三度目の正直、というやつ
2011年7月2日さきほど部屋に戻ったら、なんだか見覚えのあるハガキが入っていた。
宛先は、
「京都商工会議所 人材開発センター 簿記検定係」
となっている。6月12日に受けた第128回簿記検定試験(2級)の結果通知である。試験前に届いた受験票と全く同じ形式だったため、どこかで見たことがあるなと感じたわけだ。
試験終了後に書いた日記でも触れたけれど、今回の感触は実に微妙な手ごたえだった。合格ラインの「70点」はたぶんスレスレだろう。
http://30771.diarynote.jp/?day=20110612
自己採点では「76点くらい」ではあった。しかし書き間違いがあったら・・・。そんなことを思いながら恐る恐るハガキをめくってみると、画像のような結果がでていた。「合格」である。点数は「74点」とほぼ予想通りであった。
今回の試験は、2ちゃんねるなどでも書いてあったが、やさしい部類であったのは間違いない。実際、合格率は京都会場で41.9%と実に4割の人が受かったわけだ。
参考までに過去5年間の合格率(全国平均)を見てみると、
第127回(11年2月):32.4%
第126回(10年11月):21.5%
第125回(10年6月):40.0%
第124回(10年2月):12.4%
第123回(09年11月):38.4%
となっているから、やはり簡単な方であったといえよう。
ちなみに私は125回と126回を受けている。周囲には一発で受かったという方もいるけれど、私は三度目にしてようやくという感じだ。いい加減うけるのも嫌になってきたので、今回で受かって本当に良かった。
その代わり専門学校などには通わず独学で合格というのは我ながら立派だと思う。受講料など余計な出費はかからなかったわけだし。もしも某専門学校に行くとしたら入学金と授業料で7万8000円もとられてしまう。果たしてその価値に見合う資格かどうかその辺りは微妙なところだけれど、なんとか今後につなげていきたい。
宛先は、
「京都商工会議所 人材開発センター 簿記検定係」
となっている。6月12日に受けた第128回簿記検定試験(2級)の結果通知である。試験前に届いた受験票と全く同じ形式だったため、どこかで見たことがあるなと感じたわけだ。
試験終了後に書いた日記でも触れたけれど、今回の感触は実に微妙な手ごたえだった。合格ラインの「70点」はたぶんスレスレだろう。
http://30771.diarynote.jp/?day=20110612
自己採点では「76点くらい」ではあった。しかし書き間違いがあったら・・・。そんなことを思いながら恐る恐るハガキをめくってみると、画像のような結果がでていた。「合格」である。点数は「74点」とほぼ予想通りであった。
今回の試験は、2ちゃんねるなどでも書いてあったが、やさしい部類であったのは間違いない。実際、合格率は京都会場で41.9%と実に4割の人が受かったわけだ。
参考までに過去5年間の合格率(全国平均)を見てみると、
第127回(11年2月):32.4%
第126回(10年11月):21.5%
第125回(10年6月):40.0%
第124回(10年2月):12.4%
第123回(09年11月):38.4%
となっているから、やはり簡単な方であったといえよう。
ちなみに私は125回と126回を受けている。周囲には一発で受かったという方もいるけれど、私は三度目にしてようやくという感じだ。いい加減うけるのも嫌になってきたので、今回で受かって本当に良かった。
その代わり専門学校などには通わず独学で合格というのは我ながら立派だと思う。受講料など余計な出費はかからなかったわけだし。もしも某専門学校に行くとしたら入学金と授業料で7万8000円もとられてしまう。果たしてその価値に見合う資格かどうかその辺りは微妙なところだけれど、なんとか今後につなげていきたい。
「おひとりさま」という生き方が主流に
2011年7月3日日曜日に放送されているサンデー・フロントライン」(テレビ朝日系列)に「これがニュースだ!」というコーナーがある。この1週間で重要だと有識者が思ったニュースのベスト10を挙げるというものだ。その9位に”おひとりさま”顕著 単身3割超」というのがあり、おもわず見入ってしまった。
総務省の調査によれば日本国内の一人暮らし世帯は31.2%と全体の3割を超え、「夫婦と子どもからなる世帯」(28.7%)を初めて上回ったという。
一人暮らしというライフスタイルは世間にもすっかり浸透していて、一人分の鍋を出している料理店が人気だったり、一人用のマンションを買う人に対して偏見もなくなっているという肯定的な面を番組を紹介していた。一方、番組の「これがニュースだ!選定委員会」委員の一人である鳥越俊太郎(ジャーナリスト)さんは、一人暮らしが増える社会が待っているのは孤独死だ、と警鐘を鳴らしてもいる。
一人暮らしが人間にとってが良いのか悪いのかは、今の私には何とも言えない。ただこういう問いが出てくるたび、故・井上ひさしさんの「わが人生の時刻表 自選ユーモアエッセイ 1」(00年。集英社文庫)に収められている「淋しいという基調音」というエッセイを思い出してしまう。夏目漱石について書いた文章だ。短い文章なので全てを紹介させてもらおう。
<漱石全集を通読するたびに、なにかしら新しい発見に恵まれる一方で、いつもの基調音を聞くのが常である。その基調音は「人間というやつはなんて淋しい存在なのだろう」という静かな悲鳴だ。そういえば、漱石の常用句のひとつが、この「淋しい」であった。もっとも彼には「淋(さむ)しい」と振り仮名をほどこして使う癖があったけれども。
さて、漱石のこの基調音は次のように展開し、変奏されてゆく。
すなわち、ひとは淋しいから一人では生きられない。だがしかし二人以上集まると互いに迷惑をかけ合い、争い合い、裏切り合い、そして憎しみ合い、つまりは一人になりたいと切に願うようになる。ところが一人になってみると、やはり淋しくてやりきれない。そこでまた二人以上集まって・・・。
漱石は一生かかって、このやり切れない堂々めぐりを書き続けたのではなかろうか。漱石はこの堂々めぐりから脱け出す方法を見付けてはいない。というより人間にこの解決策を入手することはできない相談だろう。私はただ、この、淋しさを軸とした堂々めぐりが人生というものはないかという問いを設定した漱石に感謝するばかりである。この問いがあると知っているだけでも、人生、だいぶ生きやすくなると思うからだ。>(P.264-265)
たぶん内田樹(神戸女学院大学名誉教務)さんだったら、子孫が残せないのは人類にとって大問題だというような理由で一人暮らしを否定するだろう。誰かとくっつくというのは生物としては全く正しい行為ではある。しかし一人で生活するのが長くなった私には、むしろその方が当然という感覚になってしまっている。もはや生物として誤った道を進んでしまっているということか。
少なくとも周囲に誰もいないというのは生存上も不利な戦略であり、鳥越さんが指摘している通りその先には孤独死が待っていることだけは間違いない。
総務省の調査によれば日本国内の一人暮らし世帯は31.2%と全体の3割を超え、「夫婦と子どもからなる世帯」(28.7%)を初めて上回ったという。
一人暮らしというライフスタイルは世間にもすっかり浸透していて、一人分の鍋を出している料理店が人気だったり、一人用のマンションを買う人に対して偏見もなくなっているという肯定的な面を番組を紹介していた。一方、番組の「これがニュースだ!選定委員会」委員の一人である鳥越俊太郎(ジャーナリスト)さんは、一人暮らしが増える社会が待っているのは孤独死だ、と警鐘を鳴らしてもいる。
一人暮らしが人間にとってが良いのか悪いのかは、今の私には何とも言えない。ただこういう問いが出てくるたび、故・井上ひさしさんの「わが人生の時刻表 自選ユーモアエッセイ 1」(00年。集英社文庫)に収められている「淋しいという基調音」というエッセイを思い出してしまう。夏目漱石について書いた文章だ。短い文章なので全てを紹介させてもらおう。
<漱石全集を通読するたびに、なにかしら新しい発見に恵まれる一方で、いつもの基調音を聞くのが常である。その基調音は「人間というやつはなんて淋しい存在なのだろう」という静かな悲鳴だ。そういえば、漱石の常用句のひとつが、この「淋しい」であった。もっとも彼には「淋(さむ)しい」と振り仮名をほどこして使う癖があったけれども。
さて、漱石のこの基調音は次のように展開し、変奏されてゆく。
すなわち、ひとは淋しいから一人では生きられない。だがしかし二人以上集まると互いに迷惑をかけ合い、争い合い、裏切り合い、そして憎しみ合い、つまりは一人になりたいと切に願うようになる。ところが一人になってみると、やはり淋しくてやりきれない。そこでまた二人以上集まって・・・。
漱石は一生かかって、このやり切れない堂々めぐりを書き続けたのではなかろうか。漱石はこの堂々めぐりから脱け出す方法を見付けてはいない。というより人間にこの解決策を入手することはできない相談だろう。私はただ、この、淋しさを軸とした堂々めぐりが人生というものはないかという問いを設定した漱石に感謝するばかりである。この問いがあると知っているだけでも、人生、だいぶ生きやすくなると思うからだ。>(P.264-265)
たぶん内田樹(神戸女学院大学名誉教務)さんだったら、子孫が残せないのは人類にとって大問題だというような理由で一人暮らしを否定するだろう。誰かとくっつくというのは生物としては全く正しい行為ではある。しかし一人で生活するのが長くなった私には、むしろその方が当然という感覚になってしまっている。もはや生物として誤った道を進んでしまっているということか。
少なくとも周囲に誰もいないというのは生存上も不利な戦略であり、鳥越さんが指摘している通りその先には孤独死が待っていることだけは間違いない。
地デジ化へ対応する気がいまいち起きません
2011年7月6日「アナログ放送終了まであと18日」
いまもアナログ放送でテレビを観ていると、画面の左下にこのような字幕スーパーが映し出されている。大きくて観づらくなるため苦情もきているというが、もうアナログ放送もカウントダウンが着実に近づいている。
毎日この字幕スーパーを観ている私はもちろんデジタル化に対してなんら対策を立てていない。テレビはともかくチューナーくらいは買おうかな、と思ってはいるが。特に観たいテレビもないし、CMや字幕でさかんに責め立てられても行動に移せない自分がいる。
テレビを観ない人はけっこう多いようだ。
7月4日の「NEWSポストセブン」で『若者のTV離れが加速 20代男性の13.5%が「TV見ない」』という記事があった。タイトルの数字はアスキー総合研究所が調査した「各世代の1日のテレビ視聴時間をまとめたデータ」の結果であり、20代男性の1割以上が観ていないというのはテレビの影響力が大きく低下していることをうかがえる。いまの20代の人たちは、青年期においてインターネットも携帯も既に揃っている世代だ。メディアといえばテレビというわけでもないのだろう。
またこの時期では「2010年 国民生活時間調査報告書」(NHK放送文化研究所・有効回答者4905人)というアンケート結果が紹介されており、70才代は男女とも毎日4時間半以上テレビを観ているのに対し、10代から20代の男性は1日2時間を切っているという。おそらく新聞を読む時間などほぼ皆無なんだろうなあ。
