は?」

とか訊いても、

「別に・・・」

と某若手女優のようにつれない態度をとり続けながら、なんとか話を断ち切る。もし酒の話題になったら、全然飲めません、と想定問答を用意していた。そうして午後4時ごろに業務は終わったけれど、実に長い時間に感じた。気分の悪さはいまだにおさまらない。

そんな心境になっているうちにふと、自分がどうして大学に入るとき京都を選んだのかを思い出してしまった。私が京都に来たのは、北海道の地元の地から離れたかったからだ。いや土地からだけでもなく、家族、親類、過去のしがらみなど、全てのものから解放されたくてこの地を選んだのである。

そんな人間が同郷の人に出会って喜ぶわけがないのも必然であった。
少し前になるが、mixiのニュースで気になる話題が載っていた。題名は、

「スタンディングのイメージはあるけど……ライブは『座って見たい』73.4%」

というものである。元は「Business Media 誠」というサイトの記事であり、「アイシェア」という会社の調査結果について書かれている。

それは20〜40代男女481人(男性54.3%、女性45.7%)からインターネットで音楽について質問したものであった。その中に、

「もしライブやコンサートに行くとしたら、どのように見たいと思いますか?」

という項目があり、「できれば座って見たい」と「とっても座って見たい」という人が合わせて73.4%に対し、「とても立って見たい」と「できれば立って見たい」は26.6%という結果を示した。ライブは座って見たい、というのが大半の人の本音らしい。

基本的にロック系で若い世代のライブは、会場の照明が消えたとたんに観客が総立ちとなりキャーキャーと歓声が起こるのは相場となっている。しかしながら、もう年配のお客が大半のコンサート(私が観た中でパッと思いつくのはルー・リード、ジャクソン・ブラウン、キャロル・キング、キング・クリムゾンなど)は基本的に本編終了まで着席してライブを鑑賞し、終盤でスタンディング・オベーションを贈るという流れになっている。

そういえば、ニール・ヤング&ザ・クレイジーホースのライブを初めて観た時は、最初お客は立ち上がったものの、ニールが「座ってろ」と手でジェスチャーをして皆が再び着席したこともある。ちなみに中島美嘉のライブはお客によって反応がバラバラだ。ずっと立ってる人もいれば座ったままの人もいる。こんな感じで、ミュージシャンやそのファンによってライブのあり方は変わってくるのだ。

この調査結果で興味深いのは、立ってライブを観たいというお客は全体の4分の1に過ぎないという点である。多くの人は座りたいと思っているものの、4分の1の連中に引っ張られて思わず立ってしまうというのが実際の姿なのである。オールスタンディングのライブの場合はこういうところがより顕著になって出てくる。モッシュやダイブをしたり、腕を振り上げて暴れている連中の割合は、せいぜい前方の数分の1に過ぎない。

調査は「立って見たい」派の具体的な理由も尋ねているが、

「曲に合わせて踊りたいから」
「曲にノリたいから」
「盛り上がりたい」

など、いずれも社会的視点が欠けた自己中心的なものばかりだ。モッシュやダイブばかりしているクズの人たちと同じ頭の構造にちがいない。

それにしても、むやみやたらに観客が立って騒ぐようになったのは一体いつからだろう。かつてNHKの衛星放送でキッスの大昔のライブの模様を観た時にはお客がみんな座って観ていたのだから。おそらくは海の向こうのライブ行為が映像で伝わってきて日本人も真似するようになっていったのだろうが、その辺の歴史的推移がよくわからない。いずれにせよ観客のマナーとしては、ジャクソン・ブラウンやキャロル・キングなどのお客の方が理にかなっているといえる。

ライブで立つ/座るについて思い出すのは山下達郎の話だ。彼のラジオ番組にリスナーから、達郎さんのコンサートは最初から総立ち状態なんですか?というような質問が出てきた。それに対して、私のコンサートではそういうことはありません、何もしないのにどうして立つんだと思ってしまう、というような返答を山下がしていてたことを今でも頭に残っている。確かにその通りの指摘だと思った。お客が立って盛り上がっている姿を観て、必ずしもミュージシャンが喜ぶわけでもないということか。

基本的には私は、周囲の人たちに迷惑さえかけなければ、立とうが座ろうが別に構わない。それで本人が楽しめれば結構なことだ。そうはいっても、ライブの状況や空気にはそれなりに合わせなければならないとは思っている。ホール会場で周りが全員立ってしまえばステージも見えなくなるので、その時は立ち上がって観る。モッシュやダイブが起こりそうなライブでは、前方や真ん中の危険な位置は避けて観る。そうやって自分がライブを楽しめるような環境を作っていくのが現実的な対処法ではないだろうか。誰がなんと言おうと立ちたい/座りたいなどと自分のやり方を貫くのは、ライブを楽しむためにはあまり賢明なことではないだろう。
世間では3連休の人も多いだろうが、私は運が悪いのか仕事が重なっていずれも出勤となってしまった。

だからといって特に忙しいというわけでもないけれど、昼休みなどゆっくり取れずに過ごしている。今日の昼間も、ササッと昼食をとってください、などと仕事の相手から言われたので、店などへは入らずにコンビニで昼食を買う。そして御池通沿いのバス停にあるベンチに座って済ませようとした。

ベンチに腰掛けて、さあとっとと食べようかな、と思ったその矢先である。私の横に何かがドカッとベンチに上がってきた。何かと思ったら、それは散歩中のゴールデン・レトリバーであった。

私は犬が好きだしその犬も可愛い顔をしていたものの、こんなのを横にして食事するのは具合が悪い。飼い主がそんな私の空気を察してくれるかと思っていたら、疲れているためかそれとも空気が読めないのか、明後日の方向を見て動こうともしない。

こちらも休み時間が少ないし、仕方なく食事を再開しようとした。するとそのゴールデン・レトリーバーはなぜか「おすわり」の体勢になり、いかにも物欲しそうな顔で舌を出しながらこっちを見ているのだ。どうも食事をねだっているようである。

バス停で待っている人はそんな光景を見てニヤニヤするし、当の飼い主にいたっては動こうともせずただエヘラエヘラと笑っている。

こいつは本格的に空気が読めない輩だと判断したので、

「食事中なんで、どかしてください」

と飼い主にお願いした。そうしてやっと私から引き離してくれたものの、その間も「こっちへおいで」などと犬に話しかけるような具合だった。そんな日本語、犬に通じるものか。

引きずられるようにして移動したゴールデン・レトリバーは、その間も、あの物欲しそうな目で私を見続けていた。その姿自体はとても可愛かったのだが。

先日の日記の中で紹介したバンド「猛毒」のmixiコミュニティを覗いてみたら、「電脳サブカルマガジンOG」というサイトで

「猛毒誕生25年突破記念再確認スペシャル 伝説の恐悪バンド猛毒とは何か!?」

という題名で、猛毒のボーカルだった通称「バカ社長」こと「ザ・クレイジーSKB」のインタビューが載っていた。ちなみにインタビューのページにはバンドの写真が載っていて、その横に、

