「決算書は、わからなくたっていい!」

決算書についてのセミナーの冒頭で、著者の前川さんはホワイトボードに大きくこう書くという。これを見た参加者は一様に怪訝そうな顔をする。決算書が理解したいがためにセミナーに参加した人たちなんだから、当たり前といえば当たり前だが。

経理業務に関わってなくても、決算書くらい読めるようなりたい、と考えるサラリーマンは多いだろう。しかし色々と勉強をしてみても決算書の数字を理解できるようになる人は少ないらしい。それはなぜだろうか。公認会計士と税理士の資格を持つ著者はその理由をこう述べている。

そもそも決算書の細かい知識(会計学)はあくまで「決算書を作る人」にとって重要なものだ。しかし「決算書を読む人」は必死でこうしたことを勉強してしまう。これがボタンの掛け違いとなる。その結果、決算書を読むという所期の目的を達成できなくなってしまうのだ。

たとえば本書のP.87に大正製薬の貸借対照表が載っていて、いろいろな項目(勘定科目)がズラズラと載っている。「資産」を見てみると、

現金および預金 112,464
受取手形 594
売掛金 58,101
有価証券 2,000
商品 2,909
製品 9,623・・・

などと20以上の項目が出てくる(数字の単位は百万円)。しかし「決算書を読む」ためだったらこの全てを覚える必要など、ない。これらの項目を合計した「資産」という「かたまり」の金額さえ見れば良いのだ。

決算書はパッと見れば数字と項目がゴチャゴチャと羅列しているけれど、大きな5項目(資産、負債、資本または純資産、費用、収益)で構成されているに過ぎない。そして、これら5項目の大小を比較することが「決算を読む」という行為に他ならない。

その比較についても、何も難しいことはない。本書のP.76ではポイントを2つに集約している。

(1)貸借対照表(試算表の上半分)
資産、負債、資本の大小を比較する。
この場合、なるべく負債が小さく資本が大きいほうが、財政状態が良好だといえる。

(2)損益計算書(試算表の下半分)
収益と費用の大小を比較する。
収益は費用よりも大きくなければならない。

こんなの簿記の初期段階で勉強しているぞ!と怒る人もいるかもれない。しかし、そういう声を想定したように筆者はこう続ける。

<こんな簡単なことが最重要ポイントなのですから、あっけない話です。が、筆者の長年の経験によりますと、決算書を読むことを苦手にしている人というのは、たいていの場合、このような基礎的かつ根本的な知識を疎かにしていました。そのくせ、瑣末な勘定科目や経営指標を追いかけ、その結果、いたずらに決算書データを複雑化して読み、混乱してしまっているのでした。>(P.77)

「木を見て森を見ず」という言葉がある。簿記を勉強していると社債とか減価償却費とか積送品売上とか雑多な知識をたくさん覚えなければならないけれど、そうしているうちに肝心なことは吹っ飛んでしまうことがしばしばだ。それが一番の問題なのだろう。

<これは決算書に限ったことではないのですが、仕事でも勉強でも、何事も「対象物をいかに単純化して捉えるか」ということが大事です。>(P.77)

この著者の指摘はまさに至言といえよう。

本書を読んだ後で試しに企業の決算書をいくつか調べてみた。そうすると、この会社は売上原価が低いために売上総利益(粗利)が大きいな、とか、この会社は負債(借金)の比率が高くて危ないかも、などという程度の分析(というほどでもないか)はできるようになった。

複式簿記は14世紀半ばのイタリアで生まれたもので、その形式は現在とほとんど変わっていない。19世紀のドイツの詩人ゲーテは小説「「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代(上)」(山崎章甫訳、01年。岩波文庫 )で「人類最大の発明」と書いている。小さな商店から大企業に至るまで、その財務状況を1枚の決算書で表現することができる複式簿記は確かに優れた仕組みだと今更ながらに実感した次第だ。

著者は、決算書は比較してみないと面白くない、と繰り返し強調している。同じ会社を時系列に比較する、また同業他社どうしを比較してみることにより初めてその意味が見えてくるのだ。本書でもマイカルやNOVA(いずれも倒産した会社)など具体的な会社の決算書を挙げて説明しているところが非常に面白い。

本書を読んでみれば、いままで無味乾燥な数字の羅列にしか見えなかった決算書が違った印象に見えてくるだろう。これで720円(税別)ならば十二分に元がとれると言いたくなるほど、得るものが大きい本だ。下手な講演を受けるよりもまず本書を手に取ってもらえたらと思う。

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