テレビが面白くなくなった、と言われるようになって久しい。私はあれが面白い/面白くないなどと判断するほどテレビはもう観ていないけれど、視聴者の抗議などに制作者側が萎縮していき内容の自由さがどんどん失っていったのは実感としてわかる。
しかし、このデジタル化を機会にテレビから距離をおくというのも悪い選択でないような気がする。たとえば7月3日の「報道2001」(フジテレビ系列)で出演していた政治家や評論家が、原発が停まったら日本経済が混乱する!と皆でわめき散らしていたという。フジテレビは東京電力の元社長が監査役に「天下り」している会社が。バラエティ番組の「やらせ」とかならまだ可愛らしいとも思えるけれど、こういう問題にいくと明らかに偏向としかいえない。
面倒くさいとは思うけれど、一人ひとりがネットや本で地道に情報を集めて自分なりの考えを持つしかない時代になった気がする、たとえそれが間違っていようとも。
いまもアナログ放送でテレビを観ていると、画面の左下にこのような字幕スーパーが映し出されている。大きくて観づらくなるため苦情もきているというが、もうアナログ放送もカウントダウンが着実に近づいている。
毎日この字幕スーパーを観ている私はもちろんデジタル化に対してなんら対策を立てていない。テレビはともかくチューナーくらいは買おうかな、と思ってはいるが。特に観たいテレビもないし、CMや字幕でさかんに責め立てられても行動に移せない自分がいる。
テレビを観ない人はけっこう多いようだ。
7月4日の「NEWSポストセブン」で『若者のTV離れが加速 20代男性の13.5%が「TV見ない」』という記事があった。タイトルの数字はアスキー総合研究所が調査した「各世代の1日のテレビ視聴時間をまとめたデータ」の結果であり、20代男性の1割以上が観ていないというのはテレビの影響力が大きく低下していることをうかがえる。いまの20代の人たちは、青年期においてインターネットも携帯も既に揃っている世代だ。メディアといえばテレビというわけでもないのだろう。
またこの時期では「2010年 国民生活時間調査報告書」(NHK放送文化研究所・有効回答者4905人)というアンケート結果が紹介されており、70才代は男女とも毎日4時間半以上テレビを観ているのに対し、10代から20代の男性は1日2時間を切っているという。おそらく新聞を読む時間などほぼ皆無なんだろうなあ。
テレビが面白くなくなった、と言われるようになって久しい。私はあれが面白い/面白くないなどと判断するほどテレビはもう観ていないけれど、視聴者の抗議などに制作者側が萎縮していき内容の自由さがどんどん失っていったのは実感としてわかる。
しかし、このデジタル化を機会にテレビから距離をおくというのも悪い選択でないような気がする。たとえば7月3日の「報道2001」(フジテレビ系列)で出演していた政治家や評論家が、原発が停まったら日本経済が混乱する!と皆でわめき散らしていたという。フジテレビは東京電力の元社長が監査役に「天下り」している会社が。バラエティ番組の「やらせ」とかならまだ可愛らしいとも思えるけれど、こういう問題にいくと明らかに偏向としかいえない。
面倒くさいとは思うけれど、一人ひとりがネットや本で地道に情報を集めて自分なりの考えを持つしかない時代になった気がする、たとえそれが間違っていようとも。
テレビを観るのが怖くなる
2011年7月7日玄海原発(佐賀県玄海町)2、3号機の運転再開について説明するために国の主催で開催したケーブルテレビ番組で、九州電力が再開を支持する内容のメールを送るよう関連会社に要請したことが発覚する。そもそもこの番組自体が県民側からは国が選んだ7人しか参加できなかったり、また放送されるのも地上波放送ではなくケーブルテレビとネットだけだったりとかなりアヤシイ設定ではあった。これはもはや、住民に説明はしました、というアリバイ作りとしか思えない代物である。しかもその上にこのやらせメールだ。バカバカしいにもほどがある。
もちろん世間の目は一様に厳しい。本日(7月7日)9時30分配信の「毎日新聞」の記事では、
<玄海原発の元警備員で、同原発から約1キロの場所に住む同町の農業男性(75)は「町内は原発関連の仕事をしている人が多い。安全性の確認を徹底してくれれば運転再開に同意するから、そんな不正をする必要はないのに」と首をかしげる。佐賀市の会社員の男性(61)は説明番組自体が「県民7人しか参加できず、推進派の作為的なやり方と感じた」と話し、「九電は反対意見を封じ込めるのではなく、それに一つ一つ答える姿勢を持つべきだ」と批判した。>
という近隣に住んでいる人たちの声を紹介している。当たり前すぎて補足する言葉が見つからない。そんなに原発再開をしたいのなら、こうした手続きがまず必要なのではないか。
この一連の出来事から透けて見えるのは、真摯に説明や説得をすることなく情報操作で自分たちの意のままに世間を誘導してやろうという国や企業の傲慢で不遜な思い上がった態度だ。ふざけんな。
しかしながら、今回の話はあまりにバカすぎて極端だろうけれど、いままで生きてきているうちにテレビなどのメディアの間違った情報を無条件に受け入れて頭に刷り込まされてきたのかなあと、この歳(35歳)になって考え込んでしまった。先日はテレビが面白くなくなったことについて触れたけれど、それくらいならまだ害はそんなにあるわけではない。しかし、こういう情報操作に乗ってしまうかもしれないと思うとテレビをつけるのも怖くなってくる今日このごろだ。
もちろん世間の目は一様に厳しい。本日(7月7日)9時30分配信の「毎日新聞」の記事では、
<玄海原発の元警備員で、同原発から約1キロの場所に住む同町の農業男性(75)は「町内は原発関連の仕事をしている人が多い。安全性の確認を徹底してくれれば運転再開に同意するから、そんな不正をする必要はないのに」と首をかしげる。佐賀市の会社員の男性(61)は説明番組自体が「県民7人しか参加できず、推進派の作為的なやり方と感じた」と話し、「九電は反対意見を封じ込めるのではなく、それに一つ一つ答える姿勢を持つべきだ」と批判した。>
という近隣に住んでいる人たちの声を紹介している。当たり前すぎて補足する言葉が見つからない。そんなに原発再開をしたいのなら、こうした手続きがまず必要なのではないか。
この一連の出来事から透けて見えるのは、真摯に説明や説得をすることなく情報操作で自分たちの意のままに世間を誘導してやろうという国や企業の傲慢で不遜な思い上がった態度だ。ふざけんな。
しかしながら、今回の話はあまりにバカすぎて極端だろうけれど、いままで生きてきているうちにテレビなどのメディアの間違った情報を無条件に受け入れて頭に刷り込まされてきたのかなあと、この歳(35歳)になって考え込んでしまった。先日はテレビが面白くなくなったことについて触れたけれど、それくらいならまだ害はそんなにあるわけではない。しかし、こういう情報操作に乗ってしまうかもしれないと思うとテレビをつけるのも怖くなってくる今日このごろだ。
他人事、ではあるのだが
2011年7月8日今日の午前、用事で京都駅ちかくに来ていた。それが終ってから帰るために七条通を歩いていると、なにやら消防局の人たちが何人も集まっているのを見つける。それは火事の調査をしているところだった。七条通り沿いにある料理店の中は真っ黒こげになっており被害はかなりのものだったことがうかがえる。しかしその時は、大変だなあ、くらいの認識しかなかった。
部屋に戻ってから別の調べものをしようとして「京都新聞電子版」を覗いてみたら、その火事の記事がデカデカと載っているではないか。それを読んでみてかなり驚いた。火事の出火元は七条警察署の裏側にあるラーメン店「心龍」(京都市下京区東塩小路町185-1)だったからだ。被害はなかなか大きく心龍を含めて計4棟の建物が焼けてしまい、消防車が38台出勤して3時間をかけてやっと消火できたというのだ。
心龍から出火したことなど知らなかったから店がどうなっているけれど、設備も何もかも使用できない状態になっているに違いない。この店には2回ほど行ったくらいで店の人と直接には面識はないものの、知り合いの知り合いくらいの関係である。
ネットの情報によれば7月には他の場所に移転する計画だったという。その矢先の出来事であった。そんなことを知ってしまうと他人事ながらなんとも余計やり切れない気持ちになってくる。
部屋に戻ってから別の調べものをしようとして「京都新聞電子版」を覗いてみたら、その火事の記事がデカデカと載っているではないか。それを読んでみてかなり驚いた。火事の出火元は七条警察署の裏側にあるラーメン店「心龍」(京都市下京区東塩小路町185-1)だったからだ。被害はなかなか大きく心龍を含めて計4棟の建物が焼けてしまい、消防車が38台出勤して3時間をかけてやっと消火できたというのだ。
心龍から出火したことなど知らなかったから店がどうなっているけれど、設備も何もかも使用できない状態になっているに違いない。この店には2回ほど行ったくらいで店の人と直接には面識はないものの、知り合いの知り合いくらいの関係である。
ネットの情報によれば7月には他の場所に移転する計画だったという。その矢先の出来事であった。そんなことを知ってしまうと他人事ながらなんとも余計やり切れない気持ちになってくる。
教師や政治家が尊敬されなくなった理由
2011年7月10日橘玲(作家)さんが7月7日のブログに掲載した文章が様々な示唆に富んでいて非常に面白かった。「信なくば立たず」と題されたその文章は、橘さんが保護者面談のために夜の小学校を訪れるところから始まる。そこで十数人の母親が教室で若い女性を取り囲んでいる光景に出会う。あとで聞いた話では、その教師は生徒を管理できないためトラブルが絶えなかったというのだ。
<私が見たのは、クラスの母親たちが学級運営について教師に問い質している場面だった。いまなら“モンスターペアレント”ということになるだろうが、当時はそのような言葉もなく、親が教師を私刑(リンチ)するかのような光景に大きな衝撃を受けたことを覚えている。>
だが、昔の教師はこのような仕打ちを受けることなどありえなかった。なぜなら1960年代までは大卒の人間というのは地方にも稀少な存在だったからだ。よって教師は地域社会や親からは尊敬のまなざしの目に見られる存在でいられたのである(人間的魅力があるかどうかにかかわらず)。
しかし経済成長にともない日本の大学進学率がどんどん上がっていき大卒も珍しい存在ではなくなっていく。それに反比例して教師の権威は相対的に落ち込んでいった。
<ひとはみな平等であり、教師と生徒は“ひと”と“ひと”して対等である。だが教育という営みは、教師が生徒よりも“エラい”という階層性(差別)を前提としなければ成り立たない。ひとたび校門をくぐったら、「学校」という舞台の上で、教師は「教師」の役を、生徒は「生徒」の役を演じなければならないのだ。
ところが1970年代以降の消費大衆社会のなかで、教師と生徒の「差別」構造は解体してしまった(その象徴が「金八先生」だ)。生徒は、自分と「対等」の人間からなにかを学ぼうとは思わない。学校から教育が失われるのは当然だったのだ。>