「今、一身上の都合により冬眠中!」

という字が入っていた。いっそのこと、こんなインタビューなど載せずに、ずっと眠らせておいた方が世の中にとっては良いかと思うのだが。

とは言いながらも、インタビューの中身はなかなか興味深いものが多かった。まず、猛毒の作品は作るのに色々と新しい試みをしていたという事実である。猛毒は自主制作で活動をしていたわりに、機材などの制作費にやたらとお金をかけていた。彼らの音楽の大きな特徴の一つに芸能人の声を(無断で)サンプリングして使用する点があるけれど、80年代後半の当時はサンプラーなどはまだ売ってなくて、ビデオで録画した音源をテレコ(テープレコーダー)に繋いで録音したりして作業していたらしい。しかし一時停止と録音を繰り返す作業が面倒くさくなり、ついにakaiのサンプラー「MPC60」を買うことになる。以下はそのバカ社長(以下、「社長」)と「OG」とのやり取りである。

社長「MPC60ってパッドタイプのサンプラーなんですけど、当時は小室哲哉とか坂本龍一とかしか持ってなかったんですよ」
OG 小室哲哉、坂本龍一ときて、そしてバカ社長ですか?
社長「スゴいでしょ!しかも高いんですよ。定価480,000円ですから(苦笑)」
OG た、高けぇ!しかも当時の48万円ってさらにめちゃくちゃ高いじゃないですか!!
社長「めちゃめちゃ高いですけど、当時のサンプラーの相場はそのくらいが普通だったんですよ。このMPC60はかなり長い時間サンプリングができたんで、飛躍的に作業が楽になりましたね」
OG 原始時代から現代にいきなりきたみたいなもんですしね。
社長「ただ、小室哲哉とか坂本龍一なんかは、高価なサンプラーでギターの音とかそういうのをサンプリングして曲をつくってたんでしょうけど、自分は『このパッドはガッツ石松で、ここのパッドは松鶴家千とせ』とか、芸能人の声を一生懸命にパッドをサンプリングしてるという(笑)!」
OG アハハハハ!(爆笑)

機材の他にも、アルバム「これで終わりだと思ったら大間違いだ!!」(92年)がインディーズ・チャートで2ヶ月連続1位を獲得し、当時はずっと1位をとっていた「黒夢」をも阻止してしまったという逸話もなかなか凄い。また、

「〜です」

という文末を

「〜DEATH」

にするという表記を世間に広めたのがバカ社長だと本人が言っているなど、一つ一つのエピソードを見ると猛毒がサブカルチャーに与えた影響は小さくなかったかもしれないと思えてしまう。

当初はこれらの逸話を紹介して、「面白かったDEATH」などとこの日記を平和に締めくくりたかった。しかしながら、このインタビューの中でどうにも納得がいかない箇所がある。それを看過することができないのだ。

インタビューの中で、やはり猛毒のあの「歌詞」について触れている箇所がある。それに対してバカ社長自身は「なんと低俗な歌詞なんだ」と自分で認めながらも、これらは、

「リスペクトですよ(キッパリ)究極の愛情だと自分では思っています」

などと言ってしまっている。

私も猛毒のCDを買った一人だから、彼らの作品に某巨大掲示板のような「魅力」(あくまでカッコつき)があることを否定しない。しかしそれは世間の人たちが表向きの実生活ではひた隠しにしている実に汚い部分でもある。だが、バカ社長はこともあろうに、バンド誕生25周年も経った現在になってから、アレは実は愛情だったんですよアハハハハハ、という実に軽薄なノリで総括してしまったのだ。

そうした彼の姿勢について、私はまったく支持することができない。

そもそも「リスペクト(respect)」という言葉は「尊敬」とか「敬意」などと日本語をあてるように、目上の人に敬意を表する際に使うものだ。”はたらくくるま”や”中国残留孤児”のような曲にそのような視点はどこにも見られない。それに「リスペクト」なんてカタカナで誤摩化した表現をぼやかしているのもまずいだろう。そこで私が適当な日本語に翻訳しておこう。バカ社長の論理の従えば、「褒め殺し」というのが適当だと思うが、いかがなものだろう。

指摘したいことがもう一つある。猛毒を代表する曲にガッツ石松の音源を材料にしたものがあるが、後年「はなわ」がガッツをネタにした曲を作ったことに対してインタビューでこう言っている。

社長「(中略)はなわなんてまさにやっていることは猛毒の流れでしょ。自分たちと違うところは、本人にペコペコして仲良くなって作るってだけ。聞くところによると、はなわは田舎にいた頃、猛毒しかり、パンクとかインディーズのそういうのを聴きまくっていたらしいですからね」
OG ズバリ言ってズルいですよね。
社長「そう、やっていることはズルい。ホント、自分たちは何かこういつもそうなんですよ。自分たちが全然前にやっちゃっていることが、数年後にオブラートに包まれた形で誰かが商品化して、それが一般に売れるっていう(苦笑)」

開いた口がふさがらない。有名人の写真や音源を無断に使用している輩が、パクられて汚い、などと言える立場だろうか。

このインタビューに一貫して流れているものは、社会的視点の著しい欠如である。自分と同じことをしている他人を「ズルい」と罵り、自身がかつてした悪行については、あれは愛ですリスペクトです、などとごまかして責任を免れようとするのは、まさに彼自身が言っている通り「中学2年生の頭」である。過去のことは過去のことで仕方ないかもしれない。しかし、こんな卑劣で下品な総括の仕方はいい年をして恥ずかしいとしか言いようがない。

あまりに無責任な言動に腹が立ち、いささか行き過ぎたことを書いた気もする。しかし上のような発言をしているバカ社長のことだから、私の指摘も「リスペクト」や「愛」と思って受け入れてくれるだろう。
ルーズ・ソックスとローリング・ストーンズ
今日はいつもより30分ほど早めに部屋を出て会社に向かった。時間をずらして出勤すれば、道に行きかう人もまた違ってくる。そんな中を自転車で走っていたら、私の目の前に「女子校生らしき」女性が同じく自転車で走っていた。「女子校生らしき」などという言い回しをしたのには理由がある。

その女性の格好は下がチェックのスカートで、上が白のワイシャツだった。しかし、その足元を見て、一瞬目を疑った。履いていたのがなんとルーズ・ソックスなのである。この時代に、しかもこの真夏の季節にルーズ・ソックスを見ることになるとは。

ルーズ・ソックスもさることながら、それ以外の格好もなんとなく不自然だ。ワイシャツはかなりシワがよっているし、頭髪もなんだか脂っぽい光り方をしている。「制服らしき」格好も、本当に学生服なのかどうか疑わしい。どこの学校の制服とかの知識がほとんどないし断定できないところだが、「こんな制服の学校ってあったかなあ?」とは思った。

しかし、なにより強い違和感を抱いたのは、その自転車の後ろに張ってあったシールである。画像がそのシールであるが、これはかのローリング・ストーンズのロゴ・マークである。確かにこのベロのシールだった。こんなものを自転車に張っている女子高生が果たしてこの国に存在するのだろうか?もしかしたらあの女性が、自分の世代とはズレたロックの趣味を持つ「京都の成海璃子」だった可能性も否定できないけれど。

