日曜日に放送されているサンデー・フロントライン」(テレビ朝日系列)に「これがニュースだ!」というコーナーがある。この1週間で重要だと有識者が思ったニュースのベスト10を挙げるというものだ。その9位に”おひとりさま”顕著 単身3割超」というのがあり、おもわず見入ってしまった。

総務省の調査によれば日本国内の一人暮らし世帯は31.2%と全体の3割を超え、「夫婦と子どもからなる世帯」(28.7%)を初めて上回ったという。

一人暮らしというライフスタイルは世間にもすっかり浸透していて、一人分の鍋を出している料理店が人気だったり、一人用のマンションを買う人に対して偏見もなくなっているという肯定的な面を番組を紹介していた。一方、番組の「これがニュースだ!選定委員会」委員の一人である鳥越俊太郎(ジャーナリスト)さんは、一人暮らしが増える社会が待っているのは孤独死だ、と警鐘を鳴らしてもいる。

一人暮らしが人間にとってが良いのか悪いのかは、今の私には何とも言えない。ただこういう問いが出てくるたび、故・井上ひさしさんの「わが人生の時刻表 自選ユーモアエッセイ 1」(00年。集英社文庫)に収められている「淋しいという基調音」というエッセイを思い出してしまう。夏目漱石について書いた文章だ。短い文章なので全てを紹介させてもらおう。

<漱石全集を通読するたびに、なにかしら新しい発見に恵まれる一方で、いつもの基調音を聞くのが常である。その基調音は「人間というやつはなんて淋しい存在なのだろう」という静かな悲鳴だ。そういえば、漱石の常用句のひとつが、この「淋しい」であった。もっとも彼には「淋(さむ)しい」と振り仮名をほどこして使う癖があったけれども。
さて、漱石のこの基調音は次のように展開し、変奏されてゆく。
すなわち、ひとは淋しいから一人では生きられない。だがしかし二人以上集まると互いに迷惑をかけ合い、争い合い、裏切り合い、そして憎しみ合い、つまりは一人になりたいと切に願うようになる。ところが一人になってみると、やはり淋しくてやりきれない。そこでまた二人以上集まって・・・。
漱石は一生かかって、このやり切れない堂々めぐりを書き続けたのではなかろうか。漱石はこの堂々めぐりから脱け出す方法を見付けてはいない。というより人間にこの解決策を入手することはできない相談だろう。私はただ、この、淋しさを軸とした堂々めぐりが人生というものはないかという問いを設定した漱石に感謝するばかりである。この問いがあると知っているだけでも、人生、だいぶ生きやすくなると思うからだ。>(P.264-265)

たぶん内田樹(神戸女学院大学名誉教務)さんだったら、子孫が残せないのは人類にとって大問題だというような理由で一人暮らしを否定するだろう。誰かとくっつくというのは生物としては全く正しい行為ではある。しかし一人で生活するのが長くなった私には、むしろその方が当然という感覚になってしまっている。もはや生物として誤った道を進んでしまっているということか。

少なくとも周囲に誰もいないというのは生存上も不利な戦略であり、鳥越さんが指摘している通りその先には孤独死が待っていることだけは間違いない。

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