そういえば、いわゆる「ゆとり教育」で学習内容が削減されたのも81年からであるが、こうした「教育改革」も教育現場が荒廃に拍車をかけたことも大きいに違いない。「校内暴力」と言われるようなものは減っていくものの、陰湿な「いじめ」が問題になっていくのも80年代あたりからだ。
この文章は最後で、
<最近の政治の迷走を見て、この古い記憶がよみがえった。夜の教室ですすり泣いていたあの女性教師は、いまごろどうしているだろうか。>
と締められている。おそらく、現在の政治家も権威を失った結果として国民からすっかり支持を失っている、というようなことを橘さんは暗に示したかったのだと私は解釈する。
教育(教師と生徒との関係)でも政治(政治家と国民との関係)でも、ある程度の権威がなければ機能しなくなる。それが失ってしまったら、たとえ小手先の処置をしたところで回復することはできないのだ。
ところで、この権威の崩壊というのは様々な現場でおきている現象だ。いま述べた教育現場や政治はもちろん、大学のようなアカデミズムの世界、官公庁、企業などなど。やはり、インターネットの発達によりいままでは隠されていた情報が多くの人に共有されたことが大きいのだろう。それによってかつては「なんだかよくわからないけど凄い人」と思われていた人たちが、実は私たちとたいして変わらない人だとバレてしまったのである。権威がなくなる、とはつまりそういうことだ。
IT化によってもたらされたものは大きい。プラスの面も多いことには違いないだろう。しかし一方でいろいろなものを破壊していったことも否定できない。そんな光景が教育現場という例で非常にわかりやすく書かれた文章だと思う。
原文はこちら。
http://www.tachibana-akira.com/2011/07/2834
<私が見たのは、クラスの母親たちが学級運営について教師に問い質している場面だった。いまなら“モンスターペアレント”ということになるだろうが、当時はそのような言葉もなく、親が教師を私刑(リンチ)するかのような光景に大きな衝撃を受けたことを覚えている。>
だが、昔の教師はこのような仕打ちを受けることなどありえなかった。なぜなら1960年代までは大卒の人間というのは地方にも稀少な存在だったからだ。よって教師は地域社会や親からは尊敬のまなざしの目に見られる存在でいられたのである(人間的魅力があるかどうかにかかわらず)。
しかし経済成長にともない日本の大学進学率がどんどん上がっていき大卒も珍しい存在ではなくなっていく。それに反比例して教師の権威は相対的に落ち込んでいった。
<ひとはみな平等であり、教師と生徒は“ひと”と“ひと”して対等である。だが教育という営みは、教師が生徒よりも“エラい”という階層性(差別)を前提としなければ成り立たない。ひとたび校門をくぐったら、「学校」という舞台の上で、教師は「教師」の役を、生徒は「生徒」の役を演じなければならないのだ。
ところが1970年代以降の消費大衆社会のなかで、教師と生徒の「差別」構造は解体してしまった(その象徴が「金八先生」だ)。生徒は、自分と「対等」の人間からなにかを学ぼうとは思わない。学校から教育が失われるのは当然だったのだ。>
そういえば、いわゆる「ゆとり教育」で学習内容が削減されたのも81年からであるが、こうした「教育改革」も教育現場が荒廃に拍車をかけたことも大きいに違いない。「校内暴力」と言われるようなものは減っていくものの、陰湿な「いじめ」が問題になっていくのも80年代あたりからだ。
この文章は最後で、
<最近の政治の迷走を見て、この古い記憶がよみがえった。夜の教室ですすり泣いていたあの女性教師は、いまごろどうしているだろうか。>
と締められている。おそらく、現在の政治家も権威を失った結果として国民からすっかり支持を失っている、というようなことを橘さんは暗に示したかったのだと私は解釈する。
教育(教師と生徒との関係)でも政治(政治家と国民との関係)でも、ある程度の権威がなければ機能しなくなる。それが失ってしまったら、たとえ小手先の処置をしたところで回復することはできないのだ。
ところで、この権威の崩壊というのは様々な現場でおきている現象だ。いま述べた教育現場や政治はもちろん、大学のようなアカデミズムの世界、官公庁、企業などなど。やはり、インターネットの発達によりいままでは隠されていた情報が多くの人に共有されたことが大きいのだろう。それによってかつては「なんだかよくわからないけど凄い人」と思われていた人たちが、実は私たちとたいして変わらない人だとバレてしまったのである。権威がなくなる、とはつまりそういうことだ。
IT化によってもたらされたものは大きい。プラスの面も多いことには違いないだろう。しかし一方でいろいろなものを破壊していったことも否定できない。そんな光景が教育現場という例で非常にわかりやすく書かれた文章だと思う。
原文はこちら。
http://www.tachibana-akira.com/2011/07/2834
「リメイクアルバム」などと言われても・・・
2011年7月11日 BONNIE PINKこの秋にアコースティックでのライブ・ツアーが決まっているBONNIE PINKが9月21日にアルバムを発売するというニュースが入った。ツアーをするなら何らかの作品を出すのかなとは思っていたけれど、「Back Room -BONNIE PINK Remakes-」と題されたその中身は「リメイクアルバム」だという。
リメイクアルバムなんて言葉は初めて聞いたぞと最初は思ってけれど、言葉の響きだけでだいたい内容の想像はついてしまう。これまで出した楽曲を録音した「セルフ・カバー・アルバム」の名前をリメイクなどと名前を変えただけだ。
収録曲は、
・Heaven’s Kitchen (from 02nd album "Heaven’s Kitchen")
・Last Kiss (from 07th album "Even So")
・Do You Crash? (from 02nd album "Heaven’s Kitchen")
・A Perfect Sky (from best album "Every Single Day -Complete BONNIE PINK(1995-2006)")
・Tonight, the Night (from 06th album "Present")
・Present (from 06th album "Present")
・Ring A Bell (from 10th album "ONE")
・Paradiddle-free (from 08th album "Golden Tears")
・Burning Inside (from 09th album "Thinking Out Loud")
+新曲1曲
という構成になっている。彼女がブレイクしたきっかけとなる”Heaven’s Kitchen”や、紅白歌合戦で披露した”A Perfect Sky”は妥当な線であるものの、それ以外はなかなか微妙な選曲であり、どういう意図をもって選んだのかは興味深い。
しかしセルフ・カバー、いやリメイクアルバムと聞いただけでテンションがガックリと下がったことは否定できない。これまで自分の好きなミュージシャンも同様の趣向でアルバムを出しているけれど、渡辺美里の「Dear My Songs」(08
年)にしろ、佐野元春の「月と専制君主」(11年)にしろ、繰り返し聴くのはなかなか厳しい内容ばかりであったのことが脳裏によぎる。
カバーを出す時は行き詰まっている時、などと大滝詠一がどこかの文章で書いていたことがある。確かに他人の楽曲を歌うカバーという行為は創作意欲が高まっている時にするものではないだろう。ましてや、自分の曲を採録するというのは・・・。
別に出したからといって非難や批判をするつもりもないけれど、そういうことを念頭において、期待値ゼロの気持ちで9月のアルバムを待ってみることにしたい。
別に意地悪を言いたいのではなくて、セルフカバーなんてそんなものなんですよ。
リメイクアルバムなんて言葉は初めて聞いたぞと最初は思ってけれど、言葉の響きだけでだいたい内容の想像はついてしまう。これまで出した楽曲を録音した「セルフ・カバー・アルバム」の名前をリメイクなどと名前を変えただけだ。
収録曲は、
・Heaven’s Kitchen (from 02nd album "Heaven’s Kitchen")
・Last Kiss (from 07th album "Even So")
・Do You Crash? (from 02nd album "Heaven’s Kitchen")
・A Perfect Sky (from best album "Every Single Day -Complete BONNIE PINK(1995-2006)")
・Tonight, the Night (from 06th album "Present")
・Present (from 06th album "Present")
・Ring A Bell (from 10th album "ONE")
・Paradiddle-free (from 08th album "Golden Tears")
・Burning Inside (from 09th album "Thinking Out Loud")
+新曲1曲
という構成になっている。彼女がブレイクしたきっかけとなる”Heaven’s Kitchen”や、紅白歌合戦で披露した”A Perfect Sky”は妥当な線であるものの、それ以外はなかなか微妙な選曲であり、どういう意図をもって選んだのかは興味深い。
しかしセルフ・カバー、いやリメイクアルバムと聞いただけでテンションがガックリと下がったことは否定できない。これまで自分の好きなミュージシャンも同様の趣向でアルバムを出しているけれど、渡辺美里の「Dear My Songs」(08
年)にしろ、佐野元春の「月と専制君主」(11年)にしろ、繰り返し聴くのはなかなか厳しい内容ばかりであったのことが脳裏によぎる。
カバーを出す時は行き詰まっている時、などと大滝詠一がどこかの文章で書いていたことがある。確かに他人の楽曲を歌うカバーという行為は創作意欲が高まっている時にするものではないだろう。ましてや、自分の曲を採録するというのは・・・。
別に出したからといって非難や批判をするつもりもないけれど、そういうことを念頭において、期待値ゼロの気持ちで9月のアルバムを待ってみることにしたい。
別に意地悪を言いたいのではなくて、セルフカバーなんてそんなものなんですよ。
「going concern」などはあり得ない
2011年7月12日経済のニュースを見ていたら、「室町期に創業、541年…九州最古の企業が破産へ 負債1.2億円」という記事を見つける。「Sankeibiz」が11年6月11日に配信したもので、全文を引用する。
<室町時代に創業したとされ、長崎県五島市で食料品店を経営する「川口分店」が、近く破産申請することを同社の関係者が21日、明らかにした。東京商工リサーチによると、九州で最も古い企業という。
川口分店は1470年に創業して塩田の経営を始めたという。