職場のアルバイトの女性に「今朝ルーズ・ソックスを見たんですよ」と言ったら、目を丸くしてたいそう驚かれた。ローリング・ストーンズのことなどについても話しているうちに、

「コスプレだったんじゃないですかねえ」

という結論に落ち着く。やはりアレはどう見てもおかしい。

いま思えば、女性の顔などを確認するべきであっただろう。それは私の落ち度というしかない。しかし、なんだか怖くてそれができなかったのである。

訊ねる前にググれ

2010年7月7日
仕事の関係で、メールでデータをやり取りする場面があった。そのファイルはものすごく重たいデータだとかいうような話ではないけれど、取引先の都合でいろいろとややこしい設定がされていた。先方のメールによれば、送られたファイルを開くために、

・拡張子の変更
・パスワードの解除

の2点をおこなわなければならない。こんなこと別に難しくもなんともないだろうとタカをくくっていたが、これが甘かった。私のやり方ではどうあがいても拡張子を変更することができないのである。変更できるのは「ファイル名」ばかりで、「プロパティ」とかを調べてもどうにもならない。そうしているうちに10分、20分と時間のみが経過する。

「先方に電話して、教えてもらおうかな・・・」

という思いが一瞬頭をよぎる。だが、拡張子の変更とかいうのは初歩的な知識で解決できるレベルであろう。安易に問い合わせをして、

「それくらい自分でググれや。コラ」

とか言われたり思われたりするのは、なんとなく悔しいし情けない。ちなみに「ググる」とは「グーグルで検索して調べること」を意味するネット用語である。もっとも私はほとんどの場合「ヤフー」で調べるから「ヤフる」とでも言うのが適当だろうが。

それはともかく「ヤフー」で「ファイル 拡張子 変更」とか入れて検索してみると、やっぱり同じような悩みを持つ人はいるものだ。「YAHOO!知恵袋」で、

「ファイルの拡張子を変更する方法を教えてください」

という質問と、それに対する明瞭簡潔な答えを見つけることができた。そもそもの問題は、ファイルの拡張子がパソコン画面に表示されなくなっていることにあるようだ。当然ながら、表示されないものを変更することは不可能である。

ここからは私の職場のパソコンの話になるが、このような手続きをとった。

・「コントロールパネル」のページを出す。
・その中の「ツール」のページを出す。
・その中の「フォルダ・オプション」のページを出す。
・その中の「表示」というページを出す。
・その中にある「登録されている拡張子は表示しない」という項目を見ると、そこにチェック・ボックスが入っているはずだ。これを解除すれば、ワードのデータは「.doc」、エクセルだと「.xls」というように、所定の拡張子がめでたく表示される。

「その中の」「その中の」が続くクドい言い回しになってしまったが、この順序をたどっていけばこの問題は必ず解決する。

しかしながら、検索から問題解決まで、結局私が使うのはやはりヤフーであった。

散財

2010年7月6日
散財
先日の夜、近所の店で飲みながら知人の持つiPadを触らせてもらっていた。その中に入っている「太鼓の達人プラス」や「漢字力診断」といったゲームをしてみる。ゲームなどをしなくなって久しいけれど、皆で遊んでいるとこれがなかなか面白い。しかしこのためだけにiPadを買うわけにはなあ・・・と思っているうちに、ふとあることが思い浮かぶ。

「そういえば『太鼓の達人』や漢字学習ソフトは、DSでもあるんじゃないのか?」

DSとは言うまでもなくニンテンドーDSのことである。ネットで調べてみたらやはり「太鼓の達人」はあるし、本体も最近値下げしている。今日は昼で会社を切り上げたけれど、その足で近くの「古本市場」にフラッと立ち寄り、そのままブルーの「DSi LL」本体を新品で、ソフトは「めっちゃ!太鼓の達人DS7つの島の大冒険」と「えいご漬け」を中古で買ってしまった。金額は全て合わせて2万3000円ほどである。

それにしても「ゲーム機」というものを買うのは、セガの出した「ドリームキャスト」(通称「ドリキャス」)以来である。もっとも、私がドリキャスを買ったのはゲームをするためではなく、テレビにつないでネットをするためだったが。そんな人間にとって21世紀のゲームというのは全てにおいて新鮮な体験だ。絵は粗いドットじゃないし、音楽だけでなくクリアな音声も普通に出てくる。ファミコンではほとんど考えられない話だ。しかも無線LAN環境があればインターネットでアクセスできるというのだから、もう私には理解できない。

買った2つのソフトをしばらく遊んでから、「ニンテンドーDSコレクション」というDSソフトのカタログが載っているサイトを覗いてみた。ファミコンの時代からある「アクション」や「ロールプレイング」といったジャンルの品揃えは現在でも多いけれど、「シューティング」は異様に少ない。タッチペンを使って遊ぶやり方とシューティングの相性が悪いのだろうか。その一方で、20年ほど前にはほとんど存在しなかった「学習・トレーニング」だの「英語」だの「生活・健康」などといった類のソフトが数多く出ている。また分類が困難な「その他」というゲーム(?)もあふれるほどある。確かに「こころに染みる 毛筆で書く 相田みつをDS」などというソフトはジャンル分けなど不可能だろう。

いずれにせよ、2004年にDS本体が発売されてから現在まで出ている膨大なカタログを追いかける気持ちにはなれない。次にソフトを買うとすれば何が良いだろう。学習ソフトか、はたまた「ドラゴンクエスト9 星空の守り人」あたりか。

同僚ネットワーク

2010年6月29日
「会社の友人とつながろう。」

こんなキャッチフレーズとともにmixiが「同僚ネットワーク」というサービスを始めた。機能をザッと見るところでは、会社名や入社年、所属部署などを入れることにより、同じ会社にいる人を見つけたり見つけられやすくなる仕組みのようだ。会社の仲間同士で情報交換がしやすかったり、昼食や飲み会の調整をするのに便利になったりと、そんなことが売りらしい。

しかしmixiさんに悪いが、このサービスを使う人はそれほど多くならないと思われる。昼食に行くとか、会社帰りに飲みに行くとか、一緒に遊びに行くとかを誘うなら、会社で直接相手と話すか携帯メールでやり取りすれば良いだけの話だからだ。わざわざこんなサービスを使って調整するのは手間が増えるだけである。いや、そもそもこんなシステムを使わないとコミュニケーションがとれないというなら、その人は社会人としてまずいのでは?と周囲に判断されるような気もする。

それから、これはネットを使っている人全体に関わる根本的な話になるが、自分の所属先などの個人情報を積極的にネットで公開したがる人はほとんどいないだろう。私のように実名を公開している人すら少数派だ。そういう点から見ても、このサービスを使う人は多くはならないだろう。

SNSを使う目的といえば、日常ではなかなか出会えない共通の趣味のある人、また中学高校の同級生など遠く離れた相手とコミュニケーションをとることなどではないか。毎日のように顔を合わせる会社の同僚とわざわざSNSでやり取りをする必然性はほとんど無いと思うのだが。