東京商工リサーチや関係者によると、同社は、大型店やドラッグストアの進出で業績が低迷し、売り上げはここ5年で半減。4月以降、2度の不渡りを出し、4月末に閉店した。負債総額は約1億2千万円。>
1470(文明2)年といえば、かの「応仁の乱」(1467ー77)の最中だというから、そこから21世紀まで営業を続けたと思うと頭がクラクラしてくる。
また創業当時は「塩田の経営」というのもなかなか凄い話だ。塩田とは海水を蒸発させて塩を取り出す場所である。しかし海水を電気分解して塩を作る方法が1972年に国が採用したことにより日本から塩田は消えてしまった歴史がある。川口文店もそういう時代の流れに直面しながら、酒造業、味噌製造業、スーパーと経営手段を変えていったのだろう。
大学時代に簿記学の授業で「ゴーイング・コンサーン」(going concern)という言葉を初めて知った。企業は永遠に継続していく、という考え方で、会計学などもこのような前提で考えられるのだという。当時も現在も、会社がずっと続くなんてあり得ないだろう、という思いは変わらない。あくまで会計などの理論を作るための話なので文句をいっても仕方ないけれど、現実的に企業の平均寿命は「永遠」とはほど遠いだろう。
それでも創業541年というのは驚異的な長さであるのは間違いない。しかし応仁の乱や二度の大戦をくぐり抜けてきた川口分店であっても、この複雑な時代に対応することはできなかったということか。想像以上に激動の世の中を私たちは生きているのかもしれない。
<室町時代に創業したとされ、長崎県五島市で食料品店を経営する「川口分店」が、近く破産申請することを同社の関係者が21日、明らかにした。東京商工リサーチによると、九州で最も古い企業という。
川口分店は1470年に創業して塩田の経営を始めたという。
東京商工リサーチや関係者によると、同社は、大型店やドラッグストアの進出で業績が低迷し、売り上げはここ5年で半減。4月以降、2度の不渡りを出し、4月末に閉店した。負債総額は約1億2千万円。>
1470(文明2)年といえば、かの「応仁の乱」(1467ー77)の最中だというから、そこから21世紀まで営業を続けたと思うと頭がクラクラしてくる。
また創業当時は「塩田の経営」というのもなかなか凄い話だ。塩田とは海水を蒸発させて塩を取り出す場所である。しかし海水を電気分解して塩を作る方法が1972年に国が採用したことにより日本から塩田は消えてしまった歴史がある。川口文店もそういう時代の流れに直面しながら、酒造業、味噌製造業、スーパーと経営手段を変えていったのだろう。
大学時代に簿記学の授業で「ゴーイング・コンサーン」(going concern)という言葉を初めて知った。企業は永遠に継続していく、という考え方で、会計学などもこのような前提で考えられるのだという。当時も現在も、会社がずっと続くなんてあり得ないだろう、という思いは変わらない。あくまで会計などの理論を作るための話なので文句をいっても仕方ないけれど、現実的に企業の平均寿命は「永遠」とはほど遠いだろう。
それでも創業541年というのは驚異的な長さであるのは間違いない。しかし応仁の乱や二度の大戦をくぐり抜けてきた川口分店であっても、この複雑な時代に対応することはできなかったということか。想像以上に激動の世の中を私たちは生きているのかもしれない。
生まれて初めて「週刊新潮」を買いました
2011年7月13日コメント (1)
本日の昼間、堀川寺之内のローソンで「週刊新潮」2011年7月21日号を買った。価格は340円、この雑誌を購入したのは生まれて初めてのことである。なぜかといえば、以前いた会社が記事で取り上げられているからだ。もちろん良い話で載っているわけではない。
題名は、
「覚醒剤退職者を執行役員で採用した恐るべき京都新聞」
というものである。発端は6月29日の株主総会において、白石京大(しらいし・きょうた)氏がいきなり執行役員に就任されたことだ。京大氏はかつて日本新聞協会の会長を努めた故・白石古京(こきょう)の孫にあたる。京都新聞は白石一族が経営権を完全に掌握している同族企業だ。その御曹司の京大氏も新聞社に入社し報道カメラマン、販売局員と歴任し、そろそろ役員に就任するかと思われていた矢先の2005年2月に覚醒剤所持の件で逮捕される。懲戒解雇などの処置はなくその直前に依頼解職という形で社を去っており、そのやり方については社内でも疑問が出ていた。しかしあれから6年が経ち、京大氏はまた会社に舞い戻ってきてしまったのである。
しかし、ここまで酷い話は珍しいにしても、新聞社でおかしな経営や人事をおこなっているところは珍しくない。それはなぜか。
全国紙でも地方紙においても、新聞社というのは株式を上場していない。表向きの理由は「大株主に支配されたら公共メディアとしての中立性が損なわれる!」などと言っているけれど、その裏側では外圧を恐れることなく株主が好き勝手に密室で経営をしているわけだ。これはもう構造的な問題であろう。
無論、こうした会社では人事にケチをつけられる者など社内にはいない。もし役員がそんなこと言ったりしたらすぐ会社から放り出されるだろう。現場や労働組合から何か言われたら(これも所詮ポーズでしかない。まさか抗議で辞任なんて誰もしないよね?)、「もう『みそぎ』は済んだ!」とか「逮捕歴があるからというのは差別だ!」と苦し紛れなことを言って火消しに専念するのだろう。かつていた会社だからそのあたりのところは容易に想像がつく。
私はもはやこの会社と関係はないし、何か批判や抗議をしたいわけではない。それより、新聞というのは構造的にもう駄目なんですよ、と色々な角度から指摘したいだけだ。
ただ個人的には、こうした醜聞(スキャンダル)によって、京都新聞の販売店を回っている社員が現場で嫌なことを言われてるんじゃないかなと想像してしまう。編集でも広告でも事業でも、末端にいる人がこういうことで被害を受けるのである。役員連中がそんなこと知るよしもないだろうが。
この記事でなぜか、毎日新聞元編集委員でジャーナリストの徳岡孝夫という人がこんなコメントを出している。
<京都新聞は夏に比叡山でお化け屋敷を主催していて、学生だった僕らは”全国紙が主催するのは高校野球なのに”と冷やかしていたものです。そんな新聞社の社主の孫ですから、覚せい剤くらいやっても驚きませんよ。ただ、逮捕から6年、そろそろまたやりたくならなければいいのですが>
高校野球だろうがお化け屋敷だろうが、そんな何十年前の話はいまさらどうだっていいだろう。京都にしろ毎日にしろ、本当は潰れているはずなのに存続している「ゾンビ会社」なのだから、中にいる人のレベルも推して知るべしである。そんな空しさを感じる記事であった。
しかしこれから何年かして、果たして白石一族は京大氏を晴れて社長にさせてしまうのだろうか。その時はもっと大きな記事で週刊新潮には取り上げてもらえたらと願う。
題名は、
「覚醒剤退職者を執行役員で採用した恐るべき京都新聞」
というものである。発端は6月29日の株主総会において、白石京大(しらいし・きょうた)氏がいきなり執行役員に就任されたことだ。京大氏はかつて日本新聞協会の会長を努めた故・白石古京(こきょう)の孫にあたる。京都新聞は白石一族が経営権を完全に掌握している同族企業だ。その御曹司の京大氏も新聞社に入社し報道カメラマン、販売局員と歴任し、そろそろ役員に就任するかと思われていた矢先の2005年2月に覚醒剤所持の件で逮捕される。懲戒解雇などの処置はなくその直前に依頼解職という形で社を去っており、そのやり方については社内でも疑問が出ていた。しかしあれから6年が経ち、京大氏はまた会社に舞い戻ってきてしまったのである。
しかし、ここまで酷い話は珍しいにしても、新聞社でおかしな経営や人事をおこなっているところは珍しくない。それはなぜか。
全国紙でも地方紙においても、新聞社というのは株式を上場していない。表向きの理由は「大株主に支配されたら公共メディアとしての中立性が損なわれる!」などと言っているけれど、その裏側では外圧を恐れることなく株主が好き勝手に密室で経営をしているわけだ。これはもう構造的な問題であろう。
無論、こうした会社では人事にケチをつけられる者など社内にはいない。もし役員がそんなこと言ったりしたらすぐ会社から放り出されるだろう。現場や労働組合から何か言われたら(これも所詮ポーズでしかない。まさか抗議で辞任なんて誰もしないよね?)、「もう『みそぎ』は済んだ!」とか「逮捕歴があるからというのは差別だ!」と苦し紛れなことを言って火消しに専念するのだろう。かつていた会社だからそのあたりのところは容易に想像がつく。
私はもはやこの会社と関係はないし、何か批判や抗議をしたいわけではない。それより、新聞というのは構造的にもう駄目なんですよ、と色々な角度から指摘したいだけだ。
ただ個人的には、こうした醜聞(スキャンダル)によって、京都新聞の販売店を回っている社員が現場で嫌なことを言われてるんじゃないかなと想像してしまう。編集でも広告でも事業でも、末端にいる人がこういうことで被害を受けるのである。役員連中がそんなこと知るよしもないだろうが。
この記事でなぜか、毎日新聞元編集委員でジャーナリストの徳岡孝夫という人がこんなコメントを出している。
<京都新聞は夏に比叡山でお化け屋敷を主催していて、学生だった僕らは”全国紙が主催するのは高校野球なのに”と冷やかしていたものです。そんな新聞社の社主の孫ですから、覚せい剤くらいやっても驚きませんよ。ただ、逮捕から6年、そろそろまたやりたくならなければいいのですが>
高校野球だろうがお化け屋敷だろうが、そんな何十年前の話はいまさらどうだっていいだろう。京都にしろ毎日にしろ、本当は潰れているはずなのに存続している「ゾンビ会社」なのだから、中にいる人のレベルも推して知るべしである。そんな空しさを感じる記事であった。
しかしこれから何年かして、果たして白石一族は京大氏を晴れて社長にさせてしまうのだろうか。その時はもっと大きな記事で週刊新潮には取り上げてもらえたらと願う。
火事じゃないってば
2011年7月15日
今日はなぜか朝の6時ごろに目が覚めた。珍しくパッと起きることができたので、朝食もさっさと済ませようと思い立つ。部屋にはいつもパンが朝食用に置いてあり、そのままマーガリンを塗って食べている。しかし今日は何を思ったのか、レンジでトーストしようと思った。オーブン機能はずっと使っていないので大丈夫かなと不安に思いながら卵を焼いていると、焦げくさい臭いとともに部屋がどんどん曇ってきた。あまりに煙が充満したため、部屋に設置されていた火災報知機が鳴り出す。鳴り出すどころか、
「火事です。火事です」
としゃべり始めたから余計に焦ってくる。火事じゃないってば。このままでは大家が起きて消防署や消防団もやってくるぞ。しかし「警報停止」というボタンを押してもしゃべりは収まらず、下に垂れているヒモを引っ張ったらようやく黙ってくれた。しかし、この処置で良かったのか?
あまり早く起きてみても、自分にとって良いことはあまりないようだ。
「火事です。火事です」
としゃべり始めたから余計に焦ってくる。火事じゃないってば。このままでは大家が起きて消防署や消防団もやってくるぞ。しかし「警報停止」というボタンを押してもしゃべりは収まらず、下に垂れているヒモを引っ張ったらようやく黙ってくれた。しかし、この処置で良かったのか?
あまり早く起きてみても、自分にとって良いことはあまりないようだ。
駄目なのは、新聞ばかりじゃないみたい
2011年7月17日TBSが42年放送を続けてきた時代劇ドラマ「水戸黄門」を現在の第43部をもって終了すると7月15日に発表された。
「asahi.com」7月15日の記事によれば、1969(昭和44)年8月から始まった水戸黄門は79年2月5日放送の第9部最終話で視聴率43.7%を記録したり、同年8月から12月に放送した第10部の平均視聴率は37.7%となるなど、驚異的な人気を博す文字通りTBSの看板番組であった。だが40年目の08年10月20日に初めて視聴率1ケタ(9.7%)まで落ち込んでしまう。
かつて「報道のTBS」、「ドラマのTBS」と言われるほどその分野に強かった同局であるが、今ではすっかり勢いを失っているようだ。
試しに、視聴率を調べている会社「ビデオリサーチ」のサイトで今年度(4月~7月)の週間平均視聴率を調べてみた。ただし数字は関東地区のものである。
http://www.videor.co.jp/data/ratedata/top10.htm
同社ではテレビ番組を「報道」、「アニメ」、「ドラマ」などと8つの項目に分類してそれぞれの視聴率のトップ10を載せている。
「ドラマ」では開局60周年記念の冠がついた「JIN-仁-」を1位を記録した時期があるものの、他にトップ10へ入っていたのは「渡る世間は鬼ばかり」と2時間ドラマの「月曜ゴールデン」しかない。この2番組を昔から続いているものだから、新しい番組で視聴者を集めているとはいえないだろう。かの水戸黄門はさすがに一度もランキング入りしてはいなかった。「ドラマのTBS」などとはもう言える状態ではないようである。
では報道番組についてはどうか。こちらも日曜日の「サンデーモーニング」、土曜夜「情報7daysニュース」が顔を出しているくらいである。報道については、オウム真理教を批判していた坂本堤弁護士のインタビュー映像を放送直前に教団幹部に見せた「TBSビデオ問題」など深刻な不祥事が続いたおかげですっかり信用を落としたことが大きい。
それ以外のアニメ、音楽、スポーツなどの項目にいたっては、サッカーなど特別番組がランキング入りするだけである。こうしてザッと見ただけでも、TBSには「これが強みだ!」という分野は見当たらない。実際のところ放送部門は赤字であり、不動産などそれ以外の部分でなんとか利益を確保しているのが社の現状だ。
さきほど述べたTBSビデオ問題について、会社が正式にこれを認めた96年3月25日、当時の看板報道番組だった「筑紫哲也 NEWS23」のキャスターであった故・筑紫哲也氏は、
「TBSは今日、死んだに等しいと思います」
と有名な発言をした。あれから15年も経過しているけれど、TBSも新聞社と同様、既に死んでいるのに継続している「ゾンビ会社」なのだろう。もしかしたら他のテレビ局やラジオ局もそうかもしれない。
いつの間にやらアナログ放送の終了まであと1週間となってしまった。これにともない「地デジ難民」が生じるとか色々いわれはじめているけれど(私もその一人か)、たとえ無理やりにデジタル化したところで肝心のコンテンツ(番組内容)を改善することが果たしてできるのか。そんなことを考えるとテレビも新聞と同様、前世紀の遺物と化す日も遠くないような気がしてくる。
「asahi.com」7月15日の記事によれば、1969(昭和44)年8月から始まった水戸黄門は79年2月5日放送の第9部最終話で視聴率43.7%を記録したり、同年8月から12月に放送した第10部の平均視聴率は37.7%となるなど、驚異的な人気を博す文字通りTBSの看板番組であった。だが40年目の08年10月20日に初めて視聴率1ケタ(9.7%)まで落ち込んでしまう。
かつて「報道のTBS」、「ドラマのTBS」と言われるほどその分野に強かった同局であるが、今ではすっかり勢いを失っているようだ。
試しに、視聴率を調べている会社「ビデオリサーチ」のサイトで今年度(4月~7月)の週間平均視聴率を調べてみた。ただし数字は関東地区のものである。
http://www.videor.co.jp/data/ratedata/top10.htm
同社ではテレビ番組を「報道」、「アニメ」、「ドラマ」などと8つの項目に分類してそれぞれの視聴率のトップ10を載せている。
「ドラマ」では開局60周年記念の冠がついた「JIN-仁-」を1位を記録した時期があるものの、他にトップ10へ入っていたのは「渡る世間は鬼ばかり」と2時間ドラマの「月曜ゴールデン」しかない。この2番組を昔から続いているものだから、新しい番組で視聴者を集めているとはいえないだろう。かの水戸黄門はさすがに一度もランキング入りしてはいなかった。「ドラマのTBS」などとはもう言える状態ではないようである。
では報道番組についてはどうか。こちらも日曜日の「サンデーモーニング」、土曜夜「情報7daysニュース」が顔を出しているくらいである。報道については、オウム真理教を批判していた坂本堤弁護士のインタビュー映像を放送直前に教団幹部に見せた「TBSビデオ問題」など深刻な不祥事が続いたおかげですっかり信用を落としたことが大きい。
それ以外のアニメ、音楽、スポーツなどの項目にいたっては、サッカーなど特別番組がランキング入りするだけである。こうしてザッと見ただけでも、TBSには「これが強みだ!」という分野は見当たらない。実際のところ放送部門は赤字であり、不動産などそれ以外の部分でなんとか利益を確保しているのが社の現状だ。
さきほど述べたTBSビデオ問題について、会社が正式にこれを認めた96年3月25日、当時の看板報道番組だった「筑紫哲也 NEWS23」のキャスターであった故・筑紫哲也氏は、
「TBSは今日、死んだに等しいと思います」
と有名な発言をした。あれから15年も経過しているけれど、TBSも新聞社と同様、既に死んでいるのに継続している「ゾンビ会社」なのだろう。もしかしたら他のテレビ局やラジオ局もそうかもしれない。
いつの間にやらアナログ放送の終了まであと1週間となってしまった。これにともない「地デジ難民」が生じるとか色々いわれはじめているけれど(私もその一人か)、たとえ無理やりにデジタル化したところで肝心のコンテンツ(番組内容)を改善することが果たしてできるのか。そんなことを考えるとテレビも新聞と同様、前世紀の遺物と化す日も遠くないような気がしてくる。
出町柳へ行く途中、傘が飛ばされそうになるほど風が強くなってきた。台風6号が明日にも近畿に上陸するかもしれないという噂が流れる中、京阪電車で中之島の大阪国際会議場へ向かう。中島美嘉のライブである。本音をいえば今あまり出歩きたい心境ではないけれど6月ごろ既にチケットを取ってしまったから仕方ない。しかもチケットはオークションを利用して8000円で手に入れたものだ(定価は6800円)。
中島美嘉に関しては、昨年に大阪城ホールでデビュー10周年記念ライブを観るはずが彼女が耳の病気療養のため中止になってしまった。そういうこともあって、その続きを観ないと気持ちがおさまらないなあと思って無理やりチケットを取ったのである。席は1階真ん中の一番左端だった。ステージには幕がかかっていて、ツアー名の「THE ONLY STAR」と白っぽいネコのシルエットが映し出されている。そのネコは10分ごとくらいに少し動いていたのでスライドではなく動画だったのだろう。そして午後6時43分に明かりが消えて、仮面を被ったピエロのような人が一人で不気味なパントマイムしばらくしてから開演となる。
1曲目はなんだろうなあと思っていたら、ニュー・オーリンズで録音された”All Hands Together”だった。アラン・トゥーサンが参加しているこの曲を聴くたびドクター・ジョンの”アイコ・アイコ”を連想してしまう。これを一発目にもってかなくてもと思う一方、観客と手拍子を一緒にしたいがために選んだのかなとも思った。しかし続くは昨年10月の幻のライブで1曲目に歌われるはずだった”GLAMOROUS SKY”である。これを最初にもってくるべきだったのでは?とこの辺の意図はわからなかった。
mixiのコミュニティでも多くの人が指摘しているけれど、声の調子はかなりおかしかった。6月下旬から7月上旬の7公演を延期していたくらいなので大阪も大丈夫かと不安だったけれど、昨日(7月18日)ではアンコールもなかったという。ドクターストップも出たという噂も出ていたし、かなり無理をしての敢行だったのは間違いない。昨年に休業をし、こないだも公演中止をしていたからこれ以上は休めないということか。
それ以外では、総じていつものツアーと同じような展開だった。観客の声に答えるグダグダのMCのところでは、
「かわいい!』
「まつ毛ちょうだい!」
(女性から)「結婚して!」
と好き放題いろいろ言われているのにいちいち返事をしていた。しかし本人にしてみれば喋りが苦手なので客と応対しているほうがラクだとかつて話していた。またなにを思ったのか観客全員でウエーブを2回させられた。ウエーブをしたのは渡辺美里のライブくらいである。本編最後の”雪の華”では1コーラス目でマイクを客席に向ける。悪いな、字幕スーパーがないと私は歌えないんだよ。
ふと後ろですすり泣く声が聞こえていたので振り向くと、後ろの女性が涙ぐんでいた。涙というのはウエーブをした後でも出てくるんもんなんですか。ただ、昨年の休業について触れながら歌った”A MIRACLE FOR YOU”は気持ちがこもっている感じで、私にも胸に迫るものがあった。自分も現在はあまり良い精神状態ではないので、ふとした時にこの曲を思い出すような気がする。
アンコールのMCで震災について触れる場面があり、その時に”ALL HANDS TOGETHER”が05年に大型ハリケーン「カトリーナ」で被災したニューオリンズのために制作したチャリティ・ソングだったことを話していた。ああ、すっかりその事実を忘れていたけれど、だからこの曲を冒頭にもってきたのかなと今さら気づかされる。
終演後はステージからマイクなしで「ありがとうございました!」と最後の力を振り絞って観客にお礼をいってこの日のライブが終わる。振替公演は9月に行われるためライブはこれで一段落ということか。お疲れさま。今度はお互い(?)ベストな状態で再会できればと願う。しかし彼女はともかく、私は駄目かもしれないなあ。最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ALL HANDS TOGETHER
(2)GLAMOROUS SKY
(3)LIFE
(4)BABY BABY BABY
(5)ALWAYS
(6)一番綺麗な私を
(7)流れ星
(8)メドレー:愛している/ORION/STARS/愛してる
(9)16
(10)SONG FOR A WISH
(11)CANDY GIRL
(12)SPIRAL
(13)LONELY STAR
(14)I DON’T KNOW
(15)DANCE WITH THE DEVIL
(16)雪の華
(アンコール)
(17)Dear
(18)A MIRACLE FOR YOU
中島美嘉に関しては、昨年に大阪城ホールでデビュー10周年記念ライブを観るはずが彼女が耳の病気療養のため中止になってしまった。そういうこともあって、その続きを観ないと気持ちがおさまらないなあと思って無理やりチケットを取ったのである。席は1階真ん中の一番左端だった。ステージには幕がかかっていて、ツアー名の「THE ONLY STAR」と白っぽいネコのシルエットが映し出されている。そのネコは10分ごとくらいに少し動いていたのでスライドではなく動画だったのだろう。そして午後6時43分に明かりが消えて、仮面を被ったピエロのような人が一人で不気味なパントマイムしばらくしてから開演となる。
1曲目はなんだろうなあと思っていたら、ニュー・オーリンズで録音された”All Hands Together”だった。アラン・トゥーサンが参加しているこの曲を聴くたびドクター・ジョンの”アイコ・アイコ”を連想してしまう。これを一発目にもってかなくてもと思う一方、観客と手拍子を一緒にしたいがために選んだのかなとも思った。しかし続くは昨年10月の幻のライブで1曲目に歌われるはずだった”GLAMOROUS SKY”である。これを最初にもってくるべきだったのでは?とこの辺の意図はわからなかった。