空中庭園は遠かった

2010年6月25日
今週は日曜日までずっと仕事が立て込んでいてかなり忙しい日々を過ごしていた。そんな中を5時に会社を出て、いったん部屋に戻って着替えてから阪急電車に乗ってむかう。

今日は梅田にあるライブハウス「Shangri-La」でイースタン・ユースがライブをするからだ。ただ、OGRE YOU ASSHOLEというバンドとのジョイント・ライブのため演奏時間は短めになるだろう。それはともかく、開演7時までには会場に着かなければならない。

だが今出川大宮からバスに乗って西院に着いたのが6時10分くらいで、そこから阪急の「通勤快速」に乗って梅田に到着した時はもう6時50分を過ぎていた。これはまずい。急がなければならない。

しかし悪いことにShangri-LaはJR梅田駅からずっと西の空中庭園ちかくに位置している。それに対して阪急の改札口は東側だ。その距離は想像するよりずっと遠い。歩いても歩いても、空中庭園は一向に近づいてこない。しかも外は雨が降りしきっている。結局会場に着いたの7時20分ごろだった。

「OGRE YOU ASSHOLEが1番手だったら良いのだが・・・」

と思いながらライブハウスのドアを開ける。お客がいっぱいで前に進むことができない。その向こうのステージには、何度も観たことのある3人組が演奏していた。あーあ。

途中からというものの、eastern youthのライブを観られたこと自体は良かった。思えば、吉野寿が心筋梗塞で倒れて以来はじめてのことである。しかしながら、自分のテンションが思いっきり落ちていることを否定できない。最後の”荒野に針路を取れ”の演奏が終わったら、すぐに会場を後にして京都に戻る。

9月10日の心斎橋クラブクアトロでは万全の態勢で1曲目からライブに臨みたいと願う。しかし、前にShangri-Laで彼らのライブを観た時(ミドリとのジョイント)も、体調がすぐれなくて早々と帰ってしまった。この会場と私の相性は良くないのかもしれない。
猛毒「これで終わりだと思ったら大間違いだ!」(92年)
「ロック・クロニクル・ジャパンVol.2 1981-1999」(99年。音楽出版社)という邦楽のガイドブックで知り気になってはいたものの、長いあいだ買うのをためらっていたアルバムだ。そんな折、まだ高校生の女優・成海璃子が部屋に猛毒のCDが棚に置いてあったということを知る。そのとき私の頭の中のスイッチが入ってしまったようだ。そしてそのままアマゾンで注文をしてしまう。しかし廃盤となっているため、購入方法は出品者から注文という形しかなかった。安いところでも本体の価格は6800円で、配送料・手数料340円を含めると合計7140円もかかった。なぜこれだけのプレミアが付いているのかはそれなりに理由がある。そういう話も含めてアルバムについて色々と触れてみたい。

猛毒は1983年、神奈川県藤沢市の湘南学園中学校・高等学校の同級生で結成された「恐悪狂人団」を前身としている。それからバンド名を「毒」に変更し、さらに「猛毒」という名前となった。バンド後期の音楽スタイルはプログレなどの影響も出てくるらしいが、この1枚目のアルバムは基本的に「ハードコア・パンク」と言われるものである。そこにテレビ番組などのタレントの音源を(無許可で)挿入しているというものが多数を占める。

しかし音楽スタイルがどうということよりも、当時テレビで活躍していた「知名度が微妙なタレント」をおちょくった手法の方が目につくだろう。全79曲133分にわたり多くの芸能人、俳優、スポーツ選手などが槍玉に挙げられている。

ただ、80年代後半から90年代前半の日本を知らない人にとってはこの作品で有効なものはほとんど無いに違いない。平成生まれの人間でも笑えそうなものといええば、”関取”から”前頭三枚目”までの流れ、あとはガッツ石松の語りが入った”カンバック〜ガッツ石松...再び!!”くらいだろうか。だいたい曲名に入っているタレントの名前(ウイッキー、なべおさみ、金子信雄など)すらピンとこないだろう。そういうことを考えると、ほとんど普遍性が無い作品といえる。

悪い意味でまだ色褪せていないのは”中国残留孤児”や”はたらくくるま”など、差別ネタの類だろう。こういうものは「21世紀の今では笑って済ませられる」という状況になっていればまだ良かったのだが、さすがに現実はそうなっていない。こういうのを目の当たりにすると、差別というのは実に根深く残るものだと実感してしまう。

私がこのCDを買うのをずっとためらっていたのも、そんな差別ネタが多数入っていることを知っていたからだ。さきほど述べた「ロック・クロニクル・ジャパンVol.2」では行川和彦という人がこのアルバムを紹介しており、「いくつかの差別ネタは嫌いだが」(P.149)と良識ぶっているけれど、本当に良心のようなものがあるならば、そもそもこんなアルバムをガイドブックで紹介することはないだろう。こんなものを買ってしまった私は、行川のようには良識ぶるつもりはない。これを聴いて喜んでいるクズの皆さんとも晴れて仲間入りというわけだ。そして、自分の中にもそういうクズな部分があることを否定しない。

たとえば何もかもがうまくいかないような時に、絶対負けることのない弱い立場の人たちを罵倒して悦に入りたくなる気分は誰しもあるだろう。しかし大事なことはそのような気持ちを「自分は善人だからそんなことは思わない」などと誤摩化すのではなく、上手に付き合ってコントロールしていくことではないだろうか。

正式な日時は覚えていないが、以前「ニュースステーション」(テレビ朝日系)にU2のボノがゲストで出た時に彼が話していたことがいまでも印象に残っている。アイルランド人に話してはいけない話題が3つあるという。セックス、宗教、そして戦争がそれだ。しかし実際のアイルランド人はこの3つの話はどれも大好きである。ボノは語っていたのはそんな内容だったと記憶している。

この逸話というかジョークは、人間がどのような生き物であるか、ということの一面を鋭く突いた内容に思えてならない。先に挙げた3つの話はいずれも下世話なものであるけれど、同時に人間の本質に深く関わってくるものでもある。そしてこうした人間の根っこの部分を見据えなければ差別や偏見なども対処することはできないような気がする。

ところで、このアルバムを現在の視点から見れば「2ちゃんねるみたい」と指摘する人もいるかもしれない。確かに差別表現やタレントに対する誹謗中傷など共通するところもあるだろう。ただ、このアルバムが出た当時はインターネットという言葉も全く認知されてない時代で、もちろん「2ちゃんねる」のようなものも存在してなかった。今はキーボード1つで好き勝手な感想を地球上に放つことができるけれど、ネットが出てくる以前にそのような真似は物理的に不可能だった。

仲正昌樹(金沢大学法学類教授)さんは著書「ネット時代の反論術」(文春新書。2006年)の中で、ネット以前に自分の考えを公に発表するのがどれだけ大変だったかを示している部分がある。長い引用になるが非常にわかりややすい話なので読んでいただきたい。

私が大学に入った1981年頃、大きな大学にはまだ結構いた左翼運動の学生たちは、ビラを書いたり立て看板をつくったりしていました。公の場で人を批判するのがその目的です。その頃のビラの原稿は、まだ基本的に手書きで、読んでもらおうと思ったら結構きれいに書かないといけない。枡目にちゃんと入るようにしなければならない。しかも、ガリ板刷です。今のようにパソコンがあるわけではなく、小型の印刷機を使っていたので、紙が巻きついたりすると、大変でした。それを朝早く起きて、先生が来る前に、周りから白い目で見られながら、教室に配って回らなければいけない。立て看板をつくろうとしたら、簡単な大工仕事をして、ベニヤ板の上に模造紙を貼り、そのうえに、全体のバランスを取りながら、遠くからでも見てもらえるような字を書かねばなりません。学生運動の「プロ」だと、結構短時間で仕上げていたようですが、普通の学生だと丸一日を費やさないといけないわけです。不特定多数に向けて特定の人を非難するということはものすごく労力が要ることでした。かなり政治的に確信をもって運動をやっている人間でもない限りは、公然と他人を「批判」するということができなかったし、そもそもやる気が起こらなかったでしょう。それだけ労力と時間をかけて、「批判」するからには、未熟な左翼学生なりに、少しは周りの人に理解してもらえるように考えてから、表現していたはずです。(本書P.26-27)

左翼運動とは少しズレるが、「これで終わりだと思ったら大間違いだ!」も世に出すまではものすごい苦労をしている。問題だらけの内容のため、またアルバムジャケットは無許可でタレントの写真を使用しているため、いずれも国内で作ることができなかったのだ(ちなみにジャケットはビートルズの1967年の作品「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のパロディである)。CDプレスやジャケット印刷を韓国でおこなうことにより、自身のレーベル「殺害塩化ビニール」からようやく発売されたわけだ。内容が内容なのだから仕方ないとはいえ、そこまでしてリリースをしたエネルギーは尋常ではないと思う。

とりとめもなく書いてみたけれど、万人に薦められるような代物ではない。また音質もそれほど良くないし、個人的にも予想したほどには笑えなかった。ただ、自分の体の中に何かドス黒いものが流れているのを確認したい人、また以下に記す曲名を見て「おっ!」と思った方は購入してみても良いかもしれない。アマゾンをザッと見る限りではかなり値段は高いけれど、もう再発などとても望めない内容だからそれは致し方ない。

【Disc「猛」】
(1)口上
(2)ムツゴロウ
(3)H・I・R・O・M・I
(花とみつばち)
(4)ウィッキー’92
(5)関取
(6)横綱
(7)大関
(8)小結
(9)十両〜マスラオ
(10)前頭三枚目
(11)ほんとにほんとにご苦労ね(軍歌)
(12)ハッピーカムカム1
(13)ハッピーカムカム2
(14)猛毒のバイのバイのバイ
(15)丹古母鬼馬二
(16)E・Hエリック
(17)たんすをかついだアホだぬき
(18)張本
(19)マチャキ海をゆく
(20)中国残留孤児
(21)泥沼怒りのサル人間
(22)ほんとにほんとの佐野浅夫
(23)正味な話が横山やすし(競艇&ライジング)
(24)鮮血のキャメルクラッチ
(25)KCゴシゴシ夏みかん大王
(26)なべおさみかなぶん(こつぶっこ)
(27)金子信雄だけが楽しい夕食
(28)ビートきよしこの夜1
(29)ビートきよしこの夜2
(30)頑固おやじの目に涙
(31)鉄人A
(32)カンバック〜ガッツ石松…再び!!
(33)川谷拓三フリークス
(34)プロレスアワー"国際プロレス鎮魂歌"
(35)クロードチアリ

【
Disc「毒」】
(1)横浜ビブレMottaの奥山
(2)小松政夫Hoochie Koo
(3)はたらくくるま
(4)コーヒー豆とかりんとう
(5)坂上二郎のケツの穴
(6)金原二郎のケツの穴
(7)冠二郎のケツの穴
(8)轟二郎のケツの穴
(9)グローリーハレルヤ
(10)清川虹子
(11)高松しげお
(12)セントルイス
(13)青空球児・好児
(14)レッツゴー三匹の長作
(15)猛毒の英語塾
(16)サザエDEATH
(17)波平DEATH
(18)毒蝮
(19)続・川谷拓三
(20)神田川料理道場
(21)くいしん坊!万才
(22)どっきりカメラすべら〜ず
(23)マキマキ!
(24)ラビット関根
(25)ヒゲの綾田
(26)怒りの小金治’92
(27)荒勢の温泉がぶり寄り
(28)山本小鉄のあっ、ちょっとまって下さい!!
(29)ハーブカネヨン(大山のぶ代小唄)
(30)北島三郎さけ茶漬け(鼻穴最大男
)(31)デーブ・スペクター
(32)猛毒のほんとのほんとにご苦労さん
(33)新沼ちんば謙治
(34)100万円クイズハンター
(35)二瓶正也
(36)三波伸介の凹凸大学校
(37)お笑いマンガ道場
(38)マケーレブケン
(39)嗚呼…木村一家(前略横山やすし様)
(40)鉄人B
(41)笑点
(42)月月火水木金金
(43)Hey! Machinegun Joe The Fish
(44)GUTS DEATH(1st ソノシート「石松」より)
当落の結果はともかく、試験が終わって落ち着いた生活に戻りつつある。今度は何をしようかなあと思っているうちに、そういえば知人の奥さんが貸してくれた本をまだ読んでなかったことに気づく。そこでこの本を2日ほどかけて読んでみた。

この本について名指しでどうこう書くつもりはないので作品名などは避けるが、内容はいわゆる「エッセイ」(日本語でいえば「随筆」)に分類されるものだ。しかし、ひとまず読み進めるもどうも自分にはしっくり入ってこない。なにが気に入らないのかの理由が最初はわからなかった。そして最後まで読み進めて一応の結論を出す。この本に流れるテーマや著者の考え方に違和感を持ったわけではない。その文章のスタイルが気に入らないのである。「語り口」といった方が実感しやすいだろうか。

振り返ってみれば、私の部屋にある本でエッセイの類はほとんど無いような気がする。圧倒的に新書か論文かノンフィクションか、このいずれかであろう(小説も少ないけれど、ここの本題ではないので触れるのは控えさせてもらう)

また、他人のブログなどもまったく見ない。はっきりいえば、積極的に無視しているようなフシもある。しかしエッセイもブログも、拒否する理由はたぶん共通している。

さきほど言ったように、「文章のスタイルが気に入らない」からだ。

偉そうなことを書くけれど、多くのブログは文章の体をなしていない。しかしそれは日本語の知識の不足とかいうレベルではなくて、問題はもっと違うところにある。それは「他者意識」の欠如だ。

多くの人は、他人に文章を発信するということに対して無頓着な気がする。我が国には昔から「以心伝心」とか「いわずもがな」という言葉があるけれど、詳しく丁寧に説明しなくてもわかるだろうという思い込みや甘えは現代でもいまだに強い。これは日本人の大きな欠点ではないだろうか。