mixiのコミュニティでも多くの人が指摘しているけれど、声の調子はかなりおかしかった。6月下旬から7月上旬の7公演を延期していたくらいなので大阪も大丈夫かと不安だったけれど、昨日(7月18日)ではアンコールもなかったという。ドクターストップも出たという噂も出ていたし、かなり無理をしての敢行だったのは間違いない。昨年に休業をし、こないだも公演中止をしていたからこれ以上は休めないということか。
それ以外では、総じていつものツアーと同じような展開だった。観客の声に答えるグダグダのMCのところでは、
「かわいい!』
「まつ毛ちょうだい!」
(女性から)「結婚して!」
と好き放題いろいろ言われているのにいちいち返事をしていた。しかし本人にしてみれば喋りが苦手なので客と応対しているほうがラクだとかつて話していた。またなにを思ったのか観客全員でウエーブを2回させられた。ウエーブをしたのは渡辺美里のライブくらいである。本編最後の”雪の華”では1コーラス目でマイクを客席に向ける。悪いな、字幕スーパーがないと私は歌えないんだよ。
ふと後ろですすり泣く声が聞こえていたので振り向くと、後ろの女性が涙ぐんでいた。涙というのはウエーブをした後でも出てくるんもんなんですか。ただ、昨年の休業について触れながら歌った”A MIRACLE FOR YOU”は気持ちがこもっている感じで、私にも胸に迫るものがあった。自分も現在はあまり良い精神状態ではないので、ふとした時にこの曲を思い出すような気がする。
アンコールのMCで震災について触れる場面があり、その時に”ALL HANDS TOGETHER”が05年に大型ハリケーン「カトリーナ」で被災したニューオリンズのために制作したチャリティ・ソングだったことを話していた。ああ、すっかりその事実を忘れていたけれど、だからこの曲を冒頭にもってきたのかなと今さら気づかされる。
終演後はステージからマイクなしで「ありがとうございました!」と最後の力を振り絞って観客にお礼をいってこの日のライブが終わる。振替公演は9月に行われるためライブはこれで一段落ということか。お疲れさま。今度はお互い(?)ベストな状態で再会できればと願う。しかし彼女はともかく、私は駄目かもしれないなあ。最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ALL HANDS TOGETHER
(2)GLAMOROUS SKY
(3)LIFE
(4)BABY BABY BABY
(5)ALWAYS
(6)一番綺麗な私を
(7)流れ星
(8)メドレー:愛している/ORION/STARS/愛してる
(9)16
(10)SONG FOR A WISH
(11)CANDY GIRL
(12)SPIRAL
(13)LONELY STAR
(14)I DON’T KNOW
(15)DANCE WITH THE DEVIL
(16)雪の華
(アンコール)
(17)Dear
(18)A MIRACLE FOR YOU
10万件突破。しかし感慨など一切なし
2011年7月20日 とどめておきたこと、特記事項他にすることがない、というわけでもないけれど会社を辞めてからブログをなるべく書くように努めている。毎日なにかを書き続けていれば、なぜかアクセス数も不思議と増えてくる。おかげで以前は1日に30件程度のアクセスが多い時には200件を超える日も出てきた。こうなると書いてる人間も不思議と、書くことがないけど今日も何か書いてみようか、などと思ってしまう。アフィリエイトなどの利益に直結するようなシステムもないのに。
そんな自分が最近のブログで少し気になっていたことがある。右上にあるアクセスカウンターだ。わざわざブログで文章を書いていてアクセス数に興味のない人はいないだろう。このブログももうすぐ10万件の大台に突入しそうというところだった。今朝見たときは99900件。昨日のアクセス数が88件とやや少なめだったので、これは明日に持ち越しかなと思っていたら夜になって覗く人の数がやたらに増えてくれて、いつの間にやら10万件を達成していた。
しかしながら、この「寺之内日記」を開設したのは02年10月12日、9年ちかく前のことだ。長い時間をかけての達成であるから凄くもなんともない、だろう。
試しに9年(3285日)で10万件のアクセス数と考えると、10万÷3285=約30(笑)。私の日記などやはりこのくらいの数字で落ち着くようだ。
それはともかく、気力が続く限り、またこの日記のサービスが続く限りは何かを載せていきたい。
そんな自分が最近のブログで少し気になっていたことがある。右上にあるアクセスカウンターだ。わざわざブログで文章を書いていてアクセス数に興味のない人はいないだろう。このブログももうすぐ10万件の大台に突入しそうというところだった。今朝見たときは99900件。昨日のアクセス数が88件とやや少なめだったので、これは明日に持ち越しかなと思っていたら夜になって覗く人の数がやたらに増えてくれて、いつの間にやら10万件を達成していた。
しかしながら、この「寺之内日記」を開設したのは02年10月12日、9年ちかく前のことだ。長い時間をかけての達成であるから凄くもなんともない、だろう。
試しに9年(3285日)で10万件のアクセス数と考えると、10万÷3285=約30(笑)。私の日記などやはりこのくらいの数字で落ち着くようだ。
それはともかく、気力が続く限り、またこの日記のサービスが続く限りは何かを載せていきたい。
中村とうようの死
2011年7月21日音楽誌「ニューミュージック・マガジン」(現「ミュージック・マガジン」)の創始者の中村とうようが亡くなった、といっても多くの人には全くピンとこない話だろう。別に詳しく紹介するような価値のある人でもないし、経歴については割愛する。
以前から独善的なことを書く人間と薄々は感じていたけれど、決定的だったのは山下達郎がアルバム「COZY」(98年)を出したころの「ミュージック・マガジン」誌上で、達郎君に比べたらヴァン・モリソンなど二流の演歌歌手並の節回しだ、などと何を意図して書いてるのかさっぱりわからない文章を見た時である。
この時点で、
「こいつはまともなライターじゃないな」
と私の中では判断してしまった。英語で作詞をするミュージシャンは三流だ、とか書いた某泡沫ライターと同様、もはや真剣に付き合っていられるレベルの人間ではないと思ってしまったのである。
しかし自殺したと聞いてしまった今は、これまでの文章も病気がさせたことなのかな、などと考えてしまう。死人を叩いても仕方の無い話だから。
以前から独善的なことを書く人間と薄々は感じていたけれど、決定的だったのは山下達郎がアルバム「COZY」(98年)を出したころの「ミュージック・マガジン」誌上で、達郎君に比べたらヴァン・モリソンなど二流の演歌歌手並の節回しだ、などと何を意図して書いてるのかさっぱりわからない文章を見た時である。
この時点で、
「こいつはまともなライターじゃないな」
と私の中では判断してしまった。英語で作詞をするミュージシャンは三流だ、とか書いた某泡沫ライターと同様、もはや真剣に付き合っていられるレベルの人間ではないと思ってしまったのである。
しかし自殺したと聞いてしまった今は、これまでの文章も病気がさせたことなのかな、などと考えてしまう。死人を叩いても仕方の無い話だから。
「ぴあ」の休刊
2011年7月22日先日の7月21日をもってエンタテインメント情報誌「ぴあ」(首都圏版)が休刊となった。創刊が1972年、39年の歴史が終わったことになる。
今朝の「モーニングバード」(テレビ朝日系列)でもこのことが紹介され、出演者の長島一茂ほかが、映画情報などは「ぴあ」を読んで手に入れていた、というように昔を振り返っていた。
ネット以前の時代は映画や音楽などサブカルチャーの情報源は雑誌が一番だったのが間違いない。しかし現在もそのようなことをしているのはマニアと呼ばれるような人たちだけだろう。簡単な情報はパソコンや携帯で拾える時代になってしまったことが、この「ぴあ」の休刊が如実に表している。
ぴあ株式会社のサイトでは、
【今後の展開】
そして、この度ぴあは、成熟化するデジタルネットワーク社会に相応しい情報提供のあり方を見据え、情報誌としての「ぴあ」は時代の役割を十分に全うしたと判断。ぴあがぴあとしてさらに進化していくために、2011年7月21日(木)の発行をもって同誌を休刊することを決定いたしました。今後は「ぴあ」のエンタテインメント情報をベースとしたサービスのさらなる強化を図るとともに、新たなメディア・コンテンツの開発に努めてまいります。
ぴあは、エンタテインメント領域のさらなる活性化を目指し、時代の変化に対応しながら、これからもさまざまなメディアを通じて良質なエンタテインメント情報を提供してまいります。
という声明を発表している。正直いって今後どういう展開をはかっていくのか、道筋のようなものは見えてこない。
クレジットカードは「ぴあカード」を所持し、すっかり株価の下がった株式も持っている私としては、どうなってしまうのかなあと不安な気持ちになってくる。
今朝の「モーニングバード」(テレビ朝日系列)でもこのことが紹介され、出演者の長島一茂ほかが、映画情報などは「ぴあ」を読んで手に入れていた、というように昔を振り返っていた。
ネット以前の時代は映画や音楽などサブカルチャーの情報源は雑誌が一番だったのが間違いない。しかし現在もそのようなことをしているのはマニアと呼ばれるような人たちだけだろう。簡単な情報はパソコンや携帯で拾える時代になってしまったことが、この「ぴあ」の休刊が如実に表している。
ぴあ株式会社のサイトでは、
【今後の展開】
そして、この度ぴあは、成熟化するデジタルネットワーク社会に相応しい情報提供のあり方を見据え、情報誌としての「ぴあ」は時代の役割を十分に全うしたと判断。ぴあがぴあとしてさらに進化していくために、2011年7月21日(木)の発行をもって同誌を休刊することを決定いたしました。今後は「ぴあ」のエンタテインメント情報をベースとしたサービスのさらなる強化を図るとともに、新たなメディア・コンテンツの開発に努めてまいります。
ぴあは、エンタテインメント領域のさらなる活性化を目指し、時代の変化に対応しながら、これからもさまざまなメディアを通じて良質なエンタテインメント情報を提供してまいります。
という声明を発表している。正直いって今後どういう展開をはかっていくのか、道筋のようなものは見えてこない。
クレジットカードは「ぴあカード」を所持し、すっかり株価の下がった株式も持っている私としては、どうなってしまうのかなあと不安な気持ちになってくる。
さよなら、テレビのアナログ放送
2011年7月24日
2011年7月24日正午をもって、地上波テレビのアナログ放送が終了する。ぜひその瞬間に立ち会いたいと願っていたのだけれど、抜けられない用事が入ってしまう。無職の身に盆も正月もないのだ。
用件が終わったころ、時計はすでに12時を回っていた。確かアナログ放送が終わったら青をバックに白色の字幕スーパーが出てくる、と先日のテレビ番組で説明されていた。そして7月25日になった瞬間、画面はサンドストーム(砂嵐)に切り替わり本当にアナログ放送は終了となる(東北などの一部地域は今年度いっぱいまでは続くらしいが)
部屋に帰る途中、たまたま出会った近所のオジサンが終了の瞬間を観たという。画面が青くなって字幕が出ました?と訊いたら、砂嵐になった、とのこと。そんなバカな。急いで部屋に戻りテレビをつけてみると、やはり写真のような画面になっていた。この時は読売テレビの画面だが、朝日放送も関西テレビも構成は同じだった(字幕スーパーの形やアナウンスの声は違っていたが)