たとえばmixiの日記で最も嫌いなのが、「mixiニュース」の記事についてあれこれコメントをしているアレである。気になるニュースのページの上部の「日記を書く」をクリックすると記事タイトルおよびURlが自動的に貼られ、その後に記事が書けるようになっている。しかし大半の人はそこにバカだの、死ねだの、臭いだのと感情語を書き散らして終わりだ。そんなものを書いて他人が面白いと思うだろうか。

私の場合、まず自分で記事を要約して載せている。わざわざURLをクリックして日記の元ネタを確認するなど読む人にとっては手間だと思うからだ。安易にニュースの感想などを書いている人には想像もつかない視点だろうが、これが「他者意識」というものに違いない。

ブログの話に比重が重くなった気がするが、筆者の体験などを気楽に書くようなエッセイも同じ問題を抱えている。清少納言「枕草子」や鴨長明「方丈記」と並び「日本三大随筆」と言われる吉田兼好の「徒然草」は、その名を誰でも知っている有名な作品である一方、内容がメチャクチャな部分もあるので評判が悪い。

確かに、

「よき人、物をくれる人」(大意:物をくれる人が良い人だ)

をはじめ、かなり適当で恣意的なことを書き綴っているのは否定できない。こんなことを調べていると、エッセイというのは歴史的にみても自分には合わないスタイルなのかもしれない。随筆でもブログでもツイッターでも、他人の目に晒されているという自覚を持たなければ自己満足以上のものにはならないのでないか。

イオンモールKYOTOに行ってみた
梅雨の真っただ中で空模様は怪しかったけれど雨も降っていないので、バスで京都駅前まで行く。本来の目的は京都伊勢丹の展覧会に行くことだったが、先日に京都駅前にできた複合商業施設「イオンモールKYOTO」も覗いてみようと思っていた。

http://kyoto-aeonmall.com/index.jsp

八条口を降りたとたん、

「なんかいつもと景色が違うな」

とすぐ感じた。やたら多くの人が八条口を歩いているからだ。そして誰もが南西に向かっている。それは私も同じだった。地上7階の「Sakura館」と地上6階の「Kaede館」の2棟からなるイオンモールは予想以上に大きい。入口の階段の広さにまず圧倒される。

開店して間もないこともあってか、来場している人もかなり多い。ひとまず昼食を取ろうと4階に上がる。私が行ったのはラーメン店「せたが屋」だったが通常のラーメン店のようには席がなく、カウンターで商品を受け取って食事スペースで食べる形式だった。しかし人が異様に多くて座る場所を確保するのも大変なくらいである。ちなみに写真は「つけ麺」と「ミニそば屋のカレー」である。

食事を済ませてからザッと施設を回ってみる。Kaede館2階の大垣書店は市内で一番大きいのでは?と感じるほど広かった。ただ2階の片隅にあるCD・DVDの品揃えは、とりあえず売り場を作っただけ、という印象を受ける。「ヴァン・モリソン」のコーナーも無いんだから。

施設を出て京都駅の方に戻る時も、たくさんの人がイオンモールに向かっていた。その途中にある新・都ホテルの前では、警備の人が通行する人を整理するのに右往左往していた。周辺を歩く人が増えたおかげで、ホテルにしてみれば「とばっちり」を受けた格好か。しかし八条口駅前はしばらくこのような状態が続くのだろう。
シンニード・オコーナーほか「ノー・プリマドンナ~トリビュート・トゥ・ヴァン・モリソン」(94年)
(1)フィール・ソー・フリー(シンニード・オコーナー)
(2)クイーン・オブ・ザ・スリップストリーム(ブライアン・ケネディ)
(3)コニー・アイランド(リアム・ニーソン)
(4)クレイジー・ラヴ(カサンドラ・ウィルソン)
(5)ブライト・サイド・オブ・ザ・ロード(ホットハウス・フラワーズ)
(6)アイリッシュ・ハートビート(ブライアン・ケネディ&シャナ・モリソン)
(7)疾風(エルヴィス・コステロ)
(8)テュペロ・ハニー(フィル・コウルター・オーケストラ)
(9)マダム・ジョージ(マリアンヌ・フェイスフル)
(10)フライデイ・チャイルド(リサ・スタンスフィールド)

先日まで簿記の勉強をしていたが、ひとり部屋に込もって自習しているとどうも気が滅入ってくる。そこで何か音楽でも流しながら勉強しようと思い立つ。あまりうるさい音楽も耳障りだし自分がいちばん聴きやすい音楽が良い。となれば、やはりヴァン・モリソンが真っ先に思いつく。そこで棚のCDを物色していたらこのアルバムが目についたので、パソコンに入れてしばらくの間繰り返し聴いていた。

「ノー・プリマドンナ」は「トリビュート・トゥ・ヴァン・モリソン」という副題の通り、ヴァン・モリソンの楽曲を他のアーティストたちがカバーした作品である。ヴァン自身が我が国の知名度はそれほどでもないが、このアルバムに至っては検索してもほとんど情報らしきものが出てこない。それならば私が書く意義も多少はあるだろう。

北アイルランドのベルファストに生まれ育ち、アイルランド民謡のカバー集「アイリッシュ・ハートビート」(88年)という作品も作っているヴァンであるから、カバーに参加している人もアイリッシュ系の人が目につく。アイルランド出身のシンニード・オコーナーやホット・ハウス・フラワーズ、エルヴィス・コステロもアイリッシュ系だ。あとはカサンドラ・ウィルソン、マリアンヌ・フェイスフル、リサ・スタンスフィールドと女性シンガーの比率が高いような気がする。

しかしながら、このアルバムにはもっと大きな特徴がある。それは、アルバムの隅から隅までヴァン本人の目が光っているという点だ。まずプロデューサーが彼であり、アルバムの表紙を飾っている女性はヴァンの(2番目の)奥さんだ。さらには(1番目の奥さんの)娘のシャナ・モリソンが1曲参加している。トリビュートされる本人がプロデュースする作品なんて聞いたことがない、と眉をひそめる人もいることだろう。しかしヴァン・モリソンというのは「そういう人」なのである。たとえカバーであっても自分の意に添わない内容のものは出したくないに違いない。長年のファンならばこのような私の思いを少しは共感してもらえるだろうが。

ところでトリビュート・アルバムについて書く場合、参加しているアーティストの紹介、そしてヴァン・モリソンの音楽との関連性などについて触れるのが正当な解説なような気もする。しかし申し訳ないが、個人的にはまったくそんなことをする気力がおきない。参加ミュージシャンの名前はなかなか興味深い人が揃っているとは思う。しかしこのアルバムを足がかりとして「もっとこの人の作品を聴いてみたい!」という気持ちにも全くならない。ヴァンと数年活動していたブライアン・ケネディの”クイーン・オブ・ザ・スリップストリーム”に少しハッとさせられたくらいか。参加ミュージシャンのファンにとってはあんまりな言い方なのは承知しているけれど、私はこの人のステージを観たいがためだけにイギリスまで行った人間だ。だから、こういう作品に対して「クールで客観的な評価」など私には最初から不可能な話であることはお断りしたい。