ああ、終わったんだな。長きにわたり続いたアナログテレビ放送の歴史が終わり悲しくなるかな、と思っていたら全く何も感慨がわかなかった。もうテレビをまともに観なくなってずいぶん経つ身としては、映らなくなったらといって特に不便を感じるわけでもないからだ。毎日欠かさず観ていたのは高校生までだったか。現在、目当てにしてるテレビ番組など一つもない。
そういう人間なので、いまだに私の部屋のテレビはデジタル化に対応していない。いわゆる「地デジ難民」の一人というわけだ。晴れて職を得た日にはチューナーくらい買ってもいいと思ってはいるけれど、「こんにちは、テレビのデジタル放送」と日記で書けるは果たしていつ訪れるやら、である。
用件が終わったころ、時計はすでに12時を回っていた。確かアナログ放送が終わったら青をバックに白色の字幕スーパーが出てくる、と先日のテレビ番組で説明されていた。そして7月25日になった瞬間、画面はサンドストーム(砂嵐)に切り替わり本当にアナログ放送は終了となる(東北などの一部地域は今年度いっぱいまでは続くらしいが)
部屋に帰る途中、たまたま出会った近所のオジサンが終了の瞬間を観たという。画面が青くなって字幕が出ました?と訊いたら、砂嵐になった、とのこと。そんなバカな。急いで部屋に戻りテレビをつけてみると、やはり写真のような画面になっていた。この時は読売テレビの画面だが、朝日放送も関西テレビも構成は同じだった(字幕スーパーの形やアナウンスの声は違っていたが)
ああ、終わったんだな。長きにわたり続いたアナログテレビ放送の歴史が終わり悲しくなるかな、と思っていたら全く何も感慨がわかなかった。もうテレビをまともに観なくなってずいぶん経つ身としては、映らなくなったらといって特に不便を感じるわけでもないからだ。毎日欠かさず観ていたのは高校生までだったか。現在、目当てにしてるテレビ番組など一つもない。
そういう人間なので、いまだに私の部屋のテレビはデジタル化に対応していない。いわゆる「地デジ難民」の一人というわけだ。晴れて職を得た日にはチューナーくらい買ってもいいと思ってはいるけれど、「こんにちは、テレビのデジタル放送」と日記で書けるは果たしていつ訪れるやら、である。
7月23日にイギリスの歌手、エイミー・ワインハウスが自宅で亡くなった。まだ27歳の若さで、死因は薬物の過剰摂取とみられている。
と書いておきながら、この人の音楽をまともに聴いたことはこれまでなかった。奇行の多い人、という噂が耳に入っていたのでなんとなく遠ざかっていたのだと思う。だから,彼女についてあれこれ書く材料は私の中にはない。
しかし、ミュージシャンにとって27歳というのは鬼門なのだろうか。ロバート・ジョンソンからジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、カート・コバーンと、この歳で亡くなった伝説的ミュージシャンは多い。そしてエイミーのその中に加わってしまったわけだ。尾崎豊は享年26歳である。
こういう訃報に接したら悲しむのが当然ではあるものの、おかしなファン心理というのがあるもので、老いて醜い姿を晒すくらいなら輝いている時に死んでもらったほうが良い、などと考える輩も出てくる。例えばザ・キュアーのロバート・スミスは、デヴィッド・ボウイはアルバム「ロウ」(77年)が出た後に死んでしまえばよかった、などと言っていたらしい。自分も同じことを言われているかもしれないのに。
「Don’t Trust Over Thirty」(30歳を過ぎた連中は信じない)というのは、自分がその年齢に達することを念頭においていない発言である。調べてみるとこれは70年代のヒッピー文化の時に生まれた言葉らしい。なるほど、どうりで青臭いわけだ。
彼らの言い分はいちおう理解している。美しいものがボロボロに朽ち果てていく姿を見るのは辛い。しかし、そんなことを思っている自分だって同じ運命をたどっていくのだ。
そういえば、こういう運命に抗おうとする男について書いた小説がかつてあった。谷崎潤一郎の「春琴抄」(1933年)である。といっても私は小説そのものを読んでいないので、あらすじを引用したい。少し長いけれど、これをちゃんと読んだ人も少ないと思うので紹介させてもらう。
<大阪の商家の娘春琴はまれに見る美貌であったが、八歳の時失明し、以後琴の世界に生き、十五歳で春松検校門下の随一となった。その春琴には、佐助という青年が仕えていた。二人の関係は異常ともいえるものだった。
佐助はひたすら春琴に身を粉にして仕えていく。春琴は一時も佐助なしではいられない。化粧から、着替え、外出するときも、佐助が春琴の手を引いていく。
一つ象徴的な場面がある。
春琴が弟子の家に呼ばれて稽古をつけるとき、用を足したくなっても目が見えない。佐助がそっと彼女の表情からそれを察し、誰にも気づかれないようにそっと手を引き厠に連れて行く。
うっかり春琴の様子に気がつかないでいたら、春琴はいきなりバチで佐助の顔を切り、さっさと立ち上がり一人で便所へ向かっていく。後から、佐助があわてて追いかけるという按配である。
万事がこんな具合だった。
ある時、一人の放蕩息子の求婚を春琴が激しくはねつけたため、ある夜何者かが春琴の寝室に忍び込み、その美しい顔に熱湯を浴びせて逃げるという事件が起こった。
春琴の叫び声を聞きつけた佐助は、暗闇の中を両手で隠してうずくまっている春琴を見つけた。
春琴の顔はひどい火傷のため、包帯をぐるぐる巻き付けてある。彼女はその包帯を取る日をおびえた。佐助だけにはその顔を見られたくない。
佐助は春琴のそんな気持ちをくみ取り、一人鏡台の前に座り、鏡で自分の目を見ながら針で両目を一つずつつぶしていく。
これが「春琴抄」の世界だが、まさに谷崎文学の美の極致ではないだろうか。佐助にとって春琴はひたすら気高く、自分には手の届かない存在でなければならない。だからこそ、春琴は佐助に甘えたり、優しい言葉をかけてはならないのだ。ただの男女と成り下がるとき、この恋は終わる。お互い愛し、やがて、飽き、別れるだけではないか。
だが、佐助がどれほど春琴に恋い焦がれても、やがて人間は年を取り、いつまでもその美貌を留めることができなくなる。だから、春琴はまだ若く、一番美しいときに、偶然であっても、佐助は自ら自分の目をつぶした。
だから、佐助の脳裏には永遠に美しい春琴が住み着いたのである。>(出口汪「出口汪の頭がよくなるスーパー読書術」、05年、青春出版社。P212-214)
個人的にはもう要約だけで十分です、という内容だ。しかし、自分の目をつぶしてしまうという愛情は並大抵のものではないことだけは伝わってくる。ロバート・スミスの発言にはそのような思いは一欠片も感じられないし、目や耳をつぶすような覚悟もないだろう。
私の中でも、好きなミュージシャンはずっと格好良くいてほしい、という思いはゼロではない。実際、ヴァン・モリソンやニール・ヤングやルー・リードなど、いくつになっても凄いエネルギーを出している人たちは存在する。しかし彼らは本当に奇跡的な部類であろう。多くのミュージシャンは10年も活動すれば創造力も肉体も衰えてくる。音楽活動自体を止めてしまう人だっているだろう。それに対して難癖をつけるのは簡単だが、結局それは自分に返ってくるということを多くの音楽ファンはライターは気づいていない。そういう自分はどうなのか、と言われたら返す言葉もない人がほとんどだろう。
私がよくライブに行くミュージシャンの中にも、お世辞にも順風満帆といえない人はいる。再浮上するということも無い気がする。しかしそれでももがき苦しみながら音楽活動を続けている姿から学んだりすることも少なくない。長年にわたり第一線で活躍している人よりも何倍もリアリティを感じてしまうからだ。
いやもしかしたら、こうしたミュージシャンにもう一人の自分を見ているような、そんな気になってしまうのかもしれない。若くして人生が終わってしまうというのは、やはり損だと思う。
と書いておきながら、この人の音楽をまともに聴いたことはこれまでなかった。奇行の多い人、という噂が耳に入っていたのでなんとなく遠ざかっていたのだと思う。だから,彼女についてあれこれ書く材料は私の中にはない。
しかし、ミュージシャンにとって27歳というのは鬼門なのだろうか。ロバート・ジョンソンからジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソン、カート・コバーンと、この歳で亡くなった伝説的ミュージシャンは多い。そしてエイミーのその中に加わってしまったわけだ。尾崎豊は享年26歳である。
こういう訃報に接したら悲しむのが当然ではあるものの、おかしなファン心理というのがあるもので、老いて醜い姿を晒すくらいなら輝いている時に死んでもらったほうが良い、などと考える輩も出てくる。例えばザ・キュアーのロバート・スミスは、デヴィッド・ボウイはアルバム「ロウ」(77年)が出た後に死んでしまえばよかった、などと言っていたらしい。自分も同じことを言われているかもしれないのに。
「Don’t Trust Over Thirty」(30歳を過ぎた連中は信じない)というのは、自分がその年齢に達することを念頭においていない発言である。調べてみるとこれは70年代のヒッピー文化の時に生まれた言葉らしい。なるほど、どうりで青臭いわけだ。
彼らの言い分はいちおう理解している。美しいものがボロボロに朽ち果てていく姿を見るのは辛い。しかし、そんなことを思っている自分だって同じ運命をたどっていくのだ。
そういえば、こういう運命に抗おうとする男について書いた小説がかつてあった。谷崎潤一郎の「春琴抄」(1933年)である。といっても私は小説そのものを読んでいないので、あらすじを引用したい。少し長いけれど、これをちゃんと読んだ人も少ないと思うので紹介させてもらう。
<大阪の商家の娘春琴はまれに見る美貌であったが、八歳の時失明し、以後琴の世界に生き、十五歳で春松検校門下の随一となった。その春琴には、佐助という青年が仕えていた。二人の関係は異常ともいえるものだった。
佐助はひたすら春琴に身を粉にして仕えていく。春琴は一時も佐助なしではいられない。化粧から、着替え、外出するときも、佐助が春琴の手を引いていく。
一つ象徴的な場面がある。
春琴が弟子の家に呼ばれて稽古をつけるとき、用を足したくなっても目が見えない。佐助がそっと彼女の表情からそれを察し、誰にも気づかれないようにそっと手を引き厠に連れて行く。
うっかり春琴の様子に気がつかないでいたら、春琴はいきなりバチで佐助の顔を切り、さっさと立ち上がり一人で便所へ向かっていく。後から、佐助があわてて追いかけるという按配である。
万事がこんな具合だった。
ある時、一人の放蕩息子の求婚を春琴が激しくはねつけたため、ある夜何者かが春琴の寝室に忍び込み、その美しい顔に熱湯を浴びせて逃げるという事件が起こった。
春琴の叫び声を聞きつけた佐助は、暗闇の中を両手で隠してうずくまっている春琴を見つけた。
春琴の顔はひどい火傷のため、包帯をぐるぐる巻き付けてある。彼女はその包帯を取る日をおびえた。佐助だけにはその顔を見られたくない。
佐助は春琴のそんな気持ちをくみ取り、一人鏡台の前に座り、鏡で自分の目を見ながら針で両目を一つずつつぶしていく。
これが「春琴抄」の世界だが、まさに谷崎文学の美の極致ではないだろうか。佐助にとって春琴はひたすら気高く、自分には手の届かない存在でなければならない。だからこそ、春琴は佐助に甘えたり、優しい言葉をかけてはならないのだ。ただの男女と成り下がるとき、この恋は終わる。お互い愛し、やがて、飽き、別れるだけではないか。
だが、佐助がどれほど春琴に恋い焦がれても、やがて人間は年を取り、いつまでもその美貌を留めることができなくなる。だから、春琴はまだ若く、一番美しいときに、偶然であっても、佐助は自ら自分の目をつぶした。
だから、佐助の脳裏には永遠に美しい春琴が住み着いたのである。>(出口汪「出口汪の頭がよくなるスーパー読書術」、05年、青春出版社。P212-214)
個人的にはもう要約だけで十分です、という内容だ。しかし、自分の目をつぶしてしまうという愛情は並大抵のものではないことだけは伝わってくる。ロバート・スミスの発言にはそのような思いは一欠片も感じられないし、目や耳をつぶすような覚悟もないだろう。