このアルバムを繰り返し聴くたびに出てくるのは、

「悪くないけど、やっぱりオリジナルには及ばないなあ」

という思いばかりである。

ナメてたね

2010年6月13日
ここしばらく日記の更新が途切れがちだったが、それはそれなりの理由があった。一つは仕事がちょっと立て込む時期であったこと、そして簿記2級の試験が迫っていたからであった。そして今日がその試験日だった。

周囲からは、

「経理部門に異動したいの?
「ラーメン屋に転職するつもり?」

などと色々言われたけれど、別に何か目的があったわけではない。なんとなく日常業務と離れた勉強をしたかっただけである。よって、試験に受かろうとも落ちようとも支障が起きることはない。それでも受験料4500円を払った手前、なんとか受かりたいという気持ちだけはあった。試験直前には必死になっていたため、行きつけの店や職場でも勉強をしてヒンシュクを買っていたような気もする。

そんな状態で臨んだ試験だが、実感としては半分も点は取れなかっただろう(合格ラインは70点以上)。かなり勉強時間を費やしたものの、過去問題の対策などは不十分だったのは否定できない。周囲で資格を持っている人がけっこういるから自分も大丈夫だろう、などと余裕を持っていたのが間違いだった。試験をナメていたということか。

いまはただドッと疲れが出ているだけである。簿記試験は秋も実施されるが、どうしよう。今はひとまず身の心も少し休みたい。
先日ふと新聞を見ていたら、

「パパはつらいよ・・・昼食代500円」

という辛気くさい見出しがあった。新生フィナンシャルがサラリーマン1000人に調査した結果によると、サラリーマンの小遣いの月額平均が4万600円であり、昨年より5000円も減っているという。1回の昼食代は90円減で500円、これは過去10年間で最低の水準だ。

私の会社には幸い社員食堂があるので、よく食べるA定食だったら社員価格430円で済ませることができる。しかし外で食べれば500円以内に抑えるのは絶対に不可能だ。よく通っている某塩ラーメン専門店ではラーメン単品で700円かかるから、それだけでもうアウトでドボンとなる。

しかもこの「サラリーマンの小遣い」というのは昼食代のほか、飲み物代やタバコ代も含まれているはず。ひと月4万600円でこの辺をまかなって生活するというのは・・・パパじゃなくて良かったなあ。

ちなみにこの調査は「理想とする小遣い」も訊いていた。その額は「6万1300円」で、現実とは2万1300円もかけ離れている。
渡辺美里の公式サイトから、

「25周年記念リリース第3弾!!発売決定!!!」

というメールが届いた。シングル・コレクションに続いて、今度はアルバムのボックス・セットを出すという。内容は以下の通り。

デビュー25周年記念!
超豪華アルバムボックス発売決定!!

<タイトル>
Misato Watanabe 25th Anniversary Album Box
『Wonderful Moments 25th』

<発売日>
2010年8月25日(水)

<価格・品番>
税込39,250円(“サンキュー25周年”価格!)
品番:ESCL 20040〜20060

<内容>
1985年のデビューアルバム「eyes」から2007年リリースの「ココロ銀河」まで、発表された17タイトルのオリジナルアルバムに加え、現在では入手困難なライブアルバム「Live Love Life」を加えた全18タイトルをまとめたアルバムボックス。これまでに発表されてきた全てのフルサイズアレンジの「My Revolution」を収録した8cmCD(未発表のライブ音源も収録。)、さらに商品化されていない美里の貴重な映像集を収録したDVD、そして豪華歌詞ブックレット、アルバムのブックレットで使用されてきた写真をまとめた豪華フォトブックつき。
※20CD+1DVD=全21枚組

各CDはLPでの発売があったものは忠実に当時のジャケットをCDサイズの紙ジャケで再現!
CDで発売されていたものも今回だけの紙ジャケ仕様。

<収録内容>
1st「eyes」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
2nd「Lovin’ you」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング ※2枚組
3rd「BREATH」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
4th「ribbon」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
5th「Flower bed」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
6th「tokyo」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
7th「Lucky」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
8th「BIG WAVE」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
9th「Baby Faith」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
10th「Spirits」…Blu-spec CD仕様
11th「ハダカノココロ」…Blu-spec CD仕様
12th「Love Go Go!!」…Blu-spec CD仕様
13th「ソレイユ」…Blu-spec CD仕様
14th「ORANGE」…Blu-spec CD仕様
15th「Blue Butterfly」…Blu-spec CD仕様
16th「Sing and Roses〜歌とバラの日々〜」…Blu-spec CD仕様
17th「ココロ銀河」…Blu-spec CD仕様

●「My Revoluion」8cm CD(リマスタリング)
1.My Revolution
2.My Revolution -2章-
3.My Revolution -Dear My Songs Ver.-
4.My Revolution -2003年のLIVE ver.- ※初音源化

●ライブアルバム「Live Love Life」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング

●過去の美里の貴重な映像集を収録したDVD

●シリアルナンバー入り

CD20枚、DVD1枚で3万9250円は高いのかお得なのか判断がつかないけれど(単純に枚数で割れば1枚あたり1869円ほど)、25周年の節目だしこれくらいのものを出しても良いだろうと個人的には思う。私も1セット面倒みさせてもらおうか。

ただ、また愚痴になってしまうが、セルフ・カバーアルバム「HELLO LOVERS」(92年)がこのボックスに含まれなかったのは残念でならない。セルフカバーはオリジナルアルバムでない、という判断をされたのだろう。それはそれで仕方ないが。

それにせっかくボックスを作るならば、アルバム未収録のシングルB面曲とかも・・・いや、もうこれ以上の発言は差し控えよう。15周年や20周年の時に出したベスト盤に比べれば、ずっと正当な記念商品なのだから。

しかしながら最初に内容を見た時、

「何度数えてもCDは合計19枚だけど?他に特典CDでもあるのか?」

と思っていたが、ずっと後になって「Lovin’ you」が2枚組のCDだったことに気づいた。
5月17日からJTより、「無煙タバコ」の「ゼロスタイル・ミント」が都内限定で発売された。無煙タバコは国内主流の「紙巻きタバコ」とは違い、火も使わないし煙も出ない「かぎたばこ」という種類のものである。それだったら「禁煙パイポ」とかと一緒じゃないの?と思ったが、位置づけはれっきとした「タバコ」だ。「ゼロスタイル・ミント」のパッケージには、

「本商品はたばこ製品です」

と念を押すように書かれているし、

「かぎたばこの使用は、あなたにとって口腔がんの原因のひとつとなり、心筋梗塞・脳卒中の危険性を高めます」

という最近ではお決まりの一文もしっかりと入っている。

ネットを辿っていろいろ調べてみると、タールは含まれないが微妙のニコチンを含んでいる、と書かれている。ニコチンを含んでいればタバコなのだろうか。吸わない人間にとっては、この説明を見るとますますタバコの定義がわからなくなってくる。

混乱しているのは私のような人間ばかりではない。無煙タバコは煙も匂いも出ないわけだが、日本航空では機内で吸ってもOKな一方、全日空は認めないという。また、京都市でも「禁煙地区」なるものが広がっているけれど、区内全域の路上喫煙を禁じている東京都千代田区は、