私の中でも、好きなミュージシャンはずっと格好良くいてほしい、という思いはゼロではない。実際、ヴァン・モリソンやニール・ヤングやルー・リードなど、いくつになっても凄いエネルギーを出している人たちは存在する。しかし彼らは本当に奇跡的な部類であろう。多くのミュージシャンは10年も活動すれば創造力も肉体も衰えてくる。音楽活動自体を止めてしまう人だっているだろう。それに対して難癖をつけるのは簡単だが、結局それは自分に返ってくるということを多くの音楽ファンはライターは気づいていない。そういう自分はどうなのか、と言われたら返す言葉もない人がほとんどだろう。
私がよくライブに行くミュージシャンの中にも、お世辞にも順風満帆といえない人はいる。再浮上するということも無い気がする。しかしそれでももがき苦しみながら音楽活動を続けている姿から学んだりすることも少なくない。長年にわたり第一線で活躍している人よりも何倍もリアリティを感じてしまうからだ。
いやもしかしたら、こうしたミュージシャンにもう一人の自分を見ているような、そんな気になってしまうのかもしれない。若くして人生が終わってしまうというのは、やはり損だと思う。
だから新聞はもういいですって
2011年7月26日現在の転職市場は様変わりしており、ネットを介して便利なサービスを色々と提供している。その一つが「スカウト」だ。「リクルートエージェンシー」や「デューダ」といった転職サイトに自分の学歴や職歴などの情報を掲載しておくと、それを見た企業の採用担当者が関心をもった場合に「うちに応募してみませんか?」というメールが送られてくる。サイトを介してやり取りするので個人情報が漏れるようなことはない。
自分のような変わった経歴の人間にスカウトなどくるはずがない。そう確信はしていたものの、何もしないよりはしておいた方がいいかなと思い登録をしてみた。すると先日デューダから、
「DODAスカウトサービスからのお知らせ 」
という件名のメールが届く。一体どんな企業からメールがきたんだと専用サイトに行って確認すると、
<【未経験からでも安心して働ける営業職】◎12時出社で残業ナシ!◎月収100万円も可能!◎朝日新聞のグループ会社で企業基盤も安定!>
送り元は「株式会社朝日サポートセンター」といって、朝日新聞社の子会社だった。新聞セールスの販売員の募集である。
私が新聞業界で働いているという経歴を見た会社の採用担当がメールを送ってきたのだろう。しかしせっかくの申し出だが、新聞業界に戻るという選択肢は私の中には全くない。
それにしても、自分にはこういうところしか声がかからないのだろうか。情けなくって涙が出てくらあ。
自分のような変わった経歴の人間にスカウトなどくるはずがない。そう確信はしていたものの、何もしないよりはしておいた方がいいかなと思い登録をしてみた。すると先日デューダから、
「DODAスカウトサービスからのお知らせ 」
という件名のメールが届く。一体どんな企業からメールがきたんだと専用サイトに行って確認すると、
<【未経験からでも安心して働ける営業職】◎12時出社で残業ナシ!◎月収100万円も可能!◎朝日新聞のグループ会社で企業基盤も安定!>
送り元は「株式会社朝日サポートセンター」といって、朝日新聞社の子会社だった。新聞セールスの販売員の募集である。
私が新聞業界で働いているという経歴を見た会社の採用担当がメールを送ってきたのだろう。しかしせっかくの申し出だが、新聞業界に戻るという選択肢は私の中には全くない。
それにしても、自分にはこういうところしか声がかからないのだろうか。情けなくって涙が出てくらあ。
レイ・ハラカミの急逝に接して
2011年7月28日京都在住のミュージシャンであるレイ・ハラカミが7月27日に脳出血のため急逝した。享年40歳である。
彼が作っていた音楽はテクノとかエレクトロニカとかいったジャンルに括られるもので、個人的にはほとんど食指の動かぬ分野である。しかしながら彼の音楽にはなんとなく日本的というか叙情的なものがあり、私のような人間でも親しみを感じる部分がある。矢野顕子とのユニット「yanokami」の音も魅力的だった。といってもまともに彼の音楽をyou tubeで聴いたのは訃報に接してからのことだが。そうでなければ、一生縁のない音楽だったかもしれない。
最初は「追悼」を日記のタイトルにしようと思ったけれど、にわかファンにもならない私がそういう表現を使うのも何かおかしいと感じたのでやめにした。
それにしてもレイは27日の午後4時にtwitterでつぶやいていて、その日の午後7時ごろに亡くなってしまったのだから文字通り「急逝」である。彼自身は過去や未来について考えたり、生きることや死ぬことについてあれこれ考える時間も与えられないまま突然この世を去ってしまった。まさに一瞬の夢のような出来事だったに違いない。
一方、この世に残された親族や友人、ファンの悲しみや喪失感は計り知れないものがあるだろう。
最後にyou tubeで見つけた曲を1つ紹介する。興味をもった方は、まだ色々と曲があるので調べてみてほしい。
rei harakami -”nijizou(にじぞう)”
http://www.youtube.com/watch?v=xH6wEzLZ5S0
彼が作っていた音楽はテクノとかエレクトロニカとかいったジャンルに括られるもので、個人的にはほとんど食指の動かぬ分野である。しかしながら彼の音楽にはなんとなく日本的というか叙情的なものがあり、私のような人間でも親しみを感じる部分がある。矢野顕子とのユニット「yanokami」の音も魅力的だった。といってもまともに彼の音楽をyou tubeで聴いたのは訃報に接してからのことだが。そうでなければ、一生縁のない音楽だったかもしれない。
最初は「追悼」を日記のタイトルにしようと思ったけれど、にわかファンにもならない私がそういう表現を使うのも何かおかしいと感じたのでやめにした。
それにしてもレイは27日の午後4時にtwitterでつぶやいていて、その日の午後7時ごろに亡くなってしまったのだから文字通り「急逝」である。彼自身は過去や未来について考えたり、生きることや死ぬことについてあれこれ考える時間も与えられないまま突然この世を去ってしまった。まさに一瞬の夢のような出来事だったに違いない。
一方、この世に残された親族や友人、ファンの悲しみや喪失感は計り知れないものがあるだろう。
最後にyou tubeで見つけた曲を1つ紹介する。興味をもった方は、まだ色々と曲があるので調べてみてほしい。
rei harakami -”nijizou(にじぞう)”
http://www.youtube.com/watch?v=xH6wEzLZ5S0
「人道に対する罪」について
2011年7月30日7月22日、ノルウェーの首都オスロで爆破事件があり8人が死亡、同日はウトヤ島で銃乱射事件が発生し68人以上が亡くなった。事件の直後に32歳の男性が逮捕されたが、彼の処遇をめぐって国内では議論が起きている。
ノルウェーにおいて死刑制度は1979年に全廃されている。どんな重たい罪であっても最大で禁錮21年となっているのだ。多くの犠牲者が出た事件のため、国内では死刑制度の復活や無期刑の導入を呼びかけている人も出てきているという。
時事通信7月25日に配信した記事によれば、93人が犠牲になって禁錮が21年となると、1人の殺害につき刑期はたったの82日しかないことになるのだ。なんだかよくわからないまま実刑をくらったホリエモンですら2年6ヶ月も服役しなければならないのに。私自身は死刑制度に対して、人間の作った制度に完璧なものなどないので誤った運用する可能性がある、という考えのもと「慎重派」という立場であるけれど、それでもこの罪は軽すぎるなあと素朴に感じてしまう。
そこでノルウェー司法当局は26日、容疑者を「人道に対する罪」で起訴する方向であると明らかにした。 それを聞いてオッと思い、今日の日記ではそれについて触れることにした。
「人道に対する罪」(crimes against humanity)という言葉は法律を勉強した人くらいした聞いたことがないかと思う。この概念ができたのは第二次世界大戦後の連合国による国際軍事裁判「ニュルンベルク裁判」までさかのぼる。これはドイツが起こした未曾有の戦争責任、具体的にはホロコースト(ナチスによるユダヤ人大虐殺)を裁くために初めて出てきた。仲正昌樹(金沢大学法学類教授)さんの著書「日本とドイツ 二つの戦後思想」(05年。光文社新書)にこの点について解説されている。
<これは、政治的、人種的、宗教的な理由から特定の人々に対する絶滅、奴隷化、追放などの「非人間的行為」を計画的に実行したことを、国際法上の罪と見做す考え方である。>(P.27)
ニュルンベルク裁判をおこなっていた時点ではすでにナチスの主な指導者(ヒトラー、ヒムラー、ゲッペルス)はことごとく自殺していたけれど、例えばアウシュヴィッツのガス室の責任者であったアドルフ・アイヒマンは死刑判決を受けている。
しかしながら今回のテロについては確かに多大な犠牲者を出した大事件であるものの、ホロコーストなど戦争犯罪に出てくる「人道に対する罪」が持ち出されるのはなんだかそぐわないなあと、第三者から見て違和感を覚えてしまう。
それにこの「人道に対する罪」が晴れて適用されたとしても、禁錮期間が30年になる程度にすぎない。この事件の判決結果はノルウェー国内外に大きな議論を巻き起こすに違いないけれど、法律というのはなかなか現実に即すことができないものだとつくづく感じた一件である。
ノルウェーにおいて死刑制度は1979年に全廃されている。どんな重たい罪であっても最大で禁錮21年となっているのだ。多くの犠牲者が出た事件のため、国内では死刑制度の復活や無期刑の導入を呼びかけている人も出てきているという。
時事通信7月25日に配信した記事によれば、93人が犠牲になって禁錮が21年となると、1人の殺害につき刑期はたったの82日しかないことになるのだ。なんだかよくわからないまま実刑をくらったホリエモンですら2年6ヶ月も服役しなければならないのに。私自身は死刑制度に対して、人間の作った制度に完璧なものなどないので誤った運用する可能性がある、という考えのもと「慎重派」という立場であるけれど、それでもこの罪は軽すぎるなあと素朴に感じてしまう。
そこでノルウェー司法当局は26日、容疑者を「人道に対する罪」で起訴する方向であると明らかにした。 それを聞いてオッと思い、今日の日記ではそれについて触れることにした。
「人道に対する罪」(crimes against humanity)という言葉は法律を勉強した人くらいした聞いたことがないかと思う。この概念ができたのは第二次世界大戦後の連合国による国際軍事裁判「ニュルンベルク裁判」までさかのぼる。これはドイツが起こした未曾有の戦争責任、具体的にはホロコースト(ナチスによるユダヤ人大虐殺)を裁くために初めて出てきた。仲正昌樹(金沢大学法学類教授)さんの著書「日本とドイツ 二つの戦後思想」(05年。光文社新書)にこの点について解説されている。
<これは、政治的、人種的、宗教的な理由から特定の人々に対する絶滅、奴隷化、追放などの「非人間的行為」を計画的に実行したことを、国際法上の罪と見做す考え方である。>(P.27)
ニュルンベルク裁判をおこなっていた時点ではすでにナチスの主な指導者(ヒトラー、ヒムラー、ゲッペルス)はことごとく自殺していたけれど、例えばアウシュヴィッツのガス室の責任者であったアドルフ・アイヒマンは死刑判決を受けている。
しかしながら今回のテロについては確かに多大な犠牲者を出した大事件であるものの、ホロコーストなど戦争犯罪に出てくる「人道に対する罪」が持ち出されるのはなんだかそぐわないなあと、第三者から見て違和感を覚えてしまう。
それにこの「人道に対する罪」が晴れて適用されたとしても、禁錮期間が30年になる程度にすぎない。この事件の判決結果はノルウェー国内外に大きな議論を巻き起こすに違いないけれど、法律というのはなかなか現実に即すことができないものだとつくづく感じた一件である。
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