「当面は禁止の対象外。たばこの火で他人に危害を加える恐れもない」(千代田区安全生活課)

とのことだ(「毎日新聞」5月17日21時13分配信の記事より)

しかしながら個人的に一番の疑問は、なぜJTがこのような中途半端な(煙が出ないだけで、体に害がある)商品を世に出したかという点だ。

誰もが実感でわかると思うが、国内におけるタバコの売り上げは減少の一途をたどっている。日本たばこ協会の発表によれば2009年度の反対数量は2339億本、ピークだった1996年度(3483億本)から実に3割も減っているのである。

これもわかりやすい話だが、タバコ本体の度重なる値上げ、会社や施設内の禁煙区域の拡大、自動販売機における「タスポ」のわずらわしい年齢確認の導入など、非喫煙者からみても「これはあんまりでは?」と感じる政策が続いてきた。これでタバコの売り上げが伸びるなら奇跡である。

だが国は喫煙者を減らす方向で動いている一方、JTも売り上げをなんとか確保しようと考えているのだろう。その苦肉の策が今回の無煙タバコだったのではないだろうか。いずれにせよ、いかにもちぐはぐな国の方針が透けてみえる商品である。
年をとったなあ、と感じる瞬間がある。20代の人と話している時に、同年代の人間だったら当然と思える知識が通じないという事態が起きた場合だ。

たとえば、私の5歳下の男性に向かって、

「戸塚ヨットスクールって知ってる?」

と訊いたらキョトンとしていた。以来、20代の人たちに同じ質問をすることが時々ある。

さらに今の大学生に至っては「平成生まれ」である。一回り以上も離れてしまったから、もう私らの世代の話はほとんど有効ではないだろう。と思っているうちに、

「そういえば平成といったら・・・」

と、あることが思いついた。そしてある時、現役大学生にこう訊いてみる。

「消費税って昔はなかったの知ってる?」

と。

そうしたら案の定、相手はけっこう驚いた顔をする。

「昔は3%とか、じゃなかったんですか?」

それはそうだけど、「消費税0%」の時代があったんだよ。

ちなみに我が国で消費税が施行されたのは平成元(1989)年4月1日からだ。よって、平成生まれの子たちがこのような反応をとるのも自然といえば自然ではある。

思えば、尾崎豊のデビュー曲”15の夜”(83年)の歌詞に、

「100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ」

という部分があるけれど、缶ジュースが100円で買えるというのも遠い昔の話だ(たまに100円で買える自動販売機もあるけどね)。100円玉一枚で買えなくなったのには、最初はかなり違和感があったけれど、そんな感覚も平成生まれにはわからないだろうな。
会社勤めをしてから10年近く経つものの、パソコンの知識はいまひとつ増えていないような気がする。そんなこともあって合間があったらワードやエクセルの知識をサイトで拾って勉強していた。その中で「エクセル事典」というサイトを見つける。

http://www.excel-jiten.net/

エクセルの入力方法を画像入りで紹介してわかりやすい。そして、その中で非常に興味深い文章を見つける。『「成果主義」で「成果」を確実に上げるには』というタイトルだった。このサイトの作者は「ゴールドマン・サックス証券会社」に勤めた経験があるという。外資系の証券会社といえば徹底した成果主義/能力主義の世界であろう。そこに10年間努めた作者の経験が導いた結論がすごい。それは、

「いかによく思われれるか」 

これにつきます。

だというのである。「実際にどれだけできたか」ではなく、「どう思われたか」、それが全てだと作者は断言する。

その具体的な方法論として、

・人の悪口を言わない
・お酒の席でも礼儀作法を守る
・「おはようございます」を必ず言う

などといかにも当たり前な提言をしていて、「これだけでも、ライバルに差がつきます。」と付け加えているのだ。

それにしても、「人によく思われる」というのは一体どのような状態にあることなのか、これはなかなか悩ましい問題である。例えば周囲の誰にでも媚びを売るような態度をとる人がいたとしたら、「あいつはゴマスリだ」などと反対に周囲からの評価は下がる結果となるだろう。そんなことを考えてみると、「どうすれば人によく思われるのだろう?」という問いが出てくる。このあたりを展開して文章を書くのも面白いけれど、なんだか私らしい文章にならない気がしてきた。そこでもっとネガティブで救いようの無い話に持っていきたい。

周囲の人は意外に思うかもしれないけれど、私は能力主義という立場は一切とらない。いつも他人をボロクソに言っているという印象を受けているフシもあるけれど、基本的に第三者の仕事の良し悪しを評価するような真似は極力避けているつもりだ。

そんな私の腹の中に渦巻いているのは、

「仕事の客観的な評価など不可能だ」

という根強い思い込みである。この考えはおそらく死ぬまで変わることはないだろう。私のサラリーマン経験などゴールドマン・サックス証券に勤めたというものと比べたらショボイものだが、成果給や能力給のシステム、また人間の頭の構造などはどこでもそう変わるものではない。

誰でもそれなりに真面目に仕事をしていたら、

「なんで自分はこんなに頑張ってるのに、周囲は認めてくれないんだろう?」

と悔しい思いを経験したことが必ずあるだろう。実際、第三者の評価など理不尽きわまりないものがほとんどだ。

「彼は仕事が早いみたいだけど、ネクタイの趣味が悪いよね」

というような感じで。そして、

「だからあいつは駄目なんだよ」

などと結論を導きだされたりするのだから、当人はたまったものではない。

だがしかし、である。そういう仕打ちを受けて嘆く前に、当の自分もそのような「評価」を他人にしているという事実にも気づくべきである。それは絶対に間違いないのだから。

私たちは他者の持つ乏しい情報(血液型や生年月日など)をもとにして、実に豊かな人間像を作りだすことができる。これはいままで心理学の数々の研究で明らかになったことだ。そして、自分の評価と第三者の評価には著しいズレが生じることも数々の実験で示されている。

では、なぜそのようなズレが出てくるのか。それも簡単な話で、自分が評価する時と他者が評価する時では、基にしている情報が全く違うからだ。例えば仕事だったら、自分はこれだけ計画を練って、毎日のように残業して、などといった情報が頭にあるから、「だから俺は頑張った」という評価が導きだされるだろう。しかし第三者はそんな情報など一切持ち合わせていない。だからネクタイの色やヘアスタイルなどの情報で仕事の判断をするような真似も可能なのである。

心理学の研究結果を持ち出すまでもなく、「冷静に考えれば」このような判断も容易につくような気は個人的にはする。しかし私より上の世代も、同年代やその下の連中も、こうした苦い現実には決して触れようとしない。

私は、「他人の評価など適当だから気になりません」という立場をとっているから、その辺はもうどうでもよい。お金と同様に社会的評価というのも生きるうえで大事なものであるには違いないけれど、今のところの私の願いは「充実な人生を送る」ことである。金や名声というのはそのための「必要条件」の一つであって「十分条件」には成り得ないだろう。その辺りを理解しない人があまりに多いのではないだろうか。

と言っている私も「人の悪口を言わない」という真似はとても実践できそうにないから、「成果をあげる」なんて無理かもしれないが。

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